【18】
Turn of Hinamizawa Village ―― Rika side
仮面の革命家、ゼロ――日本をブリタニアから奪い返すために動いている神出鬼没かつ正体不明の人物だと聞いている。
何故彼が雛見沢に……否、どうしてこの場に現れるというのか。考えている間もなく仮面の男が口を開いた。
「そうだ、私はゼロ。だがそれは今さほど重要な事ではない。急ぎ故に単刀直入に聞くが、ここに古手梨花はいるか?」
「梨花に何の用ですの?!」
沙都子が私を背中に押しやりながら強い口調で訊ねる。その身体は幾ばくか震えていた。無理もない、ゼロは正義の味方を自称しているとはいえそれでもテロリストのような存在だ。年端もいかない彼女が怖くないはずもなかった。
「質問を質問で返さないでもらおう。安心しろ、私は古手梨花を助けにきただけだ」
「なら、その仮面をお取りくださいですわ。信用のできない貴方の助けなど必要ありませんでしてよ。さっさとお帰りくださいませ」
沙都子は鋭い目つきで一蹴、仮面の男を見据える。その瞳は鉄平の件で悩まされていた時のものと比べると極めて対照的で、私にはとても澄んでいるように感じた。
しかし彼女の厳然たる態度にも彼は少しも怯まなかった。
「ふっ……私が信用できないか、当然だな。しかし君は間違っている。私は君に許可など求めてはいない、いつでも私は自らの意思にのみ従って行動するからだ」
「なっ……」
唖然とする沙都子を無視し、彼は私のほうに視線を向けた。実際には仮面越しなので本当のところは分からないがそんな気がしたのだ。
「君だな、古手梨花は?」
名前を呼ばれ、自然と身体がびくりと反応してしまう。これでは図星を突かれたと言っているようなものだ。
自分の失敗に内心苛立ちつつも、仕方なしに私は仮面の男の言葉を肯定することにした。
「……ええ、ご明察の通り。私が古手梨花よ」
「そうか、間に合ったようで良かった。私が来たからにはもう安心していい」
「私を助けてくれるというの?」
「ああ、そうだ」
「どうして貴方が?」
期待を胸に抱きながらもまだ心は許せず、冷やかな疑問を投げかける。
ところがゼロは私の質問には答えず、唐突に話題を変えた。
「ルルーシュ・ランぺルージという少年を知っているな」
「何故、貴方がルルーシュのことを? ……いえ、ゼロ。先ほど貴方はルルーシュの安否を気にしていた私たちに、その心配は無用だと言っていたわね。一体どうして?」
「知っているという認識で話を進めて構わないようだな」
かみ合わないゼロとのやり取りに苛立ち、私の声の抑揚は自然と上がっていた。
「質問に答えなさい! ルルーシュは無事なの?!」
ゼロは私の威勢に少しも動じることはなく、徐に頷いて言葉を続けた。
「ああ、彼は無事だ。今は黒の騎士団のメンバーが保護している。こちらには来られないが問題はない」
「それは本当なのね?」
「好きに取ったらいい」
ルルーシュは無事……。その報を聞き、私は胸を撫で下ろした。
「落ち着いた所で悪いが話を先に進めさせてもらおう。悠長に語らって居られる程あまり時間は残されていないものでね」
一呼吸ついてからゼロは再び話し始めた。
「……私が今ここに居るのは彼の作ったスパイウェアを偶然発見し、その中身を解析したからだ」
「ルルーシュのスパイウェアを?」
確かそれは鷹野に対するブラフだったはず。ルルーシュはあの後それをこの短い期間で完成させていたというのか。
「そのスパイウェアには、雛見沢症候群という病気を引き起こす寄生虫の膨大な情報が詰め込まれていた。そのレポートを全て読ませてもらった」
そう口にし、ゼロは分厚い紙の束を私のほうに投げてよこす。手渡す気はなかったらしく、それは当然のように宙を舞って地面にばら撒かれた。
ゼロの言い分を簡単に説明するとこうだ。
