麻帆良学園都市の学期の終業式は、各学校毎に時間をずらしてとり行われる。 何故わざわざ、学部、校区が違うからといって異なる時間に行なうのか。 それは学園を統括する学園長が、終業の挨拶に向かうのが恒例だからである。 学部、学区が幾つもある麻帆良学園都市、その長ともなれば多忙極まる。 教師としての本分である生徒との触れ合いなどないも同然。 だからこそ、せめて学期の終業または始業ぐらいはと挨拶に回るのだ。 いや挨拶というのは建前で、学園長が自ら生徒達とふれあいに行くのである。 今年の四月の始業式までは、おおよそそのとおりであった。「え~、じゃから夏休みだからといってハメを外して夜更かし、暴飲暴食といった」 燦々と真夏の太陽が輝く午前十時、日差しも気温もこれからぐんぐん上がりだす。 そんな中で麻帆良女子中学の全学年の生徒、およそ二千人と少しは校庭に集められていた。 学年クラスごとに整列し、壇上で冷や汗を流しながら喋るナスの妖怪を見ている。 夏と言う季節に反逆するように絶対零度の瞳で、極寒の視線であった。 もはや学園長も熱いから汗をかいているのではない。 冷たい視線に耐えかね、冷や汗をかいているのだ。「麻帆良祭のあの一件、まだ尾を引いてんのな」「そりゃ、学園長自ら生徒にセクハラですから。ご愁傷様ですよ」 生徒に向き合う形で並ぶ教師陣の中で、わかりゃしないとむつきが零した。 何やらざまあと言いたげに答えたのは、右隣の瀬流彦であった。 未だD組のあの生徒に付きまとわれ、かなり心がささくれ立ってきているようだ。 自分だけ不幸になって堪るかと、かなり辛辣な視線、糸目だが向けている。「もう、学園長話ながい。汗で化粧が落ちるっての。女子中に戻る切欠探してるんでしょうけど、話が長くて余計生徒の反感買ってるわよ」 二ノ宮の言う通り、話が長引くに連れて生徒の視線も氷的な意味で下がり続けている。 だがそれは教師陣も同じで、直立不動、汗一つないのは新田ぐらいのもの。 こうしてむつき達が喋っていても誰も注意する元気さえなかった。 ハンカチで汗を拭くならまだしも、大胆にも手を団扇の様にして仰いでいる者もいた。 まあ、こういう学園長や校長といった老人の話が長いのはどこも同じなのだが。 いずれ誰か生徒が誰か倒れやしないか、そっちも心配になってくる。 顔色が悪い者が居ないか眺めていると、面白い事に気付いた。(あれま、冷たい視線を送ってる奴が処女で、理解ありげにしてるのが非処女じゃね?) 二千人越えの生徒の、極一部の膜事情を知っているからこそ分かった事だが。 美砂やアキラは、学園長を見て苦笑い。 他のひかげ荘メンバーも、呆れたり鼻で笑ったり、少なくとも視線は冷たくなかった。 この辺りは、むつきを通して男を知っているのであまり関係ないが。 小瀬もまた好き者だなっと自分を棚に上げた表情。 同じ水泳部の処女喪失に失敗したみきたんは、むしろ死ねとばかりの怨嗟の視線だ。 そう考えてみてみると、一年生の鳴滝姉妹並みの幼児体形でも非処女疑惑が。 いかにも遊んでそうな染めた金髪頭の子が、冷たい視線の処女疑惑だったり。 ちょっと面白いかもと、瀬流彦にも伝えたいが左隣が二ノ宮だと少しきつい。 逆に、凄く食いつかれそうな気もして、そっちの意味でもきついかもしれなかった。「わしらの若い頃はのう」 夏休みの注意事項から、学園長がさらに過去の思い出話を始めた頃。 処女、非処女疑惑でむつきが遊んでいると、ふと目に入ったのは宮崎であった。 少し呼吸が浅く、ふらついているような。 遊んでいる場合ではないかと、一歩踏み出した所でどすりと重い物が落ちた音がする。 教師も生徒も、ついに誰か倒れたのかと音の発生点へと振り返った。 学園長の話を無視して一斉にである。「ややわ、落としてもうたトンカチ」 だがそこにいたのは、頬に手を当てて恥ずかしげに笑う近衛であった。 その足元に、地面を抉るように突き立っているのは一本のトンカチである。「何時もお爺ちゃん殴っとるトンカチ。地面の上で良かったえ。誰かの頭の上やったら、怖いえ。例えば頭の長いなすびみたいな、誰とは言わへんけど。お爺ちゃんの頭の上やったら」「言っとる、言っとるぞ木乃香。とにかく、気をつけるように。以上じゃ」「学園長のありがたいお言葉でした、皆さん拍手」 学園長が壇上をとぼとぼ降りていくと、わっと歓声までも上がりそうな、盛大な拍手が送られた。 もちろん、その拍手の向き先は学園長ではない。 トンカチを落として、殊更強調して長話をやめさせた孫娘の近衛へと。