第三十五話 貴方の親友の瀬流彦です 結局昨夜は十二時までに秘め事を終えて、ひかげ荘のそれぞれの個室に解散となった。 夕映はまだ二階に個室があるので後日一階に引越しという事になったが。 問題は部屋のまだない朝倉と四葉である。 そこで朝倉は長谷川が引き取り三階へ、四葉は超と葉加瀬が地下室の部屋へと連れて行った。 勝手に作られた地下一階は、まだむつきもしっかりと把握しきれていない。 何時戻るか分からない爺さんの為にも、真相究明は急務である。 普段管理人室に入りびたりの美砂とアキラも、この日ばかりは疲れを取る為に自室へ。 といっても、美砂は部屋がないので管理人室の隣のアキラの部屋にお泊りだ。 流石に同衾で何もせずにいるのは難しいので、妥当な処置であった。 セックスは何時でもとは言わないまでも、毎週できるが中学二年生の麻帆良祭は明日が最後。 万全の体調で望まなければ、勿体無いというものである。 教師の寮ではともかく、ひかげ荘での一泊で一人きりの布団はやや寂しかったが。 それもカーテンの隙間から入り込んだ朝日により、目が覚めるまでであった。「全く、何時の間に。子供か」 薄らぼんやりと、深く被った毛布の中でむつきは誰かが同じ布団に入り込んでいるのを感じた。 美砂とアキラは同衾していたので一人ではなかったから、一人寝が寂しかった夕映だろうか。 前にもこんな事はあった気がしたが、慌てる事はない。 何故か懐かしい匂いで毛布の中は一杯なのだが、豊満な胸に顔を埋めた。 ややはだけた浴衣の中から今にも零れ落ちそうだ。 そこで失礼ながら絶対に夕映ではないと気付いたが、アキラよりも更に大きい気がする。「また大きくなったのか。嬉しい奴め」「んぅ、ぁん」 こいつめと胸の谷間で顔をぐりぐりと擦りつけ、悩ましげな声が頭上より聞こえた。 胸の谷間の奥にちゅうちゅうとキスマークも施し、ぐぐっと息子も起き始める。 まだ朝日が低そうなので一発ぐらいなら出来るかと、自分と相手の浴衣も肌蹴た。 改めて乳首を口に含んで転がし、肌蹴た足元の浴衣に手を差し込んで下着を脱がせていく。 寝汗の香りがと下着をくんくんとかぎ、本当に何故か懐かしいと心底思った。 一体なんの為に体力を温存したか分からない行動だが、むつきもまだ半覚醒状態。 そのまま押し倒した格好で毛布を取り払い、唇を奪おうとしてようやく相手に気付いた。「もう、むっ君たら。女の子を押し倒す年頃になっちゃって。相手の了解はちゃんと得ないと駄目だぞ、めっ」「ね、姉ちゃん!?」 まだ埼玉にすら着いていないと思っていた相手の突然の登場に一気に目が覚めた。 小さな子にするように鼻面に人差し指を当てられ、怒られてしまった。 思わず飛び起き正座をして、深々と頭をさげてごめんなさいをしてしまう。 脱がして握っていた下着はとりあえず、浴衣のポケットに隠しつつ。「先生、今度は誰。また誰か、まさか早乙女!?」「それなら早く、葉加瀬の記憶消去君? あれで早乙女の頭を破壊しないと!」 朝から物騒な台詞と共に、隣の部屋で寝ていた二人がむつきの叫びに気付いてやってきた。 そして、管理人室の襖を開け放って固まった 当然だろう、昨晩は体力温存にと別々の布団に入ったのに、朝来てみればこれだ。 同じ布団に見知らぬ女性が、それも見た目の年齢上つりあう大人の女性。 そんな人の前でおもわずやってしまいましたとむつきが頭を下げている。「先生……誰、それ。舞、舞なの」「葉加瀬の記憶消去君いらない。先生、握りつぶして良い?」「待て、早まるな。