『ルルーシュのレポートから、雛見沢症候群が大変危険な存在である事が分かった。それを用いて細菌兵器を研究している人間がいるという事実を正義の味方を自称する自分は見過ごす ことが出来ない。故に奴らの目的であり、雛見沢症候群の引き金である古手梨花を守りに来た。』
筋は通っているように思える。だけど、信じるには何かが少し足りない気がした。
あの”ゼロ”が本当に私を助けてくれるのなら、確かにこれ以上の味方はないといえる。けれど沙都子も言うように、顔も見せない素性の分からない人間を果たして信頼していいのだろうか。
私だけの命がかかっているのならまだいい。だが私が死ねば雛見沢に住まう人々が皆殺しにされてしまう。もしくは強制的に症状をL5にまで引き上げられ、雛見沢は地獄と化してしまう。従って、私に選べる選択肢など初めからなかった。
「ルルーシュを保護してくれたのは感謝するわ。ただ、残念だけどそれだけの理由で貴方を信用することは出来ない」
ゼロの言葉を安易に信じる気持ちにはなれなかった私は突き放すように拒絶の言葉を紡いだ。
「貴方の助けは――不要よ」
***
「っ……。……ほう、ならばどうする? 何か手があるというのか……?」
意外だったのか、ゼロの声が若干裏返ったような気がした。その様子に私も少し驚いた。
噂を聞く限り、私はゼロを機械のように無機質な極めて冷酷な人物かと思っていた。だが実際はそうではないらしい。
仮面はただ素性知られたくないからという理由だけで被っているのではなく、何を考えているのか分からないといった怪しさ、それから生まれるカリスマ性を得るためのものなのだろう。
私はその――白鳥が水面下で足をバタつかせているような――ゼロの涙ぐましい努力を内心微笑ましく思った。
そのおかげか正体不明のゼロへの恐怖感が薄まり、真っすぐ彼と対峙する事が出来るようになる。
「ルルーシュの策が、あるわ」
あたかも知人と話をするかのように自然と言葉が口をついた。
「……その策は彼が一人で考えたものだろう。彼なしで上手くいくものか」
「例えそうだとしても私には仲間がいる。仲間がいればまだ私は戦える」
そうして私はレナと沙都子を一瞥した。
「馬鹿な……無策で敵と戦うだと!? 正気か!」
思いのほか感情を高ぶらせてゼロは叫んだ。その様子からテロを防ぐという面とは別に、彼が私自身を本気で心配してくれているように思えた。
正体不明の仮面の革命家は案外優しく信頼の置ける人間なのかもしれないとすら感じる。
そんな感想を持ったことを悟られないように私は真顔で答えを返す。
「ええ、私は至って正気よ」
「そんなのは、馬鹿げているぞ古手梨花……」
「ならばその仮面を外して正体を明かして頂戴。そうしたなら、私は貴方のことを少しは信頼できると思うから」
「…………それは無理だ」
ゼロは刹那的な沈黙の後、徐に首を振る。少しは考えてくれていたのだろう。その真摯な態度には素直に感心ができる。
が、それとゼロを信頼できるかということは別次元の話だ。
「そ、残念。では申し訳ないけれど素早くお引き取りいただこうかしら」
「…………」
ゼロはその場を動かなかった。
***
沙都子の言い分に対して自分の意思を少しも曲げようとしなかったゼロは今、私の拒絶を前にして酷く動揺しているように見えた。自らの意思によってのみ行動する。沙都子にそう宣った時のゼロはもう見る影もない。
今更になって少しの違和感を覚える。沙都子の時は平静を保っていながら、私の時はそうではなかった。それは何故だろう?
ゼロは、私が拒絶する事はないと思っていたのか? 否、彼はそんな能天気で愚鈍な人間ではないはずだ。
助力を拒まれる可能性は考えていたが、実際に拒絶され、ゼロは思いの他ショックを受けてしまったということなのか?
