第百二十七話 恋愛を楽しむ普通の女の子です 瀬流彦はこれまでの人生でかつてない程に浮かれていた。 なにしろ今日は出来レースとでもいうべき、自分の為だけに開かれた合コンなのだ。 年上から年下、可愛い子から凛とした美人や愛嬌のある美人までよりどりみどり。 長かった独り身も今日でおさらば。 月曜からはきっと、むつきのように美人の彼女の弁当を手に職場へ向かうのだ。 他の教員から羨ましいねこのなんて、肘で突かれる様なベタで幸せな日が待っているはず。 むつきがアタナシアの手作り弁当を持ってきた時は、逆に心臓が止まりそうになったが、それは例外。 足取り軽く、むしろ天国まで駆けていくつもりで瀬流彦は集合場所に向かっていた。「ああ、まだ誰が一番かも絞れてないのに。僕には一番を選ぶなんて、むしろ三人一緒になんて、なんて!」 居酒屋が多い麻帆良市内の歓楽街を、周囲に奇異の目で見られながらも幸せ一杯で歩く。 期待に膨らみ高鳴る胸、今日は白いスーツパンツに黒シャツで決めて来ている。 最初は浮かれすぎて松田優作をイメージしてしまい、白い帽子まで被りかけた。 出掛けに慌てて直したが、悪くない。 勝利が約束された合コンとはいえ油断は禁物。 さあ集合場所でもある店先が見えて来たところで、瀬流彦は目的の人物を見つけて手を上げた。「乙姫先生、貴方の親友がやって来ましたよ!」「ああ、瀬流彦先生」「遅い、私を待たせるとは良い度胸だな瀬流彦?」「あれ?」 むつきの隣にいた金髪美女が振り返ったことで、瀬流彦の時間は止まった。 普段の露出が高めなドレスではなく、肩こそ出ているが胸元はきっちり控えた黒のカジュアルドレス。 今日は自分が主役ではないと分かっているからだろうが、そう言う問題ではない。 だらだらと汗が吹き出し、脳みそが緊急事態のアラームを鳴りっぱなしにさせる。 楽しい合コンに来たら、六百万ドルの賞金首がいた。 わけがわからないよ、と。「瀬流彦先生、なに固まってんですか?」「なにって、なんで……」「写真では知ってると思いますけど、僕の彼女のアタナシアです」「むつきは友の為に開いた合コンで、お持ち帰りした前科があるからな。か、かか。彼女として監視が必要だからな。むつきはモテるから!」 聞いてないよと、ダチョウ倶楽部並みに叫びたかった瀬流彦である。「それとも何か、私がいると何か不都合でも?」「め、滅相もない。むしろ、すいませんでした。昨日は調子乗っててすいませんした!」 指をボキボキ鳴らしながら、アタナシアがまるで冷気を放つように瞳を光らせ睨む。 止めてください死んでしまいますと、瀬流彦は直前の幸せも霧散し平謝りであった。「ちょっと気持ち悪かったが、あの程度で怒るほど私は狭量ではないぞ。それよりも、分かっているんだろうな? 私のむつきだけでなく、むつみにもお膳立てさせたんだ。二人の顔に泥を塗る様なことがあれば、わかっているな?」 思ったよりも心が広い賞金首だったと思ったのもつかの間。 天国なんてとんでもない、細い蜘蛛の糸が垂らされただけの修羅場であった。 合コンが始まる前からハードルが上がる上がる。 近くにいるだけで心臓掴まれた気分の人がいる場所で、合コンを盛り上げろとは無理ゲー過ぎた。 いっそ今ここで失禁してどたんばキャンセルできたら、どんなに楽なことか。 または浮かれてここに来るまでに車にでも轢かれていた方が、どれだけ幸運だったか。「こら、アタナシア」「あいた。なにをする!」 しかしそこに救世主なのか、悪魔なのかさっぱりわからないむつきが登場した。 指を鳴らして凄んでいたアタナシアの頭をあろうことかコツンと拳で叩いて自分に振り向かせる。 その光景だけで裏を知る瀬流彦からすれば、それこそ失禁ものであった。