第九十四話 俺の物差しは何倍も大きいの 三日間ホテルのプールでみっちり練習を積み、休憩日を挟んで訪れた水泳部の全国大会。 午前中に行われた団体の部は、アキラの奮闘こそあれ入賞すらおぼつかず予選敗退であった。 麻帆良女子中が強豪校と言えど、それは昔の話で今回の全国大会も数年ぶりの出場。 アキラ一人が飛びぬけて速いが、他のメンバーは正直なところ全国レベルに一歩足りない。 初戦敗退とならなかっただけ、健闘した方であろう。 これで引退となる一部三年生は涙を飲んだが、お昼を挟めばその涙も既に止まっていた。 何故なら午後に行われる個人の部では、麻帆良女子中唯一の出場選手、希望の星のアキラが出るからだ。 せめて一矢報いて貰い、麻帆良女子中水泳部の名を全国に知らしめて欲しい。 そんな周りの期待に応える様に、アキラは予選を順当に勝ち抜いていた。「ア、キ、ラ! ア、キ、ラ!」「わー!」 麻帆良市から応援に駆け付けた二-Aの面々も、観戦席から周囲に負けじと大応援であった。 美砂や椎名、釘宮といったチア部は当然のようにチア姿でポンポンも装備である。 そんな彼女らの暖かい応援に、予選が終わり勝ち抜くたびにアキラは手を振って応えていた。 アキラと親しくする面々の中で優勝を疑わない者は殆どいなかった。 順当に勝ち登ったアキラが、決勝にまで勝ち登っても。 小瀬を除く誰一人として、アキラの優勝を疑うことはなかった。「先生」 二-Aの面々や、水泳部員たちが観戦席でお祭り騒ぎの中、小瀬がむつきのスーツの裾を引っ張ってきた。 二人、亜子をいれると三人だが、この三名は顧問、部長、マネージャとしてプールサイドにいる。 出場選手であるアキラのサポートの為であった。「おう、なんだ浮かない顔だな小瀬。団体戦では結果は残せなかったけど、アキラが決勝まで進んだんだぞ。張り切って応援しないとな」「小瀬先輩、アキラなら絶対優勝しちゃいますよ」 アキラの決勝戦を前に、興奮した様子のむつきと亜子は手を取り合い少しはしゃぎ気味だ。「先生、和泉ちゃんも……アキラはたぶん負けるよ」 決して大きな声ではなかったが、小瀬の言葉にむつきも亜子もはしゃげずぴたりととまってしまう。 確かにタイムで言えばアキラが絶対優勝とは言えないが、スポーツはなにが起きるか分からない。 優勝候補の一角だって、朝から泳ぎっぱなしで疲れてくるだろうし、スタミナも個々で違う。 なのになぜそこで小瀬は、アキラが勝てないと可愛い後輩が負けるようなことを言うのか。「小瀬先輩は、アキラが信じられない……ってわけじゃないですよね。先輩、天邪鬼ってわけじゃないですし。どうしてそう思うん?」「私もさ、全然気づいてなくて指導者失格なんだけど。ずばり、アキラは競りに弱い」 アキラは麻帆良女子中の中ではもちろん、県下でもぶっちぎりに速い水泳選手であった。 一人だけレベルが違うのだ、違い過ぎた。 自分と同等のレベルを持つ選手と泳ぐのは恐らくはこの全国大会が初めてだろう。 しかし本当の意味で強豪校からの出場選手は、自分と同じレベルの人間と泳ぎ競ることに慣れている。 全国から選りすぐった水泳選手を集めた決勝戦だけに、その経験の差は恐らく歴然となるだろう。 小瀬だってこの全国大会でアキラが泳ぐ姿を見てやっと気づいたぐらいであった。 対戦表に救われ決勝まで運良く勝ち上がれたが、それもここまでと小瀬は言うのだ。「あと一勝ですわ、アキラさん!」「四日も独り占めしたんだ。その成果を見せろよ!」「これで負けたら、都合四日は接触禁止ネ!」「それだけでは少々理不尽ですので、優勝した暁には独り占め一日追加です」 観戦席から飛び込み台へと向かうアキラへ、あやかを筆頭に応援の言葉が飛んでいた。 少々危ない応援は千雨に小鈴、夕映とむつき本人の許諾なしに言いたい放題だ。 