第七十九話 この旅で学んだ事を早速忘れんな 白衣を纏い斜め掛けに半袈裟を、手には金剛杖、頭には菅笠。 時代劇から飛び出してきたような格好をしているのは、貸衣装屋から出てきたむつきだ。 当初、深めに菅笠をかぶっていたので気付かれなかったのだが。 菅笠をくいっとあげると、整列して座っていた生徒達がおおっと歓声をあげる。 ここは徳島県鳴門市、霊山寺に程近い貸衣装屋であった。 なんの貸衣装かと言えば、それはこれから生徒達にむつきが説明する所だ。 現在時刻は午前九時、今日も太陽は燦々と散歩日和である。「よし、お前ら聞け。この格好がなんの格好か分かる人」「はーい、お遍路さんです。散歩部舐めるなです!」「お遍路さんって散歩です?」 見切りスタートと言うか、鳴滝姉が任せろバリバリっとばかりに手を上げて言った。 妹の方が散歩かなっと疑問視していたが、当たらずも遠からずだろう。「お遍路さん、言葉ぐらいは聞いたことがあるだろ。はい、綾瀬と宮崎は補足」「元はお坊さんが霊場を巡る修行の為に歩いた道筋の事ですね。最近歴史で習った空海さんもこの四国で巡礼をしたそうです。縁の地がそこかしこにあるです」「今昔物語の三十一巻にも、仏の道を行ける僧、三人伴なひて、四国の辺地と云は、伊豫讃岐阿波土佐の海辺の廻也。お坊さん三人で四国を回ったとあります。この辺地から、お遍路が来ているとも言われます」「はい、俺より詳しくてありがとう。と言うわけで、今日はお遍路体験だ!」 この時、えーっという声が少なからず上がったのは、むつきも気持ちは分かった。 今日をあわせこの三日間、近衛の実家で山登りと降り、昨日は京都タワー登頂、そしてお遍路。 体育が盛ん過ぎるだろうと思っても致し方がない。 なにしろむつきだってちょっとスケジュールミスったと思っているのだ。「先生、超包子の電車で行こう。最近のお遍路ではそういうのもありって聞いたことがあるッスよ。あいたた、足にひきつりが。登板ストップ」「プロ野球の投手みたいな事を言い出すな」「にゃあ、先生。私もまだ寝不足が、眠れない夜が」「お前昨日は凄く寝てたろ。一番体力有り余ってそうな、お前らが言うな。俺の方が筋肉痛酷いんだぞ」 近衛の実家は完全に予想外だが、体育の連続で実は誰よりも体が悲鳴をあげていた。 何しろ山登りでは春日を、京都タワーでは明石を背負って肉体を酷使している。「えっ、先生筋肉痛なの?」 そこでまさかとでも言いたげに聞いてきたのは、神楽坂であった。「えっ、なにいってんの。アレだけ動いたら、筋肉痛の奴は手をあげろ」 それこそまさかと聞いて見たが、隣や前後でこそこそと話し合い始める。 結果、誰一人として手を挙げなかった。 お淑やかな近衛やさよ、他に頭でっかちそうな葉加瀬までも。 一日飛んで明日になるよりマシだが、これやばいんじゃないのと変な汗が出てきた。「分かっているとは思うが、お遍路とは霊場への巡礼本来なら一日で出来るわけないので一ヵ月以上スケジュールを立ててするが、今回は体験。一番から十番まで歩きます!」「あそこに見える霊山寺から、十番は切畑寺ですね」「本屋、あんた本当に色んな事を知ってるね。思ったんだけど、バスガイドとかなれるんじゃないの?」「バ、バスガイド。む、無理です。知らない人と毎日会うなんて」 宮崎に指差された霊山寺を遠くから写真に収めていた朝倉がふいにそんな事を言い出した。 当人は顔を真っ赤にしてぶんぶん振っているのだが。 皆がじっと宮崎を見つめ、脳内でバスガイドの格好をさせて見た。 現在のようなあたふたがなければ、意外といけるのではなかろうか。「そういや、お前麻帆良祭の時も図書館島のガイドしてたよな。まずはその恥ずかしがりやを治すのが先だが、友達の貴重なご意見は覚えとけ」「は、はいでしゅ」「のどか、噛んでますよ。ところで、霊場巡りは個人的にも嬉しいのですが」「うむ、古い寺巡りなど。京都を出てまで出来るとは。褒めてやろう、むつき」 偉そうに腕を組んでうきうきしてるエヴァにデコピンしつつ夕映の言葉の続きを待つ。