第三話【魅音の部活】
午後の授業が終わって帰宅しようとしていると、両側からレナと魅音に腕を押さえつけられた。
一体なんのつもりだと不満を零すと、あんたこそどこに行くつもり?と魅音は聞き返してきた。
「どこって、家に帰ろうとしていたに決まっているじゃないか」
「駄目だよ、ルルーシュくんは今日から一緒に部活やるんだよ、だよ」
俺の左側でレナが腕をからませながら微笑を浮かべる。
う、うむ……。そういえばそんなことになっていたな。半ばなし崩し的に。
「そもそも部活とは何をやっているんだ?」
当然の疑問に魅音が得意顔で答え始める。
「よくぞ聞いてくれた! 我が部は『複雑化する社会に対応するため、活動毎に提案されるさまざまな条件下、時には順境。あるいは逆境からいかにして脱出するかを模索すること』を目的にして発足されたスリリングかつシビアな部活動のことであり、これにより――」
つまり平たく言うと放課後にゲームをやってスコアを競い合う集まりであると、魅音のやたら長い説明の途中にレナが耳打ちで補足してくれた。
「それで、どうかな? 魅ぃちゃんはもう約束したんだからって一緒に部活する気みたいだけど、ルルーシュくんにも都合があると思うし……」
「約束はしてないが、そうだな。やってもいいぞ」
「ホント?!」
「さすがルル! そうこなくっちゃ!」
レナと魅音の表情が嬉々としたものに変わる。
後から条件を出すつもりだったから、少しばかり後ろめたい。
「待て。ただし一つだけ問題がある。分かっていると思うが、ナナリーはその、目が見えない。正直やれることは限られている。その問題がクリアされない限り俺が入部に応じることはないぞ」
仮に俺やナナリーが楽しくても皆がつまらないと感じてしまったなら、魅音に申し訳がないからな。
魅音たちがこの問題を解決できないのであれば、悪いが断ろうと思った。
「だったらルルがナナちゃんの目になれば良いじゃん」
「なんだと?」
「ルルが目で見た情報をナナちゃんに伝えて二人で協力すれば良いんだよ。おじさんたちは歴戦の兵だからね、ルルたちが協力すれば丁度良いゲームバランスになると思うよー」
そう言って魅音が不敵に笑った。
ふ、なるほど。そう来たか。
「面白い。ナナリーはそれでいいか?」
「はい、お兄様。それなら私でも皆さんと遊べますね!」
「なら決定でございますね。準備が出来たらすぐに始めましてよ!」
沙都子はもう待ちきれないようだ。まったく、落ち着きのないやつだ。
それとは正反対に、静かな様子で梨花が魅音に訊ねる。
「みぃ、ところで今日は何をするのですか?」
「そうだねぇ。ジジ抜き……ってのはどう?」
「それはいいですわねぇ!」
魅音と沙都子が意地の悪い笑みを浮かべる。開始早々嫌な予感がした。
「頑張りましょうね、お兄様」
「ああ、そうだな」
ナナリーの微笑に応えるように俺も笑うがそれもぎこちない。
この悪寒が俺の杞憂であると良いのだが……。
***
魅音がロッカーの中からトランプの箱を取り出して戻ってきた。
「さて、これより新入部員を交えての部活を始める! 皆手を抜いちゃだめだよ!! 特にルル、我が部に入部するからにはいい加減なプレイをしたら許さないからね!」
「愚問だな。当然やるからには必ず勝つ」
「おお、威勢が良いねぇ! でも果たして最後まで持つかな?!」
魅音が簡単にジジ抜きのルール説明を始める。
どうやらジジ抜きは、ゲーム名こそ違うが俺の知っているゲームと同じもののようだ。基本手順はオールドメイド――日本ではババ抜きと呼ばれる――と同じ。
違うのはジョーカーが入っていない代わりに最初に無作為にカードを一枚取り除いておくこと。つまり、その対になるカードがジョーカー代わりとなるのだ。
とりあえずルール面で不利にはなることはないだろう。
「まずは一枚抜かないとね」
山札からカードを抜き取ろうとする魅音の手を沙都子が止める。
「その前に、魅音さん。大切なことをお忘れになってましてよ?」
「ん、なんだっけ?」
「みぃ、今日の罰ゲームをまだ決めてないのです」
「あ、そうか。おじさんとしたことがすっかり忘れてたよ。いや、失敬」
「待て、罰ゲームとは何だ」
「罰ゲームは罰ゲームなんだよ?」
不思議に思う俺に対してレナは答えになっていないことを言う。いや、そうじゃなく。
