第百四話 もう一回、最後にもう一回だけ その日、むつきは生徒達が多く集まる学生食堂にて昼食を取っていた。 さよが三日坊主でお弁当作りに飽きたなんてことがあるわけもなく、非常に深い理由があったのだ。 夜の生活を頑張り過ぎて、今日はちょっと寝坊してしまったという理由が。 ちなみに深いという修飾子は、夜の生活で深く挿入したところに掛かっているのである。 それは良いとして、弁当があると思い込んでいたむつきは、登校時に業者のお弁当を頼むのを忘れた。 結果、食べるモノがないため、偶にはと学生食堂へと足を運んだ次第である。 当然、むつきがふらふらと現れて、二-Aの生徒の誰にも見つからないなんてことはない。「せ、先生、お箸どうぞ」「サンキュー、宮崎」「この馬鹿ちん。そこは、隠れて先端をぺろぺろしたのヲッ!」「のどかはどこのストーカーですか。その方向性は、かなりきもいですパル」 隣に座っている宮崎から割り箸を受け取っていると、早乙女が夕映に辞書の角で殴られていた。 良くぞやったとテーブルの下で足を伸ばし、つんつんと夕映の足を突いておく。 宮崎をチラッと見た夕映は、こほんと咳払いをしただけであったが。「あはは、パルは相変わらずやな。先生、今日はアタ」「このちゃん、しー」 宮崎とはむつきを挟んで逆側にいた木乃香が弁当について聞こうとするも、対面の刹那に止められた。 あっと何かに気づいた木乃香が視線を向けたのは、今度はむつきにお茶を入れている宮崎である。 彼女はなにか切っ掛けがあればめざとく、むつきに話しかけて来た。 初恋に浮かれ、むつきが既に表向きにも裏向きにも彼女持ちということを忘れていないか心配になる。 思い込みの激しい子なので、一人で盛り上がるのはまだしも、一人で思い詰めるのは止めて欲しいものだ。「それで、近衛と桜咲は何時もの愛妻弁当か」「ややわ、愛妻やなんてほんまのこと。先生もお握り一個食べる?」「この食堂は、普通のお店よりサイズは小さめですよ?」 確かにと木乃香と刹那に指摘され、手元のカレーうどんの小ささに改めて驚いた。 共学であった大学の食堂と比べると、三分の二、下手をすれば半分ぐらいの大きさしかないように見える。 出身大学が学食を全てこのサイズに変更したら、きっと暴動が起きるぐらいの暴挙だ。「なら、先生せっかくだからのどかの半分食べてあげなよ。この子小食だから、いつも半分ぐらいでお腹一杯って残しちゃうから」「そして勿体ないと、毎日その半分を食べ続けたパルのお腹はこのように……」 制服の白シャツの上から、夕映が早乙女の横腹を指でツンツンすると軽く指が埋もれていく。「おおっと、ゆえ吉君。そういうことを言う子は、ここに肉がついてからに……なん……だと?」「ふふん、何時までも昔の私ではないのですよ。カップ数が上がるのも遠い日のことではありません」 控えめで奥ゆかしいのは変わらないが、わずかな成長を感じ取り早乙女が驚愕していた。 日々の努力のたまもの、主にむつきが揉んだり吸ったりした努力である。「お前ら、はしたないぞ。そういうのは、男の視線のないところでやれ。あと、近衛たちはやせ過ぎなぐらいだ。俺的には、ぷにってる早乙女ぐらいが好ましいぞ?」 そこで全員が早乙女を見て、全体像でなく豊かな胸に視線が集まるのか。「ゆえゆえ、これは戦力的に非常に不利では……」「のどかはまだ良いです。私の中の希望の二文字が儚く思えてくるです」「できれば、もうちょい大きなりたいえ」「このちゃんはまだあるから。うちかて……」 宮崎を除き、夕映たちから大きくしてねと目で問われ、望むところと答えたいところだが。 何度も言うようにここは食堂であり、周囲には他のクラスまたは学年の子もいるのである。 自重しろとばかりに、きつめの咳払いで場の空気を換えようと試みた。 周囲に男しかいないこの場でそれがどれだけ意味のあることなのか。 なにか他にと周囲に視線をさまよわせると、キョロキョロしながら歩いている神楽坂が目についた。 