第九十一話 あっ、流れ星 高く詰まれたような雲こそあれ、今日も晴天に恵まれ絶好の合宿日和である。 ひかげ荘の玄関前では、旅行用のボストンバッグを手にしているむつきの姿があった。 その両隣には、夏休み中にも関わらず制服姿で同じくボストンバッグを手にするアキラと亜子の姿も。 今日これから三日間、水泳部の強化合宿である。 強化合宿と言うよりは全国大会前の最後の追い込みという方が正しいだろうか。 合宿後に一日休みを挟んで次の日が全国大会の開催日だ。 現在時刻は午前の五時半、普段なら昨晩の情事の疲れもあって皆で一緒の布団の中のはずだが、家主兼旦那の出立を前に皆が勢ぞろいだ。 唯一の例外は、ネット碁を遅くまでしていえ、茶々丸に抱えられ船を漕いでいるエヴァぐらいか。「それじゃあ、行って来るから。全員が不在になる時は、ちゃんと鍵しろよ。火の元は四葉、頼むな。それから、変な奴が来たら……たぶん、田中さん達がなんとかしてくれるから、余計なあぶない事はするなよ?」「先生、小さな子じゃないんだから。それに、生水飲んじゃ駄目とかこっちの台詞」 色々と注意をしていると、美砂にそう指摘されくすくすと周りが笑い出す。 しかし、将来嫁にするとはいえ、世間的には大事なお嬢さんをあずかっている立場だ。 色々と喰い散らかしている手前、偉そうな事はいえないが。「先生が不在の間はお任せを。私も少々不在にする場合もございますが」「基本、私はいるからお任せネ。エヴァンジェリンもいるし、警備は万全ヨ」「おい、最後凄く不安な台詞が混じってたぞ」 アレが警備上で役に立つかと、相変わらず茶々丸の腕の中で船を漕いでいるエヴァを見た。 天使の寝顔かと思いきや、夢の中でも囲碁をしているのか勝ち誇ったようにへへっと涎交じりに笑っている。 警備というか、一部異常精癖者にとってはむしろ餌なのではと思う。 義兄ちゃんのお出かけだぞっと、頬をつついてもあむっと咥えられちゅうちゅう吸われただけであった。 赤ちゃんかと思いつつ、涎交じりの指先をズボンの尻で拭こうとしたら、亜子に止められハンカチで拭われた。「それじゃあ、行って来るから」「ちょっとちょっと、そんな味気ない別れ方はないんじゃないの?」 最後に戸締り気をつけろと、手を挙げ行こうとしたらデジカメ片手の和美に止められた。 味気なくない別れとはと思ったが、直ぐにわかった。 歩み寄ってきた美砂が背伸びしながら、唇を突き出してくればわかるに決まっている。 わざわざ、皆が早起きしてまで玄関前に勢ぞろいして、お見送りの理由がようやくわかった。 行ってらっしゃいのチュウがしたくて、全員ここにそろっていたというわけだ。 現在、立場を保留中の四葉や葉加瀬は、純粋にお見送りなのかもしれないが。「行ってらっしゃい、先生。アキラ、亜子も。あんまりセックス強請っちゃ駄目だからね」「水泳の強化だって。行ってきます、美砂」 人数が人数なのでちょっと手早く、触れるだけのキスである。 その瞬間を、逃さないとばかりに和美が綺麗に写真に収めてくれていた。「決定的瞬間を逃さない良い練習だね。さあ、じゃんじゃん行こうか」「それでは、僭越ながら。行ってらっしゃいです、先生」 小さな夕映は背伸び程度では届かないので、むつきが屈んでキスを受け止め易くしたり。 同行するアキラや亜子を除き、小鈴、千雨、あやか。 それから昨日、ついに入寮したさよや、新たにお嫁に加わった木乃香と刹那。 船を漕いでいるエヴァや、あやしている絡繰、四葉と葉加瀬は頬やおでこにキスだ。 嫌がられては居なかったので、問題なかろう。 可愛いお嫁さん達や、候補者に行ってきますのキスを終えてからむつきは集合場所である学校へと向かった。 