第八話【運命】
今日もナナリーは風邪で学校を欠席することになった。
ベッドに横たわるナナリーに声をかけて安静にしているように言うと、家まで迎えに来てくれたレナと共に学校へ向かう。
昨日、ギアス能力者が連続怪死事件の犯人である可能性が浮上した。怪しまれないためにも今日はちゃんと授業に出て放課後になってから調査を始めよう。
いつもの待ち合わせ場所である水車小屋の前で魅音と合流する。
今日も魅音は先に待っていた。珍しいこともあるものだ。
見慣れた通学路を歩いて行くと分校が遠目に見えてきた。
「よぉし、じゃ教室まで競争ね。ビリはトップの言うことを聞くこと! はい、ドン!」
「はぅ?! いきなりすぎなんだよ!」
魅音の掛け声とともにレナは魅音の背を追いかけて分校へと走り出した。
「ちょ、おま! ずるいぞ魅音!」
続いてレナの背中を慌てて追いかける俺だったが、魅音たちの姿は小さくなっていく一方で、ついには遠目に見える分校の内部へとあっさりと消えていった。
あいつら、足……速すぎだろ……。常識的に考えて…………。
歩みを止めて、独り言を吐きながら息を整える。
体力面での勝負は俺の得意分野ではないとはいえ、レナにまで負けるとは思わなかった。スザク並みの身体能力を持つ魅音ならともかくとして若干ショックだ。
もうすでに二人は教室で休憩しつつ、俺の到着を待っている所だろう。そこに息を切らした俺が登場してはプライドも何もあった物ではない。
俺は無理をするのはやめて、勝負になど最初から乗っていなかった風を装い、ゆっくりと分校へと歩き出した。
***
教室へ入るといつもと違ってなにやら騒がしかった。皆一様に深刻な表情でぼそぼそと呟き合っている。
何か事件でも起こったんだろうか?
レナと魅音に声をかけて、それから騒がしい理由を訊ねた。
「騒がしいが、何かあったのか?」
「……沙都子の叔父が帰ってきた」
魅音が重苦しい表情で答える。
口ぶりからあまり好ましい人物ではないようだ。
「どんな酷いやつなんだ?」
「ルルーシュくん、よく叔父が酷いやつって分かったね?」
「そんなに暗い顔をしていれば誰だって分かるさ」
それに、俺も王位継承争いで身内から不当な扱いをされたことがあるからな。
魅音は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てるように言った。
「沙都子の叔父はいわゆるチンピラのようなやつさ。強い者にはヘコヘコするくせに弱い立場のものには威張り散らす、そんな最低野郎だよ」
「……そうか。ところで今日は沙都子の姿が見えないが大丈夫なのか?」
「風邪で欠席……そういうことになってる。でも絶対そんなんじゃない」
「……虐待を受けているのか?」
「おそらくね……。いや、絶対されてるに決まっている!」
「ならば何故それが分かっていて児童相談所に相談しない? イレヴンにもそのための施設はいくらだってあるはずだ」
「それがね……」
レナが魅音に代わって説明を始める。
俺はレナの話を黙って聞いた。
「ふん……そういうことか」
北条家はサクラダイト発掘の時以来、村の裏切り者とされているわけか。その名残が今でも根深く残っており、村人は沙都子に冷たく接しているようだ。彼らに助けを求めるのは無理かもしれないな。
それに加えて沙都子は一度、児童相談所に嘘の通報をしているのか。これでは相談所側も慎重にならざるを得ない。
しかし仮に相談所が動いてもこの件は解決されないだろうな。
沙都子は兄である悟史失踪の真相を知らない。悟史がいなくなったのは自分が甘えすぎたから家出してしまったと勘違いしている節がある。
だから頑なに誰にも助けを求めない。ここで誰かに縋ってしまえば兄はいつまでも帰ってくることがない、そう思い込んでいるから。
なるほど、なかなかに複雑な事情があるようだ。
「そう……。だから残念だけど私たちが出来ることはないんだよ……」
魅音はそう言い切ると表情に落胆の色を見せる。こんなに元気のない魅音を見るのは初めてだ。だが――――
「それは間違っているぞ、園崎魅音」
「……え?」
「出来ないからやらない、それは逃げだ」
「でもどうしろって言うの! 沙都子の心が変わらない限り、」
「だから変えさせるんだ、俺たちで。なぜならこれは俺たち仲間の問題であって、沙都子だけの問題じゃないんだからな」
「ルルーシュくん、それって……」
「まず梨花に話を聞くのが先だ。梨花はいるな? 行くぞ二人とも」
「え、ちょ、ちょっとルルってば!」
俺はレナと魅音を強引に引き連れて、自分の席で突っ伏している梨花の所へ向かった。
***
梨花に声をかけると、彼女は徐に顔を上げた。その表情にはいつもの快活さは蚊ほどもない。
「梨花、沙都子の件で話がある。知っていることを話せ」
「……話したところで無駄なのですよ。どうせ皆は同情するだけで何もしてくれないのです」
「たしかにその通りかもしれない。だがそうやってやる前から諦めるのは感心しないな」
俺がそう言うと梨花が鼻で笑ったような気がした。
