到着予定の八時はすでに過ぎている。
窓からは樹海や朝日に照らされた山裾が見え、しかしその情報から目的地を推測することは出来ない。
まぁ、到着すれば判ることだ。他の受験生もそこらに見えることだし、連絡を聞き逃したということはあるまい。
そう考えて、クラピカは姿勢を正した。
とりあえず隣で寝ているレオリオを起こそうとする。
「―――なんだ、起きてたのか?」
「……眠れねぇ」
「何があった?」
レオリオは眼をパッチリと開けていた。眼の下には隈が出来ている。
まさか一睡もしていないのだろうか。昨日は疲労困憊という様子だった筈だが……
クラピカの質問にもレオリオは答えず、遠くを見つめて悩ましげに溜息を吐いた。
「……なぁ、クラピカよ」
「なんだ?」
「空はどうして青いんだろうな……?」
「……知るか」
冷たく突っ返すが、レオリオは堪えた様子もなく遠い目をしている。
……ダメだこれは。
何があったかは知らないが、完全に心ここに在らず。
レオリオはしばらく戻ってきそうにない。他の誰かが来てくれればいいんだが……
「アゼリアやハルカはどこにいったんだ?」
ゴン、と音がした。
レオリオが突っ伏して、頭で床を叩いていた。
「……レオリオ?」
「べ、べ、別に、あ、あいつとは何も……ッ!!」
「落ち着け」
……怪しい。
挙動がとにかく不審だ。
レオリオは今も、誰にともなく喋り続けている。
慌てて何かを否定したかと思うと、ごにょごにょと口の中で何かを呟き、「参ったな」と頭を掻くと、口元をニヤつかせながら唇を手でなぞる。
……キモい。そして怪しすぎる。
クラピカはレオリオとは違う思いで遠くを見た。
頼む、誰か来てくれ……
「おや、二人ともおはよう」
その祈りが通じたのか。
通路の向こうから、アゼリアがやってきた。
「おはよう。そしてちょうどいい所に来た。レオリオをどうにかしてくれ。様子が変なんだ」
「……レオリオが?」
アゼリアはレオリオを見た。
レオリオは自分の世界に入っているようで、アゼリアが来たことに気付いていない。
未だに、傍から見れば滑稽な一人芝居を続けている。
「……なるほど」
状況は判った、とアゼリアは頷いた。
レオリオの目の前に行き、その顔を覗きこむ。
するとレオリオの眼がはっきりとその姿を映した。
驚きに見開かれる。
「やあ、レオリオ」
「あ、アゼ、アゼリ……」
「うん、ちょっと動かないでくれ」
ゆっくりと近づけられるアゼリアの顔。
レオリオは慌てふためき、顔を真赤にし、何を思ったのか眼を閉じる。
そして唇を突き出した。
―――コツン
だが、レオリオの唇は間抜けに突き出されたままで。
アゼリアは自分の額をレオリオの額に押し当てていた。
「ふむ、やはり少し熱があるようだな。あのあとすぐに寝なかったのか? 体調を崩したら大変だぞ?」
「……お、おお」
「待ってろ、今温かいものでも貰ってくる」
そう言って、アゼリアは踵を返した。
レオリオは、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていた。
突き出された唇が哀愁を誘った。
……アゼリアと何かがあったのかと思ったが、そうでもないようだ。
アゼリアはいつもどおり平然としていたのだし……
そんな風に考えていると、レオリオは再び遠い目をした。
窓の外を眺め、言う。
「なぁ、クラピカよ」
「なんだ?」
「愛って、なんだろうな……?」
「……自分で考えろ」
クラピカはそっけなく返した。
レオリオは飛行船が着陸するまで、ぶつぶつと考え込んでいた。
飛行船が着陸したのは、異様に高く広い塔の上だった。
そこには誰もいないし、何もない。吹きすさぶ風が体温を奪うだけ。
ぞろぞろと降りてきた受験生たちは、誰もが首をかしげた。ここで何をさせるつもりなのか、と。
そしてその疑問に応えるように、マーメンが説明した。
―――生きて下まで降りてくること。制限時間は七十二時間。
その最低限の説明だけを残し、飛行船は飛び立っていった。
ここはトリックタワー。残された受験生は四十二名。
三次試験が始まる。
NO86の筋骨隆々の男が外壁を伝って降り、怪鳥によって無残に食い散らかされたのはつい先程の出来事だ。
外壁を伝うルートは不可能。となると、塔の内部を通って下るのか。
どこかに下へ向かう扉があるハズだ。
