第五話 まあ、自分で選んだ事だからな 月曜の朝礼では早速、緊急の職員会議が新田の口から発表された。 議題は当然、無法地帯となっている寮の門限についてであった。 詳しい事はその場にてと安易な情報の拡散は避けられ、後は普段通りである。 今週の各種イベントの確認や、各自の特別な予定、出張日の確認。 高畑は当然のように出張で薄板こそ出張の札が張ってあったが、今さら確認はされなかった。「それから今日は体育の小宮山先生が親戚筋に不幸があり欠席です。各自、担当クラスの体育の監督をお願いします。スケジュールに空きがなければこの場で代役を募るが」 そう言えばと、むつきは小宮山という名に反して体の大きな先生を探した。 当たり前だが欠席と教えられたのでいるわけがなかった。 確か2-Aは月曜の五限目に体育があったはずだが、むつきもその時間帯は授業はない。 数人の先生が空きがないと申告し、代役を勤められそうな先生が手を挙げる。 新田がそれら先生を見事に采配して瞬く間にスケジュールを埋め合わせていく。 三年目とはいえ、まだまだ若輩のむつきには到底不可能な辣腕ぶりであった。 全ての確認が終わると、解散となるが直前に新田と目が合い引きとめられた。「乙姫君、昼までにこれに一通り目を通して意見をくれないか。職員会議で使う資料の草案だ」「あっ……」「ふむ、その様子だと。日曜の朝に私が頼んだコレの事を忘れていたようだね。しっかりせんといかんぞ」「すみません、意外と疲れてたようで……これ、結構厚いですけど。新田先生まさか昨日」 何も言わず微笑を浮かべてむつきの肩を二、三度叩いて新田がすれ違っていく。 美砂とのデートで頭が一杯で約束一つ忘れていたむつきとは違う。 いつか、ああなれるのかねと疑問に思いながら、資料を自分のデスクの中に厳重にしまった。 草案とは言え、あまり生徒に見られて良いものではないので鍵付きの引き出しにだ。 それから一限目で使う教科書と資料を手早くまとめ、2-Aへと向かう。 教師の朝礼の後は、生徒の朝礼だ。 時刻は八時半の少し前で、騒がしい教室は幾つもあるが、廊下にいる生徒はいない。 少し騒がしいぐらい構わないが、とある教室へと向かうにつれ特別騒がしい声が響いてきた。「あいつら、相変わらず元気だな」 何時もはその騒ぎを聞くだけでげんなりするが、今日は違う。 美砂にたくさん応援してもらったし、あのクラスに美砂がいるのだ。 彼女同伴で仕事ができるって何そのホワイト企業と思わざるを得ない。 反面、気軽に触れるどころか大っぴらに声もかけられないジレンマも存在するが。 格好良いところを見せる為に、窓を鏡代わりにネクタイを締めなおし背筋を伸ばす。 いざ、突撃と扉を開ける。「おはよう。ほら、お前ら席につけ」「なんで」「高畑先生は例によって出張中、神楽坂席に着け」 先に言葉を封じるように立ち上がってなんでアンタがと言いたそうな神楽坂を座らせる。 高畑に惚れているともっぱらの噂、というか事実だが。 オジコンの神楽坂には、アンタがいるからと理不尽に嫌われていたりする。 当初はそれはもう、その理不尽さに泣いたものであった。(まあ、今は……) しぶしぶ席についた神楽坂の左隣、むつきから行って席を一つ右に視線をずらす。 残念でしたと落ち込んだ明日菜をからかっている美砂がいた。 神楽坂一人どころか、他の生徒全員に嫌われても平気とさえ思える。 実際そうなったら、ちょっと凹むかもしれないが。「今週の火曜、まあ明日なんだが」「センセー、週末は竜宮城にいってたんですか?」「ちょっとお姉ちゃん、先生が喋ってる途中」 早速名前をからかってきたのは、鳴滝風香、止めているのが史伽である。「知り合いに浦島って婆さんがいて、うちの爺さんが尻を追っかけ中だ、この野郎」 普段はさらっとかわすのだが、つい素でそう返してしまった。 しまったと思っても、もう遅い。 割と真面目で面白みのないと思われているむつきの、突然の冗談のような発言である。 別に冗談でもなんでもなく、事実なのだが姦しい彼女達にそんな事は関係ない。