ただし、夕映の独り占め一日追加は効いたらしく、珍しくふんすとアキラが鼻息荒くしている。「んで、アキラが負けるから優しく慰めろってか?」「違う。私が考えてるのは、もっと先の」 言われなくてもとむつきが言った台詞は、はやばやと小瀬に否定されてしまった。 その間にもアキラは他の選手と並び飛び込み台へと足を進めていた。 ビーっと電子音でのスタートの合図により、全選手が一斉に青いプールの水の中に飛び込んだ。 この話はまた後でと、むつきや亜子、小瀬もだが飛び込んだアキラを目で追った。 直前の小瀬の話でまさかと思ったが、飛び込んで潜水を終えた直後のアキラは一番手だ。「ねえねえ、アキラ一番。優勝、優勝」「そのまま行くにゃあ!」「いや、力み過ぎでござる!」「ぁっ、だめ。追いつかれちゃう!」 観客席で佐々木や明石が両手を叩いて喜ぶも、長瀬のまずいといった叫びがとんだ。 一番最初に悲鳴をあげたのは、鳴滝妹だろうか。 いや、誰が最初であったかはさだかではなく、長瀬の言葉の意味をアキラの姿で理解することができた。 明智光秀の三日天下ではないが、アキラの天下も瞬く間に並ばれ崩れ落ちそうになる。「長瀬さんの言う通り、いつものアキラのペースやない。飛ばし過ぎや」「私の想定より悪い、スタート直後に競ったら!」 隣のレーンではなかったが、並ばれたことが分かったのかアキラがますますペースを速める。 最後の最後で一番であればよいのに、終始一番でいようと余計に無理なペースで泳ぐ。 そしてレースが中盤に差し掛かったところで、無理のつけが一気に出た。 他の選手もそうだが、アキラもまた午前中の団体戦からずっと泳ぎっぱなしなのだ。 誰よりもはやく燃え尽きたように、目に見えてそのスピードが落ちていく。 天下を引き延ばすことすらできず一人、また一人と追い抜かれていってしまう。 その段階になって階上の応援席からも悲鳴やら叫び声、ため息にも似た諦めが零れ落ちて来た。 がんばれと心で願っても、それが口から出てくることはない。 アキラが必死に頑張っているのは分かっているのだが、それに結果がついてこないのが分かってしまう。「先生、さっきの話だけど」「お、おう」 それでもアキラの勇士を最後までと見つめていたむつきに、後ろから小瀬が話しかけてくる。「来年、アキラがリベンジするには絶対的に足りないものがあるの。アキラと同じぐらいの実力を持ってて、日々切磋琢磨できる身近なライバル。これがないと、来年は二の舞だよ」「ライバルかぁ……」 アキラは水泳部内に親友も仲間もいるが、競い合える相手がいない。 今日はちょっと千雨たちの提案で力んだ気もするが、そうでなくても普通は力むものだ。 それもまた、小瀬が言いたかった経験不足の一部ではあるのだろう。 今回の地方大会だって、アキラは寝不足の体調不良で楽々勝ち上がってきた。 地方なら多少のハンデで済むが、やはり全国大会、それも決勝となると甘くはない。 今ちょうど対岸にたどり着いたアキラは、八人中六位。 自分の記録に呆然としており、放っておけば沈んで行ってしまいそうな顔色だ。「ほら、先生行ってあげて。我に返ってすぐ、あの子泣き出すよ」「亜子も来い。たぶん俺だけじゃ、無理だ」「うん」 次々に選手がプールから出ていく中で、アキラはまだぼうっと佇んでいる。 その視線が向かう先は、決勝の順位が照らされる電光掲示板にあった。 六位、大河内アキラと光る盤上を見つめ続けているのだ。 プールサイドから回り込み、プールを覗き込む様にアキラの肩をちょいちょいとむつきが突いた。「先生? あれ、決勝戦は?」「終わった。八人中六位、全国六位だ。おめでとう、アキラ」 なんだかんだ言っても全国六位である。 思うようにいかなかった結果であっても、誰に恥じ入るものでもない。 