「そんな指なんか鳴らして、アタナシアの綺麗な指が太くなっちゃったらどうするんだよ」「き、綺麗な指……ふん、別に指をちょっと鳴らしたぐらいでどうにかなるほどやわじゃない」「でも、どうせ指輪をはめるなら少しでも綺麗な方が良いだろ?」「そ、そそそそれは、結婚いや。まだその前に婚約指輪だったり……」 思い切り期待を込めて、左手の薬指の根元をむつきの目の前にチラチラさせていた。「そういや、必要だよな。今度、買いに行くか?」「行く、抱いて!」「おっちょこちょいだな、アタナシアは。それじゃあ、順番が逆だろ。それに一人より、二人でイカないとな」「馬鹿、こんな人通りが多い所で。でも大好き!」 最初の反抗的な態度は何だったのか、むつきが少しの会話でアタナシアを退けた。 というか、調伏したというか手なずけてしまった。 ひしっと胸に抱き付かれ、えいっとアタナシアのおでこをつつく神経が謎だ。 なんにせよ曲がりなりにも巨乳美女と戯れられると、凄くイラッとしてしまう。「おうおう、独り身相手に見せつけとるのお。お前が瀬流彦か。今日は頑張れよ、独りもん」「突然凄く失礼な、あなた誰ですか?!」「我々は貴方の為に用意されたダミーの参加者です。乙姫、相変わらず壮健で」「うわっ、出た。胡散臭い禿げが」 瀬流彦の背中をバンバン叩いて暴言を飛ばしているのは酒呑であった。 また同じタイミングで観音が現れ、アタナシアが凄く嫌な顔をしていた。「瀬流彦先生、その二人が今日の……って、なんで観音が来てんだよ。俺が呼んだダミーの天狗は? お前も独り身だからダミーにならねえだろ」「それが今日の昼過ぎになって、人妻のいない合コンに興味なんかあるかと私に連絡が入りまして。欠員が出るよりはマシかと、京都から参りました」「ドタキャンとか天狗死ね。あと京都から来たとか、それだけで文句が言えねえ!」「はっは、残念だったな瀬流彦。これでダミーは俺一人だ。観音も独りもんとあれば、俺はどっちの味方でもないからな。俺は酒がたらふく飲めればそれで良い」 バシバシと未だ酒呑に背中を叩かれ続け、頭を抱えたくなった瀬流彦であった。 なんというか、面子が濃すぎた。 アタナシアだけでも濃いというのに、むつきの友人二人が筋肉マッチョと禿の坊さんである。 糸目で細身の瀬流彦の元から薄い影が、ますます薄くなってしまう。「んじゃ、一先ず店に入って美女の到着を待つか。酒呑、お前斎藤さんと最近どうなの?」「昼間はツンツンしとるが、アレで夜は甘えたがりでな。今日もダミーだが、合コン行くと言ったら泣いて暴れて、宥めるのが大変だった。その大ゲンカの後は、燃えたがな」「おい、むつき。なんで今私を見た。私はツンツンなどしておらんぞ!」 いや、見てねえしとわいわい歩く三人の後ろに、とぼとぼ歩く瀬流彦と胡散臭い笑みの観音がいた。「まあまあ、そうお気を落とさずに。こう見えて、私は頭を剃っているのでモテません。実質、ダミーみたいなものです。今日は貴方が主役、存分に頑張ると良いでしょう」「観音さん……貴方は、良い人だ」「あっ、ちなみに参加者の一人の素子殿ですが。フルネームは、青山素子。京都神明流の青山宗家の次女、現在こそ関東に住んでいますが実質は関西呪術協会と関わりもありますのでお気を付けを」 さらっと止めを刺しに来た、あとこの人も裏の人間だと瀬流彦は天を仰いで少しだけ涙した。 むつきはまぎれもなく一般人のはずなのに、何故そんなに知り合いが濃いんですかと。 あとそんな裏を知りつつ京都から来たこの坊主こそ関西呪術協会の人間ではないか。 ニコニコ顔で良い人そうで騙されたが、こいつが一番胡散臭いと思った瀬流彦であった。 目的の店に入って十分もせずに、合コン相手の女の子たちがむつみに連れられ現れた。 人数が多いので店の奥の掘りごたつの部屋であった。 奥から酒呑に観音、瀬流彦という順で男が並び、反対側にみつね、素子に忍ぶという並びである。 