木から木へと飛び移り、森を意気揚々と駆けていく師匠をオレは追いかけていた。下から。
この森は木と木の間隔が短く、とても走りにくい。師匠のように移動するのが一番早いと思うが、とてもじゃないが、身体強化もせずにあんな事を出来る自信はない。
「化け物ジジイめ……」
『魔力も体力も底を尽きかけてるんだ。しょうがないだろうよ』
「一戦を終えたばかりなのは向こうも一緒だし、何よりもう年だろ!?」
『まぁ伊達に地上の英雄と呼ばれてた訳じゃないって事だろう。身体能力だけ比べれば、相棒とあいつは別の生き物だ』
師匠と同種と言われるのは嫌だが、だからといって劣っていると言われるのは腹が立つ。
体が重い。息が続かない。
疲労もあるが、慣れない道を走ってるのが一番の理由だ。先が見えない。
必死に師匠の背中を追い掛ける。
『五年前もこんな事ばかりしていたな』
「ああ! 思い出したくない記憶だ!」
ヴァリアントにそう言いつつ、オレは思い出す。
師匠に弟子入りした時から、オレはずっと師匠の背中を追い掛けていた。
弟子入りしたのはちょうど今から五年前。十歳になったばかりの頃だった。
ミッド北部の街に住んでいたオレは、誕生日の日に交通事故に遭い、父を亡くした。その事故でオレを庇った母は下半身不随になり、病院から一生出れないと言われた。
親戚の類が居なかったオレは、管理局の施設に入る事以外の選択を選べなかった。当たり前だ。一人で生活する術をオレは持っていなかった。
父の死や母の状態を思い、悲しみに浸る時間もなく、オレは街にある施設へ移された。
一か月ほど無気力になっていた。そんな時に師匠に出会った。
街の外れに住んでいる背の高い老人としか思っていなかったが、朝、偶々、師匠の鍛錬を見てしまった。
憧れた。師匠が使っているデバイスがどんなものか。師匠が行っている鍛錬がどんなものか。全く理解していなかったが、その圧倒的な存在感に憧れた。
それから師匠の所に行くのが日課になり、ちょうど弟子を探していた師匠は、練習台程度の気持ちで、オレを弟子にした。
毎日が充実していた。
母も喜んでいた。沈んでいたオレが楽しそうだったからだ。
弟子入りしてから一カ月ほどして、師匠は母に自分の経歴を明かした。それを聞いたオレは興奮した。
自分は特別なんだと、選ばれたのだと思った。
弟子入りして半年ほどで、師匠は闇の書の事件と、自分の後悔を話してくれた。
それが益々、オレの勘違いに拍車を掛けた。
師匠の代わりに夜天の王を守る。それがモチベーションになった。
十一歳の誕生日を迎え、オレはヴァリアントとカーテナを受け取った。その時に、それがオレには過ぎた力だと気づく事が出来なかった。
十一歳の三月の初め。基礎的な修行から、戦い方の修行に移り始めた頃、オレは街で犯罪者を捕まえようとしてた管理局員に協力した。
その管理局員はオレに陸士訓練校への入学勧めた。そこまでの力があるならば、人の為に使うべきだと。
それが魔法資質のある子供に言う文句だとは知らずに、オレは浮かれた。認められたのだと思った。思ってしまった。
この力を人に役立てる為に、管理局の陸士訓練校に入ると言った時、師匠は止めなかった。ただ、いつか壁にぶつかると、強さを求める時が来ると、それでもいいのか。とオレに繰り返し言うだけだった。
陸士訓練校に入れば強くなれる。早くに現役の管理局員になり、実戦経験を踏む事が強くなる近道で、それがいつかは夜天の王の騎士へと繋がると思っていた。だからオレは耳を貸さずに大丈夫ですと言った。
その結果が今だ。
陸士訓練校を一年で卒業し、十二歳で管理局員になった。そして陸士110部隊に入ると、オレは実戦で生き残る為にその場その場の力を重視した。
剣術も我流になり、いつしかオレの成長は止まっていた。
気づいたのは大分前だ。けれど認められなかった。
部隊長も先輩たちも気づいていただろうが、オレには何も言わなかった。自分で気づかなければならない事だった。それに、その時のオレは言われても、間違いなく耳を貸さなかった。
認めたのはアトスに敗北した時。
短期決戦ならばどんな相手にだって負けないのだと思っていた。オレがすべきことはいかに魔力を節約し、上手に戦うかだと思っていた。
実際、オレはその時までに犯罪者を何度も捕まえ、二年強で陸曹までなった。通常の陸士よりは断然早い。それが最後の自信だった。
その昇進も、事件を多く引き受ける110部隊の性質と先輩たちのフォローのおかげだとは分かっていた。けれど、局内で認められている。その事実しかオレには無かった。
そして、最後の自信もアトスに砕かれた。その階級が強者には無意味だと教えられた。
守りたいと思った人さえ守れないほどに自分が弱いんだとようやく認める事ができた。だからここまで来た。