姉ちゃん、俺の親戚の姉ちゃん。話はしてただろ。それにほら、どことなく似てるだろ」「あらあら、懐かしい。ふふ、ひなた荘にいた頃のけー君みたいね。貴方達もそんな怖い顔しないで、むっ君の姉のむつみです。スイカ、食べます?」 むつみはマイペースにも朗らかに笑い、当たり前のように取り出したスイカを差し出した。 どんっと切られてもいないそれを前に、美砂とアキラはあっけに取られ。 さっと顔を白く青ざめさせては、部屋にも入らず廊下で土下座であった。「す、ごめんません。乙姫先生のお嫁さん予定の柿崎美砂です。そそっかしい所を、お姉様!」「あの、ふつつかもので申し訳ありません。お妾さんの大河内アキラです。よろしくお願いします」「ますますけー君、そっくり。けど、こんな可愛い彼女さんがいるのに何時までもお姉ちゃんのおっぱい恋しがってちゃ駄目よ。もう、こんな所にキスマークまで」「お願い止めて、姉ちゃん。間違えたの、美砂かアキラ。途中で夕映じゃないって気付いたけど。もぐりこんでたと思ったから!」 相変わらず肌けたままの浴衣をさらに自分ではだけ、むつみが胸の谷間を見せる。 くっきりはっきり、特に美砂とアキラは見慣れたキスマークを目にした。 怒りたいが姉の前ではしたない事もできず、ぐっとむつきを睨むに終わった。 むつきも、こういうマイペースで突然な人だったと頭を抱えている。 当たり前だが、そうこうしているうちに他の面々も集ってきた。 朝食を用意中だったのか割烹着にお玉を持った四葉を皮切りに、走ってやってきた夕映。「誰です?」「途中からでよく分かりませんが、状況から察するに先生の親族の方では」「アレやない。瀬流彦先生に紹介するたらなんたら」 雪広と和泉、三階と地下はさすがに声が遠かったのかやってくるのも遅かった。「先生のお姉さんもお食事を一緒にどうぞ。人数分、ご用意しておきましたから」「あらあら、ごめんなさいね五月ちゃん。鍵も開けて貰った上にご飯まで」「招きいれたの四葉かよ、言えよその時に」「朝食の材料を仕入れに言った時、迷っていたむつみさんと偶然。報告しようとしたのですが、ぐっすり眠っていらしたので」 怒るに怒れないわと、謝罪されたむつきの方が申し訳なくなってきた。 とりあえず、朝食と呼ぶにはいささか軽過ぎる朝食中に改めて、むつきがむつみを紹介する事になった。 ひかげ荘での朝食が軽過ぎる程に軽いのには理由があった。 流石四葉の気遣いというべきか、元より腹を満たすのが目的でなく一時間程度持たせる意味だったのだ。 何故ならむつみを加え、全員で超包子に向かうと長蛇の列の中に二年A組の半分がそろっていた。 開店三十分前、一般入場者が入場前の前が開店なので現在時刻は八時半。 仕込みは殆どひかげ荘で済ませてあったので、四葉、超、葉加瀬は厨房へ。 残りの面々で席を確保し、ひかげ荘以外の二年A組のクラスメイトも集まりだした。 早速昨晩の寮に戻らなかった事を問い詰められると思いきや、話題はやはりむつみである。 見慣れぬ女性をむつきが連れていると、これがあの噂の彼女と当初勘違いもされたが。「あらあら、むっ君のお嫁さん候補の子がこんなに一杯。ほら、貴方達もスイカ食べる?」「だから、生徒だって姉ちゃん」「でっかいスイカです。何処から出したです!?」「楓姉、切ってください。ありがとうございます、先生のお姉ちゃん」 鳴滝姉妹は少々季節はやめのスイカに大はしゃぎである。 ならばと楓が空中から取り出したように見える短刀、クナイにも見えるそれを手にとった。 