風が吹いた。
頬を撫でるように、ふわりと。
優しく、柔らかく。
それでいて冷たい風が自分の体を通り抜けたように感じた。
そうとしか、感じられなかった。
いつの間にか目の前からいなくなっている、自分の「獲物」
自分の手で羽を毟られ、翼を捥がれ、地に堕ち、そしてその囀りで自分を楽しませる筈の小鳥。
それが消えている。
何か、重大な喪失感。
胸が空っぽになってしまったような感覚。
それはきっと、獲物を逃したからとかそんなことじゃなくて、きっと……!
胸から僅かに零れる赤色は……!!
振り向く。
小鳥を、見つける。
小鳥だったナニカを、見つける。
その小さな手の上には―――赤い実が……
未だ脈打つ、赤い、赤い、心臓が……!!
「か、かえ……」
伸ばされた亡者の腕は、届くことなく地に落ちる。
ジョネスの眼に、最後に飛び込んできたのは……ネズミを前にした猫のような、残酷な笑顔。
小鳥の皮を被ったバケモノが、鋭い牙を覗かせて、赤い実を租借するところだった。
―――ぐしゃり
『この部屋で五十時間過ごしてもらえば先に進めるドアが開くので待っていたまえ』
与えられた部屋には数日分の水と食料、そしてボロボロのソファーとクッションがいくつか。ついでに暇が潰せるよう適当に見繕われた本があった。
ハルカはシャワールームが無いことに憤っていたが……ここで時間が過ぎるのを待つしかない。
みんなそれぞれに時間を潰すようだ。
レオリオはソファーに座りこみ、昨日の寝不足を埋めようと寝息を立てている。ハルカもまた疲れていたのか、部屋の隅にクッションを集めて横になっていた。
私もまた部屋の片隅に腰を下ろし体を休めるが……瞼の裏には、先ほどの光景が焼き付いて離れない。
堪え切れず、問いかけた。
「キルア……さっきの技はどうやったんだ?」
小説の類を読んでいたキルアは、私の問いになんでもないことだと答えた。
「別に技ってほどのもんじゃないよ。ただ抜き取っただけだよ」
ただし、と間をおいて―――キルアの掲げた右手は、爪が鋭く伸び、収縮した筋肉が鋼のような強靭さを見せつける。
「ちょっと自分の肉体を操作して盗みやすくしたけど」
あり得ざる絶技に絶句する。
肉体の研磨……もはやそういう領域ではない。あれは、肉体を改造しているというべきだ。
そんな私の驚きを平然と受け流し、キルアは自信に満ちた声で言った。
「殺人鬼なんて言っても、結局アマチュアじゃん。オレ一応元プロだし……オヤジはもっと上手く盗むぜ。抜き取る時、相手の傷口から血が出ないからね」
ニヤリと擬音が付きそうなその笑みに、私は背筋が寒くなる。
確かに、頼もしい限りだ。
あくまで、味方のうちは、だが……
そんな空気を敏感に察知したのか、キルアはこちらを向くと嗤った。
「怖い?」
「っ? い、いや……」
否定の言葉は本心だ。キルアは既に友人。その彼が多少高い戦闘力を抱いていたからと言って、恐れる理由などない。
だが、もしも彼と敵対することになったならば……自分は生き残れるのか。それを考えたとき、僅かに心が揺らいだこともまた事実だった。
「ま、安心しなよ。オレは殺しなんて好きじゃないし。それにもうプロじゃないしな。頼まれてもあんたらを殺ろうなんて思わないよ。そっちから手を出したりしない限りは」
不敵な笑みと、それに相応しい威圧感に……私は僅かに手を強張らせてしまった。
そのことが、屈辱で……また、恥ずかしかった。
自分の心の弱さと、何よりキルアをがっかりさせたのではないかと。
だから自分を奮い立たせるように、そして冗談に聞こえるように、出来る限り余裕のある調子で言った。
「ふ……ありがたい限りだな」
「……なんだ、脅かしがいねーなー。ま、こんなんでビビられたらそれはそれでがっかりだけどさ」
キルアはつまらなそうに、しかしどこか嬉しそうに言った。
感じていた威圧感はあっさりと霧散する。
彼はホッとした様子で頭を掻いた。
私は……どうやら試されていたらしい。
これはキルアなりのテストだったのだろう。闇の世界に住んでいた者なりの、人間の見極め。
己の力を、闇を恐れるか否か。
