樫で作られたアンティーク調の椅子に腰掛け、ジャズの音楽を流し、三十年もののワインを傾ける。
それは自分の幼き日の夢だったはずなのに、心地良く酔うことが出来ない。
まだ太陽が出ている時刻だからだろうか。ワインは日が暮れてから静かに傾けるものだと自ら定めたはずなのに、そのルールを破っているのだから仕方がないのかもしれない。
だが飲まずにはいられなかった。邸宅を出ることも許されず、仕事をすることも出来ない、そんな無様な身の上とあっては、酒でもなければやってられないというのだ。
上を向きすぎたのがいけなかったのだろうか。
ここに至るまで夢中で走りぬけてきた。
権力を、地位を、金を、力を得るために、様々なものを切り捨ててここまで来た。
そしてまだまだこんなところで止まる心算はない。たかだか一組織の幹部で収まってたまるか。
上へ、どこまでも上へ。相談役に、首領に、最後には十老頭にまで上り詰めてやる。その思いを変えることはない。
しかしそのせいで下の管理がおろそかになっていたとは、我ながら無様なことだ。
ルークとかいうあの能力者は、中堅程度の実力しかないくせに傲慢でプライドだけは高く、また時々指示に逆らうような真似をすることさえあった屑だった。
ある意味では無能を切るいい機会ではあったが、そのためにボスの不況を買っては元も子もない。もっともボスは最近不機嫌だったので、間が悪かったとしか言えないのだが。
だが手持ちの最強札まで切ってこれでは、割に合わないにも程がある。
「くそっ……」
ああ、苛立ちが抑えきれない。
自分が今すべきは復帰後の根回しとポイントを挽回するための策を練ることだというのに、心の中で悪態を吐くことにばかり頭が使われてしまう。
怒りにまかせてグラスを叩きつけようとして、ちょうどそこへドアをノックする音が入り込んだ。
「ちっ……なんですか?」
「旦那さま、アレッサンドロ様がいらっしゃっております。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「アレッサンドロ様が? ええ、今すぐお通ししなさい」
思わぬ来客に内心焦ってしまった。
居住まいを正し、服装を整え、グラスをもうひとつ用意したところへ、その人は来た。
「いつ来ても優雅な邸宅だな。羨ましい限りだよ、カーティス君」
「これはこれは、アレッサンドロ顧問……謹慎中のこの身をお訪ねくださるとは、光栄の至りです」
190cm近い長身に、落ち着きある佇まい。既に五十近い年齢の筈だが、堂々たるその体躯には些かの衰えも見受けられず、上質のスーツの上からでも判る鋼のような肉体をしている。それでいてメガネ越しに光るその眼光には深い知性が宿っている。
ボルフィード組の相談役、実質的な組織のNO2、アレッサンドロ=カヴァルロがそこにいた。
「ふむ、謹慎か……正直そこのところがよく判らなくてね。伝え聞いた報告では金を持ち逃げした部下がいたそうだが、それはきちんと始末して金も取り戻せたのだろう? 一体何故、謹慎なんぞ言いつかったのだ?」
「いえ、僭越ながら私如きではボスの御心は判りません……ですが、あくまで噂として聞いた話によると、オークションの際にどこぞの田舎の成り上がりに喧嘩を売られたとか……」
迂遠な言い回しでも事態を察してくれたのか、アレッサンドロは軽く肩を竦めた。
「まったく、サンジのやつは……昔から、怒ると周りに当たり散らす癖は治らない……」
アレッサンドロはボスと昔からの友人らしい。
だからこそこうして、地位に違いがあっても気さくな呼び方をするし、二人で組織を纏め上げようと協力している。
「……まぁ、気にしないことだ。部下の腐敗は如何に管理しようと避けられん。どんな清潔な厨房にもゴキブリが入り込むようにな。サンジには私から一言言っておこう。優秀な部下をいつまでも謹慎させておくには勿体ない」
「ありがたいお言葉……感謝の言葉もありません」
「なに、どちらもただの事実だ。君が有能であることも、部下の腐敗は免れないこともな。そう、たとえこの私であっても……」
「……アレッサンドロ顧問?」
皮肉な笑みを浮かべて、アレッサンドロは注がれたワインを舌で転がした。
「謹慎明けの挽回のチャンスをやるぞ、カーティス。最近、巷で流れている麻薬の数量と組へのアガリが釣り合わない。その原因がどこにあるか突き止めろ。もしも腐ったリンゴがあるのならば、周りを腐らせる前に処分しろ。お前の腕を信用して、手段は一任する」