主催者であるむつみやむつき、おまけのアタナシアは一番下座のお誕生日席だ。「前原しのぶです。今日はよろしくお願いします。こういうのは初めてで、緊張してます」 まだ学生の前原は世間の荒波を知らぬ清純そうで礼儀正しくお辞儀していた。 身に着けている襟付きの白シャツにはフリルがあしらわれていたり、唯一のミニスカートだ。 三人の中で失礼ながら女の子という言葉が似合うだろう。 それこそ大人っぽい子が多い二-Aなら、溶け込めそうなぐらいに。「うちは紺野みつね、糸目のせいでキツネって呼ばれとる。好きに呼んだってな」 対照的に紺野の方は多少スレた雰囲気を出しながらも、持ち前の愛嬌で麻帆良の空気が良く似合う人だった。 カジュアルスーツに紫のシャツ、これだけなら堅いイメージだが何分胸元が無造作にあけられている。 アタナシアの普段のナイトドレスと良い勝負なぐらいであった。「次、素子さんですよ」「青山素子」「なんやなんや。素子、いっちょ前に緊張しとるんか? 久々に巫女衣装を引っ張り出してアレな方向に気張ったくせに」「止めてください、キツネさん。これは理由あってのことで……」 最後は青山なのだが、何故か彼女だけピリピリとした剣呑とも言える雰囲気を醸し出している。 特に紺野が和ませようと既に酔っていそうな雰囲気で絡んでいた。 彼女のおかげで和やかに始まりそうだった合コンだが、一人異常に緊張する者がいた。 瀬流彦ではない、彼もアタナシアのおかげで緊張していたがそれ以上に緊張している者がいたのだ。 緊張、なんて軽い言葉で終わらせられないぐらい、臨戦態勢と言っても良いか。(何故、何故あんな化け物がこんな場所で平然と……) それは裏の世界を知る青山であった。 女性陣の中で彼女だけがアタナシアの存在に気づいていた。 主催者として皆にメニューを配って飲み物を選んでいるむつきの隣にいるアタナシアをだ。 だが彼女には分からない、そこでアタナシアがそうしている意味が解らない。「安いワインを飲むぐらいなら日本酒の方がまだマシだな。おい、他に日本酒を飲む奴はいるか?」「おお、わしも日本酒だ」「うちも日本酒やな」「しかし、馴染みのない名前ばかりだな」 非常識とも言える魔物が、居酒屋のメニューを前ににらめっこをするように眉を潜めているのだ。 その意味を察しろと言われ答えられる者が一体何人いることか。(なんなんだこいつは?!) ただでさえ合コンという男女がいかがわしい行為をする前儀式のような場で、前原を守らなければならないのだ。 紺野はまだこういう場に慣れているので、そんなに心配はしていない。 しかし彼女にとって可愛い後輩が、男の毒牙に掛かるのを見て見ぬふりをするわけにはいかない。 それが例え、むつみという知り合いが用意してくれた場でも、最悪は常に想定するべきだ。 だからここ数年は余り袖を通していなかった戦装束とも言える巫女服を引っ張り出してきた。 表向きは分からないが、各所には武器やお札の類が至る所に隠されている。「なら、わしに任せておけ。これでも日本酒には少しうるさいと自認しておる」「お、なんや自信ありげやな。酒呑はんやったか。ほな、お手並み拝見といこうか」「そうだな、馴染みがないとはいえ私の舌は肥えているぞ?」「はっは、任せておけ」 だがその魔物が誰よりもはやく場を盛り上げるかのように日本酒談義で盛り上がっていた。 こちらを油断させる手か、警戒をより深めようとした青山は次の瞬間絶句することになる。 むつみの従妹と紹介されたむつきが、他から見えないようにその魔物のお尻をつねったのだ。 次の瞬間には殺されても文句の言いようがない行いに、本気で絶句して白目をむきかけた。「あいたっ、また何をする。お尻をつねるとは……まったく、お前も少しは待てないのか。