そう思ったのだが、結果を改めてそれもむつきから聞かされたアキラの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。 顔についていたプールのしぶきと交じり、より大きな玉となってプールの中へと落ちていく。「ちが、う。私もっと速い、はやぐ。泳げたはじゅなのにぃ」「知ってるよ、大河内の速さは。和泉、ちょい手伝ってくれ」「アキラ、とりあえずほら。あがろう、な?」 ぽろぽろと泣き出したアキラの手をむつきが引き、プールサイドにまで連れていき二人で引き上げる。 アキラは完全に足に力が入っていないようで、崩れ落ちるままに泣き続けていた。 もっと速く、そうなりたいではなく、全く力を発揮できなかったと。 場所もはばからず悔し涙を流し、むつきにしがみつく様に泣きじゃくっている。「先生、悔しいよ。先生」「そうだな、けど。お前はまだ二年生だから、来年また来よう。来るだけじゃない、今度は一番を取ろう。大河内ならできるから」「アキラ、私も。皆も手伝うから、一緒にまた来よう」 二人で宥めても泣きじゃくるアキラは、駄々っ子のように首を横に振るばかり。 これでは次の表彰に差し支えがでるかと思えば、周囲の子達も同じようなものだった。 見事優勝を飾った子以外は、アキラのように涙をにじませたり、歯を食いしばっていたり。 栄冠を掴んだただ一人以外は、大なり小なり悔しがっている。「しゃあねえな」 その中でも一番悔し涙を流すアキラの泣きっぷりは優勝クラスか。 プールサイドに座り込んだままで体も拭けやしないと、むつきはアキラを抱きかかえた。 スーツが濡れてしまうが、アキラの体が冷える方が心配である。 周囲に通してくださいと亜子と一緒に頭をさげつつ、控え席のパイプ椅子に座らせた。 早速亜子と小瀬の二人がかりでアキラを拭かせ、それ以上涙を周囲に見せないようにする。「先生」 そんなおり、上の応援席から零れ落ちて来た心配そうな声は、あやかであった。 二-Aのみならず、水泳部の面々もアキラの悔しがりようを見て心配そうだ。 中でもたきつけた原因ともいえる千雨や小鈴、夕映辺りは気まずそうである。「出ちまった結果は変えられねえ。これで三年生は引退。一、二年生は秋の新人戦に向けてまた練習だ。とりあえず、荷物は纏めとけ。閉会式が終わったら麻帆良に帰るぞ」 主に水泳部員にそう伝え、すまなそうにしている三人にも気にするなと手を振っておいた。 アキラが敗退したのは、あくまでアキラの実力不足。 すまなく思う気持ちも分かるが、謝られたってアキラも困るだろうし、誰かのせいにして成長なんて望めない。 応援する方もされる方も、良い経験だったと次につなげるぐらいだ。「さあ、アキラも自分で涙拭けよ。六位なんだから入賞してんだ」 まだ自ら涙を拭こうとせず、タオルの奥に顔を隠しているアキラの耳元に口を寄せる。「アレが俺の彼女だって自慢したくなるような、何時もの可愛い顔で表彰式に出てくれよ」 混じりッ気なしの本心ではあるが、その囁き戦術に対しピクリとアキラの頭が動いた。 ゆっくりと持ち上げられた両手でタオルを掴み、きゅっきゅと顔を拭き始める。 そしてチラッとタオルの奥から瞳を覗かせ、直ぐそばにあったむつきを見上げて来た。「可愛い?」「ああ、可愛い自慢の彼女だ」「え、へへ……」 悔しさよりも、嬉しさの方が勝ったのかタオルの奥で照れながらアキラが復活しはじめる。「アキラもなんだかんだで、結構現金なところあるなあ」「健全な証拠じゃないの。やることやってるけど」「そこ、折角アキラが元気になったんだから突っ込んじゃいけません」 それで即座に、いつも突っ込む側のくせにと下ネタで返されたわけだが。 元気を取り戻したアキラは、閉会式にて全国六位として入賞した表彰状を受け取っていた。 顔にまだ少し涙の跡は残っていたが、表彰された少女たちのなかで可愛さはぶっちぎり。 