第五十五話 俺のアタナシアに触るんじゃねえ! 的屋の都合で例年とは異なり、平日の二十九日に開催された夏祭りであったが。 だから如何したという人の多さであった。 何しろ元々麻帆良学園都市の名が示すとおり、学生が主体の街なのである。 都市内で点在する神社で一斉に、とり行われた夏祭りの出店は麻帆良祭を思い出させた。 当然、そこに足を運んだ学生達も夏休み最初の大イベントとその数も多い。 特に女の子は浴衣姿の晴れ姿で彼氏とデートしたり、夏祭りの出会いを夢想したり。 数多くの女の子を様々な理由でお世話するむつきもその夏祭りに来ていた。 ただし、以前のひかげ荘近くの小さな神社ではなく、麻帆良都市内最大の龍宮神社にである。 その理由は、待ち合わせ場所の大鳥居の柱の前に一緒にいる人物に関係していた。「夏祭りか、久しぶりだな。悪いね、乙姫先生。誘って貰っちゃって。例年は、何時もすっぽかしてて。明日菜君と来たのも何時以来だっけ」「いえ、ちょっと生徒が集り過ぎてしまって。一人では引率も大変なので、少しでも請け負って貰えたらって下心もありますから。ところで、彼女達が参加者を募って旅行に行く話ですけど」「うん、僕も出来れば引率したいけど期間がね。今日はたまたま帰国してたけど。特に京都は、ちょっと大変そうだし」「観光客の人は多そうだし、盤状に作られてて慣れてないと迷うらしいですからね」 人通りが多いので火をつけていないタバコを吸いつつ、何故か高畑が苦笑いをしていた。 高畑も京都で迷った経験があるんだろうなと、むつきは勝手に想像していたが。 良い歳をした男が二人、夏祭り会場入り口の鳥居で寂しく待ちぼうけるのもそこまでであった。「お待たせして申し訳ありません。むつき先生。あの刹那は?」 やや小走りに、主にむつきへと向けて駆け寄ってくる大輪の花が一輪。「まだ生徒は誰も。その浴衣お似合いですね、とても綺麗ですよ」「はい、一張羅を見ていただきたく。むつき先生も男らしくて素敵ですよ」 キョロキョロと桜咲の姿を探しながらやってきたのは、今朝方ラブホテルの前で別れた刀子である。 イチャイチャしながら出たら、隣のラブホテルから天狗が見知らぬ女性と出てきたのはまた別のお話。 黒に近い濃紺の生地に、小さいが色とりどりの花をちりばめた少し可愛い浴衣姿だ。 白い髪も一纏めにして、首の後ろから肩にかけて前に降ろしていた。 これで巾着袋の一つも持てば完璧だが、彼女の手には不釣合いとも言える紙袋があった。 今回の秘密兵器とでも言うべき一品であり、桜咲はどこだと目を光らせている。 お互いを褒めあう一連の恋人のようなやり取りに、あれ僕お邪魔かなと若干高畑がそっぽを向いていた。 実際、高畑から見て刀子の物腰が普段より柔らかく、微笑む表情にも硬さがない。 名前を呼んで人違いですといわれたら、そのまま信じてしまいそうだ。「あー、葛葉先生。こんばんは」「あっ、高畑先生いらっしゃって。失礼しました。今日はご無理を言って申し訳ありません。偶には刹那を年頃らしく遊ばせて上げたかったもので」「うん、良いんじゃないかな。そう言う事なら、助力を惜しみませんよ」 しかし高畑が喋りかけた途端、いつも通り、桜咲に関して以外は彼の良く知る刀子であった。 生徒を待とうとする立ち位置も、むつきの隣に迷うことなく寄り添うように。 楽しげにむつきを見上げては、何気ない会話でころころと年頃の少女のように笑う。(うーん、これはさすがの僕でも) 周りから朴念仁と評される彼でさえ気づいてしまう程の距離感であった。(エヴァの事、どうするんだろう。行きずりで終わりってのは。友人としては、出来ればナギさんの事を忘れさせて欲しいけど) どうするんだろうと、少しむつきが心配になる高畑であった。 当人に言えば、他人よりも自分の周りに気付いてくださいと注意されるだろうが。 気づかせてしまえば、きっと泣いてしまう生徒が一人いるのでむつきはそんな事は言わないだろう。 だがそんな彼の心配も、その生徒の登場で直ぐに頭の片隅から追い出される事になる。「高畑先生ぇ、その浴衣お似合いデス!」「明日菜、明日菜。落ち着いて、高畑先生普通にスーツやん?」「ああ、しまった。折角、このフレーズを滑らかに言えるまでになったのに練習損!?」「ははっ、こっちこそごめんね。なんだか悪い事をしたみたいで。うん、浴衣が似合うようになったね明日菜君」「に、ににに似合ってる。これ、可愛いなんてそんな!」 現れたのは、むつきが高畑を遊びに誘った際に連絡すると言っておいた神楽坂であった。 学生の身ながら精一杯お洒落、水玉模様の可愛い浴衣姿での参上である。 ただし、自前のではなく、お金がない彼女は木乃香のお下がりなのだが。 もちろん黙っていれば分からないので問題はない。 今日も今日とて大丈夫かと心配になるテンパり様である。 出だしから蹴躓き、あせあせと何時も以上に焦って嬉し恥ずかし半分涙目だ。 そんな彼女の可愛らしい行動ににこにこ笑いながら、近衛がむつきへとこそっと喋り掛けてきた。「先生、ありがとうな。明日菜、この日の為に一杯バイトしてな。珍しくリップとか香水とか女の子っぽいもん買ってみたり。鏡の前でさっきの言葉練習する明日菜、可愛かったえ?」「そいつはちょっと見てみたかったな。おう、近衛も似合ってるぞ。可愛い、可愛い」 淡いピンクの生地に濃いめの花が咲き乱れる浴衣は、今日美少女に良く似合っていた。 ただし、美砂達とは違い、あくまで生徒に対する気軽な褒め方である。 それでも褒められてうれしくないはずもなく、近衛がむつきの前で袖を手にくるりと回ってみせた。「えへへ、明日菜にお下がりするからってお爺ちゃんに強請って買って貰ったんよ。今のお爺ちゃん、大抵の事は聞いてくれるから。ところで、葛葉先生がなんで一緒? 例の恋人って葛葉先生なん?」「残念、大人は色々あるんだ。それとちょっと失礼」「ほえ?」 今日はリボンまでしてお洒落している近衛の両肩に手を置き、キョロキョロと周囲を見渡す。 