師匠は過去を見てもしょうがないと言っていた。それは分かる。
けれど、いつまで経っても追いつけない師匠の背中を見ていると、何故、あのとき、管理局に入る事を選んでしまったのか。そんな後悔がこみ上げてくる。
「縮まらないな……」
『遠いと理解できるようになっただけ進歩だろうよ。昔は追いつけると思っていた。少しは成長してる。あんまり考えるな』
「お前は本当によくできたデバイスだな……」
『英雄のデバイスだからな』
なるほど。それもそうかと思いつつ、オレはおしゃべりを止めて、足の回転を上げて、スピードを上げる。師匠がスピードを上げたのだ。
目的地の川に辿りついた瞬間、オレは崩れるように石の上へ座りこんだ。
師匠はオレより早く到着していた為、すでに釣りを始めている。
『なぁ相棒。毎回思うんだが、あれは釣りか?』
「はぁはぁ……違う……あれは捕獲だ……」
息を切らしながらオレは少し離れた所に居る師匠を見る。
師匠は竿を持っていない。今ではなく、少なくとも五年前も釣りが趣味と言いながら持っていなかった。
その代わりにワイヤー・バインドを発動させている。師匠の釣りは単純明快。ワイヤーバインドで縛って引き上げる。それだけだ。
言葉にすれば簡単だが、これは相当難しい。なにせ対象が小さい上に水の流れを計算して発動しなければならない。
そんなに面倒なら普通に竿と餌を使えばいいと思うが、難しいと感じるのはオレであって、師匠ではない。
師匠が腕を振る度にワイヤー・バインドが川へと入り、魚を縛って連れてくる。
こんなに簡単に魚を獲れるのに、本人は釣りが趣味だと言い張る。まずもってそれは釣りではないし、魚との駆け引きが一切ないため、楽しみがないと思うのだが、師匠は相手を圧倒する事が大好きな為、これがお気に入りらしい。
オレが息を整えている数分ですでに陸に上がった魚の数は十を超えている。この人の性格からして、あれはオレの分ではなく保存用だろう。働かざる者食うべからずと言うのが信条だ。自分の分は自分で確保しろと言うに違いない。
あんまり休んでいると、オレが取るべき分まで取られてしまう。
オレは昼飯の為に立ち上がると、川を良く見る。
勘が鈍っていなければ、これで魚の居場所がわかる。五年前はほぼ毎日やっていた。簡単には鈍りはしない。
微かな違和感を感じる。そこに魚が居る。
「ワイヤー・バインド」
オレが右腕をゆっくり振る。
ワイヤー・バインドが先ほどの違和感の場所より僅かに横へ向かう。
ビンゴ。
魚がオレの予測通り、ワイヤー・バインドの到達地点に移動する。
そのままワイヤー・バインドが魚を縛り、その感触を受けて、オレはすぐに引く。
しっかり確保できた事にほっとする。一尾確保すれば十分だ。なにせ昼飯の前にもう一度走らなければならない。多くは絶対食えない。
オレは一息つくと、師匠の所へ向かい、いつの間にか師匠が出していた桶へ自分の魚を入れる。
「馬鹿弟子。お前、バインドの使い方が上手くなったな?」
「あー、そうかもしれないですね。街で起こる犯罪にガラティーンを使う訳にもいかないんで、これを使う事が多かったんですよ」
皮肉なモノだ。強くなると信じて管理局に入ったのに、磨かれたの戦闘能力ではなく、犯人確保に必要だったバインドの扱いとは。
いや、考えればわかる事か。管理局は大前提として犯人は捕まえる事としている。その組織に入れば、捕縛技術が上がるのは頷ける。というか、ガラティーンは明らかに過剰で、通常の時は使う事が殆どなかった。
ため息が出る。今の状況と、昔の自分の考えの足らなさにだ。
そんなオレに師匠がバインドを振りながら聞いてくる。
「ランディから多少聞いてるが、随分と無茶してるらしいじゃねぇか」
「弱さを受けいれる事が出来なかったので、与えられた任務はがむしゃらにこなしました……」
「将来を考えれば、誰かに助けてもらいながらでも、自分の戦い方を変えるべきだったんだがな。大抵の事をどうにか出来る力を俺がやっちまったのがいけなかった」
「力だけを受け取ったオレが悪いんですよ。自業自得です」
オレの言葉を聞いて、師匠は意外そうな顔をする。
「よく分かってるな。お前の自業自得だ」
「人に言われると腹が立つんですけど……!」
オレがそう言うと、師匠は豪快に笑ってバインドを消す。既に桶が一杯だから止めたんだろう。
師匠は魚で一杯になった桶を持つと、来た道を戻り始める。
「まぁ教えた責任ってヤツはとってやる。昼飯食ったら、手を打ってやる」
「手を打つって、何か方法があるんですか!?」
「ああ。あるぞ。デバイスも作れて、お前も強くなれるとっておきがな」
そう言って師匠はニヤリと不敵な笑みをオレに見せた。
◆◆◆
地獄のようなマラソンが終了し、焼いた魚を食べたオレと師匠は、師匠の山小屋の中に居た。
