第四話【敵の存在】
魅音らとの戦いが終わって気を楽にした俺は教室へと帰還する。
そこには一人置き去りにされた可哀相なナナリーがいた。
「ナナリー。すまない、待たせたな」
「あ、お兄様。私は平気ですけど、お兄様が逃げ出して皆さん怒っていましたよ?」
「そうだな。だいぶ手間取ったよ」
「魅音さんたちはどうしたのですか?」
「ああ、説得したらちゃんと聞き入れてくれて先に帰ったみたいだな。だから罰ゲームはなしになった」
「え、本当ですか?」
「ああ、本当さ。嘘はつかないよ。ナナリー、お前だけには」
そっと頭を撫でてやると、ナナリーは少しくすぐったそうに微笑を浮かべた。
「そうですか。でも私、本当は少し罰ゲームをお受けしてみたかったです」
「ふっ、馬鹿なことを言うな。しかしお前の花嫁姿なら俺も見てみたい気もするがな」
だがナナリーが結婚するとしてその時の相手は果たして誰だろうか。
スザクあたりならまあ及第点としてもよいが、仮に妙な奴が相手だったら俺は全力を持ってその縁談を妨害してしまうかもしれないな。
「ふふ、私はお兄様のウェディングドレス姿のほうが見たいです。ああ、そういえばこんなのがありましたね」
ん……? なんだろう?
ナナリーはさもおかしそうにクスクス笑いながら、自分の手帳に挟まった一枚の写真を取り出した。
その写真を見て戦慄する。何故なら、そこには俺の無惨な女装姿がはっきりと写っていたからだ。
「ば、馬鹿な! なぜお前がそんなものを?!」
「ふふ、ミレイさんにもらったんです。目が見えるようになったらお兄様の晴れ姿を最初に見てあげなさいって」
「くそ、忌々しい会長め……まあいい。とにかくそれを俺に返してくれ」
「ふふ、駄目です。……あっ」
ナナリーから問題の写真を強引に奪い取る。
「許せナナリー。この写真は存在することすら許されない下劣で低俗なものだ。早々に破棄しなくてはならない」
破いただけでは不十分だ。燃やして灰にするまでは安心できない。
校舎の裏に確か焼却炉があったはず。さっさとそこで処分してしまおう。
そう考えた矢先に、背後から忍び寄る何者かによって、今度は俺の手から写真が奪い去られる。
「なっ……!」
驚いて振り返ってみると、なんとレナが瞳を怪しく輝かせながら写真を凝視しているではないか。
「はぅぅぅ……ルルーシュくん女装……お嫁さん……お持ち帰り……」
レナはまるで念仏でも唱えるかのようにぶつぶつと独り言を口にしながら妙なオーラを噴出させている。
これはもしや大変まずい状況なのではないだろうか……?
俺は焦りを感じつつも再びレナの説得を試みることにした。
「ま、待てレナ! 自分がされて嫌なことは人にやってはいけない! そうだろう?!」
「そうだね、その通りだよルルーシュくん」
「そ、そうだろう? ならばその写真を俺に返却して、今日はもう帰路に着こうじゃないか。ああ、それが一番いい!」
レナは分かってくれた……そのはずなのに。彼女はどういう訳か少しずつ俺との間合いを詰めながら、胸ポケットに写真を大切そうに仕舞い込んだ。
ああ、なんて恐ろしい捕食者の眼。
食われる。俺は本気でそう思った。それでも矮小なる被食者である俺には説得を続けるほか手はなかった。
「れ、レナ……俺の言っていることが分かるだろう?」
「うん、ルルーシュくんの言いたいことは分かるよ。でもね、ルルーシュくん。レナは思うんだ」
「な、にを……」
レナが間合いを詰めるのに合わせて後ろに後退するが、それでも少しずつ彼女との距離は縮んでいく。
「ルルーシュくんが言うとおり、自分がされて嫌なことは人にやってはいけないと思うよ。でも、自分がされて嬉しいことは率先して人にやっていくべきなんじゃないかな、かな」
「は、はは、それは良い心がけだ。本当に素晴らしいな……いや、ちょっと待て! おそらくそれは違うっ、間違っているぞ竜宮レナ!」