「た、助かったです。のどか、しっかり」「大丈夫だよ、ゆえゆえ。あはは、ゆえゆえが三人もいる。これだけいれば、一人ぐらい持ち帰っても。おっことぬしぃ」「ぬぅ、のどか渾身のギャグだけど三点!」「言ってる場合ですか、パル。お、重い。のどか、しっかり立つです!」 特に騒いでいるのは宮崎周辺の夕映や早乙女であるが。 整列させられた生徒達は、そこかしこでふらつく者が続出中である。 この後も風紀委員長や広域指導員である新田の話などもあったのだが。 それら全てが一言、二言の指導に留まり、早々に終業式は終了された。 喜び勇んで生徒達がクーラーの効いた部屋に、走っていく間。 壇上の脇、数多くの生徒や教師が見守る中で学園長は孫娘に怒られていた。「お爺ちゃん、何考えとるんや。ただでさえ暑くて大変やのに。まさか、他の学校でもだらだら話しとらへんやろな。うつむかへんの、うちの目を見てや」「違うぞ、木乃香。他ではここまで長く、木乃香の学校だからお爺ちゃんは格好良い、威厳のところをな。見せようとな?」「思い切りありがた迷惑やえ。私が止めへんかったら、買わんでもええ恨み買ってしもたやんか。もう、うち恥ずかしくて皆に見せる顔あらへん」「木乃香、泣かんといてくれ。お爺ちゃんはお前が可愛くて、可愛くて。すまんかった!」 孫に怒られ、許してと懇願する姿を全校生徒、教師にさらし。 孫の前で良い格好をしたかっただけの孫馬鹿かと、多少は理解を得られた学園長であった。 だからといって、件のセクハラの件が許されたわけではなかったが。 終業式が終わればお待ちかね、それは極一部の成績優秀者だけかもしれないが。 期末テスト以上に結果を一喜一憂せねばならない通知表の授与である。 クーラーのがんがんに効いた部屋に戻って早々、冷や汗を流す者もいる事だろう。 だが一年次は毎期の中間・期末で学年最下位を取得し続けたA組も今年は違う。 期末についに学年最下位を脱出して、一部を除き皆成績があがってきていた。「じゃあ、相坂君は欠席だから。明石君からだね」 二年A組もその例に漏れず、高畑の手から一人ずつ一言を添えて手渡されていた。「元気も良いけど、もう少し勉強もね。明石教授も少し心配してたよ」「もう、お父さん仕方ないにゃあ。亜子も頑張ってるし、二学期から。二学期から頑張る」「頑張らないフラグ乙」「千雨ちゃん、相変わらず突っ込みキツイ!」 最初の明石は成績は上がりもせず、さがりもせず。 父に釣られ夏休みを飛ばし二学期からと言っては長谷川に突っ込まれていた。 本当に頑張る気があるなら、夏休みから頑張れるのだからまともな突っ込みではある。「ははは、夏休みの勉強は毎日少しずつだからね。次は朝倉君」「はいはい、この朝倉の姉さんに隙はありませんよ。見よ、この成績優秀な通知表を!」「確かにその通りなんだけど、早とちりも多いし。もう少し落ち着きを持とう」「藪蛇だから言わないでおこうかと思ったけど。朝倉、小学生の通知表じゃないんだから」 豊かな胸をふるんと張って、普通は隠すべき通知表を朝倉が掲げた。 情報の透明化をとでも言いたげに、五段階評価で五か四しかないそれをだ。 だが最後の備考、教師の一言には高畑が口にした通りの言葉が載せられている。 副担任のむつきからも、情報の裏取りはしっかりとと書かれてしまっていた。 その辺りで、朝倉のみならず先に通知表を受け取っていた明石も気付く事になった。 一年次までは高畑の一言のみであったのが、副担任であるむつきの言葉も添えてあるのだ。「バカレンジャー卒業おめでとう。ただし勉強は一生続くものです。一時の達成感に満足せず、次なる目標を見定め頑張りましょう。貴方にはそれができるはずです。乙姫」 次に高畑から通知表を受け取った夕映が、むつきからの一言を読み上げる。 少々感動してしまい、通知表をキュッと胸に抱きしめ夕映が振り向いた。 教室の後ろ、マグダウェルの少し後ろで立っているむつきへと。 頑張った自分を見ていてくれた、貴方には出来ると期待し褒めてくれた。 もしこの胸に湧き上がる気恥ずかしさと、温かさが恋とするならばなんと素晴らしい感情か。 二股、三股、四股、他にセックスフレンド多数の困った相手だが、自分に嘘はつけない。「おやおや、おやおやおや、おやおやぁ? ゆえ吉君、君からなにやらラヴ臭が」「パル、急用を思い出したので今夜は原稿が手伝えなくなりそうです」「えっ、ゆえゆえがそうなら私も。一人だとパルの原稿、恥ずかしい」「嘘、ラヴ臭なんてしない。むしろ、私今日徹夜だから。一人で二徹はキツイの。