第二十一話 下ネタとか超越してね? その日、二年A組の教室内は早朝からおおきくざわめいていた。 何時も通りと言えもするが、その理由が違う。 バカレンジャーのバカブラックこと、綾瀬が図書館探検部の面々とお喋りに興じる事なく勉強していたのだ。 そんな彼女に触発されたように宮崎も勉強していたが、彼女は元々真面目な子なので驚くべきところではない。 どうやら教科は数学のようで、隣の早乙女の席を借りて勉強していた宮崎に色々と聞いている。 一つ質問するたびにざわ、さらに質問すればざわ。 なる程そういう事ですからと呟き納得すれば、ざわざわと顎が鋭くなりそうなざわめきであった。「しかし、ハルナに電流走る。馬鹿な、ユエが勉強だと。何を考えている、そんな事をしてなんの得が。はっ、まさか。ラヴ臭!?」「先程から煩いです、パル」「ええことやん。ほなら、先生が来るまで私も勉強しよかな。中間まで一週間やし」 のほほんと近衛もまた神楽坂の席を借りて、近くで教科書を広げた。 元々彼女の席は、神楽坂の右隣なのでそう距離は変わらないが。 七百人以上いる二年生の中で、宮崎はトップ五十、近衛も百位以内と成績は良好だ。 教師役に困らない恵まれた境遇の綾瀬の勉強は、はかどりそうであった。 すぐそこ、耳元でと言って過言ではない距離で早乙女が騒がなければ。「いやいや、おかしい。ユエが勉強するなんて、ヤマジュンでさえも予想外。これ絶対、なんかあったでしょ。土曜日の部活中に先生について図書館島の四階に行ったって話だし」 今度は別の意味でざわっとしたが、まさかねと皆懐疑的だ。 早乙女の発言なだけに、信憑性はゼロであった。「本当に煩いですよ、パル。まだ未返却ですが、社会科の小テストの自己採点結果が六点だったのですよ」「ゆえゆえ、歴史の特に宗教関係強いもんね」「そこで私は気付きました。今回、社会科の点数は期待できます。これ程までにバカブラックの卒業が効率的に、楽にできるチャンスはないと」「え?」 この時、こっそりまさかと声を上げたのは桜咲であった。 他にもバカレンジャー候補はマグダウェル他、絡繰やレイニーデイといるが彼女達は最初から無関心だ。「と言うわけで、桜咲さん。バカレンジャーの後はよろしくお願いします」「え、いや……待っ」「せっちゃん、心配せんでも私が教えてあげるから、一緒に勉強しよ」「くっ、失礼します!」 一瞬迷いを見せた桜咲が謎の謝罪を置いて、走って何処かへ行ってしまった。 途端にしゅんとする近衛を宮崎がなんとかなぐさめようと声をかけている。「まあ、今一納得し辛いけどユエ吉が勉強を始めた理由はそれらしい。で、なんで美砂まで勉強してるの?」「あっ、馬鹿。早乙女、今の美砂に話しかけるな。死にたいの、あんた!」「耳塞げ、死にたくなかったら皆耳をふさげー!」「んー?」 釘宮と椎名が止めるも間に合わず、早乙女の手はすでに美砂の肩の上だ。 俯き加減であった彼女が振り返った時、思わず早乙女は後ずさった。 大事な二本の触覚を守るようにしながら。 何故なら振り返った彼女の顔は、以前の騒動を彷彿とさせる黒々しいオーラを発していたのだ。 また彼氏と何かあったのかと釘宮と椎名の制止の意味を知ったが、それは外れていた。 何故か美砂が、ぱっと花が咲き乱れるような笑顔を見せる。「彼氏がさぁ」 にへりと笑った美砂を見て、そっちの意味でやっちゃったと思った。 早乙女は愛から溢れるラヴ臭は好きだが、基本的に甘酸っぱいのが好きだ。 言わば土曜に出会ったむつきが持っていた、彼女が頑張って作った弁当とか。 美砂のようにどろっどろの砂糖菓子のような惚気など、下の下である。「テストが終わるまで、しばらく連絡断とうって。でも良い成績とったら、凄いご褒美くれるって。もー!」「ぎゃー、聞くんじゃなかった。ちっとも嬉しくないラヴ臭!」 