「なにそのお話、もっと聞かせて!」「現代に生きる乙姫と浦島、性別逆転TSキターッ!」「ていうか、今先生。この野郎って……」 途端に爆発するように騒がしくなってしまい、誰が何を言っているのか識別も不可能だ。 大半の生徒に詰め寄られ、面白くもない冗談としらけているのが数名。 そして美砂はというと、私だけが知ってる情報をなんでと怒っていた。 必死に平常を装って頬杖ついてそっぽを向いているが、その手が震えている。 不可抗力もあるが怒らせてばっかりと、かなり凹んだがそうとばかり思ってられない。「冗談、冗談だ。ほら、座れ。今朝お天気占いの結果が良かったから、キャラ変えてみようと思っただけだ。今日も俺は」「人騒がせな、詰まんなーい」 誰が言ったかは不明だが、自虐で詰まらん教師と言う前に言われてしまった。 激しくダメージを受けたが、美砂にも言われた事があるのでなんとか耐えられた。「とにかく、明日は身体測定だから雪広頼むな」「はい、分かりました」「それと無理に朝食抜いたり無理なダイエットはするな。普段の自分じゃなく、その場その場で良い数値とっても無意味だぞ」「微妙なセクハラ?」 ご自慢の胸を持ち上げながらの朝倉和美の発言は今度こそスルーする。 心配して言ってんだこの野郎と喉の奥で罵りながら。「あと体育の小宮山先生が欠席だから五限目は俺が監督する。場所は確か屋上のコートがとってあるはずだが、何をしたいかはお前らで決めておけ」「大怪談大会!」「大射的大会!」「いやここは大拳闘大会アル!」 再度の鳴滝姉こと風香と、バスケ大好き明石裕奈に拳法少女の古菲である。 パラエティに富んで良い事でともはや諦めの境地で、念のための注意を行なう。「怪我はないようにな。昼休み前までぐらいには決めて教えてくれ。道具を使うなら申請がいるからな。最後に雪広」「はい、なんでしょうか。五限目については、私が責任を持って決定しておきますが」「後でちょっと話がある。手早く済ませたいから、社会資料室に来てくれ。授業に遅れたら、俺からの用事と言えば良い」「はい、分かりました」 それじゃあ一限目の授業の用意をしていろと、委員長の雪広を連れていく。 社会資料室は、教室と教室の間にある隙間を利用して作られたいわば倉庫である。 巨大な世界地図、地球儀、ビデオ映像など社会科で必要な資料を押し込んだ場所だ。 倉庫なだけあって埃も多く、実は生徒には不人気の場所だったりする。 雪広は内心快く引き受けてくれたが、内心はうわっと思っている事だろう。 その資料室の鍵を開け、生徒が尾行などしていない事を確かめ、雪広を招きいれた。「それでなんでしょうか」 やはり内心では嫌だったようで、ハンカチを口に当てていた。 誰も掃除しないもんなとその点は怒るまでもないので要点だけ伝える。「土曜の柿崎の事だ」「あ、その事ですか」 これは真面目な話かと、雪広の顔にも真剣みが帯びる。「これはオフレコでお願いしたいんだが、あの件で寮に門限をつけるか否かって話が今日の職員会議で議題にされる予定だ」「そうですわね、先生方の思いは私も当然と思います。避けられたはずの事故でした」「大人だな、雪広。ただ、俺からも頼んではあるんだが。急に門限をつけたりすると、絶対犯人探しが始まるだろ」「承知いたしました。もしもの場合は、柿崎さんを守れと」 こいつ本当に中学生かと、身体的特徴とは別に驚いてしまう。 話が早いのは良い事なのだが。「俺も気をつけるが、教師が気付ける事なんて極一部だ。うちのクラスならたぶん大丈夫だが、他のクラスはわからん。だからお前に頼みたい」「お願いされずとも、当然の事ですわ。この雪広あやか、クラスメイトを守る為になら力を惜しむつもりはもうとうありません」「そうか、それを聞いて少しは安心した。もっとも、俺達も厳しい門限をつけるつもりもないし、段階的に生徒の反応を見ながら決めるつもりだ。もしもの場合の保険、それを念頭においてくれると尚更ありがたい」「ふふっ……」 真剣に頼み込んでいると、埃を嫌う顔、クラスメイトを守る真面目な顔。 