「…………『所詮は自己満足。どれだけ背伸びをしたって世界は何も変わらない』……。沙都子を見捨てた時の貴方の言葉なのですよ」
「見捨てた? お前は何を言っている?」
梨花の態度に少しの違和感を覚えるが、それよりも俺は梨花の一言が気になった。すぐさま聞き返す。
一方梨花はつまらなそうに再び口を開いた。
「……面倒なのです。話してあげるから聞いたら己の無力さを自覚して、さっさとどこか行くといいのです」
その口ぶりはいつもの梨花と比べるとまさに別人のように冷たかった。
梨花が事の成り行きを話し始める。要約するとこうだ。
沙都子は昨日の正午頃――俺が東京租界で調べ物をしていた頃に一人で興宮まで買い物に出かけたそうだ。
梨花は自宅でその帰りを待っていたがいつまで経っても沙都子は帰ってこない。
心配になって雛見沢中を探し回ると、沙都子の両親が存命の時に住んでいた家が騒がしい。
恐る恐る見に行ってみると、沙都子が叔父の鉄平に怒鳴られ暴行を受けながら、暗い表情で家の掃除をしていたとのことだった。
***
梨花から事情を聞いた後、俺は再び口を開いた。
「……そうか。それでお前は親友が暴行を受けても知らん振りなのか?」
「どうしようもないのですよ……。ルルーシュは状況が分かっていないからそんな態度が取れるのです」
「事情は知っているさ。魅音とレナから、沙都子と叔父の関係及び予想される児童相談所の対応を事細かく聞いたからな」
「では分かるでしょう? 僕たちが何をしようと、どうせ運命は変わらないのですよ……」
そう言うと梨花はうな垂れ、視線を床に移す。その様子に俺はほっと安堵のため息をついた。
梨花が何もしようとしないのは沙都子を単なる遊び友達としか考えていないのではないかと思ったからだ。
だけど実際は違った。こいつは諦めたくないけれど、沙都子を助けてやりたいけれど、それが出来ない自分に絶望しているだけなのだ。
俺は出来うる限りの不敵な笑みを浮かべて、安心させるように梨花の頭を軽く撫でた。
「魅音にも言ったが……それは間違っているぞ、古手梨花」
「……え?」
梨花は俺に微笑を投げかけられて目を丸くする。少しだけ彼女の瞳に生気が戻ったような気がした。
俺は梨花の何かを期待するような視線を一身に受けながら言葉を続けた。
「自分には何も変えられないなんて理由は単なる逃げでしかない。たしかに現実は夢のように甘くはないさ。いつでも様々なしがらみによって支配されている。それに押しつぶされてしまう人間も少なくはない。……だがな、抗うことは必要なんだよ、俺にもお前にも」
戦うことをやめてしまえば、人は生きながら死ぬこととなる。
生きているって嘘をつき続け、まったく変わらない世界に飽き飽きして、でも嘘って絶望で諦めることもできなくなって……。
「だから梨花、抗え。今を精一杯足掻いてみせろ。そして共に力を合わせ、俺たちの大切な仲間である北条沙都子を助けてみせよう」
俺は梨花に向けて手を差し出す。
「……ルルーシュは何か考えがあるというのですか」
「残念だが今はない。31通りの手を考えたが全て沙都子の悟史への罪悪感がネックとなっている」
「なら……やっぱり無理なのですよ……」
梨花はポツリと呟くように言って再び表情を暗くした。こいつの諦め癖は予想以上に根強いようだった。
「だからこそ皆で知恵を出し合って解決策を練るべきだ。不貞腐れるのはそれを試してからでも遅くはないだろう?」
そこでぱちぱちと突然の拍手音。振り返ると一歩下がった場所で魅音とレナが笑みを浮かべながら手を叩いていた。
「うん、ルルーシュくんの言うとおりだよね。誰かが世界を変えてくれるまで祈って待っていても、そんな日はいつまでも経っても来ないんだよ、だよ」
「くっくっく、おじさんちょっとブルーになってたよ。そうだったね、部活メンバーならどんな逆境にも立ち向かって行かなきゃ。それを部員になってまだ間もないルルに教えられるなんて部長として恥ずかしいよ」
「お前ら……」
魅音とレナは表情を真顔に戻してから梨花に言った。
「私たちはもう自分を無力なんて思わない。力を合わせ、必ずや沙都子を助けると心に誓うよ」
「そう。だから後は梨花ちゃんだけだよ。皆で沙都子ちゃんを助けるために考えよう?」
「――――だそうだが、お前はどうする?」
梨花は俺の問いかけに逡巡した後、重い口を開いた。
「……今回のルルーシュは何か違う気がするのです……。分かったのですよ、僕は貴方を信じますのです」
梨花は俺の手を取って立ち上がった。俺について気になることを口にしていたが、とりあえずはなんとかやる気になってくれたようだ。
沙都子の問題は根深いが……皆で意見を出し合ってくれさえすれば、俺なら何かしら考え付くだろう。
…………本当は現時点でも一つだけ方法がある。
それは絶対遵守のギアス。これならば今すぐにでも沙都子を救い出すことが可能だろう。
だがギアスの使用は保険であり最後の手段。今のままでは沙都子は永遠に救われない。沙都子自身が変わらなければ、沙都子を取り巻く世界は何も変わらないのだ。