「お遍路を十番まで歩こうとしたら軽く三十キロはあるのですが」「さっ」 最初にそう言葉を詰まらせたのは一体誰だったか。 誰でも良かっただろう、結局は殆どの生徒が三十キロと驚きの声をあげたからだ。 そんな距離を歩く事は稀で、電車や車を使うのが普通である。 だが彼女達は暇を明かした夏休み中の女子中学生でもあった。 あれだけ動いても筋肉痛にならない肉体的ポテンシャル、要は元気。 有り余っているのなら丁度良いぐらいだ。「三十キロとか、馬鹿じゃねえの。マラソン選手だってへろへろになる距離だぞ!」「せ、せめてセグウェイを」「駄目に決まってるだろ。ひいひい言いながら歩け、若者よ」「先生どS過ぎ。私らヘロヘロにさせてまた背負う気じゃ。美空は兎も角、裕奈。あんた背負われてる間、胸押し付けたでしょ。先生、病み付きになってるよこれ」 早速体力ない組の千雨や葉加瀬が騒いだが、もちろん笑顔で却下であった。 釘宮がうんざりと言った様子で人をどS指定である。「先生、私背負っても胸あたんないから電車で……うぅ、ぐす」「まきちゃん、自爆して何してんの。木乃香、あんた大丈夫?」「図書館探検部は伊達やあらへんえ。せっちゃん、手繋いで歩こな?」「はい、このちゃん。神楽坂さんも繋がれますか?」 一人で勝手に傷ついた佐々木はさておき、何やら桜咲は新規の友人の開拓を始めた。 手を繋ぐなど、方法はちょっとアレだが近衛的には大賛成らしい。 昨日の相談から即座に動くとは、桜咲も近衛の為なら動きが早かった。「今日は一日ずっと歩きだ。夏だから日差しもきついし、ちゃんと菅笠とかつけること。あと気になる奴は日焼け止めもな。気分が悪くなったら言う事」 一先ずは着替えてこいと、むつきは生徒達を貸衣装屋に放り込んだ。 お遍路さんには文字通り体験コースなんてものもある。 しかしいくら体験コースだからといって、普段着で歩いては気分に浸れない。 その為、自然とお遍路さんの為の衣装を貸す場所が増えるのは自明の理であった。 その昔、本気で修行した人からは何事ぞと言われるかもしれないが、これも時代である。 刀子とむつみは、試着室まで生徒達を引率であり、残されたのは神多羅木とむつき、それから田中さんであった。 むつき以外の二人も、しっかりとお遍路さんの格好である。「何事もなく京都を離れ、この旅路も残す所三日だな。俺の独身貴族時代も」「Congrachuration, HAHHA」「そういや、姉ちゃん。勤め先の喫茶店どうするんだろ」「ああ、それなんだが。二号店を出すとかで麻帆良に開店するらしい」 へえっとこれから親戚になる身なので、気楽に喋り始める。 ただそこまで親しい間柄でもない為、やはり共通点となるむつみの話題が多い。 元から田中さんは、共通点もなにもないのだが。 喫茶ひなたか、それともひかげか。 そんなどうでも良い店名について花を咲かせている時であった。「Hey, HeyHeyHey. Freeze, Stop」 突然、田中さんがショットガンを片手にとある方向にホールドアップであった。 英語なので分かり辛いが、茶目っ気のある田中さんにしては切羽詰っていた。 他のお遍路開始中の方々も、外国人風の田中さんの突然の行動に何事と視線が集る。 そのホールドアップされた人と言えば、極々普通のお遍路さんの人だ。 菅笠に白衣とむつきと代わらないが、少しだけ雰囲気が違う。 恐らくは、むつきのような貸衣装の安いのではなく自前のだからだろうか。「そう興奮なさらずに、私は乙姫の知人です。まだ一ヶ月にはならんか、久しぶりと言うには短く。出会いを喜ぶには十分な長さだな、乙姫」 菅笠をくいっとあげて坊主頭の顔を晒したのは、観音であった。 刀子と関係を持つに至った、あの合コン以来だ。 大丈夫知り合いだからと田中さんのショットガンを下げさせ駆け寄る。「すげえ所で会ったな。そういや、お前坊さんだったな。お遍路さんで修行か?」「いえ、ここにはとあるお方からのご依頼で。乙姫の旅に同行する事になりました」「依頼とは、近衛詠春からか?」