そこにあるのは、僅かな遊び心。そしてきっと、彼らが身を護るための術。
あまりに恐れの強い者は、へりくだり追従するだけのつまらない者となるか、いずれ牙を剥く。
そんな人間と共に居ることは、辛い。
キルア自身もきっと怖かったのだろう。
自分自身を拒否されること。それは、何よりも辛い。
なんでもないことだと言いたげな表情を作りながらも、キルアはどこか嬉しそうだ。
それを見て、私の胸もまた軽くなった。
「―――私は合格か?」
「んー、ま、及第点? 考えてみりゃ、あいつと一緒にいる時点でこの程度じゃビビらないか」
「……アイツ?」
「え、アゼリアのこと……なんだ、気付いてなかったの? 俺と同業者だよ。クラピカなら気付いてると思ったけどな」
なーんだ、とキルアは呆れたように言う。
考えてもみなかったことを告げられ、私の心は驚きで満ちた。
だが、心のどこかでは納得もしていた。何しろ、ヒソカと渡り合うことの出来る実力者だ。
むしろまともな仕事をしていた方が信じられない。
「キルア、ほんとうに?」
「ま、ゴンが気付いているとも思わなかったけどさ。オレと同じ臭いがするからなー。多分、間違いない」
私では知りえない世界。
これから、いやでも関わることになるだろう世界。
そこの住人だからこそ判る感覚らしかった。
「ま、オレも家族以外で同業者見るの初めてだけどさ……オレはアイツ苦手だな。隙無いくせに、なんか隙だらけっぽくてよく判らないし……それに、なんか見ててイライラすんだよね」
「え、いい人だよ?」
「ま、いい奴だとは思うけどさ。苦手なもんはしょーがねーよ。なんでイライラすんのか、自分でもよく判らねーんだけどな」
キルア自身も自分の気持ちを持て余しているようだ。
ゴンの言葉に一応の同意はするものの、その思いはなくならないらしい。
「そうだなぁ、強いて言うなら……」
ふーむ、と顎に手を当て、キルアは考え込んだ。
己のその苛立ちに付けるべき名を。
「―――同族嫌悪?」
三次試験の開始から七十時間以上が経過した。
現在、一階の広間では二十名の合格者が各々身体を休めている。
私もまた他の者たちと同様に壁を背に身を休めていた。
開始四十五分。他の追随を許さない最速タイムで合格した私は、この三日間のほとんどをここで過ごした。
塔の内部を通ってこなかったので不合格かもと一瞬危惧したが、試験官は地上まで降りてくることとしか合格条件を定めていない。一応、塔の外部を通るルートも想定されていたらしく、きちんと合格第一号が言い渡された。
だがそれも失敗だったかと思う。時間切れいっぱいまで塔の頂上で過ごすべきだったか……
「❤」
数メートル隣で機嫌良さそうにトランプタワーを作っている男のことを出来る限り意識から締め出す。
それでも、視姦されているかのような寒気はずっと付きまとった。
少し考えれば判ることだった。
この男が、この程度の試験でつまずくことなどあるハズがないと。
そして、必ずや早い段階で地上まで降りてきて……残る時間をともに過ごす羽目になる、と。
無論、その予想は大当たり。
私に続き地上に降り立ったのはヒソカで……私の平穏は五時間と経たずに消え去った。
いや、表面上は……別に戦闘になったわけでも、殺気をぶつけられたわけでもない。
今戦う気はないのか、ヒソカは特に何をするでもなくこちらを眺めていた。
そして時折私に話しかけてきたり―――無論、無視した―――時にクツクツと嗤ったり……ただそれだけで、私の心的ストレスは莫大なものだった……
早くハルカたちが下りてきてくれればいいのだが―――時間は残り僅かだというのに、未だに五人が出てくる様子はない。
壁に掛けられた時計を確認すると、定められた時間までは……十五分。
ここまで来ると不安も募る。
時間が足りないというだけならば……問題はない。
ハンター試験は落ちても、無事ならば別に構わない。
だが、もしも……もしも、彼らが一人でも重傷を負っていたならば……
「ゴンたちは随分と遅いねェ……♠」
そんな私の心を読み取ったかのように、ヒソカが呟いた。