軽々と片手でスイカを放り投げ、不安定な状態のそれに刃を素早く走らせた。 朝日を反射した銀光が幾重も走り、スイカがどすんとテーブルの上に落ちる。 その衝撃を最後にピッと線が生まれては、ぱらりと花開くように綺麗に割れた。 これには二年A組とは無関係の普通の超包子のお客も拍手喝采であった。「先生の姉上もお一ついかがでござる?」「凄い凄い、まるで素子ちゃんみたい」「素子? そのような芸当ができる素子とは、まさか青山という名では」「あら、奇遇ね。貴方も素子ちゃんのお知り合い?」 珍しくこういった場で桜咲が発言し、問い返され血相を変えた。 スイカを選択中の近衛をかえりみては、何故か麻帆良祭の最中も手放さない竹刀袋を手に取った。「西のッ!?」 だが袋の口紐を外すより先に、柄頭を後ろから止められビクリと硬直する。 そっと振り返った先にいたのがむつきであり、ぽかんとしていたが。「おいぃ、桜咲。俺の姉ちゃんに何をしようとした。返答次第では、いくら大事な生徒でも許さんぞ。言っておくが、姉ちゃんを守る喧嘩でなら、一度も負けた事がねえ」「刹那、今回ばかりは風向きが悪いぞ。先生の目付き、命を賭した目をしている」「ああいう目をした人間は素人でも侮れないアル。文字通り喰らいつく目アルよ」「四天王の二人から言われるって、完全にキャラ変わってるし。先生いざとなったら、何するかわからない怖さあるからなんとなく分かるけどさ」 指をぼきぼきと慣らし、眼も暗く光って完全に世紀末の人間である。 龍宮や古が止めておけと桜咲を止め、おいおいと釘宮が汗をたらし突っ込んだ。「むっ君、女の子に暴力はめっ。本当に、昔はお姉ちゃんと結婚するんだって、体の弱かった私を苛めた苛めっ子を逆にこてんぱんにしたり。変わってないわね」「苛めっ子、私が苛めっ子と同レベル」「せっちゃんもめっ、やて。その竹刀袋、貸しや。預かっといたる」「お嬢様、これは大事なお嬢様を守っ。駄目なのです!」 涙混じりに逃げ出した桜咲を近衛が待ってやと追いかけるのは微笑ましく放置する。 普段は口も聞かない桜咲も、麻帆良祭という事もあってどこか近衛と距離が近い。 同じ京都出身なので何かあったのか、野暮な事はすまいと誰もが見てみぬ振りだ。「先生、質問良いですか?」「なんだ村上、改まって」「たぶん、皆も思ってる事だと思うけど。たぶん、むつみさんは初恋の人だよね。そんな大事なお姉さんを瀬流彦先生に紹介していいの?」「確かに、美人で頭も良くて人柄もこの通り。瀬流彦先生に勿体無い、てか。釣りあわねえな」 控えめな村上の問いかけを、長谷川がオブラートを全て破り捨て言い放った。 酷い言われようとも思ったが、賛同者はいても反対意見は皆無である。 一応教師人気投票に生徒から応援団がついたはずだが、それは誰なのか。 自薦じゃねえよなと、少し瀬流彦が心配になってきた。「初恋も認めるし、姉ちゃんは大事だけど。もう適齢期だしな。東大入る前辺りは恋愛もしてたけど、それ以来さっぱりだし」「ラヴ臭感知、聞きたい。東大の才女が恋する相手とは一体何者!」「けー君の事ね。今でも好きだから、この歳になってもまだ良く覚えているわ」 早乙女は何時もの事だが、それでも周りの耳が一斉に大きくなった程だ。 東大出の才女、それも副担任の初恋のお姉さんの恋愛相手とは。 年上好き、オジコンの神楽坂でさえ参考にと身を乗り出してさえいた。「けー君とは幼い頃、ひなた荘って当時は旅館で出会ったの。今でもまだ完全に治ってないけど、体が弱くて病気療養の為に。