だがレナは待たない。
間合いは完全に詰められ、後に下がろうにも背後にはもう黒板が迫っている。絶体絶命の大ピンチ。
咄嗟に廊下に面した左側へと逃げる。ナナリーを連れて一緒に出る余裕はない。一人教室の出入口へと駆けた。
だが俺が出入口に到達することはなく、身体は呆気なく床に倒れ落ちる。
「あはははは。逃がさないんだよ、だよ」
「れ、レナ……一体何、を……」
首筋に鋭い痛みが走り、視界がぐにゃりと揺れる。
そうか、俺はレナに攻撃されて……。
「レナはウェディングドレスを着て花嫁さんになりたいよ。だからね、今日はルルーシュくんに着せてあげるの。あはははは。お持ち帰りなんだよ、ルルーシュくん」
そんなレナの言い分を聞きながら、俺の意識は闇へと転がり落ちていった……。
***
「……ん、ここは……?」
俺は意識を取り戻して薄っすらと目を開けた。視界が白くぼやけてまだよく見えない。
机に寝かされているのだろうか。視線の先には白い天井が見える。
視線を右に移すと魅音がいて、彼女が俺を微妙な表情で見下ろしていた。
「……魅音?」
「ルル、あんた……」
魅音は手を口元に当て呆然とこちらを窺っている。
「なんだ、俺がどうかし……ん?」
何気なく両の手を見ると、自分が手袋を着用している現状に気がつく。
白い手袋。よく見ると全体的に服装が白い気がする、が……ま、まさか。
俺は自分自身に降りかかった災いを思い出して青くなった。
「沙都子、それを貸せ……」
「あっ」
机から起き上がると、近くにいた沙都子の持つ手鏡を強引に奪い取る。
鏡を覗き見て俺の顔面はさらに蒼白となった。そこには口に出すのもおぞましい姿の俺がいたのだ。
ナナリーを除く女性陣は何が良いのか、俺を眺めてため息を漏らしている。
「ルル、あんたすごいよ……」
「はぅぅ、ルルーシュくん本当に綺麗なんだよ、だよ」
「ですわね。女装姿をからかってやろうと思ってたのでございますが、これは……」
「レナがお持ち帰りを躊躇するほど綺麗なのですよ」
褒められているのだろうが全然嬉しくない……。
「あのさ、ルル」
「……なんだ。先に言っておくが慰めは不要だぞ」
慰めの言葉などかけられたら、自分が余計惨めに思えてくるからな。
「いや、そうじゃなくてさ。あんた、その花嫁姿で来春のミスヒナミザワコンテスト出なよ……私ら差し置いて絶対に優勝するから」
「冗談を言うな……」
「いや本気なんだけど」
「尚更止めてくれ……」
来春は強制的に出場させられるのだろうか……。ありえるから怖い。
「ふふ、たしかにお兄様なら優勝出来そうですね」
と罰ゲームのメンズスーツを身に纏ったナナリー。
「く、お前までそんなことを……」
兄の威厳もあったものではない。
俺はすべての元凶である魅音をキッと睨みつけた。
「魅音、そろそろ良いだろう。俺は罰ゲームとして十分な屈辱を受けた。もう着替えさせてもらう」
「へぇ、敗者が勝手に罰ゲームの期間を決めちゃうんだ?」
「貴様! これ以上何をさせるつもりだ?!」
魅音が嫌らしい笑みを浮かべながら言った。
「帰宅するまでその格好でいてもらう」
「な、何だと?! この格好で家まで? 馬鹿を言うな!」
「ふーん、そっかぁ」
魅音はそういう反応を示すことが分かっていたようで、腹立たしいことに酷く馬鹿にした表情で続けた。
「やっぱりブリタニアの坊ちゃんには難しかったね。はいはい、もう止めていいよ。でも残念だなあ、ルルはもっと骨のあるやつだと思ってたんだけどなあ?」
「ぐっ、貴様……いいだろう! やってやる、やってやるぞ!」
「おーっ、さすがルル! おじさんの眼はやはり正しかったよ、くっくっく!」
魅音が尚嫌らしい笑みを浮べたまま、俺に拍手で賛辞を送ってくる。馬鹿にされたままは癪だったのでつい売り言葉に買い言葉で乗ってしまったが、これで本当によかったんだろうか……。