お願い手伝って、締め切りがぁ。アレなページは私がやるから」 一気に漏り下がった気持ちを返せと、通知表を抱えて縋る早乙女を足蹴であった。「アキラ、柿崎もなんて書いてあった? うちは、夢に向かって頑張るのも良いけど、頑張り過ぎに注意やて。疲れた時は周りを振り返り、友達との時間を大切にって。なんや照れくさいやんね」「私は、麻帆良の人魚姫って周りの言葉に振り回されるなって。他人がどう呼ぼうと貴方は貴方。自分がどうなりたいか、しっかりと見据えて頑張れって」「何気に私ら出席番号連番か。私は、えっ? 彼氏を惚気るのは程々に。一人身の人には辛いものなので恨みを買いかねません。学生の本分は勉強と部活。それをお忘れなく」 どの口でと、三人でむつきに振り返るとすまんと手を挙げられた。 美砂は勉強も程々に頑張り、さりとて部活はアキラ程頑張ったわけでも。 もしかすると、書く事に困ってとりあえず思いついた事を書いたのかもしれない。 一応美砂を心配した一言だが、彼氏本人に惚気るなとは割と無茶な注文であった。「ねえ、明日菜。成績悪い者同士なぐさめあおうよ。どうかしら?」「えっ、いやなんでもないよまきちゃん。バイト、夏休み増やして軍資金を!」 ふえっと半泣きで通知表を持ってきた佐々木を前に、神楽坂が若干の挙動不審である。 こそっと近衛が後ろから通知表を覗き込み、合点がいったと微笑んだ。「もう少し勉強を頑張りましょう。だけど、折角の夏休みだから思い出も大事に。貴方の夏休みの恋愛運は急上昇。知り合いから恋のサポートがあるかも。半分成績関係あらへん」 知り合いとはもちろんむつきであり、恋のサポートとは依然した約束である。 高畑を遊びに誘ったら、その時は偶然を装って神楽坂も合流させてくれるという。 忘れるどころか、逆に文面で証拠さえと神楽坂はテンションマックスであった。「明日菜さんたら。長谷川さんはどうでした? 私は当然、オール五。先生のお言葉も、この前のガーターベルトを着た私とおセックスしたいと。全く殿方は本当に、いやらしいですわ。生徒をそのような目でしかみれないとは」「ああ、私は成績は黙秘だ。けど、次の危険日は何時だって。お前を孕ませたい、俺の肉棒特性ソースで孕むほど煮込んでやるって。ガキの名前まで書いてあって、キモイ」「貴様ら、私の席で何を卑猥な会話を。私は、姉妹丼がやりたいだな。姉妹の百合プレイを眺めつつ、交互に突き上げ美女と美少女の膣の味の違いを堪能したいだとさ。鬼畜だな」「史上初のガイノイドと人間との有機合体したいと。チャレンジ精神に溢れる変態かと」 こそこそと、絡繰まで巻き込みちらちらむつきを見ながら周りを忍んでの言葉である。「お前等、俺がどれだけ必死に一言をひねり出したと」「そうネ、親愛的の愛が分からないのは可哀想ヨ。耳をかっぽじって聞くが良いネ。完璧過ぎて書く事がない。乙姫……親愛的?」「いや、お前凄過ぎてアレ頑張れコレ頑張れってどの口がってなるじゃん」「ある意味で、先生が必死に一言をひねり出した証拠でもありますね。私は、折角の夏なのだから自分を介抱してお洒落など新しい事にじゃんじゃん挑戦しましょう。勉強はもう十分、乙姫。です」 同じ成績優秀者でありながら、長い文面に小鈴が暗い顔でむつきを睨んでいた。 葉加瀬は最近お洒落を覚え、眼鏡をコンタクトにしたり、髪を無造作な三つ編みからウェーブの掛かったロングにしたり。 そういった部分で書きやすかったのだ。 超は元々、葉加瀬と同じ路線でありながらチャイナ服を着たり、シニョンキャップをさり気に変えたり元からお洒落だった。 ただそれで納得できるかと言えば、そうでもなく。 珍しくむつきにくってかかりそうな超を、まあまあと四葉が止めた。「それだけ、超さんに不満がないという事ですよ。夫婦円満、良い事ではないでしょうか」「そ、そういう考え方もあるネ。五月はさすが、良い事を言うネ」「チョロイン乙」「甲はありませんの?」 雪広のボケは兎も角として、最後から二番目の四葉も通知表をその手にしていた。「勉強も趣味もその調子で。ただし、夢に一途過ぎるのも問題かもしれません。貴方の道は一つではないはず。開拓の精神を持って夏休みを過ごしてみましょう。乙姫、だそうです」 そう読み上げた四葉が、ぺこりと頭を下げてきた。 そんな事は考えた事もなかったと言いたげで、思ったより感銘をあげられたらしい。 最後のザジも高畑から通知表を受け取り、数分の間は生徒同士での見せ合いっこが続いた。 本当は終業式最後の授業後にして欲しかったが、気持ちは分かるむつきと高畑である。 