お爺様の勧めもあって」「病弱幼馴染設定、キタ。これで勝つる!」「ハルナ、ちょっと煩いしうざい。それで、まさか東大で運命の出会いを?」「ううん、ちょっと惜しい。再会したのは東大に三浪が決定したけー君が傷心旅行中に、私も三浪が決定した時に偶然、今はけー君のお嫁さんになったなるちゃんも一緒だった」 ラヴ臭感知なる特技でテンションあげあげの早乙女を明石や佐々木が押しのけのりだす。 さり気に三角関係を匂わせる発言に、周囲からもおおっと唸り声まであがった。 おかげで三浪発言がわりと簡単にスルーされている。 気付いたのは身を乗り出すまで、聞き入っていなかった夕映ぐらいか。 何しろ彼女は、他人の恋愛話どころではなく、自身が現在進行形でお悩み中だ。 美砂やアキラと同じく、ちゃっかりむつきのとなりに座ってはいるのだが。「先生、今思い出したのですが。ひかげ荘と対になるひなた荘はもしや、入寮すれば東大合格間違いなしと人気の」「ああ、それそれ。けー君ってのも、本名は浦島景太郎。爺さんが尻をおっかけ中の浦島家の長男。当時は浦島家と縁続きにって爺さんハッスルしてた、隠れて」「ストーカーなのに、なんかそういうところちょっと可愛い」「うん、何時かちゃんと会いたいね」 美砂やアキラからも、若干爺さんへの好感度がアップしたり。「それで色々あった上げく、けー君の約束の女の子はなるちゃんで。ひなた荘の皆は一応、身を引いたの。皆、今でもけー君の事が好きだと思う」「なんか、色々ではしょられた。けど、約束の女の子に東大かぁ。私には雲の上の話だけど」「男の一念、岩をも通す。一生懸命な男の人はやっぱり格好良いわ」「イケメンだったら、会って見たい!」 佐々木や那波が溜息と共に憧れ、椎名は率直な意見を述べた。 しかし他の皆もこれはイケメンに違いないと乙女の欲望を想い描いている。 確かに三浪、の部分はスルーされたが、幼い頃の約束を守りその子と東大へ。 考古学を専攻して世界中を飛び回っているとあれば、イケメン認定も仕方がない。 実際のところ、むつきは写真を見た事があったが、分厚い眼鏡のさえない男だ。 他人にそう言えば、人の事が言えるかと絶対ブーメランが帰ってきたろうが。「素敵なお話だったね、ゆえゆえ。何時か私にもそんな男の人と……できるのかな?」「弱気は駄目ですよ。何かをするには、まず出来ると思うのが大切です」 宮崎を注意しつつ、ちらちらと夕映はむつきを見ていたりもする。「乙姫先生ッ!」 そこへやって来たのは噂の始まりに遅れた瀬流彦であった。 むつきがいるテーブルのそば、それもA組の面々に囲まれた女性がと目が爛々としている。 普段のどこかぼやっとした雰囲気を投げ捨ててのはしゃぎようだ。 むつきの連絡不備で一日目、二日目と空振りしたのでそれも仕方のない事か。 良い大人が落ち着けよと、若干ながら皆の視線が冷たいが気にも止めない。 仮装姿でなくスーツ姿なのは、見回りをしていたからか、バシッと決めたのか。「乙姫先生、貴方の親友の瀬流彦です。さあ、むつみさんにご紹介を願います」「同僚で歳が近いので仲良くはさせて貰ってますが、何時の間に親友に」「細かい事を気にしてはいけません。ええい、もう自分で自己紹介します。むつみさん、瀬流彦と申します。今度僕の車でご一緒、あれ?」「せ、瀬流彦先生にドライブに誘われたです。助けて、楓姉ぇ!」 さっと手を取ったつもりが、肝心のむつみが忽然とその場から消えていた。 しかもあろう事か、間違えて鳴滝妹の史伽の手を握ってしまい逃げられる始末。 