目を覚ましたオレの視界に一番初めに入ってきたのは白い清潔そうな天井だった。
寝ているのは同じく白で統一されているベッド。よほど疲れているのか、それともベッドが上質なのか、柔らかさが今までにない程心地良い。
体には重度のだるさと微かな痛みが残っており、起き上がる気が起きない。その為、体を起こして場所を確認はしていない。
だが。
部屋には微かな薬品の臭いがする。独特な臭いと、静かなこの場所は。
「病院か……」
『正解だ。相棒。ちなみに今日は六月四日。時刻は午後の三時半だ。丸一日は寝てたな』
合っているらしい。しかも丸一日も寝てたのか。
オレはヴァリアントの声がしたので、首だけ動かして右を見る。
カーテンの掛かった窓の下。棚の上に赤い菱形の宝石姿のヴァリアントが点滅しながら言う。
「はぁ……生きてんだな……」
『ああ。流石に駄目かと思ったが、相棒もなかなか運が良いな』
「みたいだな……」
オレは全身から力を抜く。
ヴァリアントと話した事で安心したからだ。力を抜いても受け止めてくれるベッドの柔らかさが非常に気持ちいい。
このままもう一眠り行きたい所だが、幾つか聞かなきゃいけない事がある。
「あいつらはどうなった……? 依頼主について吐いたか……?」
あいつらとは当然、アトス達の事だ。
気絶したオレはその後の事を知らない。奴らが依頼主について吐けば、はやてさんを狙った人間について一気に調査できる。
とは言え、守護騎士をはやてさんから引き離したとアトスが言っていたから、相当、管理局に影響を持っている人間の可能性が高い。あいつらの証言だけで逮捕できるかは分からないが、大体の的を絞れれば、徹底的に調査すればいいだけだ。
そう思っていたのだが。
『相棒。冷静になって聞けよ。動くと体に悪いからな』
「何だよ……?」
『あの三人組は……逃げた』
「はぁ!? 痛って!!」
『だから冷静に聞けって言っただろ』
思わず体を起こしたせいで、体のあちこちが痛む。特に横腹と包帯によってぐるぐる巻きにされた右腕の痛みはきつい。
しかし、ヴァリアントはそう言うが、落ち着ける話じゃない。起き上がってみれば、ここが割と広めな個室だと気づいたが、それはどうでもいい。
あの場に居たのは名の知れた面子だ。
第二分隊だって陸士隊じゃ十分強い分隊だし、消耗していたとは言えオーバーSランク魔導師のはやてさんも居た。それに加えて、援軍として守護騎士とエースオブエースとまで呼ばれる高町なのは二尉率いる戦技教導隊の分隊まで来ていた。
それから逃げる事ができる人間など、管理局にだって殆ど居ない筈だ。
「一体、どうやってだ!? 長距離転移でもしたのか……? いや、発動前に化物砲撃が来て終わりだ……本当にどうやって……」
『余程、エースオブエースの砲撃が恐ろしいと思ってるんだな。間違っちゃいないが。まぁ逃げられた理由は幻術だ』
「幻術!? あれだけの人間達を騙したってのか……!?」
『それが問題でな。今、色々と調べてるらしい。ちょっと間抜けに聞こえるかもしれないが、高町二尉が気づいた時には既に幻術だった。まぁあのアトスって奴がやったんだろう』
言われたオレは唇を噛み締める。
確かにアトスの幻術はまるで実物と変わりない。刺したにも関わらずオレは気づかなかった。まぁ血を流すなんて細かい所まで再現できる奴なら、エース級を欺いてもおかしくはないが。
『そう悔しそうな顔しなさんな。結果オーライではある。けが人は肋骨が折れた三尉と相棒だけだし、八神一尉は無事だ。まぁ、あの戦力で取り逃がした事に地上本部のお偉いさんはかなり怒ってるらしいが、部隊長のおっさんは、最優先事項の八神一尉の救出は達成出来たって、のらりくらりと躱してるみたいだぜ。あのおっさん。多分もう出世無理だろうがな』
「元々、部隊長は出世に興味はないさ。上に行けば行くだけデスクワークは増えるしな」
そう言いつつ、オレは視線をヴァリアントから逸らす。
まさか逃げていたとは思わなかった。
強いとは思っていたが、アトスの底は知れない。
とんでもない奴に挑んだものだが、そこより重要なのは。
「首謀者は分からずじまいか……」
『相棒……。自分が無事だった事を喜ぶべきだぜ? あのアトスってのはやべぇ。俺も前の相棒と色んな奴と戦ったが、奴はその中でも上位に入る強者だ。他の二人もまともに戦えば、相棒が全力でやったって間違いなく負ける相手だ』
