第百一話 改めて、よろしくな! 長い長い夏休みがついに終わりを迎え、残暑厳しい九月に突入し、二学期を迎えた。「おはようございます」 二学期初日と言えど、学生たちとは違い教師は夏休み中も仕事で頻繁に顔を合わせている。 しっかりとスーツを着込んだむつきが挨拶をして職員室に入っても、おざなりな挨拶が返る始末だ。 ごく一部、体育会系の方からは煩いぐらいの挨拶が返るが少数派に過ぎない。 これが生徒なら、久しぶりに会う子もいて盛り上がるところであるのだが。 夏休みは校舎も静かでよかったなんて、軽い冗談を言っている先生すらいた。 職員室へと来る道すがら、登校の早い生徒は学校に来ており、それはもう姦しいものである。 気持ちは分からなくもないがと、むつきも軽く微笑をこぼしつつ自分のデスクにたどり着いた。「おはようございます、二ノ宮先生」「おはようございます。いや、ついに始まっちゃいましたね。もっとも、私は新体操部でまき絵たちと頻繁に顔を合わせていたのでそれほどでもないですけど。乙姫先生もでしょ?」「特に新鮮味はないですけど……」 相変わらずのコーヒー好きである二ノ宮が、朝の一杯に口をつけながらそう聞いて来た。 むつきが水泳部の顧問であることからも、同意を求めてのことだろう。 水泳部以外にも、色々な意味で生徒と顔を合わせていたので否定のしようがない。 それに今朝は世間話よりも、美砂たちの計画通りやっておかなければいけないことがあった。 デスクの上に置いた鞄の中から、一枚の写真立てを取り出しデスクの上に置く。 さりげなくではなく、二ノ宮の目に留まるように何度も置き場所を変えては突っ込まれるまで止めない。「なにして……あれ、それ。確かそのでかパイは。アタナシアさんでしたっけ? これ見よがしにデスクの上に、本命はどこ行っちゃったんですか?」「いやあ、それが。三人で協議した結果、元カノが身を引いて正式にアタナシアと付き合うことに」 半分本気の照れ笑いをしつつ、むつきがそういうと瞬く間に二ノ宮の表情が驚愕へと変わっていく。 そんなに驚かなくてもと思ったが、何故かその視線はむつきに向かってはいない。 むつきを通り過ぎたその背後、なにやらぼたぼたと液体が零れ落ちるような音が聞こえている。 一体何がと振り返ると、自分で淹れたらしきコーヒーを口から大量にこぼしている瀬流彦がいた。「ちょっ、瀬流彦先生。スーツにシャツにコーヒーが、熱くないんですか?!」「あれ、僕まだ寝てるのかな。大変だ、夏休みはもう終わったのに。それとも終わったのが夢なのかな?」 ハンカチでは大惨事だと、ティッシュ箱からティッシュをもぎ取った二ノ宮が駆け寄った。 二ノ宮にかいがいしく世話されながらも、何故か瀬流彦はむつきの机の上にアルアタナシアの写真を見つめたままぶつぶつつぶやいている。「瀬流彦先生?」 おーいと目の前で手を振るもなかなか瀬流彦は返ってはこなかった。「うわっ、手についた。瀬流彦先生、今週の金曜は奢りで飲みですからね」「なんで?!」 ただし、二ノ宮の口から奢れとの命令が下るや否や我に返ったようだ。「若くて綺麗な女性に要介護者のごとくお世話をされたんだから当然じゃないですか。あと、床にもこぼれてるから下手すると張り替えですよ?」「あ、悪魔だ。って、熱っ。うわ、シャツが張り付いて気持ち悪い」「夏休み明け早々、なにやってんですか」 この人の時々意味が分からない人だと呆れていると、何故かあなたに言われたくないみたいな視線を受けた。 大変遺憾であるが、本気でそんな視線を受ける意味が分からない。 他にも瀬流彦以外からも、何処からともなく視線が飛んでいる気がするが気のせいだ。「おっ、ちょうど良かった。