第七十二話 竹林の奥でこそっとしてくるッス 特別修学旅行もついに折り返し地点を過ぎて六日目。 当たり前の事ではあるのだが、今日も超包子の車両の上は風が荒く吹き荒れていた。 髪の長いエヴァや刀子、龍宮などは酷く鬱陶しそうに自分の髪を押さえつけている。 だが例え髪を束ねていたとしても、結果は同じであったろう。 その結果が目の前に、長瀬や桜咲、古や小鈴と言った纏めた面々が鬱陶しそうにしていたからだ。 黒一点、神多羅木もサングラスが吹き飛ばされやしないかと何度も掛けなおしている。 ちなみに、何度集れと言っても現れず、逃げてばかりの春日は天井にエヴァの糸で貼り付けにされていた。 誰がやったのか猿ぐつわまで、完全に罰ゲームのノリであった。 それはともかくとして、刻一刻と迫る京都入りを前にのんびりしてはいられない。 いられないのだが、もう少し何とかならないかと非難を向けられたのは小鈴だ。「空間を広げるなんて芸当できるのだから、魔法関係者専用の部屋ぐらいできなかったのですか?」「教師には個室まで用意したネ。そう言う意味なら、ダブルの神多羅木先生の部屋があったはずネ。少々手狭だが、入れたはず」「むつみと楽しんだ部屋に生徒を入れられるか」 刀子に当然のように言われ、小鈴はそのまま神多羅木へと疑問を丸投げした。 返ってきた答えに、やっぱり楽しんだんだと、呆れや好奇の視線を向けられてもなんのその。 自分のタバコの煙を正面から浴びた神多羅木はしれっとしたものだ。「おい、猥談の為に集ったわけじゃないだろ。私はむつきを守る事以上の事はせんぞ」「京都でまた裏の何かと戦うアルか?」「ふむ、まずはそこのところから説明を求めるでござる。拙者や古ははんちくでござるよ」 そうだったっけと、今さらながら特に刀子と神多羅木が疑惑の視線を向けている。 正直なところ、下手な魔法生徒よりよっぽど強いのではんちくといわれるとその子達が泣きそうだ。「簡単に言うと、西と東は仲が悪い。西のお姫様である近衛が東にいる。という事だ」「龍宮、はしょり過ぎだ。お嬢様は、裏の事を何もご存じない。だが類稀なる資質を持った方でもあり、現関西呪術協会の長の一人娘であらせられる」「むむむ、確かにトンカチを手にした時のあの迫力、ただ者ではないと思っていたアル」 あれはまた別の何かなんだけどと誰もが思ったが、あえて指摘もしなかった。 現在の状況では全く関係ないし、もっと大変な事情があったからだ。「それで、誰。今日の宿泊先がお嬢様のご実家。関西呪術協会の本拠地にしたの」 本当に頭が痛いと、髪を押さえるのを止めてうな垂れたのは刀子であった。 そこに辿り着くまでに絶対に一悶着ある。 その上自身は、一度関西を飛び出した身でどの面下げて向かえというのか。 できる事なら今直ぐにでも麻帆良に返って、元旦那をボコボコにしたい。「乙姫だな。なんとか旅費を安くしようと、現地の人。つまり、近衛の父親。近衛詠春に電話して宿の話をしたらどうぞどうぞと言われたらしい」「先生は兎も角、長。このちゃんに会いたいが為に、一般人と同じ考え方で良いのですか」「大問題だな。関西と関東が何時まで経っても、関係が修復されないはずだ」 頭が痛そうに桜咲が呟き、龍宮もやれやれと呆れ顔であった。 長瀬や古は事情が良く解らないので小首をかしげているが、小鈴やエヴァも似たようなものだ。 特に関西呪術協会の長である詠春を良く知るエヴァは、なおさら。 情けない所は似た者同士かと、むつきに対するようにしっかりしろと詠春に念を送る。 誰も彼もがそうする中で、今思い出したように神多羅木がスーツの懐からあるものを取り出した。「ああ、その件で。