そう考えた受験生たちは、各々隠し扉を探し始めた。
アゼリアもまた、他の受験生たちと同様に隠し扉を探していた。
コツコツと足音を立てて歩を進め、足の裏で厚みを測る。
隠し扉があるということは、その下は空洞となっている筈だ。
その違いを見極める。
無論、「円」を使えばすぐに判る話なのだが、それでどこかの道化を興奮させてはたまらない。
別に難しい話でもないのだから、この程度は念無しでも乗り切れる。
そう考えていると、ハルカの姿が目に入った。
思い悩んだように、壁面から身を乗り出して塔の下を覗き込んでいる。
その姿からなんとなく嫌な感じを受けて、アゼリアは彼女に近づいて行った。
「……ねえ、アゼリア」
「なんだ?」
「高いわね、ここ……落ちたら死ぬと思う?」
「普通は死ぬだろうな」
「だよね……」
ぼんやりとハルカは言葉を紡ぐが、心ここにあらずといった様子だった。
本当に聞きたいことは、本当に言いたいことは他にあるのだろう。
だが、それをどう言葉にしたらいいのか判らない。そんな様子だった。
「……私ね、彼が死ぬって判ってたの」
「彼?」
「さっき塔を降りて行って、怪鳥に食べられた人」
「……」
「けどね、何もしなかった。していいのか、判らなかった。背負い込みたくなかったから……」
ハルカの言っていることは、アゼリアにはよく判らなかった。
大きな悩みを抱えている。そう思う。
だけど、それが何なのか判らない。
「もしも、彼が死ななくて……彼が、死ななかった筈の人を殺したら、それは私の責任なのかな?」
「……どういうことだ?」
「二次試験の時、ヒソカに殺された男……トードーっていうんだけど、彼、本当はここで死ぬ運命にはなかったの」
「……それで?」
「死なないはずの人間が、死んだ。その原因が自分にあるなら……それって、殺したってことじゃない?」
アゼリアは考え込んだ。ハルカが痛切に悩んでいると、彼女の様子から感じ取っていた。
トードーが死んだのは、自分が原因……そうハルカは考えている。
アゼリアには、ハルカが何故自分のせいと考えているのかは判らない。トードーがあそこで死ぬ運命に無かったというのも、どういうことか判らない。
けれど、それが実際にハルカの責任であるのか……そんなことは大した問題ではないのだろう。ただ、ハルカがそう思いこんでいるのならば、その上で真剣に答えてあげるべきだと考えた。
「君は、トードーを殺そうとしたのか?」
「違うッ!! そんなこと思ってもない……!!」
「ならば、何を悩む必要がある? 手を下したのはヒソカだし、君が何をしたわけでもないのだろう」
ハルカは心の中で呟いた。
そんなことは自分でも判っている。
自分にはそんなつもりはなかったし、それは予想できた未来でもない。
だから、自分は悪くない。
そう何度も言い聞かせてきた。
けど、それでも納得できないのだから……
「本当に……私は悪くないの?」
「それは知らない」
縋るような声音は、ぴしゃりと撥ね退けられる。
予期せぬ答えにハルカは眼を丸くした。
「罪とは罰は与えられるが、許しは与えられない。もしも君が本当にトードーの氏に罪を感じているのならば、それが消えることはないだろうさ」
たとえそれがどういう考えであれ、自分が悪いと思っているのならばそれは罪だ。少なくともその本人にとっては。
そしてその罪を消すことなど出来ない。心の中で如何に取り繕うことが出来ても。過去が変えられないのと同じように。
「だが、私は少なくとも彼の死の責任が君にあるとは思っていない。君は未来を変えてしまったと言ったが、ならば、君の変えた未来は、変わる前の未来よりも絶対に悪いものなのか?」
「そ、それは……」
ハルカは答えられない。
どちらがより良いかなど、決めることは出来ないのだから。
「答えられまい? ならば、何を落ち込む必要がある。君の行動で世界が滅ぶわけではないんだ。自分の選択に胸を張れ。その未来が決して間違いなんかではないのだと、そう言って見せろ」
アゼリアはそう言い残し、その場を足早に去った。
苛立ったように、何時になく荒い足取りで。
ハルカはその言葉を聞いて、恥じた。
どれほどこの世界を現実として認識しようとしても、尚も「ストーリー」の存在する「フィクション」という考えが抜けない自分に気付いたからだ。