しばし微笑ましそうに、彼女らの歓談を目にしてから高畑が皆を席に座らせた。「さて、これで一学期も終わりなわけなんだけど」 教卓に両手をつきながら高畑がそう言ったわけだが、苦笑いに変わった。 皆が皆、夏休みを前に瞳がキラキラ、そわそわと。 落ち着かない様子で、今ここで何を喋ったとしても右から左に流れていく事だろう。 学園長の時とは違い、クーラーが効いた教室とは言え、長話は厳禁か。「ちょっとの勉強、まあ宿題だね。それと部活に遊び、精一杯頑張って欲しい。以上、乙姫君からも何かあるかい?」「殆ど、以下同文ですよ。言いたいことは通知表に書きましたし」 でもちょっとだけならと、教室の後ろからであったがむつきが言った。「ちょっとハメを外しすぎて困った事になったら、俺か高畑先生に連絡。だからと言って、八月三十日に勉強が終わってないって泣きつくのはなしな。手伝わねえから」「えー、そう思うならせめて社会科の宿題だけでも減らすです」「社会科だけ減っても、できれば現国も」「はははっ、そういうわけだから毎日少しずつ。朝九時から十一時の二時間だけでも続ければ十分に終わるから。さあ、長くなりそうだからここで切ろうか。雪広君」 高畑がそう言うと、雪広が起立と全員を立たせた。 ガタガタと椅子を喚かせながら、待ちきれないと飛び上がる者もいたり。 あと数分もいらず、数秒で夏休み。「一学期終了、お疲れ様」「一同礼」 再びの雪広の号令にて普段の授業よりも少しだけ長い礼であった。 そして数秒、頭を上げると同時に彼女達は心の底から歓喜と共に叫び上げた。「夏休みだーッ!」 学校全体を揺るがしてしまえとばかりの、心からの叫びであった。 終業式の日ばかりは、教師の殆ども定時を過ぎた頃には殆どが学校を去っていた。 生徒達とは違い、教師は明日も仕事で学校へと向かうわけだが。 せめてこの日だけはと、仲間内、仲の良い者達で集って打ち上げの如く出掛けるのだ。 むつきも例外ではなく、麻帆良女子中で比較的仲の良いメンバーと打ち上げである。 若輩者らしくチェーン展開されている安い美味いが取り得の居酒屋であった。 さすがに超包子には負けるが、それでも世間一般的には及第点。 暑い夏には冷たいビールと枝豆さえあればとばかりに、五つのジョッキが掲げられた。 テーブル席の上に突き出しのみの状態で、早くもジョッキの鐘が乾杯と鳴らされる。「まあ、偶には先輩として大盤振る舞いしないとね。今日は僕が奢るから、どんどん飲んでくれて構わないよ」「すみません、高畑先生。遠慮なく飲ませて貰います。あっ、店員さんビールお代わり」「早っ、少しは遠慮しようよ乙姫先生。高畑先生に奢られるなんて畏れ多い」「なに言ってんの、瀬流彦先生。相手が奢るって言ってるのに辞退するのは返って失礼なんだから。あっ、私は軟骨のから揚げとだし巻き卵、あとシーザーサラダ」 遠慮なにそれとばかり、むつきや二ノ宮が頼み捲くり、何故か瀬流彦が恐縮しまくりだ。 これが新田であれば瀬流彦も同じのりなのだが、何を遠慮しているのか。 そこで遠慮するなら、さり気に高畑の椅子に自分の椅子を寄せる源に配慮して三人で離席しろというものだ。 店員さんが持ってきた料理を取る振りをして、ホルスタインもびっくりの爆乳を押し付けたり、アピールタイムが尽きない。 高畑も「ははは、僕邪魔ですかね」と少し席を遠ざけるなど、源ががっくりきていた。「もはや修行僧の域ね。あんな事されたら、女の私でも襲うっていうのに」「ちくしょう、僕だって。乙姫先生、誰か。癒しを」「んー、直ぐにはちょっと。姉ちゃんの知り合いに良さそうな人が居ないか聞いてみますよ」「肩こってませんかね、乙姫先生。あっ、ビールが少なく。店員さん、大ジョッキ追加で」 何処まで卑屈なんだと、二ノ宮と共にむつきも瀬流彦の態度にぶわっと涙が止まらない。 ちょっと興味本位でD組なのにDじゃないあの子はどうなったと聞いてみたいのだが。 そうしたら、今度は瀬流彦がぶわっとなりそうで聞くに聞けない。「そういえば、前から気にはなってたんですけど。乙姫先生の携帯って、何処のメーカーですか? 色々パンフを見たんですけど、似たようなのがなくて」「ああ、これですか?」 カッターシャツの胸ポケットから、シルバーのタブレット式携帯を取り出した。 二ノ宮のみならず、他の先生方、特に電子機器に詳しい方からも聞かれたりする。 そんなに興味を引くものか、必要は必要だが機種とかには執着しないむつきには分かりかねる感覚だ。 