「分かってる……。運が良かった。オレがここに居るのはそれに尽きる……」
オレはそう言って俯く。
アトスは勿論、アラミスだって不意打ちの傷が無ければミーティアを発動させた状態でも負けてた筈だ。それにオレのミーティアの発動限界は魔力が全開の時で五分。あの実力者たちなら、五分程度を凌ぐのは訳ないだろう。
「ヴァリアント。オレの戦闘時間は何分だ?」
『最初からなら三十分弱だ。それも移動時間を含めればだがね。あの三人組と接触してたのは七分強。喋ってた時間を含めなければ、実質戦ってたのは三分弱だ』
「三分弱か……」
それはつまり、全力で三分しか戦えなかった事を示す。ミーティアを使えたのは一分強と言う所か。そして三十分という短い戦闘時間でオレは全ての魔力を使い切った。
それらは由々しき問題だが、オレにとって最も問題なのは。
「三分しか守れなかったのか……」
その三分にどんな意味があったのだろうか。
あれだけの面子を揃えていたんだ。部隊長は端からクラナガンから逃がす気はなかったんだろう。
奴らは逃げるにしても結界から出なければ行けない。
オレがはやてさんを渡さないと決めて戦った時間は一分強。
その一分があったから、烈火の将もエースオブエースも間に合ったし、先輩たちも来てくれたと捉えられるが、その一分強程度で奴らに何ができたかと考えると、非常に無意味に思える。
その一分強で長距離転移の魔法を発動したとしても、自分と第三者を移動させるのは非常に時間が掛かる。奴ら三人ともが使えたとしても、はやてさんを連れて行かなきゃいかないから、一分強で転移できるかはかなり怪しい。
オレが戦おうが、戦うまいが、結果は変わらなかった。オレの戦いは、オレの自己満足で、オレの傷は自業自得だ。
まぁ喋ったりして七分の時間を稼いでいるのを考えれば、時間稼ぎは成功したんだろう。戦う必要はなかったが。
オレは部隊長の言葉を思い出す。
「だから逃げろと言ったのか……」
「わかったようで何よりだよ」
オレは聞こえた声の方向。病室のドアの方向を見る。
いつの間にか部隊長が立っていた。考えすぎでドアの開く音が聞こえなかったらしい。
「ノックしたのだけど返事がなかったから入らせてもらったよ」
「あ、すみません……」
「気にしなくていいさ。傷は痛むかい?」
部隊長に聞かれ、オレはいいえ。と答える。
正直な所、ずっと痛みを感じているが、素直に痛みますと言うのはプライドが邪魔した。
それを感じ取ったのか、部隊長は苦笑して言う。
「痛まない筈ないんだけどねぇ。ここの設備でも全治三週間らしいし」
「ここは?」
「聖王医療院さ。八神一尉のコネで入れてもらったんだ。彼女も昨日はここに居たんだが、今日は安静にすることを条件にミッドの自宅に戻っているよ」
「今日は誕生日らしいですからね……。親しい人と一緒に居たいんじゃないんでしょうか」
言っていて何となく気持ちが落ち込む。理由は簡単。彼女の親しい人にオレが入っていないからだ。
忸怩たる思いとはこんな感じだろうか。
それとも嫉妬だろうか。
微かに思ってしまった。命を掛けて守ったのに。と。
すぐに自分の小ささを自覚する。
なにより守れてはいない。オレは彼女の騎士のような気分で居ただけだ。
はやてさんを守ったのは彼女の騎士と親友だ。オレじゃない。
「悔しそうだね……。そんなに何が悔しいんだい?」
「何が悔しいか……ですか?」
「うん。だって、八神一尉は無事じゃないか。君が必死に守った人が無事なんだ。これ以上、何を望むんだい? 僕はかなりいい結果だと思っているけれど」
部隊長はベッドの横にある椅子に座りながら、満足気にそう言う。
そりゃあ部隊長は満足だろう。
色々、策を巡らしていたようだし、はやてさんを助ける事が第一に置いていたようにも思えた。それなら、部隊長の策は成功し、自分の目的を果たしたと言える。
そこまで考えて、オレは自分がどうして悔しいのか分かった。
結果的にはやてさんは助かった。その事には満足するべきだ。
けれど。
「オレは……役に立てなかったので……」
「そうだね。元々、君を選んだのは八神一尉への配慮だ。同年代の方がなにかと気が楽だろうと思ってね。襲撃があれば逃げろと言ったのも、君の一人では一尉を襲撃する相手には敵わないと思ったからだ」