そうだ。正しい選択など、きっとない。
もしも自分がハンター試験に参加しなかったとしても、回りまわってどこかで誰かが不幸になっていたかもしれない。ただ自分がそれに気付かないだけで。
それに、いつかどこかで……この選択が、誰かを幸福にするかもしれない。
この世界は、描きあげられた絵じゃない。自分の存在がその絵を壊してしまうわけでもない。
今もこの絵は描かれている最中なのだ。
そう考えると、抱えていた自責の念が少し軽くなった気がした。
自分の選択に胸を張れ、か。
そう言われると、「原作」なんて括りに囚われて、未来を知っているというメリットを活かすべく考えていた自分が、酷くちっぽけに思えた。
「原作」の世界が果たして最善の未来を紡いだのか。それは判らない。
だけど、もっと幸せな未来があるのなら……それを掴み取るべく努力をしなかった自分が、情けなかった。
「そうだね……もっと、頑張ってみるよ」
既に「原作」からは乖離が始まっているんだ。
今さら未来を知っているなんてメリットに固執することもない。
なら、自分で考えて、自分で未来を掴んでやる。
そして、自分の選択に胸を張れという先ほどの言葉を思い出して。
その言葉は忘れないようにしようと、小さく口の中で繰り返した。
ゴンとキルアの声が聞こえたのは、そのすぐ後だった。
「扉が五つ……こんなにも密集してるってのが、如何にも怪しいぜ」
「おそらくこのうちのいくつかは罠……」
「だろうな」
ゴンとキルアが言うには、扉は一度しか開かないらしい。
扉は一人一つ。全員が別々の道を進む必要がある。
それすなわち……罠にかかったとしても引き返すことは出来ないということだ。
とはいえ、この扉のいくつが罠か、そして待ち構えているものがどのようなものかも判らない。さらには他の扉を探した方が安全だという保証もないのだ。
結局、罠にかかったとしても恨みっこなしということでこれらの扉を選ぶことにした。
だが、根本的な問題が一つある。
「私たちは六人いるが……どうする?」
扉は五つしかないのだ。
誰か一人は別の道を進まなければならない。
全員が顔を見合わせた。
「……まぁ、妥当にじゃんけんで決めよーぜ」
「そうだな。これもまた恨みっこなしだ」
運も実力のうち。
そういうことだ。
「いくぞ、せーの、じゃーんけーん―――」
……で
「それじゃあ、ここで一端お別れだ」
「一・二の三で全員行こうぜ」
「地上でまた会おう」
大会の決勝でまた会おう、的なノリで彼らは一時の別れを告げている。
もっとも、この試験自体が大会のようなものだ。あながちそれで間違っていないのかもしれない。
ならば負けた私は、さしずめ予選落ちの敗残者といったところか。そんな風にアゼリアはぼんやりと考えた。
「アゼリアも、また下でね」
「扉くらいさっさと見つけてきなさいよ!! と、ツンデレ風に言っておいてあげるわ」
私の不運はこんなところでも健在なのか、最初に出した手はパー。他のみんながチョキだった。鮮やか過ぎる一発敗退だ。
心配は、ある。ハルカを一人にして大丈夫なのかという思いは強い。だが、ここは同じように別れを告げよう。自分の選択に自信を持てと私が言ったのだ。ならば彼女の選んだ道を信じようではないか。
そう考え、力強く別れを告げる。
「みんなも、下で会おう」
「おう」
「それじゃ」
「一」
「二の」
「三ッ!」
そうして、五人の姿は塔の中へと消えて行った。
風が吹き抜ける。
なんだか急に寂しくなったような気がした。
昔は一人でいることが当たり前だったのに……
「ふぬけたのか、それとも成長したのか……どちらなのかな、私は……」
答えは、出そうにない。
アゼリアは唇にそっと触れた。
そこにはまだ、昨晩の熱が残っているような気がした。
それが不快でなく、むしろ胸が温かくなる。その気持ちだけは確かだった。
「……どちらでもいいか」
今言えることは、私が変わったということだけ。
それが良いのか悪いのか、判断を下す必要などないだろう。いずれ、結果が私に降りかかるその日まで。
ブルブルと頭を振って、周囲を見渡した。
残りは……十七名。
すでに半数以上が脱出している。
急がなければならない。全員分の隠し扉があるとは限らないのだから。
「いや……扉を使わなくてもいいか?」
塔の壁面に行く。