何処のメーカー、どんな機種よりも、小鈴手製という所の方がよっぽど大事であった。「僕この一学期の間に二回携帯壊してるんですよ。壊しすぎだし、勿体無いって超から貰ったんですよ。ほら、超包子のマーク」 タブレットの真裏には赤字で超包子と、定番のマークが刻みこまれているので見せた。「なんでも千の雷にも耐えうる超耐久性とかで」「ぶほっ!」「きったな、瀬流彦先生!」 何故か耐久性の説明中に、ビールを飲んでいた瀬流彦が噴き出した。 いや、周囲のざわめきに埋もれ既に消えてしまったが、他にいくつもあったような。 確かに千発の雷にさえ耐えうると銘打つのは、誇張が過ぎると言うものだが。 象が踏んでも壊れないと古めかしい言い回しも、現代の若者には通用しないだろう。 むしろ、誇張しすぎれば笑いを誘って、興味を引くと言うものであった。「なる程ね、超君か」「高畑先生、おひげに泡が」 どうやら高畑も噴き出した一人のようで、これ幸いと源がお手拭で顔を拭いてあげていた。「失礼、なにやら不穏な台詞が。むっ!」 そこへ突然、他のテーブルでウーロン茶を飲んでいた人が突撃してきた。 褐色肌にやや分厚い唇のその人は、むつきや二ノ宮も一度だけ見た事があった。 以前、瀬流彦が学園長室に呼び出しを喰らった謎の事件で、職員室へ現れた人だ。 確かガンドルフィーニと言ったか、ウルスラ学園の英語教師という事だが。 その人が酔っても居ないのにぬっと顔を出し、むつきを見るなり視線をぎらつかせた。「君は確か乙姫君。その節はすまなかった、我々の同士が!」「は、はぁ……」「ちょっ、ガンドルフィーニ先生。あっ、これウーロン茶じゃなくて、ウーロン杯!」 突然謝罪され頷く事しかできず、慌てた様子の瀬流彦がウーロン茶改め、ウーロン杯を誰が飲ませたと取り上げていた。 どうやら、見た目に反してあまりお酒には強くはないらしい。 別に絡まれたとは思ってないので、ソレぐらいは構わないのだが。「ガンドルフィーニ、それぐらいにしておけ。乙姫、すまんな。コイツは酔うと少しばかり虚言、妄想癖があってな」「ははは、乙姫先生。裕奈の通知表、早速見せて貰ったよ。良いね、君が娘を良く見てくれているのが良くわかるよ。元気も良いけど、勉強も。なかなか聞かなくてね」「ガンドルフィーニ君、ほら酔い覚ましの肉まん食べるかい?」「二重院先生、吐きそうな人になんてものを。お水を、こちらを飲んでください」 もはや義兄となる日も近い神多羅木から、明石の父である明石教授。 一体どういうつながりか、ガンドルフィーニの口に肉まんを突っ込もうとする二重院。 小等部の人気投票三位である事は覚えている、というか体形と肉まんが印象的過ぎる。 一番的確にガンドルフィーニを介抱しているのは、高等部人気投票二位のシスターシャークティであった。 居酒屋にシスター姿のシスターがいて良いものか。 シスター姿そのものは良いので今度長谷川にリクエストをしてみるのも良いかもしれない。「なにこれ、麻帆良教師人気投票の上位陣が続々と。どういうつながり?」「さぁ……はっ、殺気!?」「乙姫先生」 その高等部第一位、葛の葉が割り箸を握り、むつきの首に突きつけながら背後から現れた。「合コンの事、今この場で口にしようものなら刺します」 恐らくは源やシャークティに知られたくないという事なのだろうが。 確かにこの二人ならば葛の葉にもひけはとらず、むしろ三人ともレベル高すぎ。 本当にこの人はどれだけ必死なのだろうか。 たかが割り箸と侮る事なかれ、つんつんと突かれると針のような傷みがある。 甘噛みのように痛みと痒みの丁度中間のような刺激だが、ピリッとそれが痛みに傾いた。 次の瞬間、テーブルの上に置いてあったむつきの携帯電話がブルッと震え光った。 淡い光は蛍光灯の光に飲み込まれる程度で、殆どの人が気付かなかったことだろう。「なっ、割り箸が!?」 確実に気付いたのは、突きつけていた割り箸の先端を切り裂かれた葛の葉であった。「あれ、刃物でも突きつけられない限り発動しないって聞いたのに。これ、なんか自動でバリアが張られるとか。冗談だと思ってたんですけど。凄いな、超」「バリアって、千の雷でもって割りと信憑性が。あの……皆さん、何故そばのテーブルから椅子を。狭いこの席に居付こうとしてるんです?」「ははは、我々の事は置きになさらずに。少々、その携帯に興味があるもので」 明石教授が朗らかに笑って言ったので、そうなんだと思いたいのだが。 何故皆して食い入るように携帯、ではなくむつきと二ノ宮を見てくる。 