後でなら、トイレか外の裏路地でな? 好きなだけ抜いてやるから」「違うわ、酒呑はダミーなの。ほら、あいつ日本酒のことになると我を忘れて……なんか前にも見た。紺野さんがもう既に酒呑をロックしちゃったじゃん!」「おお、あの酒は良かったな。酒蔵には言ったことがあるか? 桶から直接注いだのは、また格別でのう」「へえ、それは通やな。うちの周りに、日本酒を飲むのは少なくて少なくて」 まだ合コンが始まって十分も経っていない。 だというのに酒呑は当初の目的を忘れて、紺野とそれは楽しそうにお喋りを始めてしまっていた。 さっきのお尻への攻撃はアタナシアの迂闊な行為への罰でもあった。 ただ不可抗力とは分かっていたので、むつきもごめんねとつねった場所を撫でていた。(なんだ、この男は……何故魔物の尻を撫でる。むつみさんの従妹であれば一般人、だとは思うが。ええい、わからん。この合コンに見せた謎の会合の意味が全く持って分からん!) 出遅れはしたものの、まずどう初手を決めるか悩める人は彼女だけではなかった。 それは青山の一挙一動をチラチラと盗み見ていた瀬流彦である。(うわ、絶対この人。エヴァンジェリンさんの事に気が付いてる。下手に蜂の巣を突かれても困るし。というかあの酒呑って人なにしてんの。開始五分で紺野さんを持ってかれたんだけど!) 彼女持ちの癖に何しに来たのこの人と、酒呑を睨んでも本人は気付いてもいない。 だが日本酒談義で盛り上がっている場に切り込めるほど、瀬流彦は日本酒には詳しくはなかった。 二人が色々な銘柄をあげているその一つさえわからないレベルなのだ。 そこへしゃしゃり出れば会話は停滞し、空気が読めない人に認定されてしまう。(なら不利な戦場よりも、元々第一印象で可愛かったしのぶさんに。観音さん、貴方だけでも下手に手を出さないでくださいね!)(分かっております。なにがあろうと、私は動きません) アイコンタクトが伝わったのか観音が頷いたのを見て、瀬流彦が動いた。「しの、前原さんはお酒は大丈夫ですか? もしも飲めな」「しのぶにお酒はまだ早い。それに私も下戸だ。私は緑茶を、しのぶはどうする?」「え、素子さん……えっと、カクテルとか甘そうなお酒はちょっと興味が。でも素子さんが飲めないのであれば、私だけというのも。じゃあ、オレンジジュースを」「一応、帰りは僕が車で送りますけど。姉ちゃんとアタナシアが一緒だから、心配ありませんよ?」「いや、私は緑茶。しのぶはオレンジジュースで、大丈夫だ!」 流石にあからさまなインターセプトだったので、むつきがフォローしてみたのだが。 全く持って無駄だった。 何故か分からないが、青山が非常に警戒心を持っていることはわかる。 むつきや瀬流彦と同い年のはずだが、こういう場に慣れていないのがひしひしと伝わって来た。「駄目よ、素子ちゃん。リラックス、リラックス。怖い顔してちゃ、可愛い顔がだいなしよ?」「いえ、むつみさん。これはそう言う問題では……」「あはは、観音さんはなにを飲みますか?」「では私も緑茶で。いやあ、面白くなってきましたね」 何故第一声が結局、男である観音に向いてしまったのか。 しかも単純に面白がっている観音にイラッとしてしまったが、仕方がない。 瀬流彦が店員の呼び出しボタンに手を伸ばすと、青山がさり気に前原を守ろうと前のめりになる。(これが世界の意志だとでも言うのか。僕はそういう運命だと……いや、僕は諦めない。例えそれが運命であろうと。可愛く気立ての良さそうな彼女を作る為にも!) 早くも折れそうだった自分に活を入れ、瀬流彦は顔を上げて前を向いた。 その視線の先には、警戒網をバリバリと伸ばしている青山である。 何よりもまず彼女の警戒を解かなければ、愛しの姫である前原には届かない。 しかし彼女に説明するにしても、どのように伝えれば良いのか。 