第四十五話 ちょっと摘み食いぐらい 期末試験後の学年別成績順発表は、二年A組は見事念願の最下位脱出を果たした。 全二十四クラス中、下から三番目の二十二位。 ひかげ荘メンバーの頑張りからすると、躍進という程でもないのだが。 それでも最下位脱出は脱出と、その時はお祭り騒ぎであった。 またJOJO苑奢りと、むつきが奢らされそうになったり。 既にあの賞金など懐にあるはずもなく、生憎高畑は出張中で助成もなし。 夏真っ盛りのこの時期、外はきついのでクーラーの効いた教室が開催場所である。 せめてと、諭吉さんを一枚取り出して菓子とジュースを買って来いというのが精一杯であった。 最近出費が少し激しいように見えて、実はそれ程でもない。 平時に行なわれる出費など、休日に使用される金銭と比べると微々たる物だ。 しかしその休日も、最近はひかげ荘内でセックスに励んだり、遊んだりと金の使いどころは寧ろ減っている。「おい、乙姫」 お菓子を食べてはジュースを飲み、皆が騒ぐのを見守っていると喋りかけられた。 二年A組の生徒でむつきを呼び捨てにする生徒など一人しか居ない。 葡萄ジュースがなみなみと注がれたワイングラスを持つ、マクダウェルにである。「お、最近やっと年上を若造って呼ぶ間違いが直ったな。まだちょっと荒いけど、少しずつ直していこうな。それでどうした?」「とぼけるな、囲碁の入門書貸してやっただろ。貴様は精神が軟弱過ぎる。囲碁で特に心を鍛えてやるから、しっかり勉強しろ。休日、早速対局するぞ」「ネット碁で連戦連勝中のsai@evaにド素人がどうしろと? 水泳の勉強もあるし、大変っていうか。今までずっと採点地獄だったわけだが?」「言い訳はきかん。現実は常に準備不足、その準備不足の中で貴様がどう足掻くか。その力こそが心の強さとも言える」 なんとも哲学的な言葉に、こっそり夕映が耳をそばだてていた。 さすがに、夢精して泣いたばかりか、雪広と長谷川に泣きついた所を見られていては返す言葉もない。 せめて陣地確保の基礎ぐらい覚えておくかと、苦笑いしながら了承した。「おーっと、そこで気になる話題が。現在ネット上で話題のsai@evaってやっぱりエヴァちゃんだったか。期末前の居残り小テストの時のあれでタイムリーだと思ったもんね」「圧倒的な強さで連戦連勝、他のsaiを名乗る面々はID変更の嵐だとか。対戦相手も一定以上の強さを持つ相手がさらに順番待ち、その中にはプロ棋士もいるとかいないとか」「ほえぇ、エヴァちゃん囲碁部やもんな。うちのお爺ちゃんも囲碁やるし、時間あったら対戦してあげて欲しいえ。私、ルールがわからんくて相手してあげられへんし」「今更だな、近衛木乃香。近右衛門はネット碁をするまで一番の碁敵だったぞ。あれで学生時代は囲碁部、というか奴が創始者だ。普通の囲碁部員では相手にならんからな」 マグダウェルと喋っていると、耳ざとく早乙女が加わってきた。 当然のように夕映や、喋ってはいないがむつきがいるので三メートルの距離を置いて宮崎が。 他に近衛はマグダウェルと祖父の意外な関係にそうだったのかと驚いている。 だが直ぐに何かに気付いたようにハッとしては、マクダウェルの両肩に手を置いた。「エヴァちゃん、絶対一人で行ったらあかんえ!」「最近は、茶々丸を伴なってるが。なぜだ?」 安心したのも一瞬、真正面から問い返されマクダウェルを上から下まで眺め。 言って良いのか、悪いのかちょっと悩み始めていた。 恐らくは麻帆良祭の時の発言をまだ引きずっているのだろうが、マクダウェルが相手ではそこまで心配しなくても良いような。 