言い辛くて今まで黙っていたんだが、学園長からこんなものを預かってきている。関東魔法協会の理事から、関西呪術協会の長への親書だ」 おいおい、止めてくれよと嫌な顔を神多羅木を含め、全員がしている。 その火のついたタバコでうっかり燃やせと、物言わず瞳で言っていた。 関西の長もそうだが、関東の理事も大概だと呆れてものが言えない。 いっそ何もかもを、それこそ親書を捨てるかと視線で会話しあった時であった。「あれ、なんか人数少なくねえか。古がいない、アイツまた!」 車中から聞こえたむつきの声に、ビクンッと必要以上に震え硬直した古であった。 一応あの決定的瞬間は誰にも見られなかったはずなのだが。 こうまであからさまに、頬をぽっぽと火照らせれば少し想像力があれば直ぐに解る。 数時間前の決闘時、バリア機能が破壊された爆煙の中で何かあったなと。「二班、集れ。二班点呼するぞ!」「まずい、私達もか。おい、一旦私達は中に戻るぞ」「春日さん、何を遊んでいるのですか。急ぎますよ」「誰がこんな、帰る。お家に帰る、ココネ。シスター、シャークティ!」 ここ数日、割とむつきから拳骨を貰っていた龍宮が慌てていた。 桜咲が持っていた太刀で春日を縛る糸を切断して、その首根っこを引っつかんだ。 いやあと春日の悲鳴を無視して、古と長瀬も急いで車両内に窓から戻っていく。 もちろん飛び込む前に反対側の窓を軽くたたいて車中の者の意識をそちらへそらしてから。 やっぱり特別な部屋がないと不便だなっと、むつきの点呼の声を聞きながら思った。「神多羅木先生、その親書を少し見せて貰っても? もちろん、中身は見ないネ」「別に中を見てしまっても構わんぞ」 つまりその程度の意味しかない親書だが、西の特に過激派はそうは思わないだろう。 むしろ良いの機会だと、奪いに、または襲いに来るか。 親書を受け取った小鈴は、裏と表を見て光にかざしたりと謎の行動をしていた。 エヴァが捨てろ、破り捨てろと奪いに来たのを片手で制止していると車中に戻った古が戻ってくる。「次、三班の点呼アル。エヴァンジェリン、戻るアル」「おい、気安く私を呼ぶな。それと、お前またむつきを殴っていないだろうな」 ここ数時間、むつきと相対する度に赤面しては殴り遠ざける古に尋ねる。「はっ、恥ずかしいアルよ」「おい……まあ、いい。私はもう戻らんぞ。むつきが無事なら、それで良いんだからな。私達に迷惑を掛けるな、それだけだ」 いいなと念を押し、特にエヴァは刀子にアレは私のだと言外に伝え車両内へ。「そう落ち込まない事ネ。星の廻りが悪かったと諦めるがヨロシ」「子供に何がわかるのよ。諦めたわよ、もう。心残りはあるけど」「それでも先生なら、きっと葛葉先生が幸せになれる相手を見つけてくれるネ。親書、確かに返したヨ」 小鈴から再び神多羅木の手に親書は渡り、その間に古達がこっそり戻ってくる。 悲しいかな、泣き喚く春日もしっかりと桜咲の手により連れ戻されていた。 しくしく悲しむも、これもお上にというか関東魔法協会に所属する身。 逃げられないものは、逃げられないのである。「何故、私は普通の両親の元に生まれなかったッスか。あっ、昔こう言ったら両親泣いたから二度と言わないつもりだったのに。二人共居ないからセーフ、セーフ」 悪い事を言っちゃったかと泣くのを止めた春日が素でそう呟いていた。 その瞬間、ばつが悪そうに桜咲も首根っこを掴むのを止めてぺこりと頭をさげる。 人には向き不向きがあるし、強制しても戦力にならないのだ。 むしろ周囲の戦力を見渡すと、ちょっと足手纏いで春日自身が危ない。 エヴァンジェリンは減ったが、改めて戻ってきた桜咲たちを含め円陣を組んだ時である。 神多羅木が懐に戻そうとした親書が、一羽のツバメにパッと口で咥え持って行かれた。