桜咲の姿は全く見えないのだが、後ろからこそっと葛葉が見つけましたと教えてくれた。 見つけたと言われてもさっぱりである、近衛の専属ボディーガードと教えられてはいたが。 取り合えず、桜咲が逃げないよう近衛はこの場にガッチリ抑え、葛葉に頼んだ。 もちろん、葛葉としても大切な妹分を頼まれるまでもないだろう。 ふっと息を付く間にむつきの背後から気配が消え、ひやっと背筋が凍りかける。 その素早く消えた葛葉は、鳥居から境内に続く大通りの両脇にある林の中へと足を踏み込んでいた。 草場の陰というわけではないが、木々の影で遠くから近衛を見守る桜咲を発見。 何を考えているのか非常に剣呑な表情で竹刀袋から得物を取り出しそうであった。 葛葉の思った通り、激昂すると気配が一瞬漏れ、背後の警戒が疎かで簡単に背後から肩に手をかけた。「刹那、隙だらけですよ」「何者って、刀子さん!? 今は、お嬢様が。お嬢様、その細く可憐な肩に乙姫先生の汚れた手が。払いのけてください、だがお嬢様はお優しいお方!」 嗚呼、血こそ繋がってはいないが、似てるなと妹弟子を改めて刀子は見た。 思い込んだら一直線、いずれ刀子がしたように木乃香をラブホテルに連れ込みやしないか。 恐らくもう少し大人になってから、それこそ女同士という概念を知ったらもう。 要治療がやはり必要だと、刀子は有無を言わさず桜咲の手を取った。「刀子さん、今はお嬢様の護衛中で」「高畑先生が直ぐそばにいるのですから、貴方程度がいたところで。良いから来なさい」「お、お嬢様、お嬢様。龍宮、頼むお嬢様をぉ!」「貴方、唯一の友人にお金を払ってまで頼むのも止めなさい。友達失く、すわよ?」 いや、昨晩も思い起こせば沖田は笑っていたが、斉藤には色々と言ってしまった。 やばい関西出身で幼馴染もいないここでは、数少ない友人なのである。 同年代でさらに未婚、彼氏なしとなると本当に少ないのだ。 お互い色々と思うことはあれどと、後でメールで謝ろうと決意した。 今はそれより、お嬢様と暴れている妹弟子を、兎に角人目のない、届かない林の奥へ。 あまりにも暴れるのでお札をオデコにビタンっと貼り付け、僅かの間でも動きを止めて脱がす。 ぽいぽいっと折角の夏祭りに獲物と制服姿で現れたお馬鹿さんを遠慮なく素っ裸に。「刀子さん、ついにそのような趣味に。いけません、私にはお嬢様が。初めてはお嬢様が!」「既に不毛な道に一歩。貴方は女、鞘にしかなれないというのに。殿方の鞘に……」 ちょっと昨晩の激しいアレを思い出し頬を染めつつ、姉の特権を最大限に利用してひん剥いた。 それから持っていた紙袋から自分のお下がりの浴衣を取り出し、着付けていく。 途中、今もそうだが、過去の自分よりも小さいとちょっと姉としての優越感に浸りつつ。 ぱぱぱっと、桜咲を一端の護衛から普通の女の子へと変身させた。 薄い青の生地に女の子らしい桃色の朝顔がちりばめられた浴衣である。 髪も無造作なサイドポニーから下ろさせ櫛を通して、これも朝顔の髪留めでオデコを少し出してあげた。 一瞬何が起きたのか、べりっとお札を剥がされた桜咲は茫然としている。「刀子、さん?」「刀子お姉ちゃん、さあ行ってらっしゃい。この姿ならお嬢様の隣にいても不自然ではありません。高畑先生直々に護衛も引き受けてくれたので夕凪も没収です」「待ってください、何が何だか。刀子お姉、さん? それがないと、それに私はお嬢様の」「やはり、直ぐに昔のようにはいきませんね」 少しは興味があるようで、身につけた浴衣を見ては惜しげに夕凪をと刹那が縋る。 急には無理だろうと刀子も急がず慌てず、まず桜咲の頬に手をあて落ち着けさせた。 中学以前のさらに昔、あの頃は手解きと言うほどでもなく、期間も一か月あったろうか。 自身でも思い出すように、小動物から少し大きくなった桜咲の頭を撫でた。「刹那、今の貴方には誰も武力という意味で護衛を期待していません。貴方は同世代の中では強い方ですが、上には上がいます。貴方に求められている事はまた別にあります」「しかし、私にはお嬢様の隣にいる資格など。汚れた血が清廉なお嬢様を汚すくしゅっ」 言葉の途中で、刀子の髪の毛の毛先で鼻を擽られ可愛いくしゃみが出た。「ほら、お姉ちゃんと同じ。と言っても、子供の浅知恵ね。いくら髪を染めても、見た目だけじゃ。もう、騙される歳でもないかしら?」「いえ、今でもよく覚えています。あれがなければ私は周囲の視線に怯え、才能を眠らせたままお嬢様をお守りする事さえ」「なら、守りなさい。貴方に求められているのは、誰よりもお嬢様の傍で守る事。それも力で守るでなく、心で心を。ただのボディーガードではお嬢様の心まで守れない」「ただのボディーガードでは、お嬢様の心まで……」 それこそ心に染みこませるように、桜咲が刀子の言葉を呟いた。「お嬢様が仮に怖い思いをした時、赤の他人に大丈夫と言われ心からはいといえる? お嬢様なら相手を気遣って言うでしょうけど。友達だからこそ、本音で怖かったと言って貰えるわ」「刀子お姉ちゃん、私は」「最近、少しは成績が上がったなら聞き分けなさい。貴方の本当の役目を思い出して。今の自分に出来る一番の守り方を。力で守るのはまだまだ先の話です」 桜咲の返答を待たず、これ以上は自分で考えなさいと手を引いて歩いていった。 行き先はもちろん、集合場所である大鳥居である。 少しあやすのに時間が掛かったおかげで、二年A組、桜咲のクラスメイトが勢ぞろいだ。 マクダウェルの姿まであるのは、いささか不自然さと心に引っかかりを覚えるが。 今はこの引かれるままに歩く小さな手の持ち主を連れて行くことが先。「お待たせして申し訳ありません、お嬢様」「あっ、せっちゃん!」 早速というべきか、二人が現れた途端に、近衛が目ざとく桜咲に気づいた。「お嬢様、刀子お姉ちゃん」 体をビクリと硬直させた桜咲は、何時ものように逃げこそしないが、こそこそと刀子の後ろに隠れていく。 だがそれより先に、回りこんだ者が大勢いた。 