第十一話【雛見沢症候群】
ギアスによって、お魎は沙都子を助けることをあっさりと承諾した。それから程なくして話し合いはお開きとなった。
茜はお魎の態度の急変に戸惑いつつも、黒服を身に纏った葛西という男に今から北条家に向かうよう指示を出した。
葛西は短く言葉を返し、黒服の男を数人連れて屋敷を出て行く。俺は縁側に座ってその様子を眺めていた。
「ふっ、何をするかは知らないが、可能な限り平和的に解決して欲しいものだな」
手のひらに出来た刀の傷の手当てをレナにしてもらいながらそっと呟く。
傍らで魅音が呆れたように言った。
「しっかしルルも無茶するよねー」
まあ、たしかに俺にしてはゴリ押しの解決法だったがな。
手当てが終わってからレナが頬をぷくっと膨らませた。
「本当だよ。レナは怒ってるんだからね。幸い軽傷で済んだけど、下手したら手首から上がなくなってもおかしくなかったんだよ、だよ」
「む……それは困る、無事で何よりだった」
あれは出来るだけ刃先に触らないように気をつけた上での演出なのだから、本当に大怪我をしたら間抜けもいいとこだ。
「ま、そのおかげでばっちゃを説得できたんだけどさ」
魅音が場を和ませようとからからと笑った。
どうやら魅音は俺の大立ち回りによりお魎の気持ちが動いたと思ったらしい。好都合だ、他の皆も同様の勘違いをしてくれる嬉しいんだが。
さて、村人による沙都子の冷遇も今日中にはなくなるだろう。まだ沙都子が救出されたわけではないが、この件は園崎家と魅音たちに全面的に任せておけばいい。
問題は三日後の綿流しの日に起こるとされるオヤシロさまの祟りだ。まだ何も対策が打てていない状態で肩の荷を下ろした気にはなれない。
結局この村に住むギアス能力者の正体は分からず、下手に動くことも出来ない。残された時間も僅かだ。
これからどうするべきか……。
今後の指針を考えている時、背後から突然名前を呼ばれた。
「ルルーシュ」
振り返ると後ろで腕を組んだ梨花がちょこんと立っていた。いつもの皆を見守るような笑顔ではなく、酷くまじめな表情だった。
「なんだ、梨花か。どうかしたか?」
「貴方に話があるのです」
「俺に?」
「はいです。少しその辺まで付き合ってくださいなのです」
改まって一体何の用だろうか。
沙都子の件か? それとも何か別の――。
一旦は思考を巡らせてみたものの、梨花に直接聞けば答えが出る話なので馬鹿らしくなって考えるのをやめた。
「分かった。では場所を移そう」
梨花はこくんと頷くと踵を返し、一人歩き出した。その後ろを黙って着いて行く。
進行方向から玄関へ向かっていると分かる。おそらく外に出て、屋敷の庭園で話をするのだろう。
「駄目だよルル、幼女に妙な真似しちゃ! くっくっく!」
背中越しに魅音の軽口が飛んで来たが無視しておくとしよう。
***
案の定、移動した先は園崎家の庭園だった。その造りはブリタニア人の俺ですら美しいと思えるほど完璧で非の打ち所がなかった。
まだ日本にこのような場所が残されていたのか。思わず息を飲む。
しばらく歩くと大きな池が目の前に飛び込んでくる。俺はそこで歩みを止め、梨花の背に声をかけた。
「おい梨花。……それで? 話とはなんだ」
いつまで経っても話を切り出さない梨花に痺れを切らして先を促す。
梨花は逡巡した後、静かに口を開いた。
「そうですね、ここならば盗み聞きされることもないでしょう」
「フッ、そんな秘匿性の高い話をされるほど俺はお前と深い仲だったのかな?」
いつもと違う口調で喋る梨花に違和感を覚えながらも、俺は冗談交じりに言葉を返した。
梨花は顔を真っ赤にして慌てて否定するとばかり思っていた。ところが、実際に彼女のとった態度は俺の予想を遥かに裏切るものだった。
長く艶のある黒髪をふわりと撫で上げると梨花は心底おかしそうに笑みを浮かべながら言った。
「ええ、そうね。たしかに私と貴方はある意味深い仲と呼べる間柄かもしれないわね、くすくす」
「……どういう意味だ」
まさかこいつは……。
咄嗟に最悪のケースを頭に思い浮かべて身構える。
そうでないことを切に願って。
だが――梨花の返答によって、俺の願いは完膚なきまでに裏切られた。
「驚いたわ。ルルーシュ、貴方もギアスユーザーだったなんてね」
その言葉を捉えるなり、梨花を敵と判断する。現状ではオヤシロさまの祟りはコイツの仕業である可能性が高い。俺は可能な限り迅速にバックステップにて梨花との間合いを取った。
後ろに飛びつつギアスを開放させる。
そうとも。この間合いこそ、俺のギアスがもっとも上手く機能する距離。相手がどのようなギアスだろうと俺のギアスのほうが早く効果を発揮するはず。
「待ってルルーシュ!」
だが勝ち誇るように絶対遵守の命令を発声しようとした矢先、突然梨花の制止の声が入った。
「私は貴方とやり合うつもりはないわ!」
「……どうかな。そう信用させた所で不意を突くんじゃないのか?」
時間稼ぎかもしれないとも思った。だが、いつでもギアスを放てる余裕からこの時の俺は梨花との会話に乗っていた。
「誓ってそんなことはしないわ。むしろ貴方のそのギアスで洗脳されないか怖いのは私のほうよ」
「ふん、こちらの手の内はすべて知られているということか」
「ええ、けれど何度も言うように貴方とやり合う気はないわ。だって戦う理由がないじゃない」
戦う理由がない。本当にそうだろうか?