「……はい。その通りでした……」
「本当は君を一時離脱させた後、第二分隊の三人で足止め、君には後詰の部隊と共に救援に向かわせる予定だった。まぁそれは上手く行かなくて、第二分隊は護衛から引き剥がされたけどね。僕の策はそこまで。結果オーライになったのは本局のリンディ・ハラオウンが守護騎士と戦技教導隊を派遣してくれたからだ」
部隊長は、やはり本局の人はすごいねぇ。と呟き、オレを見る。
その顔はいつものとても頼りない顔の筈なのに、この人の実力の一端を見た後だと、実力を隠す仮面にしか見えない。
オレが考えた事を分かったのか、部隊長は薄い髪を撫でながら言う。
「僕は臨機応変に対応するのが苦手でね。熟考し、これと決めた策を仕掛けるのは得意なんだけど、破られた時に対応できないんだ。だから極力リスクを削っていく。自分の部隊で実行か可能か検討して、行けると思ったら、周りの部隊への根回しから始める。そして、部下にギリギリの役目は与えない。僕は部下や市民を危険に晒さない事を最優先に置いてるからね。だから、今回は失敗とも言える。君に怪我をさせてしまった」
「オレが……部隊長の命令を聞かなかったからです……逃げなかったからです」
「それが失敗だったんだ。分かっていた筈なんだが、失念していたよ。君が諦めない事に関しては部隊一だと言うのをね」
部隊長はため息を吐いてそう言った。
そのため息は部隊長が自分に呆れて吐いたモノだとは分かっているが、あまり気持ちの良いものではなかった。
表情に出てしまったが、部隊長は気にしないで話を続ける。
「君が少しでも親しくした人を置いて逃げる事を許容出来ない事は考えれば分かる筈だった。気が回らなかったのと、僕自身が諦めやすいからちょっと気付かなかったんだ。諦めない人間は、結果だけでは判断しないのだと。君は分かっているだろうけど、君が戦わずとも、八神一尉は助けられた。だから君が逃げたとしても変わりはなかった。でも君は良しとしなかった。例え一度でも彼女が敵の手に渡る事を、彼女を一時でも見捨てる事を、戦わず敵に背を向ける事を、君は許容出来なかった。だから悔しいんだろう?」
部隊長はそう言って、優しげに笑うとオレの頭を撫でる。
オレは当然の行動に戸惑うが、振り払う気にもなれなかった。
「君は彼女を守り、助けたかった。だからこそ戦った。それが無意味のような気がして、諦めないと、強く心に刻んで戦った事が無駄だったような気がして、強く強く思っていた分、悔しいんだろう?」
「……はい。悔しいです……! 大事な役目を任せてもらえなかった事も、信頼を勝ち取れなかった事も、全力を出して負けたことも、悔しいです! けど! あの時戦ったオレの決意が結果的に無意味で無駄だった事が悔しい!! そんな結果になってしまった自分の無力が、守ろうとした人も守れない自分の弱さが……憎らしいです……」
涙が溢れてくるのを止められなかった。
人の前で無くのはいつぶりだろうか。
泣くほど悔しいと思ったのはいつぶりだろうか。
強くなったつもりだったのに。これほど差を見せつけられたのはいつぶりだろうか。
泣くオレの頭を撫でながら、部隊長は言う。
「そうだね。君は弱い。無茶や無理をすれば危険だ無謀だろ言われるほどに。でも、今回、君のその無謀な行いでも救われた人を僕は一人知っている」
「誰ですか……?」
「八神一尉だ。勿論、彼女の命を救ったのが君だと言うつもりはないし、君の行動は危険なモノだった。それは八神一尉も分かっている筈だが、彼女はここに運ばれるまで、目を覚まさない君の手を握りながら、何度もごめんとありがとうを繰り返し言っていた」
それは初耳だ。自分も一度ブラックアウトダメージで意識を失ったと言うのに、オレにそんな事を言っていたのか。
まずは自分の無事を喜ぶべきだろうに。
「彼女は闇の書に置ける全責任を背負うつもりでいる。それは一人で背負えるモノじゃない。だから、彼女を支える人達が居る。でも、それは親しい人たちだ。君のようにあったばかりの人の優しさは、慣れてない分、とても嬉しかったようだよ」
部隊長はそう言うと、オレの頭から手を離す。オレの涙が止まっていたからだろう。