君たち、乙姫君に瀬流彦君。少し手伝ってくれ」「はい?」 仕方がないので瀬流彦のコーヒーの後始末を手伝おうとしたのだが、職員室の扉が荒っぽく開けられた。 飛び込んできたのは、広域指導員として二学期初日の見回りに向かったはずの新田であった。 むつきや瀬流彦のみならず、若くて体力がありそうな先生に手あたり次第声をかけまくっている。 一体何があったのか、瀬流彦は手が放せそうにないのでむつきが話を聞きに行く。「駅からの通学路で、早速生徒が大騒ぎをしている。どうやら、格闘系の部活の朝の恒例のイベントだが。ちょっと様子がおかしいので手を貸してくれないか」 朝の恒例のイベント、しかも格闘系の部活とくれば大よその人にはそれで通じてしまう。 二年A組の四天王の一人、格闘少女である古への男たちからの告白ならぬ決闘である。 自分より強い者を婿にといった古により、毎日飽きもせず行われているイベントだが。 これまであまり、騒ぎになるようなことはなかったはずだ。 あっても時々、吹き飛ばされた生徒が人を巻き込んだり、気の弱い生徒が血しぶきに気を失ったり。 自分のクラスのことでもあるので、むつきは瀬流彦に変わって手伝う為にその現場へと向かい始める。 場所は予め聞いていた通り、麻帆良女子中から駅までの通学路の途中であった。 いうなれば他の学校との分岐点に入る通学専用道路、その中央に人だかりができていた。 しかも早速イベントかと夏休み明けの陰鬱さを吹き飛ばせとばかりに、次から次へと生徒が集まってくる。「おい、なんだなんの騒ぎだ?」「俺たちの夏休みはこれからだって、高等部の奴らが授業のボイコットらしいぜ」「いや、俺は麻帆良祭は春と秋の両方にやった方が平等だとか。生徒会が演説してるとか聞いたぜ」「いやいや。麻帆レンジャーがついに人気低迷から、ピンクちゃんの触手お色気路線に入ったPRだって!」 もはや外周部分の生徒は事の真相すら知らず、野次馬根性で立ち止まっているにすぎないようだ。 今もなお人垣は成長をし続けており、幾人かの広域指導員の先生方が声を上げているが聞こえてすらいないかもしれない。「これはまた……」「君たちは周囲の生徒から順に声をかけて、学校へ行くよう指導に当たってくれたまえ」 新田が早速連れて来た先生に指示を与えた為、むつきもそれに倣おうとしたわけだが。 君は違うとばかりに腕を掴んで止められてしまう。「乙姫君、君はあの人だかりの中央に向かってくれないか。生徒の声を拾う限り、この騒ぎの原因は君のクラスの生徒らしい」「この時間に騒ぎを起こすのは、古でしょうね。分かりました」 あの人垣を割って入るのかとうんざりするが、曲がりなりにも上司命令なので突貫である。 主に人垣は男子生徒であるため、当社比三倍ぐらいの乱暴さでかき分けて行く。 多少むっと睨んでくる生徒もいたが、教師相手となると大抵はもめることなく引き下がってくれた。 そんな風に嫌々ながら男子生徒をかき分けていると、ようやくにして騒動の中心が見えてくる。 わいのわいのと騒がしいが、何やらもめているようだ。「古部長、理由を聞かせて欲しいッス。これでは一体何のために、夏休みに山籠もりをしたのか!」「せめて男として、最後の勝負を。到底納得できません!」「古部長!」「そんなことを言われてもアル……」 案の定というべきか、騒動の中心には古がいたが、まだ原因の特定には至らない。 ただ傍から見る限りは、古が複数の男子生徒、エネルギーが有り余った彼らの非難を受けている。「はいはい、お前ら。ストップ、ストップ。一体なにがあったんだ、凄い騒ぎだが」「あっ、先生。おはようございます、アル。