第百二十九話 皆の前で抱いてください! 幸せな温もりと倦怠感の中で、世界で一番大好きな人たちの声が聞こえた。「なかなか、起きないな。最初からちょっと無茶させ過ぎたか?」「先生は少し自分の性技を自覚するべきです。多種多様な人種の、可愛く美しい乙女たちの未成熟な肉壷を、その指先一つでかき回しては昇天させているのですから」「やな言い方するなよ。そりゃあ、真ん中の足は一本しかねえから、同時に相手にするにはこの両手を使うしかないわけだが。後はベロか」「無意識なのがまた恐ろしい。先生はアレが大きいから凄いのではないのです。何故か的確に個々で違うはずの乙女の弱点を突いて来るのですから」 何の会話をしているのかはわからなかったが、むつきと夕映の傍で自分が寝ているのはわかった。 少々重い頭を持ち上げ、瞼を開けると同時にのどかは横たえていた体を起こした。 何故か浴衣姿、下着は何もつけていない、肌触りで分かる。 それを自覚すると同時に、浴衣の合わせを両手で絞めて、側へと視線を寄越した。 大好きな親友である夕映と、大好きな異性であるむつきの会話がした方だ。「のどか、体調はどうだ? 辛かったり、痛かったりするところはないか?」「超さんと葉加瀬さんに既に診療はしていただきましたが、精神的な何かはあるですか?」「え、えっと……あれ?」 矢次に二人に尋ねられたは良いが、その言葉の殆どが頭の中に入ってはこない。 多少の気だるさはあるが、何故かその割に体は軽い。 日頃のストレスや疲労、それらが全て放出された後の様にすっきりしている。「はぅ……」 その発散した理由を思い出し、布団の中に隠れたいが隠れられなかった。 せめてとタオルケットで口元まで隠しながら、のどかは混乱の最大の理由をチラリと見た。 聞かれた言葉の意味も、理由もちゃんとわかっている。 図書館島でむつきの手で乙女の大事なところをかき回され、気持ち良くてイッた。 のどかとてオナニーの経験はあるが、それとは比べ物にならないぐらいに良かったのだ。 普段、早乙女の同人誌の手伝いでそう言うシーンを見てそこまで気持ち良くはと思っていたが、アレはある意味で正しかった。 それに教師であるむつきが、生徒であるのどかにあんなセクハラをすればしらは切れない。 元々はのどかが望んだことであるし、幸せ以外感じなかったからそれは全く問題なかった。「どうしたですか、のどか?」「ゆえゆえ、どうして先生のお膝に座っているの?」 何故か自分を看病していてくれたらしき親友が、大好きな人の膝の上で頭を撫でられていた。 意味が解らない、あんなに素敵な時間をくれたむつきが起きてみれば親友を愛でている。 起きて即座にそれを理解しろという方が無理であった。「これが先生の秘密なのですよ、のどか。ここは先生の家である元学生寮のひかげ荘です」「元々は俺の爺さんの物件なんだが、この夏に正式に俺が受け継いだ。名実共に俺のモノだ」「はあ……」「のどか、この部屋に何処か見覚えはあるのではないですか?」 そう夕映に指摘され、改めて部屋を見渡したがのどかは小首をかしげてしまった。 見覚えがなかったからだ、図書館島の休憩室の様に木目模様が美しい天井をもつ木造の部屋。 恐らくは出入り口の一つであるドアはなく、代わりに両開きの襖がある。 麻帆良女子高等学校の学生寮や麻帆良市そのものの西洋モダンなそれとは一線を画す。 だが何故だろう、夕映に言われた通り、全く見覚えがないとも言えない気がした。 しばしさまよったのどかの視線は、本好きらしい場所で止まって気付く事になった。「あっ、本棚にある本。全部、ゆえゆえがお勧めしてくれた本ばかり」「さすがのどかです、気づいてくれて嬉しいですよ」「良く分かるな、のどか。