「う、ぐ……! お、重いぃぃぃぃぃ!!」
肩にズシリと食い込む重みに、奥歯を噛みしめて耐える。
思わず膝を着きそうになるが、そこはオーラの量でカバーする。
肉体の強化。それは実際に使ってみて、ようやくその重要性が理解出来た。
いや……そんなことも理解出来ていなかったから、私はただ空想に走るだけの少女でしかなかったのだ。
身に着けた重りは100キロ。
自分の体重が2~3倍になっているのだ。念無しでは、とてもじゃないが、動けない……
だが、それでも大分慣れてきた。
今では「練」は使わずとも行動出来る。
「ッ~~~~~!!」
ボタボタと大粒の汗が落ち、地面に斑模様を作っていく。
膝を折り、そして立ち上がる。
たったそれだけの動作が、まるで3000m超の山を踏破するかのように、辛い。
横目で見れば、ゴンなどはまるで涼しい顔だ。
クラピカやレオリオとて表情を強張らせているというのに、まるでどうということないかのようにスクワットを繰り返している。
彼の付けた重りは私のそれよりさらに重いというのに……さらには念無しだというのに……!
なんという怪物。フリークスの名は伊達ではない。これが1000万人に一人と言わしめる才能か。
私は唖然としながら、目の前の巨大な扉を見上げる。
もう一人の、1000万人に一人の才能の持ち主。その少年を連れ去り、閉じ籠めている檻を。
ゾルディック家に来て一週間。
私たちは、試しの門を開くべく、今日も体を鍛えている。
「ふぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……!! ムリムリムリムリ! ムリだって!! いいや無理じゃない無理じゃない! もっと熱くなれよ!! 熱い血燃やしていけよ!! ふあああああああああッ!!」
「ハルカ、うるせぇッ!!」
失礼な。これは伝説のテニスプレイヤーの熱き叫びだというのに。
怒鳴るレオリオを後でシメると心に誓い、しかし意識だけは扉に集中し、さらに力を込めた。
だが限界を突破するべく内なる魂を激しく燃やしてみたというのに、二トンにも及ぶ試しの門はピクリともしない。
踏ん張った靴が地面を抉る。
しかし、じりじりと足が後ろに下がる一方で門が開くことのないまま、私はオーラが切れてその場にへたり込んでしまった。
「あー、もうッ! なんでこんな門を開けられるのよ!! ゾルディックの息子は化け物かッ!?」
「……ハルカ、絶好調みたいだねー」
「いやゴメン、もう無理! 体力限界! 動けないから手を貸して!」
事実、もう体にオーラはほとんど残っていない。
ビスケに「堅」を三時間やらされた時のゴンたちみたいな感じだ。
今は本当に体を動かすだけの体力もない。
へるぷみ~、と声を上げれば、仕方がないなぁとゴンがやってきて私の背と膝の裏に手を差し込んでひょいと持ち上げた。
お姫様抱っこをごく平然に使うとは……ゴン、判っているな。
パームとのデートで見せた気遣いも流石というものだ。
私を運んで壁に背を預けさせてくれると、ゴンは水筒を口元まで運んでくれた。
「んー、ありがと」
「どういたしまして。それにしても、ハルカって扉に挑戦する度に凄い疲れてない?」
それはそうだ。
純粋な筋力ではとてもじゃないが二キロの扉なんて開けない。
だからこそ私は顕在オーラ量を出来るだけ増やそうと全力で「練」をして、なんとか扉を開けようとしているのだ。
オーラが切れるまで頑張っても扉が開かないのだから、涙も出ないが……
けどまだ念を知らないゴンにそれを説明することは出来ないので、適当に誤魔化すことにする。
「私はこれでいたいけな乙女なものですから……箸より重いものは持ったことがありませんの」
「ハシ? 二次試験でメンチさんが持ってた棒だっけ――って、そんなにか弱くないでしょ、ハルカは」
「あ、そう言われるとちょっとショックかも、乙女的に」
とはいえ、口ではそう言うが、そう思われていても仕方あるまい。
念を知らないゴンたちからすれば、実際の肉体能力を超えた力を時に発揮している私の方が不可解なのだろうから。