では沙都子と私の時の違いは一体なんだろうか。
私がゼロにとって救うべき対象だから? 違う、そうではない。それだけの理由なら、ゼロから漏れ出るこの打ち拉がれたような悲壮感の説明が付かない。
なんだろう……。もう少しで分かる気がする。何が、というと言葉では表せられないが……後一歩の所まで、私はゼロを”理解”する所まで来ていた。
「待って、梨花ちゃん。ここはゼロさんの力を借りるべきだと思う」
思考の迷路で彷徨い歩く私を、唐突に現実へと引き戻す声がした。
私とゼロの睨み合いの中、それを制したのは他ならぬレナだった。私は耳を疑った。
「レナさん、急にどうしたんですの?」
これには沙都子も驚きの声を上げた。それもそのはず、先ほどまではレナも沙都子と同じく――いや沙都子以上に疑心の目でゼロを見ていたのだから。
一体、何が彼女の気持ちを変えたのだろうか。聞かねばなるまい。
「レナ、僕にも聞かせてください。何故貴女がそういう結論に至ったのかを」
真剣に訊ねる私に対して、レナは普段の様相で不思議そうに首を傾げた。
「はぅ? 別に理由なんてないんだよ。強いて言うならあんなかぁいい仮面を着けてる人に悪い人はいないんじゃないかな、かな?」
「レナ、今は冗談を言っている時では……」
いつもなら微笑ましいそれも、このような非常時では決して笑う気になどなれない。逆に呆れてしまう。
私の内心を悟ったのか、レナはすぐに表情を真剣なものへと一変させた。
「ごめんね。だけど、本当に理由はないって言ったら?」
「……レナは素性を明かそうとしない人間を信じろというの?」
「うん、そうだよ」
微笑を浮かべながらレナは頷いた。
理解できない。この状況で信頼できない人間を仲間に加えることがどんだけ危険な事かレナなら分かるはずじゃないのか。
私がそれを口にしようとした刹那、表情に微笑みを留めたままのレナの口から冷たい言葉が矢継ぎ早に発せられた。
「梨花ちゃんこそ何をそんなに拘っているのかな、かな? 信頼? そんな綺麗事で敵に勝てるの?」
「レナさん! それは――――!」
「沙都子は少し控えていて」
レナに食って掛かろうとする沙都子を宥め、レナに先を促すと彼女は後にこう続けた。
『今必要なのは絶対的な戦力を覆す力だよ。』
私はその言葉に動揺を隠せなかった。
……確かに力には力をぶつけるのがセオリー。レナの言いたい事も分かる。いくら軍師が優れていても兵が伴わなければ戦に勝てはしないのだ。
けれどレナの意見を肯定できるほど、私は大人には成れないでいた。
「それを覆すためにルルーシュが考えてくれた策を、レナは忘れたのですか」
「梨花ちゃんこそ忘れたのかな。ゼロさんも言っていたけど、その策はルルーシュくんときちんと連携が取れてこそのものだったはずだよ」
「そうだとしても!」
例えそうだとしても私には他にも頼もしい仲間がいる。仲間がいれば私は戦える。その言葉さえも、レナは綺麗事と笑うというのか。
「なら梨花ちゃん。信頼が大事というのならゼロさんじゃなくて私を信じて?」
「レナを……?」
彼女のそれは、私を納得させるための方便。ずるい言い方だった。
ここで私が彼女を信じなければ、私自身が信頼を否定することになり、結果自らの考えを根本から捻じ曲げることになるからだ。
けれど、分かっていても私は首を縦に振るしかなかった。
「……分かりましたのです。今はレナの判断に従います。でもゼロが少しでも不審な行動を取ったなら……」
「うん、それで構わないよ。ありがとう」
そう言ってレナはゼロのほうに向き直って微笑んだ。
「そういう訳だから――ゼロさん。よろしくなんだよ、だよ☆」
レナは右手を差し出してゼロに握手を求める。彼は逡巡した後それに応じた。
どうしてだろうか。この時の私は、ゼロに対してレナが浮かべる微笑に確かな信頼があるように思えた。
***
Turn of Hinamizawa Village ―― Lelouch side
ドン! ドンドンッ!!
レナの機転でようやく話が一段落ついたと思った矢先、重厚な造りの祭具殿の扉が力強く叩かれた。
皆が扉前を映し出す監視カメラへと視線を移す。そこには頻りに周囲を警戒しているスザク、負傷した魅音と彼女に肩を貸している入江が映し出されていた。
何故入江が同行している?
