第五十七話 間違えて宮崎の胸にパイタッチするかも 夏休みに突入してそろそろ一週間近い、七月最終日の三十一日。 今日も快晴だが少し分厚い入道雲が高く積み上げられた蒸し暑い日であった。 ただ気温については、文明の利器であるクーラーに冷やされた喫茶店内。 麻帆良都市内のとある喫茶店にむつきはいた。 グラスの表面に大量に汗をかいたコーヒーを飲みながら、時折深く溜息をつく。 手にして見ているのは小鈴謹製の携帯電話であるが、何時まで経っても繋がらないのだ。 もちろん、特定個人に対して繋がらないという意味である。「折角、刀子さんを宥められそうだったのに台無しじゃねえか。昨日からずっと、着信拒否だぞ」「あはは、ごめんね先生。でもおかげで良い本が出来たってば。お尻じゃなかったけど、俺の尻にがマジで見れて良かった。あっ、店員さんお代わり頂戴」 こいつに反省という言葉はないのだろうか。 目の下のクマがまた一段と濃くなっているが、それに比例してテンションが上がっている早乙女である。 タンクトップにショートパンツ、その上に漫画作業用のエプロンと。 傍目には裸エプロンに見えかねない非常にエロイ格好で、少々人目を集めていた。 だがそんな事は気にしないとばかりに、豪快に笑ってはコーヒーのお代わりを求めている。「ちょっとパル、あんたお代わりし過ぎ。眠いなら、寮に帰って寝なさいよ。原稿の入稿も終わったんでしょ。木乃香と先生は?」「悪いな神楽坂、頼むわ」「うちも、こう暑いと喉が渇いてしゃあないやん」 文句を言いつつ、冷えたコーヒーの入ったポットを手に現れたのはバイト中の神楽坂だ。 平時は新聞配達のみだがこの夏休み中は、雪広の斡旋などで色々とバイト三昧なのである。 白のブラウスに紺のタイトスカート、ちょっとふりふりのエプロンという姿であった。 本人はふりふりが似合わないと思っているようで、少々顔がひきつっている。 もしくは、先程から何度も呼びつけてはお代わりを請求する早乙女のせいだろうか。 バイトの邪魔というか、仕事を増やして申し訳ないがむつきも近衛もお代わりを貰った。「神楽坂、バイトも良いけど毎日少しずつは勉強もしろよ」「うっ、してるわよ。かなり木乃香に手伝って貰ってるけど。皆で旅行行くのに、私だけ残ってバイトとか嫌だし。稼がないと」 夏祭りは高畑にそこそこ奢って貰ったようだが、件の旅行は足代こそ殆ど無料なのだが。 目的の四葉が望む店にはお高いところもあるので、稼ぐのも大変なようである。 勤労処女、ではなく勤労少女は色々と大変そうだ。 最終手段としてむつきが援助という手もあるが、それは神楽坂に稼ぐ気があるうちは言わない方が良いだろう。「うちもせなあかんし、何時でも教えたるな明日菜。夏祭りの次は、皆との旅行もあるしな。せっちゃんと今度は旅行とついでに帰省もできて。ええ、夏休みやえ」「生徒全員連れて専用バスで日本横断とか、ハーレムじゃん先生。色々お世話になったし、学園長じゃないけど着替えぐらい覗いてもいいよ? それとも、三徹で履き続けたパンツ欲しい?」「そんな汚えもんいるか、アホ。それに高畑先生には忙しいからって断られたけど、引率の先生は探し中。できれば女の先生が良いから二ノ宮先生か。アレがなければ、刀子さんに頼む予定だったのに」 お前のせいでと、早乙女を睨み話が最初に戻り掛ける。。 その間に神楽坂はマスターと交渉して、休憩時間を貰って近衛の隣に座った。「旅行の話はまた今度。先生、今日は本屋ちゃんとデートなんでしょ。ねえ、どうやったら先生と生徒でデートできるの? そこんところ、教えて」「学年主任の新田先生から風紀委員、果ては学園長にまで。他意はありません。宮崎の男性恐怖症を治すためですって、綾瀬と一緒に懇切丁寧に説明すればできるぞ」「教師と生徒って禁断の関係が、夢がないよ。夢が、こうさ。