両隣にアキラと亜子を従え、階段を降りるまでは腕を組みながら。 半修学旅行から帰宅しての翌々日、椎名は量の自室のちゃぶ台前で深く考え込んでいた。 とはいえその表情に深刻さはなく、眉を顰めたり頬を染めて照れ笑いしたりの百面相であった。 一体誰のことを考えているかは、一目瞭然である。 昨日はお盆に帰宅できなかった実家に、お土産一式を手渡しとんぼ返りしてきていた。 久しぶりなのだからもう少しと強請る両親に全てを打ち明けたら、それはもう良い笑顔で送り出してくれたものだ。 相手が教師、だからなにとばかり、そんなことより我が子の幸せの方が大事だとばかりに。 二人とも我が子の絶対幸運を心配し、運気が下がる髪型や鬼才が多い麻帆良学園に送り出したほどの親であるため反対などしない。 そうして両親からの了解はきっちり得たので、あとは最愛の人をガッチリ射とめるだけなのだが。「むう、夏休み明けまで待ってらんない」 そう、射とめる以前に現状椎名がむつきに会うためには、夏休みが明けるまで待つ必要がある。 水泳部の顧問なので遊びに行けば会えなくもないが、部外者がちょろちょろしていては減点行為だ。 しかも今日から水泳部の合宿で三日、そのまま大会に突入なので四日は帰ってこない。 その四日目のアキラの全国大会の応援で会えることは会えるが、その日の主役はあのアキラであった。 目下一番のライバルであろうアキラが主役の日に、ちょっと勝ち目はなさそうだ。 むつきが水泳部の顧問であることからも、そう間違ってはいないだろう。 それにしたって、むつきに好意を寄せるのはアキラだけではなかった。 椎名のみたところ、古もあやしいし、ファザコンのはずの明石だって油断はできない。 しかも沖縄の最終日、落とし穴に落ちたとはいえあの那波と互いに半裸で二人きりで数時間過ごしも。 けれど、なんだろうか椎名の勘にひっかかるものがあった。(もっと強敵が他にいる気がする。しかもたくさん。なんとなく……例の本命の彼女さんとか、アタナシアさん以外にも) 目に見えているライバルのみならず、強敵が他にも伏せているように思えてならなかった。「よし、決めた!」 なにかを思いたったその時、寮の自室の部屋が開けられ釘宮が何処からか返って来た。「ねえ、裕奈とかが……なにしてんの?」「桜子、カラオケ行こう。カラオケ、そこでアキラの全国大会の応援練習しよ」「水泳部の合宿にはついていけなかったから、こっちもこっちで合宿しよう!」 釘宮に続き、飛び込む様に部屋に入って来たのは裕奈や佐々木である。「むっ、ライバル登場?!」「お? ライバルってなにが?」 勝手にライバル認定され、腕のクロスガードを向けられた明石はきょとんとしている。「乙姫先生争奪戦のライバル候補のことだけど。裕奈も先生のこと好きでしょ?」「へっ?」「えーっ、裕奈。だって、アキラが。ど、どっちを応援すれば?!」 おろおろする佐々木に触発されたのか、ちょっと考えるそぶりを見せた明石は慌てて手を振った。「え? あれ……や、やだな桜子。藪蛇に」「藪から棒って言いたいの?」 ある意味で藪蛇であっていたのではと、釘宮は一人一歩引いた場所でそっと突っ込んでいた。「悪いけど、私パスするね。私これから先生の家を探しに行くから」「探しにって。桜子なら探し当てれそうだけど。先生なら水泳部の合宿で三日間留守でしょ? そのまま水泳部の全国大会に行くって」「だから、先生のいない間にお部屋のお掃除とか点数稼ぎ?」 「そ、それにさ。家に鍵かかってるんじゃないの?」 直前にされた椎名の突っ込みからテンパっている明石に代わり、珍しく佐々木がそう常識的な突っ込みをしたわけだが。 相手はあの絶対幸運の椎名である。 