それが……」 古は騒動の中心であれ冷静であったようで、ちょこっとだけ目を輝かせながらも挨拶を返してきた。 その輝きが示す通り、肩のあたりも今にもじゃれつきたそうにうずうずしている。 ただし、現状は教師と生徒という立場を同時に理解しているようで実行する様子はなさそうだ。 他の子と違い、直球勝負が大好きな古だけに少し心配していたが、大丈夫そうであった。 それは兎も角として、彼女とは反対に周囲の言葉を荒げていた男子生徒はかなり興奮していた。 スーツをみにつけ、古の挨拶からも明らかに教師と分かるむつきの登場に明らかに眉根をひそめている。「教師と言えど、無関係な奴は引っ込んでいて貰おうか。これは、我々格闘技を愛する漢と古部長との大事な話だ。将来的な意味を込めて」「そうだそうだ。俺は今日という日の為に、夏休みの間に二回も骨折したんだ」「馬鹿野郎、俺は山籠もりはもう古いと海籠りでクジラとだな」「はっ、俺なんか無人島に流れ着いて原始に返った修行を!」 途中からかなり意味不明ではあり、彼らの主張が一ミリも分からず古に一体何と尋ねてみる。「あー、それが……私は強い男が好きだったから、私を倒せたらその人と付き合う約束を」「その辺は一応知ってるぞ」 当たり前だが、非常に言い辛そうに報告してきた古に心配するなと言外の会話を繰り広げる。 両手の人差し指同士をつんつんしていた古は、それで一応の安心はしたらしい。 明らかにほっとした様子で、それならと詳しい説明をむつきにしてくれた。「だから、もう決闘は金輪際しないと宣言したらこの騒ぎになってしまったアル」「あー……」 非常にわかりやすい、かつ彼らの夏休みの間云々の言葉の意味さえ理解できる説明であった。 夏休みの間、死に物狂いで修行し古をものにしようとしたら、もう決闘はなしと言われた。 確かに一人の男としては、彼らの主張を理解してやれないこともない。 しかし、古の恋人としては到底受け入れられることでもなかった。 正直なところ、おとといきやがれと言ってやりたいが、そういうわけにもいかないだろう。 ここで古に好きな男がと言わせても、火に油を注ぐ結果にしかならない気もするしどうすべきか。 チラッチラっと言っていいアルかと瞳で問いかけてくる古に待ったをかけておく。 だが困った困ったと頭を抱えているうちに、状況は刻一刻と川の流れのように変わろうとしていた。「なんや、なんや。喧嘩か、喧嘩。俺も混ぜてんか!」 そんな元気でまだ声変わりもしていないようなちょっと高めの声が周囲に響き渡った。 ざわざわと一体どこからとむつきに加え、周囲の男たちも見渡したがその姿は見えない。 それもそのはず、その声の主はまだ人垣の中であり、面倒だとばかりにその人垣から小さな黒い影が飛び込んできた。 軽々と人垣の頭を飛び越え、文字通り飛び込んできた。「おっしゃ、誰の喧嘩か知らんが俺が買ったるで。こいや!」 お前か、それともお前かと身構えながら周囲を威嚇する小さな影は、小学生ぐらいの男の子であった。 何時かどこかで聞いたような元気な関西弁、もどき。 むつきや古とも顔見知りなその子は、ここにいるはずのない小太郎である。「おー、むつきの兄ちゃんに古姉ちゃんやんけ。ならこっちが悪もんか。特にむつき兄ちゃんは弱いから、代わりに俺がやったるでぇ!」「小等部の駅は一つ前だぜ、迷子の坊や。それと、大人の会話に加わるもんじゃねえ」「そうだ、すっこんでろ餓鬼。古部長と俺たちの間に入ろうなんて十年早い」「へえ、そんなん言うんやったらはよやろうや。千草姉ちゃんが色ボケになってから、こちとら暇してたんや。関東についてそうそう喧嘩ができるなんて、ついとるわ」 しかも経緯の一欠けらも解さぬうちに、勝手に決めつけ大きめの学生服を腕まくりである。 