「でさぁ……さっき言ってた人って結局誰なんだよ?」
音無親子と会ってから約20分後。自宅に戻った高貴は取り合えずエイルにそうたずねる。
ちなみに|SILENT(サイレント)社のビルからここまでは、車を使っても20分。高貴は車など持っておらず、送ってもらったわけではない。にもかかわらず車と同じ時間でどうして帰れたのか。
その答えはヴァルキリーにある。
何を考えているのかエイルは、高貴の腕を引き、時には全力で走り、住宅街に入ってからは屋根から屋根に飛び移り、かなりのショートカットを行ったからだ。
守秘義務など知ったことではないとでも言わんばかりに、エイルはひたすら走った。間違いなく途中で誰かに見られただろうが、高貴は気のせいだと思ってくれるように願うばかりだ。
そんな心配をよそに、そのヴァルキリーは――
「ヒルド、まずはなにが必要だろう? やはりお茶か? それともコーヒーか?」
「おお落ち着きなさいよエイル。ロスヴァイセ様は確かケーキが好きだって聞いた事があるから、とりあえずケーキ買ってきなさい。あたしはお茶入れとくわ」
「流石だなヒルド。私は買いに行ってくる。今日のマイペースのオススメはなんだろう?」
「知らないわよ。もう全部買ってきなさい。むしろ店ごと買ってきなさい。これカード」
「落ち着けバカども! つーか俺のバイト先潰す気か!」
耐えきれずに思わず高貴が叫んだ。ビクッと体を震わせて二人のヴァルキリーが大人しくなる。
「ま、まぁ高貴の言うとおりだよ。少しは落ち着いて二人とも」
高貴の隣に座っていた真澄も苦笑しながら二人をなだめた。しかし、
「だ、だって君達、ロスヴァイセ様だぞ!」
「失礼なことしたらどうなると思ってんのよ! ヴァルキリークビになって仕事失って路頭に迷う人生なんてゴメンよ!」
……うすうす感づいてはいたけど、ヴァルキリーってやっぱり職業だったのか。
しかしヒルドまでここまで取り乱すとは珍しい。
「それで、誰なんだよその人」
改めて高貴がエイルに問いかける。
「君には前に言ったが、《戦女神》という存在がいると教えた事があっただろう? その内の一人がロスヴァイセ様だ」
《戦女神》。確かエイルたちヴァルキリーの、上司のような存在だと前にエイルは言っていた。
「偉い人ってこと?」
「偉くてすごい人よ。ヴァルハラに存在するヴァルキリーの中でも、もっとも優秀な九人の事をそう呼ぶの。最前線で現場の処理とかをするのがあたし達《戦乙女》。その上に存在する九人の《戦女神》。その上に立つのが最高の権限を持つフレイヤ様よ。わかりやすく言えば、社長、上司、社員ってとこね」
「ふーん……あれ? そのフレイヤ様が一番偉いってこと? 二人の住んでたヴァルハラって、確か北欧神話に近いんだよね? 一番偉い人ってオーディン様って神様じゃなかったっけ?」
「ふむ、確かにヴァルハラの主神はオーディン様だよ。わかりやすく言えば、そうだな……この世界に当てはめると、フレイヤ様は警察で一番偉いお方で、オーディン様は国で一番偉いお方と言ったところだ」
なるほど、オーディンという神は、組織の上に立っているらしい。
しかしそう考えると、そのロスヴァイセという人物がそれほど偉いとは思えない。だが二人の様子を見るからに、かなり緊張しているのが伺える。
まぁなるようにしかならないだろうと高貴が考えていると、部屋のどこにもネコがいないことに気がついた。
「ヒルド、ネコはどこ行ったんだ?」
「知らないわよ。てゆーかあんなのいなくても良いわ。ロスヴァイセ様にふざけた態度でもとったらあたしの首が飛ぶもの」
いいのかよおい。
だがヒルドの言う事にも一理ある。ネコは四六時中ふざけているからだ。