周りに隠れてねっとりと、夏だからこそ汗に塗れて絡み合うようなガッ」「一トンカチ、明日菜そういうの苦手やからあかんよ」 実際、早乙女の言う通り汗に塗れて、むつきは毎日美砂達とセックスはしているのだが。 神楽坂が初心な為、近衛が先手をとって早乙女をトンカチで殴りとめた。 これが普通の女子中学生の反応だよなと、顔を赤くし戸惑う神楽坂が新鮮でうれしくなる。 そのままどさりと倒れこんだ早乙女は、徹夜疲れもあって良く眠れる事だろう。 むしろ、これから宮崎との大事なデートが控えているので、むしろ起きない方が望ましいか。「はあ、教師と生徒って難しいんだ。前の夏祭りで、高畑先生が私に向ける視線にちょっと気付いちゃったし。一歩踏み込まないと、ただの生徒か妹で終わっちゃう」「それに気づけただけでも、大進歩やて。ほら、先生。前に言うてたアドバイス。今なら明日菜、ちゃんと聞いてくれるえ?」「なにそれ、アドバイスって。どうすれば良いの!?」「アドバイスって程でも。ただ、高畑先生の前で無駄にテンション上げてはしゃぐな。大人の男は癒しを求めてるから、元気な時は良いが疲れてるときは駄目だ。特に高畑先生は出張続きで疲れてるし」 え、嘘っとばかりに神楽坂が顔色を青くして引きつらせてもいた。「今のお前に言っても難しいだろうけど。憧れじゃなくてさ、ちゃんと相手を見て。支えてあげるつもりで接しろよ。何時もご苦労様ですとか、お弁当を作ってメッセージカード添えたり。ちなみに源先生がお弁当じゃないけど、コーヒー注いだり色々アタックしてる」「ぐぁっ、嫌な情報も一緒に。なに、しずな先生ってやっぱりそうなの?!」「そうやないかと思っとったけど、これは強力なライバルやな」「落ち着け、高畑先生全く気付いてないから。飲み屋で胸押し付けられても、邪魔だったかなって席を遠ざけるぐらいだから。あの人、相当な朴念仁だ」 胸を押し付けるというキーワードで、気絶していた早乙女がぴくりと反応していた。 どれだけエロが好きなのか、夏の原稿の仕上げで頭が出来上がっているらしい。 一応念の為、近衛のトンカチを借りてとどめをさしつつ。 神楽坂の無謀な恋の為のアドバイトスを近衛と共に行い、やがて連絡が来た。 震える携帯電話を手に取ると夕映という文字であり、どうやら向こうも準備完了のようだ。 電話に出るとまさにその通りで、待ち合わせ場所へと向かった。 待ち合わせ場所は、神楽坂のバイト先の喫茶店から程近い場所の小さな公園であった。 残念ながら、バイトがある神楽坂とは喫茶店にて別れている。 それから近衛と早乙女を連れて指定された待ち合わせ場所に向かうと、夕映と宮崎がいた。 夕映は黒地のティーシャツに白いスカートと主役の宮崎の為に、地味目の格好だ。 むつきとしては、むしろ夕映とデートに出かけたいところだが、今日のお相手は宮崎である。 彼女の親友とデートとか、少女漫画なら三角関係の始まり以外のなにものでもないが。 その宮崎は、白のワンピースだが肩紐やスカートの裾にフリルがあしらわれたふりふりの格好である。 たしかに宮崎を見た後だと、神楽坂がふりふりが似合わないといった理由が少しわかった。 腰もとはベルト代わりに黒い紐で縛られ、さらにワンポイントで小さな向日葵のついた白のカチューシャもしていた。 髪型も普段のショートから、多少強引に纏めて後頭部で小さなポニテ。 そんなお洒落満載な彼女だが、唯一の難点は目元を隠す長い前髪だろうか。 そんな惜しいとばかりの視線に夕映が気付き、小さな溜息と共に説明してくれた。「頑張ったのですが、意外とのどかも頑固で死守されてしまいました」「あの、すみません。素敵な彼女さんがいるのに私なんか、やっぱり帰ります」「そうはいきませんよ。先生も忙しいのに時間を取ってくれたのですから。のどかには迷惑を掛けた事を恩返しする義務があるです」 早速というべきか、まだデートが始まってもいないのに逃げ出そうとした宮崎の手を夕映が掴んだ。 