微笑を浮かべ微笑んでくる第三の顔を見せられ、どぎまぎとしてしまう。「少し、先生の事を誤解しておりました。私の台詞ではありませんが、歳若い頼りない先生だと。授業も少々お上手ではありませんので」「当人の目の前で言うかね、それ」「見直したのですから、それを伝えない理由もありません。授業の仕方については、要努力ではありますが。それではそろそろ、授業が始まりますので」「おう、済まなかったな雪広。さっきの事は頼んだ」「こちらこそ、力及ばない時は頼りにさせていただきます。それでは、失礼します」 ぺこりと頭をさげ、あくまで礼儀正しく優雅に去っていく。 誇りっぽかったはずの資料室に、どこかフローラルな匂いを置き土産にだ。 良い女だなと少しばかり浮気心が疼いたが、それも直ぐに消える事になる。 雪広が締めたはずの引き戸が再び開き、「あれ、どうした雪ッ!」 代わりに周囲を伺いながら、美砂が入ってきたからだ。 ただし、うつむいたその顔から表情をうかがい知る事はできない。「ちょっと待て美……じゃなくて、柿崎。誤解、してないよな?」 パチリと後ろ手に鍵が掛けられ、掛けた当人の美砂がツカツカと歩いてくる。 ほんの出来心でとビクついたむつきであったが、ぽふりと胸の内に収まって美砂が止まった。「美、柿……鍵かけたよな。美砂、どうした?」 それでも少し声を潜めて、抱きついてきた美砂の頭を撫でる。「委員長だけ呼ぶから扉に背中預けて耳を済ませてたら、聞こえちゃった。全然、あんな話してくれてない」「公私の区別は、多少つけてる」 学校でこうして抱きつかれていては、あまり説得力はないが。 というか、他の誰かがつけてこなくて良かったと本気で安堵した。 一応この件はまだ教師でも知らない者がおり、生徒に対しては教えるなと注意されている。 つい先程、雪広に喋ったばっかりだが、美砂の為だと少しそこを破っている。「俺が勝手にやってる事だ、気にするな。お前が俺とイチャイチャしたりエッチしてくれてるだけで満足だ」「昨日……」「ん?」「昨日はごめん、スイーツ買いに走らせたり。先生が脱がした理由、実は気付いてた」 消え去りそうな声での告白により、より強く美砂が抱きついてきていた。「私を思って先生は隠してくれたのに、恥かしくて誤魔化したくて勝手に怒ってなかった事にしようとした。先生、いつも私の事を考えてくれるのに。私は私の事だけ考えて」「美砂、顔上げろ」 拒否されたのでやや強引に、その顎に手を添え上を見上げさせ唇を奪った。 雪広の置き土産にときめいたが、こっちの方が良いと美砂の唇をしっかりと味わう。「元々は、俺がお前に無茶なプレイさせたからだ。女の子が恥かしく思って怒って当然、気にすんな」「もう、ずるい。何でもかんでも許されたら、甘えてばかりで駄目になりそう」「心配すんな。その分、ちょっと激しかったり、エッチな要求一杯するから」「うん、可能な限り叶えてあげる。ううん、叶えてあげたい。先生の事を受け入れてあげたい。まだ月曜だけど、土曜が恋しい。先生にエッチな要求されたい」 ああもう可愛いなこいつと、時間も忘れて抱きしめあっていたい。 だがそれは望んでも叶わぬ望みという奴である。 一限目の鐘が何時鳴るとも知れず、今すぐに鳴ってもおかしくはなかった。「ほら、美砂涙拭け。授業が始まる。このまま時間切れで慌てて別れるのと、最後にキスしてから別れるのとどっちが良い?」「キスが良い」 お望み通りと、再度のキスをしてやり、サービスと涙の粒を唇で吸い取った。 そして入り口の方に体を回して向けさせると、その尻を軽く叩く。「ほら、行ってこい。泣いてるお前より、元気なお前の方が俺は好きだ。俺が好きなら、俺の好きな美砂でいてくれ」「うん、行ってくる。大好き、先生。隙あり」 最後の最後、美砂の方から不意打ちでキスすると、ペロリと舌をだして悪戯っぽく笑う。 こいつとむつきが振り上げた手をかわし、スキップするように部屋を出て行った。 それで良いと美砂を見送り、気分を入れ替える。 