「そうやで」 突然、観音の声が若く甲高い者になったが、発生源はもちろん違う。 観音の後ろからつんつん頭の黒髪の少年、犬上がひょっこり悪戯っぽい顔を出した。「兄ちゃんすっげえ弱いから守っ痛ッ!」「これ小太郎、口を慎みなさい」 むつきを半眼で見ながら呟いた犬上を観音が金剛杖、というかもはやあれは錫杖だ。 金属らしいじゃらじゃら飾りのついた棒で頭を叩いた。 もの凄く痛そうな音がして、犬上は涙目て頭を抑えながらしゃがみ込んだ。「すまん、近衛の父親からって。さっぱりだ。ボディーガードなら間に合ってるぞ?」「いつもそうやで。科学の発展は僕らから仕事を奪うんやで!」「田中さん、少し黙ろうか。君が科学の発展の結晶だから。つい忘れがちだけど、君アンドロイドだから」 おおうっと関西弁なのに欧米人のように肩を竦められたが。「実は、この犬上を交換留学生として麻帆良に送るという案がありまして。突然知り合いのいない土地に送るのもと、今から知り合いを作らせておこうかと」「何故急にそんな話に、てか。もう既に小太郎君は、うちのクラスの人間と仲良しだぞ」「あっ、小太郎君!」「ほらな」 貸衣装屋からなにやら落ち込み胸を押さえながら出てきた村上が、指差しながら叫んでいた。 するとぞろぞろと、那波や長瀬と小太郎の面倒をよく見ていた面々が出てくる。 犬上も大人の会話より、そっちの方が気楽なのだろう。 ぴゅーっと走って言っては、早速長瀬と両手を合わせて力比べを始めていた。 長瀬と犬上だと、子供同士とはとても見えないが、すっかり仲良しであった。「犬上の保護者はお前さんか?」「いえ、天ヶ崎千草という名の女性です。ふふ……この方については、乙姫の方が詳しいですが」「え?」「彼女、すっかり乙姫にのぼせ上がってしまいまして。関西の人間も、もっと関東に出なあかんと。これまでの関東嫌いから一辺、何があったともちきりだそうで」 だからかと、あの近衛家での朝食時の巫女さんの態度の意味が理解できた。 もの凄く、もの凄く理解したくはなかったが。 全く持って自業自得なのだが、どうして俺はこうなんだとしゃがみ込んで頭を抱える。「で、真相は?」「小太郎については、そのまま。ですが、私の同行はまた別件。乙姫のお爺様は、それはもう顔の広いお方で。お宅のお孫さんにご迷惑をと謝罪に。私も孫同然に可愛がって頂いていますので、適任だと」 もちろん、むつき自身はそんな祖父の顔の広さなど知りませんがと観音は話を終えた。「あっれ、小太郎じゃないアルか。楓、次は私アル。また戦ろうアル」「おう、古の姉ちゃん。ちょい待っとれや。俺が楓の姉ちゃんをけちょんけちょんに」「拙者、先程から一歩も動いてはいないでござるよ。ほれほれ」「小太郎君、動けなくなったブルドーザーみたいになってるよ」 次々に生徒達が貸衣装屋から出てきて、表の人間が増えてきた為であった。 全員がお遍路用の衣装に着替えた後、観音の紹介がなされた。 むつきは学生時代の友人で本物のお坊さんと言ったが、本人はもっと気軽にこう言った。 近衛の父から紹介されたお遍路さん限定ガイドさんだと。 この菅笠や錫杖、袈裟にいたるまで全て自前ですとなんのだか、猛アピールだ。 そんな観音を急遽加え、お遍路体験スタートであった。 まずは霊山寺の本堂でお参りした後、他にも見るべきところはあるがカット。 あまり一箇所に時間を取られてもいけないし、あくまでこれは体験である。 全てを叩き込んでもこのA組では覚えられない子もいるし、興味を持ってからでも良い。 本堂から真っ直ぐに山門を潜って表へ出たのだが。 燦々と輝く夏の日差しの下で歩く事、数分も経たずに美砂が手を挙げた。「先生、というか。観音さんの方が良いのかな。お遍路って山の中とかを歩くんじゃないの? 普通の道路なんですけど」「お遍路の中にはそういう道もありますよ。ですが今の時代、山中ばかり田園ばかりというのは稀ですよ。中には車でお遍路を巡る方もおられます」「それってずるくないですか?」「賛否はありますが。大事なのは気持ちです。自らの足で踏破したからといって、何も学ばなければ意味がないのと同じ。