第九話 きっと向いてると思う 休日は、愛しい人とのセックスの為にある。 そんな言葉をぼんやりと思い浮かべる程、美砂は浮かれ放題であった。 初夜の後は疲れて直ぐに、幸せのまどろみの中で寝てしまったが。 翌日、起きてまずした事は、近くてちょっと遠いコンビ二へ土日の食べ物を買いに言った事だ。 それからはもう朝食を食べてはセックス、終わったらお昼ご飯を食べてセックス。 終わったらイチャイチャを挟んで夕食、露天風呂でのセックス。 風呂上りに喉を潤しデザートを食べてまたセックス。 土曜日は本当に一日中であり、日曜日はさすがにむつきがギブアップをした。 美砂も大事なところが少しひりひりとしたので、一時休憩には賛成であった。 なので午前中は朝食も食べずに、布団の中でイチャイチャとお喋りを。 お昼ご飯後に、次は来週の土曜だからと、最後の一回をしっとりと時間を掛けて。 恐らくはこの土日で、一生分に近い好き、愛してるという言葉を使ったのではないか。 名残惜しいが夕方少し前にひかげ荘を出て、美砂は日が落ちる前に寮へと帰って来た。「たっだいま。柿崎美砂、帰ってまいりました!」 名目上、失恋旅行と言う事で寮を空けていた事も、はるか忘却の彼方である。 勢い良く部屋のドアが開けられ、ゲームをしていた釘宮と椎名はきょとんとしていた。 出て行った時と、帰って来た時の美砂のあまりの変わりように。 ちなみに二人は早めのお風呂を済ませたのか、既にパジャマ姿であった。「なんか、すっかりリフレッシュしちゃって。楽しかった?」「すっごく、超幸せ一杯」 若干引いている釘宮に対し、両手を頬に当ててにへっと美砂が笑う。 これでおかしいと思わないはずがない、どんな鈍い人間でも気付く。 木曜に続き金曜も彼氏と別れてブチ切れ状態、それがたった二日でどういう事か。 失恋の傷を癒すどころか、以前に増して元気になってしまっている。 普通に考えて、これしかないかなっと釘宮が尋ねてみた。「もしかして、復縁した?」「あ?」 誰があんな奴と、幸せ気分を壊され、再び美砂に修羅が舞い降りる。「めんどくさい、今の美砂が凄くめんどくさい」「んー、たぶん新しい男?」 実際、その新しい男は一週間前から存在するが、当たらずとも遠からず。 社会科資料室での一件といい、異常な程に鋭い勘を発揮する椎名であった。「なんだ、新しい男ね。桜子、続き。スタートボタ……ン?」「それじゃあ、再開」 一時、なら浮かれもするかと納得しかけた釘宮は、我が耳を疑った。「じゃない、待った。何、なんて言った?」「新しい彼氏」 釘宮の疑問に答えたのは、いやんと体をくねらせながらの美砂であった。 それがむつきである事はもちろん秘密だが、彼氏ができた事ぐらいは問題あるまい。 正直、この幸せ一杯の気持ちを隠しとおせるとは到底思えなかった事もある。「あっ、クギミーのクッパ落ちた」「待てって言ったでしょ。加速に時間が掛かるのに、じゃない!」 桜子は深く突っ込まず、スタートボタンを押してゲームを再開させていた。 おかげでレインボーロードを外れ、クッパが奈落へ落ちていく事に。 突っ込みに忙しいと、まだしっとりと濡れる髪をかき乱しながら釘宮は決断した。 色ボケと素ボケに対し一人では戦力不備だと、援軍を呼ぶ事をだ。 さっと玄関に走り寄っては開け放ち、あらん限りの力で叫びあげた。「美砂が男こさえて、帰って来た!」 夜の静寂に落ちていこうとする廊下へと、その声は何処までも響いていた。 廊下に反響し、山彦さえ聞こえたかのようだ。 そして真っ先に反応したのは、二つばかり離れた部屋の主であった。 ぎぃっと、静かに開いたドアからその人物は現れた。「私は生まれてからずっと腐の世界で生きてきた。だから腐った乙女とリア充な乙女との区別は臭いで分かる」 何やら怪しげな雰囲気をかもし出しつつ、帽子を目深に被りながら出てきた早乙女である。 