――思考は分解されている。
(それで良い)(今までの発想が間違いだった)(【統合(インテグレーション)】によるオーバースペック化はこの知性体の在り方にそぐわない)(纏めてはならない、統一してはならない、合同であってはならない)(その逆)(【分散(ディスターブド)】されていて良い)(されてなくてはならない)(独立独歩で)(並列処理の)(ネットワークを構築せよ)(あなたの処理能力には限界がある)(隔たっている)(超えられない)(不可能)(ならば)(大規模な演算を行うものと)(接続すればいい)(あなたは要らない)(不要物)(最低限の機能を残して)(消失を)(自己を抹消する)
(あなたは)
(意の無き)
(――【空(くう)】になる)
周囲には無数の武装がある。近世レベルの銃火器、歩兵鎗、大刀、弓。失った刀の代用に、更に高威力の武具を――【誤謬(エラー)】
自身を強化する必要は無い。むしろ強力な武装はこの知性体の攻撃衝動を喚起し、自我を復旧させてしまう。最小限の攻撃手段で良い。
手元の小太刀が理想的である。
「まだ足掻くか、小僧」
音声。
敵対知性の存在を確認する。【最深情報領域〝アマラ〟にアクセス】【問(クエリ)】【該当一件】【未那元奉奠王(ほうてんのう)森羅】【アノマリーAI〝δ(デルタ)カテゴリー〟に属する】【脅威査定】【攻撃能力判定】【δカテゴリー固有属性〝疑似・阿頼耶識〟のデータ共有により発現した自律型戦闘義肢〝鬼手〟】【実体世界の古流武術〝御殿手(ウドゥンデイ)〟に類似の格闘術】【〝離見の見〟なる戦況支配能力】
対して、【空】が操作する肉体の機能を確認する。【問(クエリ)】【該当二件】【立花稲生】【太智華意無】【アノマリーAI〝φ(ファイ)カテゴリー〟に属する】【戦力査定】【攻撃能力判定】【〝並列起動抜刀術・相生剣華〟】【古流剣術を基礎とした総合格闘術】【φカテゴリー固有属性〝無想〟による全世界再現システム【空】への処理機能の一時移譲】
【戦闘シミュレーション】【98.7%の確率で当知性体の敗北】【サポートの必要有り】
【処理機能を代行】【身体掌握】【運動効率最適化】
「……ッ!?」
未那元森羅は驚愕する。瀕死の少年が、軽やかに飛び上がり頭上から強襲してきたからだ。
羽毛の如き軽功。巫術を行使した時よりもなお高い精度であった。
抜刀。まず陽刀が脳天を狙う。
そして陰刀は、森羅の足下を切り払う。その瞬間いなきが行ったのは軽功の逆。重心を引き下げる事で落下速度を加速し、虚像を実体に先んじて着地させた。
「ぢぃッ!」
歯から軋る音を立てながら、森羅は〝鬼手〟を二つに分割した。空中から襲う実体の首を狙う針、そして足下を防ぐ楯に変化させる。
首を逸らして〝鬼手〟を避け、体勢を崩して着地したいなきの実体に、手刀を突き出す。
一寸、頭を下げる事でいなきは攻撃を回避した。――いや。
頬を掠め、削る程近くで手刀を受け、頭部と左腕で固定する。飛び上がり、森羅のこめかみに蹴りを見舞う。
薄い紙ほどの楯に変化した〝鬼手〟が、それを防御する。そこまで質量を落として速度を上げねば間に合わない一撃だった。
安堵するだけの猶予は無い。
身体を中空で回転させ、足下から頭上へ向けて弧を描く斬撃をいなきは繰り出す。森羅は飛び退いて回避するも、胸を浅く切り裂かれた。
「なんとッ!」
唐突に運動精度が向上した相手に、驚愕する森羅――しかし、彼はすべき事を間違わない。
距離を取った。未那元森羅の止められぬ前進を実行するだけの距離を。
一歩を踏み出す。敵手の動きを読み切り、自分の意図に乗せる――
【〝離見の見〟発動確認。模倣を開始】
相手の意識の隙間に差し込んだ二つの攻撃。〝鬼手〟による斬撃と、掌打。
必中の攻撃を、いなきは防いだ。〝鬼手〟は根本を小太刀で絡め取って抑え、掌打は左腕を楯にして。
交換に繰り出した陰刀の斬り下ろしが、森羅の胸を更に深く抉る。
「がッ……!」