梨花に対しての疑惑の炎が一気に燃え上がる。
「お前がギアス能力を使ってオヤシロさまの祟りを引き起こしていると考えれば理由は十分だ。次の標的はこの俺なんだろう?」
自問自答の末、梨花の言い分を否定してそれとなく誘導する。すると梨花は顔を真っ青にして神妙な面持ちで聞き返してきた。
「……貴方、まさか発症しているわけじゃないわよね……?」
「一体何のことだ」
発症……。病院に行かない限り普段はあまり耳にしない単語だ。そのワードについて思いを巡らせてみたが、今優先すべきことはそれではないと考え直し、途中で思考を打ち切った。
梨花を注意深く観察する。もし彼女が少しでも不審な動きを見せたら迷わずギアスを使うつもりだった。
「その腕の傷……掻いたのね?」
「なに?」
梨花に指摘されて腕に視線を移すと、右腕に引っかき傷が乱雑に刻印されていることに気がついた。
おかしい。先程までこんなものはなかったのに。
いつの間にか掻き毟っていた……?
引っかき傷はすでにミミズ腫れとなっており、糸状に赤く膨れて血が滲んでいる。それを視認するなり、腕が強烈に疼き出した。遮二無二掻き毟る。
まずい、このまま掻き続ければ重要な血管までも傷つけることになる……。それが分かっていながら自傷行為を止めることが出来ない。
「くっ……どうして急に腕が……。まさかこれがお前のギアスか?!」
「やっぱり……発症しているのね」
俺は梨花をきつく睨みつけると、冷静さを欠いたまま厳しく追及した。
「発症とは何だ?! 答えろ!」
このままではギアスで梨花を殺したとしても共倒れになる。ナナリーのためにも俺はまだ死ねない。何も分からず殺されるなど願い下げだった。
***
梨花は酷く落胆した様子でため息を一つ吐くと重い口を開いた。
「……まず、貴方の腕の痒みは私のギアス能力のせいではないわ。原因はこの土地に古くからある風土病」
「風土病だと?」
「ええ、貴方が発症している病は雛見沢症候群と呼ばれている。発症者は疑心暗鬼に駆られて周囲の言葉に耳を貸そうとしなくなる。次第に幻覚を見るようになり、身体の随所に痒みを覚え……いずれは凶行に走って絶命する。だから貴方は一刻も早く処置を受けるべきなのよ」
「そんな話、信じられるものか」
病気ならば発病前に何かしら兆候が見られるはずだ。だがこの痒みは梨花と会話をしている間に突然起こった。
梨花の話がまったくのデタラメで、コイツのギアス能力のせいだと考えるのが一番妥当だ。
「そうでしょうね……。一度発症して私の話をちゃんと聞いてくれた人は今まで誰もいないもの。……この世界には期待していたのだけど、こうなっては終り、ね」
梨花は呟くように言ってポケットから何かを取り出す。
あれは、注射だろうか?
「これは貴方の痒みを止めることが出来る治療薬。もし使いたければあげるわ……。ま、信じる信じないは貴方が決めることだけど」
梨花は注射を指で玩びながら、さらに続けた。
「それでも最後にもう一度だけ。貴方の友人として説得させて欲しい」
――――その表情はなんと悲痛なものだろうか……。心がずきりと痛む。
いや、騙されるな。これは情に訴える梨花の作戦だ。
注射の中身は治療薬なんかではなく、おそらく俺を絶命させるための毒薬に違いない。
しかし――もしも梨花の言葉が本当に――――だったら……?
馬鹿……甘い考えは止めろ。
目の前にいるのは仲間なんかじゃない、俺を殺そうとしている敵ではないか。
そうだ、敵だ。敵だ。敵だ……。頭の中でその言葉だけがぐるぐると暴れまわる。
既にギアスの先制攻撃を受けている。もはや確定的なはずだろう?