一先ずむつきは宣言通り、心の中だけであったが、アレ俺の可愛い彼女ですと胸を張った。 ついでなので、水泳部に加え二-Aの面々も引率して麻帆良学園に返って来たのは午後七時であった。 まだまだ夏と言える時期なので空はようやく陰り始めたところだ。 一部は実家に帰ったりしたが大部分は女子寮に向かう為、集団で帰りなさいと厳命しておいた。 今日一番疲れたであろうアキラには、亜子や明石、佐々木などにそばを離れるなとも。 それじゃ、お疲れさまと解散させたわけだが、何故かむつきのそばに数名の人影が。「お前ら、実家帰省組……神楽坂は違うよな。なにしてんの?」 先生さようならと数多くの生徒から手を振られ、振り返す中でむつきは両隣の生徒達に話しかけた。 一人は落ち着かない仕草の神楽坂であり、もう三人も落ち着かない様子の宮崎を筆頭に夕映と早乙女だ。「おや、神楽坂さんもですか? 私たちはのどかについて、先生に相談がありまして」「うん、私もちょっと先生に相談」「高畑先生なら、夏休みも残り一週間だしそろそろ帰ってくるけど?」「今回、高畑先生は全く関係ないの」 どうやら、神楽坂と夕映たちは示し合わせて残ったわけではないらしい。 美砂たちは団体行動中なので恐らく寮に向かうだろうし、ひかげ荘にいるのはエヴァと絡繰とさよか。 ちょっとタンマと言い置いて、晩御飯を作ってくれるであろうさよにメールを一通送っておく。 それから、ここでは落ち着けないと四人を近くのファミレスへと連れていくことにした。 時間も時間なので夕飯時であるし、四人ともまた明日ではすまなそうな雰囲気だからだ。 駅前なのでファミレスには困らず、一番近いファミレスへと足を踏み入れる。 テーブル席にむつきと神楽坂、対面に奥から早乙女、宮崎、夕映の順で座った。 奢りで良いからと全員が注文を済ませて、軽く小腹を満たしてから相談を受け付けた。「で、どっちからにする?」「あー、私はできれば先生と二人きりが良いから。本屋ちゃんからでお願いできる? というか、私が効いても平気な話?」「あっ、はい。全然、むしろ神楽坂さんもいてくれると意見を参考にできたり……」 小さな口で冷やし中華を食べながら、これまた小さな声で宮崎がそう答えた。 ただやはり難しい相談なのか、しきりに夕映や早乙女を交互にチラチラとみている。 それを察し、仕方がないなとばかりに早乙女がスぺゲッティのフォークをふりつつ言った。「先生、たっくん覚えてる? 夏休みの最初に、のどかとデート中に割り込んできた男の子」「さすがに忘れられねえよ。俺に対抗心むき出しだったし」「あっ、私が喫茶店でバイトしてた日の子ね。木乃香から後で聞いたけど、本屋ちゃんの彼氏になったとかなんとか」「決してのどかの彼氏などではありません。おこがましい!」 テーブルをどんっと叩きそうな勢いで、神楽坂の彼氏発言を夕映が真っ向から否定していた。 もちろん即座にハッとし、神楽坂にぺこりと頭をさげていたが。 夕映が憤ったことから、というかむつきもその辺りはちょいちょい情報を得ていた。 自らではなく、涼宮とのどかが他プラスアルファでデートするたびに、夕映が愚痴ってきたからだ。 しかしここは、何も知らない振りをして聞き返しておく。「落ち着けよ、綾瀬。あの涼宮の性格だ、大よそ想像はつくが……」「そんなに嫌な子なの?」「悪い子じゃないんだけど、いや。良くも悪くも男の子かな?」 直接会ったことのない神楽坂の問いかけに、意味ありげに早乙女が呟いた。 それでも相談主はアンタだからと、完全に他人任せにならないよう宮崎の背をとんっと押す。「あの、楽しいこともちゃんとありました。皆で一緒に、またボーリングに行ったり、カラオケだったり」「ぬぐ、あの本屋ちゃんがグループデートとはいえ男の子と。