「ど、泥棒ツバメアル!」「あれは、式神。まさか、京都目前に。忍が現れた事を考慮に入れるべきだった。はっ、このちゃん!」 古の叫びを前に一瞬親書に気を取られた桜咲だが、直ぐに近衛を心配し車両内へ。 龍宮は護衛の契約以外は貰っていないので、最初から動く気がない。 春日も敵は何処だと、車両の上をウロウロ、アーティファクトで妙に素早いので鬱陶しい。 そこでやっと、長瀬が追うかと神多羅木を見たが、手で制された。 奪われた当人は慌てもせず、タバコの灰をとんとん落としている。「慌てるな、挑発行為に過ぎん。それにスペアなら何通か貰ってきている」 親書のスペアってなんぞやと、少しだけ神多羅木に視線が集った。 その神多羅木は変わらずマイペースで、小鈴に当然のように尋ねた。「さっき渡した時に発信機か何かつけたんだろ?」「ありゃ、さすがにバレてるネ。皆、不用意に視線は向けないで欲しいネ。右手の緑の薬屋の看板があるビルの屋上。衛星が捉えたネ」 超が手元に浮かび上がる透明なスクリーンを立ち上げた為、皆で覗き込んだ。 もちろん、言われた通り右手のビルの屋上へは誰も視線を向けない。 スクリーンに映し出されたのは、衛星からの望遠画像であった。 人数は三人、上からなので顔までは見れないが年恰好、年齢ぐらい想像はできる。 女性が二人に、男性が一人。 と言ってもそれぞれ一人ずつは、子供にも見えなくもない。 年かさの方の女性は黒髪で、肩を出した着物をきてツバメを手に乗せている。 恐らくは彼女が式使いで、関西呪術協会の正式なメンバーなのだろう。 もう一人の少女は少しあせた金色の髪に白いドレスのような服を着ていた。 手に持ったのは良く見えないが棒のような、刀か何か。 そして最後の一人は、見る限り真っ黒、学生服か何かと思われる。「この肩出し着物姿どこかで。こっちの少女は小太刀が二本」「つんつん頭の子供がいるでござるな。ちと、想像していたものとは」「伊賀の忍とは違うアル。拍子抜けしたアル」「古、覚えておけ。この世界、姿形だけでは想像もつかない使い手はいる。エヴァンジェリンが、その筆頭なんだがな」 確かにと龍宮の言葉に、全員が満場一致で頷いていた。「ふむ、肩出し着物は天ヶ崎千草ネ。小太刀の少女は、神鳴流の月詠。性は捨てたカ? 最後の一人は犬上小太郎。関西呪術協会の下っ端ネ」 素顔もあまり見えない頭上からの映像だけで、特定が早すぎるだろうと皆が小鈴を見た。「もちろん、伊賀忍者の橘さん達からの情報ネ。さすが、忍。お金さえ払えば、相応の仕事はしてくれるヨ。ね、楓サン」「にんにん、拙者は真名と違い金を取って仕事をしたことはないでござる。まだまだ中学生、若いでござる」「楓、ここで決着をつけても良いんだぞ?」「おい、喧嘩するなら車両を降りてやれ。で、相手を特定してどうする? まさか、あの有名な軌道衛星砲でも叩き込むのか?」 奪われた親書は燃やされても構わないしと、むしろ神多羅木が促がしてくる。 さっきは小規模ながらそれが発射された瞬間を逃してしまった。 以前の明石教授ではないが、男の子として近未来的武器には憧れがある。 ちょっとわくわくしながらいると、小鈴がゆっくりと首を横に振っていた。 なにやら奇妙な、薄ら笑いを浮かべながら。「そんな悲惨な事はできないネ。けれど、裏の世界の住人と言えど資本主義に生きる人間。おや、結構溜め込んでるあるネ」 小鈴は楽しげに手元のスクリーンのエンターキーを押さない程度に指でカチカチ鳴らせる。 その行為に一体何の意味があるのか、言葉の端々から凄く怖ろしい想像が出来た。 当人は人生の危機にも関わらず、なにやら親書を読んで一人憤っている。 