第六話【兆し】
次の日になると俺の熱は平熱まで下がり、風邪の症状は大体おさまっていた。薬が効いたようでなによりだ。ところが朝の挨拶のためにナナリーの部屋に向かうと、代わりに今度はナナリーが風邪をひいてしまったようだ。
「大丈夫か?」
ベッドに伏しているナナリーに訊ねる。手を握るととても熱かった。
「ええ……平気です。魅音さんたちと遊ぶのが楽しくて、少しはしゃぎすぎたせいかもしれませんね……」
「……俺の風邪が感染ったんだな。すまない」
ナナリーは強がっているが、昨日の俺よりもさらに体調が悪そうだ。今日はナナリーを医者に連れていって、その後に看病をするためにも学校を休むしかないだろう。
俺がその旨を伝えると、ナナリーは首を横に振った。
「私は寝ていれば大丈夫ですから、お兄様は学校に行かれてください」
「しかしナナリー」
「いいんです。私もいつまでも子供じゃないんですから……風邪くらいお兄様がいらっしゃらなくても平気ですよ。それに言ってましたよね? 二人合わせて病欠なんかして、魅音さんに仮病だって疑われてもいいんですか?」
ナナリーは昨日俺が言った軽口を持ち出して、咳をしながらも健気に微笑んだ。
やはり兄妹だからか。気遣い方が似ている気がする。
「はは、お前も言うようになったな」
これだけ減らず口が聞けるのなら俺がいなくても大丈夫そうだ。医者には咲世子に連れて行ってもらおう。怪死事件について調べるのにも、ナナリーがいないほうが都合がいいこともあるだろう。
「分かったよ、今日はしっかり休んでいるんだぞ。行って来る」
「はい。行ってらっしゃいませ、お兄様」
ナナリーの部屋を出て階下に降りる。
リビングで朝食を取ってから、咲世子にナナリーを任せて一人家を出た。
***
いつものように淡々と授業を受け――もとい居眠りしていると――気が付けば放課後になっていた。
放課後になると毎回決まって魅音の部活を開催するようだが、今日は事情が違ったらしい。部活の準備を始めている皆に向かって魅音が謝った。
「ごっめーん! おじさん、今日はバイトだから部活できないんだった!」
「そうなの~? でも用事があるなら仕方ないよね、よね」
「昨日の夜、急に入れられちゃってさー! 本当ごめん、今日はおじさん抜きでやってくれて良いからさ!」
「そう言われましても、ナナリーさんも欠席ですし、盛り上がりに欠けますわよ」
「となれば、今日の部活はなしにするのがいいかもなのです」
魅音がいない部活は盛り上がりに欠けるのだろう。魅音はああ言っていたが、皆あまり乗り気ではないようだ。
俺自身も雛見沢で起こった連続怪死事件について調べたいから今日の部活中止には賛成だった。
「そうだな、今日は俺もやるべき事があるから遠慮しておこう」
「分かった、ナナちゃんの看病でしょ? まったくルルってばシスコンなんだから」
シスコンとは失礼な。兄が妹を大切にして何が悪いというのか。
ぷくくとわざとらしく笑う魅音に首を横に振って答える。
「いや、正直そちらを優先したい気持ちもあるが、ちょっと調べたい事があってな」
「「調べたい事?」」
他の部活メンバー全員が一斉に聞き返してきた。俺を除く皆が顔を見合わせて苦笑している。
そうだ、こいつらに話を聞いておくのも良いだろう。
「なぁ、お前ら。この雛見沢で殺人事件があったって話を聞いたことはないか?」
大した情報は期待していないが何か怪死事件の謎の糸口になるかもしれない。
「「知らない」」
俺は何気なく、世間話をするつもりで訊ねたつもりだった。それなのに皆は射抜くような冷たい視線でもって俺の言葉を愚問であるかのように一蹴した。教室の雰囲気はがらりと変わり、まるで空気が凍ったかのように辺りに静寂が訪れる。
「え……。だが、そういう事件があったんじゃないのか……?」
「「なかった」」
雛見沢では有名なはずなのに、実際に起こったはずなのに……。
そんな事件はなかったと口を揃えて言い張る皆が不気味だった。
「そ、そうだな……。この平和な村に事件なんか起きないよな……」
俺はもう反論する気力をなくし、ただ皆に合わせるように言葉を紡ぐ。
これ以上追及することはどうしてもできなかった。
「「もう帰ろう」」
皆は帰りの仕度を整えると俺を置いて教室から出ていく。
一人教室に取り残されて呆然としてると、ひぐらしの鳴く声が聞こえる。
ひぐらしの声は自己主張するかのように騒がしく、静かな教室内に一際大きく響いていた。
「ルルーシュくん、帰らないの?」
「……え?」
「一緒に帰ろ! はぅ!」
教室の外からレナの顔が覗く。その表情がいつものレナだったことに、俺はほっと胸を撫で下ろした。
先ほどのレナや皆の冷たい視線は気のせいだったんじゃないか? 今の彼女を見ていると、心底そう思わされる。
「ルルーシュくん、どうしたの?」
レナが不思議そうに首を傾げた。それはいつものレナらしい可愛らしい仕草だった。
「あ、ああ。なんでもないよ」
「そう、じゃあレナと一緒に帰ろ?」
「そうだな」
荷物を手に取り、レナに駆け寄る。
やっぱり気のせいだったのだろう。このレナが人に対してあんなにも冷たい視線を投げかけるわけがない。
だが…………。不愉快な疑念だけは、纏わりつくようにしつこく俺を放さなかった。
事件なんてなかったと言う魅音たち、事件の存在を肯定する鷹野とスザク……俺はどちらを信じたら良いのだろう。
この時から、俺の危機感と好奇心はフルスロットルで加速し始めた。
***
「ねえねえ、ルルーシュくん」
「なんだ、レナ?」
「ちょっと寄り道して良いかな、かな?」
「あ、ああ。別に構わないがどこに行くつもりなんだ?」
「あはは、レナの秘密の場所~☆ ルルーシュくんを特別に連れてってあげるんだよ、だよ」
秘密の場所? レナは一体俺をどこに連れていくつもりだろう。
尤も、分からないから秘密の場所なんだろうが。
「いいから着いてきて、すぐ近くだから!」
「あ、おい!」
強引に手を引かれレナに連れて行かれた場所は果たしてサクラダイト発掘現場の跡地だった。俺はレナの秘密の場所がここであることに驚きを隠せなかった。
トウキョウ租界から不法投棄された家電やら産業廃棄物で一面を埋め尽くされて現在はゴミ山と化しているが、ここは……。三四から聞いた、最初の惨劇が起きた場所ではないのか……?