逃げようとした早乙女の腕をがっちり掴み、延々と美砂が惚気を耳に直接吹き込む。 ごめんなさい、許してくださいと早乙女が珍しく懇願してもおかまいなしだ。 たまには良い薬だと誰も助けず、聞いても痛いだけだと助けられず悲鳴に耳を塞ぐ。「ねえ、中間はどうでも良いけど。終わったら、殆ど直ぐに麻帆良祭だよね。今年はどんなのか楽しみだね!」「今回はあのパレードに出てみようかにゃあ。四人で申請してみない?」「裕奈もそやけど、まき絵。夕映が勉強しとるし、私もってならへんの。教えてあげるから、というか見てや。私ら勉強しとるやん?」 もうこの子達はと、和泉が軽く注意しても聞いた様子はない。 中間テストよりも、麻帆良祭の方に完全に心を奪われてしまっている。 既にバカレンジャーだからなのか、本当に危機感ないなあと苦笑いだ その和泉は、会話に加わっていないアキラをちらりと見た。 和泉の席の隣は宮崎なので、その空いた席に座ってアキラは黙々と勉強している。 美砂が言った通り、むつきと約束したからだ。 良い成績をとったらご褒美をあげると、ピロートーク中に。 ちなみに和泉達は全員、それを盗聴器越しに聞いていた。「頑張ろうね、アキラ」「うん」 キャッキャと佐々木と明石がはしゃぐ中で、和泉がこっそり応援する。 振り向く間も惜しいとばかりに、アキラはノートに目を落としながら頷くのみだ。 それでも、ご褒美を想像してしまったのかぽっと頬が赤くなった。 可愛いなあと思いつつ、和泉は改めてはしゃいでいる二人を嗜め始める。「おっはよー、危ない。あやうく遅刻しかけた。高畑先生がいる時に、遅刻なんて絶対に……あれ、なにこの妙に違和感のする雰囲気」 そこへ少々荒々しく扉を開け放ち、ちりんちりんと鈴の音と共に神楽坂が飛び込んできた。「おはよう、アル……」「くーふぇ、アンタなにしてるの。楓ちゃんまで、本なんか読んでるふりして」「共同で最澄殿の来歴を調査中でござる」「最澄って誰?」 あっけらかんと言い放った神楽坂に、本をひろげてうんうん唸っていた古が顔をあげた。「八百四年の七月に、当時の日本から唐に弟子の義真と天台教学を学びにいったお坊アル」「ごめん、なに言ってるのか全然わかんない。え、日本語?」「アスナ殿、歴史でござる。以前から継続して調査してるでござるが、これがなかなか。来歴を隠すのが上手く、武術のぶの字も出てこないでござる。これは相当の使い手!」「絶対あばいてやるアル。このまま調べていけば、きっと何時か隠れた達人を見つけて手合わせてきるアル。待ってるアルよ、宗派天台!」 この時、神楽坂は格闘技の人ねと考えるのを止めてしまった。 自分の席で木乃香が勉強していたので、その木乃香の席で両肘をついて手に顔を乗せる。 入ってきた扉とは違う、黒板に近い方の扉を眺めにやにやし始めた。 早く高畑先生が来ないかなと、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気であった。「全く、アスナさんときたら……」「おい、こらいいんちょ。学校で私に近付くな、目立つだろ」「偶には良いではありませんか。あのメンバーの中で、どこのグループにも所属していないのは貴方と私だけなのですから」「アンタ、アレだよな。皆と等しく仲が良いけど、親友がいないタイプ」 失礼なと長谷川ではなくにへにへしている神楽坂を見て思ったが、半分は当たっている。 本人も自分も否定するがあえてあげれば、神楽坂だ。 しかし、それはどんな事でも張り合うライバルという意味合いが強い。 静かに時を過ごしながらお茶をしたりするのとは違う。 同室の那波とも仲が良いが、お互いに大人な性格なのでどうしても節度ある付き合いだ。 村上はひかえめというか、大人っぽい相手にコンプレックスがあるので姉に接するよう。 