初めて話す人物、そしてえらい人ということもあり、高貴も二人につられて緊張している。それは真澄も同じのようで、正座したまま不安そうにしている。
「いいか二人とも。とにかく失礼の無いようにだぞ」
「やっぱりエイルもクビは怖いの?」
「当然だ! 私はヴァルキリーだ!」
その言葉も言えなくなるわけか。
「それに――ん?」
エイルの言葉が遮られる。部屋のテーブルの上に、オレンジの光が突然現れたからだ。そして、エイルとヒルドも真澄と同じように正座の姿勢をとる。
オレンジの光が段々と形を成していき、《ᛖ》の文字に姿を変える。それにエイルはおそるおそると言った様子で触ると、文字が弾けて消えた。
そして……
「皆、そろっていますか?」
頭の中に直接声が響いてくる。穏やかな女性の声だ。先ほどの静音の父よりも、さらに安心感を与えてくるかのような声。しかしエイルとヒルドはやはり緊張した様子でいる。
「は、はいロスヴァイセ様。あたしたちヴァルキリー二人に、四之宮での協力者が二名そろっています」
「そうですか」
ヒルドの言葉に、満足そうな声で答える。
「協力者の方々は初めましてですね。私はロスヴァイセ。ヴァルハラの《戦女神》の一人です」
「は、初めまして。月館高貴です」
「えと……弓塚真澄です」
偉い人物と聞いていたが、想像以上に丁寧な話し方をする女性のようだ。
「話は聞いています。弓塚真澄さん、あなたは《星弓アルテミス》を見つけてくれたようですね。大義でした」
「いえ、そんな……」
実際は見つけたといっても店に売られていたもので、さらにはお金を払ったのは高貴なので、真澄は複雑そうな顔をしている。
「そして月舘高貴さん。あなたは《光剣クラウ・ソラス》に目を付けられた被害――ではなく、選ばれただけでなく、《銃槍ゲイ・ボルグ》の回収にも貢献したそうですね。大義でした」
「あの……途中なんて言い掛けたのか聞いてもいいですか?」
かなり聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。しかしそんな高貴の言葉を無視して、ロスヴァイセはさらに言葉を続ける。
「今回は私個人が皆さんにお礼を言いたいが為に、皆さんの時間をとらせてしまいました。そのことについては申し訳ございません」
「おやめくださいロスヴァイセ様!」
「そ、そうですよ! ロスヴァイセ様からお言葉をいただけるなんて、すごく光栄です!」
「そう言っていただけると助かります。ところでエイルさん、あなたは少々遅れたようですが、いったいなにをしていたのですか?」
ビクッとエイルの体がふるえる。心なしか、口調も声色も変わっていないにも関わらず、ロスヴァイセから威圧感のような物が放たれているように高貴は感じた。
「いえ、その……《神器》の持ち主とあっていました。それで《神器》をヴァルハラに回収してほしいと頼まれました」
「エイル、もしかして音無さん?」
真澄の言葉に、エイルがこくりと頷く。
「それではまた《神器》を回収出来たのですね。それは大義でした」
「いえ、その……」
エイルが困ったようにちらりと高貴に視線を向ける。ここは自分が話すべきだと考えた高貴は、エイルのかわりに口を開いた。
「あの……回収はまだしてないんです」
「……いま、なんと?」
「で、ですから……まだ返してもらってません。しばらく預かってもらおうと――」
瞬間、すさまじいプレッシャーが高貴たちを襲った。それは次元を超えてまで伝わってくる、ロスヴァイセのから放たれたものに違いない。
高貴と真澄だけでなく、エイルとヒルドまでが震え上がる。
「……《神器》を回収してこなかったというのはどういうことでしょう? 百歩ゆずって、戦いの末に逃げられたなどならまだ許せますが――」
怖っ! この人超怖っ!
何で今日はこんなに怖い人に出会うんだよ!