方々から冷たい視線が突き刺さり、慌てて弁解をし始めた。「いや、違う間違えたんだよ。と言うかいたよね、ついさっきまでここに」「確かに、拙者にも気付かれず忽然と姿を消すとは」「私の魔眼でも捉えられないとは、やるじゃないか」「おーい、龍宮が中二病発症してんぞ」 冷やりと汗を流す長瀬に、疲れているのかと鼻頭を指で摘んだ龍宮が長谷川に突っ込まれている。 中学二年生なのだから、別に発症してもおかしくはないが。 次第に周囲でもいたよねと、忽然と消えたむつみを探して周囲を見渡す。 瀬流彦もあらぬ疑いを避けられほっとしていたが、肝心のむつみがいないのではどうしようもない。 おたおたと、テーブルの下やらマンホールの蓋をとっては探す。「俺の姉ちゃんは鼠かなにかですか」「先生、そんなのんびりしてていいの? 確か体が少し弱いんだよね」「早く探さないと、そろそろ人通りも増えるし倒れたりしたら危ない」 美砂とアキラも周囲を見渡し、迷子の案内放送でもとさえ意見が出始める。 ただし、色々な意味で慣れているむつきは、落ち着いてコーヒーを飲んでいた。 他の人の場合は知らないが、むつきに黙って消える事はあってもいなくなる事はない。 昔からの経験則だが、何かに興味を引かれてふらっとそちらへ行ったのだろう。 多少心配だが、十分や十五分ぐらいならまだ慌てる時間ではなかった。 案の定である。「むっ君!」 とてとてとのんびりな足音と共に、そのむつみがむつきの名前を呼んできた。 なんだいるじゃないかと、皆もそちらへと振り返って唖然とする。 いたはいたのだが、彼女が出てきたのは仮装用の貸衣装屋であったのだ。 フレアスカートの茶褐色のワンピース。 インナーとして着ていた白の長袖ワイシャツと大人の落ち着いた格好は何処へやら。 よりによって、亀のキグルミ姿でぶんぶんと平たい手を振って出てきた。「先生、初恋のお姉ちゃんのキグルミ姿を見て、一言」「ああいう姉ちゃんだって知ってるから、悲しくないぞ?」 朝倉にマイクを向けられ、二十八だろと頭が痛くなってきた。 さすがに瀬流彦もどういうリアクションを取ればよいか迷っている。「あっ、そう言えば思い出した。俺、姉ちゃんに瀬流彦先生を紹介する事を言ってねえわ」「それだぁッ!」「ちょっと、乙姫先生!」 二年A組の突込みを総受けし、瀬流彦からも突っ込まれた。「いや、ほら姉ちゃんまだ大学受験時の恋を引きずってるし。男紹介するって言ってもこないだろうから。麻帆良祭を案内するっておびき寄せたんだった」「いや、それならそれでデートの理由には十分。乙姫先生は教職が忙しく、ここは僕が!」 そう意気込んで瀬流彦が一歩踏み出した瞬間の事であった。 相変わらずむつきの名を呼んでとてとてキグルミで走るむつみの背後が爆発した。 厳密には、貸衣装屋を破壊突破するように、一匹の恐竜が飛び出してきたのだ。「工学部のロボティラノが毎年恒例の暴走だっ!」「恒例かよ、あった。確かに去年もあった!」 長谷川の突っ込みも切れ切れだが、そんな場合ではなかった。 むつみとの距離は僅か数メートル、まるで生きているかのようにその目が捕らえた。 普段から鈍いのに、キグルミを着た今はなおも鈍い。 あれっと振り返ったむつみは、まあまあと逆に近付きそうな雰囲気でさえある。 姉ちゃんの危機と飛び出したむつきを、追い越したのは瀬流彦だ。 とても人間技とは思えないスピードで、飛び散る貸衣装屋の瓦礫をぬって走った。 一筋の風の如く、いっそ降りかかる破片が風圧で跳ね飛ばされたようにさえ見えた。