陸士110部隊本部隊舎・屋上。
午後23時55分。
デイビスを捕まえ、隊舎に帰ってくると、隊舎はお祭り騒ぎだった。
一般局員、魔導師、はては尉官までが盛り上がっていた。当たり前と言えば当たり前で、強制招集による四十八時間もの隊舎入りも無くなり、十二年越しに凶悪指名手配犯を犠牲無しで逮捕したのだ。浮かれるのは無理は無い。
その立役者であるはやて、シャマル医務官、リインフォースの三人は帰ってきてからあっちこっちに引っ張られて、今はどこに居るかわからない。
そのおかげと言うのも変だが、オレは今、一人になる事が出来ている。ヴァリアントもメンテナンスの為、久しぶりに本当に一人だ。
屋上の柵に両手を乗せて、屋上からの夜景を見ていると、オレの頬を夜風が撫でる。ビルの上で浴びた時は心地よいと感じた夜風が、今はとても煩わしく感じる。
隊舎のカフェテリアには部隊のメンバーがほとんど集まっている。第二分隊の先輩たちが騒ぎまくっているから、当分、あのお祭り騒ぎが終わる事はないだろう。
いつもなら率先して参加するが、今はそう言う気分じゃない。
理由は二つ。一つはオレの突撃のせいではやてを無用な危険に晒した事。もう一つはヴォルケンリッターの力を見てしまった事。
はやてのあの気負いの無さは、自分を守護するヴォルケンリッターが居たからだ。全幅の信頼を置いているんだろう。
思わずため息が出る。
「ため息を吐くと幸せが逃げるぞ?」
後ろから聞こえてきた静かで落ち着いている低い声に振り返る。蒼い狼のザフィーラが居た。
ザフィーラはオレの隣まで歩いてくる。
「それははやてにも言われましたよ……えっと、ザフィーラさん」
「ザフィーラでいい。敬語も必要ない」
狼にさん付けをするべきか悩んだオレに対して、ザフィーラはそう言う。
十五歳のBランク魔導師に呼び捨てにされるのは嫌かと思ったが、そうでもないらしい。流石はヴォルケンリッター。器が広い。
本人が良いと言うなら、オレが拘る必要はない。
「じゃあ遠慮なく。何か用? はやてについてなくいいの?」
「主はやてにはシャマルがついている。ああいう場では私は目立つのでな」
それもそうかと思う。はやてに近寄る局員達もザフィーラが近くに居たら話し掛けづらいだろう。実力も見てしまっているし。
「なるほど。それでオレの所へ?」
「ああ。ちょうどいいとも思ったのでな」
「ちょうどいい?」
ザフィーラの言葉にオレは首を傾げる。何がちょうど良いのだろうか。まさか大切な主に近寄るな的な話か。
よもやこのタイミングで来るとは。弱いから近づくななんて言われたら、頷いてしまいそうな心理状態なのに。
怖々としているオレに構わず、ザフィーラは話を切りだす。
「礼を言わなければならない。六月の事件の時、主はやてを守ってくれた事。我らヴォルケンリッター一同、心から感謝している」
ザフィーラはそう言うと頭を下げた。
まさかその話が出てくるとは思わなかった。リインフォースは何も言っていなかったし、オレはてっきり、主であるはやての言葉で終わりと思っていたのだが。
頭を下げられると言うのは居心地が悪い。しかも狼だ。
何より。
「オレは……はやてを守れてない。礼はいらない。オレは無用な不安をはやてに与えただけだ……」
「カイト・リアナード。結果は変わらずとも、過程は大きく違う。お前があの時、諦めなかったおかげで、主はやての身は敵に渡らずに済んだ。そうなっていれば、我らにとって一生の悔みとなっていた。主はやての身だけではなく、我らの誇りも守られた。感謝している。いずれ、会う機会があれば、他の者たちもそう言うだろう」
「……強いんだな。オレはそう思えるほど強くないから、羨ましいよ……」
オレがそう言うと、ザフィーラは首を横に振る。
一体、何を否定したのだろうか。
まさか、強いと言う言葉は否定しないだろう。
では、何を否定したのか。
ザフィーラはしばらく黙った後に喋り始める。