馬鹿話、それも猥談をしながら転げまわれる相手など、初めてなのだ。「アンタ、意外と寂しがりやだよな。それにしても、これもしかするとバカレンジャーの半分が入れ替わる、番狂わせが起きるんじゃないのか?」 騒がしい教室の中で声を潜める必要性は少ないが。 声を潜めた長谷川の台詞に、これまた小さな声で誰かが驚いたように聞き耳を立てた。「なに?」 その呟きは長谷川達には届かず、気付きもせずに続けた。「綾瀬は元々やればできるのにあえてしないタイプだから脱バカレンジャーの筆頭、まず確実だろう。古と長瀬も、歴史だけは異常に勉強してるし。まさかのってな感じだ」「まき絵さんとアスナさんは、残留確定ですが。確かに……すると、失礼ながら。絡繰さんにエヴァンジェリンさん、ザジさん。あと桜咲さんが候補ですわね」 じっと姿勢正しく前を見ている絡繰、形態模写でもしたかのように同じ格好のザジ。 何故かだらだら汗をかいているエヴァンジェリン。 病弱と聞いているので心配して雪広が動こうとすると、向こうから手を振られた。 とても珍しい事だが、心配するな大丈夫だとでも言うように。「柿崎と大河内は餌に釣られてるだけだけど。先生、別に教師の才能がないなんて事はなくね?」「殆どがあの場所のメンバーで、宮崎さんと近衛さんは元々勉強を苦に感じないタイプ。実質先生が動かしたのは、古菲さんと楓さんの二人ですわ」「少ない……しかも、なんか色々勘違いしてるし。やっぱないわ、ないない」 ですわねと言葉とは裏腹に、微笑ましそうに笑った。 内心どう考えているかは、その笑みを見れば一目瞭然である。 お互い、同じ事を考えていたと目を合わせて、またくすりと笑う。「やあ、おはよう。出席をとるから、席についてくれるかな?」「はーい、ほら木乃香。皆も席に、キビキビと。いいんちょ、ほら早く!」 そしてやってきた高畑が出席簿を見せながら言ったことで、神楽坂が近衛の席を立った。 テキパキと、普段の彼女とはえらく違う態度で皆に指示を出す。 恋する乙女の典型的な行動である。 その言葉に雪広はわかっていますわと答えて、長谷川との会話を終えた。 時計を見上げそろそろかと思ったむつきは、デスクの上の棚から教科書を取り出した。 それからと、もう一つの探し物をするが見つからなかった。 あれ、どこへやったっけと棚を漁るが、元々小さな棚には数冊の本しかない。 全てを一つ一つ確かめるのに時間はいらず、全てを見終える。 そしてサッと顔を青くしてから、慌てた様子でデスクの引き出しをあさったりした。「どうしたんです、乙姫先生?」「ないんです、出席簿が。やばい、失くしたとか。始末書ものだ!」 後ろを通りがかった二ノ宮に話しかけられ、つい最後の方は生徒を前にしたように素で叫んでしまう。「ぷっ、乙姫先生。中間テスト前で高畑先生が戻ってて、出席簿を返しませんでした?」「え?」 軽く噴き出した二ノ宮に笑われ、きょとんとする。 そして、つい先程出て行ったばかりの高畑が出席簿を持っていた事に気付いた。 他の担当クラスのない先生方にも、笑われたり、しっかりしろと嗜めるようにみられたり。 すみませんと、照れ笑いで誤魔化すように、デスクに座りなおした。 そして残り少ないカップのコーヒーに口をつけ、しっかりしろと自分でも嗜める。 ただ、気を入れなおしたのは良いがどこか寂しい、今日はA組の授業がないからなおさらだ。 以前ならそんな余裕ないと言っただろうが、担当クラスが欲しいものであった。 出来れば賑やかで少し手のかかる、要はA組なのだが。「まだ少し、授業まで時間があるなら、お代わりいります?」「あ、すみません。そっか、二十分近く余裕あるのか」「二ノ宮先生、僕も良いですか?」 ちゃっかり瀬流彦が便乗し、はいはいと大人の態度で二ノ宮がコーヒーを淹れにいった。 