『あー、このワンピかわいい~!! あ、でも色こっちの方がいいかな? どう思う、エリザ?』
『どっちもお似合いだと思いますよ、お嬢様。でも、どちらかと言えばピンクの方がお似合いです』
『うーん、悩むな~……いいや、両方買っちゃお!!』
聞こえてくる会話は、終始そんな暢気な少女のものだった。
あまりに平和なものだから、こんなストーカーまがいの行動をしているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。春の陽気がぽかぽかと暖かい。いっそこのまま昼寝でもしてしまいたいが、任務中とあってはそんな訳にいかなかった。時刻はもう午後三時。朝からずっとこの調子で私は少女の後を尾けている。百メートル先の服屋で彼女が次々と侍女に服を渡していくのを見て、よく飽きないものだと感心してしまった。
ちなみに私は今、普段よりも上等な仕立てのスーツとメガネ、それにウィッグをつけて化粧を施し、キャリアウーマン風に変装している。そして対象である少女から離れた喫茶店で新聞を読みながら、彼女たちの会話に耳を傾けていた。「大気の精霊」を彼女たちの周りの大気に施し、その大気の振動に私の耳元の大気を同調させることで、あたかもそこに自分がいるかのように音声を拾えるのだ。私の能力は本来はこうした諜報や、姿を見せない暗殺、奇襲に向いている。これだけの距離があれば、少女に付き従う護衛たちにばれることもまずない。本領発揮である。もっとも拾える会話の内容がこの程度ではさしたる意味もないが。それでも会話のどこかに重要な情報が隠されていないかと神経を傾けなければならない。努力の割に報われない仕事だと思う。
ちなみに、不本意ながらチームを組まされることになったフェルナンデスにはノストラード組の宿泊しているホテルの監視をさせている。流石に部屋の内部の様子を探れるとは思っていないが、ノストラード組の関係者がホテルから外出したら電話で報せるよう言っておいた。もっとも、未だに電話は来ないが。
「……はぁ」
しかし、はっきり言ってこのままでは何の成果も得られない気がする。
少女―――ネオン=ノストラードは今回の取引の中心人物の一人の筈なのだが、彼女はまるで普通の少女のように買い物を楽しんでいる。
凄腕の占い師にして、闇社会の要人。ノストラード組のボス、ライト=ノストラードの一人娘。カーティスに見せられた資料にはそう書かれていた筈だが、彼女は今回の取引には噛んでいないのか? いや、そんな筈はない。取引には彼女の占いが含まれていたはずだ。だが、それならば組の今後を左右しかねないほどの取引に何らかの気負いとか、そう言った反応を見せるのではないだろうか。あれではただの観光だ。
もっとも、組の指示には従っているから文句を言われることもないし、現状では命の危険があるわけでもない。私としてはこのままでも一向にかまわないので、それ以上の考察は止めた。私が考えても詮無きことだ。
読むふりを続けていた新聞をテーブルに投げ出して、冷めてしまったダージリンを一口飲んだ。
鍛えられた視力には少女の幸せそうな笑顔がはっきりと映っている。
侍女たちに服の相談をし、侍女たちは軽く意見を述べる。そんななんでもないやりとりが実に楽しそうだった。任務が現状あまりに平和だから気が緩んでいたのだろうか。私はその様子を羨ましいと、そう思っていた。
私だって、そんなものとは全然縁がなかったが、一応まだ十八歳の女の子だ。
街で通り過ぎる少女たちの可愛らしい服装を見ると、時々羨望を覚えてしまう。そして自分の安物のスーツを見て、どうにも惨めな気分になるのだ。スーツを選んだのは、これならばどの場に出る時も使えるので服代が削れるというだけの理由なのだから。
彼女たちを見て、ちくりと胸が痛む……
「っ! 馬鹿か、私は……」