特に社会人であり、結婚を控えた神多羅木のマイペースを崩し、ぶるりと振るわせた。「あの、止めてあげてくれる。一応、私の顔見知りだし。路頭に迷われると夢に出そう」「これは最後の手段ネ。でも葛葉先生がそうまで言うなら保留ネ」 あくまで止めはせずに保留かと、一応の危機は去ったと刀子は息を付いた。 悪魔、麻帆良最強の悪魔がここにいると、その手腕を誰もが恐れたのは間違いなかった。「超、お前の恐ろしさは十二分に染みたが。仮に下っ端に対しそんな事をしても、意味はなくないか?」「ふふ、龍宮サン。組織の崩壊は別に中枢からでなくとも可能ネ?」 もちろん組織は関西呪術協会を指すが、崩壊はそれそのものでなく過激派だ。「元々所属していただけに、大丈夫かしら。別につぶれてもいいけど。あと、観光先は嵐山なんだけど、やっぱり襲撃ポイントってあそこよね?」「真昼間に襲うなら、あそこしかないだろうな」「何処アルか?」「竹林の道」 向こうがこちらのスケジュールを把握しているとは思えないが。 むつきが作成したスケジュールパターン等を考え、予想していてもおかしくはない。 とりあえず、襲撃された際の迎撃パターンを幾つか話し合っておいた。 基本迎えうつのは刀子と神多羅木、他は曲がりなりにも生徒なので一般生徒の護衛と。 ハイウェイオアシスでのちょっとした騒動、ハプニングもありはしたが。 ついに二年A組の一向は、京都へと足を踏み入れる事となった。 京都は有名な観光地である事に加え、近衛や桜咲の故郷でもある。 急ぎ足で通り過ぎたコレまでとは違い、一泊二日と少々時間を使う予定だ。 その一泊も、近衛の実家に許可を取ってクラス一同泊めて貰う予定でもあった。 個人宅でどれだけ広いのとも思ったが、刀子曰く学年丸ごとでも平気だそうだ。 学園長の孫である事から薄々気付いてはいたが、近衛も相当なお嬢様らしい。 桜咲というボディーガードがいる時点で、普通は気づきそうなものだが。 そんな事をつらつら考えていると、田中さんが運転する超包子の車両が停車した。 もう直ぐお盆も近く、かの有名な大文字焼きの季節で観光客が兎に角多い。 なので一旦車両を路肩に止めて、田中さんには観光が終わるまで流して貰うつもりなのだ。「よし、お前ら慌てずだけと急いで降りろ。いいか、降りても勝手に出歩くな。間違っても車道に飛び出すなよ」 はーいと何時も元気だけは良い返事が返り、先にストッパーの刀子と神多羅木を降ろす。 それから生徒達を一人一人見送るように降ろし、その途中で古と目が合った。 次の瞬間、メコリとむつきの顔面に拳が埋まり、ついでに壁に埋め込まれた。「これが因果応報、南無南無ッス」「ちょっとくーふぇ、何してんの。先生が死んだら、誰が高畑先生の情報くれるのよ!」「先生、大丈夫なん?」「このちゃん、うかつに動いたらあかん。うちの手をしっかり握っとき!」 春日に始まり、神楽坂と近衛はまだしも、桜咲。 お前ら少しは心配しろよと、ぐわんぐわんする頭を振って意識をしっかりさせる。 その間に顔を真っ赤にしてあわあわしていた古は、車両を一目散に降りていった。 思春期に思いがけないキスをしてしまったのだから動揺するのは分かるが、何故殴る。 アイツこの先、彼氏できるのかなとちょっと不安にさえなってきた。「先生、うかつに気軽に構えていると足元をすくわれるでござるよ?」「私はもはや何も言わないが。古なら、後ろから刺すでなく正面からぶち破るよ?」「お前ら、見てたろ」 見えたと正直に返され、お願いします秘密にしてくださいとお願いしておいた。 そんな事をお願いしなくても、古のあからさまな様子に公然の秘密も同然なのだが。「ラヴ臭、だねぇ。