あっけらかんにそれが当然、運命であるとばかりにこう言ってのけた。「先生の家を探してる間に、鍵拾うから大丈夫!」「言い切った?!」「あるわけないって言い切れないのが、桜子だしね」「そういうわけで、ぁっ」 一人抜け駆けするように部屋を飛び出そうとした桜子が、ぴたりとその足を止めた。 突然どうしたと見つめる三対の視線の前で、何かを思い立ったように考え込んでいる。 しかしそれも一分にも満たない間であり、やはり彼女独特の感性で呟いた。「ボディーガードがいないと危ない」「ボディーガード?!」 一体それはどういうことかと佐々木が目を白黒させる。 しかし発言者が椎名であるだけにこれまた、釘宮も明石もそれを否定することができなかった。「ねえ、桜子。別に邪魔したいわけじゃないけど、止めておいたら? 日が悪いとか、そういうんじゃないの? 何時ものアンタなら、危険そのものを察知する前に回避してるよ?」「そうそう、ここは私たちと一緒にカラオケで声出しに行こう?」「じー」「だから違うって私は別に先生がどうこうとか、むしろチア部の桜子を応援しちゃったりなんかしちゃったり」 椎名にジト目で見られ、慌てて明石が否定する。 するのだが、返ってなんで私はこんなにあせっているのだろうと自問自答もしていた。「あっ、くーへ。楓ちんに龍宮さん。ちょうど良かった。ねえ、これから先生の家にいかない?」「せ、先生の家にアルか?!」「むっ、ひかげ荘の件が何処から洩れた?」「これ、連れて行っては非常にまずくはござらんか?」 何故か佐々木が割と乗り気な気分で、廊下をたまたま通りがかった三人に手を振った。 やばい見つかったとばかりに三人はこそこそ耳打ちしあっていたが。「ちょっとまき絵、確かにその三人がいれば大抵のことは大丈夫だけど!」「むむっ、くーへかぁ。ん? でもこの三人ならいけそう。むしろ誰かが欠けても危ない」「ああ、駄目だ。桜子が自ら危険に飛び込むだなんて」 慌てて明石が止めるも、もう遅い。 立ち位置的に三人が見えない位置にいた桜子にもその存在はしっかりと伝わっていた。 安心の桜子印のお墨付きまで。 釘宮もこれはもう止められないかと、半分諦め始めていた。 結局、むつきの家を見つけようツアーの参加者は以下となった。 絶対幸運の持ち主でありすべての行動のキーマンである恋する乙女の椎名がリーダーである。 女子寮の玄関前で元気いっぱいに両手を突き上げ、やる気は十分といったところだ。「よーし、数年ぶりに本気だしちゃうぞ!」 それから最強のボディーガードであるがちょっろ後ろ暗いところもある古に長瀬、龍宮の三人。「古に楓、ミッション追加だ。彼女らがひかげ荘に到達するのを阻止するぞ。ただ働き、くっ。胃に穴が開きそうだ。よし、料金は先生につけとこう」「何故じゃまするアル?」「古はエヴァ殿の推薦があるでござるよ。それに傷は浅いうちでないと、気の持ち主が暴走すると危ないでござる。拙者は、古い人間なので理解はあるでござる」 普通の女の子が真実を知って、そんな人だとはとパチンと平手ぐらいなら良いのだが。 古の場合だと、バチコンとむつきの胴体が千切れかねない理由もあった。 最後に興味本位の佐々木と自問自答中の明石、来てしまったことを絶賛公開中の釘宮だ。「桜子、あっち私の勘ではあっちって出てるよ!」「そうアキラのため。私はアキラのために桜子をけん制してるんだ。私が好きなのはお父さん。よし、そういうわけで、私はあっちに一票!」 若干、明石にやけくそ気味な空気が漂っている。「桜子、行く前に身の安全は保障してよね?」「うん、大丈夫!」「桜子大明神がそういうなら」「だって私の運、全開にするから!」 