ソレはともかく、マクダウェルと学園長が碁敵ということだが。 ネット碁で実力者と日々戦うマグダウェルは、日々学園の長として忙しい学園長を実力的に引き剥がしていく事だろう。 最近は寮生活者じゃないからと言って、むつきから合鍵を奪ってひかげ荘に入り浸っている。 まだ自分の部屋こそ持っていないが、遊戯室に着替えを持ち込んだりやりたいほうだい、時間の問題だ。 一度、そんなにやりたけりゃネット回線引けと言ったが、山奥過ぎて無理らしい。 電気水道はまだしも、電話回線すら繋がっていない林の奥のログハウスらしいのだ。「でもさ、今回思ったより順位伸びなかったよね。私も結構頑張ったのに」「アンタら、最近勉強し過ぎ。何に目覚めてんの」「んー、亜子は何か夢に本当に目覚めてる気がするけど」 何時ものように机に腰掛けて足を組み、ジュース片手に美砂がそんな事を言い出した。 おかげで釘宮も多少順位を上げていたが、美砂は今回三百五十位と中間辺りだ。 当初が約七百人中五百位ぐらいであったから、確実に成績を伸ばしてきている。 そしてさらに成績を伸ばした者を、椎名がまたあの特別な勘で言い当てていた。「ほえ、私?」 そう振り返ったのは、最近ようやく寝不足が解消され始めた和泉である。 期末後は教室で倒れ込むように眠り、一時騒然とさえなったぐらいだ。「亜子、ついにトップ百にまでのぼり詰めたもんね。私も今回はちょっと頑張ったけど、六百九十九位でなんとか六百位以内には入れた程度だし」「本当に、桜子の言う通り亜子なんかあった? 最近妙に綺麗でドキッとする事あるし。憧れてたはずのサッカー部の先輩に告られたのに振って、そのまま水泳部のマネージャに移籍しちゃうし」「その辺りはちょっと色々と。少し前に傷ついて泣いてるのになかなか言いだせず苦しみ続けてる人に会ったんや。背中の傷見せてお話して分かり合って」 ちらりとマグダウェルに囲碁授業をされているむつきを見て言った。「うちな、お医者になろうと思ってんねん。だからその前に、自分の本気が何処まで通用するか試したかったん。結局百位以内には入れたけど、まだまだや」 一瞬、何故という言葉よりも先にその理由を誰もが思い浮かべてしまった。 どう聞くべきか会話が止まりそうにもなったが、そこは和泉が笑って見せた。「私、背中の傷は消さずに付き合ってくつもり。これな、役にたつんや。心の傷は目に見えへんからいくら気持ち分かるって言っても伝わらん。けど、これを見せれば一発や」「亜子がなりたいのは、臨床心理士。カウンセラーだね」 横からのアキラの言葉に頷き、和泉が続けた。「だから百位ぐらいでふらふらしとるようじゃ、あかん。恋愛も当分はせえへん、寧ろ邪魔や。だから一杯、これからも一杯勉強していく」 くっ、眩しいとばかりに今回勉強をしなかった明石や釘宮が和泉の後光を感じていた。 明るく楽しければ良いお気楽中学生にはない、夢を持つ若者のパワーである。 七百人中トップ百に入ってもまだまだなどと、逆立ちしても言えやしない。 むしろ逆立ちしても、まずそのトップ百にはいれないわけだが。 恋愛さえ度外視とはと畏れ多いと唸る二人にだが、実際そこまでの程ではない。 なにしろ和泉は、セックスフレンドおるしなとむつきをチラチラ若干おピンクモードだったりする。 大事な花園を弄られたり、胸を弄られたりは長谷川や雪広と変わらない。 ただしセックスフレンドの中でもキスしたのは和泉だけで、実は恋人とセックスフレンドの中間にいる彼女だったりする。 例のご褒美についても、美砂達に混じって自分も貰う気満々なのだ。