むしろ桜咲とついでに刀子を囲むように、二年A組の生徒達が集った。「ちょっ、刹那さん。誰かと思った、くぅー浴衣が似合う京美人。このかちゃんに引き続き、ちくしょう!」「いえ、あの。明石さんも、大変お綺麗で」「可愛い浴衣。ねえねえ、後で浴衣交換しない? 私もそれ着てみたい!」「これこそ本物の良いではないかごっこができるです、その時は手伝うよ!」 わらわらと集る明石や佐々木、鳴滝姉と続々と言葉を投げかけられおろおろと。 某お笑い芸人のように冗談ではなく、普段の切れたナイフのような雰囲気はどこへやら。 他の面々よりほんの少し仲の良かった龍宮やら長瀬に微笑ましく見つめられ顔を赤くしたり。 普段のギャップもあって大人気の桜咲が、不覚にも近衛の接近に気づかずキュッとその手を取られた。「せっちゃん、可愛え。小さい頃を思いだすな、一緒に遊ぼ?」「え、うぁ……このちゃ、お嬢さ」 如何するべきか即座に迷いは晴れず、ただお嬢様と呼びなおして近衛がしゅんとする。 つい先ほどまで笑顔だった近衛を、誰がそんな風に沈みこませてしまったのか。 自分のうぬぼれでなければ、きっとその顔も笑顔に変える事は容易いのだろうか。 言葉だけでは伝わらない、心で心をという自分だけができる警護の意味が少しだけ理解できた。「このちゃん、うちと遊んでくれる?」「うん、お爺ちゃんから一杯お小遣い貰ってきたからせっちゃんにも奢ったる。一杯、一杯遊ぼうや。ほらこっち、明日菜お待たせ。せっちゃん来た」 瞬く間に花開いた近衛の笑顔を見て、うぬぼれじゃなかったと握られ引かれた手にキュッと力を込める。「桜咲さん、いや良いけど。高畑先生の周りにあんまり美人連れて来ないで。霞む、私が霞んじゃうから!」「仙人じゃないんだから、君は霞まないよ。さあ、僕らは先に行こうか」 高畑に促がされ、近衛が真ん中となって神楽坂と桜咲の手をとりご満悦で歩き出す。 いよいよ出発かと、いざ我らも続けと明石達も歩き出すどころか走り出した。「ちょい待った、明石。それに佐々木も」「うげっ!」「貴方達も、お待ちなさい。おチビさん達」「くっ、この人。楓姉並みに素早い!」 首の後ろの襟をむつきや刀子に捕まれ、迂闊にも女の子が出してはいけない声が。 即座に振り返り、文句を言おうとするが二人の大真面目な顔に言葉を失う。 そこで珍しく多分に空気を読んでくれ、話を聞いてくれた。「なんか俺も詳しくは知らんが、桜咲は事情があって幼馴染の近衛と疎遠だったらしい。今見たとおり、今日だけはそっとしてやってくれ。あと神楽坂は言うまでもない」「その代わり、今日は私とむつき先生で貴方達の遊興費は持たせて貰います。麻帆良祭での人気投票の賞金が殆ど余ってますし」 主に奢り発言に心を奪われ、二人以外も何度もうんうんと高速でうなづいていた。「あらあら、良く良く見てみたら確か葛葉先生ではありませんか」「くぅ、これが夏休み前ならまたJOJO苑だったのに。でも全然問題ない、今日は夏祭りだし。これも桜子大明神のおかげ?」「んー、多分違う。どちらかと言うと、乙姫先生? 昨日の夜になんかあったみたい」 那波や釘宮のようにはしゃぐのはまだしも、またしても椎名である。 本当にこの子はエスパーか何かではないのだろうか。 的確に人の心情や隠し事を何時も、何時も読んで来る。 しかも夏休みでテンションアップ中の彼女達に、極大のゴシップ提供であった。 いや、椎名のセリフに喜んだのは彼女達だけではなかったようだ。「あら、可愛い子ね。もっと言って、むしろ広めてください。中等部の乙姫先生と高等部の葛葉先生が怪しいと、心が通い合っているのではと」 良いぞもっと言え、むしろ広めろとばかりに刀子が椎名を可愛がるように頭を撫で始めた。「おおっ、これはまた久々の。高等部人気投票一位と、中等部の二位の人気教師の熱愛発覚。けど、これ広まったら普通に乙姫先生死ぬけどね!」「先生、お守りあげる。死なないでね?」「止めろ、朝倉より椎名。本気で心配そうな顔向けんな」 椎名の勘はほぼ絶対なので本気で何かありそうで怖い。 というか、きっとあるのだろう。 彼女程の勘がなくとも、高等部から大学部まで男子学生に大人気の刀子である。 それがしがない教師と付き合ってると噂が流れれば、きっと怖ろしい事となるだろう。 色々な意味で危険な気配に敏感な村上も、若干青い顔で古に尋ねた。「先生、私も心配になってきた。くーちゃん、格闘部とか荒っぽい人達にも葛葉先生って人気あったよね」「そうアルね。葛葉先生は剣の達人、達人? 勝負、勝負。今までコネがなくて刹那もなしのつぶてで断られたアルが。手合わせ願うアル」「ちょっ、忘れてたこの子。お願い止めて、乱暴だって思われるでしょ。お淑やかでいたい乙女心を察しなさい」「見た目に釣り合わぬ、なんたる甘酸っぱいラブ臭。やっぱ隠してるだけで、先生の彼女って葛葉先生でしょ。うひょ、あのお弁当も絶対そうだって!」 これに食いつかないはずがないのが早乙女である。 若干目の下にクマが見えるが、何時もと代わらぬテンションでぶちあげた。 ちなみにそのお弁当を作ってくれた本当の彼女達だが。 もはや何時もの事だと、帰る場所は私達だからとにこにことある種の風格さえ見せていた。 実際、夏休みに入ってから半同棲状態なのだから事実そのとおりであった。 わいわいと桜咲とは別の意味で群がられ、むつきは困り顔、刀子はもっと言ってと頬に手を当て可愛いわねと余裕の笑みである。 とても昨晩、ピチピチの中学生がと叫んでいた人と同一人物とは思えない。 だが一人、一人だけこの状態を快く思わない者がいた。「ふん、でれでれしよって。別にあんな若僧どうでも良いが。帰ってネット碁やりたいが、鍵も取られひかげ荘の電源ごと落とされたからな。茶々丸も奴らの味方だし」 退路を断たれたのも、引篭もり過ぎて夏祭りぐらいと連れ出されたのが理由だ。 ただ今夜は予定の対局もなかったので、しぶしぶ出てきた。 決して黒地に少々の白いフリルをあしらった今時の浴衣、それも長谷川の手作りが用意されたからではない。 