***
罰ゲーム衣装のままの下校。
学校を出るとナナリーをレナに任せて、村の人間に見られないよう警戒しながら――ある時はレナや魅音の影に隠れて――夕暮れ時の帰り道を進んだ。
木陰が人に見え、びくついた所を魅音に笑われる。これ以上の屈辱はない。
たしかに自分でも格好が悪いと思うが、魅音は少し人の気持ちとかを考えたほうがいい。さもないと、いずれ些細な事象から面倒事へと発展しかねない。
水車小屋前で魅音と別れて、やっと冷やかす人間がいなくなりせいせいする。
そして、しばらくしてレナとの分かれ道に差し掛かる。ここまで来れば家まで後半分といった所だ。
レナは去り際に、魅ぃちゃんのことを許してあげてねと申し訳なさそうに言っていた。レナがそんな顔をする必要はないのに……。
レナという少女は本当に良いやつだ。俺はすっかり彼女に毒気を抜かれてしまった。
……そうだな、魅音だって同じリスクを背負っていた。引き返すチャンスも与えてくれた。だから恨むのはお門違いだよな。
ナナリーと一緒に軽く手を振って笑顔でレナを見送る。
騒がしい仲間がいなくなってナナリーと二人きりとなった。
「お兄様、今日は楽しかったですね」
「そうだな。たまには良いかもしれない……が、もう二度と負けたくはないな」
「ふふ、私の目が見えるようになったら、またその衣装を着て見せてくださいね」
「それは駄目だ。せっかく治ったナナリーの目が潰れてしまう」
「そんなことないですよ、ふふふ」
ナナリーは口元に手を当てて、さもおかしそうに笑った。
「おいおい、笑いすぎだ」
「だって、お兄様が。くすくす」
ころころと笑うナナリーに感化されて俺も笑ってしまう。
こんな日常がいつまでも続くと良いのに……俺は切にそう思った。
兄妹だけの談笑が一段落着いた頃、ようやく雛見沢の我が家に到着した。
***
誰にも見られずに家に到着できたことで気が緩んでいたせいか、咲世子の存在をすっかり失念していた。
玄関に入った所で彼女と遭遇、痴態を見られてしまった。一番見られたくない同居人に目撃されてしまうとは……こんな油断をするなんて今日の俺はどうかしている。
だがもう階段を上がりきって自分の部屋の前まで来ている。これ以上の恥の上塗りはないはずだ。
咲世子がしつこく俺を一階に引き止めようとしていたのが気になるが……。
「……いや。そんなことより早く着替えてしまおう」
自室の引き戸を開ける。
ふはは、これでこの衣装ともおさらばというものだ。
「おい、遅かったなルルーシュ」
「なっ……C.C.(シーツー)?!」
誰もいないはずの部屋の中にはC.C.の姿があった。想定外の事態に目が点になる。
「お、お前がどうしてここにいるっ?!」
「お前こそどうしたんだ? その格好は」
C.C.はこれ見よがしにあざ笑う。くそ、一番この姿を見られたくないのはコイツだった……。
C.C.は俺の布団を勝手に敷き、その上に寝転がりながらピザを食べていた。我が物顔でくつろいでいる様に腹が立って仕方がない。
「そんなことはどうでもいい、答えろ!」
ウィッグと手袋を外して怒りに任せてC.C.に向かって投げつける。
だがC.C.はだらけきった姿勢にも関わらず最小限の動きでこれを避けた。
「お前からここの暮らしを耳にして少し興味がわいた―、では理由としては薄いか?」
ピザを一ピース飲み込みながらC.C.は答える。その態度にさらに怒りが増大した。
「そういうことではない!」
「おいおい、いいのか? 日本家屋は音を良く通すのだがな」
「……っ!」
階下にナナリーたちがいることを思い出して声量を抑えて言った。
「お前にはゼロの影武者を任せていたはずだ」
「分かってるさ、私も馬鹿じゃない。代理を立てておいたから安心しろ」
「そうか、ならいい。…………いや待て。一体誰に代役を頼んだ?」
「玉城だ」
「はぁっ?!」
玉城だと?! よりにもよって?!