裏を知らない人間がいるこの場は無理として、なんとか彼女を連れ出さなければ。 ならば裏の人間だからこそ出来る手もあると、瀬流彦は青山へと目配せしながら念を送る。(青山さん、少しお話があります。私が席を外したら、お手洗いの方まで来て頂けませんか?)(断る。何をたくらんでいるかは知らないが、私にはしのぶやキツネさん、むつみさんを守る義務がある) にこやかに笑みを浮かべる瀬流彦とは対照的に、青山がきっと厳しいまなざしを返す。(いや、アタナシアさんは絶対安全だから。むしろ貴方がむつき先生を害した場合の方が危険で……あっ、ほら僕の隣の観音さんは関西呪術協会の人間だとか。五分で良いんです。説明させてください!)(観音、そういえば謎の重鎮とのパイプ役を持ったそんな名の坊主がいると。三分だ、それだけなら猶予をやろう。ただし、私の離席中にしのぶたちに何かあれば……)(あっ、それ絶対ないんで大丈夫です。むしろ今現在、麻帆良でここほど安全な場所もないですから) そんな事態になったらまず、当のアタナシアが黙っていない。 色々な先入観からアタナシアを恐れている瀬流彦だが、彼女の性格は知っているつもりだ。 彼女なら何があってもむつきはもちろん、その周囲の世界を構成するすべてを守る。 絶対にそれだけはないと瀬流彦は念を押してから、むつきに注文を任せて席を立った。「すみません、乙姫先生。注文お願いします、僕はちょっと……」「緊張し過ぎですよ、瀬流彦先生。まあ、いいですが。アタナシア、ボタン」「私に押させるのか、まったく良いご身分だな。ほら、ぽちっと」 そんなやり取りを見て、やっぱり五分でも良いかもと少しだけ思い直した青山であった。 店員が来る前に瀬流彦はお手洗いへと向かい、青山もすぐに前原に注文を頼んで咳を立つ。 心配そうに何度も振り返りながら、ほぼ同じタイミングで瀬流彦と青山がいなくなる。 二人がお手洗いの方へと消えていくのを眺めた後に、切り出したのは前原であった。「あの、皆さん。ちょっとだけ、お願いがあります」 まだまだ、二人の苦悩は続きそうな悪意のないお願いであった。 一方、お手洗いの方に消えた二人だが、お手洗いの前で軽く人払いの魔法を使った。 本当にお手洗いを使いたい人にとっては大変迷惑だが、五分だけだ。 相変わらず警戒心マックスで、今にも巫女服の袖から短刀でも出しそうな青山に瀬流彦は切り出した。「アタナシアと呼ばれている女性の本名は、エヴァンジェリン。元六百万ドルの賞金首、吸血鬼の真祖、別名闇の福音です」「何故そんな魔物が居酒屋で合コンを主催している。ふざけているのか?!」「いや、主催したのはむつき先生で……あの、信じられないかもしれないんですが。エヴァンジェリンさんは、むつき先生と付き合っていて。同棲の噂まで」「ど、同棲だと。結婚前の男女が……いか、いかがわしい!」 正直、そっちに反応するのかと瀬流彦は思った。 どうやら青山という女性は、かなりそういう話に免疫がないらしい。「大人同士、同棲は良いんですが。とにかく、絶対にむつき先生には手を出さないでください」「ん、曲がりなりにもむつみさんの従弟だ。しかし、そこはあの魔物には、ではないのか?」「どうせ、エヴァンジェリンさんに勝てる人なんていませんから。六百歳生きた彼女からすれば、可愛い子供の悪戯で済みます、たぶん。けどむつき先生をかすり傷一本でもつけようものなら、麻帆良が滅びます」「は?」 青山の反応は当然だろう、念の為にむつきの所作も観察していたがあれは一般人だ。 魔物であるエヴァンジェリンを攻撃して滅ぶと言われた方がまだ理解できる。 なのにその魔物ではなく、その恋人を傷つければというのがわからない。 一番触れてはいけない逆鱗という意味で言っているのかと、青山が首を傾げた。