結局、顔を洗うだけで二十分近くも掛かってしまい、その後も痛みでぐったりとしていたら、時刻は午後の六時に迫っていた。
もしかしたらもう、誕生日会は始まっているかもしれない。流石に誕生日会の最中に連絡を入れるのは気まずい。だからと言って時間が経つのも気まずい。
どうしようかとベッドにうつ伏せになって考えているとヴァリアントが声を掛けてくる。
『なぁ相棒。悪いんだが、もう時間も遅いから……』
「それが拙いんだろ。誕生日会の真っ最中だったら気まずいだろ」
『悪い。相棒。そうじゃなくてだな……』
「お前、主役が誕生日会そっちのけで通信してたら誕生日会盛り上がらないし、多分周りの人もいい気がしないだろ? ヤバイでしょ。あのメンツに睨まれるって」
オレは布団を上から被ってガクガクと震える。
大切な主の大切な日に、無粋な輩が連絡しようものなら、守護騎士たちは怒るに違いない。
ダメだ。やっぱり連絡するのはやめよう。
『いや、相棒。とりあえず、こっちを向け。それが相棒の為だ』
「体が痛いから無理。それにあそこには多分、高町二尉がいるんだぜ? イラっときてここまで飛んできて砲撃されたらどうすんだよ。オレは無理だぜ。あんな砲撃食らったら生きてらんないよ。屋上に突き刺さるあれを見たとき、マジで管理局側で良かったと思ったもん。犯罪者だったらあれを喰らうんだぜ? 非殺傷でも死ぬっての」
それを言い終わると、何故かヴァリアントが押し黙る。
オレは枕に埋めていた顔を上げると、布団を剥いでゆっくりヴァリアントの方を向こうとして、聞こえてきた声に固まる。
『あかん!! なのはちゃん! 待つんや!! レイジングハート置いて!! 早まったらあかんって!』
『離して! はやてちゃん! これを許したらエースオブエースの名が泣くの!』
『めっちゃ小さっ!? それこそその名が泣くで!?』
『はやてちゃん。教導官は舐められたら御終いなの! きっちり力関係を最初に教えておくのが上手い教導のコツなんだよ!』
『今からするのは教導やのうて粛清や! そんな事やっとるから怖がられるんやで!』
オレは耳に入ってきた声を両方知っていた。片方は一日半ほどパートナーだった今日誕生日の女の子だ。
もう一人は恐怖と共に声が耳に残っていたから知っている。
言葉のキャッチボールは一度。
向こうは降伏勧告。こっちは了承と言う最初の会話としては恐ろしいモノだが、それ故、オレはその声を知っている。
見たくない。けど見ないとおそらく、直接こっちに来る。彼女ならすぐに来るだろう。飛行許可が降りればだが。
オレは恐る恐るヴァリアントの方を見る。
画面が宙空に表示され、上には通信中のマークが。
画面に映っているのは、焦った表情のはやてさんと杖を持ち、どこかへ行こうとする女の子の後ろ姿。
『悪いな。もう遅いから勝手に繋げてみたら、八神一尉がすぐに出ちまって……あれだ。相棒を一人にはしないぜ?』
「お前はバカか!! なんて事を! こんなボロボロの状態じゃ逃げられない……。終わった。短い人生だった。後、隣の病室の人ごめんなさい……」
『カイト君!? 布団に包まっとらんで弁解せな! このままじゃ、ホンマにそっちに行ってまうで!?』
無理。声と言っている事が怖すぎてとてもじゃないけどそっちを見れない。
思わず涙が出てきそうになる。何となく犯罪者の気持ちがわかった。毎日、こうやって怯えているんだろう。
『大丈夫だよ、はやてちゃん。隣に被害は及ばないように砲撃は拡散させずに集中させるから!』
『そう言う問題ちゃうわ! それに威力を上げてどないすんねん!? とりあえず杖をしまいや。まずは話し合いや!』
『うん。だからこれからお話してくるよ! 多分、終わったら私の事わかってくれる思うの!』
絶対に分からない。話し合いに杖を持ってくる人の事なんて分かりたくはない。
分かりたくはないが、だからと言ってこのまま分かり合えないままだとあの砲撃を食らう事になってしまう。
部隊長も言っていたじゃないか。オレのコミュニケーション能力を買っていると。ここが力の見せ所だ。
オレは震える体をどうにか布団から出し、画面の向こうにいる二人の少女を見る。
オレは深呼吸をして、はやてさんの腕を振り払おうとしている微かに顔の赤い高町二尉を見る。
もう完全に目が危ない人だ。いや、顔の赤さを見るに、どっちかって言うと。
「酔っ払い……?」
『ごめんなぁ。アルコールを間違えて飲んでから色々過剰反応気味なんよ……』
はやてさんがオレの言葉を拾ってそう答える。