浮かれていると朝のような失敗をまたしてしまう。 思いがけず美砂と触れ合えたのだから、大事にいこうと職員室へと足を向けた。 一限眼は担当授業がないので、まず新田の資料を読まなければならない。 頑張るぞと軽く伸びをして、気合を入れた。 気合を入れた以降は、普段通り仕事をこなしていった。 大きな失敗はなく、小さな失敗はそれなりに積み上げながらが普段ではあるが。 新田の資料も何箇所か気になった点があったので告げると、なるほどと頷いて貰えた。 その事については、心の中でこっそりガッツポーズをした程だ。 教師一筋云十年の新田の盲点を指摘できた、それはある意味自分の成長を意味する。 授業に加え、時々美砂からメールが来たのを返したりと、瞬く間に午前中は過ぎ去っていった。 お昼は業者のお弁当で済ませ、少々の侘びしさを感じたりもし、五限目である。「全員そろってるか?」 屋上のドアを開くと、思い思い生徒達が喋ったり準備運動したりやりたい放題であった。 点呼一つとれやしない状況である。 一応昼休み中に雪広からバレーに決定したと聞き、道具の申請だけは済ませておいたが。 籠一杯のバレーボールはちゃんと持ち込まれていた。「小宮山先生、普段頑張ってるんだろうなあ」「一度、本気で雷を落とされてからは、多少大人しくはなりました。先生、点呼は済ませてあります。どうされますか?」 そう告げてくれたのは雪広であり、こいつ一人いれば自分が入らない気もした。 追加情報については、覚えがあった。 小宮山が高畑に向かって本気で怒り、学園長が介入する騒ぎになったアレだ。 最終的になあなあで済んでしまい、新田が学園長は一部の先生を個人的感情で優遇し過ぎると飛び火していた。 生徒には絶対漏らせない話だ、特に学園長の孫の近衛木乃香には。「怪我等で見学したい奴は今のうちに教えてくれ」「マグダウェルさんが体調不良で保健室へ、絡繰さんが付き添っています。他には特に申告はありません」「分かった、把握してるなら問題ない。それじゃあ、準備運動後に外周を三週してから試合形式で始めろ。チーム分けは任せる。怪我のないように、それだけだ」 えーっと重なる不満を黙殺して、落下防止フェンスが埋まる台座の縁に座って見守った。 本当はこの時間で済ませたい仕事があったのだが、今日も残業かと溜息がつきたくなる。 終始生徒を見ている必要はなく、もう少し要領が良ければこの場でもできたのだが。 見ていると言うか、見張っていないとこのクラスは不安なのだ。 雪広のとりまとめでラジオ体操を始めた彼女らを、ほけっと見ていると一人が振り返った。「先生!」「ん、どうした?」 この時、振り返ったのが鳴滝風香並みに悪戯好きな、春日美空と気付くべきだった。「視線がちょっとやらしくない?」「はぁ?!」 まさかそんな事を言われるとも思わず、素っ頓狂な声が出て目が点となってしまう。 そう言う目で見る事が絶対にないとは言わない、美砂の件もある。 ただし、完全に潔癖だと主張できるが、男のそんな言葉など信用されない。 男慣れしていなかったり、気の弱い一部の生徒などは身を守るように自分をかき抱いたり、誰かの影に隠れたりもしていた。「おやめなさい、春日さん」 この時、珍しくというか初めて助け舟を出してくれたのは雪広であった。 春日の突飛な発言よりよっぽど驚いてしまう。「皆さんも、教えを請う相手を安易にからかってはいけません」「え……どうしたの、いいんちょ。お昼に変なものでも食べた? ショタコンのアンタが先生を庇うなんて」「失礼な、オジコンの癖に。私のは不純な貴方とは違う、そう母性愛。見目麗しい少年を包み込む無限の愛ですわ!」「キィ、誰がオジコンだ。高畑先生は素敵な人よ。この変態が!」 既に話題はむつきから二人の取っ組み合いに移っていた。「明日菜に五百円!」「いいんちょに三百円!」「ドローに千円!」 しかもキャットファイトに対し誰も止めるどころか、賭けも始まっていた。 もう本当になんなのか、つい先日この仕事を楽しんでないかと疑問に思った自分を絞め殺したい。 