スザクと魅音には富竹の保護を任せていたはず。だが監視カメラの映像が富竹の姿を捕らえる様子はない。ただ、彼の代わりに入江が居るだけだ……。
魅音の負傷もそうだが、地下道のルートを使わずして祭具殿に入ろうしているのも状況的に見ておかしい。何か問題が発生したと考えるのが自然だ。
「皆さん! 扉を開けるのを手伝ってくださいまし!」
沙都子が第一声叫ぶように言うと、梨花とレナが彼女の言葉に頷く。
「私も手を貸そう」
「ううん、ゼロさんはそこにいて」
手伝おうとする俺をレナが制する。
「何故だ?」
「貴方の力を借りるのはまだ先。こんな事ぐらいはレナたちに任せて、ね?」
「そういう訳にはいかない。あの扉は酷く重いのだろう? 女子供に力仕事をさせておいて、私だけ何もしないのは気分が良くないからな」
レナの言葉を無視して祭具殿の扉へと向かう。
「ねぇ、ゼロさん」
その途中、背後からレナの声がして俺は足を止めた。
「……なんだ?」
「どうして貴方は……主義者なんてやっているのかな、かな」
レナの言う主義者とは――ブリタニア人にも関わらず、ブリタニアの政策に反対する人間の呼称だった。内心ギクリとする。
「……私がブリタニア人であると? 何故そう思う?」
俺は背を向けたまま問い返す。全てを見透かされている気がして振りかえるのが怖かったからだ。
しかし俺はすぐに気づかされる。全てを見透かされていると思ったのが実は気のせいじゃなかった事に。
「右手の包帯。私が巻いたものだよね」
レナはただ一言そう答えた。
レナに言われ、無意識に自分の右手に視線を落とす。そこには沙都子を助けるために負った刀傷。そして、手袋に隠れてはいるが確かにレナに巻かれた包帯があった。
「…………気づいたのは握手した時か?」
「ううん、握手したのはただの確認」
「ではどうして?」
「微かに消毒液の匂いがしたから、かな」
「そうか……」
もう言い逃れをする気にはならなかった。
本当ならばルルーシュ・ランぺルージがゼロであるという事実は、誰にも迷惑をかけないため絶対の秘密であったが、消毒液の匂いがした――たったそれだけの理由で俺の正体に気づいたレナに嘘をついても無駄だと思ったのだ。
俺は自然と先ほどレナが言っていた疑問の答えを口にしていた。
「護るべき存在がいるからだ」
「妹さんのこと?」
レナは直接的に"ナナリー”とは言及しなかった。彼女はゼロの正体を知りつつも、それを秘密にしておいてくれるのだろう。
だからなのか俺は今度こそ彼女へと振り返り、真摯に答えを紡いだ。
「ああ、私は……俺は、妹を護るためにブリタニアと戦い、そして破壊する」
「レナは貴方と妹さんがどういう状況下に身を置いているのか何も知らない。だけど、考えた事はあるかな?」
「……何をだ?」
「ブリタニアとの戦争を、果たして貴方の妹さんは望んでいるのかな?」
レナは一呼吸置いてから再び問いかけてきた。対して俺は考えるまでもなく首を横に振った。
「望みはしないだろう。だが、後にはもう戻れない」
ナナリーのためにはこうするしかないのだから。
「後にはもう戻れない、か。貴方がそう決めたのならそうなのかもね」
レナは表情を変えず肩だけをすくめた。そうして子供を諭すように言葉を続けた。
「だけど忘れないで。貴方が気づこうとしないだけで転回点はいつだって用意されている事に」
「……っ…………!」
――――もう、道を誤らないで――――
ふと先日別れた際のシャーリーの言葉が脳裏をかすめる。レナの顔にシャーリーのそれが重なって見える。
そういえばレナという少女は"彼女"にとてもよく似ていた。
そんなレナに後ろ髪を引かれる思いを持ちつつも、俺は黙って祭具殿の扉へと歩き出した。