第七十一話 なんだかんだで、俺甘いよな 麻帆良女子中二年A組の出席番号十二番の彼女の名前は古菲。 中国人留学生である彼女には、夢と使命があった。 中国武術研究会にて部長を務める彼女の夢は、語るまでもなく武の道を究める事だ。 古臭い、または女の子には無理だと人によっては言われるかもしれない。 武術を始めた切欠も、古家に生まれたからであったが、古自身がそれを望んでいた。 武術が好きだ、功夫を積み、強者とぶつかり拳を磨き上げる。 その拳を磨き上げる相手と出会うことが稀である事だけは残念だが。 それでも、武の道を究めてみたいという気持ちに偽りはない。 その果てに多少恋愛感情を無視した強さで結ばれる婚姻が待っていようと構わない。 課された使命、それこそが強き血を古家に取り入れるという事だ。 自分の好みは、元から自分より強い相手なので普通の美醜にはとらわれないつもりだ。「そして昨日、ついに見つけたアル。私が歩むべき道の先人達を」 力量こそ大きな差こそなかったが、あの忍者が呟いた気という言葉。 さらにはど素人とまで言われてしまう今の自分の腕前、いや無知だろうか。 裏の世界に生きる者からすれば、自分は表の世界の張りぼてのチャンピオン。 そんな栄光よりも身のある戦いが出来るならば、喜んで裏の世界へと足を踏み入れよう。「なのに何故アルか。親友の超が、何故私が歩むべき世界を壊すアルか」 良く陽に焼けた拳をもう片方の手のひらにパチンと当て握り締める。 単独で見知らぬ国である日本、麻帆良にやって来た時の最初の友達であった。 まだ日本語を喋る事もままならず、困っていた古に声をかけてくれた。 同じ中国人だからと世話をやいてくれ、日本語だって教えてくれた超。 その超が言ったのだ、裏の世界はいらないと、気、魔法……はわからないが全ていらないと。「けれど、頭の良い超が言うならいらないアルか?」 毎日毎日、クラスメイトが男の子やお洒落の話をする間も鍛え続けた。 ある意味で一番もてていたかもしれないが、弱いと群がる男達を一蹴してきた。 だいたい、美醜に関係なく強い男を婿にするとして、自分が醜いままで相手は納得するか。 自分だって弱い上に醜い相手は、御免こうむる。 相手だってわざわざ打ち負かした相手の婿になろうなんて殊勝なものはいまい。 鍛え続けゴリラのようになった自分を前に、大事な婿は逃げていくのが想像できた。「私も、結構可愛いアルよ?」 ちょっと手鏡を取り出して、ニッコリ笑ったり手を振ってもみたり。 そしてハッと我に返り、そんな事をしている場合ではと頭を振った。 短いツインテールが高速に吹き荒れる風に大きく振り乱されてぼさぼさに。 でもやっぱり気になると、手櫛でちょいちょい直しつつ。「ああ、こんがらがってきたアル。兎に角、今は超に打ち勝ち、昨日の言葉を取り消させるアル。我が道は我が腕で守り切り開くアル。絶対、勝ぁつ!」「くぅおらっ、誰だ走行中の車両の上にいるのは!」「くーちゃんがさっき窓から出て行ったよ。あっ、しまった秘密にしてって言われてたんだ!」「あわわ、まき絵。約束そのものを忘れてたアルか!」 一人でセンチに沈む場所がなかったアルと、慌てて古は窓から車両内へと入っていく。 現在、超包子の車両は、京都に向けて高速道路を移動中であった。 当然の事ながら、車両内に戻ると同時に、古は手痛い拳骨を貰うこととなる。 サービスエリアに用意された公園施設などがある、とあるハイウェイオアシス。 京都入りを目前にして、最後の休憩としてこのサービスエリアに立ち寄っていた。 超包子の車両内は決して狭くはない。 それでも一部屋に長時間押し込められ、プライベートも何もなければ気心が知れた仲とはいえ疲れるものだ。 教師なんて、言わば生徒の天敵のような存在がそれも複数いれば尚更。 この旅行でむつきは元より、神多羅木や刀子も随分と懐かれてはいたがそれはそれ。 