恩を着せるかのような夕映の台詞は、宮崎の性格を把握した上での事だろう。「なんや、今日の夕映はちょい強引やな」「え、そ……そうですか?」「まあ、それぐらいじゃないとのどかも先生とデートの一つもできないから良いんじゃない?」 ただ彼女自身、これでむつきと結ばれるかどうかの瀬戸際で多少の焦りもあったか。 近衛の指摘にどもった夕映であったが、珍しい、本当に珍しい早乙女のフォローに助かったと胸をなでおろしている。 逃げ出そうとした宮崎も、わざわざ付き合ってとむつきを見上げその足を止めた。 真面目な彼女は迷惑をと目をぐるぐるさせながら、迷いに迷って戻ってくる。 回る目をキュッと結んで、ふるふる手を伸ばしながら二メートルまで距離を縮めた。「きょ、今日はよろしくお願いしますです」「綾瀬の言葉使いがちょっと移ってるぞ。炎天下で立ち話もなんだし、まずは歩くか。綾瀬達は付いてくるならそっちな」「のどか、初心者なのですから困ったら私達を探すです。指示はパルのスケッチブックで出すですから」「うんうん、こういう風に」「はい、二トンカチ!」 ニヤニヤと、笑いながら早乙女が掲げたスケッチブックには噴水で濡れてすけブラ見せろとあった。 本当にこりないというか、早速近衛に後ろからトンカチで殴られていた。 この愉快犯は本当にどうにかならないものか、夕映が話すべきじゃなかったとため息をついている。「近衛、早乙女が暴走したら何しても良いから。教師として、早乙女の素行が普段から悪かったからって誠心誠意、警察だろうが検察だろうが証言するから」「うち、力ないからトンカチ弱いんやろか。刺付きとか、どっかに売っとらへんかな?」「はい、我慢する。誠心誠意、応援致します」「その言葉も、どこまで。それこそ、何時間持つことやら……では、先生。のどかをよろしくです」 最後にむつきへと切なげなけれど期待を込めた視線を送り、夕映が近衛と共に早乙女を引っ張り連れて行った。 とはいっても、見失わない程度に尾行はするので本当に少し離れただけだ。 それでも宮崎は行かないでと手を伸ばしていた。 小さな子が初めて託児所に預けられ、母親へと手を伸ばしたかのようである。 だがなんとか、彼女らが見える範囲であったので我慢できたらしく、キュッと目を閉じ我慢していた。 くすっと笑ってしまうと、それに気づいた宮崎が慌てて伸ばした手を後ろ手に隠す。 一瞬ちょっと気まずい空気が流れそうだったので、会話の為の小道具にとむつきは携帯を取り出した。 予めダウンロードしておいた、麻帆良周辺の地図を表示させる。「宮崎、この中で行った事のない。普段なかなか行けない古本屋ってあるか?」「あっ、はい。どれですか?」 不思議なもので、携帯の液晶画面を向けると限界二メートルがあっという間である。 宮崎が一歩を踏み出し、むつきが手に持っている携帯の液晶画面を覗き込んだ。 本人にはあまり自覚がないのか、むつきからはふりふり揺れる短いポニテが良く見えた。「あの、それならここが。少し遠いですが、大きめのお店だそうで。一度、行ってみたいと。ぁっ」 だがそんな魔法は効果も一瞬、むつきを見上げると同時に今度は三メートルだ。「よし、なら駅から電車で行くか。行くぞ、宮崎」「ま、待ってください先生」 だから宮崎に深く考える隙を与えず、むつきは手こそ差し出さなかったが歩き出した。 慌てて宮崎もついてきて、多少距離はあるが二人連れ立って最寄りの駅へと向かう。 むつきが特別早く歩いたわけではないが、互いの距離は一メートルに減ったり三メートルに増えたり。 時々、あれ何処行ったとむつきが振り返ると、宮崎が夕映のカンペを見ていたりも。 むつきもカンペを見てみたが、基本的にはもっと寄れであった。 こけてパンツ見せなさいという間違いなく早乙女のは、即刻本人ともども修正された。 