目の前のモニターに映る管理局の青い制服を着た若者が、艦隊司令であるギル・グレアムへアルカンシェルの発射を要請している。
艦船エスティアは闇の書の暴走により制御を奪われ、若者、エスティア艦長のクライド・ハラオウンを残し、後の乗員は退避している。
既に時間はない。
クライドの脱出する時間も、アルカンシェルを発射するか迷う時間も。
俺は右手で未だに若々しい色を保っている茶髪をくしゃくしゃにし、舌打ちすると、要請を受けたグレアムに声を掛ける。
「グレアム」
「何も言うな。ヨーゼフ・カーター二等空佐。これは命令だ」
ヨーゼフ・カーター二等空佐。つまり俺はそうグレアムに命令され、そして、その通り押し黙る。
グレアムの片腕として、若い頃は多くの戦いを共にくぐり抜けて来たし、同時に無二の親友であると自負している。そんなグレアムが敢えて命令の形を取った。その意味が分からないほど落ちぶれてはいない。
十年前からミッドチルダにいる妻子の為に地上勤務をしていたが、今回の闇の書の守護騎士への対抗戦力として、グレアムに呼ばれ、周りの反感を買いながらもここまで来た。
なのに結果はこれだ。
俺の目にアルカンシェルの発射を決めたグレアムの背中と、これからの管理局を支える筈だった若き艦長の敬礼が映る。
発射されたアルカンシェルがエスティアを飲み込み、闇の書も破壊する。
同時に俺は理解した。俺とグレアム、そして時空管理局がまたもや失敗し、悲劇を先送りにした事を。
それから数日後。俺は時空管理局を辞職した旨をグレアムに伝える為、本局のグレアムの部屋に来ていた。
「俺は引退だ。もう自分より若い奴が死ぬ所なんか見たくねぇからな。お前も第一線から引くんだろ?」
「ああ。責任も取らねばならないしな。だが、お前のように引退する訳にはいかない。後継者にする筈だった男を死なせてしまったからな」
グレアムは自嘲気味に笑う。
そんなグレアムに何か声を掛けようとして、俺は口を開き、しかし、音を発する前に閉じる。
引退と言う逃げの一手を真っ先に打った自分に何が言える。
そう心の中で呟き、そして俺とグレアムの間に重苦しい沈黙が流れる。
そんな空気を破ったのはグレアムへの通信だった。
「何かな?」
「はっ! リンディ・ハラオウンが面会を求めています」
若い青年がモニター越しにグレアムにそう告げる。
俺は了解した。とだけ言い、通信を切ったグレアムの顔に映った色濃い苦悩を感じ取る。
「奥さんか」
「子供が生まれたばかりだった……。これからの筈だった。私の責任だ……」
「お前は良くやった。少なくとも、過去の闇の書の事件と比べれば、被害は小さかった」
「お前が守護騎士達を上手く押さえてくれたからな……。感謝している。無理を言って済まなかった」
俺の気休めにそう返したグレアムは、椅子から立ち上がり、俺に右手を差し出す。
俺はそれに応え、グレアムの右手を握る。
「長い間ありがとう。お前は……良きライバルであり、良き同僚であり、最高の親友だった」
「そんな褒めんな。それにライバルってのは違う。俺はいつだって前線で走り回ってただけだ。お前が上に行って、俺達みたいな下っ端が動きやすいようにしてくれた。お前のライバルなんて、俺には到底務まりやしねぇよ。俺にとって、お前は最高の上官だった」
俺はそう言って、グレアムの手を離すと、管理局に入って数十年。今までで一番綺麗な敬礼でグレアムに別れを告げた。
俺はこの時、気づくべきだった。グレアムの目に宿っていた負の感情に。
俺はこの時、逃げるべきじゃなかった。先送りにしたと自覚したならば、次こそはと思うべきだった。
そう、せめて管理局に残っていれば、年端も行かない幼い少女にすべての責任を背負わせる事なんてしなかった。
けれど、それは結局ただの後悔で。
◆◆◆
十一年後。
闇の書の事件が奇跡的な展開で解決された時、俺はミッドチルダの北西部にある小さな街の小さな家で、一人寂しく暮らしていた。
嫁に先立たれ、娘も結婚して家を出た。
まだまだ体は動くしボケちゃいないが、人生の楽しみが減ったのは感じていた。
事件の詳細はグレアム本人から聞いた。
話が始まり、途中何度も殴ってやろうかと思ったが、俺にはそんな資格が無い事を思い出して堪えた。
久々の親友との会話だったが、全く楽しくなく、むしろ苛立ちだけが込み上げてきた。
なにより一番頭にきたのが。
「責任を感じての償いだぁ? 十歳の子供にそんな事を言わせたのか!?」
「ああ。守護騎士たちを止められなかった責任だと。おそらくそれ以外の責任も背負う気なのだろう……」
「なのだろうじゃねぇ!! そのはやてって子は、これまでの闇の書の事件の責任にも背負うって言ってんだぞ? 分かってんのか!? 遺族の悲しみも怨みも受け止めるって言ってんだ! 子供がそんなもんに晒されてまともでいられか!!」
「本人の意思だ……。私の部下たちや友人たちに彼女の事は頼んである」
俺はグレアムの服の襟を掴むが、グレアムは抵抗せず、悲しげにそう呟くだけだった。
「お前が守れ。お前なら守れる」
「私は道を誤った。私には彼女を守れない……!」
「管理局の英雄、ギル・グレアムが子供一人守れないだと!? 笑わせるな!」
「ヨーゼフ……。許してくれ。私は彼女を直視出来ないんだ……」
静かに涙を流すグレアムに、俺は唇を噛み締める。
罪の意識に苛まれる姿は、痛々しく、今まで見たことのないものだった。
こいつと居ればどんな事件だって解決できる。
こいつと俺が組めば、だれだって救える。
そう思ってた。
けど違った。それに気づいて、俺は時空管理局を辞めた。
そんな俺が、一人苦しんでいた親友を見捨てた俺が、何を言える。
俺はゆっくりグレアムの服を離す。
既に俺は管理局員では無い。そしてグレアムもすぐに引退する身だ。
無力感が俺に襲いかかる。
何も出来ない。幾つもの世界を守ってきた実績のある二人が、今、一人の少女に何もしてやれない。
時代は変わる。既に俺たちは現役じゃない。
グレアムの部下や友人たちなら、上手く八神はやてを守るだろう。
だが、そいつらにだって防げないものもある。
言葉にならない悪意や、刃のような言葉は防げやしない。
せめて、現役だったなら。
威光でもなんでも使って、助けてやれるのに。
そう思った時に、俺はグレアムの言葉を思い出した。
後継者。
グレアムにとってのクライドやクライドの息子。
そんな後継者が、俺にも居れば。
「おいグレアム。俺は弟子を探すぞ」
「いきなりどうした? ヨーゼフ」
「俺の後継者を探す。馬鹿でも弱くても良い、ただ、俺に似てる奴を探す。俺に似てる奴なら、八神はやてが困った時には放っておかないはずだからな!」