「あなたのした事が――気に入らないのよ!」
その一言は、エイルが知る限り初めて聞く、静音の叫びだった。
静音の右手にはめられているアイギスに光が灯る。
「くっ――」
身の危険を感じたエイルは後ろに下がる。ネコはすでに二人の戦いに巻き込まれないように走り始めていた。
「《ᚦ》――!」
エイルの右手がすばやく動き、空中にルーンが描かれた。バチッと、彼女の右手に雷光が弾け、それを静音目掛けて解き放つ。
元々隣同士に座っていただけあって、二人の距離は5メートルあまりしかない。その短い距離を一瞬で雷は詰めていく
「《天輪の守護障壁》――《平面》」
その至近距離の電撃は、静音の作り出した緑の障壁によって防がれた。
雷の弾ける音はまるで無力を嘆く叫びのよう。雷が消え去っても、障壁にはなんの乱れもない。
「高貴たちの言っていたバリアか……」
エイルは高貴とヒルドから、《天輪アイギス》の能力を聞いている。鈴木太郎の持つ《銃槍ゲイ・ボルグ》の攻撃をやすやすと防いだという障壁。実際に目の当たりにしてみると、その強度がよく理解できる。
《ᛇ》のルーンとは比べ物にならないほどの障壁だ。
「ふむ、遠慮は必用ないな!」
エイルが地面を蹴った。
静音の《神器》は指輪の形をしているため、第三者から見れば武器など持っているようには見えない。そんな彼女に斬りかかるのはいささか抵抗があり、故にルーンを放ったのだが、そんな余裕を見せていられる相手ではなさそうだ。
静かに、そして力強くそこにある緑の障壁に、エイルは全力でランスを振り下ろす。バシイィィィッ!! と轟音が響き、ランスと障壁の接触している面から緑の光が飛び散る。
しかし破る事はできない。一度武器を引き、二度、三度と叩きつけてもそれは変わることは無かった。
ならばと勢いをつけて刺突を放つ。それでも障壁は破れない。見た限りでは数ミリしかない厚さの障壁。それがまるで分厚い鋼鉄の壁であるかのような錯覚がエイルを襲う。
「無駄よ。あなたじゃ壊せないわ」
「くっ……ならば!」
エイルがランスから左手を離し、再び《ᚦ》のルーンを刻んだ。
「それはさっき無駄だったはずよ」
静音の言うとおり、初撃の《ᚦ》はあっけなく防がれてしまっている。にもかかわらず再び同じルーンを刻む理由が静音には理解できなかった。
しかし――
「なっ――」
視界から不意にエイルが消える。エイルが静音の右側に回りこんだのだ。
静音の作り出した障壁は、自分の前方のみを守るもの。ならば側面から攻撃してやればいい。それを思いついたエイルは、すかさずそれを実行した。
エイルが右手をを静音に向ける。そこには遮る物など何一つ無い。鉄壁の障壁はもはや意味を失っている。
「いけぇっ!」
迸る雷を解き放――
「《二重》」
解き放ったのと、静音が言葉を発したのはまったく同じタイミングだった。静音の声と同時に、再びエイルと静音を隔てる障壁が一瞬で出現する。
至近距離で放たれた雷は、初撃の雷と同じようにあっけなく防がれて消滅した。
「せっかくの名案だったのに残念ね」
「……ふむ、想定内だ。特に問題はない」
そうは言うものの、エイルの表情はとても悔しそうだ。
「それにまだまだ隙はある。そこをついていけば――」
「《天輪の守護障壁》――《球体》」
二枚の障壁が消えて、今度は静音を包み込むよう、に球形の障壁が現れた。エイルは思わずぽかんとしてしまう。
「隙はなくしたわ。というよりも月館君にアイギスの能力を聞いてなかったの?」
「……き、聞いていたさ。もちろん想定内だ」