俺にはさっぱぐぇ」「全くこの人は、夏休み前に貸してあげたお気に入りの本。まだ五十ページも読んでいないのは知っているのですよ。あまつさえ、読書中に寝入ってしまい指を挟んだままにするとは言語道断」 無頓着で乙女心を察しないむつきの言葉は、抱きかかえられていた夕映のエルボーで遮られた。 ぷんすかと頬を膨らませる夕映に必死に謝るむつきの姿は、嫉妬を覚えるよりもなんだか微笑ましい。「あれ、先生のお家に夕映の部屋……え、先生の秘密……」 二人のやり取りにクスリと笑っていられたのもつかの間。 じわり、じわりと二人の言葉の意味を察して、背筋に冷たい絶望感が広がり始める。 起きる前から声を聞いて心に浮かんだ、大好きな親友と大好きな異性。 その二人は学校ではそんな素振りさえ見せなかったのにとても仲良しな、恋人の様に睦まじい。 未成熟な自分の体を使ってまで誘惑した大好きな異性と仲睦まじい大親友。 我知らず、いや理解したくなかったのか、じわりと涙が浮かんだ時であった。「早とちりはいけませんよ、のどか」「あう……ゆえゆえ?」「先生のおかげで少々涙腺が弱っているようです。泣き止まないと、面白い顔を先生に見せてしまいますよ」 四つん這いで近づいて来た夕映に人差し指で鼻の頭をつつかれた。 さらに続けてふにふにとされると同時に恐ろしい言葉をささやかれて、両手で鼻ガードである。 まだ事情は呑み込めないが、乙女として大好きな人に面白い顔など見せられやしない。 慌てて鼻ガードをした時には、いつの間にか滲んだ涙も引っ込んでしまっていた。「さあ、おいでのどか。俺の秘密を全部、教えてやる。夕映は皆に連絡。風呂で汗を流そうか」「ぁっ」 夕映に何かを頼んだむつきが、浴衣姿ののどかを軽々と抱きかかえた。 お姫様抱っこ再び、あれはやっぱり夢じゃなかったと嬉しくなる半面、どこか不安が残る。 気絶した間にむつきの家にお持ち帰りされたのだろうが、彼の言った謎が謎を呼ぶ。 元学生寮のひかげ荘、その中に何故かある親友の夕映の部屋。 不安げに胸元に縋り付けば優しい微笑で見下ろされ、どうしてよいか分からない。 迷っている間にもお風呂場というか、脱衣所についていた。 一般的な家庭のそれとは違い、銭湯やそれこそ温泉の脱衣所の雰囲気である。「さあ、のどか。脱がすぞ」「え、でも……」「のどかを脱がしたいんだ」「はい、どうぞ」 どう考えてもおかしなお願いだが、そこは惚れた弱みである。 多少恥ずかしさから嫌がりはしても、断るなんて選択肢があるはずもない。 色々と不可解さは頭に残ってはいたが、後ろから両肩に置かれた手に逆らえなかった。 浴衣の上を這う様にいやらしくむつきの手が脇から腰を通り、お腹の前の帯を手に取る。 するりと解かれては浴衣の合わせが肌蹴け、ブラジャーもパンツもない裸体がチラ見した。 極自然と乙女として浴衣の前を両手で閉めたのだが、顔の高さを合わせたむつきにささやかれる。「隠さないで、気を付け」「ぁぅ」 耳元で乙女に無茶な言葉を言い渡されても、そのまま言いなりである。 一度は裸を見せて乙女の秘部を散々弄り回されたが、それはそれ。 色々と振り切っていたあの時は違い、一度は睡眠を経て頭の中が整理された後なのだ。 見て欲しいという本能と恥ずかしいという理性の板挟みにあってか細い声が漏れた。「だ、だめです……」 鎖骨辺りの襟元でむつきが指を引っ掛け、果物の皮を剥くようにのどかの浴衣を脱がしていく。 つるりと滑らかな果実、もとい肌を持つのどかの肩があらわとなる。 続いてむつきの手により剥かれ、うなじはおろか背中が、そのまますとんと床まで浴衣が落ちた。 だがまだ背後のむつきから見えているのは背中、または身長さから乳房の上っ面だけ。 そっと胸や恥部の若草などを両手で隠すが、何故か隠さないで見せてと言われない。 