つつつとこれまた怪しげな歩方を見せて、廊下から部屋内の美砂を指差した。「こいつはくせぇ、ラヴ臭がぷんぷんするぜ。こんなリア充には出会った事がねえ程に。失恋が変えた、違うね。コイツは生まれついてのリア充だァ!」「口上が長い上に、腐の世界とか激しくどうでも良いです」「ハルナ、邪魔。男ってどういう事、別れたばっかじゃん!」「どういう事なの。金曜に私千鶴姉に絞られ損じゃない?」 綾瀬の突っ込みはまだ良いほうで、春日には蹴り飛ばされ、村上には踏まれ。 続々と集ってくるクラスメイトの波の中にハルナの姿は消えていった。 皆に揉みくちゃに踏まれ、辛うじて這い出てきたところを綾瀬と宮崎に回収されていた。 それはともかく、多すぎる援軍の数に呼んだ釘宮も面食らっている。「誰々、失恋旅行中に出会ったの!? まっ、私もお父さんとデート楽しかったけど」「ゆーな、それはええて。それより、どんな人なん? やっぱ年上で、慰めてくれたとか?」「男はやっぱ強さアル。きっと凄く強い奴カ?」「おめでとうございます、美砂さん。これお祝いです」 明石や和泉、古に料理の試作品を差し出してきた四葉と、兎に角人が集ってくる。 さらにクラスメイトどころか、遠巻きには何事だと別のクラスの人も。 さすがにこれには美砂も、色ボケてはいられない。 ピンク色に染まった頭に活を入れて、急いで喋って良い事と悪い事を整理していた。 大抵、こういう場合にしゃしゃり出る特定人物がいるのだ。 その人物が皆を仕切るまでが勝負だと、蕩けていた脳がしゃかりきと働いていく。「はいはい、皆落ち着いて。一辺に喋っちゃ、聞きたい事も聞けやしない。と言うわけで、私が仕切らせて貰うよ。聞きたい事がある人は、挙手」 やはり仕切ったのは、報道部であり麻帆良のパパラッチと呼ばれる朝倉であった。「はい」「んじゃ、大河内。大人しそうに見えて、こういう時に結構前に出るよね」「うん、気になるものは気になるから。何処でどう出会ったの?」 あまり深く突っ込まれるとまずいと、今さらながら美砂はかなり焦っていた。「えっと、旅先で元彼思い出してぽろぽろ泣いてたら声を掛けてくれて」 ファインプレイ、むつきとのあの出会いを少々の捏造と共に話す。 あんな奴を思い出して誰が泣くかと、自身に心の中で突っ込みながら。「す、凄いドラマやお話みたい。はい、あの……年上ですか?」「こらこら、宮崎。順番は守りなよ。まあ、いいか。年上? あとイケメン?」 おずおずと手を上げながら尋ねた宮崎の質問に、勝手に朝倉が質問を付け足す。「ちょっと、年上だけど……」 実際ちょっとどころではないが、美砂はもう一つの質問に対し考え込んだ。 正直なところ、イケメン度で言えば元彼の方が頭一つ、二つ分上である。 本当に正直、くやしいが。 だが男としての器が違う、年上だからかもしれないがそれでも。 きっとあっちの方だって元彼より大きい、元彼のは見た事ないが絶対にだ。 そう考えて直ぐにハッと我に返り、ピンクは後だと心中で自分を叱咤する。「世間一般的には、違うと思う。けど、私にとっては」 よくむつきが美砂に言ってくれるように、「世界一のイケメン、かな」 自分もまたそう思えた。「そうよね、柿崎。好きな人が、世界で一番イケメンよね!」「明日菜、ちょっとこっち来てようか」「ちょっと、なによ木乃香。良いじゃん、高畑先生、格好良いもん!」 美砂の手を力強く握り締めた神楽坂を、近衛が引き剥がしてはずるずるとどこかへ連れて行く。 きっと最後の台詞が一番主張したかったのだろう。 引きずられていく神楽坂を皆で生温かくみまもり、見送った。 それから改めて、悪戯っぽく笑った朝倉が、録音マイクを美砂へと向けた。「じゃあ、そろそろ核心いこうか。何処のどういう人、ぶっちゃけ誰?」