ハンター協会は本気で頭がおかしいと思った。
「ただの定食屋だよね」
「それ以外に見えるなら、眼科に行った方がいいな」
アゼリアの言葉にも、その通りだと頷いてしまう。
飯所「ごはん」
前の世界でも一部では有名な定食屋の前に、私はいた。
実際に見てみると……凄いよね。
まず、この定食屋から地下百階まで、わざわざエレベーターを作ったわけでしょ?
地下道は、流石にもともとあったものだと思うけど……なんの用途に使われていたんだろう。薄暗いし、配管とかはむき出しだし……通行用とは思えない。けど、下水用だとしたら、地下道の突き当たりがヌメーレ湿原に出る階段というのも変な話だし……
物資の運搬? あー、でも階段じゃ車とかで行くことも出来ないし……
昔この辺の領主が戦時の抜け道として作った、なんて理由が一番納得できる気がしてきた。
……こんな仕掛けを、わざわざ毎回やってるのだとしたら……頑張りすぎでしょ、ハンター協会。
と、そんな呆れきった考えをしていたら、いつの間にか案内人の凶狸狐たちは「ごはん」の中に入っていた。
慌てて私も入る。
「ご注文は?」
「ステーキ定食」
店主がぴくりと反応したのがよく判った。
「焼き方は?」
「弱火でじっくり」
「あいよー」
「お客さん、奥の部屋にどうぞー」
有名シーンキタ―!!
数多の並行世界で描かれてきた超有名シーン。
それが見れた感動で、私は凶狸狐が去り際に残した言葉も、クラピカとレオリオがゴン相手にハンターの魅力を語り聞かせている様子も聞き逃していた。
ちなみにステーキは美味しかった。
チン、と音を立てて地下百階にエレベーターが止まる。
「着いたらしいな……」
「話の続きは後だ!」
激論を一時止めて、試験会場へと乗り込もうとする私たち。
だが、エレベーターが開いた瞬間入り込む、冷やりとする張りつめた静寂。
港などにいたハンター試験志望者たちとはまるで違う威圧感。紛れもなく、ここまでの審査で選ばれた達人たちであることが判った。
「ほう……」
一人だけ余裕そうだったけど。
まあ、経験が違うのだから仕方が無い。
「それにしても、薄暗いところだな……」
「地下道みたいだね。一体何人くらいいるんだろうね」
「君たちで四百七人目だよ」
ゴンのあげた疑問に答える声。
出たな、新人潰し……!!
「よっ、俺はトンパ。よろしく」
トンパは、見たところ本当にただのおっさんだった。
けど、こんなメタボの心配をした方がよさそうなおっさんでも毎回試験上位に残るだけの実力者なのだから、この世界は本当に面白い。
と、そんなことを考えていたら、マーメンがやってきてプレートを渡してくれた。
うわー、本物のマーメンだ。ちっちゃー。
生命の神秘を感じそうなその姿に感動を覚える。
そうしているうちに、トンパによる実力者紹介は終わっていた。
と、いうことはこの次は……!?
「ぎゃあぁああああああああああああああああッ!!!」
ついに。
「アーラ、不思議❤ 腕が消えちゃった♠」
ついに……!!
「気をつけようね♦ 人にぶつかったら謝らなくちゃ♣」
ついにこの時がッ!!!!
「チッ、また危ない奴が今年も―――」
「ヒソカキタアアアァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
―――キタァァァーーーーーーーーー
―――キタァーーーー
―――キタァーー
地下道に木霊し響き渡る叫び声。
その場にいた全受験生の注目を―――かの道化師本人すら意表を突かれたようなきょとんとした顔で見てきた―――集めてしまったことに気づき、正気に戻った。
「な、なーんて……あは、あははははは……」
「あ、ほ、か、オマエはァァァァァァッ!!」
スパーンッ! とこれまた良い音立てて、アゼリアの張り手の音が響き渡った。
痛っ、超痛い!! アゼリア、今かなり本気で叩いてきた!!
グッと私の首に腕を回すと、アゼリアは耳元に口を寄せて小声で囁いてきた。
「あんな見るからに不気味で不吉なオーラを出してる奴に、わざわざ目に付けられるようなことするなんて……!! キミは本当に自殺志願でもあるのか!?」
「い、いやぁ……そんなつもりは……」
「だったら、大人しくしていろ!! 目立つな、騒ぐな、暴走するな! いいか!?」
「ら、らじゃー!!」
コクコクと頷くと、アゼリアは疑わしそうにしながらもようやく腕を離してくれた。
怪訝な眼を向けてくるゴンたちに、笑顔で「なんでもない」と伝える。
ひとまず場が収まったことを確かめて、そっとヒソカのいた方を見る。
―――あ、眼が合った……!!