要領を得ない言葉を返したレナの代わりに沙都子と梨花が答えてくれた。
「罰ゲームというのは、これから行うジジ抜きの総合のスコアが一番低い人に与えられるものでしてよ。いつも前もって決めて置きますのよ」
「先に決めておかないと、決着がついた時にもめて楽しみも半減なのです」
「ふん、なるほどな」
俺が納得したのを確認すると、魅音は罰ゲームの内容を発表した。
「じゃあ、今日の罰ゲームはビリが一つだけ勝者の命令を遵守すること。これでおーけい?」
まるでギアス能力だなと内心苦笑。
「ああ、俺は別に構わないが。ナナリーはどうだ?」
「私もそれでいいと思います」
俺とナナリーが罰ゲームの内容を了承し、残りの三人も異議はないようだ。
「よし。それじゃ気を取り直して一枚抜くよ」
魅音が山札からカードを一枚抜き、裏返しのまま机の中央に置かれたカードケースにしまった。皆はそのカードをじっと凝視している。
「フッ、そんなに見ても伏せたカードは透けて来ないだろう?」
冗談で言ったつもりだったのだが、俺とナナリーを除く皆は真剣な表情そのもので、カードの裏面を見るのを止めようとしなかった。
まるで、そうすれば本当に伏せられたカードの中身が分かるような……。
「はは……まさか、な」
「どうかしましたか、お兄様?」
ナナリーが不思議そうに首を傾げる。目の不自由なナナリーには眼前で繰り広げられている奇妙な情景が見えないのだ。
「いや、何でもないよ」
そう言いながら俺はぎこちない笑顔を浮かべる。
よく見ると魅音が持ってきたトランプはかなりの傷物。皆がその傷を見分けてカードを識別している可能性は決して少なくないだろうな。
「じゃあ最初はルルから。時計回りに引いてって」
「分かった。ナナリー、隣にレナがいるから一枚引いてくれないか」
こうなったら仕方がない。自分が取れる最善を行うしかない。
「はい、分かりました。えっと……」
ナナリーが手探りでレナの手札からカードを引き抜く。
これが俺たちの始めての部活。もしかしたら、ここが俺のターニングポイントだったのかもしれない。
***
案の定、魅音たちはカードを見分けていた。
俺も少しずつカードを覚えていったのだが、最後まで魅音たちの暗記総量に追いつくことはなかった。結果、俺とナナリーはビリとなって罰ゲームを受ける運びとなった。
後もう少しカードを覚える暇があったなら、今まで覚えたカードからカード毎のジジである確率を割り出すことも可能だったのだが……。それも今では空しい皮算用だ。
「お兄様、負けてしまいましたね」
「そうだな、俺たちの負けだ。だがナナリーはよくやったさ」
頭を撫でてやると、ナナリーは恥ずかしそうに俯き呟くように言った。
「お、お兄様。……皆さんが見ています……」
「ふっ。そうだったな、すまん」
可愛いやつだ。ナナリーにはまだまだ俺がいてやらないと駄目だな。
「――それで魅音。罰ゲームとやらはなんだ?」
俺は足を組み、余裕を気取りながら勝者の魅音に聞いた。
「おお、殊勝だねルル。てっきり『こんな不公平な勝負は無効だ』と突っかかってくると思ったのに」
「ふん、勝負というものは元々公平なものなどではないからな。知力、経験、備え。いつでもこの三つを他より持っている人間が勝つ。今回は俺たちの側に経験と備えが足りなかった、ただそれだけのこと。文句なんか何もないさ」
「ふーん、さすがルル。でもいくら殊勝でも罰ゲームは受けてもらうからね。勝者はおじさんだから、おじさんの命令を一個聞いてもらうよ?」
「いいだろう。受けよう、その罰ゲーム!」
「梨花、聞きました? 命知らずですわねー」
「なのですよー☆」
「さあ、それはどうかな?」
余裕を保つ俺の傍らでレナが心配そうな顔をした。
「本当にいいの? 今回ぐらいは頼めば魅ぃちゃんも罰ゲームを免除してくれると思うよ?」
「心配は無用だ。こういうのには慣れているからな」
ふん、所詮は学校の部活。罰ゲームと言っても顔に落書きをしたり、かばん持ちをさせられたり、実際その程度だろう。
魅音程度が常日頃からミレイ会長に鍛えられた俺を苦しませることなどできるわけがないのが道理。
「じゃあはいこれ」
魅音がロッカーをまさぐった後、振り返る。
魅音の手には純白の薄い布。魅音はそれを俺に放り投げる。受け取るとふわりと軽かった。
ん……なんだこれは?