この年頃の子にとって年上とは見上げるような体格差であるのに、怯みもしない。 それどころか、凄まれれば凄まれるほどに嬉しそうに、尻尾でもあれば振っていそうな雰囲気だ。「ちょっと待った、待った。小学生相手に凄むな、お前ら。日本の格闘技は礼に始まり、礼に終わる礼節を学ぶものでもあるだろ。小さい子を相手に、凄むんじゃない。あと小太郎君も、目の上の人に喧嘩腰は駄目だ!」「あっ、こら。放してんか、俺は兄ちゃんの為に」「全然、俺の為になってないから。そもそも、なんで君ここにいるの?!」 慌てて小太郎の首根っこを掴み、鼻息荒い男子生徒から引き離す。「ああ、もう。全く収拾がつかないどころか。古」「はい、アル!」 じたばた暴れる小太郎の首根っこを掴みながら、やけくそまじりにむつきは古の耳元でささやいた。「もうこのままじゃ、色々と収まらん。改めて放課後にでも集まって貰え」「それでも堂々巡りの気がするアル」「きちんと好きな人がって説明して、その上で勝負してやれ。結果がどうあれ、付き合わないと確約してから。お前が始めたことだ。ちゃんと最後まで責任もって、彼らを振ってやれ」 古の事情はどうあれ、彼らは彼らで古に相応しい男になろうと努力してきたのだ。 事前通告もなしに今日からもう勝負はしないでは、彼らも当然今のように納得できない。 それに元を正せば、勝ったら云々を始めたのは古である。 今のままでは古は、ただの我がまま、勝手に周囲を振り回しただけの子になってしまう。 原因の一部であるむつきも、自分の嫁が周囲にそんな評価を受けるのはいただけない。 だから古には、懇切丁寧に説明し、彼らの思いを最後まで蹴散らして貰うのが良いだろう。 その上でまだ付きまとってくるのであれば、そこからはもう警察の出番である。 ストーカー的な意味で。 さあ行けと、熱くたぎっている男たちの前に進み出るように軽く古の背を押してやった。「わっと……あ~」 再び男連中の視線を受け一度は視線を逸らした古だが、直ぐにパンっと頬を張って気合を入れた。 経緯はどうあれ、この人と決めたむつきから責任を持ってと言われたのだ。 ここで気合をいれてきちんと対応せねば、がっかりさせかねないと女気を見せる為に声を張った。「もう直ぐ予鈴が鳴るアル。だから放課後、中国武術研究会の練習場に集まって欲しいアル。そこで私の言葉を聞いて、納得したうえで最後の勝負をするアル!」「最後、最後なんですか古部長!」「何故、今までの俺たちの努力は?!」「全部きちんと説明するアル。だからこの場は退いて欲しいアル!」 勝負なしから一転、最後の勝負と言葉は変わったが、彼らはまだ納得できないと多数の声をあげた。 しかし古もこれ以上あいまいな態度を取らず、彼らを真っ直ぐ見つめ返している。 余計なことは口にせず、今はまだ想いだけだが彼らの言葉を受け止めていた。 それが分かったのだろう、一人また一人と放課後、または最後の勝負と呟きながら踵を返す。 これが最後、幾度となくそう繰り返しては、こうしちゃいられないとばかりに走り出した。「今日は半ドン、数時間しか。いやさ、数時間。数時間あれば、もっと高みに!」「古部長との最後の勝負、無様な真似はできねえぜ。一分一秒を惜しんで最後の修行だぜ!」「どけどけ、野次馬ども。俺たちに立ち止まっている暇さえ惜しい!」「こら、お前たち。何処へ行く。ホームルーム後には直ぐ、始業式だぞ!」 その行き先が校舎ではなく、何処とも知れない方角なのは、彼らの言葉からも分かりきっている。 案の定、新田などに怒声と一緒に引き留められるが、それで止まる様な麻帆良生徒ではない。「皆、殿は任せろ。一人でも多く、一人でも多く!」