そんな下らない考えを、頭を振って否定した。
優先順位を間違えるな。何をすべきかを考えろ。そう自分に言い聞かせる。私が今何よりも優先すべきは、ヴィオレッタの治療費を稼ぐこと。先はまだまだ長く、無駄に過ごす時間も無駄に浪費する金もない。だというのに、そんな服だなんて、下らないことに―――
けれど、どんなに否定しようとしても頭の中にふと浮かぶ一つの情景があった。
スーツでなく、普通の女の子のようにスカートをひらめかせた私が、二人の少女と買い物をしている。
私が右手を繋いだ少女は、清楚な白のワンピースを着て微笑んでいる。儚げに微笑むその姿は幼い天使のように見える。
私の左手を握りしめた少女は、黒のゴシックロリータな服装だ。もう一人の少女と双子のようにそっくりだが、瞳の色だけは異なる。彼女は表情をころころと変えて、子犬のように私たちのまわりを回っている。
楽しそうだった。嬉しそうに笑っていた。少女たちだけでなく、私も。
普通の女の子のように買い物し、着飾り、人を殺すことなんてなく、映画の話題などに花を咲かせている。
それはなんて幸せな夢だろう……
けれど、所詮夢は夢。私はそこまで考えて、いつものように現実に帰ってくるのだ。
幸せな空想に浸る時間すら私には許されない。実現しない夢に価値はない。今できることを全力でやらなければ、現実すら儚い泡のように壊れてしまうのだから。遠い夢を追うなんて、あらゆる努力の先に初めて許されることだ。
私は両手で頬を強く叩くと、仕事に戻った。
部屋に帰ったのは夜の九時近くだった。
丸々半日ストーキング行為に精を出していたことになる。正直疲れた。
組の所有する物件の一つであるこのホテルの内装は、うちのロフトよりもはるかにいい。スプリングの効いたベッドに身を投げ出し、大きく溜息をついた。
「おう、あんたも帰ってきたのか」
「大した成果はなかったがな」
一足先に帰っていたフェルナンデスは、コンビニで大量に買い込んできたらしいビールの山を開けていた。酒の匂いが部屋中に充満している。
ひどく濃いその匂いに私は顔をしかめた。
「仕事中に酒を飲むな。任務に支障をきたす」
「ああ? お固いこと言うなよ。こんなの水みたいなもんだろ。どうよ、あんたもひとつ」
「結構だ」
買いこまれたビールの数は、明らかにただの水で済むような量でもなかったのだが、酔っ払いの相手をする気力はない。むしろ明日二日酔いになって使い物にならなければ、足手まといがいなくなって楽になるくらいだ。そう思い直し放っておくことにした。
私はベッドから体を起こし、部屋を出て携帯を取り出した。
今日の報告をしなければならない。あのあとも状況に大きな変化はなく、ホテルから外出したのもほんの数人だけだったので、大した成果にはならないが。
短いコール音。特に待つこともなく相手は電話に出た。
『アゼリア、何か有益な情報でもつかめましたか?』
「いえ、現状ではあの情報を裏付けるような証拠は出てきていません。ノストラード組の宿泊したホテルの監視と、ネオン=ノストラードの監視を行いましたが、ネオン=ノストラードはまるでただの観光客ですし、ホテルから出てきたのは末端の構成員と思われる数人だけです。そのほとんどはコンビニなどに買い出しに行っただけでした。ですが―――」
『ですが、何です?』
「一人だけは車で街中を走らせ、何をするでもなく帰って行きました。町の様子や経路を確認したものと思われます。なお、フェルナンデスの報告によると、その男は念能力者だったそうです」
おそらく今日調べた中で唯一有益であろう情報がこれだった。
ノストラード組にとっては隠れて取引を行うわけだから、目立つ行動を避けるのは判る。そのため、この分ではただ監視をしていても碌な情報を得ることが出来ないだろう。