私にお任せとばかりに、釘宮へと振り返った椎名は、あろうことかその髪の毛のみで出来た三つ編みお団子を解き放った。 普段から終始まとめ上げている髪を振りほどけば、意外と背中までくるぐらいに長い。 夏の温い風にあおられ、さらさらとそよぎちょっとだけ桜子は鬱陶しそうだ。 お風呂場以外で髪をとくのはみたことないなと、呑気にしていられたのは釘宮以外。 桜子の髪型の意味を知っていた釘宮は大いに慌てた。 お風呂場で髪をほどく時は、運気が下がる他のアイテムで一時的にごまかしたりしていたのだ。 現在、黒のミニスカキャミソールを着ている桜子は、どう見てもそんなアイテムを持っていない。「ちょっ、ちょーっ!」「えっ、なになに。なにが起こるの?」 一人慌て奇声っぽい何かを釘宮があげて周囲を伺い、それに乗る様にまき絵がわくわくと。 実は仕事柄、桜子の事情を知らされていた龍宮が、古と長瀬に視線で警戒をと告げる。 しかし、意外と何も起こらないというかのどかにセミが煩いぐらい。「さあっ、行ってみよう!」 釘宮の心配もなんのその、元気よく拳を空へと突き上げて桜子が歩き出した。 特に当てもない様子ながら、何処へ向かって歩けば良いかわかっているかのように。 案ずるより産むがやすし、ちょっとだけ事情を知る者の頭にそんな言葉が流れていった。 桜子の後に佐々木と明石が続き、やれやれとばかりに釘宮達も続いた。 最初に何も起こらなかったので、心の内は幾分楽になり暑い暑いと愚痴りながら歩く。 すると直ぐに気づくことだが、歩き道は見慣れた通学路であった。 この区域は学生の寮やアパートが多く、学生のみの住宅街の様な場所である。 どうやら桜子の足は麻帆良女子中への登校時にも使用している駅へと向かっているらしい。 しかし、普段は朝方に歩く道のりであり、十時になろうかというこの時間は夏場もあいまって暑いにもほどがある。「暑っ、ねえ誰か飲み物もってない? 考えてみれば、朝起きてからあんまり水分とってない」「生憎、拙者らも手持ちはござらん」 はしたなくも舌を出して歩き出しそうな釘宮の言葉に楓を始め、誰もが首を横に振っていた。 唐突だったのは皆も一緒、ただし楓たちは数分でたどり着く予定だっただけだが。 そこで道端の自販機をふと目に停めた椎名が、なんとなく思いついたようにぽつりとつぶやいた。「先生、旅行中に一度倒れたし。ちゃんと水分とってるかな?」「水泳部でプールに入るから大丈夫じゃないかな?」「まき絵、プールの水を飲むわけじゃないってば」 明石の突っ込みにあははと三人が笑おうとした時である。「むっ」 なにかを見咎めたように長瀬がとある方向へと視線を向ける。 しかし全く違う場所、桜子が見つめていた自販機にこそ事件は起き始めた。 ぶすぶすと黒い煙を天井部分から吐き出し始める自販機、誰がどう見ても故障以外のなにものでもない。 咄嗟に古と龍宮が他の面々を庇うように前に出たが、次の瞬間目を丸くすることになった。 ガコンと黒い煙を吐き出していた自販機がジュースを吐き出したような音を立てた。 数秒後にまたガコンと、もう一度、それが続き終いにはパチンコ屋の一斉大放出とばかりにありったけのジュースを吐き出し始めたではないか。 瞬く間に取り出し口からジュースが二車線ギリギリの道路に溢れ、亀が卵を産卵するがごとくであった。 これで道の両端がコンクリートの塀でなければどこまで広がっていったことか。「ちょっ、桜子ジュース欲しがるの止めぇ!」「そうだよね、それぞれ一本貰ってちゃんとお金は払わないとね」「私、つぶつぶオレンジ」「んー、ならサイダー?」 一本だけだぞっとばかりに椎名が拾うと、釣られて佐々木と明石も一本拾った。