何故と振り返る間に、その理由がわかった。 ふぁさりと何かが落ちる音、自分が剥かれた浴衣が床に落ちる音と同じだ。「のどか、行こうか」 素っ裸のむつきに再び抱き上げられる。 もうむつきの秘密だとか、何故か夕映の部屋がひかげ荘にあるだとかは吹っ飛んだ。 カラカラと引き戸を開けて、素っ裸のまままだまだ高い場所にある陽光の下に連れて行かれる。 お日様の下に素っ裸で連れて行かれてパニックを起こさない乙女などいない。 自分が素っ裸である事すら忘れ、同じ素っ裸のむつきへとすがる様に抱き付いた。「ぁっ」 最初はギュッと瞳を閉じていたのどかも、遅まきながら気が付いた。 むせ返るような独特な臭いと、体の芯から温めるような温い空気。 温泉、脳裏に浮かんだ情報に目を開けるとその通りであった。「わあ、綺麗……」「三階から見える夜景も綺麗だが、この温泉もちょっとしたもんだろ」「はい、とても素敵で、す?」 そうやって感動したのもつかの間。「本屋ちゃん、おっそーい。待ちくたびれちゃったんだから。折角、先生がいるのに本屋ちゃんが起きるまで駄目だって。そういう律儀なところも良いんだけど」「にゃはは、自分の為なら嬉しいけど。他の可愛い子の為だと、ちょっとジェラシー感じちゃう。ずるいぞ、本屋ちゃん。うりうり」「柿崎さん、それに椎名さん?!」 カラカラと再び引き戸を開けてやって来た美砂と桜子に、のどかは目を丸くしていた。 一頻りのどかをからかうと全裸の二人は、わーっと走って岩場から温泉に飛び込んだ。 どっぱんと派手に水しぶきを上げて、まるで海辺で水着を着たようにきゃっきゃとはしゃぎだす。 全裸で、男のむつきがいるのにも関わらず。 いやむしろ波間で戯れる乙女の柔肌でむつきを誘惑しようと、猛禽か雌豹の眼差しですらある。「私たちもいるぞー。先生の背中タッチ、今日はこれぐらいでしておいてあげる!」「いるよ! やっとお風呂解禁、一週間に一度は入らないと調子出ないんだ」「二人とも走ると危ないよ。本屋ちゃん、こんにちは」「本屋ちゃん、本屋ちゃん。先生、本屋ちゃんで興奮してもう勃起してる」 次に明石や佐々木が子供の様に走り込み、アキラがこらっと叱っても効果はない。 もうっと頬を膨らませた後でアキラがのどかに挨拶をし、亜子がこそっとささやいた。 岩風呂の温泉もそうだが、抱かれ振り返れない脱衣所もまたキャッキャと大盛況だ。 本気でもはや言葉もないのどかを抱いたまま、むつきも岩場を乗り越え温泉に浸かり始める。 ここでは俺が主人だと堂々と両足を開き、その間に抱いていたのどかをちょこんと座らせた。 するとその時を待っていた二匹の雌豹がここぞとばかりに、むつきの両側を陣取った。「先生、腕を組むぐらいは良いでしょ? 今日は本屋ちゃんがほぼ独占だけど、これぐらいは正妻の権利なの。私って偉い、凄い?」「全く美砂は厚かましいなあ。良い女は黙ってそっと寄り添う。私みたいに。というわけで、抱き!」「二人とも、のどかが困惑してるです。のどかは私が守るですよ。私は特に順位は気にしませんが、個人的にはのどかが先生の正妻になって貰うと嬉しいです」「おお、ここに来て夕映ちゃんが裏切った!」 裏切ったとは心外なとふふんと夕映が笑い、美砂がちくしょうっと温泉の水面を叩く。 その間にもひかげ荘にいた乙女たちが、むつきのお嫁さんかどうかにかかわらず集まり出した。「ちょっとアンタら、騒ぎ過ぎ。本当に非処女かどうかなんて、大人かどうかと全然関係ないわね。まあ、本屋ちゃんには私も幸せになって欲しいけど。良く考えた方が良いわよ、本当」 釘宮だけはまだ厳重に体にタオルを巻き、こっち見んなとむつきにお湯のしぶきを弾いていたが。