ねっとりと絡みつくような声音に不快になるが、相手にするなと自分に言い聞かせて眼を閉じる。
だが、今までも無視され続けて、流石に暇だったのだろう。ヒソカは無視されていることも気にした風もなく続けた。
「キミたちはもともと知り合いなのかい? 随分と仲が良さそうだよね♣」
「……」
「ボクが見る限り、キミもこっちの世界の住人みたいだけど……その割には、九十九番以外は闇の匂いがしない♦ どういう繋がりだい?」
「……」
「彼らはみんな美味しそうだけど……ボクは特に、ゴンとキルアがいいね❤ キミはどう思う?」
「……」
「……えいっ❤」
「……ッ!」
反射的に動く腕。
その手には数枚のトランプがキャッチされていた。
「なァんだ、起きてるんじゃないか❤ お話しようよ♣」
白々しい……と内心で毒づいた。
ヒソカもいい加減退屈だったのだろう。三日もこんな何もない場所にいれば当然だが……迷惑な話だ。
だが、手の中でパラパラとトランプを弄るヒソカを見て、私は溜息をついた。
残りの時間をダーツの的にされるくらいなら、話の相手をしてやるほうがまだマシだ。
「私はお前と話などしたくないのだが」
「ボクがしたいんだよ❤ それにしても、やっと返事をしてくれたね♦」
「女性の誘い方を学んで来い」
「よく言うよ♠ 自分のことを女だなんて考えていないんじゃない?」
まぁ、それは確かにそうだが……変態に言われたくはない。
「で、だ。ボクはさっきも言った通りゴンとキルアが一番好みなんだけど、キミも美味しそうだからね❤ 興味あるんだ♦」
にっこりと釣り上った笑顔に、真面目に貞操の危機を感じた。
変態め……そう吐き捨てるが、ヒソカは堪えた様子もない。
「念は独学かい? なかなかイイ線行ってるよ♦」
「……それはどうも。一応、師匠らしき者ならいる」
「へぇ……そのヒトも強いの?」
「今では私の方が強い」
「へぇ……今のキミでも、かい?」
気味の悪い笑顔を張り付けて、ヒソカは意味深に言った。
その含むような物言いに眉を顰める。
何を言いたいのだろうか、コイツは……
私の能力は、以前よりは確実に強くなっている。それは間違いない。
だというのに、何故そんなことを言うのだろうか……
何故―――私は言いようのない不安を感じているのだろうか……
そんな私の心の揺らぎを楽しむように、ヒソカは言った。
「何をそんなに怯えているんだい? 人を殺すことが、そんなに怖いのか❤」
「……?」
「一次試験の時、キミと闘ってみて思ったことがある♦ キミの攻撃には、致命的なまでに殺気がない♣ ボクが感じたのは、恐怖だけだった♠」
「なにを……!」
唐突な指摘に言葉が詰まる。
その先を言わせるな、と本能が警鐘を鳴らす。
しかしヒソカは言葉を止めることなく、むしろ批難するように続けた。
「キミからは強い血の匂いがするくせに、キミは殺すことにすら恐怖を感じている❤ 死にたくない。だけど、殺したくもない♣ そこに喜びも怯えもなく、淡々と作業をこなせるならば、それはそれで素晴らしい♠ でも、怯えて、怯えて、その迷いの挙句に手を汚すなんて、その矛盾はいつかキミを殺すよ❤」
「……まれ」
「怖いのならば逃げればいい♦ 何もかも捨てて、背中を向けて走り出すのならば、それも間違いではないだろう♣ あるいは壊れてしまえばいい❤ 倫理観も、世俗的な正義も、全てを捨て去って血に濡れれば、それはそれで楽しいさ♠ だけど、今のキミは無様だよ♦ 薄暗がりに留まって、怯えて謝って泣いて気付かないふりをして傷付いて最後には血を浴びるんだ❤」
「だまれ……」
「自分に対する嘘は、多くの不幸を呼ぶ♣ 断言するよ♦ キミのその選択は、誰も幸せにならな―――」
「黙っていろッ!!!!!」
重機をビルに突っ込ませたような轟音がした。
ガラガラと瓦礫が転がり、トリックタワーの外の森が目に飛び込む。
ジンジンと痺れる右手と大穴の空いた壁面を見て、しかし私の胸には未だ激しい動揺と、怒り。そして息苦しさが渦巻いていた。
そんなこと―――そんなこと、言われなくても自分が一番判っている……!!