見下ろすと、地面までの距離は……まぁ、天空闘技場よりは低い。
この程度の高さならば、問題はない。
空気があるならば、そこは私の道となる。
「……ヒソカもいないな」
念のため確認しておく。
あんな奴と関わりたくないしな……
さて、それではと念を発動して―――
「お先に」
―――塔から身を投げた。
円を描くように作られた、片側が崖に面した山道を、一台の車が走っていた。
黒塗りの、見るからに高価そうな車だ。
黒塗りの窓からは中が伺えず、如何にもその筋の人間が乗っていると看板を背負って走っているような車だった。
多くの人間は、それを見れば道を譲る。誰だって厄介事に巻き込まれたくはない。
故にその道程は、あまり広くない山道といえども楽なものだった。
運転手を務める男がどこか退屈そうにしているのも頷ける。
そんな車の対向車線を、一台の大型車が走ってきた。
危険物運搬中を示す標識を付け、タンクを背負っている。
何故こんな山道を? と思うが、運転手はすぐに考えるのを止めた。自分には関係ないことだし、今回もまた相手が道を譲るだろうと考えたからだ。
彼は何故休日返上でこんな任務を、と心の中でぼやいた。
ルームミラーで後部座席を見ると、そこにはまだ十を過ぎたかどうかというくらいの少年の姿が見える。
なんでも、組の相談役の息子らしいが……その子を港まで連れて行けと上司から命令されたのだ。体のいい子守りとも言う。
仲間たちと麻雀をする予定だったのに……こんな子守をさせられるなんて、とんだ貧乏くじだ。
はぁ、とため息を吐く。
せめてさっさと終わらせて、飲みにでも行こう。
そんな風に考えていたのだが……
「ッ!!? お、おいッ!?」
タンカーは道を譲ることなく、むしろ速度を上げてこちらに向かってくる。
中央線をまたぎ、車線を越えて、道を塞ぐように。
慌ててハンドルを切ろうとするが、気付いた時にはもう遅い。
声にならない悲鳴を上げ、二台の車は崖下へと落ちて行った。
そしてその様子を見ている二人の人影があった。
事故の起きた場所から二キロ以上離れた場所から双眼鏡を覗いている。
片方の男が双眼鏡から眼を離し、もう一人に話しかけた。
「……殺ったか?」
「あの状況だ。生きてるとは考えられんが……一応、死体を確認しなければならない。行くぞ」
「へいへい……本人と確認できればいいがな」
車を飛ばせば、十分もしないで現場まで辿り着いた。
タンカーを運転していた男は、多額の借金を背負っていた運送会社の社長だ。
返済が不可能になったから、生命保険を懸けて死んでもらうことになった。
そのついでに、事故を装って一人の少年を殺させた。
何故殺さなければならないかは知らされていない。だが、組の副首領の命令だ。下っ端の兵隊は、命令に従っていればいい。
絶対に、確実に殺せと言われていたので、念のためにタンカーにはガソリンを積んでいた。
それが引火し、車の周囲は燃え盛っていた。あと数分もしないうちに騒ぎになり、消防が到着するだろう。
「うえー、滅茶苦茶だな、こりゃ」
車の中では、明らかに少年と判る人影が炎に包まれていた。
肉の焦げる異臭が漂う。
死体など見慣れている男たちにしても、その匂いはあまり慣れるものではない。
「とりあえず、これでオッケーか? さっさと帰りてえ」
「同感だな。とりあえず、こいつが人間ならこれで生きてるなんてことはないだろうさ」
「ハッ……化け物なんかだったら、任務失敗しても許してくれらぁな」
「まぁ、問題ないだろう。騒ぎになる前に行くか……」
遠くからはサイレンの音が聞こえてくる。
長居は無用だ。二人は急いで車に乗り込むと、その場を立ち去った。
「ところでよ」
「ん?」
「さっき殺したガキ……なんで、ヴァレリーさん自ら、絶対に殺せなんて厳命下したんだろうな」
「……余計な詮索は身を滅ぼすぞ」
「まあな。だが……なんか知ってんだろ?」
ハンドルを握った男は、軽く溜息をついた。
年の離れた兄が組の上部にいるため、確かにいろいろな噂が入ってくる。
今回のことの顛末についても、聞きかじった程度の情報ならばあるが……
「な? 誰にもいわね―からさ。こっそり教えてくれよ」
本来ならば、そんな他人に話すべきことではないが……この友人は、気になったことは判るまで気がすまないのだ。
話さないとずっと騒ぎ続けるだろう。