実際は聞いていない。高貴とヒルドがエイルに話したアイギスの能力は「なんかすっげーバリアみたいな感じ」というものであり、エイルも詳しく追求はしなかったのだ。こんな事ならばもう少し詳しく聞いておくべきだったと後悔しても後の祭り。
これで障壁の隙をつくという手段は使えなくなったということになる。
「試していくしかないか……《ᚦ》、《ᛒ》、バインドルーン・デュオ!」
短い攻防で打つ手がほとんどなくなってしまったエイルは、静音と再び距離をとってルーンを刻む。
青い軌跡で描かれた二つのルーン。《ᚦ》と《ᛒ》が一つの光となっていく。
「集え、青き雷光―――《雷光の槍》!」
エイルのランスが青い光に包まれる。雷を纏ったランス、その切っ先をエイルは静音に向ける。
「白峰さんのと同じようなものね……でもそれじゃあ《天輪の守護障壁》は破る事はできないわ」
「ずいぶんな自信だな。しかしやってみなければわからない!」
エイルがもう一度静音に向かう。青い軌跡を描きながら繰り出される攻撃。しかし静音の言ったように、何度ぶつけても《天輪の守護障壁》を壊す事はできない。
エイルの表情には焦りが、静音の表情には余裕が――浮かんでいなかった。静音の表情も余裕が無いものとなっている。
明らかにおかしい。エイルの攻撃を全て防いでいる彼女に、いったいどんな焦る要素があるというのだろう? その疑問の答えはエイルにはわからなかったが、エイルの口は無意識の内に違う答えを求めて言葉を放った。
「君は、私のした事が気に入らないと言ったな? 私がいったい君に何をした?」
「……心当たりがないというの?」
「……もしかして以前図書室で高貴と君の勉強を邪魔してしまった事か? それとも昼休みの昼食を何回も誘ってしまったことだろうか? もしくは――」
「違うわよ! そんなくだらない事じゃないわ!」
二度目の大きな声。
エイルの攻撃の手を休めない。《天輪の守護障壁》にむけてランスを勢いよく突き刺す。青と緑の光が飛び散り、耳に響く音が辺りに広がる。
「自覚がないって本当に腹が立つわね。あなたが月館君にしたことよ」
「私が高貴に……すまないが心当たりが多すぎるぞ。私は彼にどれだけ迷惑をかけてきたのか自分でもわかっていない。無意識の内に迷惑をかけたことも当然あるだろう」
「この……彼にエインフェリアルを植えつけたでしょう! 本人が言っていたし、あなたも認めていたじゃない!」
「契約の印……」
確かに静音の言うとおりだ。エイルは高貴に契約の印を行い、クラウ・ソラスと対話させた。その行動は確かに褒められたものではなく、高貴に最も迷惑をかけてしまった行動ととられてもおかしくはない。
しかし、どうしてそれを静音は気に入らないのかが理解できない。そもそも静音も白峰菜月にたいして契約の印を行ったはずだ。
だが、エイルは一つの可能性を思いついた。自分と高貴が契約の印を行って、静音が気に入らないと思う理由を。
「ま、まさか……君は……」
エイルが静音から距離をとった。そして驚いたような表情になり……
「自分のしたことがどれだけひどい事かという事がわかったみたいね。でも――」
「もしかして君……高貴と結婚したかったのか?」
「……は?」
沈黙。
エイルの一言は静音の思考をピタリと止めた。それでも《天輪の守護障壁》を解除しなかったのはさすがと言える。
契約の印はヴァルハラでは結婚を意味する魔術でもある。故にエイルは、静音が高貴と結婚したいと考えており、しかし自分が契約してしまったので怒っていると考えたのだ。
ぽかんとしたまま固まっている静音にたいして、エイルはさらに言葉を続けた。