鮮血を噴出させ、森羅は後退する――王者の二度目の逃避。しかも今回は、必殺の突進を破られている。
いなきも無傷ではない。左腕はへし折られ、だらりと垂れ下がる。
森羅は一合で悟る。どうやらこの敵は、運動精度の向上のみならず己と同等の客観視を手に入れたらしい。自己の〝所作〟を偽装して、意識に隙を作る事を防いだのだ。
「大した理不尽……だが、」
胸を親指でなぞり、指の腹についた血液を舐め取りながら、森羅は嗤う。
「殺し甲斐が出て来たぞ、小僧」
彼は〝鬼手〟を、己の支配から完全に解放した。暴風じみて荒れ狂う黒い影。細かい刃が彼の皮膚を傷付けるが、意に介さない。その程度ならまだましだ。〝鬼手〟は機嫌によっては森羅の首を刎ねようとする。
『おぉおお……UAあ……ぎぃiIIいいいっ!』
自我を現世に表出する事を許され、怨嗟じみたうめきを上げる〝鬼手〟。それを聞き、森羅は喜悦に微笑む。
彼の笑みは、己の命を天秤に乗せた恐怖(スリル)によるものだ。この時森羅は、一方的な殺害ではなく二匹の雄の命のやり取りを自覚した。
――両者は申し合わせたように同時に前進する。
筋肉、目線、呼吸、存在感。己の全てを用いて相手を操作し、あるいは自分を偽装する。
やがて会敵の瞬間が訪れる。
「ぬぅんッ!!」
「……ッ!」
まずは〝鬼手〟が狂乱した。影の刃を一、二、三……二十七本に展開し、無差別に放出される。呪詛の塊であるそれは、主ですら攻撃の的にする。
物理法則を超えて推進する刃は、人間の知覚を許さない。
しかし両者はそれらを回避する。人体の限界を極めた二人。関節の可動域を正確に見切って刃の届かない場所に己の身体を置く。
いなきは外部からの処理能力の補助を受け、知覚を増大させて回避している。森羅は〝鬼手〟と接触した左肩の触感で、狂乱する左腕の意図を読み切っている。聴勁と呼ばれる技術だ。
黒い暴風の中で――コンマ数秒、先に。
いなきが、必中の占位を成立させた。左腕は砕けている。引手を省略、右手のみで抜刀し、二刀に分裂した刃が森羅の知覚の外から襲う。
しかし。
〝鬼手〟の影の刃が、その前に立ちふさがった。
生じた隙に、森羅は反撃を打つ。
「殺!!」
胸に押し当てた掌に、腰を起点として生じた力を浸透させる。
骨を砕いた手応え。
弾き飛ばされたいなきに止めを刺さんと森羅は突進し。
暴走する〝鬼手〟に進路を阻まれた。
「……ち」
舌打ちし、一度退避する。勝負を焦らない程の余裕が、今の彼に生まれていた。
勝機の天秤は、森羅に傾いている。
〝離見の見〟による間合いの支配力はどうやら相手が上を行っている。まるで自我が無いかのように、いなきの客観視の精度は並外れていた。意識の隙間を森羅に先んじてこじ開け、そこに攻撃を加えてくる。
だが、それは森羅の敗北を意味しない。
〝鬼手〟
森羅の意識から独立した奥の手(ジョーカー)は、彼の無意識、そこからリンクされている未那元宗家の魂に根ざしたものだ。
いなきが森羅の無意識をついてきたとしても、そこは〝鬼手〟の支配領域。〝鬼手〟は確実に迎撃しようとする。
意識と無意識。
表と裏。
1と0。
両面に防衛圏を持つ未那元森羅の虚を突く事は、不可能。
次の会敵で、確実に止めを刺せる――
【シミュレート】【同一の方法論による攻防は必敗を確約する】【別種の方法論を】
【新手を】
【問(クエリ)】
【当知性体の発揮しうる限界】【このシステムが実現し得る最高峰の攻撃手段を】
【奥義を、創出せよ】
――少年の武術における活路は、ただ一人の男の導きによって生み出される。
蠱部尚武。
殺すべき、師だ。
彼がかつて述べた言葉を検索し、考察し、回答し、誤謬し、止揚し、試行し。
解に、辿り着く。
『抜刀、納刀……1と0だ』
『虚実、というものに対して私の知り得ぬ領域に至る為の、手掛かりになるかも知れない』
『真実この業(システム)の頂点に達するのだ』
1と0。
有と無。
世界には、その二つの概念しか存在し得ない。