「少なくとも、先生なら女子を泣かせるようなことはないと思うでござるが」「ふふ、毎晩違う意味で女の子をとっかえひっかえ鳴かしてるけどね。本屋ちゃん、はいチーズ」「流石の私も、夜の銃の扱いでは先生に後れを取らざるを得ない」「時々、本当に泣いちゃいそうなぐらい激しい時もあるから。それで泣いちゃうと逆に先生興奮して激しくしてくるから、悪循環で……」 長瀬が湯船に浸かればぷかり、和美がカメラを構えながらでもぷかり。 真名やアキラもぷかりぷかりと、きっと彼女らは海に投げ出されても浮き輪要らず。 人並み以上に自信がある美砂や桜子でさえ、くっと羨ましがらざるを得ない。 夕映やのどかは人並み以下なのでぺたぺたと自分との格差に唖然としてしまう。「ちょっ、こっち来んな巨乳艦体。比較されると、相対的に小さく見える」「裕奈もさり気に、あっち側だよね」「えへー、育っちゃいました。やっぱり日々の牛乳のおかげ?」「こら、美砂と桜子はそっと俺のを握って別のミルクを出そうとするな」 近くに来たら比較されると釘宮が逃げ出し、佐々木は無邪気に明石に秘訣を聞いていた。 下ネタのようにむつきの愛銃をお湯の中で扱き始めた二人は拳骨を落としておく。「おーい、まだ着替えてる奴は早くしろ。淫乱二名が、待ちきれずはじめちまうだろうが」 全員が集まらねば話が始まらないと、まだ脱衣所にいる子達をむつきが呼んだ。「少々お待ちを、女の子は準備に時間がかかるのですわ。大好きな殿方には、何時も綺麗に見られたいのですから」「あー、委員長のこの物言いが腹立つ。これ以上綺麗になるとか、あれか。周りに対する挑戦か?」「そんな貴方に、私秘蔵の香油を」「ザジちゃん、それで本当に明日菜が傷つきかけたから。もうちょい、気を付けたってや」 もうこれ以上誰が現れようと、のどかは驚けなかった。 委員長や千雨、ザジに木乃香とクラスメイトがどんどん集まって来る。 既にクラスの大半の人間がこの温泉に専用の浴衣も水着もなく全裸で浸かっていた。 これがまだ寮の大浴場ならわかるが、むつきの家の温泉でであった。 むつきの秘密とは、胸に湧いた不安は夕映が手を繋いでいてくれなければ耐えられない。「のどか、大丈夫です。なにも心配はありませんから」「ゆえゆえ」「むしろ心配なのは、私です。下手をすれば、のどかに嫌われかねないのですから」 だが流石に薄々はのどかも感づいてはいた。 何時の頃からか、部活の時以外は夕映の姿は寮からですら消えることが多かった。 土日も実家に帰るということが多くなり、いや彼女だけでなく大半のクラスメイトがだ。 四月頃まではゴールデンウィークでさえ、帰るのが面倒と寮に残る者が多かったぐらいなのに。 きっとたぶん、そうなのだろう。 さよやエヴァ、小鈴に葉加瀬と五月、絡繰だけは着物姿で何かを指示され大きなお盆を湯船に浮かべる。 どうやらジュースや甘味らしく、一人一人それを取っては次の人に回していく。 全ての人にそれがいきわたると、軽く声の調子を整えてからむつきが言った。「のどか、これが俺の秘密だ。俺こと乙姫むつきは、二-Aの大半の生徒を将来は嫁に貰うと約束した」「そういうわけです、のどか。私も実は麻帆良祭の最中には既に先生と恋に落ちていたのです」「言っておくけど私が正妻ね。もっとも、誰の挑戦でも受け付けるけど」「私はまだ日が浅いけど、美砂の正妻の座を狙う一人。あと今のところはアタナシアさんかな」 ああ、やっぱりと夕映や美砂、桜子の言葉からものどかは自分の考えが正しかったことをしった。 それを受けて何を思うのか、最初に感じたのは安堵だった。 ここに来てなさけないことだが、夕映がむつきと恋をしたことに安堵した。 握ってくれていた手をぎゅっと握り返し、瞳の端に涙の粒を浮かべながら正直に打ち明ける。