第九話【手段】
放課後になり、俺たち四人は北条家宅へと向かった。
わざわざ放課後を待った理由は留美子に沙都子の現状を知られないためだ。
もし留美子の耳に入るようなことがあれば、生徒想いの彼女のことだから、きっと北条宅へ家庭訪問をするなど何かしらアクションを起こすだろう。
今は留美子に動かれると厄介だ。 事態を重く見てくれる大人は心強いが、叔父を刺激させたくはないし、何の前準備もなく児童相談所に駆け込まれても困る。
留美子には沙都子は病気で欠席したと思っていてもらうことにした。
「ここだよ、ルル」
魅音の案内で北条宅に到着する。
玄関の入り口付近には原付が置かれている。
おそらく叔父所有のものだろう。
俺は原付を横目で見ながら玄関へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと、ルルーシュくん!」
レナが小声で叫ぶように言いながら、俺の制服のすそを掴んだ。
「どうした、レナ」
「いきなり押しかけちゃまずいよ……」
「何を言っている。そのために来たんだろうが」
俺たちは沙都子のクラスメートだ。別に友人の見舞いに来ることになんの問題もない。
北条宅の呼び鈴を鳴らして待つ。
すぐに出てこないのでもう一度押すと、怒号が辺り一帯に鳴り響いた。
「沙都子ぉぉぉ!! このダラズがぁぁ!! いるなら早く出んかい!!」
どたばたと玄関の戸越しに沙都子のシルエットが映る。
がらりと引き戸が開き、酷く慌てた様子の沙都子が現れた。
「沙都子」
「る、ルルーシュさん……それに皆さん……。どうかしまして?」
「どうかしたどころじゃない。お前、俺たちをどれだけ心配させているか分かっていないだろう」
沙都子は表情を暗くしてすっと顔を背けた。
「何のことですの。私は別に……」
「そんなつもりはないと? だが現に俺たちはお前のことを心配してここまで来ているんだ」
「わ、私は別に皆さんに心配されるようなことは何もしていませんわ……」
「嘘だな。お前は今の自分を鏡で見たことがあるか?」
首を横に振って沙都子の言葉を否定する。沙都子はきょとんとして顔を上げた。
「分からないのか。今のお前は”如何にも絶望の真っ只中です”ってそんな顔をしているんだよ」
「そんなこと……ありませんわ……」
沙都子の表情が一層曇った。
言葉では否定しているが、その顔を見れば俺でなくても嘘だと容易に分かるだろう。
「帰ろう沙都子。お前の居場所はこんな場所じゃないだろう? お前は戻ってきた叔父にいじめられても、助けを求めないことを試練だと思っているようだが、それは大きな間違いだ。そんなことをいくらしても悟史は戻って来ない」
「戻ってきますわ!」
俺の言い方が悪かったのか、沙都子は俺をキッと睨みつけて叫んだ。
「戻ってくるもん! ルルーシュさん……貴方に何が分かりまして?! 私のことを何も知らないくせに! 帰ってくださいまし! 帰れぇぇぇッッッ!」
「っ……!」
俺は沙都子に突き飛ばされ、体勢を崩して仰向けに玄関口から外に押し出された。ぴしゃりと玄関の引き戸が勢いよく閉じる音がした。
***
地面に倒れた俺を魅音とレナが心配そうに覗き込んで来る。
「大丈夫、ルル?」
「ルルーシュくん平気?」
「あ、ああ……」
だが子供とは思えないほどの力だったな、あいつ……。
辛うじて魅音たちに身体を支えられて大事には至らなかったが、あのままだったら間違いなく頭を打って昏倒していただろう。
「今の沙都子……決して普通の状態ではなかった……」
「そうだね、いつもの沙都子ちゃんだったらあんな風に人が怪我をするような真似は絶対しない」
「もう沙都子の心は限界なんだよ……」
レナが真顔で言い、それに続く形で魅音も呟くように言葉を溢した。
……読みが甘かった。
事情を聞かされてある程度分かった気になっていたが、沙都子の問題はすでに悠長なことを言ってられる場合じゃない。
使わなければ……アレを。仲間を助けるために。
それが最善、俺が取れる一番まともな選択肢なのだから。
「……お前らはここで待っていろ。俺は少し沙都子の叔父と話をしてくる」
「え? 何するつもりなの?」
「大丈夫だ、別に彼を刺激するようなことは言わない」
魅音に訊ねられ、俺は冷静に答える。レナがその脇から口を挟んだ。
「じゃあレナも行く」
「駄目だ、行くのは俺一人だ」
レナの言葉を切り捨て、俺は首を横に振った。ギアスを使っているところは見られたくないからだ。
そう、今から俺はギアスを使って沙都子の叔父――北条鉄平を殺害する。
証拠は残るはずもない。まして俺が殺したなど誰も思わない。
なぜなら鉄平は俺が死ねと命じただけで勝手に死ぬのだから。
この村でなら何人殺そうがオヤシロさまの祟りとして処理されるだろう。ギアスの使用において、まさにうってつけの場所だった。
「……では行ってくる。着いてくるなよ」
***
俺は玄関を睨みつけることで鉄平を殺す覚悟を決めると、背後を振り返ってレナたちを一瞥する。
彼女らは心配そうな表情を浮かべて俺の動きを見守っていた。
着いてくる様子は一遍も見られない。
よかった、万が一にもこいつらをギアスの巻き添えにはしたくないからな。
俺は玄関の引き戸を開ける。からりと引き戸の開く音が鳴った。
その音を聞き取ったのか、玄関先に鉄平らしき男が現れた。
「ああん? なんね、お前?」
「ああ、貴方が沙都子の……」
さて、この男にはどんな末路がお似合いだろうか。
綿流しの祭当日に自殺というのも一興かと思うが沙都子の安否を考えるとそれまでは待てないな。
となればそうだな、失踪した後のたれ死ねとでも命令を……――――っ?!
