新暦71年9月3日。
午後21時57分。
陸士110部隊・部隊長室。
「今から、囮捜査をしましょう」
部隊長室に入ったはやては、部隊長やローファス補佐官が口を開く前にそう言った。
ローファス補佐官は説明を求めるようにオレを見るが、オレも唖然としているのだから無理だ。
部隊長はずり落ちたメガネの位置を右手で直すと、一呼吸置いてから、はやてに言葉の意味を聞く。
「えっとだねぇ。それは犯人を誘き出せるって事かな……?」
「はい。ほぼ間違いなく」
「八神一尉。失礼ですが、リアナード陸曹の説明は不十分でしたか? これから動いて誘き出せるとは思えないのですが」
ローファス補佐官がオレを一瞥した後、そう言う。
まぁ当たり前か。状況が理解できてないと思われても仕方ない発言だ。犯人の情報を知っていれば、囮捜査を思いついても、明日の夜に仕掛ける筈だ。
先ほどのオレ達、第二分隊の話も、基本的には明日の夜にするのが前提だった。はやてがもう少し早く来てれば、また違ったかもしれないが、はやてが来たのは二十一時過ぎ。準備も含めれば、二十二時になる。全員が暗黙の了解で今日は間に合わないと思っていた。
説明不足を疑われても仕方ない。と言うか、オレはしてないので、サボったとも言える。ヴァリアントが雑な説明をするとは思えないし、はやてがそれで状況を理解した気になるとも思えない。
「犯人の行動時間ではない事は分かっています。ただ、市民が寝静まっている時だからこそ、出来る事もあります」
はやてはそう言うと、持っていたカバンを僅かに開く。
「リイン」
「はいです~」
おでかけカバンからリインフォースが飛び出して、はやての前に浮かぶ。
部隊長のメガネがまた少しずれる。ローファス補佐官に変わりはないが、おそらく驚いているだろう。希少なユニゾンデバイス。そうだと知らなくても、魔法が発達しているミッドチルダでも、こんな童話に出てくる妖精みたいな生き物は居ない。
部隊長とローファス補佐官、そしてオレを置いてけぼりにして、はやては話を進める。
「陸士110部隊の管轄区域の地図を」
「了解ですよ~」
リインが目の前に浮かび上がったモニターを操作すると、部隊長とローファス補佐官の目の前に大き目のモニターが浮かび上がり、そこに陸士110部隊の管轄区域が浮かび上がる。
はやては地図の横に立つと、自分の作戦を説明し始める。
「まず、最優先事項はこの管轄区域から出さない事です。なので、管轄区域の上空に広域探査を展開させ、同時に妨害用のスフィアも配置させます」
「それは八神一尉がなさるんですか?」
ローファス補佐官がそう聞く。
ウチの部隊にそんな大規模な魔法を使える魔導師は居ない。むしろ、それが使える魔導師が居れば、手詰まりにはならなかった。
はやてが言った広域探査も妨害スフィアも優秀な結界魔導師や補助系を得意としている魔導師しか使えない。
そもそも、クラナガンで結界を張るには複雑な手続きが必要だし、それが市民を巻き込むとなると、滅多に許可が下りない。だから、結界魔導師やそれに準じる魔導師はクラナガンには滅多に居ない。
はやては結界魔法の許可が下りにくいのを考慮して、上空への妨害スフィアで、転移魔法を阻害する事にしたんだろう。扱いの難しい転移魔法は僅かな誤差でも転移者が危険に晒される。だから、妨害スフィアは最善手だ。
ただ、下手な結界魔法より妨害スフィアを飛ばす事は難しい。しかも管轄区域全体をカバー出来る量を展開し、広域探査も並行して発動となると、クラナガンで出来る魔導師が居るかどうか。
「いえ、これを担当するのは、本局の医務局に所属している私の騎士、シャマルです」
なるほど。ヴォルケンリッターを使う訳か。
所属云々があるだろうが、そもそも、ヴォルケンリッターははやての個人が所有する固有戦力だ。多少の無理は通る。
そうなると、デイビスの管轄区域外への逃亡は防げる。後は、この区域でどう捕まえるかだが。