人の手で整えられた緑豊かな公園内の芝生で、思い思いに生徒達は体の力を抜いていた。 伸びをしたり深呼吸をしたり、真夏の日差しは少し強いが密閉された部屋よりも空気が美味しいとばかりに。 普段ならここで、いっちょ童心に返って鬼ごっこでもと言い出しそうなものだが。 皆から少し離れた場所で、向かい立ち会う二人の雰囲気に誰もそう言い出さなかった。「なになに、くーふぇと超さん喧嘩でもしたの?」「明日菜、なんで知らへんのや? 昨日から皆、その話でもちきりやったのに」「だって、旅行も半分過ぎて残りのお小遣いの残金とか、バイトスケジュールとか」 近衛に正面から問い返され、神楽坂は恥ずかしそうにしどろもどろ。 直ぐに近衛も失言に気付いてごめんごめんと謝っていた。「何かを賭けての決闘らしいけど、絶対男だって男!」「ふーん、で真相は?」 早乙女がいかにもそれらしく騒ぐも、鼻から嘘くさっと神楽坂に切り捨てられていた。 ちょっとなんでよと食い下がるも、近衛がにっこり笑ってチラッチラとトンカチを見せる。 そこで意見は百八十度変わって、私も実は知らないんだよねっとの暴露であった。 さらばコミケ、さらば濃厚腐臭と東の空に向かって一人敬礼である。 何やってんだかと、宮崎と共にいた夕映が呆れ溜息をついていた。「ねえ、先生は何か知ってるの? 最近、超さんとかと仲良いじゃない」「いや、なーんも。良く解らんが、意見を違えたらしい。それで男、じゃねえや。女らしく、でもないけど。兎に角、そう。親友らしく拳でぶつかるらしい、結局男じゃねえか」「先生、結局何も知らないのね。なーんだ」「神楽坂、お前高畑先生のスケジュールやったじゃん。夏祭りにデートさせてあげたじゃん」 そういうと途端に先生大好きっと棒読みで抱きついてくれたが、嬉しくもなく。 いや、美砂に迫る巨乳がちょっと腕に触れ役得であったが。「先生、私も大好きぃ」「おい、俺の苗字狙いが何を言うか。てか、暑い。離れろ、お前ら」「あっ、何時の間にか先生争奪戦が。アキラ、急げ急げ!」「いいのかな。行っちゃえ」 神楽坂の意図せぬ行為に、真っ先に椎名が乗って次は明石に言われアキラが。 あれ、何時の間にもてもてとも思ったが今は夏場である。 ただでさえ日射が厳しいのに、まとわり疲れては日射病になってしまう。 と思ったところで、周囲にちゃんと水分取れよっと注意を促がした。 それから田中さんがビーチパラソルを幾つか持ってきたので、一緒に設営を始める。「全く、京都間近だというのに緊張感のない。昨日もむつき先生が巻き込まれかけたというではありませんか」「そうカッカするな。偶にこんなお祭り騒ぎでもなければ、働き疲れるぞ」「神多羅木さん、はいスイカどうぞ」 すまんなと極普通にスイカを丸ごと受け取り、神多羅木が指先でトンッと叩いた。 すると包丁でも入れられたように、切れ込みが走ってわれていく。 それを丁寧に一つずつむつみに渡し、むつみがお皿に並べて配り始める。 スイカには利尿作用もあるので、おトイレはあっちですと言いながら。「おい、龍宮。スイカ、食べるか?」「頂こうか。しかし、どういう風の吹き回しだ。お嬢様を置いて、私のところなどに」「いや、夏祭りの時な。刀子お姉ちゃんに、そのなんだ。と、友達は大切にしろと」「で、その友達とは誰だ?」 しゃりっとスイカを口にしながら普通に問い返され、えっと桜咲がスイカを取りこぼす。 おっとと言って龍宮がナイスキャッチし、冗談だと笑って返した。 だがそう簡単には許しては貰えなさそうで、スイカを加えながらそっぽを向かれてしまう。「訂正する、貴様などただの仕事仲間だ」「やれやれ、へそを曲げられたか。ユーモアのない奴だ。それじゃあ、ベッドの上でお嬢様を満足させられないぞ」「そ、そうなのか? いや、寧ろ私はこのちゃんに可愛がって貰う方で」「おい、刹那。今後、私の範囲三メートルに近寄るな。