「ふむ、この車はとても座り心地が良いな。以前乗ったバスとは大違いだ。どうしてバスもこの車のようなシートにしないのだろう?」
隣ではしゃいでいるエイルをよそに、高貴は緊張で身を固めていた。いったいこのヴァルキリーはどうしてこんなにも能天気なのだろうと本気で疑問に思ったほどだ。
高貴にかかってきた電話。その主がいったい誰なのかは不明だが、それは静音の知り合いだったようだ。電話はすぐに切れたが、高貴とエイルは静音に誘われるがままに、電話の主に会いに向かっている。
《神器》のことを知っているという人物に会うために緊張してる高貴だが、そのほかにも緊張している事がいくつもある。
まず、この車には、自分とエイル以外にも、静音と菜月が乗っているという事。しかもこの車。後部座席が新幹線のようになっており、向かい合わせで座る事となっているのだ。
特に先ほどから菜月の視線がかなり気になる。気を抜いた隙に殺されてしまいそうなほどだ。
そしてもう一つ。今乗っているこの車。高貴は車の事など詳しくはなく、せいぜい速く走るものという認識くらいだが、そんな彼でもわかることが一つだけある。
この車は間違いなく高級自動車と呼ばれる類のものだ。リムジンだかベンツだかは知らないが、お抱えの運転手がいて、座席がこんな風になってるのだから間違いない。
車は住宅街を抜けて、今は都心を走っている。いったい自分はどこに連れて行かれるのだろうという不安で、高貴は気の休まる暇がなかったのだ。
「高貴、どうしてバスのシートは、この車のように座り心地がよくないのだろう?」
にもかかわらず、あいもかわらずヴァルキリーは能天気だ。もっとも、この場合はその能天気さのおかげで助かっているのかもしれないが。
「……あのな、これ高級自動車だから。もしもこのシートをバスに使ったら、とんでもなく金がかかるだろ」
「なるほど、しかし車というのは便利だな。ヒルドに頼んで同じ物を一台買ってもらおうか」
「やめとけ! 高級自動車が止まってる学生寮なんて異常すぎる! そもそも止める場所がねーし、免許持ってねーだろ!」
「ふむ、問題ないだろう。私はヴァルキリーだ」
「よけい心配だよ!」
自動車免許試験は、ヴァルキリーは受けてはいけないという法律をなんとか作れないだろうか?
いや、そもそもそんな法律は作る必要もないだろう。
「……仲、いいのね」
そんな二人を見ていた静音がポツリと呟く。
意外だ。必用なこと以外はまったく口に出さない静音が、高貴とエイルにそんなことを言ってくるというのは、かなり意外な事だ。
「あ、わりぃ。うるさかったか?」
「当たり前です。そのうるさくさえずる舌を切り取ってあげましょうか?」
「……勘弁して下さい」
本当にやられかねない。スカートの中に手を入れている菜月を見て、高貴はいつでもクラウ・ソラスを取り出せるように準備していた。
「ところで静音、この車はいったいどこに向かっているんだ?」
「……すぐにわかるわ」
静音はそっけなくそう言うと、エイルから視線をはずす。
おかしい。静音がエイルを無視することなどいつもの事なのだが、いつもは感じない明確な敵意のようなものを感じる。エイルもそれを理解しているのか、それ以上は問い詰めることなく窓の外を眺めた。
そのまましばらく沈黙が続き、やがて車が止まった。
「着いたわよ」
静音がそう言うと、運転していた運転手が車の扉を開いた。扉側座っていた高貴が最初に降りる。目の前に広がっていた光景は……
「…………ビル?」
「……ふむ、大きなビルのようだな」
後から出てきたエイルが言ったようにビルだった。どこからどう見てもビル。大きくて立派なビルだ。
しかし、どこかで見たことがある。というよりも来たことがあるような……
「……お、音無! もしかしてここって、SILENTの本社ビルか!?」
一番最後に車を降りた静音に向かって、思わず高貴が大声で叫ぶ。
「その通りよ。というよりもうるさいわ」
「ふむ、その|SILENT(サイレント)とはいったいなんなんだ?」
「四之宮にある三つの大手企業の一つだよ。音楽機器を開発してるSILENT社。電子機器を開発してる鳥羽山エレクトロニクス。小説とかを発行してる文月出版。四之宮にある企業の中でも就職はかなり難しいけど、就職できれば安定した収入は約束されるっていう企業だ。つーか俺が就職したいって思ってるとこ」
「……ずいぶんと……君……詳しいじゃないか」
「当たり前だ。俺は高校一年のときからいろんな就職先を調べてる。下調べに場所とかにも直接行った。平穏に過ごすには、安定した収入は必須条件だからな。ちなみに鳥羽山エレクトロニクスはあそこのビル」
高貴が指差した先には、SILENT社と同じくらい高いビルが建っていた。
とはいえ、いったいどうしてこんな大手企業につれてこられたのだろう。もしかして就職先でも紹介してもらえるのだろうか? それはかなりありがたい。
「まだお気づきにならないのですか? ずいぶんとおめでたい頭をしているようですね。一度分解してみましょうか」
「やめて下さい……つーかどういう意味ですか?」
「はぁ……お嬢様のフルネームはご存知ですか?」
「フルネーム……音無静音」
菜月の体がすばやく動いた。一瞬でスカートの中からナイフを取り出して、一瞬の躊躇もなしに高貴に向かって斬り付ける。
「うおっ!!」
警戒心を解いていなかった為、かろうじで高貴はその一閃を回避する。回避事態はしたものの、冷や汗が飛び出してきて止まらない。
「このシャバ蔵……馴れ馴れしく呼び捨てにしてんじゃねーよ……殺すぞ」
「わ、悪かったって! 音無さんです音無さん!」
呼び捨てにしただけでこれとは……それにしても名前がどうしたというのだろう?