『ふん、その程度の情報では何も判っていないも同然だというのです。ノストラード組がボルフィード組のシマに入っていることは確かですが、私用とか観光とか言われてしまったら我々に手を出すことはできません。もっと決定的な証拠が欲しいのですよ』
「……申し訳ありません」
『まぁ、いいでしょう。こちら側としても大した情報は掴めていませんからね。ですが、このままでは状況が進展しません。そこであなた方はもっと直接かつ大胆に調査をしなさい。そうですね、ネオン=ノストラードあたりに接触して、探りを入れるといいでしょう。ただの監視なんて普通の構成員に任せておきなさい。あまり多くを動員して尻尾を掴み損ねるわけにはいかないですが、ノームタウンには組の念能力者以外の構成員も十人ほど送り込んでいますから、その者たちに指示を出しておきます』
「了解しました」
『対象に接触する際に不自然でないような服と、多少の資金をホテル側に用意させておきます。明日はそれを使って、せいぜい成果を上げてください。それでは―――』
電話が切られたことを確認して携帯をしまった。
対象と直接接触か。確かにこちらから探りを入れることができれば、監視を続けるよりもずっと多くの情報が手に入るだろう。だがそれは相手に気取られないように注意を払わなければならない。
自分の牙を隠し、一般人のように振舞う訓練は昔やらされた。得意分野とは言えないが、できないことはない。
接触するならば、私の年齢や相手の警戒心などを考えると、確かにネオン=ノストラードの方が適当だろう。
さて、ならばどうやって接触のきっかけを掴むか……考えられるパターンを頭の中で列挙していき、最も警戒されそうにないものを選んでいった。
「なあ、アゼリアって言ったか?」
「なんだ? 私は今忙しいんだがな」
「まぁそういうなよ。同僚との交流は大切だぜ」
「……はぁ」
そんなものは必要ない世界なのだが、煩わしかったのでさっさと話を切り上げようと思って振り向いた。フェルナンデスの前には空になった缶が大量に積みあがっており、彼の顔は酔ったのか真赤になっている。本当に使えなさそうな相棒だった。
「ま、ちょっとした質問だけどよ。あんたはなんでこの仕事始めたんだ?」
「……この世界の先輩として忠告しておいてやる。余計な詮索は身を滅ぼすぞ」
その質問をしてほしい人間はこの世界にはいない。
私もまたその一人だ。
「ああ? いいじゃねーかよ、話して減るもんじゃねーしよ」
「……ならばお前は何故この世界に入ったんだ? まだ念を覚えて日が浅いのは見ればわかる」
「おっ、俺のこと興味あるのか? いいね、そんじゃ話してやるよ。実はさ、こないだすげーうざいことがあってよ―――」
正直この男のことなど興味はなかったが、頭を休ませるついでに軽く聞いておくことにした。
「―――で、糞生意気な女に喧嘩売られて、こっちは全然悪くねーのに殴られたんだよ。ちっこい女のくせに、何かパンチが強くてな。俺のこのナイスな鼻へし折ってくれたし、最悪だったぜ。けどまぁ、それが原因だったのか、気付いたらこの能力を手に入れていたんだよ。い、いや! もちろん、その女は後でひぃひぃ言わせてやったんだがよ!! そこんとこ間違えんなよ!! で、カーティスってあの野郎がその力の使い方を教えてやるから部下になれって言ってきやがってよ。面白そうだったし、金になるし、文句はなかったから始めてみたんだ」
「ふん……興味本位でやってるだけか」
「いいじゃねーか、人生を楽しむのは重要だぜ。で、俺が話したんだ。あんたも教えてくれよ」
「そんな約束はしてないし、話す義理もない。いいから酒は止めてもう寝ろ」