……私に言わせれば、あんなに小さいのにゴリラ並の力があるゴンやキルア、何気に力持ちなクラピカなどの方が不可解なのだが。念無しだし。
「ま、そんなこと言ったらこの世界自体おかしいのよねぇ……アゼリアだって、実は細いしなぁ……」
筋肉や骨の密度が違うのかなー、と呟いて、赤く染まり出した遠くの空を眺めた。
今はまだ冬なのだ。風が汗を冷まし、少し寒気がする。
空は雲ひとつない。
今夜はきっと月が綺麗だろう。
ヨークシンの空はどうかなぁ、とぼんやり考えて、眼を閉じた。
趣味の良い調度品は部屋の主の品位と裕福さを表しているが、度を過ぎれば下品にすら映る。
キラキラと輝く、一品でいくらするか判らない内装を見て、私は率直にそう思った。
文化や芸術といったものにはまるで縁が無いが、棚の上に飾られた皿が札束の塊に見える程度には価値があると判るからだ。
その部屋の主は私の目の前で弛んだ身体を揺らしながらそわそわと落ち着きなくしている。
この屋敷に来て以来、外出する時になるといつもそうだ。
時計が予定していた時刻を指したため、私は秘書として出発する旨を伝えた。
「議員、そろそろ時間です」
「う、む……警備の方は大丈夫かね?」
「ご心配なく。万全の態勢を整えております」
不安をあおることのないよう平坦な調子で答えたつもりなのだが、議員はそれでも心配が残るようだった。
もっとも、無理はない。
毎日、外出する度に命を狙われているのだ。私たちがいなければ、彼はもう五回は天国へ旅立っている。
「ミ、ミスターカーティスに話は通してくれたのかね? ほ、ほら、攻撃は最高の防御というではないか。先手を打って叩くことが出来れば――」
「お言葉ですが、議員」
怯えが含まれた議員の言葉を遮ったのは、青年の声。
柔和そうな顔立ちに眼鏡を掛けたその姿は、大学生程度に見える。
ヒト当たりの好さそうな笑顔を向けているその男は、しかし凄腕の能力者らしい。
今回の任務でリーダーを務める、組織の新顔。
新たに組に入ったという、ヴラドという男だ。
「我々の側から攻勢に出るとなると、それはもはや抗争に発展します。カーティス氏の一存ではその決定を下すことは出来かねますので、しばしお時間を戴くことになるかと」
笑顔を絶やさず、しかしきっぱりと言われたその言葉に、議員の顔が不機嫌そうに歪んだ。
怒りに鼻の穴を大きく膨らませ、唾をまき散らして声を荒げる。
「わ、私が今まで君たちの組にどれほどの貢献をしてきたか忘れたのかッ!? ボルフィード組には私を守る義務がある!!」
「ですから、言伝は致しました。しかし何分ボスも多忙の身です。決定には時間がかかります。なに、それまでは我々が議員の身をお守りしますので、ご安心を」
そうは言われても、議員はまるで安心した様子はない。
ぶつぶつと小声で不満を呟き、しかしそれ以上を言い募る様子はなかった。
「それでは、僕とアゼリアが議員の護衛を。フェルナンデスは夫人を、ラッドは子息の護衛を任せる。ケヴィンとリノは館で待機。いつでも出られるようにしろ」
『はい』
ヴラドの言葉に全員が動き出す。
ある者は屋敷の周辺を見回り、ある者は護衛対象のもとへ向かった。
私とヴラドは議員と共に車に乗り込んだ。予定時刻より幾分遅れている。後部座席に議員と私が乗りこむのを確認すると、ヴラドは車を出発させた。
道中の警護が最も気を使う。
まだ完治していない腹の傷がズキリと傷み、軽く顔を顰めた。
本当に、やっかいな仕事を与えられたものだ……
「アゼリア、周囲の警戒を」
「了解。二十秒で半径五百メートルを確認します」
能力の発動。
それと同時に、私の知覚がグンと広がる。
この大気に触れるモノ、その動きの全てが手に取るように判る。
通りを歩く人の群れ。携帯を打つ指の動き。カップルの談笑する声。皿を割ったウェイトレス。引き絞られる引き金――
「敵です」
そう言うより早く、四百メートル先から狙撃されたのを感知した。
音速より早く飛ぶ弾丸が着弾するまで、約一秒。
対処するには十分すぎる時間だ。
銃弾など、少し横風を当ててやるだけで狙いを外す――!
