【19】
外部からも開くのを手伝ってくれたからか、俺が扉前に到着した頃には既にスザクらは祭具殿の中へと移動していた。
梨花と沙都子はスザクに何があったのか詰め寄っている。
負傷した魅音はというと彼らの付近で壁に背中を預けて身体を休めていた。
よく見ると魅音は顔をしかめながら左足を手で押さえている。そこに被弾でもしたのだろうか?
見た目には命に別状はなさそうであるが……。
魅音の容体が気になったが、ゼロである今彼女を心配するのは不自然だ。負傷した魅音のほうに行くのは諦め、梨花たちの方に近付いていく。魅音は入江に任せて、まずは事情を聞くべきだろう。
スザクが俺の足音に気が付き、視線を向けてくる。
「ゼロッ! お前が何故ここにいる!」
その表情は驚きと敵意が綯交ぜになっている。今の俺たちは敵同士なのだから至極当然の話ではあるのだが。
もう一度同じ説明を口にするのも滑稽なので梨花に全てを任せることにした。
しばらく戸惑っていたものの、最終的にはスザクはゼロが梨花の仲間になったことを受け入れた。
次はこちらが状況を聞く番だ。
「それで、一体何があったというの?」
俺が口を開こうとした矢先、梨花がスザクに早口で訊ねた。冷静に状況を説明していたように見えたが、彼女もどうやら焦っているようだった。
スザクは梨花の疑問に軽く頷き、状況の説明を始めた。
要約すると、スザク達は富竹を見つけ出すことには成功していたらしい。
計画では事情を説明した後、すぐに園崎本家に連れて行く手筈だった。
だがそこでトラブルが発生する。
スザク達が富竹を発見した頃、時を同じくして山狗も彼らを発見していたのだ。
梨花死亡の報告を聞き冷静でなかった鷹野は疑わしきは罰するという考えの元、梨花の友人である魅音やスザクを攻撃。スザクらは撤退を余儀なくされ、負傷した魅音を逃がすために富竹がしんがりを務めることになったのだという。
鷹野の凶行は冷静さを欠いた所謂"悪手"に限りなく近かったが、結果としてこちらを苦しめる"妙手"となっていたのだ。
スザクの状況説明がそこまで達した時、魅音が苦痛交じりに言葉を吐きだした。
「富竹のおじさまが言ってた……。梨花ちゃんの話が本当なら、自分は綿流しの祭の夜――今日の夜までは少なくとも殺されないはずだって……。ここは僕に任せて君たちは先に行けって……」
「それって死亡フラグじゃありませんの……?」
傍らで沙都子が呆れているが、確かに富竹の言い分は概ね正しかった。鷹野はオヤシロさまの祟りを演出するため、できれば彼を雛見沢症候群の急性発症で殺したいはず。事前に殺害しておくなどということはしないだろう。だが……
「これで富竹氏が捕まったとなれば、鎮圧部隊の出動を要請することもできなくなる」
「よくご存じで。流石はゼロといったところですか」
魅音に応急処置を施してこちらに戻ってきた入江が言った。
「……入江京介2等陸佐」
「いえ、私はただの医者で軍人ではありませんよ」
彼は苦笑交じりに首を縦に振った。
「そういえば貴方はなぜここに?」
「私の患者であったルルーシュ・ランぺルージという少年が雛見沢症候群を再発させたと聞き、その真偽を確かめるために興宮の方へ車を走らせていたんです。
その途中で偶然二人と出会いました。魅音さんが怪我をしていたのでただ事ではないと思い、車に乗せたのです。事情は車内でスザク君から聞きました」
「富竹さんを保護できず敵の攻撃で車も失ったけど、なんとかこうして戻って来れたよ」
スザクが憔悴しきった顔で補足をした。
「だけど間もなくここにも敵が来ると思う。ゆっくりとしてられないね」
「尾行されたのか?」
「すみません……。私の服に発信機が取り付けられていたようでそれで……」
俺の問いにはスザクの代わりに心底申し訳なさそうに入江が答えた。
「理解した。それでは入江京介に問おう。富竹氏は既に捕らえられていると思うか?」
「そうですね、おそらく捕まっているでしょう。身の安全のために拳銃は常に所持していたようですが、それだけで山狗数名を足止めするのは難しいと思われます」
「ああ、私もそう思う。おそらく、このままではこちらは勝利条件を満たすことが出来ない」
富竹が敵の手に落ちたことで皆が落胆を隠せないでいる。その場にいる皆がただ俯き沈黙していた。
***
Turn of Hinamizawa Village ―― Rika side
負ける……?