信念も何もない薄い理由だった。誘われたからやってみて、面白そうだから続けてみた、そんな感じ。念という力を手に入れたことで増長している部分もあるのだろう。フェルナンデスは見る限り大した使い手でないにも関わらず、自分の力に自信を抱いている風であった。そんな遊び半分の舐めた態度だから、仕事中であるのに酒を浴びるように飲むなんてプロにあるまじき行動をとっているのだろう。
そんな奴に私の事情を話すつもりはない。これ以上話していても時間の無駄だと思った。
明日、ネオン=ノストラードと接触するパターンはもうある程度絞り込んでいる。これ以上はその場の状況によるので考えても仕方がない。ならば体を休めるべきだ。
私は堅苦しいスーツを脱ぎ棄てると、ワイシャツ一枚になってベッドに潜り込んだ。
「おいおい、あんた、同じ部屋で寝るつもりかよ! しかもその格好……!!」
「部屋を変えたいならばお前が移れ。私はもう寝る。それと服なんて持ってきてないから仕方がない」
フェルナンデスはうろたえた声を出しているが、私の方は別に気にしないので問題ない。
彼が気にして部屋を移りたいならば止めようとは思わないが、一応チームを組んでいる以上理由もなく待機場所を分けるべきではない。いつ緊急の情報が入ってくるかは判らないのだから。
「あ、ああ!? おまっ、襲われてーのか!?」
「ふむ、私など襲っても楽しいとは思えないが……」
だが、襲われたいとも思わない。
私は部屋に男の方に向き直ると、軽く「練」をして脅しをかけた。
先ほどよりもはるかに力強さを増したオーラにフェルナンデスは酔いが覚めたようで、驚きに目を見張っている。
「体が輪切りになってもいいなら挑戦してみろ」
フェルナンデスはコクコクと、声も出せない様子で頷いた。
それ以上は彼に気を懸けることもなく、さっさと眠りについた。
翌朝目が覚めたとき、空はうっすらと白んでいた。
時刻は朝五時。いつもどおりの時間だ。
フェルナンデスは結局部屋を移ることもせず、しかし私に襲いかかることもなかったのか、五体満足なままソファーで眠っていた。賢明な判断だと思う。
あのあとも酒を飲み続けたのか、机の上にはビールの空缶の山が出来ていた。非常に酒臭い。とりあえず風を使って自分の周りに新鮮な朝の空気を運んでくる。
軽く身支度を整えてホテルのフロントへ向かう。
このホテルはボルフィード組の経営するホテルの一つなので、支配人もまた組の息のかかった人間だ。昨夜カーティスの命令で、私が一般人としてふるまうための服などを用意してくれているはずだった。
流石にホテルの人間たちの朝は早い。私がホールに出ていくと、すでに業務を開始していたホテルマンたちが頭を下げてきた。そのうちの一人を捉まえて尋ねる。
「支配人はいるか? ボルフィードの関係者が、預かりものをもらいに来たと伝えてくれ」
テキパキと一礼し去っていくホテルマンを見送って、私は窓際に座り黎明の空に視線を向けた。
今日は見たところ快晴となるだろう。昨日一日ネオン=ノストラードを観察した限り、彼女はとても元気のいい少女だから、こんな天気の日に部屋の中に引き篭もっているとは思えない。昨日も相当買い物をしていたようだが、今日もきっと街中へ出て行って観光に精を出すだろう。ならば同年代の少女として接触するのがもっとも警戒されないはずだ。
そう思考を纏めていたところに、まだ四十代半ばといった男性がやってきた。
「遅れて申し訳ありません。このホテルの支配人のアーノルド=ビーンズと申します。アゼリア=クエンティ様でよろしいでしょうか?」
「ああ」
「カーティス様からお話は伺っております。どうぞこちらへ」
アーノルドの先導に従って歩いて行くとオーナー室に着いた。
彼が部屋の片隅のクローゼットを開けると、そこにはものすごい多岐にわたる女性ものの服が用意されていた。中には婦警の制服や、ナース服、教会のカソックなどもある。
こんなにたくさん、男性が持ってどうするのか……ひょっとして、自分で着ているのだろうか?