それに、そんな性格だが口は固い。実際、話さないと言ったことは自分の中にとどめておく。
男は仕方が無い、と少しだけ話した。
「これはあくまで噂だぜ」
「おう」
「……さっき殺したガキ、あいつ、アレッサンドロさんの息子らしい」
「ハァッ!? マジかよ……随分な大物が出てきたな」
「ま、詳しいことは俺も聞いてねえからしらねーんだけどよ。今上の方はかなりやっかいなことになってるじゃねーか。きっとその関係だろうぜ」
話を聞いた男は、勘弁してくれとばかりに肩を竦めた。
上が争いを起こすと、割を食うのは下なのだ。
今回の殺しだって、もしもヴァレリーの命令で殺したことが誰かにバレたならば、上は尻尾切りに自分たちを見捨てるだろう。
いつだって損をするのはこちらだ。
二人はそう言って、揃って肩を落とした。
『―――きっとその関係だろうぜ』
通信機から聞こえてくる声に、自室でカーティスはクツクツと笑いを噛みしめた。
全てが計算通りに推移し、舞台が完全に整ったことをカーティスは確信したからだ。
サンジの子であり、ヴァレリーの異母兄弟でもあるクヌートが外出する情報を情報屋に流したのはカーティスの手の者によることだ。
この情報にヴァレリーはきっと食いつくと考えていて……事実、その通りになった。
以前カーティスがヴァレリーに招かれた際に、彼がクヌートのことを知っていることをあっさりと敵側に知らせた理由は二つある。
一つは、情報の裏付けが完全には取れなかったこと。
何せ、一大ファミリーのトップ3がこぞって秘密にしようと情報を統制しているのだ。いかに優れた情報屋であれ、そうそう真偽を確かめることは出来ない。
だが、それならば他にもやりようはある。裏付けを取りたいならば、真実を知るものに聞いてみればいい。
よってカーティスはヴァレリーの反応からその見極めをしようとしたのだ。
二つ目は、クヌートの存在を餌に使った釣りだ。
組を継ぐ権利を持つ者が二人になったとて、それだけではまだイーブン。派閥の勢力は拮抗しているし、むしろ副首領という地位を持つヴァレリーが組を継ぐ可能性の方が高いくらいだ。
ならば、その形勢を傾けるだけの状況を作らねばならない。
ヴァレリーの方から手を出したという事実さえあれば、後は自らの正当性を訴えることが出来る。
紙より薄っぺらな正義という言葉は、しかし組織というモノと絡み合った時に大きな力となるのだ。
その目論見は……成功だ。
すでにあの男たちの会話は録音してある。
後はこれをサンジたちに聞かせるだけでいい。
ヴァレリーは、相談役の息子を殺そうとした者として後ろ指を刺される。
そして自分は、辛くもその企みを阻んだ者として支持を得る。
「くっくっくっ……」
「何かありましたか、カーティスさん?」
「いえいえ……ただ、局面が私に有利になったということです」
「……? ボクの方が勝ってるように見えますけど……?」
眼前のチェス盤を眺めて、クヌートは少年らしい無邪気さで首をかしげた。
その身には傷一つない。
車に乗っていて、炎に包まれて死んだと思われたクヌートがそこにいた。
―――『悲鳴楽団』解除。
カーティスは盤面を眺めながら、遠く離れた山の中でクヌートの姿をした人形がオーラに戻るのを感じた。
『悲鳴楽団』、は念人形を作り、操作する能力だ。
外見的な精巧さ、及び動作の複雑化に伴いオーラの消費は増えるが、その気になれば百体以上の人形を同時に操ることも出来る。
そして、対象となる人物の髪の一本でもあれば、外見だけならば忠実に再現することが出来る。
その違いに気付けるものはほとんどいないだろう。今回の事の顛末に気付ける者もまた……
カーティスは酷薄そうな笑みを浮かべ、盤上の次の一手を指した。
「……あ」
「ふふふ……クヌート君、憶えておきなさい。盤上の戦いでは、相手よりもさらに先の手を読むことこそが重要なのですよ」
カーティスは得意げに嘯く。
今度は自分が攻勢に転じる番だ。
相手の撃つ手は何通りか予想出来る。だが、これからは搦め手や陰謀よりも、正面からのぶつかり合いだ。それまでに場を整えてきた自分の方に勝ちの目がある。
彼は嗤った。
心底おかしくてしょうがないという笑みだった。
「……いえ、これだとそこのナイトが落ちて、ほとんどボクの勝ちです」
「はははははははっ…………は?」