軽く手を上げ振ってやると、神楽坂も気づいたようで空腹を示すようにお腹を抱えてやって来る。「お腹空いた。木乃香、お弁当ちょうだい」「一杯あるから、たんと食べや。ところで、お爺ちゃんなんの用やったの?」 神楽坂が普段一緒にいる木乃香と行動を別にしていたのは、学園長からの呼び出しであった。 厳密には高畑経由で学園長室に呼び出されたわけだが。 むつきは既に、その理由を知っているが、それこそ理由があって知らない振りをしなければならない。 なので今は余計な事を言わず、カレーうどんを汁が飛ばないよう慎重にすすりながら神楽坂の言葉を待った。 ちなみに、今回の件は神楽坂のプライバシーもあるのでむつきも、お嫁さんの誰にも明かしていない。 神楽坂は木乃香が作ったおにぎりをぺろりと一個平らげてからその内容を口にした。「なんか運動部に入って、秋の新人大会で好成績を残せば、特待生枠になれるって話だった。その特待生ってのになれば、学費が免除されるって」「へえ、そうなんや。明日菜、下手な運動部の子よりスポーツできるえ。でも、乗り気やない?」「話が突然過ぎて……」 降ってわいた都合の良い話に実感がないのか、神楽坂は眉をひそめていた。「なんで、学費が免除されたらもうけたじゃん。明日菜、自慢の馬鹿力もあるんだしやりなよ」「馬鹿力は余計よ。それに私、美術部だし。今更運動部になるにも……」「確かに、今から運動部に入るのは色々と心苦しいですね。チームスポーツは特に。明日菜さんであれば、ルールさえ覚えれば即レギュラーでしょうが。言い換えれば、一人補欠に落ちます」「それは、ちょっと可哀想かも」 お気楽な早乙女の意見はまだしも、夕映の指摘や宮崎の率直な感想に神楽坂はうな垂れた。 この場で口にはしていないが、学園長が払っている学費と神楽坂が稼いでいる生活費を逆にする提案はされているはずだ。 友達の前で、あまり自分の身に関わる金銭的なことは言いたくなかったのだろう。 だから特待生と、学費免除という話の一部だけこの場で明かしたのか。「では、個人スポーツなら私の剣道部などはどうでしょう。既に私がいますし、フォローぐらいできますよ?」「んー、桜咲さんの申し出はありがたいけど」 私、今のバイト好きだしと小さく誰にも聞こえないように神楽坂は呟いていた。 むつきにもそれは聞こえていなかったが、今回の件は思いのほか神楽坂には魅力的ではなかったことぐらいは分かった。 バイトでひいひい言いながらも、神楽坂はこの現状に満足してしまっている。 元々、この案は神楽坂の為にと、むつきが勝手に彼女の保護者である学園長たちに持ち掛けただけだ。 だから彼女の意志を無視してまで、押し付けるのは大人の勝手なエゴに他ならない。 勝手な都合を押し付けた結果、神楽坂がこんなはずじゃなんて言いもしたら目も当てられないだろう。「先生、私どうしたら良いかな?」 しかし、机にへたっていた神楽坂が姿勢をただし、むつきに問いかけてきたことで風向きが変わる。「どうしたらって、迷ってるのか? 一体なにに対してだ? 学園長や高畑先生の好意を無にしたくないのか、今更新しい部活に入るのが不安なのか。いろいろあるだろ」 絶対的に現状維持が好ましいのであれば、どうしたらなんて言葉は出てこない。 せいぜいが、むつきが言ったように相手の好意を跳ねのけるのが申し訳ないと思うぐらいだろう。 神楽坂の今後を決める大事な岐路なので、慌てるなとむつきは努めて冷静になろうとしていた。「一番大きいのは……皆に迷惑かけてるかな。わざわざ、特待生っていう制度を勧めてくれた学園長や高畑先生。監督のところのバイトで、先生にも。木乃香にはお弁当やご飯作って貰ったり」「うちは、全然迷惑やなんて。先生?」 案の定というべきか、今回の件に関して神楽坂の無用な遠慮が発動したらしい。 本当に真の提案者がむつきであることを黙っていて正解であった。 彼女のことである、むつきが提案者と知るとこれ以上はと速攻で断りに来たかもしれない。 