焦る」「お前はまた今度な、まずは宮崎の話を聞こうな」 高畑のことならまた今度と、神楽坂が間に入るたびに会話が止まるので肩に手を置きどうどうと抑える。「ごめんね、本屋ちゃん。ちゃちゃは入れないわ」「すみません、神楽坂さん。それで二人きりでと、何度か誘われもしたんですけど。やっぱり、怖くて……」「そりゃ、数年間男嫌いだったのに。しかも原因相手に直ぐはな。それで?」「私が何時も断るので、鈴宮君もしびれをきらしたみたいで。夏休み最終日に、答えをくれと。こ、告白されてしまいました」「もちろん、断りますけど」 お前が告白されたわけじゃないだろと、もはや夕映には言うまい。 だが宮崎も断るつもりであろうことは、夕映の言葉を否定しないことから分かった。 しかし断るにしても、あの涼宮がただ断られただけで諦めるとも思えない。 最悪は、今以上に宮崎の男嫌いが促進されかねない事態となろう。「とりあえず、告られて断りたいのも分かった。その前にいくつか、質問良いか?」「は、はい」 冷める前に飯も食えよと注意しつつ、いくつか宮崎に尋ねる。「宮崎は、涼宮の何が駄目なんだ? 恐怖症の根源ってのは知ってるが、一応小学生時代のことはあいつの善意からってのは理解したんだろ?」「はい、行き過ぎた善意で私が怖がってたことも」「なら、今の涼宮を見て何が怖いんだ?」 多少は小学生時代のトラウマが払拭されたかと思いきや、あまり前進したようにも思えない。 数年来のトラウマということもあるが、足踏みしてしまっているようにも思える。「お話を聞いてくれないんです」「お話? 宮崎の?」 それだけでは要領を得ないが、早乙女も夕映も宮崎の両隣でうんうんと頷いている。 むつきよりも涼宮と触れ合う機会の多かった二人には、とても良く分かるらしい。 というか、良く良く考えてみれば、あの涼宮である。 なんとなくだが、むつきにもそれだけでわかる気がしてきた。「あの日のデートの時の先生みたいに、私のお話を聞いてくれないんです。私が、こういう本が大好き。面白かったって言っても……」「そんなつまんない話より、とプロ野球の話を延々とされるです。拷問ですか?」 人の悪口に入りそうなので言いよどんだ宮崎の代わりに、夕映がど真ん中ストライクである。「まあ、私ものどかの男嫌いの克服の切っ掛けとしては当てにしたけど。そのままのどかの彼氏には収まれないっしょ、彼では。たっくん、我しかないもん」「早乙女の方がよっぽどばっさりだな」「私、これでも少しは変われたつもりです。以前は男の人すべてが苦手でした。けど、今では一緒にいて楽しい人もいるって。先生との旅行楽しかったです、本心から」「あれは、どちらかというとクラスの旅行だろうに」 一応早乙女や木乃香への義理もあって、涼宮と友好を結んでみたが友達どまりであったと。「あー、ごめん。半分ぐらいついていけてないけど、良い?」 この場で唯一涼宮を知らない神楽坂が、言って良いのかなと躊躇しながら手を上げた。「どうぞです、神楽坂さん」「本屋ちゃん、先生とのデートは楽しかったんだよね?」「はい、なかなか行けない古本屋に連れて行っていただけて。高価な本も買って貰ってしまいました」「寮の部屋の本棚の、一番のお気に入りコーナーに大切にしまわれています。恐らく既に暗記しているでしょうに、週に一度は必ず取り出し読んでいます」「ゆえゆえ!」 言わないでと宮崎が長い前髪に隠れた顔を真っ赤にしながら、夕映の口を塞ごうとする。 しかし、現時点での彼女の敵はもう片方のサイドにもいたのだ。「もう、見てるこっちが恥ずかしくなるぐらいのラヴ臭がさ。本をひろげて、ふふって可愛く笑って」「きゃー、パルゥ!」 女の子してるなあと、少し神楽坂が遠い目をしていたが。「もしかしてだけど、その涼宮って子と遊んでる時。先生ならこうしてくれるのにとか、思ったりした?」