「今日もお出ましですねぇ……ったく、やってくれる……!!」
弾丸が車の間横の地面を抉り、ヴラドは忌々しげに、しかし楽しそうに声を上げた。
議員などは気が気でない様子だというのに、喜悦を隠そうともしない。
私が風の刃で狙撃者の首を刈り取ったとき、ヴラドは通りの向こうから飛び出した三人の能力者相手に躍り出ていた。
三人の襲撃者は、迎え撃ったヴラドを見て三手に別れる。
流石に同時に三人を抑えることはできないのか、ヴラドは声を上げた。
「二人は僕が殺るんで、一人頼むよ」
「……了解」
ヴラドは振り向きもせず、二人の敵を視界に収める。
そして軽く手を振れば、そこには人の背ほどもある巨大な深紅の処刑鎌が握られていた。
禍々しい造形に襲撃者たちが一瞬怯む。
その隙を逃すことなく、ヴラドは素早く間合いを詰めると、処刑鎌を横薙ぎに振るった。
「くぉおおおッ!!」
間合いを詰められた男も具現化系だったのだろう。
虚空を掴むようにして出現したのは、無骨な棍だ。
ヴラドの攻撃を防ごうと、鎌の軌道に棍を慌てて滑り込ませて、その表情は永遠に驚愕に染められた。
棍をバターのようにスライスした鎌は、そのまま男の首を刈り取っていたのだ。
「んん~、まず一人」
頬についた返り血を普段と変わらぬ笑顔のまま舐めとり、ヴラドは如何にも楽しげに声を上げた。
ヴラドが足止めするもう一人はその様子を見て警戒を露わにしたが、どうやらヴラドと闘う覚悟を決めたようだ。
そして残る一人、私に任された男は、彼らの任務遂行のため決死の形相で駆けてくる。
男の標的は、私たちの護衛対象である議員。そして彼を殺すためには私たちが邪魔だ。
男は懐から投擲ナイフを取り出すと、私に向けて投げ放った。
「こんなもの!」
念は籠められているものの、特別変わった一撃ということはない。
私もまたナイフを引き抜くと、放たれた四本を容易く打ち払う。
きっとこれは牽制。本命の攻撃が来るのだと思い身構えた。
しかし、実際は私の予想の斜め上を走っていた。
「なに……ッ!?」
男は再びナイフを引き抜くと、投擲する。
右手から、左手から。次から次へと。
それはまるでナイフの雨だ。
私は両手にナイフを握り、繰り出されるナイフを弾き続ける。
地面に落ちたナイフはあっという間に五十を超え、尚も増え続けていく。
「くっ……だが、こんなナイフをいくら繰り出したところで私を倒すことはできんぞ」
「そうかな?」
ナイフを繰り出し続ける男の口が、にやりと歪んだ。
その表情に寒気を感じたのは一瞬。
『大気の精霊』で広がった知覚が、私の足元に散らばったナイフがピクリと浮かび上がるのを感じ取った。
「……ッ!!」
慌てて飛び退く。
間一髪といったところで、獲物を食らう鷹のように飛び立ったナイフたちは私の皮膚を僅かに斬り裂くに留まった。
「外したか……」
男は忌々しげにつぶやく。
単調なナイフの投擲からの、真下からの強襲。
それこそが男の必殺を機した一撃だったのだろう。
「……操作系の能力者!」
地面に落ちていた無数のナイフ。
それが男を護るように、あるいは獲物にとびかかる前の蛇のように、旋回している。
男はさらに数本のナイフを取り出すと、それを構えて言った。
「逃げたければ逃げるがいい。議員の命は戴いていくがな! 先ほどの一撃を避けたのは褒めてやるが、ならば当たるまで続けるだけのこと……!」
その言葉と共に、再び攻撃が開始される。
先ほどと同じように飛来するナイフの群れ。
問題は、その数。
数十に及ぶナイフが飛び交い、四方八方から私を狙う。
速度や威力は大したことはない。
だが、あまりの数に手が回らない……!!
「くっ……」
じり貧といえる状況に舌打ちする。
他所からの襲撃や狙撃に備えて、『大気の精霊』は解除できない。
広域を覆った状態のまま、索敵を続けなければならない。
敵の操作能力はそこまで精密ではないのだろう。ナイフたちはただ「私の方向」に単調に向かってくるだけで、全てが急所を狙っているわけではない。
深手になりうる攻撃だけを叩き落とし、残りのナイフは身のこなしで避ける。
とはいえ、浅い傷は次から次へと積み重なっていく。
そして、ナイフを叩き落とそうとした瞬間に視界がグラリと揺れるのを感じ、私は本能的に大きくその場から飛び退いていた。
その様子を見て、男がニヤリと笑う。
「くくくくく……ようやく効いてきたか? 熊も倒れるような麻痺毒だ。カスリ傷とはいえ、立っているのも辛いだろう……?」
男の言葉通り、視界が霞み、体が重くなる。
投擲ナイフに毒を塗る、か……確かに、よく使われる手だ。
「それでは、さっさと死ね……!」
得意げに笑った男が、指揮者のように手を振り降ろす。
それと同時に、銀の龍のようにナイフの群れが飛来した。
――私から遠く離れた場所へ。
「……お前こそ、ようやく効いたか」
ポケットの中、開けられた小瓶を閉める。
幻覚、催眠効果を持つ、催眠蝶の鱗紛だ。