「亜子、凄い。最近なんか凄い綺麗になったのそのせいかな。夢、夢があれば私も」「あらあら夏美ちゃんはもう、夢があるじゃない。私と一緒に保育園を設立して一緒に保育士をするっていう夢が」「それちづ姉の夢、小さい子の相手は楽しいけど。一生、ちづ姉に頭があがんない!」「千雨さん、その時は子供達のお昼寝用の寝巻きとか頼めるかしら」 聞いてと村上が縋っても、那波はすっかりその気で長谷川に話を振っていた。「ん、ああ。別に良いぜ、その時々のキャラクター物とか。格安で作ってやるよ。その時、商売でやってるか、趣味でやってるかはわかんねえけど。まあ、若者らしく夢を語るのは良いとして、あれなんだよ」「絡繰さんは期末前の事件のせいで、おいたわしや」 よよよと雪広がハンカチで目元を拭ったのには理由があった。 視線の先は、わいわいと騒ぐ皆とは対照的に教室の隅でどよんと落ち込んだ三名である。 絡繰を筆頭に、神楽坂と葉加瀬の三名。 期末前最後の休日に、些細なデータ入力ミスからデータの半分を消失。 どうやら、期末後に記憶を纏めてバックアップ予定だったらしく、全て水の泡らしい。 当然の事ながら日本語講座も意味をなくし、成績はがた落ちであった。 しかもザジを筆頭に古やマグだウェルは、日本語特別講座で日本語を克服していた。 飛躍的にとはいかないが、それなりに成績は改善されている。 もとより頭は良いが言語の壁に苦しんでいただけに、古は五百位圏内に入りバカレンジャーを絡繰とバトンタッチであった。「茶々丸、人間やればできるアル」「いいええええ、お気。おききき使いなく」 その古に肩をぽんと叩かれ、思い切り動揺したような素振りで返していた。 他に長瀬も五百位圏内、桜咲は元々少しだけ良かったので四百位圏内に。 実は今回七百位を切ったのが神楽坂だけというのが、彼女が落ち込んでいる理由であった。「高畑先生に合わせる顔が、一杯小テスト作ってくれたのに」「現国は高畑先生だけど、他は殆ど作ったの俺や超、雪広達な」「作ってくれたのに!」 一応むつきが突っ込むも、わっと泣き出した神楽坂には聞こえては居ない。 バカレンジャーはほぼ半壊状態で、神楽坂、佐々木に絡繰の三名となってしまった。 まだギリギリバカレンジャーだが、あと一人減ればバカライダーに改名かもしれない。 特に神楽坂と佐々木が残れば、力の一号、技の二号と配役もピッタリである。 そして最後の一人、葉加瀬はは期末試験程度で落ち込む事など、何一つなさそうなのだがそうではない。 まだ皆には秘密であったが、葉加瀬は今回中学に入って初めてトップ二を逃した。 雪広の逆転というわけでもなく、実際の順位は五十位にまで落ちてさえいたのだ。 下位成績者が次々に成績を上げる中、躍進と行かなかったのはこの辺りも少し関係していた。「葉加瀬、期末前から度々おかしかったが。やっぱり何かあったネ。何も相談してくれないのは科学に魂を売った同志、いや友達として寂しいネ」「超さん……確かに、思考のループに突入した今を看破する為に相談というのも一つの手かもしれません。少し気付くのに遅れましたが」 小鈴も心配して隅っこで落ち込み中の葉加瀬へとその気持ちを伝えていた。 今まではずっと見守っていたが、そろそろ限界であったらしい。 葉加瀬もそんな気遣いに気付いて、落ち込むのは止めて立ち上がった。 そして超に頭を軽く下げて目の前を通り過ぎ、むつきの下まで来た。 目尻に浮かんでいる涙は、落ち込んでいた影響か悩みのせいか。 むつきも姿勢を正して葉加瀬の相談とやらを聞く体勢はばっちりだ。