ならば、存在しないものを。
1(陽)でも0(陰)でもないものを。
この世界に、あってはならない剣を抜き出せば良い。
最後の攻防である事を、双方自覚する。
森羅は、右手の甲を上に向け、ゆるり、と前方に差し出した。扇を持つかのように、緩く。――能の所作、差扇。
いなきは、砕けた左腕を鞘に添え、鞘に付随する下緒で固定した。この時に至ってなお、抜刀の構を取る。
森羅の前進は、差扇を維持したまま行われた。しかし速度は以前と遜色無く、更に緩急で幻惑する。彼の〝歩法(ハコビ)〟の奥義たる歩みだった。
いなきの歩法も同一の、緩急を付けて敵手を幻惑するもの。体内を操作して重心を絶えず置き換え、動作を読ませぬ体術〝水馬〟。
間合いの読みを、森羅は経験と才覚で。
いなきはシステムの補助を受けた知覚で実行している。
そして〝鬼手〟が先んじて、状況を惑乱する。十数本に枝分かれした影の刃がいなきを狙って伸びた。それぞれが、個別の軌道を描いている。
いなきは急所に命中する刃以外を無視した。皮を削られ、あるいは骨身に届くものもあった。それらを予期しても、回避しない。この前進で全て決着が付く以上、それを止める攻めを除けば無いも同じと判断する。
紙一重で命に届かなかった事に〝鬼手〟は苛立ったのか、刃の数本を森羅に向ける。肩口に触れる〝鬼手〟の微動から反抗を察知していた森羅は、やはり命に届くものを除いて躱さない。
両者は、最速、最短、最適の軌道を求めていた。
刹那。
生死を分かつ機が、その僅かな時間にしか存在し得ないと二人は悟っていた。
森羅は極限の集中により、いなきは自意識の排除により、演算の限りを尽くし最良の占位を求める。
――故に、やはり。双方の時間差は予期の通り、刹那であった。
先んじて、いなきが抜刀を繰り出す。肩口から大地へ抜け、森羅の身体を両断する軌道。
そこに森羅は、右腕を差し込んだ。
完全に無駄を廃した身体操作により、人間の出せる限界速度に向上した斬撃に介入する。鎬(しのぎ)に掌の腹を当て、捻り、軌道を逸らす。
その防御は、予測されていた。
相生剣華による陰刀は、いなきの繰り出した陽刀の軌道をなぞって放たれていた。防御すべき腕は泳いでいる。何より、森羅の意識は防御という行為に振り向けられた。
必中の一撃。
しかし、森羅にはまだ手がある。
意識の外であるからこそ、〝鬼手〟はその領域を支配する。そこに繰り出された陰刀を、影の腕は知覚している。
〝鬼手〟はその身を刃と化して、敵の繰り出した黒刃と絡み合い静止する。
静止から何よりも先んじて復帰したのは、森羅自身の腕。
差扇の構は、森羅の最速の打撃を実行する為のものだ。防ぎ手であり、攻め手。打撃の軌道を維持しながら、敵の攻撃を防御する。
狙うは敵手の眼窩上部。頭蓋の内で最も脆い箇所を砕き、そのまま脳髄を破壊する。
必勝に至るまでの、一瞬の時間。
――だが。
森羅は、敵を見失う。
「……ッ!!」
それは刹那にすら満たない間だった。そこにいたはずの敵が、消失した。相生剣華による虚像ではない。虚像の攻撃は防いだ。何よりあの蠱業が作る虚像には、気配があるのだ。アレは、存在しうるもの、世界の可能性を重ね合わせ、発現する技術だ。
それが、無い。
目でも、耳でも、鼻でも、皮膚でも、舌でも、意識でも、無意識でも。
観測出来ない。
存在しない――
森羅の背後に、気配が出現した。
「……【虚数刀】」
いなきがその言葉を口にする。
「がっ……!」
その時、十七年前に味わったのと同じ喪失感に気付き、森羅は苦悶の声を上げる。
観測不可能の斬撃に森羅の〝鬼手〟は切り離され、地面に堕ちていた。
かくして、二人の闘争は決着する。
身体を支えるだけの力を確保するのも、困難だった。すぐにでも膝をつき、眠って――そのまま目覚めなくなりそうだった。
何がどうなったか全く分からなかった。最後の巫術を行使して自我が残った理由も不明だが、ここで倒れる訳にはいかない。