「馬鹿なことを、待ちなさい!」 ちょっとばかり収拾をつけにきた新田たちには酷なことだが、一番熱くなっていた者が去っていったのだ。 当然というか自然と、この騒ぎも終わりかと人垣の中央に近い部分からその空気が広がり始める。 ばらばらと生徒たちが生み出していた人垣に隙間が生まれはじめ、一部の生徒以外は校舎に向かい始めた。 二学期早々の騒ぎも、なんとかこれで鎮静化して言って貰えそうだ。「なあ、兄ちゃん。そろそろ首根っこ放してんか」 むつきの手により、ぷらぷらと揺れている特大級の爆弾を残して。「あっ、小太郎君」「げっ、夏美姉ちゃん」「げ?」 人垣の中にいたのか、その爆弾を見つけた村上が頬を退くつかせながら歩み寄って来た。 その後ろにはあらあらと、予期せぬ小憎らしくも可愛い小太郎を見つけ満面の笑みの那波もいる。 二人のみならず、神楽坂や木乃香に刹那といった二-Aの生徒もちらほらいたらしい。「おい、集まってくるな。古の言葉を聞いたろ、そろそろ予鈴がなるぞ。二学期早々、遅刻になるぞ」「そうよ、二学期早々に高畑先生のお手を煩わせるなんて。木乃香、刹那さんもキビキビ行動。あと、先生おはようございます!」「なんかもう、挨拶も良いから。ほら、走れ走れ」 相変わらず小太郎をぷらぷらさせながら、神楽坂以下走りそうにない子の背中をぽんぽんと叩くように押していった。 小太郎を見つけた時から、半ば予想はしていたのだが。 校庭で行われた麻帆良女子中学校の始業式、生徒の視線を檀上で集めているのは学園長ではなかった。 直前まではそうであったのだが、学園長が紹介した新任の女教師に集まっている。 学園長曰く、一学期に転任した元水泳部の顧問に代わり臨時教師として着任したそうだ。 タイトスカートのスーツに京都でむつきが楽しんだ熟れた女の体を詰め込んだ彼女。 天ヶ崎千草その人が、メガネの奥からにこにこと晴れやかな笑みを浮かべながら会釈した。「先ほど、学園長から紹介にあずかりました天ヶ崎千草どすえ。訛りから分かる通り、京都出身のまだまだ新米の身ですえ。とはいえ、教職についた以上は厳しくも楽しくやろうと思うてますえ」 京都、京都美人だと一部の生徒がはしゃいだのはご愛嬌。 ただし、むつきと同じように生徒の前に並んだ教師の一部が舌打ちしたようにも聞こえたが気のせいか。「それから、皆も先ほどから非常に気になってはるあの子。乙姫先生の頭の上におるのは、うちが預かっとる子どすえ。今日から小等部に通う予定で。あまり直接かかわることはないかもしれまへんが。街中で見かけたら、気軽に小太郎と呼んでやっておくれやす」「おう、犬上小太郎や。俺はともかく、千草姉ちゃんとは仲良くしてったくれや」 むつきに肩車されたままふんぞり返った小太郎の評価はおおむね良好である。 あの子可愛いとくすくす笑う子が多く、小生意気だが姉思いな面が垣間見えたからだろう。 既に顔見知りである二-Aの子達も、小さく手を振ったり小太郎だ、小太郎だとうずうずしていた。 ごく一部、先ほどげっと言われた村上は、口元をもにゅもにゅさせているが。 那波にちょいちょいと突かれては、機嫌を微妙に直しては苦々しい笑顔で手を振っていた。 そんな生徒たちは良いとして、先生方の何処からか剣呑な視線が飛んでいるのはやはり気のせいか。「それでは、小太郎を小等部に連れていかなあきまへんのでこの辺でご挨拶を終わらせてもらいますえ。学園長、このまま一緒に小等部の方へ?」「うむ、彼の転入の挨拶もさせんといかんし。乙姫君、彼をこちらに連れてきてくれんかのう」「あっ、はい」 学園長の命令は絶対と、肩車していた小太郎を千草に手渡すわけにもいかないので彼女の前に下す。