ただお茶くみは新人の一部仕事と化しているので、給湯室はデスクから近い。 二ノ宮も瀬流彦も、むつきと年齢が近い教師間の若輩メンバーである。 その連帯感からか、他の先生方よりもむつきは仲が良い仕事仲間といえた。「それで、乙姫先生」 隣の先生のデスクが空いていたので椅子を持ってきて瀬流彦が座った。「この前の話ですけど、誰か良い人いないか聞いてくれました?」「朝から、瀬流彦先生……」「あら、楽しそうな話ですね。ご相伴に預かろうかしら」「あ、いやちょっと。そんな面白い話でも」 当然の結果といえばそうなのだが、恋愛の匂いを感じてコーヒーを持ってきた二ノ宮まで加わった。 あいにく椅子がなかく、行儀は悪いがデスクに半分腰掛けるようにだ。 なんだか仕事ができる女の雰囲気が感じられたが、男の乙姫達が座って、女性の二ノ宮にほぼ立った格好をさせるのは外聞が悪い。 そそくさと瀬流彦が席を譲り、自分がデスクに腰掛けるようにする。「んんっ!」 理不尽にも、瀬流彦がそうした時だけ、年配の教師が嗜めるように咳払いをした。 何故と、心で涙を流しながら、瀬流彦がちゃんと立って話に加わった。「それで何の話です?」 わくわくと、目をギラギラさせて二ノ宮に聞かれた。 今さら秘密ですともいえず、いいよと視線で瀬流彦に許可を貰い喋った。 男としてはあまり、二ノ宮など女性には聞かれたくない内容の話を。 なんとなく、格好悪い気がするのだ。「彼女の知り合いを紹介して欲しいって頼まれたんですよ」「ああ、乙姫先生の……思ってたより、うーん普通」 何を期待していたのか、なーんだとばかりに椅子に深く腰掛け腰掛けに片腕をかけた。 どことなく、居酒屋でみるオヤジっぽい格好だ。 むつきと美砂、アキラの関係を暴露したら訴えるより先に凄い食いつきそうだ。 結局その後に、色々と訴えられるだろうが。「出会いがないんですよ、出会いが。この業界、早婚な人は早婚ですけど。晩婚な人は本当に晩婚で。高畑先生とか、全然そんな気配がないですし」 この時、とある先生がぴくりと耳をそばだてていた。 気付いたのは二宮ぐらいのものだろうが。「それ別に業界関係ないと思いますけど。乙姫先生とか、ちゃんと彼女がいる人もいますし」「でも、僕も晩婚組みになりそうですよ。彼女、今が楽しいらしくて」「仕事に生きる女性かぁ」「今も試験があるとかで、連絡断ちしてます。あ、それで思い出した」 瀬流彦が勝手に勘違いしただけだが、とりあえず利用しておいた。 ただ瀬流彦は、そう言う人が余り好みではないらしい。 だが出会いがないと嘆いているぐらいならと、むつきはとある人物を押してみた。 あの口ぶりだと、出会った瞬間に八つ裂きにされそうだが。「瀬流彦先生、出会いがないわけなさそうじゃないですか。土曜に初めて図書館島に行きましたけど、そこのサービスカウンターで受け付けをしていた人」「えっ……なんで乙姫先生からその人の事が? まさか、何か喋ったとか?」「そりゃ、喋りますよ。僕行った事ないんですから。それで瀬流彦先生から借りたあのキーを見せて。直ぐに別のキーをくれましたけど」 この時、瀬流彦の顔がさっと青くなっていた。「僕、教師用フロアのエレベーターの十五階って、サービスカウンターなんて行かず真っ直ぐいけば」「そのエレベーターの場所も分からなかったですし。エレベーター五階までしかなかったですよ。どういう方向のお茶目ですか?」「あ、ごめん間違えた。四階、何処か別の図書館と勘違いしちゃったかな」 さらに顔を青くしていく瀬流彦が、慌てて訂正していた。 なにかまずい事でもあるのか。 むつきは二ノ宮と顔を見合わせ、互いに知らないと首を振り合った。 そうこうしていると、見知らぬスーツ姿の男性が職員室に現れた。 女子中等部の教師ではなく、浅黒い肌を持つ異国の人であった。 