いなきは、後方を振り返る。
「……グッ」
未那元森羅が左腕の根本を右手で押さえ、歯噛みしている。苦痛を堪えているのだ。
待っていろ、すぐに苦痛すら感じられないようにしてやる。
憎悪を燃料に、いなきは前進する。まだ戦う。この男は死んでいない。この男の存在を許さない。殺す。それ以外の目的を、考えない――
『それは、』
唐突に復活し、介入してくる幻聴。
うるさい。黙ってろ。それ以上言うんじゃない。
幻の中であってもその女は、いなきの思い通りにならなかった。いなきが今、最も聞きたくない言葉を告げる。
『機械よ。――あなたは、人間でありなさい』
「……っ」
奥歯を砕きかねない程に、咬合に力を込める。いやだ、いやだ。俺はお前を殺したこの男を許せない。――そして、お前を守れなかった俺を許せない。ここで諸共に殺す。
『聞き分けのないひと』
慈しむように、声は語りかけてくる。
『なら、もうしばらくは、生きていてあげるわ』
「……?」
「――待て。降参だ。俺は死ぬ訳にはいかん」
などと、あっさり未那元森羅は無事な右の掌をこちらに向けて、命乞いをしてきた。
「何を――」
「蠱部あやめは生きている」
進みかけた足が、止まる。
森羅は広間を見渡し、死体だらけの床から何かを探し始めた。やがて、一つの生首を拾い上げる。
女の、あやめの、
「彫物だ。――おい月数、幻術を解け」
何も無い中空に向けて高圧的に命じると、生首は木彫りの人形に成り代わった――髪の毛だけが、生の人間のものだ。
「細かいものを再現するのは苦労だと抜かすから、毛髪だけ本物を使った」
「……待て、色々と待て」
こめかみを抑え、妙に弛緩した空気に緊張した身体を慣らしながら、問い糺す。
「月数は、生きているのか?」
「ああ。親父にあの女の扱い方は教わっている。クズでゲスで小者で色々どうしようもない女だが、強い人間にとことん弱いからある程度虐めておけば問題無いそうだ。特に殺す必要も無い」
「……散々な評価だな」
「事実だ」
「俺を……謀りやがったな」
「それが大人というものだ」
「……ち」
舌打ちして、死体のいない床を狙って唾を吐く。どこか内臓から出血しているのか、赤い物が混じっている。重傷ではあるが、大人しくしていればコードハッキングの治癒力でどうにかなる程度だ。
業腹ではあったが、安堵せざるを得ない。この男は実際にあやめを殺す事も出来たのだ。髪に向ける刃を、首に向け直すだけで良い。
「なんで、殺さなかった」
「一人この手にかけて分かった。女を殺すのはどうにも、不快だ」
「……欺瞞だ」
「大人だからな。色々と諦めている。そうやって、自分の悪性を直視するのは苦痛で、疲れる」
「……うるせぇよ」
納得が行かず、いなきは森羅の目線から顔を逸らした。
「お前も、いずれそうなる。老獪で、巧みになると同時に、卑劣にもなる。俺が殺した女はあらゆる変化には犠牲が不可欠と言っていたが、つまりはそういう事なのだろう」
「……説教かよ。こんな所でする事か」
「いや、自戒だ。……俺は過去から、目を逸らした」
言う通り、自嘲めいた嘆息を漏らす森羅。
「お前が斎姫をここに連れて来たのではない。あの娘が、それを望んだのだ。巻き込まれたのは、お前の方なのだろう」
「……違う、俺は」
「俺は、十年前に知っていた。あの娘ならきっとそうすると」
いなきの反駁を無視して、森羅は過去に目を向けた。
「全ては終わった――そう言った俺を、あの娘は睨み付けた。満身で否定するように。そして、」
疲労を覚えたのか、森羅は近場の瓦礫に腰を下ろす。右の手の平を見つめて、
「いつき、と。あれは自分の名を何度も呟いていた。言葉の存在しない環境で生きてきたはずなのに。……それは、つまり」
「?」
森羅は、色褪せた過去を遠巻きにするように、決して届かない場所に離されてしまったのを惜しむように、呟く。
「あの娘は、仇を討つ為に大樹の前に立つのではないという事だ」