だからそんなことはないと言おうとした木乃香を手で制し、神楽坂の無用な遠慮を取り除く。「神楽坂、一つ訂正しておくぞ。特待生枠ってな、学生の為だけじゃないんだぞ?」「へ?」「優秀な生徒を引っ張って来て活躍してくれれば、学校の宣伝になる。お前が部活動で優秀な成績をおさめて学校を宣伝し、お前は学費を貰う。ギブアンドレイク、一種のバイトみたいなもんだ」「バイト、バイトかぁ……」 この説明だけで随分と印象が変わったのか、言われてみればと神楽坂は呟いていた。「だから、別に迷惑とか考える必要はない。大事なのは、お前がどうしたいかだ。実際、学費が免除になれば色々と楽だろ。しかも、爽やかにスポーツで汗を流すだけで」「うん、それは確かに」「あと、俺も近衛も全然迷惑じゃない。むしろ、そんな事を言うと怒るぞ。前にも言ったろ、笑顔でありがとうって言えば良いって。近衛の場合は、美味しかったか」 先ほどの制止の意味を悟り、むつきの言葉にのって木乃香がぷんぷんと怒る。「その通りやえ。明日菜がぱくぱく、美味しそうにしてくれたらそれでええよ。それに、うちも花嫁修業になるし。ギブアンドレイクや、少々辛口の批評でもええよ」「うん、迷惑って言ってごめんね木乃香。おにぎり、超美味しい。あと、実は明太子は焼いた方が好き」「あやや、それ知らへんかったえ。うちも、まだまだ明日菜のこと知らへんな」 まだ神楽坂も色々と整理したいことはあるだろうし、今日はこの辺りだろうか。 小どんぶりのカレーうどんをざっと腹に収め、むつきは席を立った。 神楽坂の意外な一面というか、知っているようで知らなかった食の好みを色々聞いている木乃香を微笑ましく思いながら。「神楽坂、悩んだらまた相談しに来い。あと、宮崎すまん。オムライスの半分は、また早乙女に食って貰ってくれ。早乙女、ダイエットしたくなったら水泳部に顔出してみろ」「はい、パルお願い」「うん、分かった。って、おい。まだ、大丈夫。慌てるような体重じゃない」「パルのメガネは、都合の悪いものは見えなくなる性質の悪いものですから」 ひとまず、落ち要員としての早乙女に明るい空気に変えて貰うことにした。 頻繁にうざいことこの上ない彼女であるが、こういう場合は結構便利なのかもしれない。 水泳部の、アキラのライバル云々については、神楽坂の答えを待つことに決めた。 彼女が特待生枠の為に運動部に入ると決めてから、選択肢の一つとして提案することにだ。 でもできれば、神楽坂の為だけでなくアキラの為にも特待生枠を狙って欲しいものだ。 食堂を立ち去り歯磨きや、午後の授業の準備を終えてもまだ三〇分は昼休みがあった。 職員室では惰眠の一つも取り辛いので、やって来たのは社会科資料室である。 最近、むつきの学校での個人的なスペースになりつつあった。 部屋も狭いし、クーラーもなく、くつろぐには向かない場所だが、プライベートがある。 パイプ椅子に座りながら、時折入り込む秋風にいずれ夏も終わるなと物寂しい気持ちになった。 あまり寂しいと死んでしまうので、パートナーが欲しいと携帯電話で電話帳をめくっていく。 そう言えばとあることを思いだし、その子の名前を指でなぞって電話をかけようとしたわけだが。 タイミング良く扉がノックされたため、携帯電話をしまい椅子を立って扉を開けてあげた。「失礼します、アル」「ありゃ」 開かれた扉からちょこんと顔を出したのは、今まさに連絡しようとしていた古であった。 その仕草は何時もの元気印とは違い、大人しいというかしおらしいものがある。 むつきに室内へと促されても、手と足が同時に出るぐらいまるで緊張しているかのようだ。 事実しているのだろう、古にはむつきと二人きりになって緊張せずにはいられない理由があった。 もちろん、晴れて恋人同士となったこともあるが、その上での約束である。「なに超ど級に緊張してんだよ。何十人もの格闘家を前にした方が怖いだろ」「その方が何倍も気が楽アル。覚えていてくれたアルか、約束……」「俺が言いだしたことだぞ。