管理局員なのに未成年飲酒はいいのかと思わんでもないが、間違えらしいし、まぁ良いだろう。
それより、過剰反応しているだけなら手はある。神はオレを見捨てていなかった。いや、本当に殺られるなんて思っていなかったけど、教導隊スペシャルコースくらいなら有り得る気がしたから怯えてた。後、目が怖いから。
「高町二尉。よろしいでしょうか」
『何かな? リアナード陸曹。お話したいなら今からそっち行くから待っててね』
「いえ、さきほどの言葉、非殺傷でも死ぬと言う言葉ですが」
はやてさんの顔が見る見る青くなり、高町二尉の笑みが更に濃くなる。おそらくどうやってオレに砲撃しようか考えているんだろう。多分、バインドからの砲撃だろうな。恐怖を味あわせる為に。
しかし、それは実行されないことだろう。
「続きがあります。それは、そう思う程の威力がありながら、決して怪我をさせない高町二尉の技術の高さは流石! と言う事モノです。教導でも誰にも怪我をさせずに、しっかり威力を調節する優しさをみせる! まさに教導官の鏡だと自分は思っています!」
過剰反応中なら褒めてやればどうにかなる筈。オレだったら褒め言葉としては受け取らないけど、多分この人なら。
『や、優しい? 教導官の鏡? 嫌だなぁ。リアナード陸曹。褒めすぎだよぉ。そんなに凄くないよ。私』
「いえ、ご謙遜なさらずに! 昨日も素晴らしいタイミングでの登場! 今日も友人の為に予定を空けたのでしょう? なかなかできる事じゃありません。味方として頼りがいがあり、尚且つ人間的に尊敬できる貴女は、まさに!」
『エースオブエース!! そうなの!! 私はエースオブエースなの!!』
高町二尉はそう言うと、腕を掴んでいたはやてさんを振りほどいてどこかに行ってしまう。今の様子でこっちに来る事はないと思うが。
『あ~、そっちには行かんと思うから、安心してや』
「生き残った……すげー、オレ。交渉部隊に転属しようかなぁ……」
『あかんあかん。あれは酔っ払ったなのはちゃんやから成功したんや。普通なら怒っとるで?』
「冗談ですよ。オレはバカですから。交渉役なんて務まりません」
『せやな。自分で突入してまうんやろ?』
「そうですね。多分、そうしちゃうかもしれません」
オレがそう言うと、はやてさんは顔を俯かせる。
それがオレの言葉が原因だとは分かっているけれど、何て声を掛ければいいのか分からず、オレははやてさんが何か言うのを待つ。
はやてさんは顔を上げずに小さな声で聞いてくる。
『傷……痛むん?』
「まぁ痛いですね。全治三週間らしいです。リハビリ合わせるともうちょいかかるんじゃないですか?」
『そうやろうな。血、めっちゃ出とったもん……。わかっとるん? 死にかけたんやで?』
「無謀だったと部隊長に言われました。オレもそうだったと思っています。ただ」
『ただ……?』
「はやてさんを渡さずに、戦った事は後悔してません。無駄だったとしても、無謀だったとしても、オレは守りたいと思った人を守ろうと思って、行動できた。だから、気にしないでください」
オレが笑いながらそう言うと、はやてさんが顔を上げた。大きな目に一杯の涙が溜まっている。
そんなはやてさんは何度か大きく息を吸って、自分を落ち着かせてから言葉を発する。
『気にするで……。カイト君が倒れた時、何度呼んでも起きへんから……私、カイト君が死んでまうんやないか思うて……! 怖かった! 私は誰かの犠牲の上でまで助かりたいなんて思わへん! それが私を心配してくれた人なら尚更や!!』
「はやてさん……」
『二度とせんで……。お願いや……』
はやてさんの頬をゆっくり静かに涙が伝っていく。
その涙を止めるのは簡単だ。頷き、分かりましたと言えばいい。
けれど。
「約束はできません。オレは弱いですから。無茶も無理もしないと救えない。守れないんです。オレは目の前の誰かから目を逸らす事も、諦める事も出来ません……」
『分かる……分かるけど……』
「だから、強くなる事を約束します。怪我をしないくらい、はやてさんが見ていて心配じゃないくらい強くなります。なら、安心でしょ?」
正直、そのレベルの強さが手に入るのはいつになるのか分からない。
この人が心配せずに見ていられるレベルとはどれほどなのかも分からない。
先輩達くらいか。それともはやてさんの守護騎士ほどなのか。はたまた高町二尉のレベルか。
分からないけれど、努力する事だけは必ず約束しよう。その意思だけは。
目に込めた強さを感じ取ったのか、はやてさんは何も言わず、肩を震わせながら静かに涙を流している。