それでも、眼を向けたくなかったのだ……
だから、それ以上を言うな―――!!
「くっくっくっ❤」
ヒソカは、笑う。
玩具を見て子供が笑うのと同じように、無邪気さを装う笑顔を張り付ける。
いや、実際に彼は純粋で無邪気なのだろう。
純粋に、イカレテいるのだ。
「いいね……そのチグハグさが、ある意味ではキミの魅力なのかもしれない……♠ だが、とりあえず、今のキミと殺り合うつもりは、全くない♦ キミが答えを出したとき、改めてデートを申し込むとしようか……❤」
ヒソカは立ち上がって、私に背中を向けた。
今はもう用はないと言うように。
最後に、背を向けたまま一言を残して。
「これでもボクはキミに期待してるんだ♣ ボクを失望させないでくれよ❤」
遠ざかる背中を見て、私はどう思ったのだったか。
ほっと安堵したのか。
それとも、悔しかったのか。
後で考えなおしてみても、答えは出ない。
もしかすると、その両方だったのかもしれない。
ヒソカの残していった言葉が頭の中でなんども繰り返された。
―――キミのその選択は、誰も幸せにならない
そんなこと、判っている。
ああ、判っているさ、畜生……!!
何度も何度も考えた!!
だって、私は大切なたった一人のためにこの道を選んだのに……
人の命を犠牲に自分の命が助かったのだと知ってしまったら、彼女が喜ぶはずないのだから……
胸の中に深く沈んだ、最も恐れていること。
私のこの選択こそが、妹を最も傷つけてしまうとしたら……
自分を傷つけて、他人を傷つけて、最愛の人をも傷つけて……
もしもそうなら、私の生にどんな意味があるっていうんだ―――
「だからって、どうしろっていうんだ……」
他に選択肢なんて無かったじゃないか……
これが、自分の選べた一番マシな結果だろう?
そうでも思わないとやってられない。
そうでなければ、誰も救われない。
三次試験終了を知らせる放送が響き、駆けよってくるゴンたちの姿が見えても、胸の痛みは消えなかった。
うまく笑えていたかどうか、自信はない。
組の屋敷、その中で自分に割り当てられた執務室の椅子に腰掛け、アレッサンドロは報告書に眼を通した。
一通りを読み終え、疲れを一緒に吐き出すように溜息をつく。
溜息を吐くと幸せが逃げるというが、幸せが先に逃げたのならこれはカウントされないかな、と馬鹿なことを考えた。疲れた眼を解そうと、眉間を揉みほぐす。
全く以て厄介なことになったものだ。
机の上に広げられたのは、事の発端となった書類と、一本のカセットテープ。そしてそれらに関する調査書。
先日カーティスから提出されたものだ。
副首領ヴァレリーが、相談役アレッサンドロの息子を殺そうとした。幹部カーティスがそれに気づき、未然に阻止。
事の流れを簡単に言い表すならば、そういうこと。
一般構成員たちの間ですら既に噂として広まりつつある。
組織の大物同士のいざこざだ。
ヴァレリーは何か正当な理由を発表することが出来なければ避難を受けることになるだろうし、カーティスはこの功績でさらに勢力を増すだろう。
昨今の組織内部に様々な問題が生じてきたことはアレッサンドロも知っている。
そこに油を注ぐかのようなこの出来事。
偶然と考えるほどおめでたい頭を彼は持っていない。
誰かがこの組を引っ掻き回している。
そもそも、本来ならばヴァレリーが彼の少年を殺そうとすること自体が考えられないのだ。
アレッサンドロの息子とされているが、その実態は、ボスであるサンジのもう一人の息子。そのことが明らかになれば、組の次の首領にと担ぎあげる連中が必ず出てくる。
ヴァレリーにしてみれば、あの少年は波風立たずに忘れ去られてくれることがベストなのだ。わざわざ自分から火をもう一度灯す必要などない。
だというのに、何故このような事態になったのか。
さらにもう一つ、見過ごせないことがある。
組の幹部レベル、およびその周辺で、今回暗殺されそうになった少年が「ボスの息子」なのだという噂が流れているのだ。
それは静かに、しかし確実に、人々の間に浸透していっている。
その事実を知っているのは三人だけのはず。
自分が誰かに話したことはない。
そしてヴァレリーが誰かに話すことも考えられない。彼にとってのメリットがないのだ。
ならば残る一人……ボスが?