アーノルドはそれを誇らしげに見せて尋ねてきた―――私は若干このオーナーの趣味にひいていたが。
「着替えの服と小物が入用と伺っています。どのようなお召物が必要でしょうか」
「年齢相応の、一般人の少女に見えるような服を適当に見繕ってくれ。小物もそれに合わせる感じで頼む。私はどういうのがいいのか判らないんでな」
「かしこまりました。それでは、こちらはいかがでしょうか」
「ああ、それでいい」
どうせどれがいいのかなんて私にはよく判らないのだから、選ばれたものを着ることにする。
アーノルドが選んだのは、ブラウンの膝丈ほどまでのプリーツスカートに白のブラウス、それとスカートに合わせたのかブラウンの編上げブーツと黒のニーソックスだった。
アーノルドが部屋を出ていった間にそれらを着ていく。スカートなんて穿くのはいつ以来だろう。どうにもすーすーして落ち着かない気がする。
だが、任務のための変装とはいえ、普通の少女のような服装をするのはすこしドキドキした。ブラウスの一番上のボタンを留めて鏡の前に行くと、見慣れない姿の自分が映っている。
なんとなく気恥ずかしくて、今すぐ脱いでしまいたい衝動に襲われるが、それでも少し嬉しかった。
ちょっと、回ってみたりして―――
「終わりましたかな?」
「っ!!!!!!???」
全速力で振り向いた。
部屋のドアは閉じられたままだ。それはそうだ。私がまだ着替えているかもしれないのだから、入ってくるはずがない。そんなことも気づかなかったのか私は。
だがとりあえずホッとした。知らずのうちに「堅」をしていたことに気づき、「堅」を解く。
何度か深呼吸して、どくどくと激しく脈打つ心臓が落ち着くのを待って、入室を促した。
「……終わりました。どうぞ」
「それでは失礼します。おお、よくお似合いですよ」
表面上は落ち着いた、この服を着ていることに何の感慨もない態度を取り繕いながら、私はアーノルドの持ってきた物に目を向けた。
小さなバックや財布、髪留め、手鏡、腕時計、他アクセサリー類などが揃っている。
「小物なども取りそろえて参りました。財布には、一般人の少女として振舞うとのことでしたので、一応二十万ジェニーほど入れてあります」
「ああ、ありがとう」
……その金をそっくり貰ってしまってもいいんじゃないか、と思ったのは秘密だ。
まぁ全部は無理でも、任務の後で残った金はこっそりいくらか抜いておこう。どうせ組の負担だし。
「それと、化粧台はそちらです。あるものはご自由に使っていただいて構いません」
……男の部屋に常設の化粧台というのはどうなんだろう。
置かれている化粧品もやたら多い気がする。
やっぱり、自分で使っていたりするのだろうか……? うーん、犯罪の匂いがする。
と、支配人の趣味について一考したところで、重大なことに気がついた。
「……アーノルド支配人」
「なんですかな?」
「どなたか女性職員を呼んでいただきたい。私は化粧の仕方が判らないんだ」
「ああ、それでしたら僭越ながら私が―――」
「女性職員で、お願いする」
「…………畏まりました」
こころなしが残念そうな声色だったのは、気のせいだと思うことにしておいた。
結局そのあと、ホテルのレストランのウェイトレス、ココさん(22歳)に化粧や髪のセットをしてもらった。実に準備だけで一時間くらいかかった気がする。世の中の女の子はこんなことによくこれほどの時間を掛けられるものだと尊敬してしまった。
普段しない化粧をしたせいで何か違和感があるというか、動きづらいような気がするが、今日はあくまで諜報だ。戦闘になってはいけない仕事なのだから、このくらいで丁度いいだろう。