髪もツインテールに同じ黒と白フリルのバンドで止めているが、別に気合はいれてない。 なんとなく、別にそういうつもりではないが、満月まだかなと吸血鬼らしく星が綺麗な空を見上げる。 そして、そんな自分に気づいて、イライラと足元の石ころをけ飛ばす。 そんなマクダウェルをどこからか、音量を落としてこそこそと呼ぶ声が聞こえ始めた。「エヴァちゃん、エヴァちゃんこっち」「沖田、お前そんなところで何を。旦那と子供達はどうした?」 マクダウェルを呼んでいたのは旧友の沖田だが、何故大通りを外れた茂みの中からなのか。 まだむつき達は刀子が彼女かどうかで言い争っており、出かける気配はない。 置いていかれはしないだろうと、手招かれるままに近寄っていく。 沖田の手が届く範囲に入り込んだ瞬間、手を掴まれては茂みの中へと引きずり込まれてしまった。「痛っ、枝が。何をする沖田!」「ごめん、ちょっと慌てて」 折角のゴスロリ浴衣がと、自分より浴衣を気にして怒るが沖田は軽く謝る程度で顔を近づけてきた。「良い、エヴァちゃん。貴方結構なピンチよ、ほら見てみなさい。昨日合コンで最後何があったか分からないけど、刀子あれ絶対なにかあった。もう、なんかオーラ出てる。彼女面オーラ」「合コン? ああそう言えば、そんな事を……だが、幹事をするだけと聞いたが? と言うか、貴様何故それを。まさか参加して」「いや、それはまあ……置いておいて?」 視線をそらし、エア箱を正面から脇に置く懐かしのギャグを披露しつつ。「兎に角、私の血を吸いなさい。牙が無ければ、嫌だけどちょっと手切るから」「ちょっと待て、お前なんの話を。確かに血を飲めば多少は魔力が戻るが」「ナギさん程でないにせよ、好きなんでしょ?」「はあ? い、一体なんの話だ。何故私が魔法障壁の一つも張れないあんな若僧を。見ろ、あのだらしない顔を。葛葉刀子程度に言い寄られデレデレと」 はんっと、鼻で笑ったつもりが、あまり沖田は聞いてはくれていなかった。「なに六百歳のくせに、詰まんない意地張ってるのよ。気にしてないなら、怒ることないじゃない。ちょっと心の隙間に入られちゃったんでしょ? 十五年、待つには長すぎるもの。私は応援する、アタナシアに変身しよう」「闇の福音、大魔法使いを魔女っ子みたく言うな。というかあの若造、沖田にまで喋ったか!」 心を抉るだけでは足りなかったかと怒ったマクダウェルを沖田が押さえ込んだ。「そりゃ、知り合いに関係喋っちゃったのはいけない事だけど。見せびらかすように自慢したんじゃなく、惚気ただけじゃない。年上なんだから、でこピン一発で許す度量を……あっ、死ぬわ。ああ、もう面倒くさい。良いから飲め!」 未だ意地っ張りで素直になれない親友の口に、そのまま自分の腕をくわえさせた。 チクッとした針が刺さったような痛みに少し顔をしかめつつ、無理矢理にでも血を飲ませる。 そこに嫌悪感はなく、十五年前から続く女の子同士のちょっといけないスキンシップだ。 案の定、口ではなんやかんや言いながら、マクダウェルの喉がこくこくと動く。 それに伴い、小さな身なりに多少の魔力が補填され、ぽむっと煙を出して姿が変わっていった。 ふりふりゴシック浴衣が良く似合うロリロリな少女から、浴衣を妖艶に着こなす金髪美女へと。 肩から豊満な胸の上部まで露に着崩した格好で、足元もチャイナ服のスリットのように太ももまでがばっちり見えていた。 ただ本人は多少ぶすっと不満そうに、そっぽを向いたままであったが。「ふん、別にあんな若造なんてどうでも良いが。処女じゃないが血も飲めたし。勘違いするなよ。ほろ酔い気分で、夏祭りを楽しんでやろうというだけだからな!」「はいはい、処女は旦那に上げちゃったし味が落ちても文句言わないの。動かないでね、髪も綺麗に梳いてこう纏めて、はい。出来上がり。金髪美人の浴衣姿ってそそるわ。負けんじゃないわよ、刀子に。私はエヴァちゃんの味方!」「そ、そこまで言われては仕方がないな。お前が煩いから、しつこいから行くだけだぞ!」 くすくす笑われながら行ってらっしゃいとハンカチを振られ、ずんずんと藪の中から表通りに足を踏み入れた。 通りを行きかっていた大勢の祭客が、金髪の浴衣美女の登場にその足を止めて見入っている。 自分に集る鬱陶しい視線を払いのけるように鼻で笑い、睨むように特定人物へと視線を向けた。 極一部、クラスメイトがマクダウェル改めアタナシアに気付き、こっち向かってないと囁かれる。 刀子にデレデレするむつきは数メートル先、この野郎と謎の、本当に謎の怒りが増してきた。 美砂達は守られる側のお子ちゃまだからまだ良いが、アレはダメだ。 唯一頼れる大人、誰とは言わないが時に甘えられる相手は、特別でなければならない。 げふんげふんと多少の咳で声を整え、髪をかき上げようとしたが後頭部で纏められているのを思い出す。 手の置き場に困って、ちょっと迷ってから胸元をさらに開けるようにして手団扇だ。「ふん、どうしてこう日本の夏はこうも暑い。ああ、暑い喉が渇いた」 割と声が大きくなってしまったが、むつきに聞こえるようそう自分をアピールしたは良いが。「お姉さま、どうぞお茶です。ちょっと温くなってますけど」「どけ、クソが。こっちのポカリ、キンッキンに冷えてます」「俺が先に話しかけたんだ、どけ。冷たいのはお腹が冷えるだろ、俺の思いやりだ」「さあさあ、麗しのお姉さま。どうかこの僕に貴方をエスコートする栄誉を」 鼻息の荒い胸元ばかりを見る望んでもない虫がわっと集り、鬱陶しいやら面倒臭いやら。「五十歩百歩だ、どけガキども!」 邪魔だとぽいぽい這いずり寄って来る虫を千切っては投げ、千切っては投げ。 昔からこう、なんで寄って来てと頼んだわけでもないのにこういうのだけは集まるのか。 早く気づけ、謝りに来いチャンスをやるから、頼むから来いお前だお前と心で叫ぶ。 その願いが通じたのか、十数人目を遠くの林にまで放り込んだ時、それは聞こえた。