最初ほとんどの先生が誰かと思い聞こうとしたが、その後ろに件の女性がいる。 彼女は図書館島の司書としてある程度知名度があるため、誰か尋ねようとした先生の殆どが座りなおした。 中等部の人ではないのだろうが、麻帆良内の教師なのだろう。「瀬流彦君、今直ぐに学園長室に来てくれ」「はひ」 睨みつけるように指示され、瀬流彦が直立不動で返事をしていた。 声はかなり裏返っていたが。「ちょっと、学園長室に呼び出しとか何したんですか。それにあれは誰です?」「ははっ、ガンドルフィーニ先生。麻帆良女子高等部の先生です」「僕なにかまずい事をやっちゃいました?」 もう顔が青いどころか、顔も引きつり、半笑いと良く分からない表情だった。 話の展開的に、あの司書の人がいるのでそうむつきは尋ねてみた。 だが返答を貰うより先に、瀬流彦は連れて行かれてしまった。 それはもう強制連行される囚人であるかのように、特に煤けた瀬流彦の背中が。「お騒がせしました」 そうガンドルフィーニは礼をして、退室していった。 高等部の先生が現れた事もそうだが、学園長室に呼び出しとは穏やかではない。 俺なにしたんだよと、むつきまで不安になってきた。 ただガンドルフィーニも司書の人も、むつきには目もくれなかった。 それだけが唯一の救いと言えるかもしれない。 瀬流彦には可哀想だが、美砂やアキラの事がある手前、事情も知らないまま助け舟は無理だ。 どこにどう飛び火するかわからないから。 美砂やアキラと連絡を断っている今は、本当に勘弁してほしかった。 心が折れたら、自分から約束を破って連絡をとりかねない。「でも、不安だ……」「まあまあ、大丈夫ですって。そう、中間が終われば麻帆良祭が近いですよね」 慰めるように大丈夫と言ってから、明るく努めて二ノ宮がそう言った。 男の小さな見栄を総動員して、自分から約束を破るまいと二ノ宮の言葉にのる。 実際、むつきも楽しみにしていたことは確かだから、それ程苦労はしなかった。「楽しみですね。中間が終わればまた高畑先生は出張でしょうし」「あ、それって下克上発言ですか?」 からかうように、二ノ宮が上目遣いに言ってきた。「そんな大げさな。ただ、A組で色々出し物を考えたり、今までと違った麻帆良祭になりそうですから。二ノ宮先生は何かご予定は?」「彼氏とデート、って言いたいんですけど。A組だと、まき絵。彼女が所属する新体操部の演技項目をとりしきらないと。顧問をしてると一日ずっと楽しむって事が難しいんですよね」「顧問か、水泳部の出し物に顔出そうかな」 ぽつりとそう呟いた理由は、アキラと付き合う切っ掛けとなった事件の事である。 あの件で一時的、実質二日だけだが顧問として顔をだしたのだ。 特にあの部長には世話になったので、他意はなく顔を見たい。 しかし、瞬く間に濃厚な毎日を過ごす彼女らが、覚えていてくれるものか。 いや、アキラが出場した大会には美砂を含むチア部や、一部クラスメイトと行った。 覚えていてくれる可能性は少なからずあるだろう。 まあ、アキラが望めばそれぐらいお安い御用と顔ぐらい出すが。「けど誰って顔されたら、凹むどころじゃない」「ああ、水泳部ですか。それはないと思いますよ。大河内さんの水恐怖症を治したのが先生だともっぱらの評判で。夏のシード権までとれたじゃないですか」「二ノ宮先生たんまです。ハードル、というか期待させないでください」「期待しても問題ないと思いますけど。あっ、もうこんな時間。そろそろ授業の準備をしないと」 二ノ宮が時計の針の位置に気付いて、席を立った。 それじゃあと短く言葉を残して、むつきのカップも一緒に洗いに給湯室へと向かう。 助かりますと声をかけ、むつきは教科書とチョーク入れだけを小脇に抱えて職員室を後にした。 出席簿がない分、妙に軽い手荷物に戸惑いながら。 