「そ、そうか。そういうことなら話が繋がるな。契約の印はそういう意味でもあるだろうし。し、しかしだ。私と高貴は別にそういう関係ではないぞ。あ、いや、高貴とそういう関係になるのが嫌というわけではなくてだな。あの時はああするしかなかったからであって……ま、まぁ彼は悪い人間ではないから、結婚したいと考えるのも理解できるが――」
「ふ……ふざけないで!」
しかし、静音から帰ってきたのは明確な否定だ。言葉と同時に動いた右手に、緑色の光が集う。
「《ᚱ》――!」
空中に刻まれる《ᚱ》、そして――
「やあああっ!!」
静音の足が地面を蹴った。
しかし《ᚱ》のルーンで強化されたその跳躍は、エイルとの距離を一気に詰める。結界と合わさって、まるで自動車でもつっこんできているかのような勢いだ。
その予想外の攻撃に、エイルはなんとか反応するものの、ランスを盾にして受け止めるのが精一杯だった。
バシィィィッ!! と轟音が響き渡る。
「何で私が彼と結婚したいだなんて思うのよ! あなたおかしいんじゃないの!」
「くっ……しかし、それ以外にいったいなにがある?」
「この……どこまでしらをきるのよ!」
静音の突進の勢いに押されて、とうとうエイルの足が地面を離れた。そのままエイルは後方に勢いよく吹き飛ばされる。
「くうううぅぅぅ!」
地面をゴロゴロと転がって、エイルはすぐに静音に視線を戻した。静音は30メートルほど前方に佇んでいる。おそらくもう一度突進してくるつもりだろう。
静音の言っていることは、エイルにはまったく理解できない。しかし負けるわけにもいかず、こうなったら自分の最高の技をぶつけるしかない。
故に、彼女は――
「仕方ないか……《ᚦ》、《ᚱ》、《ᛏ》――バインドルーン・トライ!」
その三つのルーンを、青い軌跡で空中に刻んだ。
描かれた三つのルーンは、エイルの正面にトライアングルを作り出す。その輝きを増していくのと同調するように、エイルの全身が青い光に包まれていく。
「三つのルーン……この魔力……」
それを見ていた静音は、ルーンを刻もうとしていた手を止めた。エイルから感じる魔力を前にして、突っ込むのは危険と判断したからだ。
《神器》も持たないエイルに破られるような障壁ではないと思っていたが、今から繰り出すであろうエイルの攻撃はかなり危険だとわかる。
以前見たレーヴァテインほどではないにせよ、鈴木太郎の最後の攻撃よりも上回っている事は確実だろう。それは異世界で戦っていた者の底力なのか、はたまた別の理由があるのかは静音にはわからなかったが、今の障壁では防ぐ事はできないだろう。
ならば、やるべき事はひとつだ。
「もっと強い障壁を……」
静音が右手を振ると、彼女を包み込んでいた緑の結界が一瞬で消滅した。
しかしアイギスの輝きはよりいっそう激しくなり、そして――
「《天輪の守護障壁》――《平面》……《四重》!」
右手を正面にかざす。静音の眼前には、僅かな間隔を空けた四つの障壁が出現した。
エイルの目が大きく見開かれる。一枚ですら破る事のできなかった《神器》の障壁が4枚もあるのだから当然だ。
常識的に考えて、エイルにはもう打つ手などない。鉄壁の守護の前に無力感を噛み締めるのみ。
しかし、ここにいるヴァルキリーにそんな常識は存在しない。
むしろ彼女はこう考えるのだ。
上等だ! ――と。
「破れるものなら破ってみなさい!」
その言葉に、了承するように、
「全てを―――貫く!! 《道を突き進む者》!!」
ヴァルキリーは地面を蹴る。
トライアングルを潜り抜け、その姿が消えると――
バシイィィィィッ!!