「ゆえゆえも、先生が大好きだったんだ」「怒らないのですか? のどかに秘密に、のどかが一生懸命に先生にアピールするのを応援しておきながら、私はその裏で先生といやらしいことばかりしていたです。実は、既に非処女です」「むしろ、怒る権利を持ってるのは夕映だよ。私の方が後から先生を好きになったんだから。本当ならその時に私の方がって止められてもおかしくないのに。夕映は私が先生を好きになったことを許すだけじゃなく、応援までしてくれたんだから」「のどかは懐が深すぎるです。普通、そこは怒るところですよ。私のこと騙してたんだって、裏で隠れて笑ってたんだろうと。のどかの性格上、人を恨む子でないことは知っていますが」 そう言いつつも、心底ほっとしていた夕映であった。 実際、そうなじられても仕方がないということは理解していたのだから。「でだ、のどかはどうする? 俺はお前が望むなら、お前を受け入れる。生徒ではなく、俺の嫁として。もちろん、表向きは生徒だが。ここでならお前を一人の女の子として見てあげられる」「先生、私の答えは変りません。どんな形でも、先生の隣に居られたら私は幸せなんです。先生の隣以外に、私の幸せは何処にもないんです。どうか末永く……」「ああ、よろしくな。のどか」 お湯の中で振り返ったのどかが決心をそう呟き、潤んだ瞳でむつきを見上げて来た。 となれば断る理由はない、あの時の続きをとばかりにむつきは唇を奪う。 小柄なのどかをしっかりと抱きしめ、唇を振れさせおそ潰しあった。 キュッとのどかの体は縮こまるが、ならばとその分だけまた強く抱きしめる。 そんな初々しいむつきの新たな恋人を和美が写真に収め、夕映が万感の思いを込めて拍手した。「長かったです、ここに来るまで……」「て言っても、初恋に気づいて叶うまで意外と短いえ。最年長片思い記録は明日菜がぶっちぎりや」「止めろ、神楽坂を話題に出すな。まだ腹が、教室でいきなりオナニーしまくったって……」「千雨さん、人の失敗を笑うのはいけませんわ。確かに、私たちのフォローがなければ明日菜さんは引きこもりまっしぐらでしたわね」 夕映の言葉を皮切りに、木乃香が未だ片思い中の神楽坂を例に出した。 すると湯船の中で腹を抱えた千雨が、思い出し笑いが再発したかのように笑いだす。 注意をしたあやかでさえ、唇の端がちょっと笑っていた。 確かに授業中に先生をお母さん、お父さんと呼ぶのは良くある話だ。 しかしよりにもよっておかずにした相手に、何回したか報告するなど聞いたこともない。「まあまあ、明日菜さんの笑い話はまた今度ネ。今日の話題の種は、新たな先生のお嫁さんののどかさんヨ。さあ、のどかさん。貴方はどういう立ち位置を望むのカ?」「立ち位置、ですか? 私はさっきも言った通り、先生もがっ。ふえふえ?」「ちょっと待つですよ、のどか。軽々しくその先は口にしてはいけません」 小鈴の言葉に純粋に思ったことを口にしようとしたのどかを、夕映の小さな手がせき止めた。「つまりは、こういうことだ」 唐突に上がった声、クラスメイトではないその声に一瞬ざわっとした。 だがこのひかげ荘に馴染みの薄い声で、しかも偉そうな態度と言ったら他にはいない。 むつきが持たれる岩場の上に、いつの間にか足を組んだアタナシアがいた。 一部の人間は気付いた瞬間には、先程までエヴァがいた場所をさり気に隠していたが。「大別すると二つ。むつきのたった一つの隣、正妻この二文字を争うか、争わないかだ。なに心配はいらん、あくまで決めるのはむつきだ。己が魅力でむつきを籠絡すれば良い」「籠絡とは、また古い」「煩い、女の争いに男が口を出すな」「ひでぇ……」 茶々を入れたつもりはなかったが、アタナシアの容赦ない踵がむつきの頭に落ちた。