「ふむ、そうしていると若夫婦のようじゃな」 すると突然、学園長がむつきと千草、その間にいる小太郎を見て突拍子もないことを呟いた。 その割にはやけに声が大きかったもので、生徒の間から少々黄色い声が上がった。「そう言われて悪い気はしませんけれど。夫婦はな、乙姫はん?」「いや、俺彼女いるんで」「そんなつれないこと言わへんと、うちらの親密な仲どすえ?」 もはや小太郎そっちのけで千草がむつきの腕を取って抱きついてくるものだから、黄色い声も大きくなるというものだ。 彼女という単語を強調するも、だからどうしたとばかりの千草の態度である。 事の発端とも言える学園長はほっほと笑って口ひげを弄んでおり、助けてくれそうにない。 旅の恥は掻き捨てたはずが、欠片をかき集めて麻帆良まで追ってこようと誰が思うか。 チラッとお嫁さんたちを見ると、嫉妬しているのはまだ日の浅い桜子か古ぐらい。 美砂は相変わらず正妻力(笑)をたたえたどや顔で、他の子は仕方ないなと笑っている。 彼女たちに助けて貰うわけにはいかないが、助けはないかと同僚へと振り返った。 二ノ宮は相変わらずただれてるとニヤニヤしているし、ジャージ姿の瀬流彦はなんかもう殺す目つきだ。「学園長、始業式の妨げになる様な発言は遠慮願えますか。天ヶ崎君も、学生ではないのだから生徒の模範になるような行動を務めるように。乙姫君は、はぁ……」 相手がだれであろうと物怖じしない新田が助け舟をだしてくれたのだが。 最後のため息が彼の信頼にひびを入れたようで、返って傷ついた気がした。「すまんのう、ついぽろっと本音が。では天ヶ崎君に犬上君は小等部へ行こうかのう」「お供しますえ、学園長」「小等部ってガキばっかやんか。俺はもっと強い奴がおるところがええにゃがッ!」 ガキっぽいことを言った小太郎は、千草に拳骨を貰いたんこぶつけてこの場を後にした。 学園長と千草はこの場をされるが、残されたむつきは非常にいづらいのである。 ため息をつかれた新田はもちろん、殺す視線を向けてくる瀬流彦やら後は謎の視線も。 最後のは学園長派が、名前覚えて貰いやがって的なものだろうから無視するとして。「まだ始業式の途中だ、静かにしなさい!」 新田が生徒を静める間、むつきはすごすごと首をすくめて元の位置へと収まった。 始業式が一部を除いて、滞りなく終了した後はホームルームであった。 何処のクラスも、夏休みの宿題を集めて後は担任の先生からの簡単な挨拶をする程度である。 現在、二-Aのクラスでも夏休みの宿題を教科ごとに集めている最中だ。 教卓にいる高畑が指定した教科ごとに、提出物を後ろの席から順に手渡していく。 最前列の子が自分の列の分を持って、教卓へとまとめて提出する方式である。 その際に、提出できなかった子は手を上げて自己申告するわけだが。「公開処刑、公開処刑すぎるッスよ」 現国、数学と次々に宿題を集める中で、提出できませんと手を上げたのはたった一人である。 さめざめと恥ずかしそうに顔を赤くしながら俯き目を潤ませている春日であった。「ちょっとおかしいっしょ。普段みんな、もっといたじゃん!」 そして三教科目、むつきの担当でもある社会科の提出となった段階で色々と爆発したらしい。 その主張はどうなのという内容であったが、普段と違い過ぎると異論の声を上げた。 なんだかもう、宿題やるの止めようぜという言葉を真に受けてやらなかった小学生である。「珍しく宿題終わらせた楓姉が、見てくれたから余裕余裕。あれ、手を上げてる子がいるよ?」「お姉ちゃん、ちょっとそれ意地悪っぽいよ。やめなよ」 うぷぷと春日を笑った鳴滝姉を妹が嗜めているが、顔が半分笑ってしまっていた。「美砂ちゃん、桜子。あとくぎみー!」