オレは誰かに無駄じゃなかったと言って欲しかっただけだ。子供のように自分がやった事を評価して欲しかっただけなんだ。
それに気づくと、何だか無性に恥ずかしくなる。
そんなオレを気にせず、部隊長は胸のポケットから情報端末を取り出すと、椅子から立ち上がり、ヴァリアントの方へ歩いていく。
「ヴァリアント。これを読み取ってくれないかい?」
『はいよ。ん? 通信回線の番号か?』
「ああ。八神一尉の番号だ。君が目を覚ましたら渡して欲しいと頼まれてね。連絡してあげなさい。心配していては誕生日を楽しめない」
部隊長はそう言うと病室から出ていこうとする。
それをオレは思わず呼び止める。
「ぶ、部隊長!」
「ん? なんだい?」
「その、オレは……強くなれますか? 今よりも……ずっと強く……エースを守れるくらいに!」
この人の見る目は確かだ。そうやって訓練校から引き抜いた魔導師たちはあちこちで活躍している。
この人の目にはオレはどう映っているんだろうか。
それがとても気になった。
「どうかなぁ。今の君の強さは、何年も君の師匠と共に駆け抜けてきた経験を持つ優秀なデバイス、師匠が使っていた魔法、そして師匠が開発した戦術。すべて師匠譲りだ。特にデバイスの補助は大きい。君自身の力は同年代の魔導師と大してかわらないと僕は思っている」
「それは……」
「君の強さはまだ借り物だという事だよ。ヨーゼフ先輩のね。まぁ君を引き抜いたのは先輩の弟子だからじゃない。見えたからだ」
部隊長が師匠を先輩と言っているのは初めて知った。
知り合いでオレと師匠の事を知っている事は告げられていたが、先輩と後輩だったのか。
それよりも、大切なのは部隊長の見えたと言う言葉だ。
「それは強くなれる可能性がですか……?」
「違うよ。私は素質を見ている訳じゃない。見ているのは強くなる意思があるかだ。君にはあった。ただ、一つ言えるのは、君はエースにはなれないと思うよ」
「その域には届かないと……?」
「エースと言うのは遥か高みにいる人間への敬称だよ。それは実力以上のモノで所属している部隊、積み重ねた実績、称号。そう言う付加的なもので築かれる強き偶像がエースだ。だから、君がエースと呼ばれるようになるには今からかなりの時間が必要だろうね」
「なるほど……。オレは強さを象徴する称号だとずっと思ってました」
「間違ってないけどね。意味も通じるし。まぁ言葉の説明なんて仕方ないね。君が強くなれるかどうかは君次第だよ。今の僕にはこれしか言えないかなぁ」
「そうですか……。分かりました。ありがとうございます」
「気にしないでいいよ。とりあえずヨーゼフ先輩のモノを自分のモノにする事から始めなさい」
部隊長はそう言うとオレに背を向けて病室のドアの方へ歩いていく。
求めた答えを貰えたわけじゃないが、それを答えられる人はよく考えればいない。努力次第でどうにかなる。
オレはそう前向きに捉えた。
別にエースを守るのにエースである必要はない。
「……ああ! それと、君にはエースより似合う称号があるよ」
部隊長はドアの前で思い出したように振り向き、オレにそう言う。
オレは思わず身を乗り出して聞く。ちょっと傷が痛んだが気にしない。
「どんな称号ですか!?」
「君は知らないかい? その人が居れば困難な状況でも大丈夫と思える信頼を置かれた人間へ与えられる称号だ。エースが強い偶像なら、それは等身大の実像。その人の努力、行動を見た人たちが、確かな確証を持って信頼を預けられる。その人の諦めない姿に感化されて、自分も諦めないと思える。憧れじゃない。心強い戦友として、人はそう言う人はストライカーと呼ぶんだ。かつて、君の師匠もそう呼ばれていた。無茶で無謀な行動も、あの人がやれば勇気づけられた。それは信頼していたからだ。君もそれくらいになって欲しいと思っているよ。まぁあんまり無理も無茶もして欲しくないけどね」
最後にそう付け足して、部隊長は笑顔で病室から出て行った。
残されたオレにヴァリアントが声を掛ける。
『連絡するかい? あんまり遅いと向こうも迷惑だろ?』
「待った。ちょっと待ってくれ!」
『ああ。さっきまで泣いてましたって顔じゃまずいか。どうする? 痛みを我慢して顔洗うか? それともその顔で行くか?』
「……顔を洗う」
『やめといた方がいんじゃないか? 洗って戻ってくるまでに涙目だぜ?』
「うるさい!!」