「ちょっと、拾う前に集めて返さないと」 一人突っ込みが忙しい釘宮に言われ、そうだったと皆で道一杯に広がったジュースを集め始める。 しかし自販機にこんなに詰まっているんだと驚くような本数であった。 ちょっとめんどくさいと椎名が思っても仕方のない事だろう。 そう思った直後、一本の缶ジュースがころころと転がり始めた。 待てと椎名が慌てて手を伸ばしたが、誤って蹴飛ばしてしまい余計に転がって行ってしまう。「待つでござる!」「わっ」 そんな椎名の手を握り引き留めたのは、ずっと別の方角を見ていた長瀬であった。 直後、ジュースが転がっていった先の交差点に、横から小型トラックが猛スピードで飛び込んできた。 異常過ぎるスピードで飛び込んできたそれは、タイミング良くというべきか。 後輪で転がるジュールの缶を踏んづけた。 直進していたとはいえ、猛スピードで走る途中で予期せぬ段差が現れればどうなるかは自明の理である。 完全に制動を失い前後くるりと回転するように、交差点脇の電柱に車体後部をぶつけていた。 心臓が一瞬で収縮する程の大轟音を立てたにも関わらず、トラックはすぐに切り替えし行ってしまう。 鍵が壊れ開いた後部の扉に気づくことなく、そこから何かをぼとぼと落としたまま。 かなり重そうなジュラルミンケースであり、なんとなくその中身が察せられた。「ちょっ、け、警察!」「いや、警察は既に追跡中でござる」 楓がずっと気にしていたのはパトカーのサイレンであったらしい。 一台はそのままトラックを追いかけ、後続はジュラルミンケースを守る様にパトカーを止めだす。 それは良いが、このジュースまみれの状況をどう説明すべきか。「に、逃げろぉ!」 リーダーがそう言うなら仕方がない。 満場一致でその場からジュース一本を手に、警官の言葉を無視して駅へと向けて逃げ出した。 ジュース一本の為に駅まで全力疾走。 汗だくになってこれはむしろ桜子の運気が下がっているのではないのだろうか。 しかも駅についてやれやれと思いきや、たぶんあれとばかりに桜子がちょうど駅について電車を指さした。 慌てて言われるままに切符を買って階段を駆け上がって、発車ベルが鳴る最中に飛び込んだ。 釘宮といった一般人代表は膝に手をついて息を荒げ、あの長瀬たちでさえ額がうっすらと汗ばんでいた。「あー、走った。もう、無理。うぅ、サイダーを開けるのが怖い」「良かったつぶつぶオレンジで」「同じく中国ウーロン茶アル」「拙者は五右衛門緑茶でござる」「私はコーヒーブラック無糖ABCだ」「私もコーラなんだけど」 被害にあったのは、明石と釘宮である。 そしてエネルギー補給用炭酸飲料であるエドゲインを購入した椎名もそれは同じなのだが。 明石や釘宮のようにうんざりした顔ではなく、物凄く嬉しそうにニコニコしていた。 満面の笑みの彼女の手の中には、寮の鍵ではない見たことのない鍵が収まっている。 まさかねと、全員で顔を見合わせたのだが、聞かずにはいられない。「桜子、それ……」「へへ、先生の家の鍵ゲット。ついてる、ついてる。普通に歩いてたら間に合わなかった。足元に落ちてた。きっと先生がここで落としたんだ。きっと私の愛の力」「どう考えても、運でしょ」 代表で釘宮が聞いたが、足元と指さされたのはこの電車の車両内である。 しかも椎名の言葉を肯定するように、鍵には乙姫という名とひかげ荘なる印字があった。 ひかげ荘はともかくとして、乙姫なんて名前がそうごろごろしているとも思えない。 あのまま駅までの道をだらだら歩いていたら、きっとこの車両にかち合うことはなかったろう。 あの自販機からのジュース大放出や強盗らしき暴走車はこの布石にすぎなかったのだ。 もはや幸運云々ではなく、運命そのものを都合よく改変しているだろうと疑わざるを得ない。