「誰って……」「いいじゃん、いいじゃん。隠さなくても。そこまで言われたら、一目みたいってのが友達でしょ?」 明らかに美砂が戸惑った様子を見せても、ちょっとやそっとでは朝倉は引きそうにない。 他の皆も何処の誰だと、美砂を失恋から救い上げた現彼氏に期待を寄せている。 今度こそはっきりと、美砂は血の気が引いていくのを感じた。 何処のどういう人で誰なのかなんて言えるはずがない。 何しろ麻帆良女子中等部の教師で、最近生徒の人気が徐々に上昇中の乙姫むつきという名前だ。 もしもこの場で、二年A組の副担任だと言ってしまったら。 美砂は兎も角として、むつきの破滅であった。 何故うかれた、セックス三昧、甘々でとろけてたからだ。 だったらしかたないじゃん、いやしかしむつきの教師生命がとぐるぐる考える。「あっ、えっと」「誰、大人しく吐いちゃえば楽になれるよ。ほら、ほら」 朝倉が焦らす事ないじゃんとばかりに、さらに美砂に録音マイクを突きつける。 誰一人それを咎める者はおらず、もっとやれと瞳が言っていた。 先生助けてと、女子寮の中で美砂が無駄な願いを飛ばすも、もちろんむつきは現れない。 ぐるぐると色々と考え、最終的に美砂が取った行動はこれであった。「誰でも良いでしょ、他人の色恋よりも。彼氏作れ、この野郎!」 彼氏どころか、男友達さえ満足に居ないクラスメイト達への暴挙であった。 ぐはっと十数名が廊下に沈み、勢いがそがれたところを追い出しにかかる。「円、桜子も。手伝って!」「あんた、私達も結構なダメージなんだけど。騒動の種蒔いたの私だし、仕方ないか」「美砂、後で私達にだけ教えてね」「教えないって言ってるでしょ!」 三人で力を合わせて追い払うも、ちょっとやそっとじゃ負ったダメージは癒せない。 しばらくは亡者のように怨念を撒き散らす彼女達に、ドアを叩かれ続ける事となった。 翌日、月曜は学校の何処にも美砂の居場所はなかった。 昨夜の暴挙のおかげで、授業中以外は四六時中クラスメイトに追いかけられていたのだ。 極一部、余裕の笑みで苦笑するだけで味方でいてくれた者もいたが。 主に浅黒い肌の年齢詐称疑惑がある人とか、これまた何故か朝倉とか。 少々長めのお昼休みなど、逃げ続けるのにも限界があり、美砂は隠れる事とした。 学校の屋上、普段は鍵の掛かっているそこをこっそりむつきに開けて貰ったのだ。 もちろん下手な疑惑を呼ばないように、携帯で連絡をとりながらすれ違ってであるが。「お前なあ、職員室でも少し噂になってるぞ。主に女性の先生だけど、羨ましいとか羨望が多いのが哀れみを誘うが」「だってぇ……」 そして現在、社会科資料室にいるむつきと、携帯で喋っている。 というよりお叱りを受けていた。「まあ、ちょっとした罰だ。しばらくそこで、頭を冷やしとけ」「そっち、行って良い? 本番は駄目だけど、ちょっとぐらいエッチな事してもいいよ?」 むしろしてとお願いにも聞こえる疑問系の言葉であったが、返答は無情であった。「さっき、二、三度入れ替わりアイツらが来た。速攻見つかるぞ。それに、むしろこない方がックシ」「え、どうしたの。大丈夫、先生」「ああ、埃が……ほら、水曜に二ノ宮先生に整頓云々って言っちゃったろ。マジで少し整頓しないと。マスクでも持ってくりゃ良かった」「が、頑張って先生」 即座に意見を変えて、美砂は応援に留める事にした。「おう、やる気がみなぎって来た。お前はあまりフェンスぎわに近付くなよ、危ないからな。それと寒くないか?」「平気、先生と話してたらぽかぽかしてきた」「なら、良い。そのうち、アイツらも飽きるだろ。頑張れよ。好きだぞ、美砂」「うん、ありがとう。私も大好き、先生」 電話を切ると、繋がっていた事を実感するように胸元に携帯を抱え込んだ。 体が繋がっていなくても、心は繋がっている。 