「……結論は出せない」
結論を出すには情報が足りなすぎる。
アレッサンドロは部下に調べさせた最近の組の内部の動向を見なおして、再び溜息をついた。
だが、今回の一連の騒動はあまりにもきな臭い。
まるで、出来の悪い脚本の上で踊らされているようだ。このまま放置しては、組を内部から腐らせてしまう。
まずは、知られるはずのないボスの息子のことを、誰がどうやって知ったのか。
その情報の出所に、答えがあるような気がする。
だが、現在でも部下に情報は集めさせているが、それでも元々マフィアというのは情報戦や探偵じみた行いが得意な人間ばかりではない。むしろ苦手な奴の方が多いくらいだ。
どうやっても、そうしたことへの人手は量も質も足りない。
「……蛇の道は蛇。探りを入れてみるか」
情報が欲しいならば、その専門家を使うべきだ。
アレッサンドロは備え付けられた電話を手に取り、随分と前に使った番号を入れた。
コール音が鳴りだす。
相手はヨークシン周辺の出来事に関しては並ぶ者がいないとさえ言われる情報屋だ。
姿を見たことはなく、態度もどこかふざけた感じの奴だが、少なくともその肩書きに偽りはない。
そいつに探りを入れてみることは決して無駄にはならないだろう……
数度の呼び出しの後、電話が取られた。
聞こえてくるのは、変声機越しの妙な声。相手が誰だか、その正体は判らない。
ただ、相変わらずふざけた態度のやつだ、と思った。あるいはそれが素なのだろうか……
『ど~も~、こちら情報屋のエスっす! はい、ご用件は何っすか?』
どこかで聞いた気もするんだがな……
そんなアレッサンドロの考えは、浮かんですぐに消えた。
時間ぎりぎりに滑り込んだ五人と再会すると、三次試験の試験官であったらしいパイナップル頭の小男がやってきた。
三次試験の合格者は二十七名―――そのうち一名は死亡しているので、実質は二十六名か。
タワーを出た順にくじを引かせると、彼は四次試験の説明を開始した。
カードに書かれたナンバーのプレートがそれぞれのターゲット。それが三点。
自分自身のプレートも三点。
その他のプレートは一点。
四次試験の会場であるゼビル島での滞在中に六点分のプレートを集めれば合格だという。
戦闘力、体力、持久力。自分で食糧や水源を確保出来るサバイバル能力。さらには情報を集める能力。
すなわち『狩り』に必要な能力を総括的に問われる、難易度の高い試験だ。
ゼビル島へと向かう船の上は重苦しい空気が漂い、みな視線を外し、情報を遮断しようとしていた。
私もまた、一人で甲板の隅に腰掛け、海風を頬に受けていた。
ヒソカに言われた言葉が未だに消えてくれず、一人になりたかったのだ。
何度も何度も、同じ考えが回る。
人を殺してヴィオレッタを救ったところで、彼女は喜んでくれない。
きっと、それを知ったら彼女は悲嘆するだろう。死ぬよりも彼女を苦しめてしまうかもしれない。
しかも……考えたくもないことだが、必ず彼女が助かるとは限らない。
いつの日か彼女が目覚めてくれることだけを祈ってきたが……たとえ病気が治っても、脳の障害は治せない。それこそ、奇跡でも起きない限り。
それでは、誰も幸せになれない。
ならばどうすれば良かったというのか。
妹を見捨てて、ただ自分の保身のために逃げだせば良かったとでもいうのか?