「今すぐトウキョウ租界へ帰れ、この馬鹿!」
玉城とはレジスタンス時代のカレンの仲間で、カレンと共に黒の騎士団に入団してきた。リヴァルを100倍に濃縮したようなお調子者で、よく作戦でへまをして騎士団全体に迷惑をかける。まったくもって厄介この上ない人間だ。
あいつにゼロをやらせようものなら、最速三日で黒の騎士団は解散を余儀なくされるに違いない。
「なぜだ? 玉城なら面白がってやってくれているが?」
C.C.は不思議そうに首を傾げる。おい、コイツ本当に分かってないぞ……。
「面白がってやっているからまずいんだよ!」
「ルルーシュ、落ち着け。また声が大きくなっているぞ」
「……っ! とにかく今すぐにでも租界に戻れ」
「嫌だと言ったら?」
「お前……!」
C.C.は俺をからかって満足したのか、ケタケタと笑いながら腰を上げた。
「しょうがないな。まったく、お前は私がいないと何も出来ないのだな」
「ぐっ……」
俺は今にも堪忍袋の尾が切れそうだったがどうにか我慢した。
***
「さて、では従順な私は素直に租界に戻るとしよう。ここは居心地は良いのだがピザの調達が難しいんだ。じゃあな」
「ああ、早く行ってしまえ!」
C.C.はわざと俺の神経を逆撫でするような言葉を残して部屋を出て行く。なんて女だ。
「そうだ、ルルーシュ」
そして罰ゲーム衣装を脱ぎ捨てて私服に着替え終えた頃、C.C.が部屋に舞い戻ってきた。何事もなかったように戻って来れるコイツの無神経さが俺には分からない。
「何か忘れ物か、C.C.?」
「ああ、お前に一つ伝えたいことがあってな」
「そうか。だが俺はもう大分腸が煮えくり返っているのだが?」
「まあそう言うな。お前にとって有益な情報だ」
「言ってみろ」
これでまた冗談でも口にしようものなら、俺はコイツを殴ってしまうかもしれない。
C.C.は急に真顔になって押し黙った。
「どうした?」
俺が先を促すと、しばらくしてC.C.は重い口を開いた。
「……この村に私と同等の存在が居る」
「それはどういうことだ?」
「私と同じく他者にギアスを発現させる存在が居ると言ったほうがいいだろうか」
そんな大事なことを今頃になってこいつは……。
「なぜ黙っていた?」
「そう睨むな。黙っていたわけじゃない。ただ、最近知り得た情報なだけだ」
だろうな。コイツは俺の共犯者だ。俺に害のある隠し事などするはずがないし、する必要がない。
「そうか、それで?」
「そいつの名はO.O.(オーツー)。別段そいつ自体が危険というわけではないが、ギアス能力者のほうは分からない」
「つまり、ギアス能力者が敵として現れるかもしれないから気をつけろということか」
「そういうことだ。話が早くて助かる」
「分かった、十分気をつけよう」
「ああ、簡単に殺されてくれるなよ。お前に死んでもらっては私が困るからな」
そう捨て台詞を言うと今度こそ本当にC.C.は帰っていった。
「この村にギアス能力者か……」
自分以外の能力者は今のところマオにしか出会っていない。最悪のケースしかないというのはつらいな。
マオとの戦いはスザクと力を合わせたからこそ勝利できた。だがこの雛見沢では自分一人で何とかするしかない。
敵がどのような能力を保有しているか分からない以上、出会い頭にギアス戦になるという可能性も十分考えておくべきだろう。
雛見沢の穏やかな毎日に陰りが出来たことを俺はひしひしと感じていた。