「ほう、それはそれは……」
確かに、それは名誉挽回には絶好の仕事だ。内部の膿を洗い出す仕事か、面白い。
麻薬の販路の管理を任されているのは……ギュンターのやつか。いつもいつも目障りな奴だった。ここで消しておくのも悪くない……
ボルフィード組は、大きく二つの派閥に分かれている。
一つは副首領を旗頭とした派閥。副首領は正直、ボスの名を血縁で継ごうとしているだけの、大した器も持たない二代目だ。しかし順当にいけば彼が次の首領の座に就くことは間違いないので、彼を押す勢力は強い。
もう一つはこの相談役、アレッサンドロを旗頭とした勢力だ。アレッサンドロ顧問は副首領など比べるにも値しないほどに有能な傑物だ。本人に組織を乗っ取ろうなどという意図はほとんどないものの、その実力に惹かれて支持している者は少なくない。私もその一人だ。
ギュンターの奴は……副首領派。
ここで奴を消しておくことは、自分の将来的な出世にもつながる。
「お任せ下さい、アレッサンドロ顧問。必ずやご期待に応えてみせましょう」
「期待しているぞ、カーティス」
満足げに頷いたアレッサンドロは、僅かにワインの残されたグラスを静かに傾けた。
私もまた悪くない気分だった。いい風が吹いてきた。不興を取り戻す機会が向こうの方からやってきたのだから。
静かに置かれた空のグラスに、ゆっくりとワインを注いだ。
「……ああ、懐かしいな、その指輪」
アレッサンドロはカーティスの指に輝く一つの指輪に目を向けた。
そこから遠い過去へと思いを馳せる目だった。
「君がこの組に入ったときのことを思い出すよ。あのときはまだ十二歳くらいだったか」
「その通りです、顧問」
室内にあっても尚自らの紅を主張するガーネットの指輪。
血のような紅の色彩は幼き日々を呼び起こすようだった。
「ふっ……昔を懐かしむとは、私ももはや年かな……」
「……御冗談を。顧問は我々のような若輩などより、ずっとお元気でいらっしゃる」
「ふん、まぁそう言ってもらえるならば、そう言うことにしておこう。まだまだくたばる気はないしな。それでは、これ以上老いる前にやるべきことをなすとしよう。思い出は仕事のなくなった老後にでもすればいい」
そしてアレッサンドロは立ち上がった。
優雅な長躯はまだまだ若々しさを保っていた。
「……ああ、そうそう。先日リパ駅近くの路地裏で喧嘩があったらしくてな。組からヤクを回したチンピラどもだったらしいので、一応様子を見に行ったんだが……面白いことに、一人は念能力を身につけていたぞ」
「それは……興味深いですね」
「残りの二人は意識不明の重体だがな。「纏」が出来ないから回復が遅いのだろう。まぁ、使いものになるかは判らんが、部下が一人減ったのなら、補充してみるのもいいかもしれん」
「お気づかい、感謝します」
そうしてアレッサンドロは部屋から出ていった。
見送りは必要ないと言われたので、私は部屋を出ることなく、ワインをしまった。
そしてなんともなしにぼんやりと指輪を見る。
仕事のない老人が過去を振り返るというのなら、今の私に出来ることもその程度だろうか。
悪い酔い方をしているのかもしれない。今までの私なら、立ち止まって過去を振り返る暇すら惜しんでいただろう。だが今はそれでも構わない気がした。
私がこの世の仕組みを学んだあの日。あの日から、私の人生は動きだしたのかもしれない。
僕の父は、碌でなしの糞ったれだった。
毎日毎日昼間から酒を浴び、働くこともなく、酒代と飯代を私に稼ぎに行かせ、気まぐれに僕を殴った。
母は顔も知らない。死んだのか、こんな父親に愛想を尽かして出ていったのかも知らない。大した興味すら持てない相手だった。
貧民街の薄汚れた子供に出来る仕事なんて碌なものじゃない。奴隷だってもう少しマシだろうと思うような仕事ができればそれだけでいい方だ。最悪なのは仕事にありつけない時で、手ぶらで帰ったら父親に殴られた。だから必死でその辺の金になりそうなものを掻き集めて売った。どれだけ頑張っても、通りを歩く子供たちが何の気なしに食べているパンすら買えない時もあった。