ここまで皆の力を借りていながら私は鷹野に負けるというの……?
まだ誰も死んでいないというのに? こんなにも呆気なく……?
「そんなの、認められる訳がないじゃない……!」
私は歯ぎしりし、無意識に呟いていた。悔しくて悔しくてじめっとした祭具殿の地面を凝視し続ける。
ここまで来て諦めきれない。……諦めたくない。
だって、最後の世界なんだ……あの子がくれた最後の……。
「梨花ちゃん……」
レナが慰めの言葉をかけようとしたのか近寄って来る。だがそれ以上言葉が出ないようだった。彼女も私同様ショックを受けているのが分かる。
沙都子が富竹を助け出そうと言う。だがどうやってとなると口をつぐんでしまう。
手詰まり――。そんな停滞した考えが脳裏に焼きつく。
沈黙。誰も声を発しない不気味な空気が重苦しい。そんな不快な世界にカツカツという軽快な靴音が鳴る。
はっとして音の方向を見やると、ゼロが私たちに背を見せてこの場を後にしようとしている。その音だけが妙に印象強く辺りに響き渡っていた。
「ゼロ! まさか自分だけ逃げるつもりか!」
スザクが声を荒らげた。その瞬間ゼロはぴたりと足を止める。
その背中に向かってスザクはさらに吼えたてた。
「いつだってそうだ。お前は人の尻馬に乗って事態をかき回してまるで審判者のように勝ち誇る。そしていざ負けそうになったらしっぽを巻いて逃げだす! それが姑息なお前のやり方なんだろう?!」
パンッ!!
乾いた音が辺りに響く。その音はレナがスザクの頬を平手で打つ音だった。
「レ、ナ……?」
「言い過ぎだよ、スザクくん。ゼロさんが私たちを置いて逃げるなんてそんなことあるわけない」
「あるわけない? どうしてそんな事が言える? レナは何故そいつを庇う!」
先ほどまでの静寂が嘘のようだった。スザクとレナのやり取りが耳を劈く。
……確かに妙だ。レナはなぜそんなにもゼロを信頼するのだろう。ついさっき始めてあったはずなのに何故……。
頭にもやがかかったかのような違和感。これは初めてじゃない、ゼロが現れてから何度かあったことだ。
「――――そこまでだ、二人とも」
仲裁するかのようにゼロが口を開く。スザクとレナは口論を中断しゼロの方を見やった。
「まず竜宮レナ、君の信頼に感謝する。だが枢木スザクの言い分はおおむね正しい」
「なんだって……?」
そのような言葉が返ってくるとは想像していなかったのだろう。ゼロの思わぬ返答にスザクが訝しむ。
ゼロは一呼吸つくとその後を口にする。
「だが、私が逃げようとしているというのは大きな間違いだ」
「それを信じろと? いつでもだまし討ちのような汚い手しか取れないお前を? ふざけるな!」
スザクが毒づく。だがゼロは大して気にしていないように一度首を縦に振った。
「ああ、私のやり方は卑怯だ。私はいつでも手段よりも結果を重視してきた」
「……認めると言うのか?」
スザクは驚愕に目を見開く。おそらく私もそうだったと思う。何故ならあのゼロが懺悔するように語りだしたのだから――。
「認めよう、私は間違っていた。今までの私は間違いから目を背ける事で自分は正しいと信じていた。理想だけでは世界は変えられないと言いながら、背後に転がる屍を見ないようにして目の前にある綺麗な理想だけを追ってきた」
ゼロの懺悔は許しを請うでもなくただ歌うように零れ出ていた。それを、スザクを含む皆がただ無言で聞き入っている。
「今更私が救われるとは思わない。だから重要なのが手段より結果だという私の考えは変えない。それが間違いだとしてもだ」