私はノーマルだ」 一部、小さな友情に大きなひびがはいったりもしつつ。 相対する小鈴と古の周りで、ちょろちょろしていた葉加瀬と絡繰が手をあげた。 彼女達が何をしていたのかというと、決闘による余波を防ぐ装置の設置である。 何しろここは麻帆良ではないのだ。 何かあった時に、いつものようにあのA組かで許して貰えるはずがない。 だから決闘前にむつきが、周りに迷惑をかけない事を絶対条件に出したのだ。 試しに神多羅木があの謎の指パッチンを披露してみせた。 何かが空気を裂く音が周囲に響き、瞬きの一瞬の後にバチバチっとスパークして消える。「大丈夫そうだな。おい、そう睨むな。エヴァンジェリン、ちょっとしたお茶目だ」「貴様、むつきの義兄でなければぶち殺していたところだ」「可愛い可愛い、怖い顔しないの。むっくんと私は従兄弟だから、厳密には神多羅木さんは義兄じゃないのよ。似たようなものだけど」「うっ、むつきに似た撫で感覚。しかも格段に上手い、もっと撫でろ」 むつみにも抱っこされ、もう最強種の尊厳も何処へやらの人は置いておいて。 一体なんの催しだと、観光帰りか行く道の人たちも集り始めた。 簡易バリア機能にうっかり近付くのは危険なので、絡繰や田中さんが注意勧告をしている。 試しに石を投げては弾かれ、バリアだバリアだと騒がしくもなったが。 あと、無闇やたらとバチバチ言って、ちょっと目に優しくないのが難点だ。「えー、モノを投げないでください。モノを投げないでください」 そこへマイク片手に普段の調子で現れたのは、朝倉であった。 何処へ行ってもでしゃばりというか、しきりたがりというか。 後期の委員長に推薦してみるのも、意外と面白いのかもしれない。「さあ、始まりました。因縁の対決。かつて彼女達は親友だった。だがそんな二人が道をたがえてしまったのは何時からか。昨日それもと一年前、さらには出会った時から!」 麻帆良のノリでマイクパフォーマンスをすると、それなりにパチパチと拍手が。 巨乳女子中学生の美少女という事もあって、時折写真も撮られたり。 そこは田中さんがショットガン片手に、ホールドアップで事なきを得た。 本当に得たのかは、永遠の謎にしておこう。「アイツって、いつも即興でああいう台詞考えてるのか? だとしたら、記者よりアナウンサーとかリポーターの方が向いてるんじゃねえ?」「あー、あるある。プロレスとか、K1の入場とか。何気に多芸よね」「明日菜も腕力系なら多芸やん。中身の入った缶、前潰せたやろ?」「なにそれ怖い」 どんな握力だと、ちょっと間をあけると試してあげようかと指をボキボキされた。 最近仲良くなって忘れていたが、暴力女の面目躍如。 こういう場合に使う言葉なのだろうか。「方や麻帆良最強の頭脳、ウルティマホラ優勝者。どちらが勝者となるか、一口五百円にて賭けをとり行っています。どうぞ、旅のちょっとした思い出に一口いかが?」「超りんに五百円です!」「先生、一緒に半分ずつ出して賭けよ!」「やかまし。おい、麻帆良祭以外でしかも学外で金儲けをするな。誰だ、首謀者は!」 鳴滝姉を筆頭にわらわらと、一般の方も五百円ぐらいならと長蛇の列だ。 一先ず、何かとかまってとやって来る椎名の頭をぺしんと叩く。 本当、ちょっと新田化してきたなと反省しつつ、それでもだ。 売り子をしている早乙女や釘宮にも漏れなく拳骨である。 ただし、既に一般の人にも何枚か売れてしまっている為、今さらなしはできそうにない。 仕方がないので今回だけだぞと、注意しながら五百円を早乙女に投げた。「なんだ、結局先生もやりたいんじゃん。どっち?」「ドロー。どっちも応援できんって意味で。おい、椎名。二百五十円くれ。半分ずつだろ。なんだかんだで、俺甘いよな」「だから先生好き。はい、二百五十円。一緒に見よ、一緒に」「桜子、あんたマジなの?」 椎名に腕を取られては引っ張られ、釘宮には信じられないと呟かれた。 