コミケを蹴っただけのことはっ」「うるせえ、さっさと降りろ。余計な私語した奴は梅干の刑だ」 にやにや鼻息の荒い早乙女を筆頭に、余計な事を言いそうな奴はけりだしてやった。 特に早乙女は安産型かこの野郎とばかりに、弾力のある尻を押し出すようにだ。 続いて私にもちゅうっと飛びついてきた椎名も纏めて。 生徒が全員降りた事を指差し確認してから、最後にむつきも。 今回田中が横付けしたのは阪急嵐山駅前のバス停であった。 生徒達に動くなよと注意しつつ田中と打ち合わせの為に二、三言葉を交わし見送る。「はい、貴方達。余計な私語はしない。今回は私が主に先導するわ。京都は故郷だし。ちょっと詳しいわよ」「うちも、ちょいと詳しいえ」「故郷だけど私はちょっと……刀子お姉ちゃん、偶には地で喋ったらどない?」「そんならちびっとやけね?」 そんな風に京都出身者が地元の訛りで会話し、それだけでおおっと皆が唸る。「神多羅木先生、方言を喋る女の子ってどうしてこう可愛いんでしょうね」「どうしてだろうな。きっとそれは、永遠の謎だ。浪漫だからな」 外でぐらいとタバコに火をつけた神多羅木と、ちょっとだけボーイズトークである。 もちろん、生徒がすぐ傍にいる為、軽めのであり、神多羅木はむつみに聞こえないようにだ。 その刀子の案内で、一向は車通りに気をつけながら移動である。 京都での修学旅行と言えば普通、清水寺から始まるものだが。 それは本来の修学旅行のお楽しみと、少し沸きにそれた観光なのだ。 といっても嵐山だって立派な観光地だし、見るべき場所、行きたい場所は沢山ある。 まずそれが、一行がます最初に向かっている渡月橋だ。 夏の暑い日差しに暖められた空気に時折流れる冷たい風、降り立ったバス停から直ぐそこ。 法輪寺を左手に、右へ少し道を折れれば見える。 大堰川に掛かる木造の大きな橋、と言っても橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが。 木造部分があるので、木造と言っても差し支えないか。 百五十五メートルにも及ぶ長さで、幅も十一メートルと大きい。 色々と規格外な麻帆良にもない巨大な、それも見かけ上は木造の橋に生徒達は皆口が空いていた。「うう、渡ってる最中に崩れそう。裕奈、裕奈先に行って!」「押す、押すにゃあ。って、あ。普通に車渡ってるジャン。おっさき」「こらこら、勝手に行動するとまた梅干されるよ」 恐る恐ると言った感じで橋の端でちょいちょい足をつけていた佐々木が、やっぱり無理と後ろにいた明石の後ろに回りぐいぐい押した。 当然、それぐらいで壊れるような脆いものではない。 見渡す限りと言った感じで他の観光客も渡っており、時々自動車だって通る。 全然平気じゃないかとばかりに明石が渡ろうとしたところを、朝倉がちょっと止めた。 車どおりはそれ程ではないので大丈夫だろうが、現在は団体行動中だ。 ちょっとは大人になったなと、感涙しそうにむつきが朝倉の頭を撫でた。 パイナップルの葉のような髪がちょっとチクチクしたが。「京都はやっぱ日本独特の雅を学ぼうな。はい、この橋の名前が解る人」「解る人って、書いてあるじゃん先生」 橋を渡る前にそうむつきがいつもの問題を出すと、美砂が苦笑いである。 何しろ橋の欄干に名前が刻み込んであるのだ。 そう思うのは当然かもしれないが、その名前にふりがななどあるはずもない。 少し経ってから美砂も、他に笑っていた子達も気付き始める。 渡月橋、これは一体どうやって読むのだろうかと。「渡る月の橋、わたづきばし……じゃあ、たぶんないよね?」「ムーンウォークブリッジ」「ハイカラ、作った人はハイカラ!」「お姉ちゃん、絶対違うよ。