「現在、果敢にもこの私と正妻の座を争うと宣言した人間は、柿崎美砂と椎名桜子そしてさよの三人だ」「当然、私が先生の正妻であることは確定的に明らか。実質、先生と一番最初に関係持ったの私だし。ぶっちゃけ、後から来た子にかっさらわれるとか女の沽券に係わるっての」「んー、私を幸せに出来るのって本気で先生だけだから。意外と私もやる気。負けてらんないの。チア部で一生懸命シェイプアップして、実は先日ウエスト一センチ減って、胸はD。美砂に追いついた!」「僭越ながら、実質的な妻の役割を担わさせていただいています。あなた様のお世話から、ひかげ荘の日々のお掃除まで。あなた様の補佐として、私以上に人材はいないという自負があります」 他の子はお嫁さん意外にも夢があり、身内でまで争っていられない子だ。 特に実家の関係で元々表だって馬の骨であるむつきと付き合うことが難しいあやか。 ただ乙姫の孫息子と聞いて、彼女の両親が目の色を変えないとも限らないが。 あとが学生らしく、医者という夢に向かって勉強しなければならない亜子など。 千雨は服飾系、まだ厳密にそうなるかは不明だが。 小鈴や葉加瀬、五月などはいわずもがな。「私は怠惰な人間ほど嫌いなモノはない。それは恋愛においてもだ。誰かさんが言った通り、隣にいられさえすれば良いなどと甘いことを言う奴は最たるものだ!」「ひぅ!」「アタナシア、のどかはお前と違って大人しい子なんだ」 アタナシアの眼光にびびったのどかをむつきがかばう様に抱きしめる。 だからお前は甘いと、こつんこつんと頭を蹴られてしまう。「むつき、愛でる事と甘やかすことは違う。以前、お前はさよにも言ったはずだ、人は慣れる生き物だと。宮崎のどか、隣に居られれば良い。その程度の心構えでは、いずれお前はむつきにとってただの空気のような存在に成り下がるぞ。傍にはいる、だがいてもいなくても気づいて貰えない」「言葉はきついですが、私もアタナシアさんの言葉に賛同します」「ゆえゆえ?」「のどか、貴方は先生への恋に落ちてから成長しました。男性恐怖症を乗り越え、必死に語り掛け、少しでも近づきたいと一生懸命。その時ののどかはとても魅力的でした」 むつきの腕の中で小さくなっているのどかを否定するように、夕映は力説していた。「そういえば、そうやな。頑張っとるのどかを見ると、こっちが応援したくなるぐらいやった」「ひた向きに頑張る人を、人は応援せずにはいられません。しかし、今の宮崎さんは……その、言葉は悪いですが。得たいモノを得て、満足して立ち止まっておられます」「守りに入ったっていうか。あっ、これ本当に言葉悪い。先生の愛玩のペットみたい。まあ、可愛がられて腰振るだけになったら、本当にそうなっちゃうけど」「や、やさぐれているアルなくぎみー。本当に言葉悪いアル。けど、今の本屋は伸びしろが何も見えないアル」 木乃香から順に鋭く刹那や釘宮、挙句の果てに古にまでも指摘されてしまう。 一度指摘されてしまうと、気になってしょうがない。 ひかげ荘に来た人間は良くも悪くも変わる。 特に顕著なのは千雨か、以前は人間不信気味で誰にも本心を語らなかった。 しかしひかげ荘に来て腹の底から語り合う友を得て、自分の黒歴史でさえ人の為にあからさまにできる強さを得ていた。 少々、あっぴろげ過ぎて本心を語り過ぎる面はあれど。 だがむつきに護られるのを良しとし、怯えているのどかは可愛い女の子で居られ続けるか。「のどかは恋を追いかけている時が、凄く輝ける女の子です。ですがその恋がかなった以上は、その次を目指すべきです。幸いというべきか、その恋は叶った次があるです。正妻という次の目標が」「だな、俺に可愛がられてるだけじゃちょっと勿体ないよな。のどか、一緒に頑張るか。お前は今よりもっと可愛い女の子になれ。