手段はどうあれ、何かを学ぶ事が大事なのです」 美砂に続き、神楽坂も率直な意見を出したが観音はびくともしない。 悪意のない笑みを見せて、見事な返しであった。 唇を尖らせていた神楽坂はおろか、ぶーたれていた面々もおおっと唸る。「人生を悟られた感じが、教師のようですね」「少々、先生よりも先生らしく。人生と言う名の科目の先生でしょうか」「先生の授業、私好きだよ?」「なんの慰めだ。ちくしょう、俺が今の域に達するまで三年掛かったんだぞ。あっさりか、一瞬か」 悪気こそないのだろうが、さよもあやかも胸に痛すぎる感想であった。 アキラの慰めも、それのせいで余計心に刺さってくる。「先生、私も先生が好きだよ!」「麻帆良に帰るまでは、私もお父さんの代わりになれるぐらい好きだにゃあ」「はわわ、桜子に続いて裕奈まで。わ、私もアル!」「はいはい、列を乱すな車道に出るな。この旅で学んだ事を早速忘れんな、この野郎」 もはや表立って好意を示される事に慣れてきた感さえあった。 答えて欲しくば、ひかげ荘を見つけてみなと心の底では一線をひきつつ。 テキパキとまではいかないが、ちゃんと引率として整列させる。「なんや弱っちいのにあの兄ちゃん大人気やな。女はわからんで」「大丈夫、小太郎君。私もわかんないから。良い先生だとは思うけど、ちづ姉は?」「私も分からないけれど、あれだけ好かれるには何か理由があるんじゃないのかしら」 何かしらねっと、ちょっとだけ村上と那波が正しいガールズトークを始める。 同じように、というわけではないのだが。 お遍路の為に列を作る最後尾にて、班員行動をやや乱しつつとある事情を共有する生徒が集っていた。 ただし、その内の一人である桜咲は近衛のそばでガッチリガードであった。「ちょっと大丈夫なんッスか。足をばっさりやられた身からすれば、怖いんですけど」「正真正銘の大学時のお友達よ。合コンの時も、そう紹介されたわ。西の、神道系の近衛家とは別だけど。関西呪術協会に所属しているのは間違いないわ」「合コン、あれか。私も沖田に聞いた。大学時代、むつきに酷い事をした女を呪って仕返したとか。仮に敵としても、殴りたくないな。むつきに嫌われかねん」「乙姫と私は親友ですので。そうですね、止めた方が宜しいかと」 突然耳元でと良い距離で観音の声が聞こえ、全員がぎょっと振り返る。 そこに居たのは、観音を小さくデフォルメしたような姿の人形があった。 背丈は小さく二十センチもあれば良いほうか。 そのミニ観音がにこにこと怪しい笑みで笑いかけてきていた。「言葉では信じていただけないかもしれませんが、私は親東派です。何しろ、乙姫のお爺様にはそれはもう可愛がって頂いてまして」「まさか、乙姫先生のお爺様は裏の人間だとでも?」「いえ、存在こそ歳の甲で知っておられますが表の方です。ただ、お爺様の人脈が。聞けば驚かれるでしょうが、乙姫も知らぬ事なので。生徒にも関わることですし」「いらいらする言い回しをする奴だな」 龍宮の質問は否定しつつ、意味ありげな言葉使いにエヴァがイラッとしていた。「沖縄に行けば分かるでしょう。お爺様が帰っておられますから。乙姫もとある物件の継承の話を持ち出すでしょうし。後はプライバシーですので、あしからず」 そうやはり意味ありげな言葉を残してミニ観音はぽんっと小さな煙と共に消えた。「なんだか癪に障る奴だな」「とりあえず、大丈夫だとは思うわ。アレから、彼の事は調べたけど。本当に偶々大学の時に乙姫先生と知り合ったみたい。むしろ、あの口ぶりだとお爺様と会った方が先かもしれないわね」「表の人間ではあるが、なんだかんだであいつも数奇な人生歩いてるな」「その意見には同感だ」 最後に締めたのが神多羅木と龍宮だったのでちょっとハードボイルドチックだが。 前の方の列では普通にお遍路が進んでいた。 最初の方に宮崎が空海の名を出したとおり、観音がぺらぺらとガイド気分だ。 怪しい怪しいとは思っては居ても、エヴァも日本かぶれである。 私にも聞かせろと、その場の雰囲気をふりきりぴゅーっと前に走っていった。 