「パンツが、一枚足りないんです」「え?」 唐突過ぎるそんな台詞に、教室内の視線が一斉にむつきを貫いた。 盗ったのはお前かと。 当然の事ながら、違うわ俺じゃねえとの無罪を訴えるむつきの声が響き渡った。 少々冤罪を晴らすのに手間取ったが、現在むつきは祝勝会を抜け出し大学部へと足を向けていた。 麻帆良大ともなれば、驚愕であり中等部より整然と整理された校庭を歩いていく。 芝生一つ取っても、中等部だと踏み荒らされていたりするが、もちろんそんな事はない。 道々に街灯があり、休憩スペースにはベンチや自販機と細かい所でも違いが多かった。 初めて訪れる麻帆良大にキョロキョロしつつ、教えられた工学部へと向かいながら相談内容を思い出す。 ちゃんと葉加瀬の話を聞いてみれば、大学部の研究室で脱ぎ散らかすのを止めたとか。 研究とは無関係な私物、歯ブラシや櫛といったものもできるだけ撤去し泊まり込むのも止めたと。 泊まり込みについては、ひかげ荘の地下があるので必要なくなったとも言えたが。 そう言う意味では、もっと危ない狼の住み家に引っ越したと言えなくもない。 一部から男子大学生に混じり泊まるなど止めて当たり前だとの意見も出たが、その時になって気付いたらしい。 脱ぎ散らかしていたはずの下着をかき集めていると、パンツが一枚足りなかったと。 新品ではなく、当然使用済みの葉加瀬のパンツが一枚、研究室から消えたのが悩みの原因だった。「全く、その時に直ぐに言えよ。本当に頭良いのか葉加瀬は。何かあってからじゃ、遅いっての。いや、アレは夢の中だったしノーカン!」 大学部へと向かう途中、理想の生徒であるさよを襲った一件を思い出してしまったが。 自己突っ込みで落ち込むのを回避していると、はははと笑う声が聞こえた。「いえ、自分は決して怪しい者では!」「知ってるよ、乙姫先生。娘が何時もお世話になってるね」「えっと、どこかで一度お会いしたような……」「覚えてないのも無理はないよ。人気投票で僕が壇上に上がった時、乙姫先生は巨大小切手を抱えて落ち込んでたからね。明石裕奈の父です、麻帆良大で教授をしています」 爽やかな笑みと共に差し出された手を、むつきは慌てて握り返した。 大学部に来てまさか明石の父と会う事になろうとは。 記憶はやや曖昧だが、確かにあの時に同じ壇上に居た気がする。 大学部の部で明石教授は三位ぐらいを取っていたはずだ。 その人気も分かるように、十四の娘がいるとは思えない程に若々しい。 それだけでなく、落ち着いた物腰と教授という事から頭の冴えも良いのだろう。 明石がファザコンとして成長してしまうのも、分かる気がする。「すみません、覚えが悪くて」「気にしてないよ。それより、乙姫先生は何故大学部に? また超君か、葉加瀬君が?」「生徒のプライベートに関わるもので内容は言えませんが。葉加瀬が所属する工学部の研究室へ担当教授がいらっしゃるか不明ですが」「確か朝お見かけしたのでいらっしゃると思いますが。案内しますよ、乙姫先生。大学部は広いですから、初めてだと迷って時間を無為に過ごしてしまいます」 これは申し訳ないと、若干迷い始めていたむつきはお願いしますと頭を下げる。 道中はやはり、普段の娘の生活が気になるのか色々と尋ねられた。 勉強から部活動、交友関係は多少把握しているようで佐々木や和泉、大河内も顔見知りらしい。 特に期末試験が終わったばかりで、今回は特に勉強の方が興味ありのようだ。 ただ成績が悪いからと厳しく叱るつもりもないらしく、亡き妻の口癖だと元気が一番だと締めくくったのが印象的であった。 