だがその前にこのキャットファイトを止めねばと、飛び出した。 無謀にも、そう無謀にも。 方やお嬢様でその可憐な姿とは裏腹に護身術を叩き込まれた女武道、方やバイトその他で異常に鍛えられた暴力女。 結果は火を見るよりも明らかであり、「あっ、やば」「先生!」 二人の間に飛び込んだむつきへと、神楽坂の拳が腹部に、雪広の掌打が頬に打ちつけられていた。「水入りだ、ドロー。またまた桜子の一人勝ち!」 そうじゃねえだろと突っ込みたいが、危険な部位に特に神楽坂の拳が入って声がだせない。 情けない事だが、雪広の肩を借りて避難する。「申し訳ありません、先生。まさかこのような事になるとは」 ちょっと脂汗も浮かんでおり、さすがにこんな時ばかりは心配された。 再びフェンスの台座の縁に座らされると、生徒達が心配そうにわらわらと集ってくる。 悪い奴らではないんだけどと、映画ジャイアンの法則が発動しそうだ。 けれど、悪い子達ではないのは本当の事である。「先生、大丈夫。明日菜は馬鹿力だから急に飛び込むと危ないにゃあ」「保健室行くなら、ウチが……無理やろか」「その時は、私が肩を貸すよ」「アスナ、さすがに謝りなよ」 順に明石裕奈、保険委員の和泉亜子、背が高めの大河内アキラ。 非難を込めて神楽坂に意見してくれたありがたい存在は佐々木まき絵である。 目視で確認はできないが、皆の視線が集中したのかうっと罪悪感に唸った声が聞こえた。「その……悪かったわよ。殴って」「明日菜、もっとちゃんと謝らんとあかんえ」「ああ、大丈夫大丈夫。気にすんな」 脂汗はそのままに痛みを堪えて立ち上がり、なんとか笑う。「ほら、お前ら……ぐっ、どうせならバレーで決着つけろ。神楽坂チームと、雪広チームに分かれて。事故だ事故、忘れろ」 全然そうは見えず、見栄を張っている事はばればれだが少しずつ皆がはなれていく。 多少はいう事を聞いてくれる気になったのか、二人をリーダーに分かれた。 それからやっと普通のバレーが始まった。 肉体的ポテンシャルが高い者が多いので、クラス内対抗の割には高度なバレーだが。 それを確認してから、腹をおさえて息を整え痛みを体外に逃がす、つもりになる。 正直、彼女達の前で昼飯をリバースしなかっただけ奇跡だ。「よくこんなクラスで平気な顔で笑ってられるよな。高畑って、実は凄いのか?」 ふうふうと息を吐き、ようやく落ち着いてきた。 そこでようやく、彼氏が殴られたのに美砂が大人しかった事に気付いた。 いや、関係を隠しているのだからそれはそれで正しい行動なのだが。 雪広チームに混ざって普通にバレーをしているのが、少々悲しい。 心配して欲しいが正面きってそれもして貰う事もできず、改めてジレンマを感じる。「まあ、自分で選んだ事だからな」 コレぐらいの役得は良いよなと、腹を押さえながら美砂を見守る。 動くたびに揺れてきらめく深い紫の髪、体操服からすらりと伸びる白い手足。 もはや芸術品の域だよなと、春日の突っ込みを受け流せない見方をしていた。 そして極自然に、男として愛とは別に目移りを始めてしまう。 最初はやはり、雪広であった。 好みとかではなく、初めてからかいから庇ってくれた、きっと認めてくれた。 ハーフかクォータだったか、モデルにでもなれよといいたくなる均整のとれた体である。 さらには結構な巨乳で、もう文句の付けようもない程だ。 容姿端麗、成績優秀なお嬢様、ドラマから飛び出してきた存在かと言いたい。(しかし、改めてみるとなんでコイツら彼氏いないの?) 女子中とはいえ、麻帆良には無駄にテンションの高い男もごろごろしている。 拳法少女の古菲はある意味、毎日汗臭い男共に言い寄られてはいるのだが。 土日に美砂に相手をしてもらっていなければ、この場で少し動けなくなった事だろう。(さて、やらしい視線もここまで。折角見直されたり、心配されたのに詰まらん突込みを受けるのも馬鹿らしい) 勝負は中盤、正式な得点ルールでしていればだが。 そもそも点数先取でやっているのか、時間一杯なのかルールは決められているのか分からない。 