多数決の道……そこでは行く先々での選択を全て多数決で決定しなければならない。
不和と決裂。合理的に見せかけた少数者意見抹殺のこの仕組みに飲み込まれては、その先にゴールはない。難易度の高いコースだ。
だがハルカたちは現在のところ特に争いもなく道を進んでいた。多少なりとも気心の知れた間柄、数年来の知り合いというわけではないが、互いの信用は築けている。
そして、底の見えない深い堀に囲まれた闘技場のような場所に出た。
対岸には、ローブを被り手錠を嵌めた男たち。
「我々は審査委員会に雇われた試練官である!! ここでお前たちは我々五人と闘わなければならない!!」
手錠を外された一人の男が言う。
彼らと闘い、勝たねば先に進むことはできないのだ、と。
「それではこの勝負を受けるか否か!! 採決されよ!! 受けるなら○を、受けないなら×を押されよ!!」
無論、五人に迷いはない。
全員が○を押し、試練官との戦いが行われることになった。
敵の一番手は、ただ一人ローブを脱いだ男、ベンドット。
鍛え上げられた肉体と頭に残された傷痕が、彼が決して素人ではないと物語る。
ならば、こちらは誰が一番手として行くか……
「それじゃ、私行くわ」
「ハァッ!?」
あっさりと手を上げたハルカに、レオリオが素頓狂な声を上げた。
「な、なによ。悪い?」
「おま、悪いも何も……本気か?」
「もちのろんよ」
ハルカは当然だと頷いた。
トンパの代わりに自分がいるならば、ここは自分が一番手として出るのが良い。
負けたところで最終的には何とかなるのだし、他の組み合わせになったときに必ずしも全員が無事とは限らないからだ。
というよりも、ここでキルアが下手にやる気を出して一番手として出たとき、五番手で出てくるジョネスに対抗できる人間が多分いない。
ゴンやクラピカとて現在では真っ向勝負は厳しいだろうし―――現在のキルアと彼らの間には圧倒的な戦闘力の差がある。フリーザと初期ベジータくらい違う―――レオリオは論外だ。
自分は念を使えるのだから、大丈夫かもしれないが……アゼリアに念は絶対ではないと口を酸っぱくして言われているし、ジョネス相手に下手を打ってデッドエンドなんて洒落にならない。
よって自分が行こうと思ったのだ。
「やめとけって。あいつ、おそらく元軍人か傭兵だよ。どう考えても勝ち目はないぜ」
「む、キルア君……私が弱いと思っているのかな?」
「どう見ても弱そうじゃん」
「ムカ……」
ハルカの額にピシっと青筋が浮かんだ。
デリカシーのない子供はこれだから……とぼやく。
「こう見えても私結構強いよ。任しときなって!」
「はいはい。いいから止めとけ。どうせ負けるだろうし。てか、オレが行くよ」
「それはダメ!!!!!!!」
一瞬で浮上した誰かの死亡フラグに、ハルカは必死で制止の声を出した。
キルアは何故そんな反対されるのかも判らずにびっくりしている。
「な……? なんだよ、いきなり大声出して……なんかオレが出ると困ることでもあんのか?」
「え、えーっと……そう! キルアは五番目!! オオトリ!! そう決めたの!!」
「ああ? なんでだよ」
後回しにされて、如何にもキルアは不機嫌そうだ。
だが、何故かと聞かれてハルカは上手い言い訳を思いつかなかった。
仕方なく、ぼやかして真実を伝えることにした。
ジョネスの姿は、フードに隠されて誰が彼だか判らない。
しかしオーラを見れば、念使いでないにも関わらず邪悪な彼のオーラは一目瞭然だった。
その人影を指差す。
「あそこにいる奴……あいつ、一人だけ凄い嫌な感じがする」
キルアも彼に眼を向ける。
その圧倒的な感性は、精孔が開かれていなくとも、そして敵の姿を認めていなくとも、滲み出る血の匂いをかぎ取ったのだろう。
ハルカの言葉が適当ではないと知ったキルアは、軽く嗤った。
「なるほどな……あいつをオレにやれ、と」
「不満?」
「いや……面白そうだ。いいぜ」
楽しげに、猫のような笑みを浮かべて引き下がるキルアを見て、ひとまず死亡フラグは回避したとハルカは胸を撫で下ろした。
しかし、だからと言ってハルカが一番手に出ることが認められたわけではなかったようだ。
レオリオとクラピカにまで強く反対された。
「んじゃオレが行くよ」
「よし行けゴン!」
ビシっとゴンを指差すレオリオ。
伸びてきた通路をひょいひょいと渡ってしまい、ハルカは出遅れた。