つっても、その様子じゃ今すぐにってわけにはいかなそうだな」 今の古は、あまりにもガチガチに緊張しきってしまっている。 まだ直接言葉にしてはいないが、自分から求めに来ただけに意気込みだけはあった。 その意気込みのまま約束のファーストキスを終えても、絶対後で思い出せないであろう。 もしくは何か失敗をして、例えば勢い余って前歯がぶつかったりと。 古の良い思い出に残せそうにないので、むつきはパイプ椅子に座って両足を大きく開いた。 パンパンと叩いたのは、開いた太ももの間に見えたパイプ椅子の座席部分である。「まだ時間はあるから、座れよ。緊張解くのが先」「はい、アル」 背中に注意しながら、むつきへ触れないように触れないように古が座り込んだ。 そんな緊張するなよと、その背中へと人差し指でちょんと突いてやった。「ひゃぅ。な、なにするアルか!」「すまんすまん、ほら。もっとこっち、捕まえた」「また、捕まったアル」 睡眠を邪魔された猫のようにビクリと背筋を伸ばした古が、両手を上げながら振り返った。 ちょっとは緊張がほぐれたようだが、まだまだ普段の彼女には遠い。 なのでお前がと責任転換をしつつ、むつきは古のお腹に腕を回すようにして抱き寄せた。 狭いパイプ椅子の上で重なり合うように、密着して座り込む。 重量オーバーとでも言いたげにパイプ椅子がギシっと軋んだが、完全に無視である。 むしろその上でギシギシといやらしいことをしているかのように、むつきは何度も古を抱き直す。 最終的に、満足のできるポジションに古をおき、その中華系なのになぜか金髪の頭に鼻を埋めた。「古は、良い匂いがするな。甘いというより、爽やかな感じ。けど女の子の匂い」「照れるアル」 むつきの言葉にどう反応して良いのか、頬を紅潮させながら古は俯いていく。 この時、両手の人差し指をつんつんしていたが、照れた時の癖なのだろうか。 だが上機嫌にむつきが抱き続ける為、意を決したように古も抱き寄せてくる手に触れて来た。 最初はおっかなびっくりと言った感じだったが、一度振れた手を二度と放さないようしっかりと。 そしてとあることに気づいたように、あれっと小首を傾げながらむつきの腕をつついた。「先生、腕がぷにぷにアルよ。逞しいことは逞しいアルが」「鍛えまくってるお前の感覚で言われてもな。そういう、古もぷにぷにだぞ」「どこ触ってるアル、くはっ」 古の初心さを考えると突然胸など触れるはずもない。 くすぐったそうに古が身をよじったことから分かるように、彼女のわき腹である。 制服のシャツの上からエロくならない程度に、古のわき腹を軽く指先で摘まみ揉んだ。「あは、あまり大きな声は。だめ、反則。後ろからは卑怯アル、ふぁや」「男に容易く背後を取らせたらこうなるんだ、良い勉強になったな」「だめ、食べたばっかでお腹が痛いアル。負けた、また負けたアル」「うーし、俺の勝ちぃ。じゃあ、古には罰ゲーム」 むつきが勝手にノリで言っているだけだが、ひいひい言っていた古からの反論はない。 確かに反論こそなかったが、卑怯者とばかりに上目づかいで見られるぐらいはしたが。 膝の間に座っていた古を一度立たせ、くるりと反転。 椅子に座り込んでいるむつきに相対する形とさせ、そのまま両腕を広げた。 相変わらず椅子に座ったまま、この胸に飛び込んで来いよとばかりに。 要は背面座位の形から、対面座位に変えようぜという提案に他ならない。 もちろん、古の心中的な難易度を考慮し、罰ゲームにかこつけて虐めているだけだ。「足を広げたら、見えてしまうアルよ……」「見えない、見えない。てか、お前いつもそんなこと気にしてないじゃん。普段は飛び跳ねまわって、時々ハラハラしてんだぞ」 言われて初めて気づいたように、古が慌ててスカートを手で押さえていた。「ちょっとは、おしとやかにするアル」「おしとやかはともかく、俺以外には見せては欲しくないな。