第五話【カウントダウン】
朝、小鳥のさえずりを聞きながら目が覚めると、頭がずっしりと重く感じた。
心臓の鼓動は早く、寝汗も酷い。加えて起き上がろうとすると身体もだるかった。
昨日はやけにミスが多いと思っていたが、どうやら体調を崩していたようだ。
「まいったな……」
独り言を零すとゴホゴホと咳が出た。素人診断だがおそらく風邪だろう。
日本では夏に風邪をひくのは馬鹿だと言われているらしい。
次に学校に行った時を思うと気が重い。またそれをネタに魅音にからかわれるんだろうな。
自分で言うのもなんだが俺は身体があまり強くない。
スザクまでとはいかぬまでも、少しは身体を鍛えたいとは思っているのだが……。大抵いつも長続きしない。
完璧なスケジュールを作る所までは成功しているはずだが、やはり継続するための精神力の無さが問題だろうか。
だが体を動かすのは俺の趣味趣向とはかけ離れ過ぎている。仕方ないだろうと自分自身に言い訳をする。
とにかく今日の所は医者に行くべきだろう。
正直面倒ではあるが、このまま寝ていてもすぐには病状が好転しそうにもない。素直に通院して薬をもらって来るとしよう。
雛見沢には、租界から離れたゲットー地域にも関わらず高度な医療施設があったはずだ。
確か入江診療所。場所は……大丈夫。雛見沢の地形はすでに頭に入っている。
隣の部屋に行き、ナナリーに一声かけてから出かけることにした。
「――まあ、お風邪を。大丈夫なのですか?」
体調を崩したことを伝えるとナナリーは心配そうに聞いてきた。
そんな彼女に対して、少し休めば平気だと見栄を張ってしまう自分をおかしく思う。
「そういう訳だから俺は大事をとって学校を休むつもりだ」
「では私も休みます。病気のお兄様が心配ですから」
「ふっ、その気遣いはありがたいが……二人して欠席したら仮病と魅音に囃し立てられる、やめておけ」
あまりナナリーに心配をかけないように軽口を言っておく。
「そうですか……。では無理はしないで安静にしていてくださいね」
「ああ、そうしよう。学校にはレナに送ってもらえるよう咲世子さんに頼んでおくよ」
ナナリーの部屋を出て階下へ向かう。
キッチンで朝食を作っている咲世子に声をかけて家を出た。
***
入江診療所に到着する頃には、俺の病状はさらに酷くなっていた。
こんなことなら無理せず咲世子に付き添ってもらえばよかったかもしれないと今更後悔する。
よろよろと倒れ込むようにして扉を押し開けて診療所の中に入る。
診療所の内部は租界の病院と比べるとそんなに大きくはなかったが、ゲットーにある医療施設としては立派過ぎるくらい清潔そうだった。
日本人相手にどこで利益を出しているのだろうか、とどうでもいいことを不思議に思ってしまう。
待合室で自分の番を待っているとしばらくして自分の名が呼ばれた。ゆっくりと腰を上げて立ちあがると、廊下を進んだ先にある診察室に進む。
診察室で待っていた医者はよく見知った顔だった。
「お久しぶりですね。今日はどうされました、ランペルージさん?」
医者の胸元に取り付けられた名札には入江京介と書かれているのが見える。それが目の前にいる男の名前だ。
彼は雛見沢分校の保険医も兼任しているので一応の面識はあるが、特に世間話などしたくはないし、今は無駄話ができるほどの健康状態ではないので質問に応えるのみに専念することに決めた。
「熱があって気怠いのですが風邪でしょうか」
「そうですねー。とりあえず脈を取りましょうか」
言われるがまま手を入江に差し出す。
「うーん、すべすべのお肌ですねー……ハアハア」
体調が悪いと言っているのに、このアホ医者は俺にツッコミを入れさせる気か。
こういう変なところがなければいかにも好青年なのに惜しい男である。
「ちょっと、先生。ちゃんと診断してくださいよ」
「そんな、心外ですね。ちゃんとやっています。では次はこちらの検査着に着替えてください」
「メイド服じゃないですか……」
「あれ、ばれちゃいました?」
「時間の無駄しました。失礼します」