あり得ない……そんなことになるくらいなら、今の方がマシだ! たとえ自己満足でも、人を殺すことになっても……
答えの出ない問題は、ただグルグルと頭の中を巡るだけ。
もどかしさを抱えながら、私は空を見上げた。
「……どうすればよかったのかな、私は」
「え、何が?」
話しかけられて正面を見ると、ハルカが来ていた。
やあ、と手を上げて隣を勧める。
彼女は言われるがままに横に座ると、私と同じように空を見上げた。
「何か悩んでた?」
「……なんでそう思う?」
「見れば判るわよ。アゼリアって、案外思ってることが出やすいよね」
そうなのだろうか。
感情を表に出さない訓練は受けたはずなのだが……いや、それはハルカの前だからなのかもしれない。
ハルカが来てから、私の調子はしょっちゅう狂わされているのだから。
その質問には答えずに、私は肩を竦めて聞き返した。
「私のことは、まあいいさ。そんな大した悩みじゃないからな……それより、君の方は大丈夫なのか? 三次試験の時、ずいぶんと悩んでいたようだったが……」
「ああ、あれね……」
はぐらかされたと気付いたのだろう。
ハルカは不満そうに口を細めたが、軽く肩を竦めると、ゴロンと横になった。
晴れ渡った空が彼女の瞳に映り、とても綺麗に思えた。
「私ね、決めたの。無理に傍観者であることなんて止めようって……せっかく舞台に上ったんだから、台本なんて無視してやることにしたわ。そうじゃないと失礼じゃない」
「……舞台の上なら、台本に沿わないと迷惑じゃないのか?」
「たとえ話よ、たとえ話! 細かいところは気にしないで!!」
ハルカは楽しそうに伸びをする。
その顔に気負った様子はない。
彼女の言うことは相変わらずよく判らない部分が多いが……少なくとも、二次試験の時のトードーのことをもう引きずっていないのだと判った。
「それにね、アゼリアが言ったんじゃない」
「……なんて?」
「自分の選択に自信を持てって。どうせ、過去のことはもう変えられないのよ。だったら、せめてそれを最善だと思ってやるわ」
何でもないことのように紡がれたハルカの一言。
だが、それは鈍器のように私の頭を揺らした。
「……ははは、そんなことを言ったな、私は」
「何よ、自分で忘れてたの?」
「ああ、忘れていたよ」
しかも今では、その言葉に自信を持つことも出来ない。
自分の選択に自信を持て、か。
どの口で言ったのだか……
私は将来、自分の選択は間違っていなかったのだと胸を張ることが出来るのだろうか……
沈黙が、流れた。
どこか気まずい沈黙。
それを打ち破るかのように、ハルカが口を開いた。
「そ、そういえばさ、アゼリアのターゲットは誰だったの?」
「そういうハルカのターゲットは?」
「私は、406番じゃないわ」
「私も407番じゃない」
二人してほっと顔を見合わせた。
知りあいがターゲットというのは、やはり多少やりにくい。
「せーの、で見せ合おうよ」
「まあ、別にいいぞ」
胸ポケットから、先ほどひいたカードを取り出す。
スカートのポケットからハルカも取り出し、わくわくした様子で彼女は合図した。
「せー、のっ!」
同時に見せられるカード。
それを見たときのハルカの反応は、なかなか見物だった。
口をあんぐりと開けて、眼を大きく見開いて。
マジ? と顔で語っていた。
はて、これはそんなに不思議な相手だったかな……?
誰がどのナンバーだったか、残念ながら全員分記憶などしていない。
島に着くまでにどうするか考えないといけないな……そんな風に考えながら、二枚のカードをもう一度見た。
―――アゼリアのターゲット、NO301
―――ハルカのターゲット、NO294
四次試験が始まるまで、残り一時間。
〈後書き〉
明日は大学の試験だっていうのに、今回の話の半分以上は今日書いたんだ。
ついでに言うと、明日の試験は98点取らないと単位が来ないんだよ。どうしよう。現実逃避、いい言葉だよね。
そんな感じで、ちょっと勉強しなければと思っているELです。
ヒソカさんによる切開タイム。心の中にある不安。出来るだけ眼を逸らしたいもの。
最善の選択肢を選んでも、尚自体は良くならない。人生にもそういったことはあるのだろうと思います。
そういったとき、「これが自分にとっては一番マシだったんだ」と言い聞かせることも、実は結構難しいんではないかなぁ、と考えたり。
次は四次試験。ハンター試験編が個人的には一番難産なので、出来るだけ早くヨークシンに行きたいところ。
次回辺りから、針の人が動く……かも?
それでは、次の更新の時に。