でも十二対十五と雪広チームの統制が取れたチームの方が若干勝っていた。 神楽坂は根性論が多く、むしろそれで喰らいついているのが凄い。 そして神楽坂チームのサーブから始まり、驚く事に神楽坂がジャンプサーブをしたのが発端であった。「でりゃあッ!」 乙女にあるまじき気合と共に放たれたそれは、轟と音が聞こえるかのような一発であった。 離れてみていたむつきさえそうなのだ。 コート内にいた者にとっては、大砲と見紛う一発であった事だろう。 しかもあろう事か、その大砲の正面でレシーブの格好をしているのは美砂であった。「馬鹿、受けるな!」 思わず声が出たが、遅かった。 何を考えているのか真正面からそれを受けた美砂が吹き飛ぶように倒れこんだ。 一瞬時が止まり、撃ち放った神楽坂でさえ青ざめていた。 そんな彼女らの止まった時間を動かしたのは、むつきであった。「柿崎!」 奇跡的に、もしくは美砂という呼び名がまだ慣れず素がある意味で出たのか。 棒立ちの彼女らを掻き分けるようにし、美砂のもとまで駆けつける。 手早く頬を叩いて意識の有無を確かめ、ないと判断。 背中と膝に手を差し込み、抱き上げた。「和泉、ついて来い。保健室の勝手が分からん。他は、少し早めに授業終了。雪広、あとは頼んだ。状況は逐次知らせるから、無駄に騒いだり、保健室に押しかけるな!」「は、はい」 有無を言わさずそう告げると、美砂を抱えて走り出す。 一応、一度だけ和泉が後をついてきているかを確かめ、先を急ぐ。 和泉に何度か待ってくださいと言われたが、聞こえない振りで起きざりにする。 目的地が同じなら、多少置いていっても構わないという判断であった。 保健室に辿り着くとドアを蹴り破るようにして、入室した。 運悪く保険の先生はおらず、和泉を同行させたのは正しかったようだ。「柿崎、大丈夫か」 ベッドに美砂を寝かせると、その当人がペロリと舌を出してきた。「大丈夫、全然平気。亜子が来たら話しを合わせて」「はっ、お……おう」 全く要領を得ないが、吹き飛んだのは演技であったらしい。 今にして思えば、いくら神楽坂が馬鹿力でもバレーボールで人が吹き飛ぶのはおかしい。「先生、柿崎はどうですか。何か薬、冷やすものをひゃー」「痛ッ、いたた……亜子、慌てないでちょっとビックリしただけだから」「意識戻ったん!?」「一瞬、目の前が真っ白になっただけ。皆にも知らせてあげて。びっくりさせてごめんって」 混乱して目をグルグルさせる和泉に、美砂が今気がついた振りをしてそう告げた。 まだ不安げだが美砂が笑いかけるとほっとしたように、皆に知らせに行った。 残されたのは、むつきと美砂の二人きり。 一応名目上、マクダウェルが休んでいるはずだが姿は見えず、恐らくはサボリなのだろう。 それは良くはないが、一先ず棚上げし、心配したんだぞこの野郎と美砂を睨む。「ごめん、怒んないで先生」「怒るに決まってるだろ。心配させんな、本当に……」 想像以上に怒らせ心配した様子のむつきに美砂がもう一度謝る。「我慢できなかったから。皆、先生の事を軽く見過ぎ。私の彼はちょっとエッチだけど、思いやりがあって。やる時はやる凄い人って。教えてあげたかった」「お前なあ、なんて卑怯な理由だよ。怒る気が完全に失せちまった」「でも、皆の前でお姫様抱っこまでするなんて思わなかった。想像以上に、格好良かったよ先生」 上から覗き込むむつきに唇を伸ばしてきた。 迷った挙句一度だけそれを受け入れ、それっきりにした。 何時保健の先生が来るかわからないし、来るなとは言ったが彼女達が破らないとも限らない。 というか、付き合い始めて最初の平日に校内でキスしたり抱き合ったり危ない事この上なかった。「美砂、一応保健の先生を呼ぶから言われる通りにしてろ。俺はクラスに戻る。本当に大丈夫だって俺から伝えとく。神楽坂なんて顔真っ青だったぞ。もう少し考えて行動しろ」「うっ、そこまで……考えてなかった、かな。アスナには悪い事しちゃった。でも、先生の事をなぐったし、お相子?」