ザジちゃんの冗談だよ」 村上がとりあえず言ってみるがもちろん違い、ならばとザジが英語読みだ。 実際にマイケルジャクソンばりのムーンウォークを披露し、鳴滝姉がノリ良く叫ぶ。 もちろんそれも違うのだが、ちょっとムーンウォークが上手すぎた。 他の観光客、特にそれを見た外国人観光客がムーンウォークブリッジーと写真を取り捲る。 ザジではなく、橋を取っていたので今はここにいない田中さんの出番はない。 またしても間違った日本語知識がとも思ったが、訂正しにいくわけにもいかず。 せめてもと少しだけ声を大きくしてこの思い届けとばかりに、正解を披露である。「正解はとげつきょう。まあ、有名な観光地だし、知ってる奴も多かったな」 出身地である近衛や桜咲はもちろん、千雨やあやかといった常識人枠も。 あとは四葉や那波、こちらも常識人枠だが半分ぐらいは元々知っていたか。「神社・仏閣ではありませんが。元々は昔の亀山という天王が名づけ親のようなものです。橋の上空を移動していく月を眺めてくまなき月の渡るに似ると感想を述べたのが始まりだとか」「見た目は木造ですけど、橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製でしっかり作られてます。欄干が木造なのは、周囲の風景に溶け込ませる為です。なので映画やドラマなどで良く多用されてます」「この二人がいれば、古い街並みが残る観光地のガイドいらないね」 夕映と宮崎が補足をし、早乙女が正直な感想を述べていた。 確かにとその意見は同調しつつ、それじゃあ行こうかと橋を渡り始める。 道々、可愛いガイド二人が川の名前や、左手後方に見える嵐山を改めて紹介したり。 地名じゃなくて本当に山だったのかと数人驚いたのは、非常に残念だが。 大文字焼きを例にだすと、それなら知ってると返ってきたりも。 ちなみに大文字焼きはお盆後の十六日なので、残念ながら見る事はできない。 時間を掛けて橋を渡れば、次に目指すは竹林の道なのだが。 道中の食事処や甘味処、お土産屋に気を取られる生徒を先導するのに苦労しつつ。 特に縁結びの野宮神社前では、椎名を筆頭に何故か古にまで引きずりこまれそうに。 そんな苦労が報われたかは不明だが、ようやく目的の竹林の道にまで辿り着けた。「ここが」 あくまで修学の旅行なので、いつもの様にうんちくをはさもうとしたのだが。 とても珍しい事に、生徒達の大半が言葉を失っていた。 夏のキツイ日差しは竹林の間を通る間に柔らかく、竹の葉が擦れる音は穏やかな風鈴のように囁くように風に声を乗せる。 竹林という季節にでもなったかのように、夏はいずこかへと消えていく。 風を肌や耳で楽しむその表情は、姦しい普段とは異なり少しだけ大人っぽく。 ああ、やっぱり女の子なんだなと感受性の高さに微笑ましくもなったのだが。「なんだこれ、なにこれ詫び、寂びって奴か?」「おほほほ、一瞬我を忘れ。思わず大人の階段を登ってしまいましたわ」「なに言うてんの委員長。大人の階段もなにも、ねえ?」「うん、委員長はまだだよね」 本当に一瞬だけ、即座に普段の彼女達に戻り、長谷川達など分かる人には分かる猥談だ。「知ってた」 苦し紛れに、分かっていましたよと呟いたが余計悲しく。 亜子やアキラも、それを上るのは最終日でしょとあやかをこのこのっと肘でつついている。 当のあやかも頬をぽっと赤らめ、潤んだ期待の眼差し、流し目をむつきへ送っていた。 これが特別修学旅行でなければ、今直ぐ竹林の奥に連れ込み励むのだが そう思ったところで、俺も大概かとむつきはちょっと落ち込んだ。「ねえ、木乃香。今の私大人っぽかった、高畑先生にお似合いだった? 写真、写メとって送らないと」「決定的瞬間は逃してもうたな。