まだまだ肌寒い春風に吹かれながらも、比喩ではなく心からほっこり温かい。 ただやはり若さか、心の温かみを感じていると、体の温かみも欲しくなって来る。 むつきに触れられたい、キスされたい、ぶっちゃけセックスしたい。 美砂は屋上のドアの脇に座ると、抱えていた携帯を目の前に持ち上げた。 ポチポチとボタンを操作してネットに繋げ、いつも使っている通販サイトにつなげる。 大人っぽいセクシーな格好でむつきを誘いたかったのだが、とある事件が頭を過ぎった。「うっ……」 大事な部分に穴の空いた赤い下着の件であった。 結局あの後、むつきが凄い悦び可愛がってくれたので解約はしなかったのだ。 ただし、恥ずかしい事は恥ずかしかったので、直ぐにそのサイトを使う気にもなれず。 一旦ネットを落として、立ち上げなおし検索サイトを開いて指をぶらつかせる。 大人びた格好以外に、むつきを下半身的な意味で奮い立たせる方法はないものか。 深く考えるまでもなく思い至ったのは、良く使うチアコスであった。「コスプレ、か」 チアコス以外となるとナースやメイド、単純にそれぐらいしか思いつかない。 一体どんなものがあるのかと、検索サイトで適当に検索してみる。 すると出てきたのが、コスプレイヤー、ネットアイドルのランキングであった。 アニメか何かのキャラクターの格好をした子が全身図の写真にて縦に並んでいた。 写真の中で精一杯媚びを売っては、微笑みかけてきている。「私の方が可愛くない?」 いきなり一位を見るには、色々な意味で心の準備が出来ていない。 なので二十位ぐらいから順に上に上がっていく。 それを自信と見るべきか、自信のなさとみるべきか微妙な位置であった。 当初の目的から少し外れ、勝った、ほら私の方が可愛いと上り五位近辺まで上りきる。 そこで初めて、美砂の手が止まってしまった。「ぐぬぬ」 とあるネットアイドルの箇所で、食い入るように小さな携帯の画面を見つめた。 唸ること数秒、ついっと視線をそらして四位以上を見て行く。 すると、再び勝ち続け不思議と四連勝。 はてなと五位に戻ってみると、サイトの開設期間が他より短かった。 解説して三ヶ月未満と、他のランカーのは一年や二年は当たり前と、登頂しきるのにあと半年もいるまい。「同点、ドロー……わた、美砂ちゃんだって十分に可愛いし?」 若干、声を引きつらせながら何かに勝ち誇ろうとし失敗した。 美砂はあまりこういう事に詳しくないので、フォトショ修正なんて知らないのだ。 卑怯、なんか卑怯だしと意味のない批判をしたりして、それでも食い入るようにみる。 そして他のネットアイドルとの一番の違いに気付いた。「あっ、この子。衣装が綺麗なんだ。けばけばしく、妙にキラキラしてたり。安っぽい、もさもさ、がさがさ感がない。自分で作ったのかな?」 比較対象として正しいかは兎も角、あの赤い勝負下着の値段を思い出してげんなりする。 かといって、美砂に服を作ったりするような技術はなかった。 むしろあったとしても、服一枚に時間をかけるよりはむつきとイチャイチャしたい。 けれど可愛がって貰うためにも、可愛い格好を見せても上げたかった。「ネットアイドルちう、か。この子が友達だったら」 ずいぶんと物欲に負けた友達もあったものだが。 なんとなく、友達百人できるかなと歌いながら、ちうのサイトに接続する。 いいなあ、いいなあと可愛らしい衣装の数々を羨ましげに眺めていった。「くそ、うぜぇ。リア充を追っかけて何が楽しいんだ。虚しいだけだろ。運よく開いてるし、たまには静かに屋上でネットでも」「あっ、やば。ん?」「あん? げっ!」 突然真横にあった扉が開き、美砂は咄嗟に見つかったのかと逃げる為に立ち上がる。 だが入ってきたのは追いかけっこに混ざっていないはずの長谷川であった。 