「あれ、あの子なんか言ってるよ?」「にゃはは、私達は夏休みを境に清く正しい良い子になったから」「いや、逆だと思うけど……あとくぎみー言う奴に味方はしないから」 裏切り者っと涙をちょちょぎらせながら、最後の頼みの綱とばかりに春日が視線を向けたのは神楽坂だ。「美空ちゃん、その目は挑戦と受け取って良いのかしら。バイトは超忙しかったけど、誰かさんにお世話になり過ぎて宿題やらないって選択しがなかったのよ!」「乙姫先生ですね、解ります。てか、こんなことなら最終日の花火にいかず宿題やってりゃよかった!」「はっはっは、その様子だと春日君だけが全滅かな? もう手は上げなくて良いよ。他にやってなかった子はいないよね?」 頭を抱えて叫んだ春日に対し、高畑が念の為にと皆に聞いて入念な止めを刺しに来た。 案の定、いませーんと大合唱され、春日が机の上に崩れ落ちる。 妻に逃げられ酒に逃げたおっさんのように、拳を握りしめ畜生と机を涙で濡らす。 ただし、他の子全員が宿題をやって来ていたので同情の声は一つもない。 今年は旅行中にむつきや刀子、神多羅木に見て貰っていたのでなおさらであった。「それじゃあ、宿題はこれで全部かな。凄いじゃないか、皆。こんなきっちり宿題を終えるなんて。初めてのことなんじゃないのかな」「ぐはっ、すんません。唯一の黒星すんません。余裕だと思ってたんや、まだ大丈夫。まだ十日、まだ五日。気が付いたら、昨日やったんや」「まだ大丈夫は、もう危ないってね。修行が足りないよ、美空ちゃん」「そのまだ大丈夫を、昨晩の十二時まで呟いていた人とは思えない発言です」 夕映のセリフから、目にクマを作っている早乙女は昨晩の十二時から特急で仕上げたのだろう。 恐らくは夕映や宮崎の宿題を丸写しするという、最終手段を使って。「それじゃあ、春日君はお昼を食べたら僕と一緒に宿題やろうか」「はい、ご迷惑をおかけするッス」 とんとんと宿題の束を整頓しながらの高畑の言葉に、春日の首がかくんと落ちた。 その瞬間、天啓を得たように神楽坂に電流が走る。 お昼から夕方、下手をすれば暗くなってからも春日は高畑と教室で二人きりで宿題をするのだ。 そう、誰もいない教室で二人きり。 むつきもちょいちょい顔を出すはずだが、妄想が爆発した神楽坂はそこまで頭が回らない。 春日の言う通り、普段宿題をやってこない子が多い為、その発想に至らなかった。 予想できたのだ、今回は大部分が宿題を終わらせているであろうことは。 そこで神楽坂も普段通りであれば、春日一人なんとかすれば二人きりは自分のモノだったのに。「でも、色々お世話にぃ……」「おお、明日菜が義理と恋の間で板挟みや」 木乃香の突っ込み通り、義理と恋の間で板挟みとなって頭を抱えぷるぷる震えだしていた。「すげえ、案外これ一発逆転でコロッといっちまうんじゃねえの?」「手間暇かけているですから」「こっちの蜜は甘いよ、明日菜」「とろとろネ、一緒にとろけるネ」 つっぷした明日菜を頬杖ついた千雨がそう評し、若干頬を膨らませながら夕映が同意する。 美砂と小鈴は怪しい手の動きを見せながら、うつぶせになる明日菜の周りでささやく様に歌う。 もちろん、小鈴を除いて冗談だろうが、反論できねえなと皆の後ろで立っていたむつきは頬をぽりぽり掻いていた。 うずくまって震える明日菜を見ては、苦笑いというか半笑いだったのだが。 一瞬その後ろ姿が別のものに見えて、疲れ目かなと目を軽く擦る。「というわけで、楽しい夏休みは終わってしまったけれど。二学期は二学期で体育祭や文化祭。楽しい行事はあるから、同じだけ勉強と部活を頑張ろうか」 むつきが目を擦っている間に、どうやら高畑の話は終わりに差し掛かっていたらしい。 