明石に母がいない事は初めて知ったが、ファザコンにも色々と理由がありそうである。 広い大学部を延々と歩いたわけだが、道中は飽きる事なく直ぐとも言えた。 駅前のタワービルかと突っ込みたくなるようなガラス張りの建物に入り、エレベーターから十八階へ。 建物自体が工学部の施設らしく、とある部屋の前まで連れて行かれた。「ここが葉加瀬君が所属する研究室の担当教授の部屋だよ。うん、掲示板も在室になってるしいるみたいだ。理由は聞かないけど、頑張ってくれ乙姫先生。彼も葉加瀬君と同じ、科学に魂を売ったような人だから」「ええ、行ってきます。道中の案内、ありがとうございました。明石にも、教授が色々と気遣ってた事は伝えておきます」「照れ臭いから、それは勘弁願いたいかな」 ははっと現れた時と同じように、爽やかな笑顔で別れむつきは扉をノックする。 どうぞと返って来たので、失礼しますと名乗ってから扉を開けた。 部屋の中にいたのは、何処の映画の登場人物かと思うような老人の教授であった。 ぼさぼさで白髪のライオンヘアーにぐるぐるの瓶底眼鏡。 顎鬚に鼻下の髭も真っ白で豊かに茂り、白衣も合わせて全身真っ白だ。「君は見たところ学生でも、研究生でもないな」「初めまして、教授。私は麻帆良女子中等部二年A組、葉加瀬の副担任です」 当然の事ながら、おやっと眉を上げられ名乗りを上げた。 直前で明石教授に脅されたが、そこまで常識がないというわけでもないようだ。 ふむと考え込んだ教授は、思い出したようにぽんっと手の平を拳で叩いた。 やはり麻帆良人気投票トトカルチョのおかげか、むつきの事を知っていたいるようである。「やはり、そうか。ここで代入して、こう式をつなげれば」「あっ、やっぱり超や葉加瀬と同じ人種だこの教授」 前後の会話の関連性も無視して、デスクに振り返ってはパソコンに何やら入力を始めた。 これは相手をするのが大変だが、大事な生徒である葉加瀬の一大事である。「教授、葉加瀬の事でご相談が。今回、葉加瀬が重い悩みを抱えて期末テストでも五十位付近まで転落する始末です」「なに、こんな無駄な計算をしとる場合ではない。さあ、話せ。超君に隠れ知名度は僅かに劣るが、彼女も科学の発展に必要な若人だ。遊び半分で大学に来た腐れ学生とは違う!」「教師と教授って、違うんだな。やっぱり」 義務教育との違いもあるだろうが、教授は成績の悪い生徒はすっぱり切り捨てそうだ。 もちろんむつきはそんなわけにもいかず、一人一人に目を向け手を引かなければならない。 さすがに大学生ともなれば、半分以上は大人で自己責任かと気にはなったがスルーする。「葉加瀬は普段から、研究室に寝泊りしては研究を続けているそうですが」「そうだ、あの年頃から科学に傾ける熱意は誰にも負けん。この私でさえ舌を巻く、それで」「彼女、着替えや私物を持ち込んでいるそうですが。最近それを整理した時に気付いたそうです。下着が一枚、足りないと。この意味を理解していただけますか?」 案に公表こそ求めないが、思いに葉加瀬の為に。 犯人を見つけ出し、しかるべき処罰をと伝えたつもりが、教授は俄然興味を失っていた。「なんだ、つまらん。彼女程の才女の悩みとはいかなるものか。それで良く、科学に魂を売ったと言える。見込み違いかのう」「教授、貴方何を言って。貴方の研究室に犯罪者がいるんですよ。しかも葉加瀬の身に危険が及びかねない。彼女を必要と思うなら、守るべきじゃありませんか?」「それこど、下らない犯罪をしでかす犯人に興味などない。葉加瀬君も、自己防衛の発明品ぐらい両手に余る程、持っている。