その分俺も、今以上に良い男になる」「私がこの貯め込んだ知識を持って全力でサポートするです。単純な知識では超さんや葉加瀬さんには敵いませんが、恋のサポートの知識。これを私は全力で追い求め、のどかに提供するです」 それを聞いて笑ったのは、言われたのどかでも一緒に頑張ろうと言ったむつきでもない。 大げさな話になるように仕向けた、アタナシアであった。 彼女の視線を集めるのは興味を失ったのどかではなく、彼女をサポートすると宣言した夕映だ。 彼女はずっと恋に飢えていた、やっと恋する相手を手にいれはしたがまだ足りない。 求めているのは同じ目線で一人の男を通して切磋琢磨できる存在。 彼女がある意味でむつきよりも求めているのは、同じ目標に向かって頑張れる恋敵であった。「思わぬ拾いモノだ、綾瀬夕映。私はお前を認めよう。流石の私も、超鈴音や葉加瀬聡美の知識には舌を巻く。その二人をジャンル違いとは言え追い越すと宣言した。私はそういう向上心のある奴が大好きだ。そういう奴こそ、むつきを争い合うのにふさわしい」「ていうか、アタナシアさんのテンション見て思った。これ、単純に綺麗な女の子になるとかだけじゃ駄目なんじゃない? ほら見て、元々皆可愛くて綺麗だもん」「言われてみれば、にょわー。さよちゃんは、可愛い上に料理洗濯、お嫁さんスキル高過ぎ。これはまずい!」「お前ら、今頃気づいたのか。努力の方向として美しさも確かに悪くはない。だがな……今のお前たちは若いから想像し辛いだろうが。人間は歳をとれば劣化する。美しさは花のように一時のもの。美しさだけを磨き、何十年後にふと気づく。美しさを失えば、他に何もないと。時に美しさに固執すれば、愛する物を他所に狂うことにもなる」 嫌っとアタナシアの意地の悪い囁きに、美砂と桜子が頭を抱えもがき苦しんだ。 美しさや愛らしさ、見た目を除くとさよのなんとむつきにふさわしいことか。 むつきの為に日々せっせと働き、炊事に洗濯、なんでもアグレッシブにこなす。 その間、美砂と桜子はいずれ劣化する美しさを追求しようとせっせとシェイプアップしていた。「ぐぬぬ、一歩も譲らずさよちゃんは認めよう。しかし、アタナシアさんにはまだ負けてない、はず」「あっ、美砂待っ」 勘に引っかかった桜子が止めるも既に美砂の指はアタナシアに挑戦的な矛先を向けていた。「くっくっく、可愛いなひな鳥はこれだから。お前たちから見れば、私の大人としての立ち位置もお前たちが卒業するまでだろう。しかし、私は世界最強だ。培ってきた資産や人脈、多少マイナスの資産もあるが。いっそ、お前たち全員を遊んで暮らさせる程度のことはできるぞ」「美砂さんには悪いけど、全部本当のことネ。私も彼女に習うべきことはたくさんあるネ」「わーん、恥の上塗り。これが大人か、怒りもせず笑って流されたのがなお悔しい!」 ちくしょうと頭を振り乱して叫んでも、美砂はむつきに泣きつたりはしない。 例え親指の爪を噛みながらでも、何かないかと必死に考える。 他の子とは多少違って、正妻を目指すのではなく、既に正妻たらんとするプライドのおかげだ。 努力の方向性が間違っていたと指摘されても、それが無駄だったとは口にしない。「おーい、アタナシア。あんまり、俺のハードルまで上げないでくれ。俺の嫁は才能の塊ばかりなんだ、凄くなられ過ぎると心苦しくなってくる」「やれやれ、男を立てるのも女の仕事か。じゃあ、これで最後だ。私たちの議論を聞いた上での答えは? まあ、強制はせん。しかし、私は将来正妻の座に着いた時、詰まらん女がむつきの周りをちょろちょろしていれば放り出す。そんな女は結果的に、私の旦那の格を落とすからな」 散々言葉が悪かったり、想うところもあるが、アタナシアの言葉は全て正論でもあった。 いや確かに桜子が嫁になった頃にも、こういう議論はあったのだ。 