○第二話【新しい学校】
二日ぶりの雛見沢の朝。昨日電車の中で仮眠を取ったせいだろうか、今日はいつもより早く起床できた。
夏を迎えても雛見沢の朝は寝苦しくはなかった。むしろ少し肌寒いくらいにも感じられる。
「……ふぅ」
伸びをして起き上がるとすぐに学生服に着替える。
ここは魅音の手配してくれた日本家屋の二階、俺の部屋。トウキョウ租界にいた頃とは違ってベッドがな
いため、畳の上に布団を敷いて寝ている。布団で寝るのは幼少の頃スザクの家で世話になって以来のことだったので最初のうちは寝つきが悪かったが、今はそうでもない。
布団を片付けて押入れに仕舞う。そんな動作も当たり前のように出来るようになった。
ナナリーはもう起きているだろうか。階下へ降りる前に廊下を挟んだ隣にある部屋で寝ているナナリーに声をかける。
「ナナリー、起きてるか? 入るよ」
「はい、お兄様」
引き戸を開けて中に入ると、すでにメイドの咲世子がナナリーの仕度を整えていた。
「おはようございます、ルルーシュ様」
「おはようございます、お兄様」
「ああ、おはよう、ナナリー。咲世子さん」
ナナリーの笑顔につられて自分の顔が綻ぶのが分かる。
「ではルルーシュ様、用意が出来ましたら一階にお越しください」
咲世子が一礼して部屋を出て行く。いつものように朝食の用意をしてくれるのだろう。たまには代わりに作ってやるのも良いかもしれないな。
ベッドに腰掛けたナナリーに向き直る。
「今日は早いな」
「はい、二日ぶりの学校がなんだか待ち遠しくて。そう言うお兄様も今日は早かったですね?」
「ああ、昨日早く寝たからね。さあ、咲世子さんが待ってる。行こうか」
「はい」
ナナリーをおぶって階段を降りると、二人して洗面所で顔を洗ってからダイニングに向かった。
朝食をゆっくりと摂っていると、もう家を出なければならない時刻だ。
アッシュフォード学園に通っていた頃は学園に住まいがあって登下校などしなかったから、こういううっかりをよくする。まだここの生活に完全には慣れていない証拠だ。
「ナナリー、後三分で家を出ないとまずい」
「あ、もうそんな時間なのですね」
「レナを待たせるのも悪いからな、急ごう」
「そうですね」
レナは雛見沢村に住む俺と同い年の少女。この村での生活はレナに教わった。
甲斐甲斐しく、容姿はとても愛らしいので、男なら誰しもが惚れる理想の女と言えよう。もっとも、可愛いものを見ると若干粗暴になるというただ一点を除けばだが。
本名は竜宮礼奈というが、皆がレナと呼ぶことにしている。
「行って来ます、咲世子さん」
ナナリーを車椅子に座らせ、咲世子に声をかけてから家を出た。
***
家から少し歩いた所にあるいつもの待ち合わせ場所にレナの姿を発見する。
レナと目が合い、あちらも俺たちに気づいたようだ。
「ルルーシュく~ん! おっはよ~っ!」
「おはよう、レナ」
「おはようございます、レナさん」
爽やかな朝の挨拶を交わす。
「二人とも今日は早いんだねぇ」
「ああ。通常より1分25秒も早く家を出たからな」
「へぇ……。ずいぶん細かいんだね……」
「ただの癖だ。気にしないでくれ」
「う、うん、分かったんだよ」
レナに苦笑されてしまった……。
流石に秒まで読み上げたのは神経質すぎたのだろうか。
「フフ、お兄様はレナさんに会いたくて早くに目が覚めてしまったみたいですよ?」
「ちょ、おま、ナナリー! いきなり何を言っている?!」
朝っぱらからとんでもないことを口走るナナリー。
レナはすっかり顔を高潮させている。そんな顔をされると俺まで恥ずかしくなってくるじゃないか。
「は、はぅ……。ルルーシュくん、そうなの?」
「ち、違う! 間違っているぞ竜宮レナ! そうではない!」
「え、違うの……?」
今度はちょっと残念そうな顔をしたので、俺は狼狽する。
「いや、待て! 違うというのは語弊があって、あくまで表現上の問題でだな!」
隣でナナリーがクスクスと笑っている。少し意地悪そうな笑顔だ。
ここに住むようになって(特に魅音のせいで)、ナナリーに悪い影響が出ているような気がしてならない。ナナリーが元気で笑っているのはいいことなのだが、釈然としないのは何故だろう。
「ねぇ。それで、表現上の問題ってどういう意味なのかな、かな?」
頬を赤らめたまま上目遣いに聞いてくる。
う……そ、それは……。
「……み、魅音が待っている、急ごう!」
