第十話【園崎対談】
皆との話し合いの次の日、ナナリーの病状はだいぶ落ち着いていた。
もう起き上がって食事も可能なぐらいには回復したようだ。
しかしまだ咳き込んでいるところを見ると、風邪をぶり返す恐れもあるので学校には行かせられない。今日こそは学校に行くと意気込むナナリーだったが大事をとって休ませるとした。
ちなみにナナリーには沙都子の件は伝えていない。伝えても余計な心配をかけるだけだからだ。
俺が黙っていれば、気が付かれる前に沙都子の件を処理することが出来るだろう。無論、今日中になんとかするつもりだ。
まず俺たちは普段どおり学校に登校し、留美子に沙都子の現状を報告することにした。無論留美子に話をした程度で沙都子を助けられはしないだろうから、留美子には俺たちが沙都子を助けるために動いているということを認識してもらうだけでいい。
皆で職員室に押しかけ、留美子に事情を説明した。
「――というわけです、知恵先生」
「そうだったんですか……。ナナリーさんが風邪で休んでいますから、てっきり私は沙都子ちゃんも同じ理由で休んでいるとばかり……」
留美子は生徒の異変に気づけなかったことに酷く落ち込んでいるようだった。
「たしか、沙都子の叔父には電話で病欠って言われたんでしたね?」
「はい……私はそれを信用しきっていました。そういうことならば、すぐにでも家庭訪問をして確認を取るべきですね」
さすが生徒想いの留美子だ。すでに事態を重く見てくれている。だが今は留美子には変に動いてもらいたくはない。
俺は電話に手を伸ばしかけた留美子を声で制した。
「すみませんが、それは止めていただきたいですね。今は下手に叔父を刺激するべきではないと思うので」
「で、ですが今はそんな悠長なことを言っていられる状況ではありませんよ!」
落ち着きなく声を荒らげる留美子。彼女は生徒のために何かしなくてはと躍起になっている。
だから俺は声のトーンを落とし、冷静さを欠いた留美子をなだめるように言った。
「そうですね、事態は一刻の猶予もありません。ですが知恵先生、生徒を大事に想うその心はとても尊敬できますが、そのように熱くなっていては適切な判断ができないと思います。ですから、この件は僕たちに任せていただけませんか」
***
「貴方たちに?」
俺が出した提案に留美子がきょとんとして聞き返してきた。
「ええ。僕たちはすでに沙都子を叔父の手から救出する算段がついています」
「なんですって? 貴方達、一体何をするつもりですか」
留美子は厳しい目で詰問してくる。どうやら俺たちが何か良からぬことを企んでいると思ったらしい。
すかさず俺は首を横に振ってその考えを否定した。
「大丈夫です、知恵先生が思っているような物騒なことは考えてませんよ」
「では、どうすると言うんですか?」
留美子は安心したのか、少しだけ表情を和らげ先を促す。
決まっている。園崎お魎が沙都子を認めれば、村人の冷遇も自然消滅する。何も村人全員を説得する必要はないのだ。難しく考える必要はない。
園崎お魎の説得、この一手ですべての障害はクリアされるのだから。
「この村の有力者、園崎お魎を味方に付けようと思います」
「え、それは一体どういうことです?」
ん……そうか。留美子は沙都子の問題が如何に複雑なものになっているのか知らないというわけか。
……よくよく考えてみればそれも当然だな。大切な生徒が村八分などされていると知っていたなら、留美子はすでに大騒ぎをしてこの村には居られなくなっていることだろう。
何にせよ、沙都子の問題の裏事情を留美子に一から説明し且つ納得させるのは骨が折れるな。
それに教師という存在はここぞという時には役に立たないのだから居ても邪魔なだけだ。そんな無駄な時間を割く余裕は今の俺たちにはない。
俺はここにきて留美子の説得を放棄することにした。
留美子の疑問には応えず、一気にまくし立てる。
「そのために今日魅音の家にお邪魔しようと考えているのですが、学校が終わってからだと遅くなりますし迷惑だと思いますので――――今から訪問する許可を頂けませんか」
俺はその返事を待つことなく、留美子の瞳を見つめて次なる言葉を紡ぎ出した。
「なに、大船に乗った気持ちで待っていてください知恵先生。"貴女はただ外出の許可を出し、俺たちを見送るだけでいい"」
歌うように紡いだ言葉にギアスをそっと乗せて。
――――。
――――――――。
………………。
一瞬のタイムラグの後、留美子は再び口を開いた。
「……そうですね、北条さんの件はルルーシュくんに任せることにします。よろしくお願いしますね」