付き合っていると勘違いされたのか、それとも何か他に理由があるのか。 お前、特にガンドルフィーニとは知り合いだろうと、防波堤事瀬流彦を探すのだが。 重役に釣る仕上げを喰らった新人の如く、瀬流彦がテーブルの隅で縮こまっていた。(この野郎、お前の知り合いだろうが。すっごいやりにくいんですけど!)(濃い集り過ぎて、周囲の視線も集り過ぎなんですけど!) 追い詰められた鼠のようにぷるぷるしている瀬流彦にかなり鋭い視線を送るもそらされた。 誰か紹介しようとしているむつきの視線から逃げるなど、相当な理由がありそうだ。 ここは瀬流彦の為にも、穏便に済ませるべきか。 むつきと二ノ宮は、とりあえず明石教授の言う通り普通にする事にした。「えっと、バリアは兎も角、他に何か他の携帯にない機能とかあるんです?」「超セキュリティですかね。例えば、写メ取りますよね。ここで言うのもなんですけど、彼女と楽しんだアレな写真も、ほら」「モザイクが余計に卑猥に。ダブルピース? 乙姫先生、彼女に何させてるんですか」「いや、これ俺がさせたんじゃなくてこいつが自分から」 むつきが見せたのは、先日和泉のお尻の処女喪失記念の写メであった。 ただし、この場にむつき以外の人間がいる為、自動で写真がモザイク処理されていた。 ちなみにむつき以外とは語弊があり、厳密にはひかげ荘メンバー以外である。 恐らく声紋とかもろもろの情報を集め、自動で状況を把握し処理しているのだろう。 おかげで和泉の姿はモザイクの向こうで、個人特定はおろか、背景の場所すら不明だ。「で、普通に見せても問題ない写真……あれ?」「ちょっと、これまさか乙姫先生の彼女。嘘、超絶美人。しかも外国人、あとおっぱいでか!」「アタナシア?」 二ノ宮の特に後半の台詞で、瀬流彦達のみならず周囲の客もぴくりと反応したのは兎も角。 取った覚えのない写メを前に、むつきは茫然としながら携帯を手に取っていた。 恐らくは、むつきの腕の中で眠っていた頃か。 穏やかな笑みを浮かべ愛する者の腕に抱かれた時のように穏やかな表情を見せている。 ちなみに二ノ宮がおっぱいでかと言ったのは、シーツの盛り上がりと上乳からの推測であった。「乙姫君は、彼女持ちだったね。そのアタナシア君が、彼女ってわけかい?」 これまで微笑んでばかりの高畑が、この日初めて話題に食いついた。「彼女ってわけじゃないんですけど。あれ、高畑先生ってマグダウェルと親しいんですよね。彼女の姉がアタナシアなんですけど」 この日二度目、取り囲むように飲んでいた神多羅木達が一斉に噴き出した。 周囲四方八方で誰かしらがビールや日本酒、その他を噴き出し大惨事であった。 その惨事具合は、高畑でさえ取り乱したように噴き出しむせた事からも分かるだろう。「いかん、いかんぞ乙姫先生。君のような若く未来のある人間が闇のもがふぁ」「ガンドルフィーニ、お前少し表で頭を冷やしてこい。乙姫先生、その写メを見せてもらっても?」「ちょっと待ってください、上乳だけでもモザイクを。ああ、なんか余計卑猥な感じに。ちょと待ってお願い。アタナシアをエロイ目で見ていいのは俺だけだ!」「乙姫先生、必死すぎて口調が素に。あと、さっき彼女じゃないって言いませんでした?」 二ノ宮の割と重要な突っ込みも他所に、どうすればどうすればと断れば良いのに焦る。 大事な一枚の処理に失敗し、パイずり画像の様になってしまい半泣きに。 元に戻れと色々操作をし、自動バックアップ機能という超の手際の良さに泣いたり。 四苦八苦しながら、エロくならないようにバストアップ画像に改造してから見せた。「ふむ、幸せそうだな。どう見ても、事後という感じだが」「いやいや、まさか彼女がね。やるなぁ、乙姫先生」「しかしこれ、実際はあの子ですよ。倫理的に問題が」「くっ、巨乳の超美人だけどその中身は。羨むべきか、哀れむべきか」 何やらぶつぶつと瀬流彦も加えた先生方が、なにやらぶつぶつと。 特に瀬流彦の超美人という単語のところでは、かなり自尊心が満たされたりも。 鼻息荒そうになるむつきの目の前に、突如差し出されたのは十字架であった。「問題はその他色々とありますが、正式にお付き合いしているわけでもない女性と関係を持つとは。私が神の名の下に裁判を」「シスターさん落ち着いて。まあ、ぶっちゃけ行きずりの関係なんですけど。あと、十字架だから大丈夫だと思いますけど。どっか尖ってるとバリア機能が」 むつきの忠告は少しばかり遅かったようで、十字架の頭がスパッと切れた。「かはっ、神が科学に敗北」 がっくり膝をついたシスターさんは置いておいて。