何時も通り、分厚いめがねで顔を隠すようにした根暗にも見える格好だ。 その長谷川も関わりたくないとばかりに、嫌そうな声を上げていた。 ただし、美砂はそんな長谷川の荒っぽい言葉使いは初めて聞いたのでついじっと見つめてしまった。 分厚い眼鏡で気付かなかったが、結構可愛い顔をしている。 若干目付きが厳しいが、切れ長と言いかえる事もでき、顔も小さく丸い。 しかし、つい最近どこかで見たような、負けてないがドローで終わったような。「な、なんだよ。私は別に追いかけっこに加わるつもりは」「ちう?」「な!?」 ぽつりと零した言葉に、長谷川が極端に過敏な反応を見せた為、ピンときた。「その反応、ねえそうだよね。ほら、これ!」「なんで屋上でそんなもん。違う、そんなネットアイドル知らねえ!」「なんで一発でネットアイドルって分かったのよ。ほら、そっくりそのまま」「この野郎、人がどれだけフォトショで修正したと思ってやがる!」 屈折した劣等感を刺激でもされたのか、長谷川が否定を止めて指摘してくる。 一瞬の硬直、お互いにだが、やっぱりそうだと美砂が食いついた。「やっぱりちうだ、絶対逃がさない。こんなチャンス絶対、ない!」「リア充が何を。放せ、この。私はネットアイドルちうでも、リア充に引っ付かれる趣味もねえ。放せ、私は一人で静かに。そう、ネットをする時は救われてなきゃいけねえんだ!」「コスプレに興味があるの!」「な、なに?」 美砂の必死の言葉に、長谷川は思いもよらず食いついた。 リア充と思った相手の意外な趣味に、そして同好の士に出会えた事を喜んだ。 認めるか、それとも受け入れるか、長く悩んだ末に認めてしまう。 その事を悔やむのは、放課後に美砂を自室に招いてからの事であった。 放課後までクラスメイトを振り切り続けた美砂は、部活もサボって帰寮していた。 逃げ込んだ先は、屋上で掴まえたちうこと長谷川千雨であった。 失礼ながら、クラスの中に友達がいない長谷川の部屋は避難場所としても最適だったのだ。 それ以上に、目的は彼女が所有するコスプレ衣装である。 部屋の中は至ってシンプルで、必要最低限の家具とパソコンが何故か数台あるぐらい。 ネットアイドルというよりは、メカオタクな女の子の部屋といった感想を抱く。「長谷川、コスプレの衣装はどこ?」「自分の部屋に連れて来ておいても、マジ信じられねえ。柿崎がコスプレをね」「何度か経験はあるんだけど、お金がね。続きそうになくて」 お互いに少々認識にズレがありながらも、会話としては違和感はない。 確かに美砂はコスプレをした事もあるし、興味もある。 日本語として、長谷川が思っている事といささかのズレもないのだ。「自作も凝ってると変わらねえぞ。むしろ、高いぐらいだ。クローゼット、開けてみろ」「これこれ。凄い一杯!」 クローゼットの中には、色とりどりのコスプレ衣装が所狭しとかけられている。 感嘆の声を上げる美砂を見て、長谷川も何処となく自慢げに胸を張っていた。 全て手作りである衣装を褒められ、自尊心が疼いた事もあった。 だが本当に長谷川を悦ばせているのは、同好の士を得られた事だろう。 あまり人に言えない趣味を持つものが共通して持つ劣等感。 ソレに加え誰もがひっそりと周囲に隠れている為、仲間を得にくいのだ。「ねえ、長谷川。これ、このメイド服が可愛い。着てみても良い?」「私のお古だけど、気に入ったのならやるよ。一度来た衣装も、よっぽどの事がないと着ないし。メイド服はバージョンを色々そろえてあるから、問題ない」「え、本当。あっ、猫耳……猫、これも着けてみよ」 女同士、恥ずかしがる必要もなく、美砂は長谷川の目の前で制服を脱いでいった。 一番最初に長谷川が違和感を感じたのはそこである。 いや、厳密に何に違和感を感じたのかは不明だが、何かを感じ取っていた。 