私には君が何を興奮しているのかわからんのだが」「悩んでいると言う事は恐怖を覚えているんですよ。そんな時に襲われて、冷静にしかるべき道具を使えますか。何かあってからじゃ遅いんですよ!」 ヒートアップするむつきに対し、教授はあくまで何処吹く風。 それも一応は葉加瀬を信用しての言葉らしいが、何かが違う。 何故分からん爺と叫べばそれで終わりだが、それでは何もアクションを起こせない。 一先ず冷静になれと手団扇で顔を仰ぎ、思い出す。 自分と教授との立場の違い、見ているものの違い。 いや思い出すまでもなかったのかもしれない。 むつきはあくまで葉加瀬を中心に考えているが、教授はそうではないのだ。 科学の為にという事もあるが、逆の意味としてそれに貢献しない学生に興味がない。 全く見ている者が違う者同士、言い争っても意味はない。 ここは目線を合わせるためにもアプローチを変える必要があった。「彼女、もうこの研究室には来たくないと言っています」「な、なんじゃと。そんな無責任な、彼女達の協力がなければプロジェクトが」「プロジェクトに障害を来たしたくなければ、しかるべき対処をお願いします。ちなみに超も今回の件が対処されるまで、全ての研究。それこそ、全ての活動を拒否するそうです」 もはや開いた口が塞がらないといった様子の教授はカタカタ震えていた。 むつきも全ては把握していないが、超と葉加瀬による麻帆良大への貢献は計り知れない。 工学部のみならず、各種部活、研究会など。 工学部のせいでと噂が広まれば、それはもう他からの締め付けが凄い事になる。 ただその場合、葉加瀬の失われたパンツの一件も広まりそうで避けたいところだ。 だからこれは脅迫、自分の力が何一つないが葉加瀬の安全の為の脅迫であった。「分かった、善処しよう」「ちなみに、対処の内容は僕と超、葉加瀬にも一報ください。学園長には明かしませんから、内々に処理する事を誓います。けど、僕は兎も角、あの二人を出し抜けるとは思わない方が良いですよ。それでは、よろしくお願いします」「絶対に対処する事を約束しよう」 善処などと政治家のような言葉も封殺し、むつきは一礼して踵を返した。 絶対、約束、科学者に対してそんな言葉が何処まで有効かは分からないが。 一先ずネゴシエーターとしては役割は終わりだと、部屋を後にした。 実際、生徒を手篭めにしている自分が言えた台詞ではない事も多々あった。 犯罪者としての自分、良き教師であろうとする自分。 ちょっとお腹痛いかもと思いつつ、歩いているとまたしても声を掛けられた。「おや、奇遇ですね乙姫先生。先生も、用事はお済で?」「明石教授。はい、丁度今。問題もなんとか解決に向かいそうで。まだ予断は許されませんが」「それは良かった。僕も帰るところだから、途中まで送るよ。もう少し裕奈の普段の生活を聞きたいしね」「こちらこそ、行きの道中は楽しかったですから。喜んで」 来た時と同様に、明石教授を途中まで伴ないむつきは女子中等部の二年A組の教室を目指した。 全部が全部、自分の力というわけにはいかなかったが。 例え超と葉加瀬の希少価値が決め手だとしても、交渉は上手く行ったと意気揚々と帰って来た。 やるじゃん先生、そんな言葉を期待していたが、何故か教室はもぬけの空であった。 買ってきたジュースやお菓子はそのままに、散らかし放題のまま。 時刻も時刻なので、教室内が西日に照らされ凄く物寂しい風景である。 つい先程まで人がいたのに、瞬きする間に消えてしまったかのような。 ちょっとしたホラーみたいなので、寒気がしたようにぶるっと震えてしまった。