「うん、無理だな。ミッションは辞退だ。諦めよう」「で、ござるな。下手に邪魔をすると後が怖いでござる」「もしかしてA組最強は桜子アル? でも、負けないアル」 そしてついでとばかりに、ボディーガードたちの暗躍を粉みじんに砕くのであった。 行先も分からぬまま飛び乗った電車は、そのまま終点まで乗っていった。 もはや桜子の絶対幸運を疑ったり、異論を唱える者がいるはずもない。 降り立ったことのない駅で初めて降りたものの、そこはひかげ荘の最寄り駅にほかならない。 麻帆良市内にしてはちょっとさびれた感じで民家が点々としていた。 さあもうひと踏ん張りと、桜子が皆を引きつれるように駅構内から一歩を踏み出した時である。 思いも寄らない人物から、声をかけられた。「あら、貴方たち。奇遇ね」「刀子先生こそどうして?」 釘宮が驚き反射的に問い返したように、話しかけて来たのはスーツ姿の刀子であった。 彼女のプライベートは、夏祭りぐらいしかしらないがスーツ姿なのでプライベートではないだろう。「私はちょっとね。学園長からお嬢様を探してきて欲しいって頼まれたのよ」「木乃香を?」 そんなの携帯で呼び出せばよいとばかりに、椎名が疑問の声をあげた。「携帯が繋がらないらしいの。今日の夜はどうしても外せない用事があるのに。見かけたら教えてね。それで貴方たちは? 遊びに出かけるには、ちょっと向かない場所だけれど」「私たちはむぐぅ」 世間話の一環として気楽に答えようとしたまき絵の口を閉じさせたのは明石であった。 しかし、自分で何故止めたのかわかっていないようで、ちょっと混乱している。「私たちは麻帆良の隠れ甘味処めぐりでーす」「ほう?」 こちらは咄嗟に意図して嘘を吐いた椎名のセリフに、龍宮がちょっと過剰反応である。「良いわね、できれば一緒にいきたいところだけど。でも、どうして私一人で探さなきゃいけないのかしら。いつものSP使えば良いだけの話なのに」「刀子先生一人でアルか?」「そうなの、学園長直々に頼まれちゃって。お嬢様の護衛の中で、正直刹那の次に仲が良くなっちゃった自覚は少しはあるのだけれど。そのせいかしら?」「ふーむ、それは確かでござるが。ちと妙な感じがしないでも」 古は単純に一人という非効率的なところに目を向けただけだが、長瀬と龍宮が素早く目配せをしていた。 ひとまず刀子の相手を古以下、ちょっと思案顔の椎名や釘宮達に任せ小声でささやき合う。 特に龍宮はひかげ荘に他の面々よりは詳しく、木乃香がそろそろむつきに食べられそうだという情報も知っている。 そこで偶然とはいえ、ひかげ荘周辺で学園長に頼まれたと刀子を見かければ推理は容易い。「それとなく、刀子先生にひかげ荘を発見させて修羅場発生。刀子先生も情を通じた相手だけに、表ざたにだけはせずひかげ荘終了といったところが狙いか?」「その辺の機微は拙者にはいかんとも。ただ、学園長殿が一石を投じたがっているのはしかと」 正直なところ、むつきと刀子は既に関係が切れている。 さらにはひかげ荘にはエヴァがいるので口八丁でなんとでもなりそうでもあった。 総じてといっては失礼かもしれないが、近衛詠旬や刹那、刀子も含み神鳴流の剣士たちは戦場はともかく言葉による駆け引きに弱い。 ただ、たとえそうだとしてもわざわざ騒動の火種を連れて行っては、特に長瀬としてはエヴァの心証を悪くするだけなので避けたいところだ。「ああ、もう面倒くさい。見つかりませんでした、てへっ。で済まそうかしら。ねえ、私もその隠れ甘味処めぐりに参加して良いかしら? 少しなら奢るわよ?」 自分でもびっくりすぐらい不真面目な提案を、刀子はすんなりと言葉にしていた。