――壊す。
それが多分己の本質であると、ヴィータは思っていた。
己の敵を。主に害を為す魑魅魍魎を。――たった一つの幸せも。
叩いて撃ち抜いて貫いて砕いて壊す。
それが自分。
壊すしか能がない、哀れな人形。
だがそれは、かつての話。
心優しき主を得て。
戦闘とは無縁の日常を過ごし。
頼れる仲間と共に深き闇を退け。
司法機関に勤め、正義の為に槌を振るう今は。
そんな自分から脱却出来たと、思っていた。
大切な主を。信頼する仲間を。愛すべき日常を。
――守る。
それが今の自分の役割。
『守護騎士』の名に相応しい、自分の真の役割。
そう思っていた。
『思っていた』のだ。
結局の所、それはただの妄想でしかなかったのだ。
本質は、変わらない。変えられない。
絶対に屈さない心を持った親友の様に。
己の騎士道を曲げない仲間の様に。
自分もまた、変わらない。
ああ、そうだ、そうなのだ。
廻り回るこの世界で。救いはない。情けはない。
幸せとは一体何だったのだろうか?
「終わりにしよう、ヴィータちゃん。僕、もう疲れたんだ。気持ちを抑えつけるのに、さ」
雨が、降っていた。
目の前の男は、雨に濡れながらジャケットの懐に手を入れていた。
男は笑っていた。いつもの様に、ヘラヘラと笑っていた。
そのいつもの笑みが、どうしようもなくヴィータを哀しくさせた。
もう、手遅れなのだろう。もう、どうしようもないのだろう。
雨に濡れて、顔を濡らして、ヴィータは判別出来なかったが、もしかしたらそこには雨以外の雫があるのかも知れない。
――今の自分の様に。
「ははは……」
ヴィータも笑った。
目の前の男に倣う様に。
どうしようもなく、芯から壊れた様に、ただただ笑った。
降り注ぐ雨が、彼女の体を冷たく濡らす。
だけどその冷たさも、何もかも、気にはならなかった。
「いいよ」
ヴィータは言った。
両の手を大きく広げた。
目の前の壊れた男の全て受け止める様に。
自分が壊してしまった男を、受け止める為に。
志は、半ばだった。
まだまだ自分にはやるべきことが残っているのも理解していた。
自分が無抵抗で居ることによって、誰も救われないことも知っていた。悲しむ人が。涙を流す人が居ることも分かっていた。
だけど。
「あたしが、全部受け入れてやるよ」
――もう、何でもいいや。
そんな、『騎士』にあるまじき捨て鉢な思考。
終わりにしたかった。終わらせて貰いたかった。壊してほしかった。
「……ありがとう」
男はヘラヘラ笑いながら、礼を一つ。
その様子を見て、ヴィータは可笑しくなった。
この状況で、この台詞。
礼を言う義理なんて、どこにもないのに。
ヴィータは思う。否、願う。
もしかして、もしかしたら、もしかしたらだけど。
その男の礼を言った理由は
かつての二人の関係が。共に過ごした時間が。
虚なものでなく、きちんとした実を持っていて。
男と笑いあったあの日々だって、決して嘘じゃなくて。
あの時の笑顔は、『今』の状況とはまるで何も関係していなくて。本心からの彼の笑顔で。
彼も、きっと楽しくその日々を過ごしていて――
そのことに対して、礼を言って――
(そうだったら、いいな)
ミットチルダの首都、クラナガンには雨が降っていた。
ヴィータは男が懐から手を引き抜く今際の際、そういえば、あの時も雨が降っていたな、とぼんやり思い出していた。
「ヴィータちゃんって呼んでいい?」
突如、対面の男がそう言い放ち、ヴィータは食事の手を止めた。
ヴィータは普段から余り良くないと言われている眼つきを更にキツクし、戯けたことを抜かした男を睨んだ。
「駄目だ」
「あ、ヴィータちゃん僕のケーキ食べていいよ」
「聞けよ」
「僕、甘いもの苦手なんだよね」
「聞いてねぇよ」
「ヴィータちゃんは甘いもの、好き?」
あ、これは駄目だ。
ヴィータはただただそう思った。
聞いてないのでなく、聞く気がない。
この強引さを通り越しての不条理さは、ヴィータの親友を連想させた。
(いや、あいつはここまでじゃないか……)
「クラナガンの外れの方なんだけどね、そこで評判のキャフェがあってね、モンブランが美味しいらしいよ」