その時にむつきも確かに満足して終わってはいけないと言ったのを覚えている。 のどかが男嫌いを直そうと頑張っているのを傍で応援してきたからだろうか。「俺も少し、のどかに甘かったのかもしれない。手塩にかけてって言い方はおかしいが、男嫌いを直す為に手伝って、多少は一緒に頑張って来たって思いがあったかも」 だから最後はお前が決めろと、むつきは一度のどかを懐から手放した。 代わりに夕映が彼女を背中から支える。 夕映の成長の根源がのどかであることから、彼女に支えられることはアタナシアも何も言わない。 恋がかなった途端、こんな屈強に立たされ悪いとは思うが、こればっかりは手伝えない。「のどか、ゆっくり考えるです。アタナシアさんが言った、追い出すとかそれも考える必要はありません。一番大切なのは、のどかがどうしたいのか。恋がかなった上でどうしたいかです」「わ、私は……」 アタナシアだけではない、多くのクラスメイトがいる中でのどかに視線が集まる。「私はやっぱり、変わりません。先生の傍にいたい、それが一番。だけど、どうせならもっと、望んでも良いなら。傍に居てくれて良かったって笑いかけて欲しい。今はまだ、その程度ですけど」「ええい、気弱気にその程度とかいうな。むしろそれが根源だ。向上心は大切だが、何故向上心を持つのか。傍に居てくれて良かったって言われたいからだろうが!」「は、はい!」 のどかが正解へとたどり着いたのなら、そんな怒鳴るようにしなくても良いのに。 思わず背筋を伸ばして形状記憶合金のようにシャキンとのどかが立ち上がった。 しかも今にもアタナシアへと向けて敬礼しそうな勢いである。 さてここで問題、アタナシアは今現在どこにいるのか。 むつきの頭上の岩の上、彼女に向かって直立すればむつきの前ですっぽんぽんだ。 今日二度目の行いとは言え、まだまだ未通の乙女である。「きゃぁっ!」 ざぶんとしぶきをあげて座り込んだのどかだが、チラリとむつきとアタナシアを見上げた。 順にその両隣にいた美砂と桜子を、さらにその次に支えてくれていた夕映を。 そして彼女はゆっくりと立ち上がる。 桜色に肌を染めているのは湯船のせいではなく、むつきに見られているからだろう。 それでも湯船に沈むことなくしっかりと自分の足で立って振り返った。「あの……」 一人教室の檀上の上で発表会をする時の様に緊張した面持ちで。 されどその時とは比較にならないぐらいに真剣な眼差しで言った。「わ、私……一番に、先生の一番になります。まだ方法はわからないけど、夕映と一緒に探します。だから、皆さんにも負けません。隣にいたのが、のどかと夕映で良かったって言って貰いたいから」 極々自然と夕映の名前がのどかの隣に添えられていた。「私は夕映と二人で先生の一番になります。どちらも一番。妻妾同衾、どちらも妻で妾です。私と夕映が一番になったら、皆にそう認めて貰い、させます」「ちょっ、のどか待つですよ」「夕映は黙ってて、夕映は親友だけど踏み台みたいにするのは嫌。私と夕映でワンワンフィニッシュ、そう決めたの。だから誰にも負けません。その決意表明。先生、皆の前で抱いてください!」 思いつめたら意外と一直線、のどかの宣言に驚きの声が上がるのは三秒後のことであった。 -後書き-ども、えなりんです。のどかの本番前に、ちょっとしたワンクッション。誰かにバレる、バラす度に説明するのはたぶん今回が最後かな?毎回は流石にダレますしね、最後にしたい。のどかは原作でもそうですが、吹っ切れると凄い子。このお話では全く違う方向性に吹っ切れましたが。妻妾同衾で良いじゃないって発想は原作準拠。次回はのどかの公開初体験です。次回は土曜日です。その後はストック次第です、頑張ります。