咲世子に薬局で薬を買ってきてもらった方がよさそうだ。
諦めて席を立とうとすると慌てて入江が引きとめる。
「わ、待ってください、冗談ですよ! 診察は真面目にやってますから!」
「ならいいのですが、今度ふざけたら本当に帰らせてもらいますから」
「分かりました、分かりました。もうしませんから」
入江が苦笑した。苦笑いしたいのはこっちのほうだがな。
触診をされた後、俺は入江から体温計を受け取り熱を測った。
「で、診察の結果はどうですか」
「んー、お熱もありますし、扁桃腺の腫れ具合からしても普通に風邪ですね。薬出しておきますので食後30分以内に飲んで、それからがっつり寝てください。薬を飲みきっても治らなければもう一度来院してください」
「分かりました。では失礼します」
無駄にとどまるとロクなことがなさそうなので、俺は素早く席を立って診察室を出た。
***
「あら、あなた。ルルーシュ・ランペルージ君?」
会計を終えて帰ろうとしていると不意に看護婦から声をかけられた。
「はい? そうですが何か」
「やっぱり貴方が噂のブリタニアの学生さんなのね」
「ええ、まあ……。あなたは?」
「私は鷹野三四よ。ここで働いているの、よろしくね」
求められるままに握手を交わすが、三四の手は酷く冷たく感じた。
「僕に何か御用ですか?」
「いいえ、特に用はないのだけど。雛見沢にブリタニアの兄妹が住んでるって話を聞いてたから、どんな酔狂な子たちなのかなと気になっていただけよ」
くすくす。人を小馬鹿にするように三四は笑った。その態度に少しむっとする。もちろん表情には出さないようにしているが。
三四は視線を俺の目に合わせて離さない。おそらく揺さぶって詮索するつもりだろう。
だが知らない人間からそういった疑問を投げかけられるのは想定済みだ。
「――そうですか。でも別に酔狂ってわけじゃないですよ。日本の自然が好きなブリタニア人はたくさんいます。古手神社から見下ろす雛見沢の景色は本当に綺麗だと思います」
「ふーん……そうなの」
三四がつまらなそうに相槌を打った。
あまり俺の話を真に受けていないみたいだが、これといって不自然な部分は見つけられなかったようだ。
「あの、まだ何か?」
「いいえ、引き止めて悪かったわね」
それでいい。気が済んだのなら黙って質問を終えろ。
貴様に付き合っていられるほどの余裕は今の俺にはないのだから。
「では失礼します」
「ちょっと待って。でもおかしくない?」
三四に引き止められる。何がおかしいというのだ。
熱で頭があまりまわっていないので素直に聞き返してしまう。
「なにが、ですか?」
「だってそうでしょう? 自然が好きなだけなら他のブリタニア人のように観光で来れば良いのに、貴方たちはどうしてここに住む気になったのかしら?」
この鷹野三四という女は厄介な人間かもしれない。
俺たちに何か知られたくない素性があることに薄々感づいているらしい。
「僕には日本人の友達がいましてね。ゲットーに住むのはそんな抵抗はないんです。それに、ここは他のゲットーと違って住みやすいですしね」
咄嗟に切り替えすが、これ以上はギアスを使う必要性が出てくる。無駄には使いたくはない、早く消えてくれ。
「そうね。ここは多分、君の言う通り租界の次に暮らしやすいんじゃないかしら。けれど、本当にここは"住みやすい所"なのかしらね、くすくす」
「……それはどういうことですか」
三四は再び小馬鹿にするような笑い声を上げる。だがそれは先ほどのものとはまた違った不快感があり、言いようもない禍々しさと邪悪さを合わせ持っていた。
「……一体、何だと言うんです?」
俺が再び訊ねると三四はゆっくりと口を開いた。
「雛見沢連続怪死事件。聞いたことはなぁい?」
例えようのない不安が俺をねっとりと包み込んだ。
***
診療所から帰宅した俺は自宅からスザクにいの一番で電話をかけた。
「もしもし?」
スザクの声がする。携帯にかけたのだから本人が出るのは当然だが。
「俺だ、スザク」
「ルルーシュ? どうしたんだい?」
「どうしたじゃない」