俺は鉄平と思われる男の顔を見て驚愕する。
なんと目の前にいるその男は、昨日俺が東京租界で肩をぶつけたゴロツキだった。
そんな、そんな馬鹿なことがあってたまるか……。
「ん、あんた……わしとどこかで会わんかったかいの?」
鉄平が俺の顔を眺めて不思議そうに首を傾げる。
「いえ……ないと、思いますが……」
苦し紛れにそう答えるしかなかった。
鉄平は記憶を探りながらこちらをまじまじと観察していた。
この様子だと俺のことはほとんど覚えていないようだ。それも当然か、ギアスの支配下に置かれた人間は前後の記憶を無くすようだから……。
だがそんなことには何の意味もない。
何故なら同じ人物にギアスは二度効かない。これでは鉄平を排除することが出来ないのだ。
どうすればいい……。どうすれば沙都子を助けることが出来る……?
気持ちばかりが逸り、思考がうまく纏まらない。
俺の内心の動揺を知ってか知らずか鉄平が怪訝な顔をして訊ねてきた。
「……んで、うちに何の用があるっちゅうんね」
仕方ない……ここは一旦退こう。このまま留まっても何も出来ることはない。ただ悪戯に鉄平を刺激するだけだ。
「いえ、何でもありません……」
軽く会釈すると踵を返して北条家を後にした。
***
北条家のから少し離れたところで皆と合流した。
「ルル! 叔父はどうなったの?!」
魅音が酷く慌てた様子で聞いてくる。
俺は彼女の顔をまっすぐと見れなかった。目を逸らしたまま淡々と答えた。
「なんもしないさ。叔父と少し話をして終わった。状況はなんも変わっちゃいない……」
変えられなかったのは……俺が無駄にギアスを使ったせいだ。何故俺は昨日、東京租界で鉄平相手にギアスを使ってしまったのか。
ゴロツキをあしらう方法ならいくらでもあったはずなのに……。後悔の念が募る。
俺は頭を下げ、魅音・レナ・梨花にポツリと呟くように謝った。
「皆、すまん……」
「そんなのルルーシュくんが謝ることじゃないよ」
「だがレナ、俺は……」
自分の馬鹿さ加減が許せそうにない。
「ううん、レナの言う通りだよ」
うな垂れる俺の肩に手を置く魅音。彼女は俺が顔を上げると、微笑を浮かべながら首を横に振っていた。
「私はむしろホッとしているんだよ、ルル」
「何だと? それはどういう意味だ?」
俺は妙なことを口走った魅音に先を促す。
「恥ずかしい話さ、さっきのルルを見て……私、あんたが沙都子の叔父を殺しちゃうんじゃないかって思ったんだよ」
「なっ……」
魅音の言葉に動揺して心臓が跳ねる。
まさかギアスの存在までは知られてはいないと思うが、流石魅音といったところか。
魅音の洞察眼に対して驚きの声を上げると、何を勘違いしたのか魅音は謝罪の言葉を口にした。
「ああ、ごめんごめん! ルルはそんな直情的に動かないよね!」
魅音はギアス能力を知らない。とすれば、魅音は俺が自ら手を汚して鉄平を殺害するんじゃないかと思ったわけか。
俺はそれを踏まえて魅音へ言葉を返した。
「当たり前だろう。この俺がそんな愚かな真似をするわけがない」
仮にそうしたとしても、俺では返り討ちに遭うのが目に見えてる。勝てない戦はしないのが俺の主義だからそれは絶対にあり得ない。
「そうだよね。もしやるにしてもルルなら完全密室殺人とか考えそうだし」
魅音は微笑んだまま舌をぺロッと出す。
「はっ……まさか。密室殺人などミステリー小説の中の話だ。あれは娯楽であり、解かれることが前提条件としてあるものだろう。実際にやる馬鹿がどこにいる」
俺の言い様が面白かったのか魅音が吹き出した。
「あはは、やっといつものルルに戻ったね!」
「……なに?」
意図が分からず聞き返すと、魅音は真顔になって答えた。