「何よ! 皆してひとのこと馬鹿にして……! じゃあ、次は絶対私が行くからね!!」
「あー、判った、判ったよ!」
見くびられていることにハルカは少しムカついていたが、内心ではまあいいかと考えていた。
ゴンの相手だったのは、蝋燭の芯に油を仕込ませておくだなんていう、有効だがセコイ手を使っていたセドカンだ。
攻略法も判っているのだから、大勢に影響はないだろう。
そう考えているうちに通路は収納され、リングの上には彼ら二人だけが残された。
「さて、勝負の方法だが……オレは、デスマッチを提案する」
レオリオとクラピカの顔に緊張が走る。
この試験がまさしく命を懸けたものなのだと、そう思い知らされた。
「一方が負けを認めるか、または死ぬまで―――戦う!」
彼の声には、怯えも緊張もない。
命を奪い、そして自らの命を危険にさらすことにすら慣れた者が持つ凄味。それがある種の重圧ともなって場にのしかかる。
だが……そんな空気をまるで感じていないかのように、ゴンはあっさりと聞いた。
「参ったって言わせればいいの?」
「あ、ああ……それでも良い」
「ん、判った!」
拍子ぬけしたようにゴンを見つめるが……そこには強がりも、気負いすらも見いだせない。
要するに、頭が緩いんだな……
そんな風にベンドットは考え、身構えた。
「それでは―――」
ゴンも相手を見据え、走り出す体勢を作る。
「―――勝負!」
猛然と駆けだすベンドット。
その眼が大きく見開かれ、さらには白眼を剥くのは、その直後のことだった。
「うわぁ……」
ハルカは目の前の試合を見て、思わず眼を覆った。
ベンドットは哀れにも倒れ伏し悶絶している。
その横では申し訳なさそうにゴンが謝っていた。
敵ながら思わず同情してしまう。
まぁ、何があったかというと、だ。
開始の合図と同時に両者がダッシュした。ここまでは良かった。
格闘訓練を受けていたベンドットは、体格差から楽に組み伏せられると思ったのだろう。足を止め、ゴンが突っ込んでくるのを待ち構えた。カウンターの一撃でも叩き込もうと考えたのかもしれない。
しかしここで彼にとって誤算があった。
ゴンの瞬発力とダッシュ力は、彼の予測をはるかに超えていたのだ。
突っ込んでくるゴンに対し、満足に体制を整えることなく迎え撃ってしまったこと。これが一つ目の不幸。
二つ目の不幸は、ゴンは格闘の訓練などうけていない、言うならば本能のままに相手を打倒する才能の持ち主だということ。
純粋な体術ならばベンドットの方が勝っていただろう。それはまたゴンも感じ取り、自分に分のある瞬発力で勝負しようと本能的に判断した。
すなわち……ダッシュの勢いをそのままに、やったのだ。頭突きを。
ちょうどネテロ会長にやったみたいに。
そんな予想外の選択を取られたこと。なまじ経験があったために対処できなかったこと。これが二つ目の不幸。
そしてこれが最大の不幸で、今彼が悶絶している理由なのだが……
ゴンのロケット頭突きが、当たったのだ。
どこって……その、男性が切なくなる部分に。
自分には判らない痛みだが……まぁ、数多くの小説での描写と、目の前の惨劇から、あれは酷いとハルカは内心唸った。
「ゴメン! 本当にゴメンなさい!!」
ペコペコと謝るゴン。
唸りながらベンドットは立ち上がろうとするが、あまりの痛みに涙が浮かんでいる。
必死に立ち上がったが、生まれたての小鹿のようにプルプルと震える足が痛ましい。
「え、えーっと……続けるの?」
「あ、当たり前だ! この程度……ほわぁっ!」
相手の言葉を遮って、腰の辺りに軽く蹴りを撃ち込むゴン。
震動が届いて痛むのだろう。ベンドットは再び倒れ、悶絶した。
「ゴン、きちく……」
ベンドットが参ったというのに、それからさして時間はいらなかった。
なんとも微妙な、痛ましい空気の流れた第一戦。
最後の矜持なのか、今にも穴の底に落ちそうになりながらも誰の手も借りずにベンドットは歩いていき、壁に背を預けた。
「チッ……何の役にもたたねぇな。俺たちの恩赦、どうしてくれるんだよ」
「うるせえ……てめえが働いてから言いやがれ」
ベンドットは悔しそうにそう返す。
それを耳ざとく聞き咎めたクラピカが、彼らが恩赦と引き換えに試練官の役目を負っているのだと告げた。
「ゴン、お前危なかったなー。下手に長引いたら、捕まって喉潰されて、ずーっと拷問されてたかもしれないぜ」