「しょ、しょっちゅうしてましたけど?」 神楽坂の問いかけの意味がわかっていないように、宮崎が当たり前のように返してきた。 というか、鈴宮の告白云々は完全にダシなのではないだろうか。 恐らく宮崎以外、つまりは早乙女や夕映は、神楽坂が何を言おうとしているか完全に理解している。 にやにやと早乙女がむつきを見るのは構わないが、恋人である夕映はそれで良いのか。「ぶっちゃけた話、怖くない男の人って先生以外にいる?」「いえ、まだですけど」 既に否定すらしないというのに、宮崎は全く持って気づいていないらしい。 神楽坂もこれ最後まで言わなきゃだめかと、早乙女や夕映を見るが頷いて肯定されてしまう。 最後の砦とばかりに、こんどはむつきを見上げて来たが、応えられるはずがない。「本屋ちゃん、なんでその涼宮って子じゃダメなのか。知りたい? たぶん、傍から見てる私の方が理解してるっぽけど」「恋愛については、神楽坂さんの方が先輩です。後学のために、是非」「恋愛の先輩……」 あまりにも高畑と進展ない関係で、一種馬鹿にされているような発言だがもちろん宮崎は本気だ。「本屋ちゃん、自分で気づいてないけど。先生のこと、好きになっちゃってる」「へ?」 一体何を言われたのか、神楽坂の言葉を聞いて宮崎が裏返った声をあげた。「たぶん、生まれて初めての先生とのデートが楽し過ぎたんじゃない? だから、同級生とのデートに粗しか見つけられない。先生なら、先生ならって。先生と彼氏候補を比べて……ねえ?」「おい、最後俺にキラーパスすんな」 突然神楽坂に話を振られ、諦めて宮崎と視線を合わせたわけだが。 ぷるぷる震えていた、それから間もなく宮崎の顔が真っ赤に染まり始める。 このままでは走り逃げそうな宮崎を、待っていましたとばかり早乙女と夕映がガッチリキャッチした。 あわあわと言葉が出ない宮崎の代わりに、早乙女が笑っていった。「いやー、私も最初はまさかと思ってたけど。完全に外部だった明日菜が言うなら間違いないって」「のどかの記念すべき初恋の場に共に居られ、感無量です」「なにやり遂げた顔してやがる。とりあえず、宮崎を落ち着かせろ。息してねえぞ」 死に掛けの金魚のように口をぱくぱくしていた宮崎を、これはいけないと夕映が背中をさすった。「あー……一先ずだ、断り方はレクチャーしとく。涼宮君は良い人だけどとか、前置きするな。単刀直入に、ぐぅ」 言わされたと、早乙女と夕映をちょっと睨みながら。「好きな人がいるから、ごめんなさいって言え。それから、断る時は一人でいけ。涼宮のプライドも考えて、断る時は宮崎一人な。ついて行っても良いけど、絶対にバレないようにしろ」「はいよ、レクチャーありがと先生。さあ、のどか。明日から大変だよ。先生、この顔でライバル多いから。アキラに桜子、アタナシアさんに本命の彼女まで」「あうあう」「先生になら、安心してのどかを任せられるです。どうか、のどかをよろしくです」 やはり早乙女と夕映は、ここに至る答えが分かってて連れて来たらしい。 赤面しつつぎりぎりのところで意識を失えない宮崎の両腕を掴み、今日はここまでと席を立つ。 ご馳走様でしたとどちらの意味で使ったのか、去りゆく姿が小憎らしい。 夕映は今度、可愛がり殺すとして早乙女にも何か仕返しをしてやりたいところだ。 最後の意地として、気を付けて帰れよと教師らしく振舞うが、あまり意味はなかった。 三人が去った後でやれやれと肩の力を抜いたわけだが……「物凄く、相談しづらい……」 ちょっと微妙な雰囲気が漂う中で、神楽坂もまた残されていた。「先生、水泳部の引率から本屋ちゃんの超変化球の告白に続いて大丈夫? 体力残ってる?」「お前の相談内容次第だな。言っておくが、恋愛系じゃないな?」「残念ながら、違うわ。