「あ、待ってよルルーシュくん!」
俺はレナとの間にできた微妙な空気から逃げるようにナナリーの車椅子を押して先を急いだ。
***
通学路の途中、水車小屋前で魅音と合流してから学校へと向かう。
いつも遅刻ぎりぎりに待ち合わせ場所に来る魅音だったが、今日は珍しく先に待っていた。
俺のために一時間前から待ってたと言うが、どうせいつもの冗談だろう。久しぶりに魅音のそんな軽口を聞いて俺は苦笑せざるを得なかった。
一応こんなのでも学校ではクラスのリーダー役だったりする。
雛見沢分校に到着する。
ここはイレブン――日本人が立てた学校だ。とはいっても営林署を間借りしているだけのようで、生徒数はあまり多くない。
教室は一つしかなく、俺と同じ位の年の生徒はレナと魅音しかいないのが現状だが、このご時世、日本人に教育を受ける場があるだけでも十分すごいことだと思う。
雛見沢は戦略的価値の無い古びた寒村である。従って、ブリタニアによる日本侵攻でもあまり被害を受けなかった。
ほとんどの家庭が自給自足だった故に、東京租界で職を得るためにブリタニア人に服従する人間も少ない。ブリタニア人に虐げられる人がいないから、俺たちにも優しく接してくれる。それが行き場の無い俺たちにはありがたかった。
昇降口から教室へ向かう廊下で数人の子供とすれ違う。朝っぱらからはしゃぎ回って賑やかなものだ。俺の胸ぐらいまでしか背丈が無いが、彼らも同級生である。
不意に先を歩いていた魅音が俺に先頭を譲ってきた。
「お先にどうぞ、ルルーシュ大先生。くく」
教室の引き戸の前で魅音が意地の悪い笑みを浮かべる。
俺はその含みある魅音の様子を見て取り察する。
「なるほどな」
「え、どうかしましたか?」
ナナリーが不思議そうに首をかしげた。
「沙都子だよ、ナナリー」
「あ……すっかり忘れていました」
ナナリーは得心がいって、ぽんと両手を合わせた。
沙都子とは同級生の生意気な小娘のことだ。トラップ作りがライフワークだそうで、よく俺に対して辛辣な罠を仕掛けてくる。
それも忘れた頃にやってくるものだから尚更性質が悪い。
「レナ、悪いがナナリーを後ろの方に避難させてくれないか」
「う、うん。分かったんだよ」
すでにやつのトラップの対策は済んでいる。今日こそ目に物見せてやるとしよう。
レナがナナリーを連れて後ろに下がるのを確認すると、俺は教室の引き戸越しに沙都子に言った。
「君にしては見え見えの罠じゃないか。引き戸の上のほうで黒板消しが目立っているようだが?」
フッ、俺はナナリーのように雛見沢を二日離れただけで警戒を解くほどお人よしではない。手を抜いたか、沙都子?
扉を挟んだ教室の中からくぐもった笑い声が聞こえる。そうしていられるのも今のうちだ。
「お見事、さすがルルだね! 今回はルルのほうに軍配が上がったかな?」
魅音が調子よく褒め称えるが、俺は表情を変えない。なぜならまだ勝負はついていないからだ。
沙都子の過去のトラップデータと照合すると、到底これだけとは思えない。
ちなみにそのデータは、転校初日から罠の被害に遭い続けた俺が、研究に研究を重ね開発した対沙都子トラップ設置行動予測プログラムによって基づく。
「沙都子、お前のその心理誘導と精巧な罠はたしかに驚異的だ。――だが、お前の罠にはある一定のパターンがある」
まず最初のアタック(罠)は囮、複数の罠をうまく連動させ、次なる罠へと誘うための誘導。
罠により目標の視線を一箇所に固定させ、その死角となる場所に罠を仕掛ける。だがそこに本命トラップを仕掛けることは絶対にない。
そして、うまく相手を誘導し逃げ道を完全封鎖できた場合に限り、本命トラップを発動させる。
だがそれは言い換えれば誘導さえ断ち切ることができれば、沙都子のトラップは道端の小石となんら変わらない性能となる事実を意味するに他ならない。
ここで普通ならば黒板消しを解除することを第一に考えるだろう。だがしかし。
「やはりな」
黒板消しには何やら怪しげな糸が取り付けられている。まずはそれを解除。
次に引き戸の取っ手に視線を移すと、そこにはガムテープで画鋲が取り付けられていた。
画鋲を避けて引き戸に手を触れる。
「おっと……フフ、危ない危ない」
引き戸の下部には見えずらいワイヤーが張ってある。
まったく大したやつだ。後十歳年齢があったなら黒の騎士団作戦参謀補佐に引き入れている所だ。