「おお、これは中々の瞬動術」「隠れた達人、発見アル!」 顎に手を当て、長瀬が動きを褒め、古も状況を忘れ大興奮だ。 いや、実際武術に無関心の面々でさえ、映画のようなワンシーンに釘付けであった。 むつみがキグルミ姿なので多少間抜けだが、男女の出会いにワイルドで危険なスパイス。 これは瀬流彦が過去の失恋相手を越えるかと手に汗握る。 そして何かタクトのようなものを瀬流彦が袖から取り出し、ロボティラノを吹き飛ばした。 一体どうやって、まるで横から巨大なフックパンチを食らわせたようにロボティラノの長い首が陥没してさえいる。 ただそうしたはずの、瀬流彦がぽかんと糸目のまま口を開けていた。「あれ?」 何かおかしくないかと、疑問の声をあげたのは一体誰であったか。 もしかしたら、瀬流彦自身であったのかもしれない。 何故なら、瀬流彦よりもむつみに近い場所で、何時の間にか立っていた男がいたのだ。 立派な顎引けを整えサングラスをくいっと押し上げて立つダンディズム。 首を抉られながらも倒れまいと踏ん張ったロボティラノの前で彼が踊る。 パチンと指を鳴らすたびにロボティラノは謎の衝撃にぐらつき体勢を崩す。「しょ、衝撃のアルベルト、なんつー渋いチョイス。けどやってる事は、素晴らしきヒィッツカラルド。あれ、なにこれ映画、CG!?」 叫んだ早乙女の台詞を理解できたのは何人いたことか。 ダンディズム、また衝撃のアルベルトこと神多羅木であった。 彼のダンスは次第に勢いを増し、ロボティラノは近付く事は愚か後退させられていた。「終いだ」 そう最後の宣言の後の指が鳴って、ロボティラノの首が跳んだ。「全く、何時になったら完成するのかしら。本当に毎年」 そして飛んだ首を上空から落ちてきた葛葉が、木刀にて一突き。 地面に頭部と胴体部を串刺しにして、終わりであった。 最後の締めを惜しみなく譲るなど、悔しがるどころか笑みまで見せていた。 タバコを一本吸おうとして、むつみに気付いて箱に戻すなど細やかな気遣いさえ渋い。「大丈夫か、お嬢さん」「あら、素敵なお髭。お爺様みたい」 ただし、あまりその格好良さは伝わらなかったようで。 亀のキグルミの手でむつみは、神多羅木の顎鬚を嬉しそうに撫でていた。「あら、いたのですか。瀬流彦先生」「いたんです、それが」 そして、今気付いたとばかりに木刀を一振り抜き去った葛葉に言われる始末。「もう、駄目じゃん瀬流彦先生。途中まで格好良かっただけに」「良いとこない。なんの為にそこまで行ったの、何か一つぐらいしようよ」「大丈夫の一言も、サングラスのおじ様にとられて。格好悪ぅ」 明石、佐々木に和泉とボロクソであった。 彼女達に悪気はないのだろうが、瀬流彦への酷評は続き心が折れそうである。 がっくりと膝をついて、ぷるぷる足が震えてさえいた。 生まれたての小鹿のごとく、実際は生まれるどころか人生が終わりそうだったが。 彼のおかげで、皆の意識は謎の映画撮影を披露した神多羅木達からそれていた。「むっ君、私このおじ様とお付き合いしてみようかしら」「ぐはぁっ!」 そして突然のむつみの発言に、吐血せんばかりに地面に倒れこんだ。 つっと地面に広がる血で書いたダイイングメッセージはグラヒゲの文字である。 それは良いとして、問題はむつみであった。 むつきも神多羅木の事は一昨日の夜の見回りで初めて出会ったばかりだ。 年の頃も三十代半ば辺りか、二十八のむつみとつりあいは問題ないのだが。 相手に恋人や結婚相手がいないとも限らない。 