「妨害スフィアに気づかずに転移すれば、転移失敗で終わりですが、おそらく気づかないと言う事はないでしょう。デイビス・バッツは隠れている場所が見つかる前に移動する筈です。それに備えて、局員を配置します。徒歩ならば目視とサーチャーで、転移魔法ならば魔力反応で探し出せます」
地図に複数の青い点と一つの赤い点が浮かび上がる。
青はオレ達で、赤はデイビスだろう。
赤い点が移動しても、すぐに青い点が近付く。それを続けていくと。
「デイビスが一体、どれほど転移魔法を使えるのかは曖昧です。逃走中に市民を襲いかねませんから、むやみやたらに追いかけず、ここ。中央の公園に誘導します」
はやてはモニターの中央部にある公園を指差す。確かに、その公園は管轄区域の中心部だが、いったい、どうやって誘導するればいいんだ。
「外側をサーチャーと局員で時計回りに回ります。これで徐々に中央部に誘いこめます。公園には囮を配置して、デイビスが囮に食いついたら確保。食いつかず、逃げ続けるようなら、デイビスの魔力が尽きるまで追いかけっこです」
囮に食いつけばそこで終わり。そうでなくても捕まえられるが、デイビスの逃亡が長引けば長引くほど、市民の危険は増える。
局員が見つけ次第、追いかけるのではなく、じわじわと範囲を狭めて誘い込む事で、デイビスを手の平で泳がせる事が出来る。
そこまで上手くいくかは、シャマルと言う騎士次第だが、はやての言葉には疑いがない。よほど信頼してるのだろう。
部隊長とローファス補佐官が黙りこむ。
はやてに協力要請は出したが、いきなり作戦を立てて、実行しましょうと言うのは流石に無理があるか。二人は勿論、オレも部隊の人間も、作戦の要である騎士シャマルを知らない。
つまり、連携に必要な信頼がない。
八神はやてとヴォルケンリッターの噂は聞いていても、いざ、一緒に戦うとなると不安だ。それに問題はそれだけじゃない。
これは地上の事件だ。それを本局の魔導師の力で解決すれば、気に入らないとする人間も出てくる。はやての作戦では、はやて達の力が大きすぎる。110部隊は良くても、報告書を読む本部の高官たちは良い顔をするわけがない。十二年前はまんまと逃げられ、今回は本局の手を借りましたとなれば、ミッドチルダ地上本部の力が疑われる。
頭の痛い話だ。現場が上の顔色を窺って捜査を行わなければならないなんて。それは今に始まった話じゃないが。
「作戦としては問題ないかと。我が部隊の練度ならいきなりの連携も問題はないでしょう。騎士シャマルの力は八神一尉を信じるとして、一つ質問が」
「なんでしょうか?」
「囮はどなたが?」
「私ですけど? 他に居ますか?」
やっぱり。他には居ないけど、だからってそんな当たり前のような顔で言わないでほしい。
はやてが自分が囮になる事を前提に話しているのは感じてはいたけれど、実際、本人の口から聞くと抵抗がある。オレの言葉には耳を貸さない為、抵抗など無駄だが。
はやてはローファス補佐官から部隊長へ視線を移す。
視線を向けられた部隊長は、ため息を吐くとはやてへ質問する。
「他の手はないのかな?」
「今が最初で最後のチャンスです。この管轄区域内に閉じ込めている状況だからこそできる作戦です。これを逃せば、管轄区域からは逃げられ、範囲がクラナガンに広がってしまいます。そうなれば、十二年前と結果は変わらないかと」
はやての言葉が重く圧し掛かる。
明晰な頭脳ではじき出した結果だからか、それとも多くの難事件に挑む特別捜査官の言葉だからか、はたまた、オーバーSランク魔導師の言葉だからか。はやての言葉は重い。
ローファス補佐官は少し考えた後、はやてへ提案する。
「八神一尉。申し訳ないのですが、犯人の確保は、我々で行わせて頂けませんか?」
「構いません。ただ、そちらの対処が遅ければ、私や私の騎士が対処します。その後はそちらにお任せします」