スケッチブックを顔面に押し付けられ、近衛のトンカチでその上からガツンと。 夕映は数時間と言ったが、一時間も早乙女の我慢は持たなかった。 そんなこんなで、電車の中では座席の間を空けすぎて赤の他人に間に座られたりもした。 即座にむつきは立ち上がり、慌てる宮崎の目の前に立ち、その人と微妙に苦笑いも。 ちょっとギクシャクした出だしであったが、それも古本屋に着くまでであった。「先生、このお話読んだ事あります?」 それこそ見上げる程の古本を前に、ここは私の領域とばかりに宮崎が活き活きし始めた。 水を得た魚とは、こういう時に使うんだろうなと思うぐらいに。 これ懐かしい、続きがあったんだと次から次に本を手に取ったのだ。 さらには、お勧めの本をむつきに見せて数ページ読み聞かせる。 前髪に隠れて表情はあまり読み取れないが、きっと良い笑顔である事だろう。 やはり夕映とも話し合って古書めぐりは、大当たりのようであった。 あれもこれもと一抱えも本を持ち、さすがに散財しそうでむつきが止める事も。 最終的に一冊は自分で、もう一冊はむつきからのプレゼントと言う事でお店を出た。 後者は少しかさ張る一冊だったので、最寄りのコンビ二で寮へと郵送する事になった。「先生、ありがとうございます。どうしても欲しくて、次が何時になるか。それこそ次に来たら売れてしまっていそうで」「ちょっと痛かったけど、初デートの記念って奴だな。もし、同世代と付き合っても強請るなよ。そいつと即別れたくなければな」「それは、もう少し先の話なので。大丈夫です」 コンビ二を出ると、むつきとの距離も随分と縮まっていた。 まだ一メートル圏内、触れ合うには手を目一杯伸ばさなければいけない距離だが。 今日は触れ合う予定も、今後も触れ合う予定はないので十分と言えば十分だ。「さて、思いがけず一店舗目で大当たりを引いちまったからな。古書廻りはここまでだな」「ですね、これ以上は。また強請ってしまいそうで」 これ以上はいけませんと両の拳を握って自制する姿は少し可愛かった。 強請ると言ったが、プレゼントしようかと言ったのはむつきである。 欲しいがけれどと、宮崎も迷いに迷って色々と焦り慌てた姿を見せてもくれたが。 お金をあまり使わないデートとなると、まず思い浮かぶのはウィンドウショッピングだ。 この太陽が眩い真夏日に外では不可能で、大きなデパートにでも行くべきだろう。 ただ、女子中学生とのデートでそれはどうなのだろうか。 宮崎の性格から考えても男と服を見に行っても、古本廻り程にはしゃげるとも思えない。「ふう、それにしても暑いですね」 ぱたぱたとはしたなく手団扇するまで砕けた宮崎が、ぽつりとそう呟いた。 喫茶店でお喋りか、カラオケなどが手頃でそれらしいだろうか。 特に前者は喋るネタを古本屋で仕入れ、涼みにも丁度良い。 まだ時間はあるので一度涼んでからでも遅くはないと、宮崎に振り返ったその時だった。「宮崎ィ!」 突如、宮崎を必死に呼ぶ叫びが上がり、腰を基点に思い切りむつきは衝撃を受けた。 ゴキッと美砂達との子作りに大切な腰から嫌な音が鳴り、ごろんごろんと熱されたアスファルトの上を転がっていく。「熱ッ、痛ッ。なに、あれか。ついに刀子さんのファンが襲撃を。お守り、観音がくれたお守り効果ねえじゃんか!」「せ、先生!?」「宮崎、大丈夫か」「ひぃ!」 地面の上でのたうちまわっていると、何故か心配されたのは宮崎であった。 折角緊張感が取れた宮崎の悲鳴まであがり、何事かと起き上がる。 そこで見たのは、宮崎と同年代らしき少年が彼女に詰め寄っている状況だ。 まるで変態に言い寄られたクラスメイトを助けたような。 恐れられているのはむしろ、詰め寄った少年の方なのでちょっと変な状況だが。「こらこら、少年。先生に飛び蹴りかました挙句、宮崎を怖がらせるな」「宮崎に近寄んな、変態。知ってるぞ、お前この前の夏祭りで生徒や美女をはべらせてたちょっと有名な変態教師だろ。