だが――――でも……。
信じたいのに、信じられないまま……唇をぎゅっと噛み締めて梨花の言葉に耳を傾ける。
「私は貴方の敵ではない。考えてもみてよ……。私が沙都子を助けてくれた恩人の貴方を殺す理由がどこにあるっていうの。ルルーシュ、お願い――私を、信じてよっ……」
梨花の瞳からは一抹の涙が零れ落ちる。俺は無意識にそれを目で追った。
彼女の涙は夕焼け色に煌きながら、すうっと地面に溶けてすぐに見えなくなった。その一瞬の情景が酷く心に残り、胸を強く締め付けた。
俺は――――。
「……駄目だ。信じられない」
「そう、よね……。知ってたわ」
俺の答えを予見していたのか、梨花は至極簡単に諦めの色を見せた。それでも肩はうな垂れ、失望した様子がありありと見て取れる。しかし、そんな態度を取られても到底信じられるわけがないのだ。
だから俺は梨花の瞳を覗き込み、彼女に対して絶対遵守の力を発動させた。
「古手梨花に命じる。お前は――――」
***
呆然と立ち尽くした俺の手には、梨花からもらい受けた注射が使用済みの状態で握られていた。
俺は自らの取った選択を振り返った。
疑心暗鬼に取り付かれた俺が取った行動は、仲間に対してギアスを使用することだった。
遵守内容は腕の痒みを止める手段を提供させること。ギアス能力は絶対であり、嘘をつくことができない。それが疑心に狂った俺の命綱となった。
ギアスに心を奪われた梨花は一瞬見動きを止めた後、すぐさま俺に注射を手渡してきた。
受け取った注射を打つと腕の痒みはぴたりと止まり、頭は霞が晴れたように鮮明になった。この時ようやく俺は梨花の言うことが真実であり、自らが雛見沢の奇病とやらに感染していた事実を認識できた。
「しかし病気に侵されていたとはいえ仲間を疑ってしまうとは……」
梨花は未だギアスの効果によって放心状態だ。しばらくすれば開放されると思うが……ギアスに保証はない。最悪このままかもしれないと思うと、仲間に対しギアスを使ってしまったという強い後悔と自己嫌悪が募る。
「……ルルー、シュ……?」
意識が戻り、俺の名を呼ぶ梨花。何が起こったのか分からず酷く困惑しているようだ。
そんな梨花の様子にほっと安堵のため息をついたものの、俺はすぐさま謝罪の言葉を口にした。
「……すまない梨花、ギアス能力を使わせてもらった。あの場合そうせざるを得なかった……」
「ルルーシュ…………いえ、良くやってくれたわ」
「……怒らないのか?」
泣き笑いの表情を浮かべながら、梨花はふるふると首を横に振った。
「そんなわけないじゃない。ギアスで殺されるか、操り人形にされるか。いずれにしろ貴方を正気に戻すことは叶わないと思ってたもの」
梨花はそこで一旦言葉を切って表情を真顔に戻すと俺に問う。
「それで……貴方の雛見沢症候群のほうは治まったと考えていいのね?」
激しかった腕の痒みは収束し、疑心の炎は消え去っている。もう平気だろう。自分の体調を分析してから言葉を返した。
「ああ、問題ない。疑ってすまなかった、お前の話は真実だったんだな」
「よかった……」
梨花は気が抜けたのかその場にぺたりと座り込んだ。
「それで? 自らの正体を明かして一体どういうつもりだ。まさかギアスユーザー同士の同窓会ってわけでもあるまい」
「ええ、違うわ。これから貴方の力を借りる上でお互いの秘密は共有すべきかと思ったのよ。もっとも、そのせいで大変なことになるところだったのだけど」
「力を借りるだと?」
梨花は深く頷いてから言葉を連ねた。
「そうよ、ルルーシュ。貴方がこんなにも力強く心優しい人間としてこの雛見沢に来たのは今回が初めて。私はこのチャンスを逃したくはなかった」
「……どういう意味だろうか」
俺の問いかけを聞いているのかいないのか、梨花は独りごちるように言葉を紡ぎ続けた。
「今までの貴方なら、まず沙都子を助けようなどと考えはしなかった。ルルーシュ・ランペルージにとって仲間は退屈な日常を紛らわすためだけの存在であり――例え仲間が危機に陥っても対岸の火事を見ているかのように、ああそうかと思うだけだったはず。何が貴方をここまで変えたのか分からない。けれど……ただ一点、私にはこの世界が奇跡であると分かる」
「梨花、話が見えない。順序立てて説明してもらおうか」
「そうね、ごめんなさい。さて……どこから話せばいいのかしら」
梨花は自分の置かれている立場を淡々と話し始めた。