「……我らは知っている。強さだけでは救えないモノがある事を。手に入らないモノがある事を。昔、心の底から欲したモノを我々は力で得ようとした。けれど、手に入れられなかった……。六月の時も我らは何もできなかった。強さは関係ない。お前よりも強い筈の我らは何もできず、お前は主はやてを守った。例え、それがどれだけ短い時間だったとしても、お前だけが主はやてを守った」
「偶々だ……偶々傍に居た! 傍に居ながら守れなかったんだ!!」
思わず大声で怒鳴ってしまった。ザフィーラの冷静な目を見てはっとする。オレは気まずげにザフィーラから視線を逸らして夜の街を見る。
ザフィーラは気にしていないのか、オレと同じ街へと視線を移す。
「お前は多くの事を知っているようだな」
「何も知らないさ。十五のガキだからな……」
「世の中の事ではない。我らの事だ。主はやては人との距離を急激に縮めたりはしない。いや、できない。その主はやてが僅か二日で随分とお前に重きを置いていた。何も知らぬ人間にはできない。お前は闇の書の事件を知っているな?」
「……知っている。お前たちが守護騎士プログラムだと言う事も、はやての意向をはやての為に無視した事も……」
ザフィーラはそれを聞くと小さく体を揺らして、その場に膝を曲げて寝そべる。
答えが返ってこない事に不安を覚える。やはり触れられたくない事だっただろうか。
オレはそう思い、ザフィーラを見る。
「知っている理由は聞かないのか……?」
「それは主はやてが知っていれば良い事だ。それに、その事実を知っているのなら安心だ。我らの勝手を、主はやては背負ってしまっている。事実とは異なり、多くの人間が主はやてが闇の書の事件を起こしたと思っているのが現状だ。だから、主はやてには心の許せる友人は少ない」
「心の許せる親友と家族が居れば、充分だろ。過去はどうであれ、今は幸せだと思う。それは、望んでも手に入らないモノだ」
オレはザフィーラにそう言うと、また夜の街に視線を移す。
心の許せる親友と家族。その両方を持っている人間が、オレの視界に広がる街の中にどれほど居るか。
いや、持っては居てもその価値に気づいている人間がどれほど居るだろうか。それは失ったり、手放したりしない限り、当たり前のモノ過ぎて気づかない。
オレは管理局に入り、涙を流す人たちを見て気づいた。当たり前の幸せに。
昔、当たり前の幸せが無かったはやても、色々あるにしろ、今は当たり前の幸せを手に入れている。友人が少ないのも、周りとの年齢差が一番の原因だ。はやての性格ならだれとでも友人関係は築ける。
だから。
「主はやては幸せ。そう言いたいか?」
オレが言おうとした事をザフィーラが言った。
言葉を取られたオレは黙りこむ。
「幸せなのだろう。家族すら居なかった時に比べれば。ただ、今、ようやく人並みに戻っただけだ。過去を考えれば、まだまだ幸せになっても罰は当たらない。だが、主はやてはそれが行けない事だと思っている節がある。それも我らのせいだがな……」
「幸せになってはいけないか……。はやてが幸せになっちゃいけないなら、誰が幸せになっていいんだろうな」
「私もそう思っている。主はやては幸せになるべきだ。だから、今日は嬉しかった」
「嬉しかった?」
オレは今日のはやてを思い出す。
友人と出かけ、お弁当を作るのがザフィーラには嬉しかったのだろうか。親しき友人が増えたと言う意味ではヴォルケンリッターからすれば喜ぶべき事か。
「その様子じゃ気付いていないようだな」
「何の話だ?」
「まぁ無理もないか。主はやてからは口止めされている。表情には出せないと約束できるか?」
ザフィーラの念押しにオレは頷く。
一体、はやては何をザフィーラに口止めしたのだろうか。
全く見当もつかない。
ザフィーラの口ぶりでは気づかなくてもしょうがないような事のようだけど。
「主はやてはお前と別れた後、すぐに事件の事を調べたようだ。そして、この部隊の事、追っている犯罪者の事を知り、私とシャマルに急いで戻ってくるように頼みこんできた。友達が困っているから助けたい。と。幾ら我らが主でも、すぐに作戦は立てられん。あれは入念にシャマルと主はやてが考えた作戦だ。偶然にしては、シャマルは作戦に適しすぎているとは思わなかったか?」