そんなに駄目かとも思ったが、駄目なのだ。 教師と生徒なのだから、本当に今さらであったが。 もう一人の椎名の親友、美砂はというとジェスチャーで腰大丈夫と聞いてきた。 どちらの意味で心配しているのか。 昨日使いすぎてなのか、それとも椎名までもお嫁さんにして大丈夫なのかと。 どれだけむつきの腰が丈夫かは、今夜教えてやるとしてだ。 今は小鈴と古の親友対決となる決闘であった。「超、手加減しないアルよ。私が勝ったら、昨日の言葉を取り消して貰うアル」「良かろう。私が勝ったら、そうネ」 古が何を求めているかは、今さら考えるまでもない。 武の極みへと続く、恐らくは気を掴む為の方法や裏の世界の入り口について。 ならばと小鈴は、四方を覆う簡易バリアの向こうで椎名に抱きつかれながら芝生に座るむつきを見た。 相変わらず、無自覚にというか、殆ど取り得もないのに着々と生徒を誘惑している。 さすが自分が認めた男だとニンマリ笑い、まだまだこれからと振り返った。 別にむつきになびくよう誘導しているわけではないのでセーフと心で呟く。「古には、拳法よりも恋に生きてもらおうカ」「こ、恋アルか!?」 思いも寄らぬ対価に、割と珍しく古が顔を紅潮させあたふたと。 今朝方に未来の婿についてあれこれ、手鏡に向かってにっこりしたりしたせいだ。 妙にそういう色恋を意識している時で、タイミングが良すぎた。「別に拳法を捨てろとは言わないネ。恋、それこそが今、古が強くなる為に必要な要素ネ」「むぅ、超の言う事は相変わらず意味不明アル。けれど、決闘である以上何かを賭けるのは必須。了承したアル!」 お互い、決闘に賭するものを決め、後はぶつかるのみ。 真夏の日射に負けず呼吸を整え闘気を高め身構える。 同じ中国人拳法家だが、それぞれ流派が違う。 古は八極拳、超は北派小林拳なのだが二人共それ以外に色々とかじっていたり。 巨大な中国大陸に様々な民族が混ざり合うように、学んだ武術を混ざり合わせた構えを見せる。 ゆっくりと重心を下に、大地に近づけ腰を入れ、前後左右どちらにも飛び出せるように。 それが終われば、後に待つのは開始の合図のみ、そのはずであった。「呪文回路解放、封印解除。ラストテイル」 小鈴の唇が僅かに動き、小さな呟きをもらしていた。 それが聞こえたのは本人のみか、かろうじて古であろう。 一体何をと怪訝な顔をした事から、古には聞こえて、いや見えたのだろう。 夏の日差しに紛れ見え辛いがぼんやりと小鈴の体全体が淡い光に包まれるのが。「それじゃあ、賭け券も程良く売れたところで。超りん対古ちゃん、レディーゴ」 最後まで朝倉の言葉がマイク越しに伝えられる事は無かった。 爆発、まるで地中から地面が爆発するかの如く爆ぜた。 それをなしたのは、淡い光に体を包みこまれた小鈴である。 瞬く間に古の背後に回りこみ拳を握り締めていた。 あまりの速さに相対していた古はもちろん、外野席のむつき達でさえ一瞬見失った。 人の限界を軽く飛び越えたかのような動きのままに、小鈴が拳を振り下ろした。「くっ!」 気配か何かでソレを察した古が、間一髪首を捻ってその拳をかわした。 ボウッと空気が抉れる音が響き、髪数本が巻き込まれ吹き飛ばされていった。 それで古が弱気になるはずもなく、むしろそれが見たかったと笑みを深める。 直感的に感じたのは、自身が辿り着きたかった場所に、親友が既にいるという事だ。 連れて行けとばかりに反撃の拳を向けるが無造作に払われた。 相手の力を利用するとか、流れにそったとか中国拳法らしくない。 ただ力任せに、弾かれた拳はビリビリと痺れを訴える。「痛っ、考えるのは後アル!」 何事か呟いてから超の雰囲気が変わった。 体が淡い光に包まれているとかではなく、もっと別の所で。 そうは思ったが決闘の最中、拳が弾かれる勢いのままにしゃがみながら一回転。 踵から蟷螂のカマのように足を伸ばし刈り取るように超の足を狙う。 