周りから時折感じる視線になんとなく委縮してしまうが、どこもおかしいところはないと思う、多分……ココさんもどこも変な所はないと言ってくれたし。アーノルドがサムズアップしてきたのは記憶から消すことにする。
レストランでベーグルサンドとコーヒーを頼んで軽く朝食を済ませると、もう朝の七時近かった。一般の客たちもちらほらと起きている。
だが、未だにフェルナンデスの奴は起きてこない。
「……使えない」
能力が足りないだけならまだ使いようはあるが、仕事態度に真剣さがないのは致命的、というか本当に邪魔だ。
今日の私の作戦だとあいつもしっかりと働いてもらう予定なのだから、こうまで無能だと困る。
スミスあたりでも居てくれればよかったのだが……
「まぁ、いない者をねだっても仕方がない……」
本当に嫌になるが、とりあえず馬鹿を起こしてくるか。
で、部屋に戻ってみるとその大馬鹿者は大いびきをかいて、しかも腹を出して寝ていた。
もう何も言う気はない。優しく起こしてやる気などもともとなかったが、遠慮なく蹴りをぶち込んでやることにする。尻に。
「たわばっ!!!」
妙な悲鳴を上げてベッドの上で悶絶するフェルナンデス。
いい気味だ。
「いつまで寝ているつもりだ、このバカ。もう仕事の時間だ」
「ああ!? だからって、蹴って起こすか、このバ……カ、やろう?」
「どうした、変な顔をして」
まるで街中でライオンにでもあったような変な顔だ。
まだ寝ぼけているのだろうかと思い、もう一発蹴りを入れようと足を振り上げた。
「あ、いや、待て待て! べ、別に大したことじゃねえよ!! アンタも一応女だったんだなー、って思っただけで」
「当然だ。見て判らないのか? それともまだ寝ぼけているのか?」
「お、オーケー、オーケー! 目はばっちり覚めた! だからその足を降ろしてくれ! ていうか下着見えるぞ!」
「ん? ああ、そうか、今はスカートだったな」
一応気をつけよう。
「まぁ、起きたなら別にいい。さっさと用意しろ。もう仕事に行くぞ」
「ああ!? ってか、まだ七時じゃねーかよ!! もっと寝かせろ!!」
「ふざけるな。標的が動いてからじゃ遅い。三分だけ待ってやるから支度を済ませろ。出来るだけ一般人に見えるようにな」
「飯食う暇もねえのかよ!!」
「寝坊したお前が悪い」
これ以上こいつの言い分に耳を傾けるつもりもなかった私は、椅子に座って新聞の一面に目を通し始める。
後ろではフェルナンデスが悪態を吐きながらしぶしぶ起き上った。
で、三分後。
なんとか準備が終わったフェルナンデスは、一応人前に出せる状態にはなっていた。
「ったく、人使いが荒すぎるぜ……」
「文句があるなら、仕事中に飲酒などしないことだ」
「けっ、酒は百薬の長っていうんだぜ! 誰が止めるかよ!!」
……本当に聞き分けのない男だ。いくら新入りとはいえ、こんな奴とチームを組まされるなんてついてないにも程がある。
馬鹿と鋏は使いようらしいが、大馬鹿ではそれすら出来ない。
まぁとりあえずは仕方ない。私は帰ったらカーティスにこいつとのチームを解消してもらえるよう頼んでみることを決めて、今日の仕事の内容を説明していった。
「―――まぁ、やることは判ったがよ、結局俺はどういう役回りをすればいいんだ?」
「ふむ、そうだな……」
時間が無いので、簡潔に一言で言ってやることにする。
「恋人役で、荷物持ちだ」
〈後書き〉
アゼリアさん、普通の女の子にちょっと憧れるの回。服を着せるとき、ちょっとTSモノを書いている気分になったのは気のせいと思うことに。
そしてフェルナンデス使えない。こいつにはあとあと役目があるのですが、今はこんな奴です。
原作入りまであと四話くらいの予定。早く入りたいなあ。
それでは、次の更新の時に。