「分かりました、ありがとうございます」
内心ほくそ笑みながら、うわべだけのお礼を言う。
これでもうここには用はなくなった。
踵を返して職員室を後にしようとすると、背後では魅音とレナが顔を見合わせていた。普段の留美子なら自分も同伴すると言い出すはずだからである。
妙にあっけなく留美子が引き下がったので拍子抜けしているのだろう。無理もない。
職員室を出てすぐに、一体どんな魔法を使ったの?なんて魅音が間抜け面で聞いてくるものだから、俺は笑いをこらえてこう答えてやった。
「馬鹿言うな、この世にそんなお手軽便利な力があるわけないだろう?」
***
留美子に外出の許可をもらった俺たちは大手を振って魅音の家、園崎本家に向かった。
魅音に仲介役を頼み、本家の車寄せで待つ。何しろアポなしの俺たちだ。魅音には精一杯頑張ってもらわないといけないだろう。
小一時間待ち、太陽が西へと傾きかけた頃――魅音がようやく屋敷から出てきた。玄関から車寄せまで少しばかり距離があるから、小さく手を振っている姿だけが遠めに見えた。
魅音は俺たちの近くまでは戻らず、皆に見えるよう大きく両手で円を作ってオーケーのサインを出す。どうやら面会の承諾が取れたようだ。
俺たちは顔を見合わせて示し合わせるように魅音に駆け寄った。
「魅音、面会は可能なんだな?」
念のため確認すると、魅音はこくんと頷いた。それから苦笑しながら全員の顔を見回して聞いた。
「けど、うちのばっちゃは怖いよ。覚悟はいい?」
「愚問だな。沙都子を必ず助けると誓った俺たちだ、覚悟などとうに出来ている」
皆が一様に深く頷いた。
その様子を見てとり、失敬失敬と魅音が冗談めかして言う。
「それで、魅ぃちゃん? 魅ぃちゃんのお婆ちゃんはどこで待っているのかな」
レナが静かに口を開いた。彼女に倣うように魅音も真剣な表情を浮かべる。
「……ばっちゃの寝室だよ。あまり体調が良くないみたいだから、面会時間はあまり多くは取れないと思う」
「そうか、なら尚更手段を選んでいる暇はないな」
「ルルーシュ、それはどういう意味です?」
俺の独り言気味の言葉に対して、思いのほか梨花が強く反応を示した。だがそれには答えない。
一人歩き出すと玄関の戸をからりと開けて後ろを振り返った。
「もたもたするな、行くぞ。言うまでもないと思うが、時間が経つにつれて状況は刻々と悪くなるんだからな」
***
魅音の案内のもと、俺たちはお魎の寝室に向かった。長い廊下を一列に並んで進む。皆、終始無言だった。
しばらくして廊下の突き当たりを右折すると、部屋の前に二人の黒服の男が立っているのが見えた。どうやらそこがお魎の待つ寝室らしい。
魅音が男たちに近寄ると彼らは頭を下げ道を譲った。
魅音に続く形で入室すると、すでに俺たち以外の皆が揃っているようだった。入るなり彼らからの視線を一斉に受ける。
園崎天皇とまで呼ばれるお魎その人は、布団に入ったままクッションのようなもので上体を支えながら偉そうに俺たちを見つめている。その鋭い眼光はさすが園崎頭首である。
だが鋭い眼光は何も彼女だけではなく、その場にいた五人の重鎮らしき人物らも発していた。その一人は着物を着こなした女性――魅音の母親、園崎茜だった。
全員が着席すると魅音が俺たちをその場に集った面々に紹介してくれる。それが終わると早速本題へと入った。
代表の俺が今までのいきさつを説明している間、ずっとお魎は厳しい顔をしていた。
「――以上。現在、沙都子は村人によって不当な差別を受け、また叔父によって危害を加えられている。沙都子を助けるため、その問題の根幹である園崎家と北条家の確執を解消してやって欲しい」
一通り言い終えた後は黙ってお魎の返事を待つ。お魎は隣にいる魅音の母親の茜に聞こえる程度の声量で何かを伝える。俺の位置からじゃボソボソとしか聞こえないのが腹立たしい。
仕方なしにしばらく待っていると、茜がお魎の言葉を代理で口にした。さらりと簡潔に。
「駄目だとさ」
やはりそう来たか。
しかしそれで、はいそうですかと帰るわけにはいかなかった。
「……何故です。北条家の罪は沙都子の両親が亡くなった時点で償われたはずだ。沙都子には一切の関係がない。にも関わらず、今も彼女が村中から不当な冷遇を受け続けているのは園崎家の罪ではないのか?」
「あたし達の罪だって?」
「その通りです。北条家側はすでに贖罪されている。ならば、今度は園崎家が贖罪をする番ではないのか」
俺の言い分を聞いて茜が嘲る。
「つまり極道なら仁義を通せと、こういうわけかい。ブリタニアの坊やが言うじゃないか、くっくっく」
「何かおかしい所でも?」