「ちょっとそこのところ、詳しく聞きたいね。何がどうして、そうなったのか」 なんだか妙に食いついてくるのは良いのだが。 むつきの携帯に写るアタナシアを射殺さんばかりに、源が睨みつけていた。 もしや高畑の好きな女性のタイプは、アタナシアのような美女なのか。 胸こそ規格外だが、日本女性を体現した源は実は全くタイプではないのかもしれない。 ここは一発、高畑にちょっかいを出される前に主張しておくべきだろう。 アタナシアのおっぱいは俺のだと、ここで高らかに宣言であった。「細かい事情ははしょりますけど。麻帆良都市内の温泉旅館で、飲もうって話になったんですよ。ちょっとエロイ、ワインの飲み方とか教わったり。男と女ですし、そういう雰囲気に」「乙姫先生、もしかして意外と軽い人?」「ひ、否定できない自分が悲しく。ただ、その途中で思い切り冷たい目で見られて。彼女、今はもういないナギって赤毛の男が大好きだったんですよ」 二ノ宮の突っ込みには視線をそらしつつ、ありのままのあの夜を語った。 ナギという男の名を呟いたことで、高畑が方眉を上げたのは何故なのか。「今はもういないって、そのナギって人は死んじゃったんですか?」「そうみたい、だけどアタナシアはずっと何年も忘れられなくて。僕を誘ったのも半分やけだったのかな。けど途中で冷めたらしくて。僕も急に寝むたくなったり。一度は完全に落ちましたね、アレ」 今になってもあの睡魔の謎は解明できないままなのだが。「ただ気の強い言葉は使っても、彼女は泣いてただけなんですよ。会いたい、惚れたナギって男に会いたいって。けど相手はもう死んでるし。俺にできるのは、心に住むナギを一晩だけ、数時間だけでも追い出してあげる事だけで」 神多羅木が持っていた携帯を返してもらい、改めてその寝顔を眺めた。 穏やかな、それこそ愛したナギから、一時でも解放されのか。 解放されたのだろう、マグダウェルから聞いた伝言を考えれば。 次に会えた時は、もう一度その言葉を本人から聞きたいものだ。 あと出来れば、解放される最長時間を更新する為に、再挑戦させて欲しいものである。 いや、純粋にアタナシアの為に、アタナシアを思ってであり、おっぱいの為ではない。 アタナシアを想って、アタナシアのおっぱいを食みたいので問題ないのだ。「綺麗に締めたつもりでしょうけど、これ浮気ですよね?」「ああ、彼女知ってますよ。ごめんなさいして包み隠さず話しましたから。むしろ、良くやったって褒めてもらいましたけど」 なにそれ天使かと、特に彼女の欠片もない瀬流彦がお手拭を噛み締めている。 にこにこと、思いがけないアタナシアとのつながりを手に入れ飲んでいると、携帯が震え始めた。 はて、誰か一人寝が寂しくて掛けてきたのか。 ちょっとトイレと断って立ち上がりかけたむつきは、驚いた。 携帯電話の大画面部分に映ったのは、アタナシアというカタカナであったからだ。 一体この携帯のデータ構造はどうなっているのか。 入れた覚えのない相手からの電話であったが、即座に受話ボタンを押して出た。「アタナシア?」「ふん、出るのが遅いぞ。この私がかけてやったのだ、ワンコール目で出ろ」 少しもったいぶった上から目線の語り口調は、アタナシアのもので間違いなかった。 マグダウェルから機械が苦手と聞いたのだが、もしやむつきの為に買ってくれたのか。 そんな甘い幻想を抱きつつ、耳が潰れるほどに携帯電話を耳につけた。「アタナシア、今どこ。もしかして、麻帆良に」「残念、国外だ。妹が友達から携帯電話を貰って送ってくれてな。別にお前にかける理由もなかったんだが、その……練習だ、練習。ハイテクは苦手だからな」「うんうん、真っ先に掛けてくれて凄く嬉しいよアタナシア」「か、勘違いするなよ。別に満月の夜が待ちきれなかったとか、違うからな。他にかける奴もいなかったし。その、今日はなんだかベッドが広くて」 もうこのツンデレさんは、なんて可愛いんだろうと顔が溶けそうににやけてしまう。 完全無欠にナギが住み着いた心の、わずか一パーセントでも入り込めたのか。 二ノ宮の妄想じゃなかったんだという驚きの表情や、ガンドルフィーニらのこの世の終わりのような顔も気にならない。 体をくねくね、二ノ宮にキモッといわれても、他に感情表現方法がなかった。 会いたい、愛おしいこの狂おしい程の気持ちを込め、呟こうとした矢先の事である。 あろう事か、むつきの手から高畑がひょいと携帯電話を取り上げていった。「やあ、久しぶりだねアタナシア」「タ、カミチ?」 