今度は宮崎に手を出そうってんだが、俺が見つけたからにはそうはいかねえぞ!」「マジで有名になってやがった。俺の麻帆良教師生活、大丈夫なのか」 ちょっと止めてと、周囲を見渡すも襲撃者は偶然通りがかった少年のみだ。 見つかったといえば、折角のデートがと憤慨しながら向かってくる夕映達であった。「先生、ひざに血が。これ絆創膏。使ってください。私どんくさいので、小さな薬箱持ち歩いているので」「悪いな、痛てて。泳ぐ時、しばらく染みるか。あれ、ネバ……あっ、折れるひっつく」「先生、私が……動かないでください。よいしょっと、はいこれで大丈夫です」 宮崎が少年をかわし、絆創膏をくれたので擦りむいた膝に貼り付けようとする。 ただ絆創膏など久しぶりで粘つくのりにちょっと手間取っていると、宮崎が丁寧に張ってくれた。「宮崎、そんなやくわっ。早乙女、離せ。変態教師に宮崎が」「懐かしい子に会ったわね。たっくんストップ、のどかが脅えるっての。先生、とりあえず喫茶店にでも入ろ。ゆえ吉も、怒らない。こういう子だから」「誰ですか、この失礼な人は。突然人様に、それもデート中にとび蹴りとか非常識極まりないです。折角のどかの緊張がほぐれ、これからだというのに」「まあまあ、夕映はたっくんの事を知らんからな。久しぶりやえ」 何がなんだが分からないが、一先ず少年も加えて近くの喫茶店へ。 十分も経っていなかったが炎天下の最中にいたので、そろそろ汗が噴き出してきた。 むつきも直ぐには上手く歩けないので、ひょこひょこ歩きながら。「おーい、はやいはやい。待ってくれ」「先生、足痛いですか?」「このやぐぇっ」「チョーク、チョーク。あんまり騒ぐと締め落とすよ?」 立場上夕映は難しかったが、特に宮崎が心配をしてくれた。 おかげで少年、たっくんの燃える心に油を注いでもしまったが。 ただ、そこは早乙女がヘッドロック気味に絞めてくれたのでむつきも宮崎も襲われることはなかった。 というか、早乙女は敵なのか味方なのか正直、はっきりして欲しいものである。 感謝して良いのか、それこそ早乙女を絞めて良いのか非常に判断に困ってしまう。 なんとかかんとか喫茶店に辿りつき、人数が人数なので大テーブルに案内された。 片側に奥から宮崎、むつきに夕映と並び、反対側に奥から近衛、早乙女、件のたっくんと二人の距離は対角線上に空けておいた。 そうでもしないと、たっくんに脅えて宮崎が小動物のように震えるのだ。「で、たっくんとやら。なんか宮崎を俺から救おうって飛び蹴りかましたみたいだけど」「ふん、てめえなんかに話す言葉はねえ。宮崎、こっちに来い。変態が移るぞ」 まさに取り付くしまもない、もはやその両目には敵意の炎しかみえない。 だが宮崎に手を差し伸べると遠ざかれる始末、それでまたむつきへの敵意にガソリンが注がれるの繰り返しだ。 互いに対角線上の席なので手は届かず不可能であり、宮崎もむつきの影にさえ隠れ始める。 ただその怯え様が、普段の男性恐怖症より酷いようにも見えた。 なにせ恐怖対象のむつきの影に、守ってくださいとばかりに隠れているのだから当然だ。 なんとなくだがピーンときて、事情を知るらしき近衛や早乙女に視線を向ける。 たははと苦笑いされ、恐らくはその通りなのだろう。 この夏の日差しに良く日焼けし、鼻頭に絆創膏を張ったこの子が男性恐怖症の根源だと。「この子な、涼宮卓郎って子で小等部の時に同じクラスメイトやったん」「今は男子中等部の野球部のだっけ? ただこういうおせっかいな性格で、内気なのどかに色々話しかけたは良いけど、がさつだから」「脅える宮崎が悪いんだろ。俺は何もしてねえ、それからお前は離れろ!」「く、首。折れ、ちょっ痛い痛い。宮崎取り合えず離れて、その前に俺の首が離れそう」 二人共言葉は濁したが、好きだからこそ構って嫌われての負の連鎖に陥ったのだろう。 