「……なんと」
月数が唐突にうめいた。状況を管制できる場所に待機しているのか、それとも遠距離を感知する知覚を持っているのか、どちらにせよ〝き〟の戦いを目撃したのだろう。
「斎姫の能力を封じる相手を付けたのに、あっさりと敗れた。……あれは、本当に人間か?」
畏怖すら交えた表情で、月数は聞いてくる。
いなきはそれに取り合わず、問い返した。
「鎚蜘蛛姫に奴の弱点でも聞いたのか? なら見当外れだ。そんなものを知っていたら、奴は自分であいつを殺している」
「……ちぃと、お喋りが過ぎたか」
「元から気づいてはいたさ。永代島に現れた御門八葉は俺の事を知っていた。奴らは密偵連中とは連携していなかったから……別口で情報が漏れたんだ」
となれば、情報の出所は三つしかない。鎚蜘蛛姫、仮痴不癲、芙蓉局。
〝き〟の能力の詳細まで知っているのは、鎚蜘蛛姫だけだ。
だが、他の二人が全く関知していないという事は無いだろう――
「そもそも奴は、どうして仮痴不癲と渡りをつけられたんだ? 奴の張り巡らした蜘蛛の糸(ネットワーク)はなんなんだろう……」
疑問を述べる風にして、いなきは語り始める。
「この殯宮は、太歳宮という名前だったな。歳城の対称の位置にある御所としては、適当な名だ」
太歳とは歳星――木星の鏡像として道教が定めた架空の星の名だ。六孫王の二つの御所は、大陸の占術の理論に基づいて名付けられた事になる。
紫垣城と同様に。
「城塞としての質は全く違うが、魔術的には紫垣城、歳城のどちらも似たりよったりの理屈に従っている。こうしたものを取り扱う三十六人衆は〝瞞天過海〟と聞いている。――九重府、六孫王府の両方の間で暗躍できそうなのは俺の知る限りあの蜘蛛女しかいないな。紫垣城を根城にした憑人なんてのは奴くらいだ」
鎚蜘蛛姫は、三十六人衆のコネクションを使って仮痴不癲との連絡を取ったのだ。
「おそらくは、芙蓉局とも奴は繋がってる……この三人は結託していたんだ」
「正解。……それにしても、あまり、しょっくを受けたようには見えんの?」
「あ、いなき君いなき君、今この人横文字をひらがなで読んだわ。見た目少女の老婆という時点で十二分にあざといのに、更にあざとさを重ねるなんて。恐ろしい女ね、そう思うでしょういなき君。応答しなさいいなき君。まさか萌えてしまっているのいなき君。これは罠よ、騙されないでいなき君」
「うっせぇな。話の腰を折るなよ」
耳元で鬱陶しく囁いてくるあやめを押しのけて、会話を続ける。
「まぁ、そのくらいは覚悟していたさ。大きな思惑に従いながら隙を探すくらいの事をしなけりゃ、六孫王暗殺なんて大事、出来やしないだろう」
「かっ、青臭」
うざったそうに月数は吐き捨てる。
「連中の目的はなんだ?」
「この儂が、そんな暑苦しい陰謀に進んで関わろうとするか。こりゃ韜晦じゃなく、本当の事じゃぞ? 先日、徽子――瞞天過海の歌仙じゃ。もう死んだから覚えんでよい――が主らの情報を送ってよこした。それだけじゃ」
問いかけた言葉を億劫げに返す月数。嘘をついているようには見えない。もっとも、〝き〟のような超知覚を持っていないのだから、虚言の類を見破れる訳では無いが。
「主らと儂らが戦う事で、なにかめりっとでもあるのじゃろうて。仮痴不癲なる小娘はよく知らんし、鎚蜘蛛姫は作刀以外の世事に大概ぞんざいじゃが……芙蓉局は別じゃ。あれはうまみが無ければ指先一つ動かさん女よ」
「あ、また」
口を挟もうとしたあやめの顔面を掴んで黙らせる。
「どちらにせよ、俺たちは戦うしかない」
「そうじゃな。……最初に想定しておったわんさいどげーむとは、全く逆の展開になってしまっておるが」
現時点で八葉の半分までも減らされている事を言っているのか。敗勢にありながらも、それに焦りを覚えているようには見えない。本当にこの女にとって、自分たちの戦いはどうでも良いのだ。
「特に意外……いや、規格外なのはあの斎姫よ。儂ら六孫王府の人間ですら、奴があのような異常な能力を獲得するとは思うておらなんだ。今までは、十をもって食われ死にしておったからの」
月数はぽつりと、一言漏らした。
「奴は、人間か?」
二度目の、同じ疑問。次は話題を逸らさせるつもりは無いようだった。