遠心力を加え、今の古から見て重心の高い超の足を払う、つもりだった。 ガツンっとビルの壁でも蹴ったかのような衝撃、小鈴は微動だにしていない。 そんな馬鹿なと、伸ばされた手を避けるように背後に飛んで点々と小さくジャンプして離れていく。「超?」 今まで幾度となく拳を交えた事はあったが、根本から何か違っていた。 そんな疑問を相手の名に込め、古は問いかけた。「古の功夫を十とすれば、私は精々七か八。いや、今は技を一切使っていないからおおまけで一というところカ」「私の九を補う、それが気アルか?」「厳密には違うが、似たような力ではあるネ。古が求める道にこの力は本当に必要カ?」「どういう事アル?」 必要もなにも、今の状態で小鈴が残りの七の力を出したら。 そう思ったら古は胸がドキドキわくわく、収まりそうになかった。 皆がこの力を手に入れたならば、弱いと一蹴した相手さえ手ごわくなる。 そして自身もその力を身につければより高みに、武術の極みへと近づく事が出来るだろう。「この力は所詮、今ある腕力を単純に二倍、三倍にと等倍に増やしただけのみネ」「あまり回りくどいと、理解できなくなるアル」 外野から止まってるぞと野次を受け、一先ず小鈴も魔力を抑え人並みに。 古も長年の付き合いから小鈴の心中を察して、演舞のような組み手を繰り広げた。 といっても元よりレベルの高い武術を得た二人の動きはカンフー映画さながら。 腕と腕が絡み、肘を突き出し、蹴りが合わさっては二度三度。 野次も直ぐに止まって、拍手に切り替わるのに時間は掛からなかった。 相手の手の動きを理解し、先んじて防ぎ返しの拳をと動きを読みあい拳を繰り出す。「古の求める強さって何カ?」「私の求める強さ」「単純に腕力が強い事や、腕っ節だけの問題ではないはずネ。私の親友の古は、そんなに浅い女の子じゃないネ。強さって、強い人とはどんな人カ?」「強い人とは、強き者に打ち勝つ者……アルか?」 自分で呟き、小首を傾げそうになる自分を古は感じた。 強き者に打ち勝つ者が強ければ、そのうち勝つべき強き者とはなんだ。 また別の強き者に打ち勝った者なのか。 ではまた別の別の、一番最初に打ち負けた強き者とは、矛盾してやしないか。 拳を用いない舌戦に古は頭から煙が出そうで、次の瞬間。 ハッと気付いた時には、小鈴の拳が顎下にありものの見事に打ち上げられる。 ぐらぐらと脳を揺さぶられ、小さな放物線を描いてとさりと芝生の上に背中から落ちた。「クリーンヒット、これは効いた。下手をすれば脳震盪か。しかし、この決闘明確なルールはなくもちろんテンカウントもありません。決着がつく時、それは心が折れた時!」 朝倉はノリノリでシャウトしているのだが。「何してんのか全然わかんねえ。映画だと丁寧にカメラワークが活躍してくれるんだが」「でも格好良いから良いジャン。先生、カンフー少女が好き?」「今気付いたけど。ねえ、桜子。どうやったら、そんな積極的になれるの。もの凄く満面の笑みで好きな先生の腕に抱きつけるの?」「よしよし、明日菜はゆっくりいこな? あわてんでも、時間はあるえ?」 目が追いつけねえとむつきが目頭を押さえ、椎名は何時の間にか胸を押し付けながらむつきの腕をかかえていた。 私の方が片思い歴長いんだけどと神楽坂が少し落ち込み、近衛に慰められている。 それはともかくとして、一般の方もこりゃすげえと感心しまくりであった。 女子中学生のたわいのない催しかと思いきや、本格的なカンフー合戦である。 映画よりも迫力があると、何処かに電話して興奮を伝えている人さえいた。「古、武の極みとは腕力ではないはずネ。日々、地道に功夫を重ね。数十年という時を重ねてようやく至れるかどうかという道、そうではないカ?」 ぐらぐらと揺れる脳で思考も難しそうだが、倒れる古に向かい小鈴が呟いた。 気や魔力は確かに力を得る為には近道と言えよう。 