それで余計にどうしたと構って嫌われ、やがて宮崎も男そのものが怖くなったと。 確かにこの直情的な涼宮に毎日話しかけられれば、繊細な宮崎は尻込み以上をするだろう。 むつきの首を折ってやろうかという勢いの涼宮に、もはや宮崎は小さくなって半泣きである。 あまりに必死に隠れようとして、先ほどからむつきの腕に胸が当たるほどだ。 そんな時であった、このクーラーで冷えた心地良い空気の中でパンっと乾いた音が響いたのは。 振り上げた手を振り切った夕映と、一瞬何が起こったのか赤くなった頬に触れ目を丸くしている涼宮である。「一体、なんなのですか。本当に、空気が読めずがさつで思いやりがなく。私が一番嫌いな男性のタイプです。貴方こそ、のどかから離れなさい。迷惑千万極まるです」「痛って、てめえなにしやがる。俺は女だからって容赦しねえぞ。表にでろ!」「待った、喧嘩すんな。綾瀬、謝れ。手は出しちゃいかん。涼宮も、拳を握るな。男ならその程度って笑って済ます度量をだな」「だいたいてめえが、宮崎の傍にいるから」 夕映に頬を張られて涼宮はもう、周りが見えずテーブルに乗り上がって飛び掛らんという勢いだ。 もはや本当に蹴りこそないが、殴る蹴るでむつきはボコられ。 むつきが殴られさらに夕映が憤慨して手を振り上げては、本人に止められ。「はい、ちょいストップや」「ガッ痛。あ、はい。ごめんなさい」 そこで得に涼宮を止めたのは、彼を後ろからトンカチで殴りつけた近衛であった。 今日は早乙女に始まり涼宮と、トンカチの一斉大奉仕である。 小等部の頃の知り合いだから幼馴染だけあって、その恐ろしさは染み付いているようだ。 熱した鉄板を水に浸したようにジュッと頭が冷えて、謝罪さえしていた。 ただその向き先はむつきや夕映、宮崎でなく、近衛に対してであったが。「たっくん、その性格直さないと彼女一生できないよ。たっくんのせいで、のどかも男性恐怖症になっちゃったし。今日はそれを治すのが目的で、本当の意味でデートじゃないから」「それと先生を殴ったらあかん。甲子園に行くのが夢や言うとったやろ。喧嘩したら、出場停止とか良くあるえ。その性格、直さなあかんえ」「煩せえな、俺は別に宮崎がおどおどするのがイラつくだけで」 宮崎と言うよりは、まだむつきへの敵意の方が強い。 恐らく、小等部時代に話しかけていたのも好きだったからだろう。 憤慨する夕映や脅える宮崎はさておき、近衛や早乙女の意味ありげな視線が全てを語っている。 さてどうしたものか、もはやこれではデートの続きなどできやしない。 宮崎は完全に脅えた小動物のようで、夕映もまた貴方などにと涼宮に敵意を向けていた。 特に夕映、彼女程ではないがむつきも初夜の為にもう少し頑張りたいのだ。 ならば二人きりのデートは諦め、涼宮を巻き込みグループデートが妥当か。 宮崎の男性恐怖症の根源が彼ならば、そこをなんとかするのが一番早い。「よし、お前ら。これから全員で、ボーリング行くぞ。ボーリング」 仕方がないので金は俺が出すと、涼宮も一緒にそう遊びに誘った。 約二名、夕映と涼宮がぐちぐちと文句を垂れてはいたが。 このまま自分だけ帰るという意見は出ず、やって来たのはボーリング場である。 前宣言通り全員の靴代や入場料をむつきが払い、レーンは両隣の二つを借りた。 現在、マイボールとなるボールを探すために、全員が別行動中だ。 ただし、これ幸いにと憤る夕映を宥めるために、むつきは夕映のそばでボールを選んでいた。 ちなみに涼宮が宮崎に襲い掛からないよう、近衛と早乙女は護衛につけてある。 近衛がトンカチをちらちらさせれば、鞭に怯える猛獣のように涼宮も大人しいものだ。「全く、先生も先生です。グループデートに移行は仕方がありませんが、あのようなガサツな男性まで。何故連れて来たですか」「お前も意外と男に偏見あるのな。がさつは要修正だけど悪い奴じゃなさそうだ。