「アタナシア、てめえらどけ。俺のアタナシアに触るんじゃねえ!」 ちょっとキュンとしたのは気のせいだと思いたい、あれむしろ私は怒ってなかったかと。 魑魅魍魎のごとき、頭の湧いた学生の中から駆け寄って来たむつきをチラッとみる。 腕の一振りで吹き飛ばせないのかと、乱闘の中で何度か殴られ鼻血を出す姿にあきれた。 ただ、直前までデレデレした相手を放り出してまで、乱闘の中に飛び込んでまで来てくれたのだ。 少しくらいは許してやらなくてもないかなと、思う間もなく手を誰かに掴まれた。 反射的に今度は誰だ、馴れ馴れしいと投げ飛ばそうとしたのだが、その相手を見るなり手が止まる。 気が付けば俺のだと主張するように公衆の面前で抱き上げ、そのまま唇を塞がれていた。(あれ、まだ謝られて……) 突き放して張り手の一発でもと思いチラッと片目を開けたのだが。 殴られ赤くなった頬や唇を通して染みてきた鼻血の味に、まあ良いかと思わされてしまった。(折角だし、頂けるものは頂いておこうか。血がね、鼻血だけど。血が飲めるから、吸血鬼だから私。だから受け入れて良いんだ。主に血ね、キスじゃないから。たぶん……) ただ色々と自分を納得させるだけの言い訳は早口で心で呟き、陶酔するように甘いキスに痺れた。 周囲には百人近いギャラリーがいたまま、カメラワークが二人を狙ったように。 嘘で乾いたといった喉に、むつきの血と唾液を受け入れ潤していく。 沖田の主張がほんの少し、一ミリ程は正しかった事を受け入れ首に腕を回した。「おうおう、まるで映画のワンシーンじゃねえか。拒絶されないって事は向こうも結構、おいエヴァンジェっていねえ。何処行った?」 こりゃまいったねと長谷川が笑い、アタナシアの妹を探すも姿が見えない。「うーん、流石にここまでされるとちょっと嫉妬が。ひかげ荘知ってるらしいし。お似合いの二人って言えないのが唯一の救い?」「いいな、二年。二年か。私もその時にはお願いしたいな」「なんなら今夜にでもお願いすると良いネ。竜宮城でならオールオーケー、ネ」「先生、意外と情熱的なところがあるです。のどか、流石に三十一日は。のどか、のどかっ!」 これには嫁達もさすがに嫉妬を感じたようである。 特に自分達は関係を隠さなければならないだけに、公衆の面前で求められたアタナシアが羨ましくも。 今夜は一杯可愛がって貰おうとせめて期待に胸を膨らませ。 刺激的なシーンに気絶したのどかを必死に抱き起こす夕映に、皆で手を貸してあげた。 その間にも映画のワンシーンのようなキスは終わりを迎えたようだ。 唇に鼻血まじりの唾液の橋を作りつつ、むつきがアタナシアを見つめた。「アタナシア、ごめん。俺、謝らなきゃいけないのに」「ふん、情けない顔をするな。私を押し倒しかねない程の情熱的なキスはまぐれか? ほら、根性見せてみろ。私が惚れ直すぐらいの情熱的なのを」 さらなる挑発に、もしここがひかげ荘なら、むつきは即ベッドインであったことだろう。 特にひかげ荘を知らない明石達も、また行くかと手に汗握りやがて気付いた。 自分達の背後にてとてつもない覇気を繰り出す大魔神の存在を。 忘れてたと、修羅場の予感を感じて多大な恐怖とちょっとの期待感と。 いや得に早乙女はちょっとどころか、大いに期待して叫んでいたが。「修羅場キターッ、もうたまらん。よだれジュピ、もう三徹突入する程に創作意欲がぺっ」 ただし、空気を読まなかったせいで刀子に首をこきりとされ、どさりと石畳の上に崩れ落ちた。 どうやらこのまま三徹はなくなりそうだ。「むつき先生、それは。そいつは、あの。そうだ。生徒の模範となるべき教師が公衆の面前でキスなど如何わしい。貴方も離れなさい、日本は奥ゆかしさの国です!」「はん、むつきに無視され苦し紛れに何を言うかと思えば……」 指を突き付ける様に放った刀子のセリフは、そのままアタナシアに打ち返されてしまった。「自分の魅力のなさをお国柄のせいにするとは、それこそ教師の姿か!」「へえ、魅力ですか。そちらこそ、良く良く言えたものですね。真実の姿を隠し、偽の姿でむつき先生へと迫り。自分こそ、魅力がないからこそそんな姿に」「モラルを考えろ、あのままだとコイツ速攻豚箱行きだろうが。むつき、このまま二人きりで良い事しないか。あの日の続きを、な?」 ぐぬぬと刀子は唇を噛み締める間にも、アタナシアのむつきへの誘惑は留まるところを知らない。「全く、先生は相変わらずただれてますわね。あちらこちらへと、後で泣くのはご自分だというのに」「ああ、ただれている。火遊びは火傷の元だと思うが。どうなる事やら」「しかし、少しは純真乙女の視線に気付いて欲しいでごぜる。これこれ、暴れてはいかん。お主らにはまだ早いでござる」「楓姉、見えないよ!」 雪広に続き龍宮や楓にまで、ただれていると半眼で見つめられていた。 いや楓だけはいつも糸目なのでこれ以上塞ぎようはなかったが。 その分、見てはいけませんと保護者として鳴滝姉妹の視界を大きな手で塞いでいた。 だが十五禁ぐらいまでは行くであろう大人のいけない修羅場も、そう長くは続かなかった。「まあまあ、生徒の手前。おい、お前らちょっと手間取ったが遊びに行くぞ」「いや、そこで誤魔化しちゃ駄目でしょ先生。正直、どっちが本命?」「本命? なに言ってんの、俺ちゃんと彼女いるけど?」「え?」「え?」 逃がさんとばかりの春日の台詞に素で返し、お互いに疑問符を浮かべる。 春日のみならず、ひかげ荘メンバーではない他の生徒たちもなにそれと目が点だ。 そして事情を悟るなり、避難轟々であった。「先生、それじゃあさっきの情熱的なキスはなに? どう見ても、アタナシアさんが本命で葛葉先生はなんだろ。兎に角、見た感じはそうじゃないの!?」「はっ、気絶してる場合では。先生、そこん所もっと詳しく。まだ他に本命がいるとか。さえない振りしてどんだけ淫猥な日々を送ってんの。スケッチさせて!」「やりチン」「ちょっ、誰だ。ザジに、使い道が決して無さそうな日本語を。使い道作ったの俺だよ!」 