残された魔法先生、生徒も何かあるまではとお遍路の為に黙々と歩く事にした。 数奇な人生を歩んでいると評されたむつきは、その人生を閉じようとしている。 そんなはずはないのだが、本人は正にそう思っていた。 夏の日差しにやられ、天井を見上げたままお絞りを顔にのせ、破裂しそうになる心臓を必死にクールダウン中だ。 食事処で出された讃岐うどんに手が伸びる事もない。 一応、お遍路のついでに名物の讃岐うどんのうんちくを垂れる予定だったのだが。「うどんの伝来は中国から空海が持ち込んだという説もあり」 餅は餅屋とばかりに、四葉に丸投げ状態であった。 皆も四葉の話が半分ぐらいしか頭に入らず、大丈夫かとチラチラむつきを見ている。「むっくん大丈夫? おかしいわね、私でも大丈夫だったのに」「大学時代より体力は落ちてるけど、水泳部で泳ぐうぇ……駄目だ」 喋る事も億劫で、申し訳ないが神多羅木からむつみをレンタル中である。 病弱気味なむつみに看病されるのなど、初めての事ではなかろうか。 そんな感慨を浮かべる余裕もなく、むつきは椅子の上でぐったりしていた。「先生、お昼は超包子の車両の中にいたら? 車道にでも倒れられたら怖いんだけど」「それもそうだな。むつみ、すまんが看病を頼む。引率は俺と刀子に任せて置け」「すみません、神多羅木先生。それに葛葉先生も」 美砂に本気で心配され、いつものように大丈夫だ、平気だと気楽にこたえられなかった。 この体力のなさはおかしいと思うが、どうにも無理は出来そうにない。 本気で申し訳ないが、神多羅木の申し出を受け入れる事にした。「だらしないな、兄ちゃん。弱っちい男は格好悪いで」「小太郎君、なんだか先生に容赦ないね」「やっぱ男は腕っ節やで」「小太郎の弁も確かな部分もありますが」 村上の言う通り、容赦のない犬上の台詞に生徒達も微妙な顔であった。 お嫁さん達はさすがに心配が先に立っているが、何しろ女の子でさえ平気な顔をしているのだ。 男、それも大の大人がこの体たらくでは、呆れられもする。 そこでこれではあまりに哀れと、動いたのはむつきの親友の観音であった。 食事の讃岐うどんをさらさらっと平らげ、さっと席を立つ。 そして向かったのは、こういう場所に必ずと言って良い程あるお土産コーナーである。 アレがあれば幸いとばかりに、とある玩具を見つけあったあったと一時借用してきた。「乙姫、これを一つ見せておやりなさい」「んあ……また、懐かしい。一回だけだぞ、体力が」「ルービックキューブ?」 観音がむつきに放り投げたものを見て呟いたのは、夕映であった。 誰か他の客の子供が遊んだのか、全ての面は揃っておらずばらばらである。 むつみの手を借り、体を少し起こしたむつきは、ちらっと一瞥すると手を動かし始めた。 体力切れ中の為、あまり素早い動きではなかったがそれは平時での話。 ルービックキューブを手にしている状態ではあまりに早い。 一度も手が止まる事なく、一面、二面と次々に面が揃っていく。 おおっと唸ったのは誰であったか、初めて一分と立たずに六面全ての色が揃っていた。「はい、お終い。もう無理」「相変わらずのお手並みで」 映像テープを逆回しにするように、むつきが観音へとルービックキューブを返した。 ただし、間違い探しであるかの様に全ての面がバラバラだったそれは綺麗に揃えられている。「凄い、見せて見せて。どうやったの。朝倉、今の撮ってた?」「朝倉の姉さんに隙はございません。ほら、動画。てか、一時停止しないと見えないぐらい早いね。先生、そういえば単純作業は得意だっけ」「ルービックキューブは、単純作業というのかしら。あら、今気付いたけれど先生意外と手先が綺麗な。お手入れしてるのかしら」「ちづ姉、見所が違うよ。全然手が止まってない。ほら、小太郎君も見てみたら?」 観音の手際により、集落したむつきの評価も急上昇である。 明石の希望をしっかり叶えた朝倉のデジカメもあり、決定的瞬間はばっちりだ。 那波や村上も、小太郎を手招きつつその動画に見入っていた。「と言う風に、腕っ節のみならず。