ヒソカはチェシャ猫のような笑みを浮かべて、こちらを不気味な視線で舐め回した。
慌てて視線を外す。心臓は今の一瞬だけでもドキドキとしていた。
ああ、やっぱりかっこいい……!
アゼリアにはああ言ったけど、折角のチャンスを逃すなんてあり得ない。
なんとしても、この試験中にヒソカと親密にならなくては。
ならば、まずは興味を持ってもらうこと……
そんな考えを纏めている中。
一次試験の開始を告げるベルが鳴り響いたのだった。
ああ、件のトンパジュース?
記念に貰っておきましたよ。
心臓が飛び出るかと思った。
唐突に地下道に木霊した熱狂的な叫び声の出元は私のすぐ隣にいる少女で、熱のこもった視線をちらちらと例の男に向けている。
トンパ曰く、ヒソカ。
去年、合格確実と謳われながら、気に入らない試験管を半殺しにして不合格となった男。
地下道に降り立った時、なかなかにいいオーラを出す者たちがいたことに感嘆の溜息が洩れた。
流石はハンター試験、と賞賛の念を覚えたものだ。
だが、奴が目に入った瞬間。そんなことは考えられなくなった。
立ち上る邪悪なオーラ。強大で、不吉で、背筋が寒くなるほどの出鱈目さ。
一目で彼我の実力差が判ってしまった。
そういえば、ヒソカというのはハルカがよく口にしていた名前だったか。
幻影旅団に属する奇術師。変態ピエロにして戦闘狂。
成程。実際に目にするのは初めてだが、噂に聞く幻影旅団というのもあのオーラを見れば納得だ。
極力関わるべきではない。死神を自分から誘いこむようなものだ。
そう思っていたのに、ハルカがいきなり叫ぶのだから……
とりあえず、殴っておいた。加えて説教も。
ハルカを野放しにしておくと、私まで被害を被りそうだ……
だが、いくら口で言っても本当に理解しているとは思えない。
私が目を光らせているしかないか……と考えて、ひとまず腕を離した。
「なんていうか……す、すごい娘さんだな」
「私も頭が痛い」
人の好さそうな笑顔を浮かべたトンパが、その顔を僅かに引き攣らせてやってきた。
その気持ち、痛いほどよく判る……
「ま、とりあえずアンタもどうだい? お近づきのしるしだ。互いの健闘を祈って乾杯しよう」
「ふむ、それでは戴くかな」
ジュースをハルカの分と私の分、二本をもらい、ハルカに渡そうとした。
ハルカは熱っぽい顔をして、先ほどヒソカがいた方向を見つめている。
―――こいつ、判ってないな……
「ハルカ、私の言ったことを聞いていたか?」
「うん」
「トンパさんがジュースをくれたんだが、貰うか?」
「うん」
「……君の部屋にあるPC壊してもいいか?」
「うん」
これはダメだ、と首を振らざるを得なかった。
ジュースの一本を押しつけて、ゴンたちの元に戻る。
ちょうどゴンたちはカンを開けて飲むところだった。
だが、ゴンは一口含んだ瞬間にそれを吐きだした。
「トンパさん、このジュース古くなってるよ! 味が変!!」
「え!? あ、あれ? おかしいな~?」
笑いを引き攣らせるトンパ。
その顔には僅かに、「何故判った」と言いたげな様子が滲んでいる。
ああ、つまりは毒か……
ハンター試験。内にも外にも曲者揃い。苦労しそうだ……
そう考えたとき、一次試験の開始を告げる音がした。
髭がダンディな紳士が現れて、一次試験の開始を宣言。
参加者は406名。ヒソカに腕を切り落とされた一人の受験生を除いた全員が参加した。
一次試験の内容、それは二次試験会場まで試験官についていくこと。さしずめ持久力と精神力のテストと言ったところか。
どの程度走るのかは判らないが……ハルカは大丈夫だろうか?
以前に比べれば大分体力がついたが、まだ100kmくらいしか走らせたことはない。
それ以上を走るのならば、私がフォローする必要もあるだろうか……?