せっちゃん撮ってたから」「このちゃん、なにしとるん。うちやなくて、このちゃんこそ!」「一番気合いれなきゃなんない人が、一番はしゃいでいる件について。帰りたい」 むつきの恋人以外、神楽坂も普段通り、近衛や桜咲もある意味で何時も通り。 大丈夫なのかと頭が痛そうな春日が元気がないのでちょっと後でお悩み相談か。 ただ余りにも普段通り過ぎて、しんみり詫び寂びを楽しみたい他の方に大迷惑だ。「ほら、静かにしろ。喋るなとは言わないがはしゃぐな。超迷惑だから。大人っぽい魅力的な女の子になりたい奴は静かに」 そう言うと、それはもう見事な程にぴたっと静まり返った。 鳴滝姉妹など、喋ってたまるかと両手で口を押さえていたりも。 ただ強く抑えすぎて呼吸ができず、ぷるぷる小動物のように震えていた。「昔から嵐山周辺、特に蘇我野は竹林が多くてな。平安時代の貴族が別荘や庵を持ったり。それはもう千年近く愛されてきた場所だ」 特別修学旅行らしく、歴史をおりまぜたうんちくを披露しつつ竹林を歩く。 むつきの言葉に耳を傾け、改めて竹林の美しさに心を奪われ。 注意されるまでもなく、皆静かに雰囲気に心を現れながら竹林を歩いていった。 てくてくと、それはもうてくれくと。 そこまで一生懸命歩いたわけではないのに、何故だろうか。 歩いても歩いても竹林は続くばかりで、中々終わりが見えてはこない。「あー、それでな。夜にはライトアップされる時期もあってデートコースには」 むつきも予め調べておいたお話のネタが付き始め、ちょっと脇道へそれたりしていた。 だが、いくらなんでもおかしい。 いくら時間の感覚を忘れるような場所とはいえ、時計を見ると十分ぐらい経っていた。 先に調べた限りでは、竹林の道は百メートル程だったはずだが。 歩いて十分となるとその五倍ぐらい歩いていてもおかしくはない。 生徒達に振り返って見ると、物珍しさが先行してまだ気付いた者は少なかった。 ただ近衛を始め、ある程度京都に馴染みのある者は訝しげにしていた。「あれ、迷ったか?」 一本道のはずが、むつきもぼけっと歩いて進入禁止地区にでも入ってしまったのか。 ふいにそう呟いてしまい、謝って周囲に聞かれてしまった。「えっ、先生迷ったの。しっかりしてよ、もう。けど一本道じゃなかった?」「うん、特に脇道はなかったと思うけど」「竹林に見惚れてたから自信はないけど、たぶん」 美砂に聞かれアキラ、亜子と伝わっていく。 それは彼女達が一班であり先頭を行く班だからであり、次に二班、三班と。 皆が皆、一本道だったよねと隣、前後で喋り始める。 本当に迷ったのかはまだ不明だが、周囲を見渡しても竹林以外には何もなく。 仮にここで観光協会に電話を掛けても、現在地が説明できるかどうか。「あれ、電話繋がらへん。お父様に、詳しい人に聞いて貰おうと思ったのに」「本当だわ。電波は経っているのに、繋がらないわ。夏美ちゃんは?」「んー、あ。私もだ」 ちょっと勇み足で近衛が携帯電話を片手に、繋がらないと呟いた。 那波や村上を始め、次々に繋がらないと皆が慌て出す。 善意からした事なのだろうが、少し勝手な行動は謹んで欲しかった。「おーい、静かにしろ。慌てるな。まだ陽は高いし、慌てる時間じゃない」「むつき先生、ひとまずここで休憩なさっていてください」「葛葉と俺で少し先を見てくる。何もなければ、引き返せば良い。そうだな、行きと帰りで二十分ぐらいか」 ざわめく生徒達を静めていると、刀子と神多羅木がそんな事を言い出した。 確かにここは一度誰かが本当に正しい道か確認しに行くべきだろう。 一本道だったはずなので最悪は、このまま竹林を戻ればいいはずだ。「すみません、俺がぼけっと先頭を歩いたばっかりに。