古は俺の恋人なんだし」「それは卑怯な言い方アル」 恋人というキーワードに吸い寄せられるように、当初拒否していた古がふらふらと近づいて来た。 もとより距離は離れて折らす、後数センチで互いの膝がぶつかる距離である。 まだ両手はスカートの裾を掴んでもじもじしていたが、ふいにその顔を上げた。 真正面からむつきを見つめたかと思いきや、その両目はきゅっと閉じられたままだった。 ただし、意を決した様子ははっきりと伝わり、ぴょんと可愛らしく古が跳ねる。 小さな子が親に飛びつく様に、両足を広げてむつきの膝に跨り抱き付いて来た。「おっと」「…………」 慌てて受け止めたは良いが、古は顔を見せまいとぎゅっと抱き付き顔はむつきの肩の上だ。 だがその分、体は互いの体温や鼓動が聞こえる程に密着してもいた。 トクトクと彼女の心情を表すように心臓が慌てふためいた鼓動を奏でむつきに伝わってくる。 そんな古の腰に腕を回しお尻を引き寄せるようにさらに抱きしめた。 甘酸っぱい匂いが濃くなったのは、密着したからか、チラッと見える首筋に珠の汗が浮かんでいたからか。 ついつい唇で吸い取りたくなったが、さすがにそこまではかわいそうか。 相変わらず力強く、ちょっと身体が痛いぐらいだが、落ち着かせるように古の背中を撫でる。 ぽんぽんと時折リズムよく叩き、逆側の手ではさらさらの髪を手櫛で梳く様に撫でた。「ん~……」 しばらく続けていると、徐々に緊張も解けて来たのか古がむずがるような声を喉の奥で上げた。 気持ちよさそうな声が出る場所を重点的に、優しく気持ちを込めて撫で続ける。 たっぷりと念入りに、時間をかけただけのことはあった。 次に古が顔を見せてくれた時、火照る頬に乗せられた瞳から緊張の二文字は消え、垂れていた。 物欲しげな、満たされているがそれでも足りないように媚びた光が瞳に宿っている。 きっとこんなとろけた顔を見た男は俺が初めてだろうなと、同じくむつきの自尊心が満たされていく。 あとは雰囲気に流されるまま、むつきは明らかに自分から飛び込んだわけだが。「んっ」 そっと言葉ではなく、彼女の表情から許可を感じ取って唇を奪った。 以前のような唐突で一方的なものではなく、あくまで合意の上で恋人らしく。 柔らかな唇に自分の唇を重ね、吐息の隙間すら惜しむ様にしっかりと重ね合わせる。 先程までむつきを締め付けるように回されていた腕から力は抜け、抜けすぎて落ちそうだ。 必死にしがみつく様にむつきのスーツを震える手でしっかり握ろうとしていた。 そんな古を落とさないよう、彼女が安定するようむつきも少し座り方を変えていく。 尻を滑らせ椅子の先端に、背中がちょっと痛いがパイプ椅子の背もたれに肩甲骨辺りを置いた。 尻と肩甲骨の二点で体を支えるように、傾いた体の上で半ば古を寝かせるように受け止める。 体勢が安定し、むつきの背中に回されていた古の手からふっと力が抜けていく。 そのまま、むつきが大人しく甘酸っぱい恋人同士のキスで終わらせて入れた。(古の唇柔らけえ。古の甘酸っぱい匂いしか……ちょっとだけなら、良いよな?) 彼女の髪を梳いていた手にわずかに力を込め、後頭部を支えるようにおさえる。 ほんのわずかな変化だったのでチラッと目を開けて確認した彼女は気付いた様子がない。 または、キスに夢中でそんな余裕すらなかったのだろうか。 反対の手、古の背中を撫でていた手がするすると、降りていきしっかり腰を支えた。 これで多少彼女が暴れようと、落としてしまうような大失態はないはずだ。 悪戯するならアフターケアまでと余計なことを考えながら、むつきは行動を開始した。「?!」 キスに陶酔していた古が、突然その体をビクリと震わせた。 何事と見開かれた彼女の瞳が見たのは、いたずら小僧の瞳をした恋人であった。 そもそもにして、彼女が震えたのは唇を何かで突かれたからだ。 殆ど隙間なく密着した唇同士の間でなにがあったのか、経験不足な古は直ぐに回答に行きつかない。「古、あんま暴れるなよ」「先せっ?!」 