「蠱業遣いと儂ら憑人では、力の総量に絶対的な格差がある。ゆえに主らは武術を鍛え、その格差を埋めようとする。正面から力押しで、憑人の、しかもその頂点たる御門八葉をあっさりと打ち負かす蠱業遣いなど理屈に合わん」
そこでいなきは、彼女がこの議論をどういう方向へ持っていこうとしているか気づく。
月数は言った。
「仙術などごまかしではないのか? あれは憑人と同格の力じゃ」
「……それは違う。あいつの周囲には障気が発生しない。九重府はその点に関しては調べ尽くしている。姿形も変異しない」
憑人の特徴であるその二つが発現しない以上、彼女は憑人ではありえない。
その点について反論する余地は無く、月数にしても口をつぐんでしまう。
――ふと、左手の方を見る。そう言えばあやめの顔面を鷲掴みにして黙らせたままだ。
手を放して、聞いてみる。別に何かを期待している訳では無いが。
「……何か知ってるのか?」
「つーん」
あやめは、魚の泳ぐ海中を見つめて、とにかく不機嫌な事だけは分かる擬音語を吐いた。
「聞きたい事が出来た時だけ喋れというような理不尽な男に、説明する義理などありません」
「本当にそうじゃな。女の口を塞ぐなどでーぶいの極み。そんな悪逆非道な暴行を顔色一つ変えずに行うような男は万死に値するぞ」
「あら、あらためて聞いてみれば萌えるわね、その口調」
「? もえとはなんじゃ?」
「惚れてしまいそうなくらいあざといわ。素晴らしいわねつっきー」
「うぅむ、そう言われると照れるのぅ」
唐突に結託しだした女二人に、胃痛を感じながらいなきは弁解した。
「いや、悪かったから……」
「……まぁ、状況はそれなりに逼迫しているものね、この程度でかんべんしてあげるわ」
と、仕返しを切り上げる意味かぽん、と再び手拍子をする。これで三度目だ。
「と言っても、ただの推測よ。お父さんから聞き出した憑人のデータから仮説を打ち立てただけ。今回、あなたの話を聞いて補強はしたつもりだけれどね」
「仮説? 補強?」
「蠱業遣いと、憑人の――同一起源説」
いなきと、月数の双方を指差して。そんな事を、確かに。
あやめは言った。
「……本気か?」
「冗談のつもりで言ったのではないのだけれど」
平然とあやめは、最後の逃げ道も塞いだ。
「さっきまでの話は覚えているわね? 要は、無意識の領域を源泉とする力で人間が超人化する、という事なのだけれど……」
「ああ」
「うむ」
なぜか月数までが頷いた。やはり、遠方の様子を知覚する能力を持っていて、それでいなきたちの様子を覗いていたのだろう。
「よろしい。では、再びいなき君に聞くわ。……あなたが戦った三人、日数、沢瀉、膝丸について」
「……ああ」
「例えば沢瀉。その人は、人間の時は右構えで薙刀を使っていたのに、変異後は左手を武器にしていたのね?」
「ああ」
先程、永代島での戦いを説明した時に、なぜか詳しく問い糾された部分だった。
「膝丸もそう。右利きなのに、左側の角を折って鎗にしていた。……日数についてはどう? 左半身に特徴が無かったかしら?」
「そう言えば……左側の手足がやや、大きかったような」
「間違ってはおらんぞ。あやつの身体を構築するぷらんくとんは左側に偏重しておった」
日常的に日数を観察する機会のあった月数が、いなきの記憶を捕捉する。
そして、何かに感づいたか言葉を続けた。
「憑人の、特に男は左半身に変異が集中する傾向にある」
「それを聞きたかったのよ」
我が意を得たりと月数を指差すあやめ。
「先に述べた通り、男性は、右脳の幻覚をもたらす領域を制御する能力が弱い。――左半身を司る箇所がね」
「憑人を変異させる器官は、右脳にあるってのか?」
「それと、蠱業遣いの能力の根源もね」
と、あやめは付け加える。
いなきは反論した。
「俺たちには左半身偏重なんて出ていない。障気も発生しない」
「力が弱いからよ。蠱業遣いと憑人の差異はそこ。制御できる程度の小さな力か、制御できない程に大きな力か。どちらも、基本的に自分の肉体を改変する能力である点は同じよ」
確かに、そうだ。
蠱業、つまりコードハッキングはその名の通り自己を改変し強化する能力である。いなきや〝き〟のように刀剣にまで能力を作用させる事は不可能ではないが、忌役の中でも希少だ。