だが決してその先に武の極みがあるかと言えば、少なくとも小鈴は違うと思った。 気を覚えれば、地道に功夫を積むより気の錬度を高める方が早い。 相手の拳のさばき方を覚え反撃の手を覚えるより、気で強化して素早く殴る方が早い。 気を極めれば極める程、むしろ武術の極みから遠ざかるようにさえ。 だからこそ、古家は古に気の扱いを教えなかったのではないか。 幼い頃から古に武の英才教育を施す程の家が、裏の世界や気について知らないはずがない。 可愛い一人娘の婿に、何故簡単に強くなれる気を教えなかったのか。 何れ運命に導かれ出会うと分かっていたからか、単純に不要だと考えていたからか。「何より、明るい古には薄汚れた裏の世界は似合わないネ」 あれこれ理屈をつけはしたが、結局のところ小鈴の本音はそこだ。 裏と言われるだけあって、綺麗な部分を探すほうが難しいような汚れた世界である。 天真爛漫、武術馬鹿の古にはそんな世界に足を踏み入れて欲しくないのだ。 なんと身勝手な、友の道を遮るのが親友かと少し切なくなってむつきへと振り返る。 バリアの向こう側で椎名をはべらせながら必死に目をこらしていた。 魔力や気がバレないように、バリア機能でわざと視界を鈍らせているからだろう。 体もズキズキと呪いの文様で痛いし、抱きしめられたいと思った。「私が望むのは、ただ強者との戦いのみ」 空を見上げる瞳はやや虚ろで、うわ言のような言葉が古の口から零れ出た。 咄嗟に振り返った小鈴は、ズキリと痛んだ体を抱きしめながら後退する。 そんな小鈴を半開きの瞳で見送りつつ、ゆっくりと体を震わせながら古が立ち上がった。「立った、古選手。立っ……くーちゃん?」 ざわざわと、周囲のざわめきも当然で古の意識はまだ戻りきってはいなかった。 それでもしっかりと好敵手である小鈴を瞳におさめ、一歩踏み出した。「私が望むのは、ただ強者との戦いのみ」 そして繰り返されるうわ言。 何度も何度も、その度に古の瞳には自我の光が、意識が戻り始める。「少し、自惚れていたのかもしれないアル」 完全に意識を取り戻した古、何よりもまず満面の笑みを超へと向けた。 晴れやかにこの真夏の日差しを正面から受け止める向日葵の様に。 にぱっと笑い、一般人の男性の中に数人ぽっと特殊な感情が芽生えるぐらい。 なんという美少女と携帯電話で写真を撮ったそばから田中さんにホールドアップされたが。「麻帆良学園に来てからも、満足に戦えたのは極僅か。それでもいたアル。楓や真名、極僅かでも確かにいたアル。超、その力もう使わない方が良いアル。なんとなく」「ふむ、さすが武術のみならば私を凌ぐ天才ネ。これが何なのか本能的に察したカ」「んー、良くわかんないけど。気の廻りが滅茶苦茶アル。痛くないアルか?」「実は凄く痛いネ。あまり長時間続けると、親愛的との約束がまた伸びてしまうネ」 親愛的と聞いてぴくりと古が初耳だと耳をピンっと立てた。 親友にそんな人がいたとは初耳だが、今はまだ決闘の最中と一時興味をおいやる。「我が生涯での最初の好敵手。なんとなく、今なら人生最高の拳が繰り出せそうアル。最後の我が侭、聞いてくれるアルか?」「相手の我が侭を笑って聞き入れるのが親友というものネ。ならば、一瞬。一瞬だけ、私の全力を古にだけ見せてあげるヨ」 謝々と小さく呟き、今一度決闘当初の様に、一定の距離を取って互いに身構えた。 一度きり、それも拳のみと決めた。 ならば後は呼吸を整え、丹田で気を練り、渾身の一撃を繰り出すだけ。 特に古はこんな穏やかな気持ちでの決闘は初めてだと妙に心が澄んだ自分を感じていた。 何処までも空を飛んでいくような澄んだ真冬の湖のよう。 真冬の湖だが春風に包まれたような温かみ、夏の日差しとは違う穏やかな陽だまり。 彼女はまだ自分の体を包み込む淡い光には気付く事は無かった。