お願いします」 むつきが非常に申し訳無さそうに頭をさげると、何故か苦みばしった顔をされた。 神多羅木は口ひげも濃く、サングラス姿なので分かりにくいが、刀子はそれはもうありありと。 怒らせちゃったかなとむつきは思ったが、実はその間逆。 むつきに意味なく謝らせたと怒っているのである。「それでは、確認しに参ります。刹那、お嬢様を」「はい、刀子お姉ちゃん」「むつみ、あまりふらふらするな。鳴滝姉妹、むつみの手を片方ずつ頼む」 鳴滝姉妹は珍しく頼りにされ、分かりましたと神多羅木に敬礼である。 なんだか物々しいなとも思ったが、むつきは一旦休憩と生徒を日陰に移動させたり、しゃがませたり。 後は気分が悪そうな子はいないかチェックしたりとできる事を。 むつきが忙しそうに生徒をチェックする中で、一部の生徒がこそこそと話し合う。「見られているでござるな。位置はまだ特定できぬが、竹林の何処かから」「私の眼でもまだ、わからんな。しかし、こちらを襲うつもりはないか?」「ふと思ったんだけど」 裏の世界を知る知らないに関わらず集められた二班の中で、珍しく春日から言い出した。「向こうって手先の忍者に裏切られて情報不足ッスよね。で、二人の魔法先生らしき人が離れた。ここまでは良いッスか?」「刀子さんは、ある意味西では有名だし。神多羅木さんも長年コンビを組んで有名だろう。だが、それがどうかしたか? 大事なのはお嬢様の身柄だ」 それこそが最重要だと桜咲が言ったが、春日は別の意味で顔を青くしていた。「その二人が離れる前にこそっと会話したのがむつき先生。しかも、生徒全員を魔法先生と確定の二人に任されて」「おい、馬鹿止めろ。下手をすれば、竹林の道が今日限り消えるぞ」「しかし、美空殿の言葉も無視できないでござるな。隠れながら気配が漏れ出る事から察するに未熟か、血気盛ん故か。一応、超殿やエヴァ殿にも」 注意をと長瀬が言おうとしたところで、ガサリと竹林の奥で何かが動く音が。 何者と長瀬達が一斉に身構えた瞬間であった。 いや長瀬達のみならず、この静かな竹林での突然の物音に殆どの者がそちらを見ていた。 だから全くの逆方向から黒い影がむつき目掛けて飛び出したのに気付いたのは極僅か。 黒い影が鋭利な爪らしきものを無防備なむつきへ伸ばした時だ。「はァッ!」 ゴンッと影に向かい拳をぶち当てた古が、殴り飛ばした影を追って竹林に飛び込んだ。 あれ今何かとむつきが振り返った時には、その姿は既にない。 まだ裏の世界を知って数時間の古だけに追わせては非常に危険だ。 だがむつきはキョロキョロとしている為、咄嗟に竹林に飛び込む隙がなかった。 近衛第一の桜咲でさえ、ちょっと慌てている。「先生!」 そんな時に真っ先に機転を利かせ手を上げたのは春日であった。「おう、どうした春日。今突風あったけど、目にゴミでも入ったか?」「漏れそうッス。二人が戻ってくるまで我慢できそうにないから、竹林の奥でこそっとしてくるッス。美少女中学生のアレだから、すくすく育つって事で!」「以下同文でござる」「遺憾ながらな。良い判断だ、春日」 こら待てと怒鳴るむつきを無視して三人もまた古が追って行った影を追った。 春日だけは非常に不本意そうに、やっちまったという顔をしながら。 -後書き-ども、えなりんです。むつき、無自覚だが死にかけるの巻。殴りかかったのはご存知あの犬っころです。古菲になんとか迎撃されましたが。さて、今回と次回はさり気に美空の活躍回です。流石に戦場では真名や楓の機転には及びませんが。日常の中なら彼女の方が機転が利くイメージです。日々悪戯とかしてて、その辺鍛えられてそうで。それでは次回は水曜です。エロ回はもう少し先です。