それこそ見事なコンビネーションでロボティラノを止めた葛葉だっている。 瀬流彦そっちのけで、きゃあきゃあ二年A組の連中も騒ぎ出していた。「すみません、神多羅木先生。僕の親戚の姉が。ところで、ご結婚などは」「いや、まだだが。ところで、乙姫君。君のお姉さんが執拗に髭に触れてくるのだが」「すみません、お爺様そっくりのお髭が。助けて頂いたこれも縁ですし」「神多羅木先生、何を悠長にナンパなどいかがわしい!」 折角独身情報を手に入れたが、異様に怒り狂った葛葉が割って入ってきた。 こそこそと恋人ですかと聞いたら、彼女は最近離婚してなとこそこそ返される。 元々関西の出であったらしいが、結婚を期に関東に移り住み歳を経ず離婚。 確かにそれは荒れると、綺麗なのに勿体無いと思っていると思い切り睨まれた。 ぶっちゃけ、チビるかと思ったが折角むつみが昔の恋を振り切ろうというのだ。 お姉ちゃんパワーを全開にする時は今を置いて他にない。「神多羅木先生、折角姉に来て貰ったのですが残念ながら僕は忙しくてまともに麻帆良の案内も。よろしければ、姉を案内していただけないでしょうか!」「ちょっと、貴方。一昨日、不良グループの前でおたおたしていた先生ですね。何を勝手に、私達は見回りの途中です。部外者は、黙っていてください」 喧しいばつ一がと叫びたいのを堪え、揉み手とにこやかな笑顔で対処する。「その節はありがとうございました。ところで、今度瀬流彦先生を連れて合コンの予定なのですが。女性の数が足りず、何方か探しているのですが」「ご、合コン……んんっ、瀬流彦先生を外して別の男性が入るなら。私も教師として大変忙しいのですが、どうしてもと頭を下げるなら数人心当たりが」「助かります、葛葉先生。年上、下どちらが好みです? こちらが無理を言ってご参加願いますので出来る限り便宜を図らせていただきます」「ちょっと貴方、こちらに来なさい」 生徒達の目があるからと、往来の隅っこに呼ばれてごしょごしょと。 もの凄く必死に細かい注文を多数受けたが、にこやかに頷いて返す。 年下で可愛くて思いやりがあり、けれど男らしい一面もあって晩酌にも付き合え忍耐があり等々。 途中から反芻するのも面倒になってスルーである。「別に期待しているわけではありませんし、プレッシャーをかけるつもりもありません。貴方の顔を立てて出席するのですから、お忘れなく。えっと、乙姫先生?」「もちろん、葛葉先生の好みに合わせ取り寄せますとも。ご期待ください」「合コン、何ヶ月、年ぶり? 早く連絡を、シャークティ? 駄目だわ、シスターとか男が食いつく。しずなも、あの脂肪の塊に。私よりレベルの低い、普通の子を適当に」 もはや興奮しすぎて、通りの隅に寄った意味があったのかなかったのか。 あまりの必死さにほろりと涙を流す者もいたりした。 神多羅木は相変わらずむつみに髭を弄られながら、やれやれと溜息だ。 最後にその時に連絡しますと葛の葉に番号を渡し、とんぼ返りである。「こっちは片をつけました。神多羅木先生、よろしければ姉を案内していただけないでしょうか」「亀のキグルミでお恥ずかしいですが。よろしくお願いします、神多羅木先生」「亀、好きなのか?」「はい、何匹か温泉ガメも買ってますよ。神多羅木先生、あれ。あそこはなんですか?」 神多羅木も悪い気はしないのか、適当に話題を振っては歩き出した。 亀のキグルミで歩きにくそうなむつみに配慮しつつ、ゆっくりとそれこそ亀のように。 普通の格好で腕を組んだ方がポイント高そうだが、あれが自慢の姉である。 