「馬鹿、あれは事故だ。いいから、大人しくしてろ」 職員室に出向き、電話を受けていた保険医を見つけ事情を話す。 それからむつきは、皆が戻っているであろう教室へと向かった。 さすがに美砂の演技とは言え、あんな事があったばかりでは静かなものである。 二つ、三つ遠いクラスの廊下からでも平気で声が聞こえるのに、それがない。 今が授業中という事もあるが、普段からこれぐらいと思いながらドアを開けた。 その瞬間、出迎えたのは歓声とも思えるような彼女達の声であった。「ヒューヒュー、格好良いところもあるじゃん先生!」「見たアレ、美砂を抱えて駆け出して。映画か、ドラマみたい」「先生、美砂を抱きかかえた感想は。ちょっとぐらい、変なところとか触った?」 一部歓声とは違う、何時ものからかいも混じっていた気がしたが。「お前ら授業中、静かに、静かにしろ」 むつきが抑えろと身振り手振りを交えてそう言うと、ピタリと歓声が止まった。「え、なに……お前ら、ちょと気持ち悪い」「アカン、いつものちょっとキョドった先生やわ」 残念そうに近衛が呟くと、クスクスと笑われる。 だが、そこに何時ものからかいや腹立たしくなるものはない和やかなものだ。 なんというか、美砂の思い通りというか、彼女達が単純なのか。 理解不能だと彼方の女、彼女達の事を理解する事を一旦諦める。 そして、青ざめてこそいないが元気のない神楽坂へと安心させるように言った。「神楽坂、柿崎は平気だから沈みこむな。アレこそ、スポーツの中での事故だ。柿崎はピンピンとしてるよ。本人から、びっくりさせてごめんだとさ」「あ、うん……それであの、ごめんなさい」「は? 何が?」 突然頭を下げられ、一瞬なんの事か分からず惚けてしまった。 再びくすくすと笑われたのは、神楽坂かむつきのどちらなのか。「屋上で殴っちゃった事、私謝ったから。ふん!」「ああ、悪い悪いその事か。柿崎の事で半分忘れかけてた。気にするな、神楽坂」「とっくに気にしてないわよ」 なんにせよ、多少機嫌は損ねたが元気が戻って何よりである。 チラリと時計を見上げると、まだ終了まで十分近く残っていた。 自習にするには短く、かといって他のクラスは授業中で好きにしろとも言えない。 予定外の事に少し動揺しかけ、指摘されたばかりだが挙動不審となりかける。 そんなむつきを救ったのは、和泉であった。「先生」「あっ、なんだ和泉」 挙手をしてから起立した彼女が、少し躊躇してから言った。「あんな、さっきの先生な。迷いがなかった。私の足が遅いから置いていかれてまったけど。任せておけば柿崎は大丈夫って思えた。それで、あの……」「つまり、亜子が言いたいのは自信を持てって事かにゃ? 私は自信というか、素を見せてほしいかな」「先生とは先を生きると書くネ、先達。先に生きた経験を教え導く。教師という名にとらわれず、まずは自分の生きた道そのものを見せるのが先ヨ」「教師という肩書きではなく、乙姫むつきさんとして。貴方をまず見せてください。そうすれば自然と私達は迷わずついていけますから」 麻帆良の頭脳である超鈴音や、この歳で失礼ながら母の貫禄を持つ四葉五月に諭されては聞き入れるほかない。 確かに尊敬する教師はと聞かれれば、新田先生と答え、ああなりたいと思う。 生徒の事を真摯に受け止め考え、苦労を厭わず。 ただそんな上っ面の事だけではなく、新田先生は鬼の新田と一部に嫌われてもぶつかっていく。 あの先生の本当の格好良さはそこにあるのではないのだろうか。「俺の素、か。ちょっと怖いが、分かったよ。見せてやるから引くんじゃねえぞ、この野郎。朝言った俺の爺さんが浦島って婆さんを追いかけてるのは本当の話でな」 一先ず、この残り十分を切った僅かな時間で、そう関係あるようでない話を始めた。 爺さんをネタにして、他人の褌で相撲を取る形だが、まだこれが限界。 興味津々で珍しく大人しく話を聞く生徒を前に、爺さんを語った。 ただし、美砂がいない時に話した為、あとで理不尽に怒られる事にもなったが。-後書き-主人公、結構生徒に舐められてた