宮崎が早乙女や近衛と仲良くなる切欠もあいつが宮崎を怖がらせたのが原因らしいし」「それはそうですが、もやもやするです」 一応、周りを確認してから安置されたボールの前でしゃがむ夕映の頭をぽんぽんと叩く。 夕映が宮崎達と仲良くなったのは、それこそ出会ったのは中学かららしい。 つまり、四人の中で夕映だけが小等部の共通した思い出がないのだ。 涼宮との事で宮崎が男性恐怖症となったのを知ったのも今日が始めてだとも。 図書館探検部の四人の中で、少し疎外感を感じてしまったのだろう。 クラスの中で割合精神面では早熟な夕映が子供みたいに拗ねるなど、そんな彼女を宥められるなどちょっと得した気分だ。 出来るなら暗がりに連れ込んで愛でて撫でる、愛撫したいができないよなっと周囲を見渡すといつの間にか隣に涼宮の姿が。 ニヤッと暗黒面に落ちたかのような陰険な笑みが浮かび、何かやるなと頭に警告の鐘が鳴った。「おっと、手が滑った」「危なっ。涼宮、お前。お約束だけど、そう言う事をするな!」 お約束とは、一番重い十六ポンドのボールをむつきの足目掛けて落とした事だ。 冷やりとした夏場とて嬉しくないものが背筋を上り、素早く足を引っ込めた。 足の爪が割れる程度で済めばよいが、下手をすれば骨折だってありうる。 本当にそうなりそうな場合、小鈴の携帯がバリアを張っていたかもしれないが。 だがそんなむつきの注意も何処へやら、そっぽを向いて耳をほじる始末であった。 これではむつきが我慢しようとも夕映が黙っていられない。「もはや我慢の」「待て、綾瀬おさえろ。俺のボールこれだから頼む。ちょっと便所、涼宮も来い」「くっ、放せ。こいつ意外と強、痛い。解った、解ったから放せ!」 いくら青春真っ盛りの野球部員といえど、それは中学生レベルの話である。 最近は水泳でかつての肉体を取り戻しつつあるむつきからすれば、子供も子供。 まだまだ腕力では大人には全く敵わない。 ひきずる途中で何度か蹴られもしたが、平気へっちゃら、少しは痛いがトイレへ連れて行く。 腕力で敵わず、今までの行動に涼宮の顔色が少し悪くなり始める。 だが別に焼きを入れるつもりなどなく、連れて来た目的を知って欲しかったのだ。「へっ、別に怖くなんかねえぞ。逆に焼きいれてやる」「だから落ち着けって。お前が宮崎の事が好きなのは解ったから」 頼むと宥めるつもりが、そう言うと青かった顔が今度は逆に真っ赤に。「別に好きじゃねえし。お、俺が宮崎を。あんな根暗、俺はもっと運動が出来て」「アイツ図書館探検部だから別に運動音痴じゃねえぞ」「頭も良くて」「学年トップ三十だが?」「ほら、アイドルみたいに可愛い」「俺は見たことないけど、ちゃんと前髪分ければ可愛いらしいぞ」 最後のは本当に未確認情報なのだが、夕映がそう言うならそうなのだろう。 一つ一つ退路をふさいでいくと、頭から湯気を出しながら涼宮が硬直した。「宮崎の男性恐怖症、お前も困るだろ。協力してくれよ。ボーリングってさ、ストライクとったらハイタッチとか女の子と触れ合える素敵なゲームだぞ?」「へっ、俺は球技は野球一筋。女とチャラチャラボーリングが」「ハイタッチする時、胸が結構無防備なんだよな。間違えて宮崎の胸にパイタッチするかも。するだろうな、いやしよう。男性恐怖症を治す為に、仕方がねえな。仕方がない、デートの許可は学園長にまでとってあるもん。パイタッチだって込みだよな?」「宮崎は俺が守る。てめえの思い通りに行くと思うな。早く来い、ボーリングで決着つけてやる!」 本当、分かりやすいたら操縦しやすいたら。 指差し挑発してきた涼宮の後から、やれやれと当時の自分を思い出し微笑ましくも。 レーンに戻ると、まだ怯え中の宮崎を夕映達がなんとか解きほぐしていた。 どすどす気合を入れて歩き、ボールを磨き始めた涼宮の後ろからお待たせと手を挙げる。「先生、順番はてきとうに決めておいたけど。