数センチの隙間が間唇同士の間から、むつきが改めて注意を促した。 一体何のことか目を丸くする古は、やっと先ほど自分がされた何かを理解することになった。 むつきの唇の隙間からはい出た舌先が、今もまた目の前で古の唇を舐めたからだ。 言い聞かされていたとしても、これで暴れるなという方が無理である。 しかし、いつの間にか後頭部と腰、僅かに尻に触れたむつきの手がガッチリ固めていた。「んぅぁ」 唇を舌で舐められる、何故と聞こうとして開いた唇の隙間にその舌が入り込んできた。 言葉は途中で遮られ、唇どころか口内にある舌にまでむつきの舌が触れて来る。 つんつんと突いたかと思えば、舌の上をずるっと這いずっていく。 古はこれまで武術一辺倒なところがあり、正直なところ周囲の子よりも性知識が乏しい。 もちろんキスを知らない程ではないが、こんな大人のキスは彼女の知識にはなかった。 だから今自分が何をされているのか、恋人が自分に何を求めているのか全く分かっていない。 今始めてわずかながらに男に求められる怖さを知った気がしたが、同時に戸惑ってもいた。 気持ち良いのだ、好きな男の舌で舌を舐められるのが、からめとられ吸い出されるように吸われるのが。 けれど知識がないゆえに、酷く卑猥でいけないことをしている気になってわけがわからない。 つまりは、むつきにされるがまま、ただ好意を受け入れ身もだえることしかできなかった。「うぁ、んぅはぁ。んぅ、んぅっ」「あぁ、好きだ。愛してるぞ、古」 一瞬の息継ぎ、その瞬間にささやかれた言葉に、古は的確にそれを理解した。 これも愛の表現の一つだと、何故なら支えられた頭と腰、それ以外に支えられる何かがあったからだ。 いやむしろちょっとバランスを悪くしているか。 むつきの膝に跨った古の股座をぐいぐい押してくるとあるもの。 さすがの古もそれがナニであり、何故押し上げてくるかぐらいは保健体育で知っている。(先生が、興奮。私で、私が興奮させたアルか?) 目の前の男が、一心不乱に共に舌を絡ませ合う恋した男が、自分で心を乱してくれている。 言葉なくとも主張するそれが、古が強い婿を求めた先にあるものを作ろうと訴えかけてきていた。 唇を舌でなぞられた時や、舌と舌を絡ませ合っている今現在のそれとも違う。 古の背中をぞくぞくと何かが湧き上がっては、胸の内でふくらみ始める。「私も、好きアル。先生、もっと吸って。私で興奮して欲しいアル」 交尾こそまだだが、雌としての本能が、古の中で弾けて生まれていた。 自分が何をされているのかをしっかり理解し、それでもなお激しく求め始める。 一方的に舌を弄られ蹂躙されるだけであった状況から、自らも舌を絡めていく。 口の中でにちゃにちゃと二本の舌が絡み合い愛撫し合って、パイプ椅子が勘弁してくれとばかりに軋みを上げていた。 いつしか二人の絡み合いは体ごと激しく動き、体ごと擦り付けあっていたのだ。「んっんぐ、んぅ」 古が攻めに転じたことで、むつきも負けじとさらにその先を歩んでいく。 背中にあったはずの古の手はいつの間にか、むつきの頬に添えられ覗き込まれるように舌を吸われる。 古が上でむつきが下、ならばその地の理を生かさずにはいられないとばかりに。 だから、飲んだ。 舌を絡めあう過程で古の唇を通して流れ込んでくる彼女の唾液を、喉を鳴らして聞こえるように。「んーっ!」 思わず離れようとした古を、またしてもガッチリ掴んだむつきが離さない。 ただひたすらに、彼女の唾液を飲みつづけ、引っ込んだ彼女の舌を絡め引っ張り出す。 完全に古の体はむつきに預けられ、頬に添えられていた手も力なく垂れてしまっていた。 また負けたアルとでも言いだしそうな瞳で、とろとろの唾液を飲まれるがまま。(悔しいのに、逆らえないアル。このままじゃ、負けるのが大好きになってしまうアル。でももっと、もっと負けたい) 矛盾した心中を抱えつつも、古はむつきに負けていたかった。 文字通り互いの唾液がまじりあったそれに、溺れ続けていたかった。 