「普通に接するだけなら良いんですが、むつき先生は麻帆良の核弾頭なんです。無自覚の。関東魔法協会にはこんな通達があります。乙姫むつきにだけは、絶対に触れるなと」「それは魔物が怒るからか?」「というか、エヴァンジェリンさんを魔物、魔物というのを止めませんか?」「六百年も生きれば、吸血鬼だろうと人間だろうと魔物だろう?」 ちょっと自分でも意外だと思ったが、瀬流彦はチラリと覗き見るように自分たちのお座敷を見た。 談笑しながらジュースを飲むむつきの肩に、アタナシアはそっと体を預けている。 ニヤリと悪い笑みを浮かべたかと思えば、むつきが腰に手を回してギュッと抱き寄せていた。 その場の勢いとでもいうのか、抱き寄せられるままに頬にキスをしてこらっと怒られている。 イラッとするぐらいバカップルだ、街ですれ違おうものなら普通にイラッとするバカップル。「彼女は僕なんかが百人いても叶わない大魔法使いです。睨まれたら怖いですし、出来れば関わり合いたくもない。けど、それでも彼女は僕の親友の彼女で、恋愛を楽しむ普通の女の子です。だから魔物って単語は、正直良く思えない」「貴様は、思ったよりも良い奴だな。分かった、謝罪する。一先ず、向こうがしのぶたちに手を出さなければ、こちらからも何もしないと約束しておこう」「はあ……よかった、これで合コンに集中できる」「ただし、しのぶには簡単には手を出させない。可愛い後輩だからな」 流石にそっちの警戒網さえ解けて欲しいというのは図々しかったか。 それでも青山の心証は悪くなかったはずだ。 自分でもびっくり発言は、良い奴だなとまで言って貰えたのであった。 まだ合コンは始まったばかり、少しずつ彼女の警戒を解いて前原の連絡先をと瀬流彦は拳を握る。 そんな決意は青山と二人で掘り悟達のある部屋に戻ると共に崩れ落ちそうになった。 何故か席が変わっていたのだ。「あっ、瀬流彦先生。前原さんが合コンに定番の席替えしてみたいって言ったので、申し訳ないですが席替えしちゃいました」「え? あっ、そう……そうですか?」 テーブルの前でむつきからそう告げられ、一瞬瀬流彦は何の事だかわからなかった。 改めてテーブルを見ると主催者側のむつきやアタナシア、むつみの居場所は変ってはいない。 男性側も、女性側も一番奥に瀬流彦と青山の席があった。 真ん中が一旦日本酒談義を中断して、なにやらニヤニヤしている酒呑と紺野。 主催者席に一番近い手前側が、妖しい笑みの観音とにこにこ顔の前原である。 単純にクジでも引いたのか、なにか意図があったのか。 席替えするにしても一部の人間がいない隙に、しかも開始早々というのはどう考えてもおかしい。(ちょっと、前原さんが一番遠く。なんで?!) 何故そうなったのか混乱する瀬流彦が見たのは、後ろを通る青山の耳にささやきかける前原だった。「素子さん、頑張ってください!」「なにがだ?」「私、応援してます。一緒にセンパイより良い人探しましょうね!」 ふんすと鼻息荒く瞳をキラキラさせている可愛い後輩の言葉を青山は掴みかねていた。 だがしかし、そんな彼女を意中の人として狙っていた瀬流彦こそ今の言葉を理解してしまった。 あろうことか誰が始めたのか分からない勘違いは、この場の青山以外の全員にいきわたっている。 紺野がニヤニヤしているのもそうだし、むつきなんて頑張れと親指を立てて来ていた。 なんてことだと、一番奥の席に座ってから恨めしげな視線と念を送る。 瀬流彦が離席した意味を一番理解しているであろう、観音にだ。(ちょっと、何がどうなっているんですか!)(前原殿は、どうやら色々と勘違いをされたようです。青山殿をチラチラと伺い見る瀬流彦殿。さらには瀬流彦殿が切っ掛け作りで自分に話しかけようとしてそれをブロックする青山殿。