一瞬で緑の障壁と激突した。そのあまりのスピードに、待ち受けていたはずの静音も驚愕する。
しかし、驚愕した理由はそれだけではない。
ランスの先端部分と《天輪の守護障壁》の接触面。そこに段々と亀裂が走っていく。
ガシャァァンとガラスが砕け散るかのように、障壁の一枚が砕け散った。
「一枚……!」
「くっ……」
二枚目にぶつかってもエイルは止まらない。その二枚目にも段々と亀裂が走る。一枚目と同じような音を立てて、二枚目の障壁も砕けた。
「二枚目!」
続いて三枚目。しかしさすがに勢いが弱まってきたのか、ひびが広がるスピードが遅くなってきている。削れているのはアイギスの障壁か、それともランスの先端か。
「三枚目だ!」
先に限界をむかえたのは三枚目の障壁だ。とうとうエイルのランスは最後の障壁にたどりつく。
もはや後がない静音は、右手を伸ばして更なる魔力を最後の壁にこめる。エイルも最後の力を振り絞る。
「貫けええええええ――――――ッ!!」
「やあああああああああっ!!」
二人の少女の叫びが響く。
魔力と魔力の弾ける音が響く。
青と緑の光は周囲に弾ける。
障壁には亀裂が走り、ランスからは光が散っていく。
そして――エイルの動きが止まった。
「な……」
《道を突き進む者》。エイルの最大の攻撃であるそれは、静音の作り出した四枚の障壁によって完全に防がれた。
障壁には亀裂が入って入るものの、まだその役目を果たしている。しかしエイルのランスからはもはや光は消えており、突進力もないに等しい。
エイルの力では、静音に攻撃を届かせる事は不可能だったのだ。
静音は勝利を確信していた。大技の後でエイルには隙がある。もう一度突進して吹き飛ばせば自分の勝利。
彼女はすばやくルーンを刻む。エイルもようやくそれに気がつくがもう遅い。静音の右手が空中に軌跡を描き――
「……え?」
その声は、きっと意図して発せられたものではない。思わず口からこぼれてしまったものだろう。静音の漏らした声、その理由は極めて単純だ。
唐突に、突然に、エイルと静音を隔てていた《天輪の守護障壁》……その最後の一枚が消滅したのだ。
あまりに突然の事に、思わずエイルも思考が停止する。
いったいなぜ? 私は最後の一枚を砕けなかったはずだ。静音が消したとも思えない。魔力が尽きたとすれば、ルーンを描こうとしている説明がつかないし、何よりも私より静音のほうが驚いている。
様々な事が頭の中に一瞬の内に浮かび、そして最初に動いたのはエイルだった。
まだ動きの止まっている静音目掛けて、勢いよくランスが弧を描く。
「しまっ――」
「遅い!」
静音がとっさに後ろに向かって飛ぶ。しかしエイルのランスの先端が、静音の制服の胸元の部分を大きく斬り裂いた。《ᚱ》のルーンを刻んでいたおかげで、一気に20メートルほど二人の距離は開く。
「よくわからないが……このまま一気に――」
静音にさらに追い討ちをかけようとした足が不意に止まる。エイルの視界に妙なものが入ってきたからだ。
エイルの前方にいる静音。彼女は服が破けて、胸元が露出してしまっている。異性ならば釘付けになるかもしれないが、エイルは同性。しかし問題はそこではない。
静音の胸元に、なにやら灰色の光が浮かび上がっているのだ。さらにその光は、ルーン文字の《ᚾ》の形をしているようにも見える。
それを見たときにエイルの中であらゆることがつながった。
静音が自分を気に入らないというわけ。
自分が高貴にしてしまったこと。
そして――エインフェリアル。
「そ、それは――まさか君は」
静音が胸元に気がついてとっさに腕でそれを隠す。
「……そう、もう時間切れね。残念だけどこれでお終いみたい」
「ま、待て! その胸のルーンは……」
「見られてしまったわね。でもあなたならわかるでしょう? 同じことを月館君にしたのだから」
「ち、違う! 君は誤解している! 私がしたのは――」
「別にいいわよ。もう関係のないことだもの」
そう言って彼女はエイルに背を向ける。話は終わりだと、そして戦いも終わりだとその背中が語っていた。
「待て静音! まだ話は終わっていない」
「……さよなら」
そういうなり静音は、勢いよく公園の外に向かって跳躍した。それを何度か繰り返して、静音は完全に見えなくなった。
エイルはただ立ち尽くしていた。追いかけることも出来たかもしれないが、今は状況を整理する事が大切だと判断した為だ。
そんな彼女の足元に、今まで隠れていたネコが歩いてくる。
「エイル……さっきのあれって」
「ああ、間違いない。この目ではっきりと見たよ。彼女は――」
エイルはそこで一度言葉を切って、辛い表情で言葉を続けた。
「彼女はエインフェリアだ」