肉体以外への蠱業の適用は、才能と、何より鍛錬が必要になる。
その対象を、自分の一部と思える程に理解し、掌握しなければならない。
それはつまり、結局の所、蠱業が自己と認識できるものの範疇にしか作用しないという事ではないか。
「蜘蛛のおばさまだけじゃモデルケースとして不足と思ってたけれど、そこに月数さんを加えさせてもらうわね。……長寿の憑人は概して女性よ。安定した力の運用が出来ているからではないかしら」
「一応、八龍という、男の憑人がいる。……ただ、あれの延命法はいささか特殊じゃから主の仮説を覆すには足りんの」
「特殊?」
「そこまでさーびすはせんわい。儂はあくまで主らの敵である事、忘れるなよ」
口を挟んだいなきに釘を刺すように告げてから、しかし、と月数は前置きして、
「その話、いささか興味がある。不都合の起きん範囲で情報を提供してやろう。……確かに不老長寿を会得する憑人は、その八龍を除いて全て女じゃった」
「ありがとう。……さて、女性が無意識からやってくる力を制御する才能を持つのはある程度確定したけれど――その才能を訓練で向上させられるとしたら? その視点から作り出されたのが、斎姫というシステムだとわたしは思うわ」
「ちょっと待て。お前、もしかして」
「いつきちゃんは憑人よ」
あっさりと、彼女はその決定的な言葉を持ち出した。
「そうに決まっているじゃない。憑物が遺伝するなら、未那元宗家の、長女一人だけが例外になるはずがないでしょう」
「お前……お前が、あいつを憑物持ちと言うのかよ」
思わず、掴み掛かりそうになるのを抑えつつ、いなきは抗議する。あやめは彼を真っ直ぐに見返して、
「憑人はただの人間よ。紫垣城の貴族が言うような化物じゃないわ。あなたは、そんな事を信じているの? そんな事を言い訳にして、彼らを殺していたの?」
その問いかけは一欠片の、切実めいたものを含んでいた。
「……違う、と思う。悪かった」
謝罪する。
そのやり取りに興味なさそうに、月数が先を促してくる。
「んな青臭い話はどーでもいいわ。続けんか」
「……蠱業遣いの〝小さな力〟、そして憑人の〝大きな力〟の素養は脳にあるのよ。憑人の一族が近親婚を行うのは、それが発現しやすくなるから。だから、斎姫も同じく憑物を発現している事はほぼ確実だわ」
「じゃあ〝き〟が、憑人に変異しない理由はなんだ?」
「斎姫の巫女の訓練が、憑物を押え込むものだからよ。いつきちゃんは言語の獲得と共に一時力を失ったけれど、別のやり方で憑物の制御を行っている」
「さっきの話か。……真逆のやり方とか」
「そう。真逆。意識の処理能力が低いという話はしたわね?」
問いかけるあやめに、いなきは頷く。
「スペックの低いCPUなら、より高い性能のものに改造してしまえば良い」
あやめはそう言って、再び自分のこめかみをつついた。
「思考の強化。精神の変容に指向性を持たせて、処理能力を向上させる。無想の逆……極想(きょくそう)、とでも言うべきかしら?」
想いを極める――確かに、あの少女の生き方にはこれ程当てはまるものは無いであろう言葉だった。
彼女はもう一度、いなきのこめかみにも指先で触れて、
「これは、あなたが行った巫術とは格が違うわよ。あなたのは言わばオーバークロック。様々な負荷をかけながら一時的に性能を上げたに過ぎない」
「……悪かったな、遥か格下で」
「違うわ」
すねたようないなきの答えを、あやめは一言で断ち切る。
「あなたは、やり方を間違えている」
「何を間違えているっていうんだ?」
「……さてね」
などと、あやめははぐらかした。
明らかなごまかしに、追求しようとした所に彼女は言葉を重ねてくる。
「いつきちゃんに、憑人の特徴である障気と別種の生物の形質が発現しない理由はそれよ。無意識を支配する程の自我が、憑物の完全制御を可能にしている。彼女は要は、憑人並の力を蠱業遣い並の安定性で使えてしまうの。憑人が憑依とすれば、彼女は神懸かりと言える。強いわよ。――降参したら? 月数さん」
「余計な世話じゃな」
肩をすくめて、月数は答える。