「余裕のないルルなんて嘘だよ。そうやって大物振ってるほうが似合ってる」
「魅音……」
そうか、魅音は俺を元気付けようとしていたのか……。
俺は苦笑混じりに魅音と顔を見合わせた。
「……そうなのです、ルルーシュ。貴方には僕に希望を見せびらかした責任がある。こんなことぐらいで挫けるなんて許さない」
今まで傍観するだけだった梨花が初めて口を開く。
そして歌うように続けた。
「だから、貴方はいつも通りの貴方でいてください。いつも通りの……自信たっぷりで皮肉屋のリアリストな貴方で」
ふっ……ひどい言われようだな。
「でも本当は他人のために優しくなれる理想主義者。それがルルーシュくんなんだよ」
レナが言葉を付け加える。
理想主義者云々というのは気に入らないが、レナたちの励ましは嬉しかった。少し心が楽になったようだ。
ならば、俺もその気持ちに応えねばならないな。
「そうだな、落ち込んでばかりはいられない。沙都子の説得は後回しにして次の手を考えるとしよう」
その場にいる皆が一様に頷いた。
***
北条宅からの帰り道、俺はそのまま皆を自宅に招き入れた。沙都子を助けるべく、皆で話し合いをするためだ。
ナナリーは風邪のため二階の自室で寝込んでいるので、話し合いは一階のリビングで行われた。
様々な意見が飛び交う中、俺は皆の意見を拾い集め、次なる手を考えてゆく。
ところが思いつく策は途中で手詰まりするものばかりで、とてもじゃないが沙都子を救い出すことは叶わない代物だった。
故に、結局俺が至った解決策は至極シンプルなものとなった。
「――やはり、元を断つしかないな……」
「ルルーシュくん、それってどういうこと?」
レナが不思議そうに訊ねてくるが、俺はそれに構わず魅音に視線を向けた。
「正直に言おう。沙都子の問題を面倒にしている一番の原因は魅音、お前の家だ」
「え……?」
魅音が顔を引きつらせる。どうやら少しは自覚があったらしいな。
皆を見渡してから俺は続けた。
「沙都子の問題は元を辿れば、過去の雛見沢サクラダイト発掘における北条家と園崎家の確執に繋がっている。北条家の村八分……それを取り除きさえすれば沙都子を救い出すことが出来るはずだ。違うか?」
魅音が俯きながら言葉を零した。
「無理だと思うよ……。私の家が原因なのは認めるけど、他の手を考えたほうがいい……」
「それは何故だ?」
「口で言うほど沙都子に対しての村人の差別は浅くないんだよ」
魅音の代わりにレナがその先を続ける。
「たしかに、村の皆の心を変えることが出来れば話は簡単だよね。けど、彼らはお互い疑心暗鬼になっているの。沙都子ちゃんへの差別をやめたら今度は自分が村八分の対象になるんじゃないかって……」
「ふん、なんだそういうわけか。そんなことは百も承知だ」
そう俺が答えると、今度は梨花が口を開いた。
「だったら分かるでしょう? 村の皆の心を変えたいのなら村の人口2000人あまりを全て説得して回るしか手がないのです。それも、沙都子の心が壊れるまでに……」
皆が押し黙り、沈黙がリビングを支配する。
そんな重苦しい空気の中、静寂を破るよう俺は不敵に笑った。
「村人2000人? 馬鹿を言うな。誰がそんな非効率な方法を取ると言った?」
「ルルーシュ、それはどういうことなのです?」
「分からないか? 俺たちが説得する相手は一人でいいんだ」
「ま、まさか……?!」
梨花が俺の意図を読み取り、驚愕の声を上げる。
「そうだ、俺たちの相手はただ一人。魅音の祖母であり、この雛見沢の支配者――園崎お魎だ」
「「え~っっっ!!」」
リビングから二階に居るナナリーへと届かんばかりの声が響き渡った。
――タイムリミット;オヤシロさまの祟りまで後4日。