(結局、私が古に教えたようなものカ) 運命に導かれるように気を纏った古が拳を作り、練り上げた気を握りこんだ。 爆縮され彼女の足元の芝生が凹み、足が深くねじ込まれた。 葉加瀬や絡繰が用意したバリア機能がなければ、周囲の一般客が爆風に吹き飛んだ事だろう。「凄い……小さな切欠で、これ程の気を練り上げるとは」「表の世界では最強の部類だからな。切欠一つで後は裏の世界を駆け上がるまでだ」「ううむ、拙者としては駆け上がる前に、慎重になって欲しいでござるが。共にひかげ荘にまいるでござるか」 古と同じく、武道四天王と呼ばれる三人が新たな好敵手を前にそれぞれ感想を漏らす。「なにやら言葉では伝えきれない迫力が。自身のボキャブラリーのなさを恨みます」 最後まで朝倉は奇妙なプロ根性で解説を行っていたが。 これ以上は、何を喋ろうと野暮と気付いてマイクを口元から降ろした。 後は一般の人と同じく観客に徹して、二人の決闘の行く末を見守る。 むつきもそれは同様であったが、我知らずしゃがみ込んでいた腰が浮き上がっていた。 何かあれば何時でも飛び出せるように、教師または恋人としての勘か。「ラストテイル、マイ・マジックスキル、マギステル。良く忘れないものネ。この言葉は」「行くアル、超」「忌々しい言葉だが、今だけは少し感謝するネ。親友を受け止める事が出来た事を」「アイヤァッ!」 踏み出す、小さな拳にありったけの気を練りこみ古がまず踏み込んだ。 柔らかい芝生は瞬く間に細切れに、地肌を表しそれでも受け止めれず割れて行く。 そのまま古が蹴り出し、砕け爆発した。 加速する小さな体は一瞬に待ち受ける超の懐へ向かう。 轟っと音が聞こえそうな程に拳を振り切ろうとするが、一歩遅れを取るとは言え超もまた武術において天才の類だ。 古の目測を誤らせるように、半歩何時の間にか引いていた。 超の鼻先を古の拳が通り過ぎ、がら空きのわき腹へと今度は超の拳が。 だが古も負けておらず自分の拳に振り回されるように、体を捻り回転させた。 超の拳が背中を抉るようにかするが、伝わったのは肌を波打つ風のみ。 右手に全神経を集中させた今、下手な小細工は拳を鈍らせるだけ。 あくまで決めては握り締めた右手の拳。 古が左足を大きく轢いて地面に伏せるように、そこから体を回転させつつ拳を急上昇。 対する超は、右手が生み出す轟音とは裏腹に軽やかに地を蹴る。 宙返りと見紛う動きで空から、古の打ち上げられる拳とぶつかり合った。 次の瞬間、膨大な魔力と気がぶつかり合い、あっさりとバリア機能を打ち破る爆発を生み出した。「小鈴!」 もれ出る爆風にあちこちで悲鳴が、スカートの子達から黄色い悲鳴があがった。 むつきは周囲の男とは違いわき目も振らず一直線に決闘場へ。 砕けたバリア機能の電気か何かがバチッと頬を焦がす事もあったが。 爆煙で視界は果てしなく悪かったが、愛の力かしっかりと捉えていた。 吹き飛ばされる小鈴を、こっちかと必死に足を駆けさせ腕を伸ばす。「届けぇっ!」 せめて古の方はまた別の誰かがと願いつつ飛んだ。 下が芝生でよかったと心の何処かでほっとしつつ、掴んだ、引いた、抱きとめた。 胸元に必死に抱きとめ肩から地面に落ちて一回転。 小鈴だけはと地面に触れさせないよう頑張ったつもりで、地面を激しくかかと落とし。 痛いと思う間もなく、むちゅっと唇同士がぶつかった。 けれど恋人同士、皆に見つからなければ今さらと思った所で気付いた。「あれ、小……どちら、様?」「出席番号十二番、古菲アル」 次の瞬間、顔を真っ赤にした古の拳がむつきを空へと打ち上げた。 -後書き-ども、えなりんです。今回、普通にラブコメっぽいおちでした。暴力系ヒロインの名は明日菜ではなく、見事古菲に落ち着きそうです。彼女、強い婿になら唇をと言ってましたが……順番逆になったらどうするんでしょうね。相手を鍛えるのか、ノーカンにするのか。このお話ではまだどちらも未定です。それでは次回は土曜日です。