ものを盗もうとしたこともあった。だが、手足の長さも足りない幼い日々の僕には難しく、たとえパンを盗めても逃げきることが出来ない。大人たちの大きな体はすぐに僕に追いつき、その大きな手で殴り、品物を奪い返していった。こんなことなら家で父親に殴られても変わらないと思った時もあるが、そんなのはゴメンだった。体では負けても、心では負けない。それだけは譲れない一線だった。毎日の食事にも困らないようなあんな奴らに負けてたまるかと強く思い、いつか絶対に奴らをこき使ってやる、いつかこんな生活からは抜け出してやると誓った。暗い感情が僕の力になった。
僕には一つだけ、不思議な力があった。憎い相手を強く念じると、その相手は急に苦しみだすのだ。僕だけの能力。これを使ってのし上がってやろうとも思った。
だが、その能力は相手を死に至らせるほどの強さはなかった。それどころか気を失わせることすらできなかった。その程度のもので変えられるほど現実は甘くない。僕は成り上がるための方法どころか、どうすればこの生活から抜け出せるのかすら判らないまま、日々を過ごしていった。
十二歳のころ、僕ももう手足も伸び、器用さを身につけ、体力も大人顔負けにあった。
そのころにはもうまともに金を稼いでこようだなんて思わなかった。町ですれ違った間抜けどもの懐から財布を掏り、街角の店から盗み取る日々だった。昔のように失敗して見つかるようなヘマはしなくなっていた。清貧なんて糞喰らえだ。汚れても金がある方がいいに決まっている。
そうして稼いだ金は、父親を満足させられるだけの金を残して、後はこっそりと隠しておいた。いつかのし上がるときに必要になると思ったからだ。
その日も僕は金を稼ぎに街中へと出かけていった。
金を持っていそうな、それでいて隙のあるカモをこっそりと物色する。危険は少なければ少ない方がいい。
そうして、見つけた。ステッキを突き、ゆっくりと歩く老紳士。その身に纏う衣服は見るからに上等で、金の匂いがした。
獲物をそいつに定めた僕は、後をつけながら相手を探った。財布はどこに締まってあるかを見分けようとしたというべきか。勝負は抜き去る時の一瞬。だからこそ、見極めは大切だ。
数十メートルも歩かないうちに、在処は判った。コートの右ポケット。お誂えむきの場所だ。
後ろからゆっくりと距離を詰めていく。曲がり角に差し掛かったタイミングがいい。自然に、すっと抜き取れば絶対に気づかれない。
そしてついにやった。手の中には心地よい重み。中身を確かめる前から、今日の戦果は上々であろうことを予期した。
その一瞬の気の緩みが良くなかったのだろう。突如僕は強く肩を掴まれると、強引に振り返らされると同時に、強い衝撃が僕の頬を襲った。見上げると、僕を殴ったのは黒服の男だった。
「この、ガキが……肥溜の中に突っ込んだような薄汚ねぇその手で、キャンベル議員の財布をギろうたぁ、てめぇ死ぬ覚悟はできてんだろうなぁああああ!?」
再び、強い衝撃。胸を蹴りあげられたのだと判った。激しく咽ぶ。
くそっ、ボディーガード……一人だと思ったのに……
何発も何発も続けざまに僕を襲う衝撃。だけど、大丈夫。こいつ一人だけなら、能力を使って一瞬でも隙を作れば余裕で逃げ出せる。そう思った。
後ろから、新たな手に髪を掴まれるまでは。
「おら、立てこらぁ!」
「寝てる暇はねぇぞ!!」
「死んで詫びいれろやぁ!!」
いち、にい、さん……四人!!
そんなにボディーガードがいたなんて、完全に想定外。僕はこの能力を二人よりも多くの人間に使ったことなんてない。出来るかどうかもわからない。
そんな状況では抗っても無駄だった。
僕はただ男たちに殴られる時間が過ぎるのを待とうとした。心だけは折られないように、憎悪の気持を膨らませながら。
「……みなさん、そこまでにしておきなさい」
それを止めたのは、先ほどの老紳士の一言だった。
その一言が聞こえた瞬間、男たちはぴたりと殴るのを止める。
老紳士はゆっくりと近づいてくると、僕の顔を覗き込んだ。
「スリでもしなければ生きていけないだなんて……かわいそうにねぇ、坊や……私はそんな人々に援助をするのも仕事の一つでね。そうだな……この指輪をあげよう」
そう言って、老紳士は指から一つの指輪を引き抜いた。
血のように紅い宝石のついた、綺麗な指輪だった。見るからに高価な品だった。
でも僕には判っていた。
かわいそうだなんてこの老紳士はこれっぽっちも思っていないことが。その眼には嘲りと、軽蔑と、自らの優越に浸る気持ちが映し出されていることが。
だって、お前は、僕が殴られている間、笑っていたじゃないか! 羽をもがれた虫が悶える様子を眺める子供のように嗤っていたじゃないか!!