俺に出来るのはここまでと、麻帆良祭の喧騒の中に消えていく二人を見送った。「いやいや、中々に面白い結果になったみたいだね」「あれ、高畑先生何時から?」「割と最初から、ね」 むつきの気付かぬ事ではあったが、最初にロボティラノの首を陥没させたのは彼だ。「高畑先生、凄かったんですよ。さっき、あのサングラスの先生? が、パチンパチンって」「はは、そうかい。そいつは見たかったな」「先生のお姉はんも運命の出会いやったし、めでたしめでたしや」「後俺達にできるのは、上手く行く事を願うだけだ。頼むから、途中でデートを見かけても邪魔しないでくれよ。したら、容赦なくアイアンクローだ、この野郎」 誰もしないよねっと、寧ろ見守る方向で了解してくれて一安心である。 そして高畑もやってきて二年A組は九割方集った事になる。 別に麻帆良祭の開始前に集るような義務はないのだが、仲が良い事は良い事だ。 昨晩に引き続き、高畑は締めの挨拶なので雪広からお鉢をまわされた。 さて何を言うべきか、一先ず最終日も快晴に恵まれ、健康状態も見渡した限りではばっちりである。「麻帆良祭、最終日気合入れて」「ちょっと、何を良い話風に締めようとしてんの。倒れてても誰も助けてくれないどころか、踏んだ上に背中の上でぴょんぴょんと」「あっ、忘れてた」 ちくしょうと男泣きに高畑がぽんぽんと肩を叩くが、もちろん効果は限りなく薄い。 最終日出だしから鬱陶しいが、半分はむつきのせいなので面と向かってはいえなかった。「ああ、見つけた瀬流彦先生!」 そこへやって来たのは、むつきは見覚えのある少女であった。 短めのツインテールをひょこひょこ揺らした、年の頃は二年A組と同じぐらい。 というか実際同じで、D組の生徒である。 皆も見た事位はあるのかDだよねと、胸の話ではないがこそこそ話していた。 むつきが見たところ、Dなんてとても精々がBであろうが。「なんで泣いてるんです? もう、本当に頼りないんだから。先生は私がいないと、本当に駄目。しっかりしてください」「君か、あのね。僕が君の為に何度方々へ謝りに行った事か。聞いてないよね、何時も通り」「ほら、教師人気投票トトカルチョのアピールは午前中まで。投票は昼から開始なんですから。最後のアピールチャンス、しっかりしてください」「ああ、乙姫先生助けて。癒しを、せめてCのぎにゃぁっ」 しっかり意味は伝わったようで、わき腹を思い切り蹴られながら引きずられていく。 どうやら瀬流彦の推薦者らしく、どう見ても好意全開。 気付いていないのは瀬流彦ぐらいなのではないだろうか。「高畑先生、麻帆良祭なのでおおめに」「僕はなにも見ていないさ」 一先ず高畑も笑うだけで咎めはしないようだ。「では気を取り直して、今日が一番忙しい三日目だ。教師人気投票トトカルチョもあるし、仕事が割り振られている奴はしっかりな。振られてない奴も、目一杯遊んで来い!」 おーっとむつきの号令で二年A組の面々が勢い良く晴れ渡ったそらに拳をあげた。-後書き-ども、えなりんです。本日は夜に予定があるため、早めの更新です。さて、むつみが割かしフリーダムです。原作読んだの何年前なのか、結構うろ覚えで書いてます。ただ、たぶんこんな感じだったはず。二十五にもなって姉ちゃんにむっ君と呼ばれる主人公。今回微妙に影が薄い?あと瀬流彦ェ……何だかんだで特定生徒に異常に好かれています。現在名前ないですが、いずれ瀬流彦との行く末を書きたいです。それでは次回は水曜です。次回は偶数話ですが日常回、麻帆良祭編もこれにて終了です。