「何って、分かんない? ウェディングドレス」
なるほど、広げてみるとたしかにそれだ。
「ふむ。それでこれをどうするつもりだ魅音?」
「何カマトトぶってるの。着るんだよ」
「……ああ、なるほど。ナナリーが」
「いや、そろそろ現実を見ようよ。ルルが着るんだよ」
「……ふむ」
数秒思案した結果、俺は教室を飛び出して脱兎の如く逃走を開始した。
「あっ! ルルーシュさんが逃げましたわ!」
「な、何ぃ?! 追えーっ、絶対に逃がすな捕まえろー!!」
俺が抜け出た教室では魅音が何やらわめき散らしているが、知ったことか。
「……やってられるかっ」
あんなおぞましい物を俺に着せようなんて、魅音の冗談も大概にしろと言いたい。そもそもこんな山奥の廃村で、何故ウェディングドレスなどこうも気軽に出てくる? ありえん。
いや、今回は完全に俺の誤算だ。あんな衣装が出てきたのも、魅音にああいうコスチュームプレイの趣味があったことも全て。だがミレイ会長と並ぶ異常性癖の持ち主が、まさか同じ時代にこの世に生を受けているとはいくら神でも思わないだろう。
何にせよ、あんなものを着せられたら俺が終わる。今まで俺が築き上げてきた地位が足元から瓦解する!
なんとしても今日を逃げ切らねば……。
「ヘイ、少年!」
「おわっ! み、魅音?!」
いつの間にか魅音に追いついつかれていたようだ。俺は彼女と並走する形で廊下を走る。
「息荒いけどどうしたの? まさかこれが全力疾走なわけ?」
「……う、うるさい!」
くそっ、こいつの身体能力はスザク級か!
魅音は喋りながら走っているというのに息一つ乱してはいない。それに比べて俺の限界は近い。もって後5分……いや、自分に嘘はつけないな。後5秒だ……それまでに何か手を打たなければ。
俺の横から半ば呆れるように魅音が言った。
「まったく、都会のもやしっ子はこれだからなぁ。ほらほら、もう捕まえちゃうよぉ?」
「そうは、させるか!」
俺は急に方向転換し、脇の空き部屋に逃げ込む。もはやあの手しかない。
一方、魅音は入り口付近で立ち止まるとそこで不敵な笑いを浮かべた。
それはなぜか。この部屋には出入口が一つしかなく、加えて人の通れるほどの窓がただ一つもないからだ。俺は実質、袋の鼠になったわけである。
「くっくっく、追いかけっこはもうおしまい?」
「はぁ……はぁ………ふぅ……」
魅音の動きに気をつけ、間合いを開けながら肩で息をする。その間魅音は襲いかかってくることはなかったが、それがやつの驕りだった。
「ふ、ははは」
俺は呼吸を整え終えると魅音に笑い返す。
「あれ、もしかして追い詰められて気でもふれちゃった?」
「ふん……。どうにもなっちゃいないさ」
俺の余裕な様子に魅音は怪訝な顔をする。
「じゃあ、どうしてなのさ」
さすがは魅音といったところか、俺の態度から何かを感じ取ったようだ。瞳に警戒心がありありと映っているのが分かる。だがそれも無駄なことだ。
「そうだな、お前には俺が何故笑ったのか教えてやろう。……身をもってな!」
空き部屋の隅にあるワイヤーを思いっきり引き抜く。その瞬間部屋中に煙幕が充満し、魅音の周囲でカンシャク玉が爆発する。
「ふぇぇっ?! 何々?!」
魅音は突然の事態にパニックを起こしている模様。
続いて視界を遮られた魅音の頭上に金ダライ十連トラップが襲い掛かり、それと時を同じくして動揺した彼女の足首に足枷がなされる。
突如現れた足枷が魅音に回避行動を許さず、全ての金ダライは彼女の頭に吸い寄せられるように直撃した。連続した金属音が辺りに鳴り響いた後、魅音はようやく気絶してその場に倒れた。
「ふはは……。やれる、やれるじゃないか」
魅音を襲った一見ポルターガイストのような怪現象はトラップによるもの。だが使用者は沙都子じゃない、この俺だ。
無論、俺が沙都子の真似をしてトラップを作っても今の10%の効果も得られない。だが沙都子のトラップをそのまま拝借すればこの通りだ。
今、俺は沙都子のトラップを利用して彼女と同等、もしくはそれ以上の戦果を出すことに成功したのだ。