***
梨花の話はとても常識では考えられない話だった。超常の力――ギアスを得ていなかったならおそらく俺自身、耳を傾けなかっただろう。だから梨花が事前に自分が能力者であることを俺に打ち明けたのは、紆余曲折あったにせよ、今なら正しい選択であったといえた。
まず梨花のギアス能力について説明を受けた。
彼女の能力は世界再起のギアス。時間を過去へと巻き戻し、世界のやり直しが出来る能力らしい。
それが事実であるなら、考えうる限り最強のギアス能力だ。俺などのギアスではまるで歯が立たないだろう。
確かに俺のギアスは発動さえすれば必殺の力がある。しかしそれも一なる世界ならばではだ。百の世界、千の世界なんてものを持ち出されては敵うわけがなかった。
ただ、そんな最強の能力にも弱みはあるらしい。発動が死の瞬間にだけ固定されており、いつでもというわけにはいかないようだ。
また、死から2・3日の記憶が混濁するようで自らの死の状況が今ひとつ要領を得なかった。
つまり犯人・殺害動機共に不明。それ故に、彼女は綿流しの日の数日後に――おそらく連続怪死事件の関係で――必ず殺され、そのギアスの力で何度も同じ時間を繰り返していた。
それから連続怪死事件には雛見沢症候群が密接に関係していると聞かされた。
「雛見沢症候群だったか。雛見沢に昔からある風土病といってたな」
「ええ。もっとも、正式な名称はなくて地名を取ってそう呼ばれているだけなのだけど」
元凶はこの土地に生息する、ある寄生型病原菌。それが人間の脳に寄生し、宿主を疑心暗鬼に取り付かせる。最後には発狂させ、宿主を凶行に駆り立てるという。
その病原菌は空気感染で広がり、雛見沢に住む者は全員感染しているそうだ。
たしかにこれならば、ギアスなんて力を使わなくとも連続怪死事件の全てに説明がつく。……サクラダイト発掘会社のバラバラ殺人事件にも。沙都子の叔母撲殺事件にも。
梨花から話を粗方聞き終え、俺はため息混じりに口を開いた。
「すると、雛見沢連続怪死事件は連続していなかった?」
「ええ、連続怪死事件は決して連続しているわけではなく、おそらくは雛見沢症候群が引き起こした個々の悲劇に過ぎない」
個々の悲劇か。一つ間違えれば俺もそれに名を連ねてたというわけだ。 錯乱して周りの人間に危害を加え、何も分からずに絶命する……。そんな光景が頭に浮かんで背筋が凍った。
「……待て。連続怪死事件は雛見沢症候群による個別の事件といったな。ならばお前自身の死もそれが原因なのだろうか?」
「それもなかったわけじゃないけれど……」
俺の疑問に梨花は言葉を渋る。梨花自身考えあぐねているようだ。
「けれど、何だ?」
「私は、真犯人は雛見沢症候群を発症していない人間だと思う。私の殺害は大抵、生きたまま腸を引きずり出されて行われるのだから」
「分からないな。お前の死に雛見沢症候群が直接関与していないとする理由は?」
「殺害手順が同じということはつまり、同じ人物が同じ時期に発症して私を殺しに来るという話になるからよ。 ところが今の雛見沢症候群の病原性は昔のそれと比べると著しく弱体化してるの。発症なんて稀なはず。 貴方自身発症したから説得力はないでしょうけど、毎回そう都合よく同一人物が雛見沢症候群を発症させ、私を殺しに来るとは考えられない」
「なるほどな。そこには雛見沢症候群の発病などという偶発的なものではなく、何者かの意思が確かに介入しているというわけだ」
「そうなるわ。そして例外なく起こる死は私だけではないの」
「というと?」
「今年は、毎年綿流しの日になると現れる富竹という男と入江診療所の鷹野という女が殺される。当初、私は自分の命ばかり考えてた。けど、しばらくして彼らの死が私の死に直結していることに気がついた。私が助かるためには彼らにも生きてもらわなくてはならない」
それから梨花は雛見沢症状群を研究する組織――東京――が存在する事実を明かした。
富竹と鷹野はその組織の一員で、日本がブリタニアに敗戦した後も変わらず雛見沢症候群を根絶させようとしているそうだ。
梨花は自らの体内に雛見沢症候群の親玉を飼っていると告げる。話を聞く限り、その組織にとって彼女は女王感染者と呼ばれる存在であり、極めて重要人物らしい。
富竹と鷹野は研究の存続のため、梨花に危険が及べば守らなくてはならない立場にいる。
二人を殺す理由は単純明快。梨花を殺すために二人が邪魔なのだろう。
「――と、話が長くなったけど、私が言いたいことは一つしかないわ。ルルーシュ、貴方の力を借りたい。協力してくれるかしら」
「ああ、勿論だ。絶対にお前を死なせはしない」