結局、今の私は先生にお膳立てして貰わなきゃ、高畑先生と何もできないし」「壁は大きいわな、神楽坂ちょいとすまん」 ちょっと断り立ち上がると、神楽坂の膝上を跨ぐように通路側に出てからむつきはテーブルの向こう側に回った。 恋人同士じゃあるまい、テーブル席で隣り合って相談もしづらい事だろう。 神楽坂一人をさばけば、恐らくは今日の先生業も終了だろうと、少しだけ気合をいれる。「よし、良いぞ。神楽坂、来い!」「まぜっかえすつもりじゃないけど。先生のそういうところ、私も結構好きかな。たぶん男の人の中で二番目、一番は当然高畑先生だけど」「俺は要領悪いから、真面目をとったらなにも残らねえからな。ていうか、俺相手だとすんなり言えるんだな」「二番目だから、拒否られても傷は浅いしね。気楽は気楽」 改めて言われると、宮崎の変化球の告白よりはちょっと照れる。 ただ時刻も既に二十時を回っているので、あまりのんびりと会話している余裕はない。 門限がない寮といえど、教師と生徒がファミレスにいたというのは外聞がよろしくない。 先ほどまでのように複数ならまだしも、二人きりというのはなおさら。「で、相談ってのは?」「中学生のそれも女の子ができる短期のバイトって先生知らない?」「短期バイト、日雇いみたいなもんか?」「業種はこだわらないんだけど……」 当たり前だが金銭に関わることなので、少し言いづらそうに神楽坂が言った。「ほら、夏休みの旅行で先生は金額押さえてくれたけどね。それに最近、木乃香が寮を空けることもおおくて食費がね。夏休み残り十日もないけど、五千円しかなくて」「お前確か、喫茶店とかいろいろやってたよな。その給料が出るまで、貸しても良いけど?」「それは駄目。先生にはもう一杯、高畑先生のことで貸して貰ってるし」 結局こうして相談を受けているので、今更ではあるのだが。 神楽坂としては譲れるところと譲れないところの境界線があるらしい。 しかし、宮崎が中学生らしく好いた惚れたの毎日を過ごしているのに比べ、神楽坂はどうだろうか。 彼女にも憧れの先生、高畑がいるにはいるが、その何倍もバイトにつぎ込んでいる。 そもそも、神楽坂は高畑の縁者かなにかではなかったか。 何故生活が困窮するまで、一中学生がバイトに明け暮れなければならないのだろう。「神楽坂、ちょっと突っ込んだ質問良いか?」「良いけど?」 以前から気にはなっていたが、なかなか聞けなかったことを確かめるのも良いだろう。 折角神楽坂が二番目に好きと言ってくれたのだから、聞いても嫌な気にはさせまい。「お前の親権ってどうなってるんだ? 幼少期に高畑先生が連れて来たとか、学園長も関係してるんだっけ?」「んー、私も小学一年生以前はどこに住んでたか記憶にないけど。えっと……親権って? カタナ?」「おい、女子中学生……」 親権ぐらい知っとけと思ったが、神楽坂にとってはあまり問題視されないらしい。 いや、されないからこそ、こんなバイト三昧になってしまっているのか。「分かった。お前の親権、つまりは法的な親については高畑先生とかに聞いてみる。正直なところ、お前ぐらいバイト三昧の中学生は聞いたことがない。高畑先生が親権持ってたら、育児放棄になりかねん」「育児放棄? 私、子供じゃないけど」「中学生は法的にはまだまだ子供だ。つまり、高畑先生は大人だから普通に金持ってるだろ。しかもあの人凄く高い車とか乗ってて、高給取りっぽいし。だったら、お前を養う義務がある」「えっ、えーっと……」 こんなところで馬鹿レンジャーの面目躍如をしてほしくはなかったが。 変に理解して、高畑先生はそんなことと騒がれるよりはましか。「お前はまだ子供、大人が養わなきゃいけない。それだけ今は覚えとけ。それで、短期か日雇いバイトだったな。俺の伝手だと……酒呑か、建築の現場監督だったはず、ちょい待ってろ」 一旦、神楽坂にはストップをかけて、むつきは携帯電話にて手帳から馴染みの相手を探し出す。 