彼女の名前は音無静音だ。転校初日に名乗ったので間違いない。間違いなく音無……
音無?
「おとなし……音が無い……え? も、もしかして」
「やっときがついたかこのタコ。静音お嬢様は、SILENT社の社長の一人娘だよ」
「…………マジで?」
社長令嬢。菜月がお嬢様と呼んではいたが、まさか本当だったとは。いや待て、となると自分に電話をかけてきたのは……
「ふむ、では先ほど高貴に電話をかけてきたのは、静音の父親か?」
「……その通りよ。早く行きましょう、待ってると思うわ」
……マジで?
◇
高貴とエイルは、静音と菜月に案内されるまま、立派な入り口をくぐり、大きなエレベーターに乗って、あっという間にビルの最上階近くにたどりついた。窓からは四之宮が一望できそうな景色が広がっている。
戸惑いながらも廊下を歩き、やはりあっという間に大きな扉の前にたどりつく。そこは社長室と書かれている部屋だ。
つまり、この扉の向こうに静音の父親がいるという事だろう。
「入るわよ。白峰さんはここで待ってて」
「……え? お、お嬢様、それは……」
「いいのよ……もう、いいの」
これから静音の父と話をするうえで、血の気の多い菜月は邪魔になってしまうかもしれない。それを思って静音は菜月にここで待つようにと言ったのかもしれないが、それだけの理由にしては二人の様子がおかしい。
菜月の顔には不安が、そして静音の顔には諦めにも似た感情が浮かんでいる。しかし、その理由を聞く前に、静音は社長室の扉をゆっくりと開いた。
その部屋はまるで、ドラマなどに出てくる社長室のような場所だ。ドラマのセットというものは、やはり実在しているものを参考に作られているのかもしれないと高貴は思った。
「やぁ、待っていたよ」
いかにも高級そうなデスクに座っていた男性が、高貴たちの存在に気がつく。
なんだかずいぶんとしっかりしてそうは人だな。それが高貴の第一印象だった。
恐らくはブランド物であろうスーツをしっかりと着こなし、派手すぎず地味すぎずバランスがしっかりと取れている。40代半ばに見えるが、髪に白髪などは見られず、若々しい印象も受けた。以前マイペースで見かけた、赤倉という男性が成長すれば、きっとこのような感じになるのだろう。
「初めまして。私は静音の父の音無巌だ。娘がいつも世話になっているようだね」
巌が高貴とエイルに向かって友好的に笑いかける。
「あ、いえ……こっちこそ、お世話になっています。月館高貴です」
「私はエイル・エルルーンだ」
「取り合えず座ってもらおうか。静音、お茶の用意を」
「はい」
巌がソファーを勧めてきたので、二人はいわれるがままに腰を下ろす。先ほどの高級車のシートよりもさらに座り心地が良いものだ。巌も向かい側に座り、その間に静音は、備え付けられているポットでお茶を用意して、自分の分も含めて4人分をテーブルに置いた。最後に静音も巌の隣に座る。
話を切り出し始めたのはエイルだった。
「ふむ、巌さんだったな。単刀直入に聞くが、あなたは《神器》を持っているのか?」
「いや、私は持ってはいないよ。持っているのは知っての通り、娘の静音だ」
エイルの問いに巌が即答する。確かに目の前の巌から感じる魔力は、一般人と同程度のものだ。しかし、それは魔力を抑えているという可能性も捨てきれない。
「だったら……どうして《神器》のことを知ってるんですか?」
「静音から聞いたんだよ。なぁ、静音」
「……はい」
巌の問いかけに、静音が静かにうなづく。
「最近静音の様子がおかしくてね。妙だと思って問いただしてみたんだ。そうしたら、いきなり魔法が使えるようになっただの、異世界から魔法の道具が来ただの、わけのわからないことを言い出してね」
「……まぁ、わけがわからないですよね」
それは高貴にも同じ事だ。実際高貴は、エイルと初めて会った時に、彼女の言うことを一つも理解できず、それゆえに何も信じていなかった。
しかしそれは不自然な事ではなく、むしろ自然な事だ。この世界には魔術というものはまったく存在しないのだから。
「しかし……私は信じることにしたんだ」
「ふむ、それはどうしてだ?」
「親が娘を信じるのに、理由なんて要らないだろう。それに実際に魔法とやらも見せてもらったしね」
「……なるほど、それなら信じられますね」
「そして、君達はその異世界の産物である《神器》を集めているそうじゃないか。それは間違いないかい?」
「ああ、間違いない。私はそのために異世界から来たヴァルキリーだ」
もはや隠す必要などないと判断したのか、あっさりとエイルが素性を話す。その問いかけに満足そうにうなづいた巌は、心なしか緊張した様子で言葉を続けた。
「それでは……君たちに頼みがある。静音の《神器》を回収してくれないか?」