「そ、そのっ! なんだか様子がおかしかったんです! アイギスを渡すのを拒んでたのに、急に渡すって言ってましたし! それから……あー……すいませんでした!」
土下座。
見えない相手に向かって高貴は思い切り頭を下げた。
しばらく沈黙が続く。その場にいる全員がロスヴァイセの次も言葉を待っていると……
「《天輪アイギス》……わかりました。ですが回収できるように努めて下さい」
「は、はい! もちろんです!」
顔を上げて何度も高貴がうなずく。
「では私はこれで失礼します。皆さんどうか、ご無事で事を済ませられることを祈っていますよ」
その言葉を最後に、その場を支配していた圧倒的な威圧感が消え去る。それでもしばらくの間誰も動けないでいたが……
「……はぁ……無事に済んだみたいね」
ヒルドが大きなため息をついて姿勢を崩すそれを合図にしたかのように、全員が姿勢を楽にした。
「なんだか……すごい人だったね。二人があんなになってた理由もわかるよ」
「ふむ……わかってもらえて嬉しいよ」
「てゆーか月館! さっき言ってたのってどういう意味よ! さっさと《神器》返してもらえばいいじゃない!」
「いや……そうなんだけどさぁ……」
返す言葉もない。エイルも非難するように高貴を見ている。
「なんか理由あったの?」
「ああ、なんつーか……音無の父親にあったんだけどさ。なんかこう怪しかったっつーかなんというか」
「はっきりしないわね。どうだったのよエイル」
「ふむ、私の見た感想は、娘思いのいい父親に見えたがな。《神器》の力に頼るのは、静音の為にならないから、私達に回収を頼んだらしい」
そのあとエイルは、静音の父と話したことをなるべく詳しく話した。
「ふぅん、なかなか話のわかる親じゃない。月館、どこが怪しいのよ?」
「いや……はっきりとはしないんだけど……」
「ま、まって! 高貴が言うんなら本当かも知れないよ。高貴って、そういうのわかる人だから」
「真澄、ずいぶんと高貴の肩を持つな。いつもなら非難の言葉を浴びせるだろうに」
「うん……親の態度とか、高貴は敏感だから。高貴の両親の事もあるし……」
真澄がそう言うと、エイルはキョトンとして首を傾げる。
「ふむ、高貴のご両親はどうかしたのか?」
「え? あんた聞いてないの? 月館の親って、結構前に亡くなったらしいじゃない」
「……初耳なのだが」
そういえばエイルには言っていなかったと高貴は今更ながら思った。しかし別に伝えておかなくともいい事ではあるので、特に問題は――
「どうして教えてくれなったんだ!」
……あったらしい。エイルは明らかに怒っている。
「いや……別に言わなくてもいい事だろ?」
「よくなどない! それともうひとつ、真澄が知っているのは理解できる。君たちは幼馴染だろうしな。しかしどうしてヒルドが知っている?」
「あたし? 初めてここに来た日に聞いたわよ」
「は、初めて来た日……」
なぜかはよくわからないが、エイルはかなりショックを受けているようだ。
まぁ、放っておけば直るだろう。
「そんなわけで、音無にはもう少し《神器》を持っててもらうことにしたんだ。また今度連絡とって見るよ」
「はぁ……わかったわよ。ここはあんたの言うとおりにしてあげるわ。じゃあ話は終わりね。あたし今日は疲れたから早く寝るわ。もう夕飯作るわね」
そう言ってヒルドは立ち上がる。今の時刻は午後4時半。いくらなんでも早すぎる気もするが、それだけロスヴァイセとの会話が疲れたということだろう。
「じゃあわたしも帰るね。なんかあったら呼んで」
「ああ、わざわざありがとな」
真澄も立ち上がると「それじゃね」と言い残して部屋から出て行った。
残されたのは高貴と、いまだに放心状態のエイルだ。
「おいエイル。俺は今から宿題するけど一緒にやるか? わかんないだろどうせ?」
「………………」
返事は返ってこない。
もうしばらく放っておこうと結論付けた高貴は、かばんの中から勉強道具を取り出す。
静音の件をどう片付けるかなどまったくわからないので、それも考えなくてはいけない。そんなことも頭の片隅に浮かべながら、高貴は問題を解き始めた。