「うわ、それヤダなぁ……」
「んで、次ハルカ行きたいって言ってたけど、それでも行くの?」
「当然よ」
この話を聞いても行けるって、案外度胸あるなぁ、とキルアはひそかに感心した。
一応相手を見ておく。次の試練官はどうみても肉体派ではない。
大丈夫だろ、と行かせることになった。
「さて、ご覧のようにぼくは体力にあまり自信がない。単純な殴り合いや跳んだり走ったりは苦手なんだけどな」
「つまりは引きこもりってことね」
ひく、と試練官―――セドカンの顔が引き攣る。
だが風貌的にはセドカンはその言葉を打ち消せそうにない。
「ま、まぁ、ぼくは頭脳派なんだよ。で、簡単なゲームを考えてみたんだけど、どうかな」
提案されたのは、互いに蝋燭を同時に燃やし、火が消えた方が負け。
それをハルカはあっさりと承諾した。
「さて、それじゃあ……長い蝋燭と短い蝋燭、どちらがいいか多数決で決めてもらおう」
不自由な二択……あからさまにどちらか一方には罠が仕掛けられている。
考えだせばキリがない。
出された結論は……実際に勝負の場に立つハルカに選択を任せる、というものだった。
「じゃあ長い方ね。あれこれ考えても仕方ないし」
答えはどちらも罠……セドカンは内心ほくそ笑む。
だが、答えを知っているハルカはそのセドカンの内心を想像し、笑いを堪えるのに必死だった。
「それじゃあ、同時に火をつけよう。ゲーム……スタート!」
互いに同時に火を付け、ゲームの開始が宣言された。
そして、勢いよく燃え上がるハルカの蝋燭。
「お、おい! ハルカの蝋燭、明らかに奴のより火の勢いが強いぜ!!」
レオリオが焦った声を上げる。
力強い炎は、ほんの数分で蝋燭を燃やし尽くしそうな勢いであった。
だが、ハルカは慌てない。
計算通り……! そう笑いながら、地面に蝋燭を置く。
「火の勢いが強いってことは、ちょっとの風じゃ消えないってことね」
そして、足にオーラを集め、飛びだした。
ここで時間は少し遡る。
それはセドカンがこの試練官としての準備をしていた時の話。
警察署長のリッポーに内容を説明し、必要なものを届けてもらうよう依頼した。
そして届いた油と蝋燭。二本の蝋燭の芯に油をたっぷりと染み込ませ、そこでセドカンはふと思った。
もしも相手が何らかの手段でこちらの火を先に消そうとしたら?
相手の蝋燭が燃え尽きるのを待っている間に、負けてしまうかもしれない。
ならばもっと確実を期すべきではないのか……
幸いなことに、自分の得意分野でその対策は打てる。
むしろご無沙汰だった感覚が鎌首をもたげて、その考えがとても魅力的に感じられた。
早速リッポーに追加で必要なものを依頼するセドカン。
届いたそれを、喜々として蝋燭に仕込んでいった。
念の強化により、かなりの速度で飛びだしたハルカは、後ろから聞こえた音に思わず足を止めた。
爆竹を何倍かしたような音が響き、見ると蝋燭が無くなっている。
あれ? と思ってセドカンを見ると、彼はしてやったりと言った笑みを浮かべ、飄々と言ったのだった。
「あ、蝋燭が無くなっちゃったね。じゃあ、僕の勝ちかな」
何が起こったのか、ようやく理解したハルカは頭を抱える。
こんな……下らないことで……
「な、なんでよーーーーーっ!!」
セドカン……懲役149年。
罪状は、大量の器物破損と傷害罪、及び殺人罪。
かつての称号は、連続爆弾魔である。
〈後書き〉
新年あけましておめでとうございます。三が日の間にアップできてよかったと思う今日この頃。
牛のように食っては寝をしていたら、お肉がぽにょです。
今回の最後のあたりは、ハルカは結局うまくいかない、ということがテーマです。
むしろ女の子がトンパの代わりにいたら、セドカンと当たることになりそうな気がしたので、勝敗をイーブンにするためにもこうなりました。
なんでセドカン油仕込んだだけなんだろ、爆弾魔なのに。という考えも含まれています。
原作沿い……ほとんどが原作と合致しているような部分を書くのが辛いです。展開上説明しなければですが、原作読んだ方が面白さが伝わるのならば、何も描写する必要が? と考えてしまうことが多々。
ハンター試験編はあまり変化が出ませんが、ヨークシン編はいろいろ変える予定。早くそこに行きたいな~。
それでは、またの更新の時に。