しかも親しげにアタナシアとの電話に出る始末で、当然ながらむつきは取り返しに掛かった。 やはりアタナシア狙いかと、あのおっぱいは俺のだと。 だがそんなむつきの行動を止める様に神多羅木を始め、他の男性の先生方に止められた。「ちょっ、皆グルですか。高畑先生、俺のアタナシアをどうするつもりですか。事と次第によっちゃ、お姉ちゃんパワーを使ってまでも張り倒しますよ!」「落ち着け、乙姫。他意はないはずだ、源も視線で人が殺せる鬼気を見せるな」「これも君の為なんだ。彼女はいかん、彼女だけは……しかし、いやいかん!」「親友として、君の尊厳を守る為に。別にあのおっぱいを好きに弄った事が羨ましいわけじゃ。そうこれは友情、君と僕との友情の為!」 くそ放せと義兄予定の神多羅木にまで暴言を吐きつつ、返せと手を伸ばす。 二ノ宮もシャークティや葛の葉とお喋りに花をさかさず、手を貸してほしいものであった。「いや、君のナギへの想いを乙姫君経由で聞いちゃってね。良い機会だったのかもしれないよ。神多羅木先生や、ガンドルフィーニ先生。他にも、本当の君を知って貰えて」「ちょっと待て、何故貴様が乙姫と。他にも……あの馬鹿、何を喋った。ナギについても許せんが、その他にもまさか!」「まあ……色々と、酔ってた事もあるし。見逃してあげてくれないかい。お互い大人なんだし、そういう関係になる事だってあるさ」「乙姫ッ! 代われ、奴に代われ。その騒がしさは店か。貴様らも、奴の恐ろしさを知るが良い。死なばもろとも、もはや謝っても許してやらんぞ!」 何やら興奮中のアタナシアの言う通り、不可解ながら高畑はむつきに携帯を返した。 すぐさま、携帯電話を高畑から遠ざけながら、むつきは耳に当てる。「アタナシア、変な事を言われなかった。付きまとわれてるんだったら、俺が」「乙姫、落ち着いてよく聞いて」「うん、アタナシアの声は好きだから何時でも落ち着いて」「死んでしまえ、このくそ野郎」 ピシリと、石にでもなったかのようにむつきが固まった。 その間にブツリと携帯電話は切れてしまい、再起動を果たした時にはもう遅い。 冷や汗をだらだら流しながら、リダイヤルをしてコール音はならなかった。 さりとて、アタナシアが電話に出たわけでもなく。「おかけになった電話はお客様の都合によりおつなぎできません」 ハイテクが苦手なくせに、見事な着信拒否であった。「はっ、はは……」「乙姫先生?」 糸が切れた操り人形のように椅子に座り、様子がおかしいと二ノ宮が呼ぶ。 その手が肩に触れるか触れないかの瞬間、むつきはテーブルの上に倒れこんだ。 腕を枕代わりに顔を伏せ、駄々っ子も可愛く見える程の声量で叫び上げた。 わんわんと酔いも手伝い良い歳をして、同僚や同職の面々を前に泣き喚く。「嫌われた、アタナシアに嫌われた。死ねって、くそ野郎って。何もしてないのに。アタナシアが、ぐす。あぁぁぁぁっ!」「ちょっと、号泣って。本当に何をしたんですか、高畑先生。これ尋常じゃなく、泣いてますよ。男の人がここまで号泣するの初めてみましたよ!」「いや、僕は別になにも。久しぶりって彼女に言っただけで」「乙姫先生、声が。周りの視線が!?」 二ノ宮が苦笑い中の高畑に詰め寄るように非難を浴びせ、瀬流彦はおたおたと。 この時、源やシャークティ、葛の葉はというとちゃっかり別の席に避難していた。 私達、関係ありませんからと女子会の如くお酒とつまみに舌鼓をうっている。「おっと、そろそろむつみに電話を入れる時間だな。義弟よ、強く生きろ」「私も娘を寝かしつける時間だから、お先に失礼しよう」「僕も肉まんを食べ過ぎたか。そこの袋の残りは、乙姫君にあげてくれないか」「明日は裕奈が帰ってくるし、深酒は厳禁なもので」 さらに男性人も、そそくさと高畑を見捨てて言い訳と共にさっていく。 あれだけ酔って虚言、妄言を吐いていたガンドルフィーニさえ、素の表情であった。「ちょっと、皆。僕にだけ押し付けて」「アタナシア、お願いだから捨てないで。アタナシア!」「てか、彼女じゃないでしょ。ああ、もう仕方がない。はいはい、捨てない捨てない。良い子だから泣きやもうね」 二ノ宮が居なければどうなっていた事か、この後十分程でむつきは泣き止む事となる。 慰められなければ、三十分でも一時間でも泣き続けた事だろう。 散々泣き喚いたむつきは二ノ宮に手を引かれ、迷惑料込みで高畑が飲食代を払い、瀬流彦が方々に頭を下げる事でなんとか場を収める事が出来た。 夏休みの本当に数時間前、生徒を笑えない教師達のハメを外した数時間であった。 -後書き-第一部完的なお話。