明石や早乙女に詰め寄られ、ザジには衝撃的な言葉を投げかけられ。 日々、雪広達と共に日本語講座をしていたむつきは、両方の意味で頭を抱えていた。 ただ、まともな非難に対してもあまり説明できない関係である事は確かだ。 龍宮達の言う通りただれた関係ではあるが、それだけではないのだ。 特にアタナシアの事情は重く、流石に生徒を前に説明できることではない。 もうこれ、普通に夏祭りを楽しむのは無理かと思い始めた所でアタナシアが生徒達に進み出た。 割合身長が高い為、ちょっと前かがみになるようになった。「私は昔、想っていたかもしれない、いやちょっと親しい、そんな感じの赤毛馬鹿が死んでな。むつきを火遊びで誘ったつもりが、火傷したのだ。俺が忘れさせてやると、事実ここに少し住まわれたようだ」 ちょいちょいアタナシアが突いたのは、良く見える胸の谷間であった。 一部の生徒はそれに近いものを持っているが、大人の女だけが持つ果実にこれがっと生徒達の視線が集まる。 当然、他の男達の視線も集まりかけていたが、皆ことごとく失敗していた。 何故か上から焼け落ちた提灯が落ちてきたり、突風で吹き飛ばされてきたフランクフルトの串がおでこにささったり。 某魔法人妻の暗躍は、ごく一部の者だけしか気づかなかったことだろう。「うわ、マジ過ぎてちょっとはしゃげない。現実は小説より奇なりとまではいかないけど。この私がちょっと引いた」「先生、やはり時々突きぬけるアル。さすがの私も赤面を避けられないアルよ」「はっは、お前達には少し早かったか。さあて、ところで同じく横恋慕中の葛葉。貴様、どういう成り行きだ? ほら、説明してみろ。この純真無垢な少女達を前に!」「こいつ、知っている。その理由を。情報源は恐らく、沖田か」 早乙女でさえ目が覚めるようなロマンチックなストーリーに、アタナシアが笑みを浮かべる。 それは勝利を確信した笑いであり、実際に彼女は確信していた。 なにしろ単純にただれた関係ではなく、そこにロマンチック要素を盛り込んだのだ。 死んだ男を想い悲恋に日々枕を濡らす女、そこに現れた一人の男と共に再び愛の道を。 なんて、アタナシアの断片的な言葉から、思春期の乙女達は想像の翼を広げるだろう。「ねえねえ、先生何発ぐらいしたんだろ。絶対、パイずりはしたと思うんだけど。私あれ、苦手なんだけど。アキラ結構得意だよね」「先生が喜んでくれるから。でも逆にフェラが苦手で……」「ふふっ、先生のお口の恋人を呼んだカ?」「お尻の恋人見参。ふふっ、自分だけってちょっと優越感やん?」「出お、出遅れたです。三番目なのに……すまたの恋人、くっ。なんだかインパクトが弱いです」 一部、むつきの嫁と恋人は、自分たちの翼、胸とアタナシアと比べての批評忙しそうだ。 ただ普通の女子中学生である明石達はちゃんと、刀子にはどんなロマンチック要素がと目をキラキラさせている。 だが刀子に説明できるわけがない、むつきに横恋慕する切欠を。 合コンの呑み比べで大敗しては男を奪われ、むつきの前でゲロってラブホテルに担ぎ込んだ。 そこで思い出したが、自分はゲロってしまった。 前の旦那を好きだった頃に匹敵する気持ちを抱くむつきの前で、盛大にゲロっていた。「ほらほら、さっさと吐いてしまえ」「吐くとか言わないで。凄くショック受けてるんです!」「はいはい、そこまで。喧嘩はしない。このまま喋ってると、夏祭りが終わっちまう。今日の主役は生徒だし。この話はまた今度」 悪い顔で頭を抱えしゃがみ込んだ刀子をアタナシアがほらほらと追い詰める。 内心、お姉ちゃんを助けてと桜咲に願ったりしていると、別の場所から救いが。 その手はむつきのものであり、アタナシアと肩を組み、刀子へも手を伸ばした。「今日は小遣い、気にすんな。俺と刀子さんの奢りだ。屋台の食べ歩きに、ゲームその他に大いに楽しめ!」「ちょっと釈然としないけど、オー。お話はいつでも聞けるけど、夏祭りは今夜だけ。先生、射的私射的やってみたい!」「私は焼きそばが。何故屋台のあれは、実際の味以上に美味しいのか。不思議ですね」「まき絵、さりげにずっこい。先生の右腕は貰った。アタナシアさん、お先!」 佐々木が左腕を引っ張り射的屋を指差し、四葉がこそっと願望を述べ。 アタナシアに一応断ってから、実は本命の一人の美砂が右腕をとった。 四角から五角、六角関係に進化かと、他の面々も歩き出した。 少々アタナシアの勝利に傾き、決着がつきかけそうな二人を置いて。「こら、待て。どちらかの腕を貸せ、そこは私の席だ。特に佐々木まき絵、お前が何故そのポジションにいる。せめて、大河内アキラだろそこは!」「あれ、エバちゃんのお姉さんだけあって詳しい。アキラ、ごめん。ここ空いてるよ。特等席、ご案内!」「う、うん。先生、手繋ごう」「それこそ、あれ。アキラがなんか凄く積極的に!」 お妾さんまで左手で手を繋ぎ、これには佐々木のみならず明石もびっくりだ。 好意をカミングアウトした件は、まだ水泳部内でしか広まっていないのかもしれない。「嗚呼、待って。ピチピチ、やっぱりむつき先生もピチピチが好みで」「馬鹿な事を言ってないで貴様も来い、葛葉刀子。こいつはこいつだ、酸いも甘いも。食べられるものはなんでも食べる、いわば悪食だ」「アタナシア、止めて。最近、少し気にしてるんだから」 二人の美女の闘争も程々に、生徒の方が大事とばかりに夏祭りへとむつき達は突入する。 流石に夏祭りとはいえ生徒と腕を組んだり、手を繋いだりするのは体裁が悪い。 佐々木や明石からブーイングを受けたが、右腕はアタナシアに左手は刀子に代わってもらった。 二人もソレぐらいと、正妻と一号さんの余裕で快くその場を譲ってくれた。 なので洋風着物美女と和風着物美女を両脇にはべらせ、周りには大小の美少女軍団である。 それはもう持てない男の嫉妬の視線は厳しく、カップルの喧嘩を引き起こしたり。 男としての自尊心はかつてない程に刺激され上機嫌であった。 だが一応夏祭りの主役、主賓は生徒達である事までは忘れてはいない。 