甘いものが苦手と言うのに妙に語る目の前の男を睨みながら、ヴィータは認識を改めた。
何せ、この男は先ほど任務でたまたま一緒になっただけであり、そして任務が終わり、さぁ帰るか、とヴィータが踵を返した瞬間、半ば無理やり食堂に連れられたのだから。
要は初対面なのだ。向こうはどうか知らないが、ヴィータは男のことなんて何も知らない。見たことも、聞いたこともなかった。
誘われた際、一応は断ったのだが、件の男はヘラヘラした笑みを浮かべながら「まぁまぁ」を連呼。結局、それにヴィータが折れる形で、こうして食事に同伴している訳だ。
「……ちっ」
小さく舌打ちを一つ。
だけれども目の前の男はそれに気づかないのか、それとも気づいていながらなのか、ともかくヘラヘラしながらケーキがどうのと語っていた。
(面倒くさいな)
食事自体はもう終わった。
初対面ながらも、一応は肩を並べて任務をこなしたのだ。一度の誘いを受ける義理ぐらいはヴィータも感じていた。
だが、それも終わりだ。
これ以上、付き合う気はなかった。
「……じゃあな」
がた、と椅子を引き、ヴィータは立ち上がった。
会話の途中(と言っても男が一方的に喋っていただけだが)に突如切り上げたヴィータに、しかし男は気を悪くした様子は見せず、ただヘラヘラと笑っている。
男に一瞥すらせず、ヴィータは食堂から立ち去ろうとした。
「あ、お疲れ様! 今度、一緒にキャフェ行こうね!」
「ヤだよ」
「何で!?」
特に理由なぞなかった。
評判のカフェも気にはなるし、ケーキも甘いものも好きだった。少なくとも、男の誘いには非がなかった。
あるとしたら、自分の心構えの問題だ。
だが、それをわざわざ男に言うのも嫌だった。
だから、ヴィータは適当な理由をでっち上げることにした。
「カフェの発音がムカつく」
一言で切り捨てて、ヴィータは後ろを振り向かず、足早に去って行った。
外は、雨がシトシトと降っていた。
次にその男に会ったのは、やっぱり任務の折だった。
「ねぇねぇヴィータちゃん、僕と一緒にキィャフェィ行こうよー」
「……悪化してねぇか?」
「何が?」
「……何でもない」
前と同じシチュエーションだ。
任務での同席。その終了後。食事の誘い。そしてゴリ押し。
違うと言うのならば、外の天気が晴れていることと、カフェの発音の悪化。
それと。
「……なぁ」
「ん? どったの?」
「……お前、アタシが『どう言うモノ』か知ってんだろ?」
ヴィータの心情が違っていた。
最早面倒だったのだ。『茶番』に付き合うのが。
あの時より、ヴィータの心は荒んでいた。
ヴィータは所謂プログラム体と呼ばれる存在だ。
ロストロギア、夜天の魔導書、その守護プログラム。
紅の鉄騎、鉄槌の騎士。
それが、ヴィータと言う存在だった。
夜天の魔導書。
しかし、巷で通りが良い名前は、むしろその前身、狂った悪意、『闇の書』の方であろう。
――闇の書の全666ページを、魔導師の「リンカーコア」と魔力資質で埋め、闇の書を完成させる。
それが彼女のかつての任務。
今の彼女の主に行き着くまで、書を完成させて転生を繰り返すたび、彼女たちはただ破壊を繰り返していた。
感情はない。
躊躇いはない。
情けもなければ、それが嫌だとも思わなかった。
彼女は人ではない。プログラムなのだから。
だけど、それはかつての話。
今は違う。違うのだ。
心優しい今の主。狂わせていた闇の書のバグを消去。
贖罪を兼ねての司法機関への従事。
『家族』達と過ごす愛しい日常。
そして、育った豊かな感性。
今の彼女は、かつてとは違う。
だけど、かつての罪が消えた訳ではない。
ヴィータは自嘲的な笑みを浮かべた。
「アタシと一緒に居ても、碌なことにならねぇよ。お前も、アタシもさ」
闇の書の被害は、多岐に渡っていた。
それが過去のものであったとしても、今の彼女に罪はないとしても。
それでも、過去の爪痕は確かにあるのだ。
勿論、表向きには彼女たちには何もない。
今の主を救うために魔力を蒐集する行為をしたのだが、それだけだ。
被害は出てはいるが、死者は居ない。情状酌量の余地もある。
そしてその罪に対する罰は、管理局での奉仕活動だ。それも、立派にこなしている。