その振る舞いが酷く癪に触った。俺は目を細めて茜を睨みつける。
茜は人に睨まれることなどとうに慣れているのだろう。なお笑いながら言葉を返してきた。
「くっくっく、そりゃおかしいさ。坊や……ルルーシュ君と言ったねぇ。お前さん、考えがずれているよ」
何だと? そいつは一体どういうことだ。
焦りを悟られないよう落ち着いて先を促す。
「ずれているとは?」
「分からないかい? 北条家の罪がすでに償われているなんてことはない、故に私たちも仁義を通す必要がないってわけさ」
「しかし北条夫妻は……!」
「そう、確かに亡くなった。だけどねぇ、彼らは本家に謝罪に来たわけでもなく、ただ勝手に事故で死んだだけさ。償ったわけではないだろう?」
っ……。
俺は茜の物言いに耐えかねて、思わず唇を噛んだ。
許して欲しいのなら死んだ人間に謝まらせろと園崎家は本気で言っているのか。そんなことは不可能だと分かっていて……。
ならば代わりに沙都子に謝らせろという論法か? それこそあり得ない。
昨日の沙都子の精神状態では軽く頭を下げることすらも難しいだろう。
…………。
そこまで考えて俺の心は急速に冷めていった。
……そうか。お前らがそのつもりならば使ってやろう、絶対遵守の力を。
魅音の身内だからあまり使いたくはなかったが、こうなればそうも言ってられない。お前らには全力で沙都子を助けろという命令を遵守してもらう。
俺は座ったままお魎と目を合わせるとギアスを開放する。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じ――――
「おおっとそこまでだ。何をするつもりか知らないけどね、それ以上勝手したら容赦しないよ」
――――それは。
俺がギアスを発動させようとした瞬間の出来事だった。
茜は俺の喉元を貫く寸前で日本刀の切っ先を静止させていた。
「喋っても殺す。立ち上がっても殺す。娘の友達だからといって容赦はしない、躊躇なく殺す。だから間違っても、決して動くんじゃないよ」
***
まさかギアス能力を気取られたというのか。俺は想定外の事態にいつもの冷静さを保つことが出来ない。
「お、お母さん?! 何しているの!」
思い出したように魅音が悲鳴に近い声を上げる。俺も魅音と同様に叫び声を上げたい気持ちで一杯だったが、恐怖で悴んで言葉が出なかった。
もっとも、それが幸いして俺は喉を貫かれることなく、未だ生きることを許されているのだが。
「いやなに、この坊やから酷く嫌な気配がしたんだよ。例えるなら暗殺者が自慢の一撃で標的を狩る時のような、さ。ほら、やられる前にやるのが極道の定石ってもんだろう?」
「やめてよ! ルルが何をするって言うの!」
茜は魅音の必死な嘆願にも眉一つ動かさず、刀を俺の喉元に当てながら淡々と答えた。
「このブリタニアの坊やが何をするか、それはあたしには分からないさ。けどね、この坊やが”たった今やろうとしたことを諦めない限り”、あたしは刀を引く気はないさね」
どうやらギアスそのものの正体を掴まれているわけではないようだ。
茜が感じているものは気配。
正体不明の力――ギアスを阻止出来たのも、極道を貫き、死線を幾つも潜り抜けて磨いた洞察眼の賜物だろう。
「ルルーシュくん!」
茜と俺の間に入ろうとレナたちがすっと立ち上がるが、周囲に座っている重鎮たちが彼女たちを拘束した。
「話はしまいだね。そろそろ帰ってもらおうか」
しばらくして茜が面会の終了を告げた。
くそ、馬鹿げている……。こんな何も解決していない状況で引き下がることなどできるものか。
このままでは沙都子は一生消えない心の傷を負うことになる。
そうなれば俺たちは痛々しくも壊れた沙都子を目の当たりにし、無力だった自分自身を呪いながら生涯苦悩し続けるだろう。
……そんな世界を認めるわけにはいかない、絶対に。
俺はもう誰も失いたくないんだ。
「だから――――」
咄嗟に茜の日本刀の刃を右手で鷲掴むと、俺はそのまま喉元から切っ先を逸らした。
手のひらから鮮血が流れ、痛みと共に腕を伝うがさして気にはならない。
茜は俺がそのような真似をするとは夢にも思わなかったのだろう、ぎょっとして身体を硬直させていた。
この時ばかりは流石の茜も動揺を隠せなかったらしい。
「アンタ、一体何してるんだい……使い物にならなくなる前に、早くその手を離しな!」
そう叱り付けながら俺を見下ろすその顔は酷く青ざめていた。
一方、俺の頭はむしろ頗る冷静だった。茜の僅かな隙を突き、お魎に向けて吼えるようにギアスを叩き付けた。
「"沙都子を、助けろッッッ"!!」