そこでゼロは再び口を開いた。スザク個人へと向けて祈るように。
「――私は、この雛見沢の住人を助けたい。その"結果"のみを切に願っている。枢木スザクよ、どうか一度だけ私を信じてほしい。そして、願わくば君のその力を貸してほしい」
スザクはゼロの独白を全て聞き終わると彼に歩み寄る。
「ゼロ、お前は自分のやり方が間違っていると認めながらそれを貫くのか? そんなのは自殺と同じじゃないか……?」
「ああ、そうかもしれないな。だがこの村を救いたい、その気持ちは間違いじゃない。……そうだろう?」
「……信じていいんだな?」
スザクはゼロの前でしゃがみ込むと、彼の返事を待たずして呟くように言った。
「今一時、僕は君の剣になろう。君の命じるままに動き、君の敵を討つ。この信頼、裏切ってくれるなよ」
***
Turn of Hinamizawa Village ―― Oknogi side
入江に付けた盗聴器によって奴らの居場所が判明した。どうやら奴らは園崎本家の地下祭具殿に隠れ潜んでいるらしい。
園崎家に仕込んでおいた犬からの情報で地下祭具殿の構造は既に把握している。確かにあそこならば俺からしてみても籠城するにふさわしい場所である。
もっとも、奴らは俺たちの兵力を甘く見ている。おそらくだが、警察署に山狗を襲撃させる所までが奴らの罠だったはずだ。それによって戦力を半減させするのが狙いだったのだろう。しかし、奴らは見事に見誤った。
俺はお姫様から警察署へと襲撃を命じられた際、練度の低い新兵のみを招集した。
離脱を考えなければ彼らだけでもなんとか任務を完了できる、そう考えた俺は新兵のみで編成された部隊を死地へと送り込んだ。
彼らは俺の信頼に応えて十二分に任務を全うしてくれたが、一方俺は彼らの信頼を踏みにじり、援軍を送ることをしなかった。お姫様の指示通り彼らを捨て駒にしたのである。
諜報員の報告では強襲部隊は警察署を囲んだブリタニア軍によって全滅させられたらしい。残念なことだ。
死んだ彼らからしてみれば自分でそのように仕向けた癖に何を勝手なと怒るかもしれない。だがこの時胸が締め付けられたかのように心が痛んだのは事実だった。
胸が苦しいのは昨日まで任務を共にしていた部下を裏切り、死へと追いやる作戦を指示したからだろうか?
いや、この痛みは部下を捨て駒にしてしまった罪悪感じゃない。
捨て駒は俺も同じだから、いずれ訪れるであろう自らが使い捨てられることを恐れて胸が痛くなった。ただそれだけだ。
いずれどこかの戦場で俺もまた命を落とすのだろう。
「隊長」
「ああ、分かってる。三佐、いいですかい?」
「ええ、始めなさい」
鷹野へと形だけの許可を取ると部下へと指示を出す。
そろそろ突入時刻になる。その時間になると雛見沢では祭決行の合図となる花火が打ち上げられるらしい。
この花火の音に乗じて地下祭具殿のドアを吹っ飛ばして突入、制圧する算段だ。
所々ブッシュに罠が張られていることからして地下祭具殿内部にも多数の仕掛けがあることが予期できるが、相手はしょせん学生の集まりだ。練兵のみを集めたこの部隊ならばそれらを掻い潜り一気に制圧できるだろう。
ついに待ちに待った祭決行の合図である花火の音が鳴り響く。
俺の掛け声で行動を開始する部下たちを見て俺もその背中に続こうとするが――。
爆音が轟く戦場を正面で見据えながら俺は独り正体不明の違和感を覚える。俺の戦場はここではない。そんな気がした。