だけど、消えない。かつての罪はそこにある。
被害者だっている。殺された者も居る。その家族だって居るのだ。
その罪に対しての罰は、宙ぶらりんだ。
無論、全部が全部、四六時中、そのことに対する非難を受けている訳ではない。
だが、偶にあるのだ。
ふとした瞬間に、局員とすれ違う時だとか、任務で一緒になった者と目が合った時だとか、そんな時に。
強烈な憎しみを向けられる時が。
それを受けるのに、ヴィータは疲れてしまったのだ。
大好きな主にも、仲間にも、親友にも、打ち明けはしなかった。素振りすら見せなかった。
彼らに無用の心配を掛けさせてしまうから。
ただただ、その小さな体に、悪意を、敵意を、受け止め続けていた。
だから、ヴィータは関係性が薄い相手と必要以上の接触をしたがらなかった。
仮にその相手が自分に対して好意的であったとしても、だ。
下手をすれば、自分と仲が良いという理由だけで、周囲に敵意と言う牙を向けられてしまう可能性があったから。
それを踏まえての、ヴィータの言葉。
男は、それに対して、
「僕はコーヒーはブラック派なんだけど、ヴィータちゃんは? 砂糖はいくつ入れる? ミルクは?」
とヘラヘラと笑っていた。
ご丁寧に二つのコーヒーカップを持って、だ。
「おい……!」
「知ってるよ」
そのあまりにも人を食った様子に、ヴィータは怒気を込めて声を掛けた。
それに対し、男はコーヒーカップを持ったまま、ヘラヘラ笑いを浮かべて、ゆっくりと言う。
「ヴィータちゃんが人間じゃないことも知っているし、昔どんなことしてたかも、まぁ知っている。ついでに言えば、周りの局員からどう思われているかも、知っている」
「……だったら」
「でもそれが、ヴィータちゃんとキィャフェィに行かない理由にはならないよ。少なくとも僕にはね」
「……」
「周りは周り。自分は自分。負い目を感じるのは自由だけど、遠慮する必要はないんじゃないの」
男はそう言って、ヴィータの目の前にコーヒーを置いて、自分の分のカップに口を付けた。
「ごぼっ」
直後、咽た。
「ま、まっず! このコーヒーまっず! なにこれ! 逆にすげぇ! なんだこの不味さ!?」
ゲホゲホ、と一人で盛りあがっている男を尻目に、ヴィータは恐る恐る目の前のコーヒーを口に入れた。
「げほっ」
直後、咽た。
「……まっず」
想像を絶する不味さだった。
苦味だとか、コーヒーの風味だとか、そんなの置いてきぼりにした、驚異的な不味さだった。
「ね、不味いでしょ!? なんだよこれどうしたらこんなの淹れられるんだよ……」
「ああ、ふ、っふふ、ホント、不味いなこれ……あははははは」
ヴィータは笑った。
親しい者の前以外では初めて、声を出して笑った。
それは、コーヒーの文句を垂れ流す男に対して可笑しさを感じたのかも知れなかったし、単にコーヒーの不味さがツボに嵌ったのかも知れなかった。
それとも、他に何か理由があったかも知れないが、ヴィータは深く考えなかった。
何か、馬鹿らしくなってしまったのだ。
考える、と言うことに対して。
考えて考えて、それでも敵意は消えない。憎しみはそこにある。背中には罪だ。
疲れてしまっても、泣き言は言えない。
考えるのを止めたとしても、結局は何もかも解決しない、あまりにもお粗末な行為だが、それでも。
「あっははははは! 不味いな、これ!」
今はただ、溢れる悪意や憎しみだとかを無視して、無邪気に笑いたかった。
そう言う気分だった。
「ねぇねぇヴィータちゃん、口直しにキィャフェィ行こうよ。コーヒーも美味いらしいよ」
不味いコーヒーをダシにして、懲りずに誘う男。
ヴィータは悪戯気にニヤと笑った。
「奢りだぞ?」
「上等。目の色が黒くなるまでコーヒー奢ってあげるよ」
「不味かったらぶっ飛ばす」
「それも上等。不味かったら、アイゼンの頑固な錆にしていいよ」
「何で知ってんだ、それ」
「そりゃあ、僕は」
そこで男は浮かべていた笑みを一層濃いものにした。
それは、ヘラヘラしたものではなく、どこまでも純粋で、どこまでも無邪気な笑みだった。
「ヴィータちゃんのファンだから、ね」
――――――――――――――――――
全三話ぐらい予定。