木乃香とのどかがちょっと苦手で、お手本見せてあげてよ。手取り足取り、そういうの得意でしょ?」 苦手なのは本当だろうが、恐らくは早乙女なりのパスである。 ただし、早速ボディタッチの発生とエロを含んではいたが、良いパスには違いない。 最後のおちょくりさえなければ、最高だった。 ボールを夢中でタオルで拭き続けている涼宮も、お手本で格好良い所をと呼んだ。「投げ方より大事なのがこれ。足元とレーンの直ぐそこに印が横並びになってるだろ。投げ始めの立ち位置は何時も一定、それでレーン上の何処に投げると何処へ行くか知るのが大事」「そんなまどろっこしい。球技は任せろ、おりゃあ!」 だが説明の途中で涼宮が豪快に十六ポンドのそれを投げつける。 球技なら任せろとばかりにそれはコースに乗って、見事にピンを蹴散らしていった。 ちょっと勇み足だがストライクなのだから、むつきが手を差し出した。 一応は礼儀だと鼻息荒く叩かれ、ひりひりと痛いぐらいだ。 それは構わないのだが、次いで差し出した木乃香にまでも同じ勢いで叩いたのはまずかった。「あたっ」 さすがに女の子にそれはないと、涼宮の耳元で囁く。「馬鹿、俺は兎も角手加減しろ。宮崎がひいてるだろ。合わせるだけで良いんだよ」「うるせえ、誰がお前の言う事なんか。宮崎!」「はひッ!」 もはやそれはハイタッチではなく、殆どホールドアップであった。 その両手へとちょんと触れ合う程度に合わせられる。 これには宮崎の方がビックリしており、見つめ返した相手はそっぽをむいていた。「脅えるから、怒鳴りたくもなる。もっと堂々としてろよ。お前、前髪なけりゃか、かわ……」 当然だが、言いよどむ涼宮の手に今度は宮崎がパチンと手を合わせた。「す、ストライク。凄いね」「はっ、はは。まあな、あんなもんどうって事はねえよ。おい、お前ら何を笑ってやがる。お手本は見せてやったんだから。一球ずつ練習できるだろ!」 もう、これが笑わずにはいられようか、特にむつきは尻を蹴られたが止まらない。 普段早乙女がラヴ臭がと騒ぐ理由が少し理解できそうな程だ。 なんという甘酸っぱさに、照れくささか。 むつきも出来るなら夕映を物陰に連れ去って、抱き締めてキスをしまくりたい。 早乙女など、何故あと数日前にこれを見なかったと呼吸困難さえ起こしていた。「知っていたつもりでしたが、これが男性ですか。不器用にも程が」「しょうがないさ、男の子は基本的に馬鹿だから」「先生、他に気をつける事ってあるん? もしかして、ボーリング詳しいん? 今度せっちゃんに教えたいから、教えてや」「ああ、待ってろ。大学時代にボーリング部のダチがいて、色々と教えて貰ったんだ」 それから簡単にボールの持ち方から投げ方まで、教えられた事をそのまま教えてやった。 途中、多少のボディタッチが発生したのはご愛嬌。 触れられる度にわざと喘ぎ声をあげた早乙女は、余った腰肉をつまんでやった。 なんでこんなに余ってるのと囁いたら、先生に悪戯される為と普通に返されたが。 宮崎もまだまだ涼宮に対する態度は硬いが、進んで教えて貰ったり。 このデートが上手く行ったかどうかは、ゲーム中に夕映から貰ったメールに書いてあった。 今晩、よろしくお願いしますと。 -後書き-ども、えなりんです。のどかの男性恐怖症、そもそも何故かと考えてたらこうなりました。ガサツな男による過剰な干渉で苦手になったと。わりとありがちですが、それだけそんなもんかと。あと、今回夕映だけが中学生で知り合ったと書きましたが。厳密にはこのかがどのタイミングか、完全に模造です。原作の夕映回だと、微妙に名言されてないもので……このお話では図書館探検部で夕映だけが、中学で知り合ったことにします。最後に、涼宮のたっくんは完全な当て馬です。ネタバレにもなりませんが、でも寝取り系じゃないですよ?寝取り担当は朝倉です。それでは次回は水曜です。やっとこさ、夕映の本番回です。