まずは佐々木のリクエストである射的屋を探して歩き、むしろ向こうから喋りかけられた。「おう、この前の兄ちゃんじゃねえか」 それは以前、ひかげ荘近くの神社で麻帆良祭前の祭事が行なわれた祭りでの事である。 その時に行った射的屋のはげた頭に捻り鉢巻の親父と同一人物であった。 これだけテンプレートな、見た目と性格のおっさんなど忘れようにも忘れられない。 美砂も良く覚えていたようで、他にも射的屋はあるのにここが良いと飛びついた。「あー、おじさん。久しぶり、ねえ先生ここでやろ。おじさん、人数分の弾頂戴!」「嬢ちゃんもな。毎度あり。それにしても、やるねえ兄ちゃん。今日はお手製打ち上げ花火も盛大に上がりそうじゃねえか。たまや~ってな」「おじさん、乙女達を前にそのきっつい下ネタはないよ。お客さん減っちゃうよ?」「こっちも将来別嬪さんになりそうな。これだけ来てくれたんだ、多少減っても元はとれるんだ。はいよ、一人六発三百万円ね!」 釘宮に苦笑いされてもなんのその、親父はさらなる親父ギャグを被せてきた。 普段なら冷笑ものだが、なにせ今は夏休みでさらには夏祭りである。 仲の良いクラスメイトがいることも加えて、皆して笑う笑う。 他の客もやけに人の入りの良い射的屋だと、足を止めては見入って客足はさらに増えそうだ。「はいはい、って人数分って幾らだ。最終的に使った弾数でいいや」「先生前から思ってたけど、変に金銭にルーズやんね。あかんよ、そんなんじゃ」 チクッと和泉に結婚資金溜めなよと怒られつつ、まあまあとやっぱりルーズに。 流石に二十人近いので二つしかない空気銃は、順番に整列して手渡されていくことに。 まずは一番お子様な鳴滝姉妹に渡されたが、そもそも身長が足りない。「ほら、暴れずしっかりと狙うでござるよ」「はいはい、史伽ちゃんも」 長瀬や那波に後ろから抱えられ、ていっと狙うも弾のコルクはあらぬ方向へ。 もとからへっぽこな銃に加え、足場がなくぷらんと宙づり状態なのだから仕方がないだろう。「全然駄目です、イカサマだー!」「ちづ姉、ありがとうございました」「いえいえ、どういたしまして」 鳴滝姉は空気銃をカウンターに叩きつけ親父に文句を言い、鳴滝妹は那波にぺこりと。「ふん、大した腕もないのに何を道具のせいに。貸してみろ」 そこで進み出たのがアタナシアで、空気銃にコルクを一つ詰めてまずはパカンと試射。 見事に外れてしまったが、ふむとその弾道を軽く見定め、残りの弾で次々に景品を落とした。 三発目、四発目と見事に的に的中し、のみならず的確に景品を落としてはゲットしている。「これは中々、流石は闇の福音」「おーい、また龍宮が中二病を発症してんぞ。お前、かなりディープだよな。なんか妙に似合ってて。もしかして、コスプレとか興味あるか?」「千雨さん、どんどんオープンに。龍宮さんはバイアスロン部でしたね。ここは一つ、のどかに射的を教えてあげてください」「お、お願いします」 千雨の言葉に私のイメージがと龍宮は唇の端を引きつらせるも、夕映とのどかの願いを快く了承する。 内心、普段はクールだが時折優しい一面もと中二病を貫いているかは、彼女のみしるところであった。 普段あまり交流のない者同士も、夏祭りという浮ついた場では交流が進むものだ。 他の皆もむつきや刀子のおごりだからと、次々に代わっては景品を狙う。 親父ギャグを飛ばしていた親父は、古き良きゲームを楽しむ少女達を前にこれだからやめられんとにこにこ顔だ。 そんな折、一発のコルクが何故かむつきへと飛んできてコツンと当たった。「おっと、すまん」 別に痛くもないが、犯人を探すまでもなく、空気銃を肩にかけたアタナシアがにやにや笑っていた。 そしてもう用はないと空気銃を順番待ち中の村上にひょいっと渡しむつきの下へ。 これまでよりも強めに腕を抱き寄せ胸の谷間に沈ませ、悪戯っぽく笑って言った。「手元が狂ってしまったものはしょうがない。これで今夜一晩、貴様は私のものだな。私も仕方なく付き合ってやろう。存分に私の中に花火を打ち上げるといい」 もはやこれはどんな口説き文句か、生徒達の手前むつきも真っ赤である。「ちょっと、もう。これどんなネタの宝庫。どうしたら、そんな台詞が。師匠、師匠って呼ばせて。あと出来ればその打ち上げ花火、私も見たい。ネタ的な意味で!」「女性から誘うとははしたないはずが。うむ、異国の女性はあっけらかんとしていて卑猥さを感じさせぬでござるな。ちなみに、お主らにはまだ速いでござるよ」「良く良く考えたら、葛葉先生とのゴシップは危険だけど。アタナシアさんとのゴシップならまだ大丈夫。ねえ、椎名的にはどう?」「うん、たぶん大丈夫っぽい。多少やっかみは受けるだろうけど。アタナシアさんだと、皆知らないからまたガセかで済むかな?」 早乙女がアタナシアを拝み、長瀬は再び鳴滝姉妹の耳を器用に左右の手で塞ぎ。 激写とばかりに写真を撮る朝倉は、一応の確認を椎名にとっていた。 その椎名も、刀子とのゴシップよりはとおせおせである。 他にも黄色い声は数知れず、来年は子連れで来店かと親父も笑っていた。 だがそうは問屋が卸さないのが、ライバル視されている刀子であった。「あっ、私も手元が」 遅れてなるものかと、むつきを狙って空気銃を発射である。 へろへろっとしたその弾は割りと正確にむつきに向かっていたのだが。 ハエ叩きの如く、手首のスナップを利かせたアタナシアが見事に刀子の弾丸を掴み取った。 むしろそうなることが分かっていたかのように、掴み取ったそれを見せつける様ににやりと笑う。「おっと危ない。意地汚い、どこぞの女が狙ったか。全く、他人の男を欲するとは。貴様達も、ああいう意地汚い女にはなるな。アレは悪い例だ」「くっ、貴方だって横恋慕は同じでしょ。むつき先生には本命の彼女が」「だからどうした。むつきは私に言ったぞ、ナギを忘れさせてやると。私が奴を忘れるまで、付き合う義務がある。もっとも私が忘れるまでずっとな?」