「あっ、流れ星」 その言葉が終わるか終らないかのうちに、椎名が唐突に空を見上げてそんなことを言い出した。「桜子、流れ星ってこんな昼間に……本当だ。飛行機雲みたいな。ねえ、あれって当たらずとも遠からず。別の何かじゃない?」 つられて空を見上げた釘宮が同じものを空に見つけ、誰かに答えを求めるようにつぶやいた。 刀子も含め、そこで全員が空を見上げると何かが空を横切っている。 肉眼で視認できるぐらいの粒がそらを横切り、飛行機雲のような尾を引いていた。 確かに流れ星に見えなくもないが、ちょっと流れ星にしては時間が長かった。 空に筆でさっと色を塗る様に進んでいる。 何気なく全員でその流れ星を見ていたら、やがて視界の端に別の飛行物体が目に入った。「あれ、まずくないアルか?」 古の言う通り、流れ星の通るであろう空に一機の飛行機が通りがかろうとしていた。 飛行機をきっかけにしたわけではないが、ここにきてようやくあれがなにか分かった。「もしかして、あれ隕石なんじゃないの?」 半信半疑といった口調で刀子が呟いたが、満場一致でそうだろうと頷いた。 その隕石はどうしているか。 気づいているのか、いないのか悠長に空を飛んでいる一機の飛行機に今まさに突っ込もうとしていた。「と、刀子先生。警察、早く連絡しないと」「ちょっと待って、学園長の定時連絡がウザくて携帯切ってて」「ぶつ、ぶつか。ぁっ」 慌てふためいている間に、隕石が飛行機に直撃した。 音が全く届かないので現実味は薄いが、小さな赤い小爆発が起き、飛行機の翼が片方千切れ飛んだ。 そう、神鳴流は言葉の応酬こそ苦手であれ、現場であれば優秀の一言に尽きる。 携帯電話の電源をオンにしようと慌てふためいていた刀子はもういない。 だらけ不真面目アラサー女子から、一端の剣士へと表情から雰囲気の全てを変えた。「古菲さんは、この場で椎名さん達の護衛。長瀬さんは折れた翼の処理、龍宮さんは細かい破片を狙撃。本体への人命救助は私が!」 即断即決、有無を言わさぬ勢いでいうだけ言って駆け出した。 さすがに椎名たちがいる目の前でいきなり民家の屋根から屋根に飛び移るわけにはいかない。 一秒でもはやく彼女たちの視界から消え、全力を出せる状況にしなければと動く。 遅れて一秒未満、事情を察した長瀬と龍宮もまた彼女の指示が正しいと動き始める。「古、この場は任せたでござるよ」「救助代は学園長につけておこう」「任されたアル!」 あっという間に消えていった三人を見送り、残された一般人枠はぽかんの一言であった。 たった一人、良くも悪くも自分の絶対を信じている椎名以外は。「さあ、あっちは刀子先生に任せて。こっちは先生の家の捜索だぁ!」「おー!」「ここで帰ると負けた気がするから、おー!」「乙女的にここで一人帰るとかはないので、おーアル!」「この状況でまだ続けるの?!」 今更ながら、恋する乙女たちを前に自分なんていてもいなくても変わらない程度の抑止力だったと釘宮が気づき始めていた。 -後書き-ども、えなりんです。桜子の豪運の前には2-Aの武闘派もさじを投げるレベル。今回ちょっと中途半端な場所で話が終わりましたが。最後の飛行機はネタではなく、刀子イベントの複線です。本来、しかも後書きで指摘するこっちゃないですが。三話ほど、水泳部のお話してから戻ります。そこでちょいと、アンケートっぽいものを。九十二話から四話まで水泳部のお話で、小瀬、亜子、アキラのH回です。特に亜子、単独エロ回が多い気がします。最近この子ないんだけど、この子はよって意見あれば聞かせてください。ストックもほぼゼロですので、融通は利かせやすいです。できれば百話で第二部の夏休み編を終わらせたい。では次回は来週の土曜日です。