引き戸を開け、ワイヤーを避けて教室に入る。
「チェックだ、沙都子」
「んがっ……?!」
今回のトラップは沙都子にとって会心の出来だった模様。俺に破られたのが相当にショックだったようだ。沙都子は驚きから目を丸くして呆然としている。
床に視線を移すと、硯が置かれ、墨が並々と注がれている。どうやらこれが本命トラップのようだ。
「う、腕を上げましたわね……ルルーシュさん」
「フッ、光栄だよ。ありがとう」
してやったり顔で見下ろすと、沙都子は悔しそうに唇を噛んだ。
ふはは、良い気分だ。実に清々しい朝である。
「みぃ、ルルーシュが大人げないのです」
「梨花か。おはよう」
「ルルーシュ、おはようなのです」
梨花は沙都子の親友だ。俺とスザクの関係に近く、性格は正反対だが自然と馬が合うらしい。
トラップを攻略されて涙目の沙都子が横から梨花に泣きつく。それを梨花がなぐさめる。
「梨花ぁー! ルルーシュさんが馬鹿にしたぁ!」
「よしよし、次回は油断したルルーシュを、ボク自らトラップの前に突き飛ばして上げますですよ」
「ちょっと待て」
そんなやりとりを交えながら、俺たちは沙都子のトラップの後片付けを皆でやる。いつも引っかかるのは俺でも片づけは全員でだ。
トラップの痕跡が跡形もなくなった頃、担任の知恵留美子が教室に入ってきた。
「皆さん、席についてください。出席を取りますよ」
同級生の子供たちが慌てて席に着く。魅音たちも彼らに習い自分の席に向かった。
俺の席はレナの右隣。後には魅音がいてその左隣にはナナリーの机がある。ナナリーを席まで連れて行ってから自分も着席した。
***
授業が始まると留美子はほとんど低学年の生徒にかかりきりになる。
理由はこの学校の教室が学年混在のため黒板で一つの勉強を教えるわけにはいかず、個別に教える分時間がかかるからだ。
その間俺たち上級生は放置されるわけだが、日頃から授業中に居眠りをしている俺にとっては願ったり叶ったりだった。
――はずなのだが……遺憾にも魅音によって邪魔をされた。
「ねぇねぇ、ルル。ブリタニアで流行ってるゲーム教えてよ」
「すまない魅音、安眠妨害しないでくれないか」
十分寝たはずなのに授業になると眠くなるのは何故だ。習慣のように授業中居眠りをしているから癖になっているのだろうか。ああ、眠い……。
「はぁ? 何言ってんの。授業中に寝るなんて学級委員のこの私が許すわけないじゃん」
「ならお前……私語は許されるのか」
「ねぇ、ルルってば~。良いじゃん良いじゃん」
「おい、ちゃんと人の話を聞け」
「ねー、意地悪しないでおーしーえーてーよー」
魅音がいつになくめんどくさい……。ギアスを使って黙らせるか?
……馬鹿か俺は。いくら眠いからといって、そんなくだらない理由にギアスを使っていたらきりがないじゃないか。
ギアスとは俺の持つ特殊能力のこと。一度だけ他人に命令を強制出来る絶対遵守の力だ。
便利な力だが、無論それ相応にリスクはある。仮に俺が『死ね』とギアスで命じれば、その人間は死ぬ。前述の通り命令は一度きりで、取り消しは出来ない。使い方を誤れば恐ろしいことになる。
他にも、能力が常時開放されたままとなるギアスの暴走が挙げられる。できれば使わないに越したことはない。
ギアスは元々、謎の少女C.C.(シーツー)との契約によってもたらされた。思えばこの力を手にしてから俺のブリタニアへの反逆が始まったのだ。
「ねーねー。ルル、聞いてる?」
「魅ぃちゃん、少しそっとしといてあげようよ」
レナが助け舟を出してくれる。さすがはレナ、よく気が利く。その点魅音は駄目だ。やつの空気の読めなさは咲世子の天然と同じくらい扱いに困る。
「ルルーシュくん本当に眠そうだよ」
「えー……。ん、仕方ないなあ……」
魅音は不服そうだったが、レナに諭されて諦めてくれたようだ。
「レナ、恩に着る」
「どういたしましてかな。気分悪いの?」
「いや、少し眠いだけだ。今日早起きしたせいかも知れないな」
「そっか。じゃあ先生に気づかれないように寝るんだよ?」
「それについては問題ない。居眠りは俺の得意技だからな」
「ちょっとそれは自慢にならないと思うな、思うな」
「そうか?」
レナは笑っているが、俺は至って真面目に言ったつもりだったのだが。
まあいいか……。
俺は再び居眠りに入る前に、拗ねた魅音に声をかける。