こいつは人を憐れむことで悦に入る、最低な趣味の持ち主に違いなかった。
その手をはねのけたかったが、手は動かなかった。
その首に噛みつきたかったが、体は動かなかった。
その身に苦しみを与えてやりたかったが、能力は出せなかった。
老紳士のカエルのような顔が、愉悦に歪みながら僕の指に指輪を通していくのを、見ていることしかできなかった。
悔しかった。僕が一生懸かっても手に入れられないような宝物を、あっさりと手放してしまえる人がいることが。そんな不公平が。そしてそれをはねのける力もない自分自身が。
僕は涙だけは流すまいとこらえながら、重い体を動かそうと必死に頑張っていた。絶対に、心まで屈してなんかやるもんか……!! これを今たたき落とす力が無いというなら、いつか、絶対に、それ以上の力を、金を、暴力を手に入れて、これをその鼻づらに叩きつけてやる……!!
「おや、アレッサンドロさん、こんにちは」
立ち上がった老紳士は、僕の後ろに視線を向けた。
暗い怒りが満ちていた僕も、吸いつけられるように視線が後ろに向く。そこにいたのは長身の、まだ若い男性だった。
「ああ……キャンベル議員、こないだの当選記念パーティ以来ですね。どうですか、その後は?」
「……あなた方の組織には感謝していますよ……あの資金援助がなければ、今回ばかりは厳しかったかもしれませんからね。もちろん、私に出来ることがあればなんなりと仰って下さい」
「ええ、ボスにも伝えておきましょう」
その様子を見て僕は驚いた。
さっき僕にあんな宝物をほいっと渡した、あの老紳士が、まだ三十を超えた程度の、きっと彼よりもずっと年下の男に、媚びるように頭を下げているのだ……!
大きな衝撃が僕を襲った。
一体、この男は何なんだろう……?
「……ところで、そこの少年はなんです?」
「ええ、コレはですね、先ほど私の財布を摺ろうとした少年でして……あまりに哀れなんで、指輪でも恵んでいたところですよ。んっふっふ……」
「なるほど、スリですか……まあそういうことでしたら、私がついでに警察まで連れて行きましょう。これからどうせ警察に行く用事がありましたのでね」
「おや、そうですか? でしらたお願いしますよ」
「ええ、それでは」
そういって、男と老紳士は別れた。
老紳士はボディーガードを従えて道を下って行き、男は私の傍に立つと、荷物を運ぶのと変わらない感じで僕を肩に担ぎ歩き始めた。
「ちっ……悪趣味が……」
男がそんな呟きを洩らしたことは、はっきりと聞こえた。
襤褸雑巾のように痛めつけられた僕を連れた男は警察に行くと、下にも置かないVIP待遇で連れて行かれた。なんせ署長自らのお出迎えだ。
僕はというと、男の事情説明を受けた警官たちによって拘置所に連れて行かれた。同じく犯罪を犯したと思われる顔つきの悪い男たちが数人、それと顔に白い布を被せられた―――おそらく死体―――が一人分あった。
「ほらっ、てめぇはここに入ってろ盗人野郎」
どんなに殴ってやりたくても、痛めつけられた体では難しい。もしも体が動くなら、一対一の勝負なら絶対に負けないのに……!!