大気に乗せて散々かがせてやったというのに、効き目がずいぶんと遅かったようだ。
「風の刃なんて作らなくても、戦い方はあるのだよ……」
満足げに高笑いを続ける男の中では、都合の良い結末が繰り広げられているのだろう。
この鱗紛はアップ系のドラッグの代わりにもされる強力なものだ。
私は痺れた体を引きずって男の元へ行くと、顔の真ん中に彼のナイフの一本を突き刺しておいた。
熊も倒れる麻痺毒だ。きっと起きられないだろう。永久に。
「さて……思った以上に苦戦してしまったか」
解毒剤を飲み、体の痺れが少しずつ抜けていくのを感じる。
議員が震えているであろう車へと戻る途中、ヴラドの方はどうなったかと視線を向けた。
そして、そのことを後悔した。
「ん~……美味美味……」
戦闘はすでに終わっていた。
ヴラドは体中を返り血で真赤に染め上げ、楽しそうに首なしの死体を弄っている。
いや……壊している。
彼の得物である鎌で、すでに原型を留めていない死体をざくざくと刻んでいるのだ。
そしてその度に、死体は時を経たミイラのように干からびていく。
その身から滴る血液を吸われていくように……
「悪趣味な……」
ヴラドのいつもと変わらぬ笑顔を、そして楽しげな様子を見て、私は唾棄した。
酷く、胸糞悪い気分だ。
あの道化師の方が、ただのバトルマニアな分マシと思えるほどに。
「首狩り公爵か……スミスが言った通り、最悪にヤバい奴だよ」
殺人狂め、と吐き捨てる。
この男と仕事を一緒にするというだけで気が滅入るというものだった。
仕事を受けた時は、楽な仕事だと思ったものだが……そんなことを考えていた自分を叱ってやりたくなる。
その時のことを思い出して、私は溜息をついた。
それはハンター試験から帰ってきて十日ほど経った日のことだった――
「要人警護、ですか……?」
命令の内容がいまいち的を得ず、私は問い返した。
要人の警護。何故私がと思わずにはいられない。何かの間違いだろうか、とも思った。
私の能力は隠密性、秘匿性に非常に長けている。
元より、相手との戦闘を避け任務を遂行するために作られた能力だ。そうした面に優れているのは当然と言える。
そしてそれは私の能力の最大の長所であり、そのことはカーティスも承知している。
だからこそ、彼は常に伏せ札となるように私を運用してきたはずだ。
その私が要人警護など、それまでの作戦との違いに戸惑いを覚えざるを得なかった。
だがそれは決して間違いではないらしく、カーティスは疲れた声で命令を繰り返した。
「護衛対象はマーカス上院議員。この国の軍部と繋がりが深く、武器弾薬の横流しをしてくれるお得意様です。ですが……調子に乗って取引相手を増やしすぎ、そこでミスをしたらしいのですよ。相手先のマフィアは大層ご立腹らしく、彼の命を狙っているとか……それ故、私たちに泣きついてきたというわけです。彼と、彼の家族を守ってくれるようにね」
「任務の内容については了解致しました。しかし、何故私なのですか……? 護衛任務ならば、もっと適した人材が――」
尋ね返すと、カーティスは驚きに軽く眼を見開き、その後不機嫌そうに眼を細めた。
「……何時からあなたは私の命令に疑問を返すようになったのですか? あなたはただ私の指示に従っていればよいのですよ」
「――申し訳ございません、分を超えておりました」
どうやら相当に不機嫌なようだ。
蜂の巣を突いては堪らないと、大人しく頭を下げることにする。
カーティスは尚も眼を細めていたが、やがて鼻を鳴らすと眼を逸らした。
「まぁ、今回だけは許しましょう。そして、あなたの問いへの答えですが、それは理由があります。あなたの今回の仕事は、護衛というよりも諜報です」
「諜報……」
何やらキナ臭い話になってきたな、と私は溜息をついた。
確かに私の能力は広域探索と諜報に長けている。それは戦闘よりも本領を発揮出来ると言えるだろう。
病み上がりの身としては確かにちょうどいいかもしれない。
しかし問題は、何を調べるのかということだ。
その疑問に答えるように、彼は口を開いた。
「調べるのは、議員が武器を入手するルート。軍部の誰と通じているのか。護衛の傍ら、それを調査しなさい」
早い話が、議員のコネクションを奪ってしまおうという話なのだろう。
武器を手に入れるパイプさえあれば、議員の存在にさして価値はないのだから。
「その他詳しい情報は資料に載っています。眼を通しておくように」
「……判りました」
まぁ、暗殺任務などよりはずっと気が楽だ。
私はこの時、そう考えていた。
〈後書き〉
リアルが忙しくて凄く更新に間が空きました。お久しぶりです、ELです。
PVがいつの間にか100000超えていてテンションがちょっと上がりました。ただの指標とは判っていても、やっぱり嬉しいものは嬉しいですね。
更新頻度は今後も落ちると思いますが、飽きたとか投げ出したということでは一応ありませんので、もしも楽しみにして下さる方がいましたら、気長にお待ちいただけると嬉しいです。
それでは、次回更新の時に。