「な、な……!?」
「我儘と言うのも変だが、我らに頼み込む事は滅多にしない方だ。それも知り合ったばかりの人間のためだと言うから驚いた。けれど、私もシャマルもそう言う友人が出来た事が嬉しかった。そう言う面でも、我らはカイト・リアナードと言う人間に感謝している」
ザフィーラはそう言うと、ゆっくり立ち上がる。
驚きのあまり、声が出ない。ある意味ショックで、予想外だ。
はやてがそれを隠していたからじゃない。それを隠していながら、全くその素振りを見せなかったからだ。狸に化かされた気分とはこんな感じかもしれない。
優秀だ。万能だ。と思っていたが、まだまだ浅かった。底知れないとはこの事だ。一体、どこから計算でどこからが計算じゃないのか。
「顔にも態度にも出すな。少なくとも、主はやてはお前との関係に打算は持ち込んでいない。隠していたのも、主はやての気遣いだ。お前は主はやてに気を使われたり、心配されたりするのを嫌がるらしいからな」
ザフィーラはそう言うと、開いているドアへ向かって歩き出す。
話は終わりなのだろう。ザフィーラが喋っただけの気もするが。と言うか、ドアは閉めた筈。どうして開いているんだ。ザフィーラが開けたのか。
そんな事を思っていると、ザフィーラが立ち止り、こちらには振り返らずにオレへ言葉を投げかける。
「お前は傍に居ただけと言ったが、傍に居ても何もしない事も選べた。だが、お前はあの時、主はやてにとって、ただ唯一の騎士になる事を選んだ。その選択を称賛していたぞ。我らが将がな」
「烈火の将……騎士シグナムが?」
「ああ。お前は弱い事を気にしているようだが、強さは後からでも身に付く。気にするな。強さの代わりにお前は折れない意志を持っている。それは努力では身に付きにくいモノだ。大切にし、誇れ」
ザフィーラはそう言うと、ドアの向こうへと消えていく。
オレの内心はバレバレだったようだ。流石は幾多の戦いを駆け抜けたベルカの騎士と言った所か。
戦う者としては大先輩にはオレの悩みはお見通しと言う事だ。
「大切にし、誇れか……」
オレは空を見上げる。雲が多い為、微かにしか夜天は見えない。
彼らはあの雲のようにずっと主を守ってきたのだろう。そして幾度も失敗してきた。
守護騎士プログラムとは言え、意志がある存在だ。良く耐えられたモノだ。オレなら耐えられない。はやてを守れなかっただけでこの有様だ。最悪の事態になったら間違いなく耐えられない。
はやてだけじゃない。親しい人たちの死には耐えられない。だから力を欲した。目の前で誰かが傷つくのが嫌だから、すぐに強くなる事を望んだ。
分かっている。急激に強くなる為に、オレはデバイスに頼ってきた。ヴァリアントにしろ、カーテナにしろ、高性能のデバイスに頼ったツケが今、来ている。頼りすぎた為に、オレ自身の技術が上がっていないのだ。
雲の隙間から夜天が覗く。
強くならなきゃいけない。雲も完璧には空を覆えない。いつか隙間が出来る。
ヴォルケンリッターもそうだ。完璧じゃない。
必要がないなんて事はない。ヴォルケンリッターのように強くなくても、隙間を埋められるほどの強さがあればいい。
今のオレにはその力すらないけれど。無理に高みを目指す必要はない。
「強くなりたいなぁ……」
今より確実に強くなる方法を知っているだろう人をオレは知っている。
オレは空から視線を外して大きく息を吐く。
方針は決まった。とりあえず、今はそれは置いといて。
「はやてを送る時にどうやってばれないようにするかを考えるか」
送ると言う約束だ。おそらくはやても忘れてないだろう。
こんな事ならそんな条件を付けなければよかった。オレの御約束。いつもの行動が裏目に出るパターンだ。
ザフィーラには悪いが、顔を見て平然として居られる自信はない。
オレは小さくため息を吐くと、ドアに向かって歩き始めた。