三限目はB組の授業であり、それが終わるとむつきは当然ながら退室した。 後ろ手に引き戸の扉を閉めて、職員室に戻ろうとして一歩か二歩で止まる。 これは中間を前にしてA組がどうしてるか確認するだけ。 別に美砂とアキラと連絡をとるわけじゃないと、心で何回も言い訳を繰り返した。 そして極自然にさりげなく、A組の前の廊下に移動し中を覗き見る。 すると愛しのお嫁さんはとても分かりやすいぐらい自己アピールをしてくれていた。「でさでさ、その時彼氏がさ」「もう勘弁して、死ぬ。これマジで糖死する。腐臭か、ラヴ臭を……」「しょうがないなあ、ハルナ。ラヴ臭ってことはまだ聞きたいって?」 あのアホと、壁に手をつきながら崩れ落ちそうになる体を必死に支え、あきれ返った。 何故そうなったのか、美砂が延々と早乙女に惚気続けている。 早乙女はどうでもよいとして、勉強しろと念を送るが届くはずもなく。 仕方がないので長谷川に視線を向けると、気付いた彼女がいやだねとばかりに手を振った。(天使、俺の天使は!?) 急いでアキラを探すと、自分の席ではなく、何故か宮崎の席にいる。 どうやら亜子と一緒に勉強しているようで、凄くほっとした。 ただ直ぐにいやいやいやと、思い直す。 別に、アキラが勉強をしていた事が悪いわけではない。(嫁に呆れて、彼女にほっとするとか。これ崩壊の兆しじゃねえか) 仕方がないので見つからないように隠れながら、メールという禁断の手段に訴えた。 あまり長居するのも怪しいので、かつてない程に素早く指を動かし送信。「あっ、ごめーん。彼氏からメール来ちゃった。もう、連絡断つとか言って仕方ないなあ」「た、助かった……」 へなへなと力なく早乙女が逃げ出し、体をくねくねしながら美砂がメールを見た。 そして、瞬く間に顔を青くして、振り返った。 仕方がないので、メールに送信した内容と同じように目を吊り上げ睨む。「あは、ははは」 もちろん、送ったのは勉強しろという内容で、お前だけご褒美やらんぞと怒りマークをつけておいた。 乾いた笑いを浮かべた美砂は、すっかり頭が冷めたようだ。 大人しく教科書やノートを出して勉強を始める。 しかし、早速携帯電話が震え、メールの到着を知らせてきた。 反省しろマジでと見ると、長谷川、雪広、和泉から続々とメールが入った。 そういえば、綾瀬に教えてないと思い出しつつ、それを見る。 長谷川からは、「早速破ってんじゃねえ、豆腐メンタル」と教師を教師と思わぬ内容だ。 雪広は、「注意はしたのですが。助かりました」と努力のアピールとお礼を。 最後の和泉は、「アキラにだけご褒美あげれば?」とさりげに親友を押してきた。 和泉は良い人が欲しい時期なので、それだけイラッとしたのだろう。 とりあえず、返信は保留して職員室に帰ろうと振り返った。「おや、乙姫先生。今日は社会科の授業はないはずヨ。それでもクラスを心配して覗きにきるとは担任の鑑ネ」「びっくりした、超か。あとわざと? 俺は副担任……まあ、いいや」 じゃあなと分かれようとして立ち止まり、ニコニコしている赤ほっぺの少女を見る。 思い出したのは、美砂やアキラの台詞だ。 そもそもの発端となったのは、むつきの思いつきでもあったが。「なあ、超」「なにカ?」 呼びかけておいてから、いや待てよと止めた。 完璧超人が相手とは言え、聞いてよいものか。 彼女と長く楽しむ為の漢方薬ないかなどと、完全にセクハラである。 言い方を少し考える必要があった。「ここで話し難い事なら、社会科資料室を使ってはどうカ?」「いや、ここで良い。お前、東洋医学研究会だよな。それって漢方の研究も?」「もちろん、漢方から気の扱い。世間一般的に認知された方法から、科学的立証が不可能ながら効果のあるものまで。東洋は神秘の国ネ」「良くわからんが、漢方が分かるならちょっといいか。