しばらくすると、はやてさんは手で涙を拭う素振りを見せる。
『約束やで……。強くなるって……』
「はい。約束です。強くなります。今回の事件で自分が弱いって事は十分分かりましたし、とても悔しかったですから。次はあいつらを必ず逮捕します」
それは当面の目標としてはかなり高い目標だが、奴らを野放しにする訳にはいかない。
今回の事件の黒幕もこのままでは終わらないだろう。そう言う意味では、まだこの事件は終わってない。
オレが心の中で決意を固めていると、はやてさんが先ほどの震えていた声とは違う、明るい声で聞いてくる。
『カイト君。私、指揮官研修する言うたやろ? あれな。ミッドの104部隊なんよ』
「北部の? クラナガンからはそんな遠くないですね」
『せや。まぁ四月に居た部隊に出戻りなんやけどね。今回の事件で、研修予定だった部隊じゃ何かあった時にクラナガンから遠すぎる言われてもうてな。条件に見合う部隊が見つかるまでは私は104部隊や』
「でも異動が掛かってもクラナガンからはそんなに離れないんですよね? なら、また会えますね」
『せやねん! なのはちゃんもフェイトちゃんも最近忙しそうやから遊びにも誘い辛いし、近場に同年代が居るんはめっちゃ大切なんよ!』
嬉しそうに言うはやてさんだが、それはオレを遊びに誘うと言う事だろうか。一対一は恥ずかしいから止めて欲しいけど、だからと言って、はやてさんの知り合いが来るのも困る。何となく有名人な気がする。
いや、守護騎士たちが総出で来るかもしれない。美人に囲まれても全然嬉しくない気がする。寧ろ、胃が痛くなる気が。ハーレムなんてバカな事を言っていた時期があったなぁ。
「一ヶ月に一度、いや、二ヶ月に一度くらいにしてください。胃が……」
『なんでや!? ってかどないしたん!? いきなりお腹押さえて。顔色悪いで?』
「いえ、ちょっと想像したら胃が……」
『一体何を想像したねん!? まぁええわ。でも、休みが合わんかもしれんし、会えるのは二ヶ月に一回ってとこかも知らんなぁ』
「まぁ同じ事件を担当でもしない限り……いや、部隊長なら平気で出向させそうだな。どうしようかなぁ。出向って結果残さないと肩身狭いんだよな……」
オレは色々先々を予想し、胃を撫でる。今は傷より胃の方が痛い。想像でこれだ。実際になったら胃に穴が空いてしまうかもしれない。
『大丈夫や。何かしてもフォローしたるから』
「何かする前提なのは何でですか? あ!」
オレは会話に夢中で気付かなかったが、重要な事を忘れていた事に気が付いた。
失敗だった。真っ先に言うべきだった。
『どないしたん?』
「いえ。その……お誕生日、おめでとうございます」
『ああ。ありがとうな。同い年の男の子に祝われるのはいつぶりやろか? 小学校の頃以来? いや、どうやろうか?』
「嬉しそうにしてくれるのは良いんですが。何も渡せませんよ?」
『物やないよ。気持ちや気持ち。あっ、でも、一つお願い聞いてもろうてもええか?』
「オレにできる事でお願いしますよ……?」
オレはイタズラを思いついた子供のような表情を見せるはやてさんの様子にちょっと嫌な予感がして、若干引き気味で答える。
はやてさんは笑いながら、めっちゃ簡単や。と言う。
『敬語とさん付け禁止や』
「いや、年上になったのにその要求ですか?」
『いやならええよ。カイト君の誕生日にプレゼントとしてその権利を送るだけやから』
「マジか……」
この人を呼び捨てにしてタメ口にするのは抵抗がある。
上官でもあるし、どうしても遠い人と言う印象がある。まぁそれが嫌だからこんな要求をしてきたんだろうが。
ここで断っても、どうせ九月にはプレゼントとして送られるなら、たかが三ヶ月伸ばす事になんの意味があるのか。この人ならあれこれ理由を付けて押し切られそうだし。
逃げる事は不可能。
オレはそう判断し、分かりました。と呟く。
「敬語もさんも無しにし……するよ。はやて」
『せやせや。素直はええ事やで』
危うく敬語を使いそうになって、途中で言い直す。改めて名前を呼ぶとちょっと恥ずかしい。しかし、はやてはそんな様子は無く、満足そうにして満面の笑みを浮かべている。
『あかん! ちょっとお喋りしすぎてもうたなぁ』
オレは棚の上にある時計を見る。
もうすぐ六時半になろうとしている。何だかんだで三十分ほど喋ってしまった。
これ以上、誕生日の主役をオレが独占する訳には行かない。主にオレ自身の為に。
「じゃあ、切るよ? よい誕生日を」
『ありがとうな。カイト君。これからよろしゅうな!』
はやては満面の笑みを浮かべてそう言った。