「ありがとうございます。それならば、本部の高官も文句は言えないのでは?」
「……わかった。ローファス君と八神一尉に一任する。二人で細部を詰めてくれ。どんな責任でも僕が取ろう」
はやてとローファス補佐官が同時に了解の言葉と共に敬礼する。それに遅れてオレも敬礼するが、正直な話、流れを理解していたとは言えない状況だった為、了解と言えなかった。
陸士110部隊舎。
午後22時50分。
その後、はやてとローファス補佐官により細部を詰められた作戦が、部隊員に告げられた。
オレたち第二分隊は時計回りに回って、デイビスを追い詰める役目を担う事になった。
オレたちに求められるのは、確実に中央へ追い込む事。つまり外側へ行かせない事。デイビスを発見した時は、必ず公園側へ追い込む事を指示された。
待機室へ向かいながら、オレは理解できなかった事をヴァリアントに聞く。
「転移魔法でオレたちの後ろ側へ回られた場合はどうなるんだ?」
『回りこませないようにするのが相棒の役目だ。相手の逃げる意識を中央へ向けさせるんだよ』
「もしも回りこまれた場合は?」
『転移魔法は不便でな。術者のイメージが大切だ。長距離は人が居ない、広い場所を指定すればいいが、今回、デイビス・バッツが陥る状況は長距離転移が使えない状況だ。距離が制限され、なお且つ局員が追ってくる。奴の意識は逃げてる方向へ向くだろう。意識が向いてない方向に転移魔法は使えないんだよ。どこでも飛べる便利な魔法じゃないってことさ。だから意識を中央に向けさせる。落ち着かせる暇を与えない。そう言うのが相棒の役目だ』
「つまり、焦っている間にどんどん追い詰めろって事か?」
『そんな所だ。大体、第二分隊の後ろを取られても、その後ろには第一分隊が居る。相棒はそこらへんを気にする必要はないさ』
ヴァリアントにそう言われ、確かに。と納得する。オレが心配する事じゃない。はやてとローフィス補佐官が完成させた作戦だ。穴は無いだろう。もしも穴があっても、それを修正するのも指揮官の仕事だ。
オレは与えられた役目をしっかりとこなすだけだ。それがオレのように前線に立つ局員の究極的な仕事だ。
オレは意識を切り替える。
先に出動した面々に問題がなければ、出動する時間はあと五分後。待機室に入っても、すぐに出動だ。今から準備しなくては。
なにより、出動前の待機室で余計な事を考えている余裕はない。
オレは待機室のドアを開く。
中では第二分隊の先輩たちが思い思いの事をしながら、待機していた。
空気が重い。普段は陽気なこの人たちも、出動前にはとんでもなく集中する。
この人たちの中では待機室での待機時間は集中の時間だ。だから誰も喋ったりしない。入ってきたオレにも何も言わない。
マッシュ先輩はデバイスを調整しており、アウル先輩はいつでも動けるように床で柔軟中で、分隊長は作戦の最終チェックをしている。
三人の目が真剣だ。いつ見ても竦み上がる。発している雰囲気がいつもと違いすぎるのだ。それはオレも言えるらしいが。
椅子に座ったオレは深呼吸をすると目を瞑る。
一定のリズムでの呼吸を繰り返す。静かに深く吸い込み、静かに深く吐く。
これがオレの集中法。出動間際に待機室に入った時は毎回、これをやる。
今は第一分隊が管轄区域を包囲するようにサーチャーを飛ばしている。オレたちは騎士シャマルの準備が出来次第の出動だ。
今回は分隊での行動ではなく、それぞれ個人での行動だ。範囲が広すぎると言うのと、人手が足りないからだ。
オレたちは上空に居るリインフォースのサポートでデイビスに接近。中央へ追い込む。途中で確保できるならば確保してもかまわないが、無理をしない事も厳命されている。
呼吸を繰り返していると、部隊長の声が待機室に響く。
内容は聞くまでもない。
『準備ができた。第二分隊。出動!』
「了解!」
それぞれのタイミングで了解を口にし、敬礼すると、オレたち第二分隊は所定のポイントに移動する為に出動した。