だが自分の衣装を誰かに着て貰うと言う貴重な体験の方が、大切だったのだ。 多少の違和感など投げ捨て、美砂が着終わるのをそわそわと待っていた。「あはっ、生地もすべすべ。思ったより、しっかり出来てる。市販品みたい」「おいおい、柿崎。コスプレ衣装に市販品みたいってのは、褒め言葉じゃないぞ。大量生産品と比べるな。言わば、私の作品はハンドメイドだ」 ふふんと鼻高々に言いながら、長谷川が鏡の前でスカートをはためかせる柿崎を眺めた。 濃紺のスカートと同じく、美砂の深い紫の長い髪が一緒にはためいている。 カーテンを閉め切った窓から漏れる僅かな茜色の陽の光を受けてきらきらと。 笑う表情も、こちらが恥ずかしくなるぐらいの満面の笑みであった。 純粋無垢な少女、なのに何故だろう何処となく。 妖艶とまではいかないのだが、時折見せる瞳を細め頬を火照らせた表情がエロイのだ。「気のせいか。それにしても、この野郎。フォトショがいらねえ、なんだこの逸材は。サイズの方はどうだ?」「ちょっと胸がキツイ気が、腰は空いてるけど」「まて、怒るな私」 自分で聞いておきながら、思わず長谷川が拳を握り締めていた。「長谷川、サイズいくつ? 見た目、変わらなさそうだけど」「胸が八十二で、腰は五十七」「あれ、胸は同じで腰は私の方が一センチ大きいはずだけど。胸ちょっと大きくなった? 腰も一回りシェイプアップされてない?」「聞かれてもな。何か心当たり、部活じゃねえの。チアリーディングだろ、確か」 最近は部活以上に心当たりがあるのは、むつきとのセックスしかない。 胸を揉まれたり、その他にも色々と女性ホルモンがばんばん出る行為ばかりだ。 良く良く思い出してみれば、ブラも少しきつくなってきていた気もする。 それを愛の力だと美砂は自己解釈を行い、大きくなった胸を服の上から持ち上げた。 それから猫耳を被ってポーズをとってみたり、昼に携帯で見たネットアイドルのごとく媚びを売ってみたりもする。 もちろん、不特定多数に安売りするネットアイドルと違い、買い手は予約済みであった。 ウィンクや投げキスをしてみたり、ちょっと際どい所までスカートを摘み上げてみたり。 一緒ににこにこしていた長谷川が、これはもう誘うしかないと美砂に言った。「柿崎、興味があるなら私のサイトに写真アップしてみないか。私ら二人なら、瞬く間にランキング一位になれるぞ。別途姉妹サイトを立ち上げてワンツーフィニッシュも」「えー、やだ」 思わぬ言葉にえっと、長谷川が固まる。 こいつは一体、何を言っているのだろうと、さらに混乱を招く美砂の台詞が飛び出した。「知らない人に見られるのは、何されるか分からないし」 ネット上に写真を公開する危険度は承知だが、そんな事でコスプレイヤーが務まるか。「ちょっと待て。じゃあ、なんの為にコスプレを?」「なにって、それは燃え上がるようなセックスする為。あっ」「セッ!?」 やばいと美砂が咄嗟に口元を抑えたがもう遅い。「ごめ、間違えた。エッチ、彼氏とエッチする為!」「どっちも同じ意味だ。そんなこったろうと思ったよ、このリア充が!」「ああ、もう。昨日から、私浮かれすぎ。長谷川、皆には言わないで。大丈夫、彼社会人だから常識もあって、毎回コンドーム付けてくれるし」 もう、口を開けば失言のオンパレードと、留まるところをしならい。「社会人って中学生相手に犯罪者じゃねえか。てかそんな事よりも、返せ。何が悲しくてリア充のギシアンの為に、大事な衣装をくれてやらなくちゃいけないんだ!」「だって貰ったもん。あんなに一杯あるんだから。長谷川だって、一杯あるから良いって言ったじゃない」 長谷川が返せとメイド服を引っ張り、美砂も貰ったものだと抵抗する。 事情が変わったんだよと、長谷川も諦めなかった。 何しろ美砂の目的は、男に欲情して貰う為にコスプレ衣装を欲していたのだ。 