「おい、雪広。お前まで片付けもせず消えるとか、絶対おかしいだろ。あと近衛とか四葉とか。おーい、出てこーい」 キョロキョロとしつつ教室内を歩いていると、ふと気付いた。 何故と言われても、もはや本能の領域なので仕方ないが。 二メートル先の床にて落ちている、本来あってはならない布切れ。 淡いブルーのパンツ、同系色の濃い目のリボンが散らされた一品である。 俺どんだけ疑われてるのと、頭が痛くなってきさえした。「恋人が履いてくれたとか、そういうのなら喜ぶけど。ぺろんと一枚置かれても嬉しくねえよ。怒るぞ、むしろこれ履いて出てくるぐらいの事はしろ!」 思わずそう叫んでしまい、またしても宮崎との心の距離があいた気がする。 ちょっと止めて、最近涙腺緩いのと思っているとドアが開けられる音が聞こえた。 引き戸のそれをがらがらと、振り返った先にいたのは一人の少女であった。 二年A組の生徒とは異なり背丈こそ低いがやや大人びた、高校生ぐらいであろうか。 ウェーブの掛かった茶系の髪を前髪からオールバックに後ろまで。 背中まで延びる長さであり、裾広がりに伸ばしている。 格好は平日の放課後なのに、白の肩出しサマーセーターにピンクのキュロットパンツ。 パンツから伸びる足には黒のストッキングとここは一体どこなのか。 化粧もばっちり施して、今から彼氏と一発込みのデートにでも出かけそうな雰囲気だ。 もしも自分が彼氏であるならば、早速しけこみたくなる可愛さである。「あの、ここは麻帆良女子中の校舎なんですが。麻帆良女子高の校舎と間違えて」「乙姫先生」 若干しどろもどろになりつつ説明していると、目の前の彼女が小走りに駆け寄ってきた。 そのままぽふりと胸のうちに収まり、ふわっと香るのは香水の匂いか。 薔薇やラベンダーとも違うが何か花の匂い。 脳髄を直接刺激するようなにおいに、一瞬くらっと頭が揺れ聞き覚えのありそうな声が頭から吹き飛んだ。 一先ず女の子を引き剥がして、むしろてんわやんわであった。 そのてんやわんやで思い出したのは、水泳部の着替えを覗いた時に誰かが言った言葉だ。 むつきを狙っている女子生徒がいるという、あの情報。「あのね、ここ今誰も居ないけど直ぐに戻ってくるから。用があるなら、表でって何を誘っとるか俺は。いや、絶対おかしい」 仮にこの子がむつきを狙う女子生徒だとして、告白タイムだと皆が席を外すのがおかしい。 特に美砂やアキラ、夕映さらには小鈴辺りが。 ついでに、和泉も入れてもよいかもしれない。「まさか!」 振り返った先におちているのは淡いブルーのパンツ。 焦っていたからか、どうでも良い事を思い出してしまった。「まさか、この子ノーパンッ!」「美味しっ、先生。私美味しそうですか?」「ごめん、言葉のあやっていうか。いや、違う。美味しそうってか、ちょっと摘み食いぐらい。ああ、お前ら。絶対見てるだろ。助けろ、この野郎!」 西日よりも赤くなった顔で美味しそうですかと尋ねられ、もはや限界であった。 このままじゃ本当に襲いかねないと、ちょっぴり泣きをいれた。 案の定、大爆笑をしながらぞろぞろと。 二年A組の面々がなだれ込んできた。 失礼にもむつきを指差しながら、ひいひいお腹を押さえて笑っている。 途中から半ば予想はしていたが、それにしても目の前の子は一体誰なのか。 二年A組の誰かだろうが、全くわからない。 ヒントは浮気心を出したのに美砂やアキラ達が嫉妬をしていない事であろうか。「先生、そこで肩を抱いてる相手は葉加瀬ネ。