いい加減、背中と腰が痛かったのか古を抱え逆に椅子に座らせられ、飲ませられる側となっても。 なにかを言われたり視線で合図されるより前に、古はむつきの唾液をすすり始める。 最初こそおっかなびっくりちゅうちゅうとだが、やがては流し込まれるままこくこくと。「んくんぅ、先生。お腹一杯アル、交代。飲んで欲しいアル」「すっかり虜だな。古、替えのパンツあるか? 濡れちゃってるぞ」 すっとむつきが手早くスカートの中に手を入れても、古は手を払う仕草さえ見せない。 薄い布地の上から大事な部分をなぞられても、むしろ小さく喘いで震えるぐらいだ。 今も割れ目にそってむつきが指先を動かしては、天井を見上げて呼吸を短く繰り返している。 時折ビクッとするのは軽くイッてしまっているからか。 むつきが言った通り、彼女のパンツは染みが広がり、むつきの指でさらに広げられてしまっていた。「先生、私と跡継ぎつくるアルか?」「つくりたい、けど残念。時間切れだ」 指先についた愛液を舐めながらむつきが逆の手で指さしたのは、予鈴間近の時計であった。 既に五分を切っており、耳を澄ませばぱたぱた走る音が外から聞こえてきていた。「跡継ぎの方が大事アル。先生、私は次の授業はさぼ」「こら」 自分が何を言っているのか、心神喪失気味の古の唇を軽くついばむ様に奪った。 それ自体は逆効果だったかもしれないので、人差し指でふにふに鼻面を押してもやる。「恋人同士だけど、俺教師、お前生徒。さぼるなんて言わせねえよ。こっから先は、土日を待て。ひかげ荘なら、もうダメってぐらい可愛がってやるから」「こんなもどかしい気持ち初めてアル。良く皆、耐えられるアルよ。もう一回、最後にもう一回だけ」「このわがままお姫様」 我慢できないと駄々をこねる古が可愛くて、ちょっとだけサービスである。 激しくはなく、彼女の心を落ち着かせるような優しい年相応のキスだ。 そっとむつきが唇を放すと名残惜しげな瞳を古が向けて来たが、それも一瞬。 次の瞬間にはパーンっと彼女が両手で自分の頬を叩いていた。「うむ、元気百倍。パンツが冷たくてぬるぬるで気持ち悪いアルけど。扉を開けたら、何時もの私じゃないと先生が困るアル」「おう、さすが武闘派。やり方が硬派だわ。恰好良いぞ、古」「か、可愛いの方がちょっとだけ嬉しいアル」「そっか、可愛い。凄く可愛いぞ、古」 硬派なところとのギャップがまた可愛いと、頭を撫でてやるととても嬉しそうに笑ってくれた。「パンツは小鈴辺りが、予備持ってそうだから聞いて来い。走れば、間に合うだろ」「先生こそ、それ大丈夫アルか?」「ああ……俺もどっかのトイレに駆け込むわ。直接だけど」 余計なことを言わせんなと、撫でていた手で軽くでこピンしてやった。「古、本当にしたかったらまた連絡しろ。慌てなくて自分のペースで。俺も色々準備してやっから」「一旦我に返ると、恥ずかしくて連絡なんか無理ある。もうちょっと先でも良いアル」「よし、なら行って来い。何時もの古で、可愛いな?」「アイ!」 つい数十分前ではできなかったであろう、お尻を叩くというスキンシップで送り出す。 された古もむつきにエッチという視線を送るだけで、拒絶もなにもあったものではない。 スカートに例の染みがついてないよねという意味では少し気にはしていたが。 締めていた社会科資料室の鍵を開けて、古が走っていく。 既に扉を開けられたら恋人から教師と生徒の間柄、愛を込めて手を振ることもなくむつきは見送った。 さて俺もトイレに駆け込むかと、テントを張った股間を隠すように若干前かがみで一歩外に出たところで見つかった。「乙姫はんみーつけ」 先日同僚になりながらも、微妙に避けていた相手に。 -後書き-ども、えなりんです。いやはや、進みが遅いですね。個々にお話があるのであっちやってこっちやって、ぐちゃぐちゃでないか心配です。明日菜は特待生についてお悩み中、古は初めての恋人相手に幸せ一杯。あと最後の千草は若干、ホラーっぽいwそれでは次回は来週の土曜日です。