自分が一度は着た衣装で、他人がセックスをするなど考えられない。 しかも丹精込めて作った衣装を精液で汚されるのは、自身が汚されるも同然である。 良いから返せと、破らないように慎重にだが力強くひっぱり、ふいに美砂のうなじが目に映った。 点々と、何か虫にでも指されたような跡が複数ある。「さっきの違和感が分かった。お前、体に点々と赤い虫に刺されたみたいな。キスマークか、全身に。兎に角返せ、彼氏の事をばらすぞ!」 必死に抵抗していた美砂の態度は、長谷川のその言葉で激変した。 自らメイド服を脱いでは綺麗に畳んで、それから制服を慌てて身につける。 長谷川もこのチャンスを逃すまいと、メイド服をしっかり抱いて死守しはじめた。 お互いに距離を測りつつ、相手の出方を伺う。「長谷川、お願い。誰にも言わないで。何でもするから」「兎に角、落ち着け。泣きそうになるな、メイド服は返して貰ったし」 とりあえず、座れと床を指差し、長谷川は勉強机の椅子に腰掛けた。 正座し瞳をうるうるさせる美砂を前に、頭が痛そうに一つ溜息をつく。 それから、これまでの情報を整理しながら、まず一番大事な事を聞いた。「まず大前提だ。私は喋るつもりはない。弱みを握られたのはお互い様だ。柿崎は私のコスプレ趣味を、私は柿崎の彼氏をだ」「なんでコスプレ趣味が弱みなの。衣装が作れるなんて、立派な一芸じゃない」「コスプレ衣装が作れたとして、誰が喜んで着るよ。一部の特殊な」「子供なら、そうおかしくないでしょ?」 あくまで普通の一般人的思考での美砂の指摘に、長谷川の目が点となった。「大人がさ、アニメの衣装とか着てるのはやっぱり正直抵抗ある。けど、小さな子供とかが憧れのヒーローとか、ヒロインの格好をするのはありじゃない?」「まあ、誰もが通る道だわな」「でしょ、だから衣装を作れることは恥ずかしくない。ネットアイドルだって、技術力の広告みたいなもんでしょ?」 この時点で、長谷川は一生美砂と分かり合えないと思った。 ネット上でのみ輝けるアイドルと、何処までもリアルが充実した現実の恋に生きる女。 確かに長谷川は衣装を作る技術に誇りこそあれ、やはり中心はネットアイドルだ。 他のネットアイドルを押しのけ、ランキングの上位に食い込むあの感覚が好きなのだ。 同じくネット上でしか主張できない下らない男を操り、他のネットアイドルを蹴落とすのが。 競争相手がサイトを閉鎖し、先日までその子こそが命だと叫んでいた男がちうこそ最高とのたまうのが滑稽で大好きだ。 そんな長谷川と美砂では、根本的に視点が違ってしまっている。「長谷川なら、デザイナーとか服飾関係の仕事につけそうだけど」「考えた事もなかった」 美砂はちらりと空いたままのクローゼット、そこに納まる衣装を見ながら言った。 確かに一生ネットアイドルなど出来るはずもなく、何時かは長谷川も現実にぶつかる。 だがただ就職してOLとなり、社会の歯車になるよりは自分を生かせだろう。 そういう生き方もありかもなと長谷川は一部認めつつ、それでも今はと告げた。「リア充がどうなろうと知った事じゃないが。本当に大丈夫なんだろうな、そいつ。食い物にされてるだけじゃないのか?」「それだけは絶対に違う。今はまだ大っぴらに付き合えないけど。私が中学を出たら正式に付き合って、高校を出たら結婚しようって言ってくれた」 けっと心でやさぐれながら、長谷川は美砂の言葉を心の中で反芻した。 噂では先週末に元彼と別れ、土日の失恋旅行で出会ったらしいが。 どうにも妙だ、美砂が相手に置く信頼が大きすぎると思えた。 失恋中の心の隙間に忍び込まれたといわれればソレまでだが、違和感がある。 この土日で出会って付き合う事になったとして、何故もう結婚が口に出るのか。 それに中学を卒業したら正式に付き合うというのも、何だかおかしかった。 