「悪いな魅音。そういうわけだから授業中は少し静かにしてくれないか」
「はいはい。ふんだ、つまんねーやつぅ」
魅音に恨まれると後が怖い。俺は魅音のご機嫌取りをしておくことにした。
「その代わりと言ってはなんだが、後でトランプを使ったブリタニアのゲームを教えてやる。ルールを覚えて放課後に皆でやると良い」
「あれ? ルル、おじさんたちが放課後何やってるか知ってたの?」
「ああ、まあな……。いつも放課後の教室に残ってレナと沙都子と梨花を集めてゲームをやっているだろう?」
「うん。そだけどそうゆうことじゃなくて、どうして見てたの?」
「それは……」
前にいた学園で生徒会のメンバーと似たように盛り上がったことがあった。その頃と魅音の部活が重なって見えたからなんて、恥ずかしくて言えないな……。
だが、魅音は俺の心を見透かしたかのように一人納得したように言った。
「へぇ、そうなんだ……。ルルって見た感じインドア派だし、もしかしたらとは思ってたんだけど……よし! ならさ、これからはルルも一緒に部活やろうよ!」
「え、あ、いや、俺は……」
困ったな。俺には黒の騎士団があるし……ナナリーだって……。しかし黒の騎士団の活動はとりあえず今までのように藤堂に任せておけば心配は……ナナリーのほうだって……。だが……。
俺の中でゼロとしての自分とルルーシュ・ランペルージとしての自分が入り混じる。俺は自分が今どうしたいのか分からなくなっていた。
「もちろんナナちゃんも加えてさ。ねぇ、ナナちゃんはどう?」
魅音は興奮した様子で隣にいるナナリーに聞く。
「はい、楽しそうですね。お邪魔じゃなければ皆さんと一緒に遊べたら楽しいと思います」
「邪魔なんかじゃないよ。レナもナナリーちゃんと一緒に部活したいな、したいな」
俺たちの入部にレナが嬉しそうに賛成した。
「はいじゃあ二人とも入部決定ね!」
「ちょ、待っ! 俺はまだ入部するとは一度も――痛っ!」
抗議の途中で誰かに後頭部を叩かれる。
振り返ると留美子が教科書を丸めて仁王立ちしていた。
「知恵、先生……」
「ルルーシュくん。授業中にお喋りはいけませんよ」
「え、あの、話を始めたのは私ではなく、」
魅音なんですが。と言い終わる前に留美子の叱責を浴びる。
「言い訳しない! 授業中廊下に立ちますか?」
「いえ、すみませんでした……」
こうして俺は留美子の邪魔により、魅音に食って掛かる絶好の機会を逃した。授業が終わると沙都子と梨花にも歓迎され、なし崩し的に魅音の部活に入部することになるのだった。
***
最初の授業で私語を喋っていたのがいけなかったのか、午前中の授業はずっと留美子の眼が光っていた。
俺は私語どころか居眠りさえ出来ない状況に陥っており、少し不機嫌な状態だった。
ところが昼食の時間となるとそんな気分もすぐに吹き飛んだ。
このクラスでも食事の時は各々のグループがある。学園の頃の俺はスザクたち生徒会のメンバーと一緒に食べていたが、この学校では魅音たちと食事を共にしている。
「「いっただきまーす!!」」
魅音たちの声が教室に響く。なぜ教室中に響き渡るような大きな声で言うのか最初のうちは分からなかったが、もうなんとなくだが理解している。
しかし生徒会で慣れているとはいえ、女の子が多いグループというのはどうしてこうかしましいのだろう。まあ、そんな賑やかさも今では心地良いと思っているのだが。
おかずを入った弁当箱を中央に集めて皆で自由につつく。これも最初は抵抗があったが今では慣れた。
「あらルルーシュさん、余裕ですわね。箸が止まってますわよ?」
「沙都子、食事はゆっくり摂るものだろう」
「くくく、ルルはいつもそうやって余裕を気取ってるから腹三分目で食事を終えることになるわけだよ?」
「おーっほっほっほ! ざまあないですわね!」
「うるさい。俺は少食なんだよ」
「皆、仲良く食べようよ。そのほうが絶対おいしいんだよ、だよ」
レナが仲裁に入ってその場を収める。俺はそれに同意するように頷いた。
「……そうだな。レナの言う通りかもしれない」
ここの食事は正直な話、学園のものより格段に質素だが、それを感じさせないのはきっと食事を皆で共有しているおかげなのだろうな。
「そうやってる話をうまく纏めているうちにボクが全部平らげてしまうのでした、ちゃんちゃん」
脇で梨花が勝手なことを言っていたが、皆それからは仲良く昼食を済ませた。