「斎姫の強力さは理解したが、まだこちらの優位は崩れておらん。……こっちには、本物の化物が二人おるからの」
人を噛み殺すような笑みを、月数は浮かべた。
「八龍、そして六孫王大樹。あの二人には斎姫でさえ勝てやせんよ。そして小僧」
と、獰猛な表情のままに、彼女はいなきの方を向いた。
「主はこの先に待つ男も倒せん。あれは分家とは言え、未那元の憑人だからの」
「……このまま時間稼ぎをされるかと思ってたぜ」
「まさか。その男は自分の手で主を始末したがっておるし……そろそろ幻術の打開策の一つも考えついておるだろうよ」
「まぁな」
〝き〟が先行している以上、会話があのまま長引くのであれば脱出しなければならなかった。幻術の対策は先程からずっと考えていた。
月数は表情から攻撃性を消すと、面白がるような色に入れ替える。
「やはり、忌役よの。……いや、あの男の弟子ゆえか」
「蠱部尚武を知っているのか?」
「儂は先代の伽羅(とぎあみ)様からの八葉じゃった。二十年以上も昔、きゃつめは儂らを軽くあしらい、あの方に謁見を求めた。……その話は、ついぞ伽羅様は漏らす事は無かったが、何か奴にしか分からぬ目的があったのじゃろう」
――何か。
符合のようなものを覚えた。
いなきの感じる不可解をさて置いて、月数は語り続ける。
「痛烈な敗北以上に痛感したのは……この世界の核心に触れ得るのは、あのような異常な存在だけである事。そこは儂の如き凡人には届かぬ領域なのだと。……思えば、あの頃からじゃ。何もかもに倦んでしもうたのは」
と、自分の手のひらをかざし、見つめる。その先にどこかを透視するように。
その仕草は一瞬だけの事だった。再び、いなきの方を見つめる月数。
彼女の顔は、血の味を覚えた獣のように歪む。
「主は、あの男を仇としているそうじゃの。武州の戦で唯一生き残った男……主以外の全てが誰の記憶からも消し去られたのじゃ。無理もあるまいて」
「……何が言いたい」
「いや、なに――お前まさか、あの男に武術で勝利できるとでも思うておるのか?」
「……っ」
挑発、ではない。彼女は根拠のない戯れ言で自分を嬲っているのではない。
月数自身が実感した事を、述べているに過ぎない。
「八葉の三人までも殺した主じゃが……やはり蠱部尚武とは比べ物にならん。きゃつの身近におるのであれば、あの隔絶が、異質が、別次元が理解できぬ訳がなかろう。あれはどんな相手にも絶対に勝利する男じゃ。いくら努力しようとも、いくら願っても――主の使命は絶対に達成できない」
「……」
言い返せない。それは、ただの事実だから。
いつの間にか立ち止っていた。いなきのひるんだ隙を攻めるように、月数は。
小さく、囁いた。
「蠱部尚武を殺す方法は、あるではないか。奴を武力で制するなどと不可能な手段でなく、もっと簡単な方法が」
「……黙れ」
「気づいておるのじゃろう? 余りに身近に、すぐ側に、手で触れられる位置にある主の勝利に」
「黙れ――!!」
怒鳴りつける程度では、月数は止まらなかった。ただの一声ぶんも。
果たして、彼女は宣告する。
「そこの、蠱部あやめを利用する。それだけが唯一あの男を殺す方法よ」
言葉で止まらぬのなら、暴力で黙らせる。
いなきは即座に抜刀して女の首と胴体を切り離した。――それが全くの無駄である事すら忘れていた。
くひ、くひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ。
趣味の悪い事に、首を切り離したままに宙に浮かせ、幻の月数は大笑する。そして蜃気楼らしく背景の海中に混じって消えていった。
「……っ、ぅ」
呼吸を乱している。今の自分はどんな顔をしている。見られたくない、見られたくない……
「――いなき君」
背後で、声がかかる。普段となんら違わない、感情の読めない声が。
「行きましょう」
「俺は……」
「いつきちゃんが待っているわ」
言い訳を押さえつけるように、あやめは言葉を重ねた。そして、いなきを置いていくように歩き出す。
その後をついていきながら、彼女の背中を見る。
いかにも簡単に、刺してしまえそうな――
「……」
胸を押さえつけるようにして、思い浮かんだ言葉を殺し、いなきは歩いて行く。