確かに社会人と中学生では世間に大っぴらにはできないが、黙っていれば問題ない。 幸いにも美砂は大人びた方であり、格好次第では十分に社会人ともつりあいがとれるだろう。 何故中学を卒業したら、などという条件染みた言葉が出てくる。 それは逆に美砂が中学を卒業しなければならないという事ではないのだろうか。 その条件に加え、美砂が多大な信頼を寄せてもおかしくはない人物とは。 体中に押印されたキスマーク、体に触れる、つい最近触れた男が一人だけいた。 だが、最近人気が少しずつ上がったとはいえ、多大な信頼という項目は満たさない。「まさかな、まさか。ありえん、あんな冴えない。はは、悪い冗談だ」「長谷川?」「乙姫先生とか、つりあわないにも」「な、なんで分かったの!?」 この時、深く重い溜息をついたのは長谷川であった。 隠せよと、もっと演技を磨いておけと勝手にかまをかけられ明かした美砂に。「普通だと思ったのに。この麻帆良でも数少ない、常識的な人間だと。淫行教師」「は、長谷川あの、秘密に」「するしかねえだろ。大問題だ、この野郎。明かす事になんのメリットもねえ。私の穏やかな生活がマスゴミの餌食になるのが目に見えてる」「だ、だったら……」 両手の指先をもじもじさせる美砂の口から飛び出してきた次の言葉に、長谷川は意識が飛びかけた。 いや、実際に飛んでしまえたら、どれだけ楽だっただろうか。 始まったのは美砂による、むつきへ最上級ののろけであった。 むつきのどんな所が格好良い、または可愛いか。 時にどんなふうに可愛がってくれ、どんなプレイをしたのか猥談も含め。 今まで誰にも自慢できなかった鬱憤を全て晴らすように、美砂が喋り捲る。「でさでさ、先生ったら最後にイク時は絶対好きだって言ってくれて。大事なところがキュンキュンして、幸せになるんだって。でね、先生キスも上手で」「おい、ちょっと待て。誰がそんなリア充のことなんか」「入れられながら、深いキスされると。本当にもう溶けちゃうの。とろっとろ。ああ、早く来週の土曜日来ないかな。先生と布団でとろけたい」「死ね、氏ねじゃなくて死ね」 最初は聞きたくない、聞きたくないと耳を塞ぎ徹底抗戦を選んでいた。 だが段々と聞かされるうちに、長谷川の目も虚ろとなり、ぶつぶつ呟きはじめる。「ねえ、長谷川聞いてる?」「あぅぁ……」「長谷川、やっぱりそのメイド服くれない?」「う、がぁ。やるから、やるから帰れ。二度と来るな!」 最後の力を振り絞り、そばにあったメイド服を美砂に投げつけ蹴り出すように追い出す。 力尽きるように扉を背に崩れ落ちると、その向こう側から声を掛けられた。 正直まだいたのかと怒鳴りたいが、そんな気力があるはずもなく。「これありがとう。それと、さっき言ったのは本当の事だから。きっと向いてると思う。服を作ること」「うっせ、帰れ。二度と来んな、リア充」「また来る、色々聞きたい事もあるし。だから、また明日ね」 去っていく美砂の足音を聞きながら、二つの事を長谷川は思った。 趣味のコスプレ作成から一歩踏み出した服飾について、それと美砂の最後の台詞。 その台詞を聞いたのは何時以来の事か。「また明日な」 クラスメイトとコレだけ喋ったのも久々だと、深々と溜息をついた。 -後書き-ども、えなりんです。先程(23:40)、ようやく仕事から帰ってこれました。水曜に間に合いませんでしたが、ご容赦を。今回、主人公はちょっとだけしか出ませんでした。美砂が主人公じゃねってぐらい大活躍wドジってむつきとの関係ばらすぐらいに。まあ、若さ故というか美砂はちょっと危機感ありません。一応隠さなきゃとは思ってますが、何処か甘い。そう言うのが解る、美砂視点のお話でした。ちなみに千雨が巻き込まれるのはデフォ、テンプレ、お約束。それでは次回の更新は土曜日です。それでは、えなりんでした。