「いけしゃあしゃあと」 ぐぬぬと口で叶わぬ事を察したのか、清楚な京美人を脱ぎ捨て刀子が歯軋りする。「はーっはっは、見よ妙技二丁拳銃!」「ゆーな、ゆーな。誰も見てないよ。あっちの修羅場の方が面白いし」「なんですと!?」 そこでちょっと空気が読めなかったのは、二丁拳銃でばんばん景品を落としていた明石である。 命中精度の悪い空気銃、しかも両手でてきとうに持っているのに何故当たるのか。 妙な才能を彼女が発揮するも、佐々木の言う通り皆の視線はむつき達にあった。 ちくしょうと、棚の殆どの景品を貰おうとする明石だが、そこはむつきがストップさせた。「明石、他にもやりたい子がいるんだから根こそぎは止めろ。てか、お前一人で何発使ったんだよ。奢るとは言ったが、欲張りは駄目だぞ」「へーい、じゃあ取れなかった人に配る分だけ。おじさん、これ返すにゃあ」「おっ、コイツはありがたい。よし、一杯やってくれたし射的代は半分で良い。代わりに、他の屋台でも一杯遊んでくれや。兄ちゃん、頼んだぞ」「気前がいいね。分かったよ、それじゃあ次行くぞ」 時々調子に乗るも、基本的には良い子なのである。 結局、龍宮に教えて貰っても取れなかった宮崎や、村上等に駄菓子の景品を配った。 ただクラスのうち、景品が取れなかった子の方が少ないとはどういう事なのか。 妙なアーム機械を伸ばしている葉加瀬や絡繰は兎も角として。 二十数名のうち、取れなかったのは十人に満たない。 とれたとれないと数えていると、誰か一人足りない事に気付いてさっと顔が青くなる。「アタナシア、お前妹はどうした?」「え?」 本当に今更、この人ごみで逸れたのかマクダウェルの姿が見えない。 アタナシアも全く気付いていなかったようで、質問に疑問で返された。 これは本当にまずいと、周囲の生徒にマクダウェルを見なかったか訪ねて回る。「おい、誰かマクダウェル見なかったか?」「あれ、確か先生がアタナシアさんにディープかました時ぐらいから見なかった気も。その辺にはいると思ってたけど」 長谷川を筆頭に、割と初期から居なかったと今頃になって気付き始める。「やばい、あんな小さい子。しかも特殊な性癖を持った方々を引き寄せそうなマクダウェルを。刀子さん、引率任せた。アタナシア、探しに行くぞ」「そ、その手があったか。そうだな、いかん探さねば。今頃一人で寂しい思いで!」「ちょっと待ってください。先に電話を。彼女も最近、携帯電話を手に入れたと聞いています!」 意気揚々とむつきの手を取り、駆け出そうとしたアタナシアを刀子が止めた。 しかも割りと正論で、無闇に探し回るより効率的だ。 ええいしっかりしろとむつきが携帯電話を取り出すと、反対に焦り出したのはアタナシアだ。 何故かこれはやばいとばかりに、だらあら汗を流し始め、刀子に詰め寄った。「貴様、携帯は私が持ってるんだぞ。ここで鳴ったら、不自然だろうが!」「ふん、貴方が何度も出し抜こうとするから。いっそ、バレてしまえば良いのよ。ちくしゃが。彼を年増ロリとの禁断の道から救うのよ」「アホか、良く考えろ。正体がバレるって事は、魔法がバレるって事だ。むつきだけではなく、ここにいる生徒達全てにだ!」「あっ」 アタナシアがこそこそと、されど強めに言葉を投げかけ叱り始めた。 今度ダラダラと汗を流し始めたのは、刀子であった。 二人してあたふたと慌て、思いついたのはやはり誤魔化しの一手である。 アタナシアは屋台脇の茂みに咄嗟に飛び込み、刀子は絡繰を抱え同じ茂みに。 誰にも見つからず見えぬよう、それはもう素早くだ。 その間にようやくむつきも携帯電話でマクダウェルを検索し終わって、電話をかけた。「はい」 そこで電話に出たのは、絡繰であった。「あれ、絡繰お前さっきまで。なんでマクダウェルの携帯に?」「マスターは……はい、はい。人ごみで気分が悪くなり、私が人の居ない場所に連れて行ったと言えと」 何やら電話の向こうでげしっと蹴られたような音が聞こえた。「そ、そうか。取り合えず、保護者同伴なら。全く、先に言えよびびるだろ」「申し訳ありません、我が侭なマスターで。本当に我が侭で」「茶々丸、さり気に怒ってるだろ。我が侭をアピールするな!」「なんか妙に元気そう、声がちょっと普段より低いか? 回復の見込みがなければ、可哀想だが家に連れて行ってやってくれ。大丈夫そうなら、お前も戻って来い」 本当に世話がやける子だと、携帯を閉じると今度はアタナシアと刀子がいない。 かと思えば、何故か屋台の裏の茂みの中から肩で息をしながら現れた。「あれ、二人共なんでそんな所から。マクダウェルなら、気分が悪くなって絡繰と別の場所で休んでるって。そんなに慌てて茂みに飛び込んで、アタナシアは妹思いだな。刀子さんもすみません、マクダウェルが勝手に」「はっ、はは。だ、大事な妹だからな。妹思いなのだ、私は」「ぜえ、ぜえ……私も教師ですから。それにしてもあの子、凄く重かった。げぺっ」 何かロケットアームのようなものに刀子が後ろから殴られたようにも見えた。「おい、一先ず休戦だ。決着は、余計なコブが消えてから。むつきの事だ、八時から一時間の締めの花火を見て十時前には解散させるはず」「良いでしょう。六百歳のエセ中学生になんか負けるわけがありません」 ガッチリ、互いの骨が折れる程にぎりぎりと手を握り合い、二人の間でそう協定が結ばれた。-後書き-ども、えなりんです。書きたいように書いていたら、普段の倍近い長さに。刹那の事情とか、修羅場とか本当にいろいろ書きたかったのです。というか、刹那のせっちゃん化に主人公ほとんど何もせず。一応刀子をかどわかしたりはしましたが。主人公がパンピーなので、良いお姉ちゃん化した刀子に代わりにやって貰いました。ネギが本来すべきことを、主人公以外がとんとん進めます。自分でも(略あと、どうでもよい的屋の親父が再登場。ちなみに作者はマジで、「○百万円」と言われたことがあります。都市伝説ではなく、マジでそういう人いますよね。それでは次回は大人の部、とのぞきの部。水曜の更新です。