先生が、大学部まで話を付けにいっている間に」「この前の休みに私が夏用に買ってきた私服と」「メイクはこの雪広あやかが担当いたしました」「髪は私が梳いて、簡単にウェーブかけて。私直毛やから、ウェーブの掛かりが良くて羨ましいえ」「秘薬、ではなく香水は拙者が調合した材料は丸秘の代物でござる」 超から始まり、釘宮と雪広に近衛、最後の長瀬の台詞が特に怪しいが。 葉加瀬を綺麗に着飾ってむつきをからかったらしい。 らしいのだが、わざわざ一度寮に帰ったりと悪戯にしては手が込みすぎている。「先生、着飾った葉加瀬はどうだった?」「どうも何も全然分からなかった。中学生でも女だな。背が低いからさすがに大学生とは勘違いしなかったが、普通に高校生ぐらいだと思った。あと、凄く可愛い」「先生、そんな。私みたいな研究一筋の女の子が」 春日に聞かれどうせ色々喋っちゃったからと、正直に答えてみた。 今気付いたのだが、眼鏡もコンタクトに変えたのかしていなかった。 眼鏡属性がない身としては、割とありがたく、むしろ高得点である。「ほら、私らが言った通り、葉加瀬にも十分女の子としての魅力があるんだって。パンツの一枚も落ちてりゃ、とち狂う男もいるって」「葉加瀬、ほんまこれを気にだらしないの直さな。痛い目におうてからやと遅いやんか」「大学部で常に超や茶々丸がいるとも限らないアル」 美砂と和泉、それから古菲と順に葉加瀬を注意してしょんぼりさせる。 そこでようやく、この騒ぎの意味もむつきに理解する事ができた。 女の子として色々と致命的だった葉加瀬に、自分の魅力を教えてあげたのだ。 それに答えるようにむつきも色々と言ってしまったわけで。 知らなかったとは言え、生徒を美味しそうとか教育委員会に知られたら怖ろしい事この上ない。 もちろん小鈴がいるので、そんな馬鹿な情報流出はないだろうが。「朝倉君、念の為にそのカメラを寄越しなさい」「大丈夫だって後で葉加瀬にだけ晴れ姿の写真をあげるだけだからさ。生まれて初めて、そう言う目で男の人から見られた言わば記念日じゃない」「記念日か、それ? まあ、いいや。葉加瀬、とりあえず研究室の教授には話をつけといたから。向こうから一報あるまで絶対に行くな。どうしてもって時は、超か絡繰のどちらか連れて行け。居なかったら長瀬とか古菲とか、あとは」「私も報酬次第で請け負うよ。餡蜜、一杯だ。格安だろ」 そう言った龍宮の事は捨て置き。「もう少し、自分が女の子だって自覚しような。他は、ちょい佐々木が怪しいけど、概ね大丈夫だろう」「なんで私!?」「自覚ない事もないけど、時々まき絵危ない格好で歩き回るし。前もレオタード姿で職員室まで行ってきたらしいやん」 そうそうと、無邪気さゆえの行動を、和泉を筆頭に皆から指摘され。 まだショックが抜けきらぬ神楽坂ともども、教室の隅で落ち込んだり。 あとは道中で明石の父に会ったと話題を振って、祝勝会をやり直した。 -後書き-ども、えなりんです。亜子回はここまでで一区切り。厳密には今回は葉加瀬回ですけどね。原作では看護師になりましたが、ここではカウンセラーを目指します。他人の痛みを理解できかつ、自分もまた傷ついた一人だと理解させやすいですしね。なんか、背中の傷にたいし、無茶苦茶ポジティブです。頭の半分は、むつきの事で一杯ですけどねwで、メインの葉加瀬。原作での葉加瀬メイン回と言えば、麻帆良祭前の茶々丸のメンテの回。それこそ、厳密には茶々丸回かもしれませんが。一先ず、葉加瀬には自分が女の子だと自覚してもらいました。方法はかなりアレですけどね。以後、葉加瀬はちょっとお洒落覚えたり、女の子になっていきます。それでは次回は水曜です。