プロローグ 乙姫むつき 何故自分は、こんな職業を選んでしまったのだろうか。 教科書を持つ手とは逆の手で黒板にチョークで文字を書きながら、溜息混じりに思った。 そろそろ石の上にも三年目に突入していたが、限界が近いのかもしれない。 ちょっとした下心がなかったと言えば嘘になるが、もう少し夢があったはずだ。 少々古いが、金八先生やGTOのような、後者は少し違うがそんな夢を。 だが黒板に書いた文章の意味を説明する自分の声がどこか遠い。 熱に浮かされ夢うつつのまま動いているような。 背後から聞こえる姦しい声が、自分の声どころか存在そのものを押し流すようだ。「でさでさ」「ちょっと、声が大き……嘘、本当!?」 嫌々、仕方なく振り返っては、眉を潜めながら注意する。「煩いぞ、少し静かにしなさい」 出来るだけ教師らしく落ち着いた声色を使ってそう言った。 心の内部に潜む怒りを押し隠し、注意した声もまた押し流されていく。 思春期まっさかりの女子中学生がそれぐらいで黙るはずがない。 いや、多少は静かにはなったが必死に笑いを堪えているようにも見えた。 いつまた騒がしさが復活してもおかしくはなかった。「続けるぞ」「あ、先生そこ字が間違ってるネ」 黒板に振り返って間もなく、背後からそんな指摘が飛んで来た。 彼だけでなく、他の教師でさえ舌を巻く、最強頭脳からの指摘である。 慌てて教科書を開きなおし、一体何処がと黒板を眺めようとし、肘に何かがあたった。 教卓に置いておいたチョーク入れだ。 肘に押し出されては見事に教卓からダイブを謀り、無謀のままに床に落ちてはケースが跳ねた。 グロテスクではないが、飛び出した中身が方々に飛び散っては砕けていく。「あっ、しまっ!」 なんともいえない小さな失敗にカッと顔が熱くなり、慌てて走りよってしゃがみこむ。 素早く拾い直そうとするも、砕けたチョークは直りはしない。 しかも小さな破片になっては方々に広がり、結構な手間がかかる。 小さな欠片も丁寧に拾っていると、不自然さを感じもする優しい声が降りてきた。「先生、手伝ってあげようか?」「ああ、すまんな鳴滝。手伝ってくれると」 しゃがんでいた状態からふと視線を上げると、その軌跡がどうしても通過する。 最後に見上げきってから小学生なみの童顔の鳴滝と目があった。 その目に手伝おうという優しい光はなく、悪戯好きの怪しい光のみだ。 またかと思わないでもなかったが、到底制止が間に合うはずもなく。「あーっ、先生のエッチ。私のスカートの中、見た!」「えーっ、先生そういう趣味。風香が趣味とか、正直危ないよ、それ」「お姉ちゃん、さりげに自爆してるよ」「いくらなんでもそれはない」 再び、堪え切れなかった笑いを炸裂させるように、教室内が騒がしくなる。 覗いたか、覗かなかったかはどうでも良いのだろう。 箸が転がっても、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。 もういいやと、細かく飛び散ったチョークに見切りをつけて立ち上がる。 しかしさすがに騒がしすぎるので、何か言おうと口を開いたタイミングで、「皆さん、先程から騒ぎすぎです。あっ、先生どうぞ」 先にクラス委員の雪広が立ち上がり、皆を沈めてしまう。 一応、授業中という意識はあったのか、速やかに静かになっていく。 それから彼が口を開いていた事に気付き、先を促がされる。 だが振り上げた手の落としどころは既に失せており、授業を続けるしかなかった。 どこまでやったかと、教科書を開きなおしてそこで終了のチャイムが鳴ってしまう。「やっと終わった、お昼ごはーん!」「まき絵、まだ授業中」 ピンク頭の佐々木が両腕を上げては、後ろの釘宮に背中をつつかれている。 だがその声が皆の小腹を刺激したようで、誰もがもはやお昼ご飯と休憩に心を奪われてしまっていた。 成長期だから仕方がないとは言え、もう少し自制心をもてないのだろうか。 キリの良いところまで続けるべきか、今ここで終了を告げるべきか。「雪広、終了だ」 結局キリが良いかどうかではなく、この場にいたくないという思いからそう伝えた。 何人か、やったと小さく呟いたのが聞こえたが、もう怒る気にもなれない。「起立、礼」 きびきびとした号令とは裏腹に、おざなりな礼を受けてむつきはほっと息をついた。 なんとか終わったと。 後は、夕方の終わりの会で顔を付き合わせるだけで済むと。 麻帆良女子中、二年A組の副担任乙姫むつきは、そそくさと教室を出て行った。 -ほぼ前書き-ども、えなりんです。後書きは第一話の方に。本作は、基本的に日常が奇数話、エロが偶数話となっています。あくまで基本的にで長編のお話の場合は少し崩れますが。あと作者はブログ「CrossRood」を運営中です。同時更新していますので、有事の際はそちらへどうぞ。十年以上に渡る作者の過去作品も一気に読めちゃいます。2000年当初のものは、さすがに恥ずかしいできですけどねw