俺は鷹野から聞かされた話をスザクに聞かせる。
雛見沢で毎年起こる凄惨な殺人事件――
毎年綿流しの祭の日に起こり、一人が死に一人が消える謎――
偶然だと噂されながら、けれど確実に起きた怪奇――
雛見沢連続怪死事件。通称"オヤシロさまの祟り"のことを。
スザクは俺が話すのを静かに聴いていた。彼が真剣に聞いているものと判断して先を続ける。
「すでに四年連続で発生しているらしい。そして今年で五年目。後一週間で綿流しの祭。その日誰かが謎の死を遂げ、誰かが消失する可能性がある。お前はそれを知らなかったのか?」
知らないだろう。もし知っていたなら、スザクはナナリーをこんな危険な場所に近づけさせないはずだ。
だがスザクの返答は俺が思っていた言葉とは違うものだった。
「知っていたよ、ルルーシュ」
「なんだと?! どういうつもりだスザク!」
俺は思わず激昂する。一番信頼していた友に裏切られたんだ。腹も立つというものだ。
スザクが慌てて弁明する。
「ルルーシュ、少し落ち着いて僕の話を聞いてくれ。確かに僕は連続怪死事件の噂を知っていながら、君たちをここに住むよう促した。けれど、それには理由があるんだ」
「どういうことだ。もったいぶらず話せ」
納得のいく理由でなければスザクとの縁もこれまでとなるだろう。
あまり失望させないでくれよ。そう内心思いながらスザクの話に耳を傾ける。
「君も気づいていると思うけど、連続怪死事件の被害者は少しずつ村の仇敵という関係から離れていき、動機が希薄になってきている。今年は余所者という理由だけで殺されてもおかしくないんだ」
「お前、ふざけているのか? だったら日本人でもない余所者の俺とナナリーが一番危ないということになるが、分かってて言っているんだろうな?」
「ああ、分かっているよ。けどそれは言い返せば、雛見沢がブリタニア人の近づけない不可侵の場所となることを意味する。事実、ブリタニアの警察官は雛見沢にただ一人も巡回には来ない」
そういえばそうだ。雛見沢では一度もブリタニア人やナイトポリスを見たことがない。
こんな辺境に警察を巡回させる暇はないのだろうと思っていたのだが、そういう事情も隠されていたのか。
確かにブリタニア人が恐れて近づかない場所ならば、俺たちの素性もばれにくい。
「連続怪死事件について話さなかったのは悪かったと思ってるよ。けれど、それは君たちに余計な心配をかけないためだったんだ」
「お前の言い分は分かった。だが、今年の祟りで俺たちが被害に遭う可能性は著しく高い。もしナナリーが危険な目にあったらどう責任を取るつもりだったんだ」
「その場合、今年の祟りは起こらない」
「どういうことだ?」
「僕は隠れて君たちを護衛するつもりでいたんだ」
***
スザクとの電話を終えると濡れたタオルで汗を拭き取りながら自室に戻った。スザクの護衛がつくということが分かっても、どうしても不安だけは拭えなかった。
一人が謎の死を遂げ、一人が消えるオヤシロさまの祟り。被害者の数は常に偶数。最小の偶数は2。
何度考えようと、今年の被害者は日本人ですらない他所者の……俺とナナリーの可能性が高く思える。
「……馬鹿な、そんな理由で殺されてたまるか」
どろりとまとわりつくような疑念を吹き飛ばそうと頭を思い切り振るが、それが引き金となって鈍重な痛みが頭を巡る。
まずは体調を万全にしよう。それが最優先。
洗面台に行って薬を飲む。飲んですぐ効くはずはないが、少し身体が楽になったような気がする。
プラシーボ効果様々といったところか。人間の身体というものはつくづく便利に出来ているものだ。どうせならこの勢いで明日中には完治したいものだ。鏡の前で一人苦笑する。
スザクを信じないわけではないが、今日ぐっすりと寝て風邪が治ったなら、明日は怪死事件について少し調べてみよう。
ギアス能力者、コーネリア、日本解放戦線……問題は山済みだが、今は後回しにするしかないだろう。
寝る支度をして布団に入る。目を瞑ると俺はすぐに意識を手放した。
――タイムリミット;オヤシロさまの祟り発生まで後7日。