「おい、ガキ、汚ねーぞ! そりゃ反則じゃねーか、オイ!!」
「なんで?」
「なんでってオマ……これは持久力の試験なんだぞ!?」
「違うよ。試験官はついてこいって言っただけだもんね」
「ゴン!! てめ、どっちの味方だ!!」
「怒鳴るな。体力を消耗するぞ。何よりまず五月蠅い。テストは原則として持ち込み自由なのだよ」
「そうそう、クラピカの言う通り」
「てめ、ハルカ!! お前までそんなものを……!!」
どうやらその心配はなさそうだった。
レオリオがスケートボードに乗った銀髪の少年に対して噛みついている横で、ハルカは何時の間に履いたのかローラーブレードで走っていた。
同い年くらいのゴンに興味を持ったのか、キルアと名乗った少年はゴンと一緒に走ることにしたようだった。
レオリオの年齢を聞き、騒ぎだす二人。ついでにハルカが十六歳だと知って、これまた驚くキルア少年。
とりあえず、レオリオが十代というのは私も嘘だと思った。
試験開始から既に八十キロほどは走っただろうか。
受験生たちの集団の半ば程度を走っていた私に追いついたレオリオは、上半身はネクタイだけという露出狂一歩手前の姿で走り続けている。
息は荒く、顔は限界の一歩手前であることを訴える。だが彼は根性で試験に耐えていた。
ハンターになりたいと思う者たちの動機は様々だ。
私のように復讐のための手段として求める者。ゴンのような好奇心。あるいは何かを追い求めたいと考える者。
レオリオは船の上で志望動機は金だと語っていた。だが本当にそれだけの理由だろうか。
彼の言動を見る限り、確かに彼は軽薄だ。頭も悪いし、感情的な面もある。
だが決して底が浅い人物とは思えない。金儲けが生き甲斐の人間は何人も見てきたが、そいつらにはない芯をレオリオには感じる。
ハンターになることを求める彼の思いは本物だ。だからこそ、その動機が何なのか気になる。
気がついたら私はその疑問を口にしていた。
だがそれに対するレオリオの答えはやはり金だった。
「ウソをつくな! 本当にこの世の全てが金で買えるとでも思っているのか!?」
「買えるさ! 物はもちろん、夢も心もな! 人の命だって金次第だ!! 買えないモンなんか何もねぇ!!」
吐き捨てるように断言するレオリオ。
その言葉は到底許容できるものではなかった。
人の命が金次第、だと……!?
どんな大金を積もうとも、私の同胞は一人として帰ってこないというのに……!!
「許さんぞレオリオ!! 撤回しろ!!」
「何故だ!? 事実だぜ!! 金がありゃ俺の友達は死ななかった!!」
ハッとした。
言うつもりはなかったと、速度を上げたレオリオの後ろ姿が言っている。
「……病気か?」
「……決して治らない病気じゃなかった!! 問題は、法外な手術代さ!!」
その叫びは心の底の泥を吐きだすようで、強く心に響く。
「俺は単純だからな! 医者になろうと思ったぜ!! 友達と同じ病気の子供を治して、『金なんかいらねぇ』ってその子の親に言ってやるのが俺の夢だった!!」
その言葉には、彼が世界は金が全てではないと証明したがっている、そんな思いが籠められていて。
「笑い話だぜ……!! そんな医者になるためには、さらに見たこともねぇ大金がいるそうだ!! 判ったか!? 金、金、金だ!! 俺は金が欲しいんだよ!!」
照れ隠しか、振り向くことなく走る彼の背中を見て、私はつい口元が緩むのを抑えられなかった。
ああ、やはり彼は気持ちのいい人物のようだ。久々に清々しい気分にさせてもらった。
「どうしたんだ、クラピカ。やけに嬉しそうだな」
「ん……ああ、お帰り、アゼリア」
ローラーブレードで走っていたはいいが、階段に差し掛かり逆にそれが邪魔になったハルカのところへ行っていたアゼリアが戻ってきた。
その手にはハルカの持っていたヴァイオリンケースもある。おそらくあの中にローラーブレードも入っているのだろう。
しかし、私はそんなに嬉しそうだったか。
そういえば、アゼリアの志望動機は結局聞けていなかったな……
こうしているとまるで自分が詮索好きの人間みたいだが、ことのついでに聞いてしまおうか。
「そういえば、アゼリアは何故ハンターになりたいんだ?」
「……私か?」
唐突な問いかけに少し驚き、考えこんだ。
もしかして聞いてはいけない質問だったのだろうか……?