こういう一芸も男の魅力ではないでしょうか。ちなみに、私も乙姫程ではありませんが。この通り」 一度自分でぐしゃぐしゃにしたルービックキューブを、観音は分かりやすいようにゆっくりめで揃えていく。「別に全然凄かないわい。そんなん出来たってなんもならんやん」「でも、小太郎。それは腕っ節も代わらないのではないアルか?」 小太郎に一番賛同しそうな古の言葉に、それはもうざわっとした。「どうしたのくーへ、変なものでも食べたの?!」「まき絵、食べ物屋さんの中でそんな事を言ったらあかんよ。けど、どうしたん?」「凄く意外な言葉が出てきた」「そ、そうアルか?」 まき絵を嗜めた亜子やアキラに突っ込まれ、古が照れ照れと頭を掻いた。「別に先生は関係ないアルよ。腕っ節も要は使いようアル。観音さんも言ってたアル。腕っ節のみならずと。出来る事は多い方が良い、そして使い道は正しい方が良いアル」「くーへ、アンタなに言ってんの?」「つまりはネ。腕っ節が良くても、当然ながら弱い者虐めをする乱暴者は皆も御免ヨ?」「そやな、乱暴な人は好かんえ」 意味がわかんないと神楽坂が匙を投げたところで、超が翻訳を始めた。 その翻訳、まだ最初だがソレを聞いて近衛や那波が当然と頷いている。「いざとなったら守って貰える腕っ節は魅力の一つに過ぎないネ。先生の遊びへの造詣も魅力の一つ。魅力の数は多く、正しく振舞ってくれる男性が一番ネ」 その一人がっと、色眼鏡ありありで小鈴はチラッとむつきを見ていた。「確かに、正直強い人ってくーちゃんとか、楓ちゃんとかで見慣れてる感じ。色んな遊びを教えてくれる人の方が私は好みかな。分かりやすい話、一緒にカラオケ行って、全然歌わない人は論外」「あー、分かる。俺下手だからとか、遠慮されると漏り下がるもん。誰もアンタの歌を聞きに来たんじゃない。皆で歌いに来たんだって」「姉ちゃん達、何言うてんのや。全然、分からん」「その分からないという事が人生、経験不足ですよ小太郎。それは貴方の弱さです。物事を色々な角度から見るのです。麻帆良へ行ったら、色々と教わり楽しみなさい」 ほらっと観音からルービックキューブを渡された犬上は、少しぷすぷす頭から煙がたっていた。 ただ弱いと言われた事だけはしっかりと理解できていたようだ。 頭の煙を振り払い、犬歯をむき出しにしてルービックキューブをがちゃがちゃし始める。 ただやはり急にはむつきや観音のようにはいかず、がるると唸り始めた。 終いにはガブッと噛み付いてしまった。「はん、別にこんなん強さと関係ないやんか!」「小太郎君、それ売りもの。貸して、私もやってみたい」「夏美ちゃん、次私ね?」 村上の次に那波が名乗りをあげ、瞬く間に順番待ちであった。 讃岐うどんの残りを急いで食べて、待ちきれない者はお土産コーナーに。 観音がしたようにルービックキューブを取りに行ったのだ。 もちろん、全員に行き渡る程に数はないので、別の玩具を手にする者も。 けん玉やバネの玩具など、なつかしのグッズでわいわい遊び始める。 最初はけっと、そっぽを向いていた犬上もチラチラと視線を向け始めた。「うーん、一面なら揃えられるけど。駄目だ。はい、ちづ姉」「難しそうね。小太郎君、手伝ってくれない? 一緒にやりましょう」「ちづる姉ちゃんがそう言うんなら、手伝ってやるわ」 そして那波に誘われ、いかにも仕方ないとでも言いたげに犬上も遊びに加わった。 微笑ましく見守る観音の視線に気付く事なく、仏の手の平の上とも気付かず。 ちなみにこの日、お店のお土産コーナーから数多くの玩具が売れた。 しばらくの間、A組の中でルービックキューブがブームになる事になる。 -後書き-ども、えなりんです。京都を抜けたことで普通の旅行の続きに。30キロって長いですが、普通に歩けば半日あれば十分です。物凄く疲れますが。あと最後は地味に小太郎強化フラグ。ネギと会う頃には、これが俺の遊び心だとか753並のことを言うかも。微妙に伝わりにくいネタかもしれませんが。まあ、原作からして元々遊び心のある子でしたけどね。それでは次回は土曜日です。