スコップやつるはしでのリンチ殺人。その後遺体をバラバラにするという凄惨な事件。
被害者はサクラダイト発掘会社の現場監督で、まだ遺体の一部である右腕が見つかっていないらしい。
「こんな場所に連れてきてどうするつもりだ……?」
「はぅ? どうもしないんだよ」
嘘をつくな。こんな人気のないところに来る理由など何もないはずだ。
あるとすれば連続怪死事件について聞いたから? そうなのか……?
「あははは。ルルーシュくんは何を怖がっているのかな、かな?」
レナは感情の篭らない無機質な顔でこちらを見て、独り不気味に哂った。
気のせいじゃ、なかった。教室でのあの冷たい視線は決して勘違いじゃなかったのだ。
首を傾げるレナの姿に先ほどの可愛らしさはただの一片もなかった。
「お前こそ、何を隠している!」
あはははは、変なルルーシュくん。レナは何も隠してなんかいないんだよそんなことより一緒に宝探ししようよ楽しいよ? ね? ね? レナはねいつもは一人だけど今日はルルーシュ君がいるから嬉しいんだよほらほらはやくしないと日が暮れちゃうよ日が暮れたら危ないから宝探しできないんだよほらほらはやくは やく はや く は や くはや く はや く いこ い こいこ い こ いこ いこ いこ いこ
レナはまるで壊れたレコーダーのように言葉を繰り返す。
何が起きているのか、レナがどうなっているのか理解が追い付かない。
豹変したレナはそのうち腕を絡ませてきて俺をそのままゴミ山に引き込もうとし始め――――
「触るな!!」
「きゃっ!」
気づけば俺はレナを払いのけ、そのまま突き飛ばしていた。
ただレナが不気味で、恐ろしくて……怖かった。
***
突き飛ばされたレナは何をされたのか分からないかのように、尻餅をついたまま微動だにしなかった。
しかし驚いて固まっているものの、レナは人間味のある表情を取り戻していた。
「痛いよぅ、ルルーシュくん……」
「……すまないレナ! 大丈夫か?!」
レナの悲痛な声を聞き、冷静さを取り戻した俺は自分の過ちを詫びる。
「う、うん。平気だよ。びっくりしただけ」
「俺はなんてことを……本当にすまない」
手を差し出してレナを引っ張り上げると、すぐに頭を下げて心から謝罪した。
「いいんだよ。それよりレナのほうこそごめんね。無理に誘っちゃって。でもこれからは嫌ならそうだって断ってくれていいんだよ?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ……」
レナは何も悪くない。悪いのはこの俺だ。
今考えると何故レナを突き飛ばすまでしてしまったのか分からない。
「本当にすまない」
「うん、いいよぅ。そんなに深刻に思わなくても大丈夫。だってルルーシュくんはまだ病み上がりなんだもの、はぅ!」
俺は忘れかけていたレナの優しさに心を打たれる。こんな気の優しい少女を恐ろしいと思ってしまうなんて俺はどうかしていた。
レナの言うとおり俺はまだ完治しておらず、自分でも気づかぬうちに疲労しているのかもしれない。
レナや皆が突然示し合わせるように豹変するなんてありえない。皆が連続怪死事件について知らないというなら本当にそうなのだろう。
きっとそうだ。心を鎮めて客観的に見さえすれば、周りがおかしいと考えるより俺自身がおかしいというほうがよっぽどシンプルだと気づけるじゃないか。
世界は何も変わっちゃいない。何かおかしいと感じたらそれは自分が変わったからだ。
「そうだな、病み上がりで気が立っていたのかもしれない。ありがとう。君の優しさに感謝する」
「うん、どういたしましてかな。今日はもう帰ろっか」
「あ、ああ……そうしてもらえるとありがたい」
やはり風邪をひいて一晩寝ただけで全快するなんて、そんな都合良くいくわけがなかったな。
「うん、帰ろ帰ろ! 宝探しはまた今度、はぅ~☆」
今度埋め合わせをすることを伝えると、レナは楽しみにしてるねとにこやかに笑って返してくれた。
どうやらレナとの関係を壊すことは免れたようだ。ほっと安堵のため息を漏らす。
レナの横に付き、談笑を交えながら帰路に着いた。
結局、連続怪死事件について今日の収穫はゼロ。改めてまた明日辺りレナたちに話を聞くべきだろうか?
いや、しばらく止めておこう……。今日の二の舞になるのが怖い。
明日は租界の図書館を通じて情報を集めることにしよう。新聞など何か事件に関係のある情報媒体があるかもしれない。
現在持っている情報は鷹野とスザクの話だけ。知略を巡らすにはあまりに少なすぎる。
――タイムリミット;オヤシロさまの祟りまで後6日。