「もちろん、無理に聞こうだなんて思っていない。もしも話しづらいことならば、話さなくとも……」
人には話したくないことの一つや二つ、誰にでもある。
そんなことを無理に聞き出そうだなんて無礼な真似をするつもりはない。
だがアゼリアは少し考え込んだ後、意を決したように語りだした。
それは彼女の物語だった。
本心を語った気恥かしさで振り向くことなく走っていると、背後からアゼリアの語る声が聞こえてきた。
視線を向けることなく聞き耳を立てる。
訥々と語る彼女の声は、何百人もの人間の荒い息と足音が響く地下道の中でもよく聞こえた。
「私は、別にハンターになりたいわけではないんだ。はっきり言ってハンター試験など受けなくても構わない。私が受験した理由といえば……まぁ、ハルカの付き添いだな」
その言葉は俺には意外なものだった。
ハンター試験は命すら落としかねない危険なもの。試験官もあらかじめそのように念を押していた筈だ。
それをただの付き添いとして受けにくる?
よほど自分の実力に自信がなければ出来ないことだろ。それとも二人はそんな深い仲なのか?
「君にとって、ハルカは何だ?」
「……初めて会った時は、不審者だった。帰ってきたら私の部屋に彼女がいて、訳のわからないことを言い続けていた。ある意味では監視のために手元に置いていたんだ。だが、いつの間にか捨てられない存在になった。情が移ったというのかな……?」
ふぅ、とアゼリアは一息ついた。
語るべき言葉を選んでいるようで、クラピカも言葉を差し挟むことが出来ない様だった。
憂いの込められた声が響く。
「ハルカはね、私の妹にそっくりなんだ。瓜二つと言っていい。だから私は彼女から離れられなくなってしまった」
「妹さんは……」
「いや、まだ生きている。あくまで、まだ、というだけだが……」
振り向かなくとも、その時の彼女の表情が判る気がした。
それほどまでに、アゼリアの声は疲れていた。
「十年前から植物状態だ。おまけに、三年前から大病を患っている。治療にかかる金は……莫大だ。私はずっとその金を稼ぐために働いてきた。求めるものが何かと言われれば……金だな」
俺は、何も言うことが出来ない。
口にする言葉が、俺に無力感を突きつけると判ってしまうから。
だって―――
それはまさに……
俺の救いたい人たちそのものじゃないか……
「私はあの子を助けたい。そのためには全てを投げ出してもいい。それが私の生きる理由だ」
決意の込められた、しかし酷く疲れたその声を聞いて。
俺が悪いわけではないのに……聞くだけ辛くなると判っているのに……今はまだ何も出来ない自分が苛立たしくて。
何かを言わなければいけない気がして、俺は気がついたら問うていた。
「なぁ、その……妹さんの病気は、治せるのか?」
俺が聞き耳を立てていることくらい気付いていたのだろう。
アゼリアは特に驚く様子もなく答えた。
「金さえあれば、な。症例は少ないが……治療法はある。知っているかは判らないが、病名は―――」
一拍を置いて。
彼女は長年苦しんできたその病の名を口にした。
頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
ある意味、俺はその答えを予測していたのかもしれない。まさか、と……そう思っていた。
動揺はあまりに大きくて。
それが顔に出ていたのだろう。
余計な心配をかけたとでも思ったのか、アゼリアは困った顔をして、速度を上げた。
「……らしくもない。余計なことを話しすぎたな。すまないが、少し先に行かせてもらう」
階段を数段飛ばしで駆けあがっていくアゼリア。
その背中を黙って見送る。
かける言葉が、見つからない。
「……」
クラピカもまた無言。
頭のいいあいつのことだから、俺の願いを聞いた後では、余計なものを溜めこんじまっているのだろう。
だが、今はそれがありがたい。
先ほど彼女が口にした病名を繰り返す。
それは……
それは…………
―――俺の友人と同じ病気だ……
〈後書き〉
レオリオ中心の話が原作で書かれないかなー、と思っているけど、多分ない気がします。。
彼は他の主人公たちの話を横でそっと支えてくれる兄貴分でいるのが一番なんでしょう。
さて、一応ハンター試験編に入りました。
ヨークシン編がメインな予定なので、ここはまだ通過点。
そろそろヒソカを動かすか……
そしてレオリオフラグが少し立ちました。