あからさまな侮蔑の視線を向けてくる警官たちに僕が出来ることは、睨みつけるくらいだった。
「はっ、なんだよ、ガキ。犯罪者の分際で、警官様にその反抗的な目つきはなんだ?」
「もしてめぇが拘置所の中で死んだところで、こんなスラムのガキ一人くらいどうとでももみ消せるんだぜ?」
見張りの警官二人は高らかに笑った。
僕の命なんて虫と大して変わらないのだと、そう嘲っていた。
「ふほほ、まぁ、確かにどうにでもなるが、それでも面倒なことには変わりないんだよ。勝手な真似はするんじゃないぞ、二人とも」
「あ……し、所長!?」
「こ、こんなところに? それに、アレッサンドロさん!?」
入口から入ってきたのは、先ほどのアレッサンドロという男と、目の前の警官たちより明らかに上質の服を着て勲章のようなものを着けた、小太りの中年だった。
この警察署長もまたアレッサンドロという男と親しげに、ともすれば媚びるように接している。
「いや、なーに、アレッサンドロさんが今日のあの事件の確認をしたいというんでな。こっちでいくらでも処理できるといったんだが、念のためと仰るので来て戴いたんだ。おい、あのホトケは?」
「あ、はい。そこにあるのがそうです」
警官の一人が指さしたのは、先ほどから拘置所の片隅に放置されていた死体だった。
「顔を見ても?」
「ええ、どうぞ」
アレッサンドロはそっと白い布を取った。
僕の位置からは死体の顔がはっきりと見えて、思わず叫びそうになっていた。
―――父……さん!!?
それは顔の真ん中を撃ち抜かれて血濡れになった、しかし見間違いようのない父の顔だった。
「今日の昼過ぎ、酒場で酔っていたこの男とうちの組員の一人が喧嘩になり、こいつを撃ち殺した……聞いている話で間違いはないな?」
「まあ、そういう話もあったかもしれません……ですが、そんな事実はどこにもありませんね。この男は不運にも酔った足を滑らせ、階段から落ちただけです。つまりは事故ですな」
「そういうことになる。話が速くて助かるな」
「なに、この町の治安を守るものとして、当然の判断をしたまでですよ……ふほほほほ」
僕はその話を聞いて、父の死を悲しむよりも先に憧憬した。もともと父なんていつか捨てるつもりだった相手だ。それが死んだかどうかなんて大した問題じゃない。
だけど、その男の持つ力!! 人を殺しても罪に問われることなく真実を闇に葬り、金持ちの議員すら頭を下げ、地位のある警察署長すら媚び諂う、その力に僕は憧れた。
そして悟った。
僕は今まで勘違いしていた。僕が今まで、世界を支配するものだと思っていた金や武力なんていうのは、所詮ただの手段に過ぎなかった。ただの道具に過ぎなかったんだ!
それらを統べるのが、権力!! 権力のあるところに金が、武力が集まり、金や武力を得た人間はさらにその権力を増す。
あの老紳士は屈強なボディーガードを連れていた。あの男たちはその気になれば紳士をすぐに殺せるだけの武力を持っている筈だ。けれど、そんなことをしようとは思わない。何故か? 彼は金を、権力を持っているからだ。
そんな老紳士も目の前のこの男には媚びた。何故か? この男が、それを上回る力を、権力を持っているからだろう。人を殺しても構わないほどの、圧倒的な力を……!!
あの力が、欲しい……!!
「んー? おい、餓鬼、てめー何物欲しそうな顔でアレッサンドロさんのこと見てやがんだよ」
「それとも、知った顔でもあったか? お、もしかしてこのホトケてめーの知り合いか?」
「はっ、もしそうなら残念だったなぁ。こんな碌でなしの貧民なんか、死んだところで誰も気にしねえよ。迷惑かからねえように消されるのさ」
「お前もいつかそうなるかもなぁ。くかかかかかか……」
しかし、今の僕はこんなカスどもにも見下されてしまう。
そのことが堪らなく腹立たしい。耳障りなその声が、目の前の現実を見ろと言ってくるようで苦しくなる。
そんな思いをねじ伏せるように、僕は強く意志を保とうと憎悪で心を満たしていった。
五月蠅い、このカスどもめ……!!
僕は絶対、将来偉くなって、お前らのことなんか見下してやるんだ……!!
この指に嵌められた宝石を、何のためらいもなく叩き壊せるくらいに……!!
どこから力が湧いてくるのか、それまでまるで動かなかった腕に握力がこもった。
血がにじむほど強く手を握る。
零れた血は指を伝い、紅いガーネットをさらに艶やかに彩った。
そうして、強く念じた。
お前らなんか、死ね!!
「う、ご、ぐ、あああああああああああああああああ!!!」
「い、いで、あ、ぐぎ、うぐぅぁああああああああああああああああああ!!!!」
「……ほぅ」
「な、何だ!? お前ら、急にどうした!?」
今までの能力