いかんいかんと、改めて前をむいたむつきは、話を終えようとしていた高畑と目があった。「僕からは以上だけど、乙姫君からは皆に一言あるかな?」「あーっと、それじゃあ一言だけ」 特に何か思いついたわけではないが、折角声をかけて貰ったので教卓から一言なにか言っておこう。 机と机の間を通り抜けていくのだが、通った机と机の隙間がちょっと悪かった。「先生、あの天ヶ崎って人との猥談また教えてよ」「えろーい、先生えろーい」「アタナシアさん、大事にしたらなあかんよ」 早乙女が尻を叩いて来たのに続き、美砂、亜子と続いてわき腹を突かれる。 止めんかと軽く小突く振りをしてキャッと退けさせ、高畑から教卓を譲り受けた。 主に早乙女のせいで、全く一言についてまとまっていないわけだが。 時間稼ぎを含めて、一人一人の顔を眺めていった。 最近の女の子は日焼け対策もばっちりなのか、自分の時代の時の様に日焼けしている子はいない。 あと、夏休みデビューとして急に金髪にしたりもいなかった。 エヴァ辺りなど、元から金髪の子がいるので、このクラスで金髪にする意味合いはかなり薄いが。「んあ?」「ん、どうしたの先生?」 バチッと綺麗に神楽坂と目が合った時、何故か神楽坂は制服を着ていなかった。 まだまだ落ち着きのない内面とは違い、小首をかしげると同時に大きめの胸がふるんと震える。 ピンクのぽっちも丸見え、なわけあるはずもなく。 改めて目を擦ると、当たり前だが神楽坂はきちんと制服を身に着けていた。「計画通り」 なんだか小鈴が悪い笑みを浮かべているが、きっとあの夜の悪ふざけのせいだろう。 神楽坂がいる机で小鈴を犯したはずなのに、気を抜けばその相手が神楽坂に代わってしまいそうだ。 いかんいかんと、たぎりそうになる妄想を顔を振って追い払った。「まあ、なんだ……二学期も、楽しくやろうや。テストとか、お前らにとって嫌なこともあるだろうけど。それも含めてお前らの思い出になるから。改めて、よろしくな!」 努めて明るくそう一言つぶやいたつもりだが、外してしまったようだ。 教室ないが一気に静まり返り、重いぐらいの沈黙に支配されてしまう。 あれ別にすべったり妙な妄想を口にしてないよなと、改めて自分の発言を顧みた時のことである。「よろしく、先生。あとあの天ヶ崎って人、京都の時の人だよね。浮気は駄目だよ!」「にゃあ、なんかもやもやするけど。一周まわってわけわかんなくなってきた。とにかく、よろしく!」「先生、新任の天ヶ崎先生のこと記事にしたいから、色々教えてよ。色を詳しそうだし?」「うふふ、よろしくお願いしますね。あと、小太郎君の住所を知りたいのですけど。夏美ちゃんが」「なんでそこで私の名前?! 小太郎君にげって言われて、ちょっと傷ついてるんですけど!」 最初に大きな声をあげたのは佐々木であり、負けず劣らず元気よ戻れとばかりに明石もである。 和美や那波、村上辺りもいつも通り、相変わらずの騒々しさ、若干パワーアップ気味か。 たかが半日であったが、初日から特濃であり不安でもあり楽しみでもある二学期の始まりであった。-後書き-ども、えなりんです。ネギよりはやく、小太郎の方が麻帆良に参上。皆様の予想通り、千草も教師としてやってきました。二人の裏的な理由は、また数話後にやります。二学期を始める前に、古のアレは当然かなと書いてみました。恋人ができたのでもう恒例の決闘はしませんと。厳密に理由は言ってませんが、実際騒動になりそうだなと。二学期早々騒動を起こすのもまた麻帆良っぽいと思いましたし。あと、さよは二学期から復学ですが、その辺入れ忘れましたやること多すぎるwでは次回は来週の土曜日です。しばし、古の出番率が上昇します。