最近ちょっと疲れ気味でな。中間テストも近いし、何か体力が。食べ物で言う精がつく、漢方ってあるか?」 うん、上手いぞ俺と内心わくわくしながら、答えを待つ。 現状では、美砂とアキラを同時に相手にするとそれぞれ一回。 頑張ってどちらかがもう一回と、非常に少なく、不公平なのだ。 漢方一つでその問題が改善されるのなら、いくら苦い薬でも喜んで飲む。 ただ言い回しを上手いと思ったのは、少し麻帆良最強頭脳を甘く見過ぎであった。「え、なに?」 ニコニコからニンマリへと笑みが変わった超が、ちょいちょいと耳を指差した。 耳を貸せという意味らしく、とりあえず言われた通りにする。 古典的だが、ふっと吐息を掛けられ、背筋がぞくぞくしてしまった。「あはは、冗談ネ。今度こそ本当よ」「本当だろうな。今度したら、中間テストで詰まらないミスを必死に探すぞ。五教科で四百九十九点とかにしてやるからな」「甘い、甘いネ。むしろ、テスト問題の過ちを見つけて添削しておくネ」「社会科の先生を代表して言います、勘弁してください」 思わず本気でペコリと頭を下げてしまったが、改めて耳を貸す。「彼女達が思わずアレな顔になるぐらいの絶倫仕様で良いカ?」 耳に息を吹きかけられた時と同じ、それ以上の速さで飛びのいた。 それから全くの正解だが、正しく言い当てられたと顔を手で覆って後悔する。 唯一の救いとでもいうべきか、超が軽蔑の視線を向けてこない事だ。 実際、そのニンマリ顔の向こうにどんな感情を抱いているかは不明だが。 もう開き直って正直に話す。 そもそも自分程度の人間が、麻帆良最強頭脳に何かを隠そうというのが不可能なのだ。「普通に、回数が増やせるので良いよ」「ふむ、アレなら彼女達も喜んでアヘ顔ダブルピースぐらいしてくれると思うが、控えめネ」「なに、下ネタが平気とか。お前、どこまで完璧超人なの?」「超鈴音に不可能はないネ。あとそういう批評をしたのは先生が初めてヨ」 それじゃあこれと、小さな木製の箱を渡された。 開けてみるとベージュ色の粉末が入ったビニール袋が五つ程入っている。「とりあえず、市販品ネ。服用後、三十分程で効果が現れ、効果時間は三時間程。回数は個人差があるのでなんとも言えないネ。服用後は効果が切れて一時間は間隔をとること。あと、あまり激しいとアレが炎症起こすから軟膏もおまけヨ。女性にも使えるから気遣いは忘れてはいけないネ」「お前、下ネタとか超越してね? あとなんでこんなもん常備してるの?」「気にしたら、負けネ。使用したら効果の程を教えて欲しいネ。先生用にカスタマイズも受け付けるヨ」「ああ、サンプリング商品ね。お前、こっち系にも手を出してるのか」 そういう商品は武器より高く、確実に売れると教えられてしまった。 例えそうだとしても、女子中学生がしかも、学校に持ってくるなと思う。 受け取ってしまった後では、なんとも注意し辛いが。「とりあえず、ありがたく頂いとくよ」「頑張って彼女達を満足させてあげると良いヨ」 貰った漢方と軟膏を懐にしまいつつ、浮き足立ちそうな足でむつきは職員室へと向かった。 だから気付かなかった。 超が常に彼女達と、複数形を使っていた事に。 -後書き-ども、えなりんです瀬流彦に敬礼!まあ、未遂でしたし軽い罰で済みますけどね。あんまり弄りが酷いと、貶めてる感じが出てきますので。ただ、彼が報われるのは凄い後の方なので。前も書きましたが、原作キャラは基本ハッピーエンドです。あと、今回新たにというか超と普通に会話しました。先生からすれば、これほど怖ろしい生徒もいないでしょうね。テスト問題添削されたら、面子も何もありませんよ。職員室では大人しいけど頑張り屋、宮崎みたいな子が人気です。暴れん坊をまとめてこそって職業ですけど。それでは、次回は水曜です。