俺は倒れた魅音を横目で見ながら、軽い足取りでその脇を通って空き部屋を出た。
***
廊下に出ると沙都子とばったりと出くわした。沙都子は空き部屋の惨状を見て悲鳴に近い声を上げた。
「あーっ、やっぱり! どうして許可なく私のトラップを勝手に使いますのー?!」
「ああ、すまない。少し借りた」
「むがーっ、よくもぬけぬけとぉ! 許しませんでしてよルルーシュさんっ、これでも食らいあそばせ!」
沙都子が天井から下がっているワイアーを引き抜くと、彼女の背後からペットボトルロケット数発が撃ち出される。
「ぬるい! そんな直情的なトラップで!」
一時後退し、魅音の倒れている空き部屋に避難する。
本来ならここで空き部屋にあるトラップを用いてターゲットを追い詰めるのだろうが、すでにその場にあるトラップは俺が全て使用済みだ。危険は蚊ほどもない。
「くぅ、ちょこまかとぉ」
沙都子が苦虫を噛み潰したような顔をしているのが見える。
よし、ダメ押しだ。
「お前に一つ教えてやろう」
「な、なんですの……?」
「沙都子。トラップのないお前など、ただの似非お嬢に過ぎないんだよ」
「ル、ルルーシュさんの馬鹿ぁ! 似非じゃないもん似非じゃないもん! わぁぁぁん!」
沙都子は痛い所を疲れたらしく、声を出して泣き始めた。
勝った!
俺は戦意を喪失した沙都子の脇を通って玄関に悠々と向かう。少し可哀相だと思わなくもないが、やはり自分のプライドの方が大事なのだ。悪いな、沙都子。
玄関では梨花が待ち受けていた。想定していただけに動揺は少ない。
「ふん、次はお前か」
「なのですよ。そしてルルーシュ、学校から脱出するには靴が必要であるというその行儀の良さが貴方の命取りとなるのですよ、にぱにぱ」
「ふっ、果たしてそうかな。魅音と沙都子はもう葬った。お前一人に何が出来る?」
「一人じゃないのですよ。レナ?」
梨花の視線の先にレナを発見する。
レナは俺と視線が合うとびくっと体を震えさせた。
「そうか、レナがいたか」
「は、はぅぅ……」
レナは下駄箱の影に半身を隠して俺を窺っている。
「レナも俺を捕まえようとしているのか?」
レナの意思を訊ねると彼女はふるふると顔だけを横に振った。
なるほど、レナは勢力的には中立のようだ。
「梨花ちゃん、もう許して上げようよ……。たしかに罰ゲームが決まってから逃げるのは褒められたことじゃないけど、いかさまジジ抜きを使った私たちも悪いよ。ね?」
「みぃ。それは本心なのですか?」
「え?」
ん……?
レナがきょとんとする。
「本当にレナはルルーシュの花嫁さん姿を見たくはないのですか?」
「は、はぅ……」
まずい、なにやら雲行きが怪しくなってきた気が……。
「はぅ……お嫁さん……いいよぅ本当いいよぅ、はぅぅ……!」
「よせレナ! 梨花の怪しげな言葉に惑わされるな!」
「みぃ、怪しげとは失礼なのです。さあレナ、早くルルーシュを捕まえるのです」
「う、うん……。でもルルーシュくんは嫌がっているし……うーん」
助かった。まだ今のレナにも僅かに理性というものが存在しているようだ。
そういうことならば、口八丁でどうとでもなるはずだ。
「そうだレナ、いいぞ。自分がされて嫌なことは人にやってはいけない、それは分かるな?」
レナは俺の言葉を聞き、ハッと我に返る。
「はぅ、もちろんなんだよ!」
「それでいい。偉いぞレナ」
説得に成功して俺は胸を撫で下ろした。
「ボクの完璧なレナ繰りがやぶれるなんて、くそーなのです……」
ついに梨花も負けを認めて床に崩れ去った。
勝った!!
梨花め、どうやら俺を追い詰めるには詰めが甘かったようだな。俺は腹黒幼女を見下ろして、ほくそ笑んだ。
魅音と沙都子に続き、梨花も無力化した。これでもはや俺に立ちふさがる敵勢力はいない。安心してナナリーを迎えにいけるというものだ。
「レナ、ナナリーを連れて一緒に帰ろう」
「え、魅ぃちゃんたちはどうするの?」
「ほうっておけばいいさ。勝手に立ち直って帰宅するだろ」
「そういえばそうだね! ほうっておこ!」
自分から提案しておいて言うのもなんだが、なかなかレナも酷いやつだなと勝手なことを思う俺だった。