スリーコール目で繋がり、おうどうしたと野太い酒呑の声が返って来た。 学生時代の友人とはいえ、簡単に最近どうだと世間話を交えてから相談がと持ち掛けた。「お前のところって、バイト雇ってたりする? 日雇いか短期。ちょっとうちの子が色々と入用でさ」「女子中学生の教師じゃなかったか? うちみたいなバイト、腕力勝負だぞ?」「その子は割と腕力自信有り。無理言って悪いけど、面接してくれないか?」「お前の頼みは受けたいが、駄目だと思ったら即断るぞ。それでも良いなら、そうだな。明日の朝八時、場所は後でメールするがそこに来られるか?」 無理をさせてないが心配だが折角の行為に、携帯電話を耳から外して神楽坂に確認する。「神楽坂、悪いけど明日の八時に面接大丈夫か? 俺の知り合いの建設現場の監督だ。力仕事になるけど」「大丈夫、腕力には自信あるから。相談して良かったぁ」「礼はまだ早い、バイトに受かった時にくれ」 両手を重ね合わせ救いの神とばかりに拝む神楽坂の頭をくしゃりと撫でる。 直ぐにちょっと踏み込み過ぎたかとその手は、外させて貰ったが。「OKだ、酒呑。その時間で頼む、注意事項は?」「面接が通ればその場で現場に入って貰う。汚れても良い恰好で頼むぞ。髪が長けりゃ纏めとけ」「おう、了解。ツナギかなにか、持って行かせる。マジですまんかった」「なに、お前の合コンで良い出会いがあったからな。もしかすると、もしかするかもな」 どうせ明日も会うので世間話もそこそこに、もう一度だけ礼を言って電話を切った。「というわけで、明日の朝七時頃に寮に迎えに行く」「え、場所さえ教えて貰えば一人で行ける。これ以上先生に、あたっ!」 一先ず、本当に今更の遠慮をする聞き分けのない神楽坂には、割と力を込めたでこピンをプレゼントだ。「あのなあ、これ以上とか。お前の物差しでは、境界線がきっちりあるんだろうけど。俺からすれば、境界線を越えようが超えまいが一緒。俺の物差しは何倍も大きいの。既にお前のバイト三昧について、頭突っ込む気満々だから」「じゃあ、どうすれば良いのよ」「拗ねんなよ。そうだな、可愛くにっこり笑ってありがとうって言ってくれりゃ、これぐらいって俺も笑って言えるってもんだ」 唇を尖らせ、ある意味子供らしく拗ねた神楽坂が、照れ臭そうに視線を逸らした。 確かに改まってお礼を、それも満面の笑み付きとあらば照れもしよう。 しかも神楽坂の性格上、口先だけでは済まされない。 ギギギと錆びついた音をたてそうな動きで視線をむつきに戻し、ぎこちない笑顔で言った。「あ、ありがとう」「やる気なくすわ。お前、俺は二番目なんだろ。その気安さで笑ってみろ」 二番目、二番目と呟きながら、瞳を閉じた神楽坂が胸に手を置いて深呼吸した。「先生、ありがとう」 肩の力を抜き、長い髪がふわりと浮き上がる中で満面の笑みを見せながらの一言である。 文句のつけようもないちょっと乱暴で怒りっぽいが、少女らしい神楽坂の笑みに正直ときめいたむつきであった。 -後書き-ども、えなりんです。今回のヒロインはアキラでものどかでもなく、明日菜だったりします。なんやかんやで彼女の中でむつきは二番目。高畑次第で普通に靴揚げ当選できそうな位置ですwまあ、もちっと時間はかかりますがね。良くある恋愛相談他に乗っている間にってやつですねえ。もっとも、今回の彼女の金欠には多大にむつきが関わってますけど。旅行に加え、お母さん的存在の木乃香がひかげ荘に入り浸ったり。明日菜はもう少し親権周りとか突っ込んだりいろいろイベントします。アキラのライバル云々もフラグです。忘れていても構いませんが、涼宮と酒呑は夏休み初期の頃のお話に出てきてます。涼宮はたぶん出ませんが、酒呑は稀にはでるかもです。実際次回に出ますしね、明日菜のバイト面接で。それでは次回は来週の土曜日です。