お互い気になるのに素直になれない男女の図だと)(嬉しくない乙女チック、だけど可愛い。ていうか、止めてくださいよ。なに一緒になって席替えに甘んじて前原さんと仲良く談笑してるんですか!) こうして瀬流彦と念話をしつつも、器用に観音は目の前の前原と談笑していた。 ただし傍にはお誕生日席のむつきたちがいるので、厳密には五人でだが。 ヒートアップしそうな瀬流彦へと、比較的穏やかに笑みを浮かべて観音は微笑んだ。(手を出すなと、釘を刺されていましたので)(高度な柔軟性を保ちつつ、臨機応変に!) この糞坊主と頭を抱えた瀬流彦を、流石の青山も不審に思ったらしい。 今まで抱いていた不審とは違い、彼を心配する意味が含まれたそれだ。「どうした。瀬流彦?」「青山さん、実は……」 事情を聞かされた青山が、即座に移そうとしたのは言うまでもない。「しのぶ、ちょっと来い!」「えっ、これってあれですよね。お手洗いに行ってガールズトークっていう。合コンって感じですね!」「なんやなんや、楽しそうやな。ほな、酒呑はん。ちょっくら、行って来るわ」「あらあら、楽しそう。私も、混ぜてぇ」 お酒も入っていないのに、前原は随分と楽しそうであった。 合コンが初めてだと言っていたので、この場に酔ってはいたのかもしれない。 むつみを含めた四人が一旦この場を離れて、お手洗いへと向かう。 だが、それで誤解が解けるかどうかは全く別問題。「しのぶ、私はあんな糸目もやしなど好みではない!」「おうおう、素子。もやしは兎も角、糸目はうちもキャラ被ってるで」「あ、いや。すみません、キツネさん。ではなく、私はまず誤解をだな」「そんな、照れなくても良いんですよ素子さん。センパイのことは過去のことです。新しい恋に生きましょう」 間違いなく場に酔っていた前原が、詰め寄り気味に青山に言った。「見た目は頼りないかもしれませんけど。ああいう人に限って、意外と素子さんの小説みたいに結婚式の最中にさらいに来てくれたりします。あれ、素子さんがさらう側でしたっけ?」「言うな、よりによってキツネさんやむつみさんがいる前で。皆には秘密にするからって、読ませたのに!」「なんや素子、まだあの妄想小説続けとったんか」「ああ、懐かしい。素子ちゃんが結婚式の最中に謎の剣士として」 合コンに加え、同窓会的なノリもあったのか素子の黒い歴史に話の花が咲いてしまった。 悲鳴を上げながら素子がむつみの口を閉ざしても、開いた口はまだ二つあるのだ。 懐かしげに前原や紺野が昔読んだそれを語り合い、素子の傷口は開くばかり。 結局、ハイテンションという珍しい前原のおかげで、誤解を解くのは失敗した。 そしてそのまま再度席替えがされることもなく、瀬流彦の待望の合コンは終わっていった。 麻帆良がある埼玉からひなた荘がある神奈川までの帰りの車の中は、静かなものであった。 紺野は酒呑との飲み比べで酔いつぶれ、前原は初めての合コンで気疲れから眠っている。 二人に加え、同じく酔いつぶれたむつみの三人は最後尾の座席で毛布に包まれていた。 むつきが小鈴から借りたワンボックスカーなので内部は広いのだ。 起きているのは運転席のむつきと、助手席にいるアタナシア、そしてその後ろの青山だけ。 黙々と運転するむつきにとって静かな空間は苦行であり、喧しくラジオや音楽を流すわけにはいかない。 この静かな状況を打破しようと会話を行おうと試みるのは、自然な流れであった。「青山さん、今日はどうだった? 一応、瀬流彦先生とは番号交換したけど」「恐らく、かけてはこないだろう。瀬流彦の狙いは、しのぶだったしな」「え、そうなの?」 気づいていたら、そんなことは普通聞かないなと青山は薄く笑っていた。 男は大抵、物静かで前原のような女らしい女の子が好きだ。 自分のような男勝りの剣術家など見向きもされないと青山は思っていた。 というか、今日は色々な意味で散々だったのだ。 それこそ後部座席にいる旧友たちの様に疲れすぎて逆に眠れない程に。「うーん、それなら今回は全員外れか」 頭をガリガリかきながら、むつきは今回の合コンをそう評した。 元からダミーだった酒呑は、番号交換時点で紺野に彼女持ちであったことを白状している。 紺野はそれならと彼女も一緒に日本酒巡りをしようと笑っていたが、内心はどうだったか。 瀬流彦のことを考えダミーを用意したが、考えてみれば相手がいるのだ。 幹事としてそこはミスであり、普通の友達として落ち着いてくれた紺野が大人であった。 また前原と観音も番号を交換したが、観音はそもそも京都在住なのでいきなり遠距離だ。 そもそも観音にその気があるのかどうか、聞き出すのは難しい。「おい、青山素子。待っているだけでは、勝機は生まれんぞ?」「何の話、ですか?」 アタナシアの言葉に普段の口調で応えようとした青山は、寸でのところでそれを改めた。 なんだかんだ言っても、六百年生きた先達であるし、単純な強さで言えば尊敬に値するからだ。「悪い男ではなかっただろう。くっく、この私を……はっは、女の子と言い切った。この私をだぞ。むつき、キスしたい」「馬鹿、運転中。それに青山さんの前でなにいきなり」「頬っぺただけ。危ないことはしないから、本当に頬っぺただけ」「わかったよ、ほら。今、真っ直ぐな道だから」 変わらず前だけを見ながら運転するむつきの頬に、アタナシアは一瞬だけ唇を振れさせた。 そのちゅっと鳴った音が耳に残り、真っ赤な顔で青山が視線をそらす。 ちょっとだけ昔見た姉と義兄の情事を思い出したが、頭を振り払う。 改めて青山が前を見ると、照れているアタナシアがいた。 裏を全く知らない、一般人の男の頬にキスをしただけで赤くなり照れる六百歳の吸血鬼が。「本当に、女の子なんですね」「ああ、そうみたいだ。私はただの女の子だ」 運転中のむつきからすれば、何を当たり前のことをという感覚であった。 しかしアタナシアも青山も、それが何処かツボにはまったようだ。 最初はくすくすと、次第に耐え切れずに声を大きくして笑い始めてしまう。 二人とも眠っているむつみたちを起こすまいとしているが、どれだけ効果があることか。「んー、素子さんなんだか楽しそう。アタナシアさんと仲良くなったんですか?」「ああ、すまないしのぶ。そうだな、仲良くなれそうだ」「ごめんね、前原さん。ひなた市までもう少しかかるから、寝てて良いよ」「すみません」 起きたのは一瞬だけ、また前原はむつみたちと同じ布団に包まれ眠ってしまう。「女の子、か。男で良い奴だと思ったのは、二度目かもしれない」「そう思える男が見つかったのなら、迷わず掴み取れ。貴重だぞ、自分が尊敬できる男というのは」「知っています、あれから何年。ようやく、二度目です」「私も一度、そう思った男を逃した。むつきは二度目だ。絶対に掴んだこの幸運は、手放さん」 ガールズトークを聞かされるのは恥ずかしいと、むつきは運転に集中していた。 むつみ達を降ろした後で、適当な場所に停車させてカーセックスで可愛がってやろうと決めつつ。「私も少し、掴むために伸ばしてみるか」 それで瀬流彦に春が来るかは、まだこの時点では分からない。 -後書き-ども、えなりんです。瀬流彦の合コン結果はひとまずこんな形となりました。ただし、本人は気付いてませんが一応フラグ立ちました。何故か素子に……当初はしのぶに立って、麻帆良祭の時の生徒とで三角関係になる予定だったのですが。そう言う生徒がいたことさえ、読者は記憶のかなたでしょうが。しのぶがその子を見て、私も昔はなんて思う話を書く予定でした。まあ、素子が相手ならそれはそれで面白いかなと。現在は「素子→瀬流彦→しのぶ」という不毛な感じです。それでは次回は土曜日です。