山小屋には簡素なベッドや僅かな生活用品があるだけで、質素の一言に尽きた。
地上の英雄とまで呼ばれている人の家とは思えない。
「師匠……。お金ありますよね?」
「ああ。めちゃくちゃあるぞ。稼いだ分と退職してから貰った分」
「もうちょっと住みやすい所にしませんか? クラナガンとか」
「嫌だ。あの街はレジアスの小僧が牛耳ってるんだぞ? あいつ俺を見つけたら、夜間徘徊でも監獄にぶち込むだろうよ」
どれだけ嫌われてるんだ。と言うか絶対に個人的に何かしたんだろう。いくら裏切り者と呼ばれていても、そこまでするのは深い恨みがあるからだろう。
「一体、何をしたんですか……?」
「クラナガンにあるあいつの家を壊した事がある」
「最低ですね。完全に師匠が悪いじゃないです!?」
「犯罪者を追ってる最中で、あいつが後ろで指揮官やってたんだよ。権利の関係で施設に損害が出ると問題だから大規模な攻撃を避けろっていうから、あいつの家の上空に追い込んでぶちのめしたら、壊れた。家が脆いのが悪い」
「それは監獄に入れたくもなりますよ。反省してないですもん」
可哀そうに。なんだが一気に親近感が湧いてしまった。それでもあの人は好きになれないが。
そんな事を考えつつ、オレは唯一ある机にいくつも紙が重ねられている事に気づく。
「これは……?」
「お前が高レベルのベルカの騎士と戦った事や、AMFを搭載した機械と戦った事はヴァリアントから送られてきたデータで分かっていた。いずれお前が来るだろうってのもな。だからお前用の剣を考えて置いた。それはその設計図だ」
「これが……オレの剣?」
設計図には二本の剣が書かれていた。魔法を使用した場合の完成図だろう。
長さは七十センチほど。オレの身長ならば、二刀流で闘う場合はこのくらいの長さがちょうどいい。
他にもいろいろあるようだが、どれも見ただけじゃ全貌を把握できない。
「それで、だ。お前は強くなりたいから俺の所に来たんだろうが、ぶっちゃければ、一日で強くなる便利な方法など知らん。お前、長期休暇取れるのか?」
「えーと……多分、無理です」
「だろうな。ランディもお前に成長して貰いたいみたいだが、お前でも戦力と言えば戦力だ。すぐには長期休暇はくれんだろうな」
今日の休みですら一カ月掛かった。長期休暇など以ての外だ。おそらく長期休暇を取れば、多くの恨みを買う事になる。正確に言えば先輩たちから。
全く持って計算外。師匠がオレの為にクラナガンまで来てくれるのを期待してたんだが、さっきの話を聞く限り、望みは薄い。
規格外な師匠でも、流石に無理か。
「だから俺がお前を鍛える事は出来ん。そもそも俺の戦い方を教えるにはお前は癖がつき過ぎてる。既にお前は俺とは路線の違う魔導師だ。スタイルの違う人間じゃ教えきれない事が多い」
「それは理解してます……。自業自得と言われればそこまでですけど。それでも強くなりたいんです! 今までの戦い方も捨てます! 師匠! どうにかできませんか……?」
オレの必死の訴えを聞き、師匠は大きくため息を吐く。しかたないと言う感じのため息ではない。呆れたと言う感じのため息だ。
「お前はいつまで経っても人の話を聞かんな? 大体、時間が無いと言ったのはお前だろ? 一から鍛えなおしていたら、何年掛かるか」
「それは……そうですけど。じゃあ手があるんですか……?」
「だから言ったろ。とっておきがあるって」
師匠はそう言うと、上を指差す。
オレはその指を辿って上を見る。天井しか目に入らない。
「天井……?」
「違う。もっと上だ。と言うか次元の向こうだ」
「はい……?」
「本局の俺の後輩にお前を鍛えて貰えるように頼んでやる。んでもって、本局でデバイスも作ってもらえ」
オレはそれを聞いて首をかしげる。
部隊からの申請ならまだしも、個人のデバイス作成の申請が通るのは基本的に無い。幾ら本局でも一々対応をしていられないからだ。
この机にある設計図に書かれているのはオレ専用のワンオフ型。高級デバイスの類だ。まず間違いなく通らないだろう。
「師匠……。デバイス作成の申請は通せないですよ……」
「ああ。問題ない。試作機扱いにすれば幾らでも作れる部隊だから」
試作機扱いにすればデバイスを幾らでも作れる部隊。そんな部隊、聞いた事がない。あるとすれば、試作機をテストする部隊だけだ。
オレはそこで気づく。
一つだけ心当たりがあった。
試作機をテストする部隊。それだけをする部隊は無い。
ただ、装備や戦闘技能のテストや研究を『平時』の業務としている部隊がある。
「まさか……!」
「戦技教導隊。そこの部隊長が俺の後輩だ。しっかり可愛がってもらって来い。教える事のスペシャリストだ。お前が望むように短期間でも強くなれるぞ!」
「ま、待ってください! 師匠が頼んでくれるのは嬉しいです! けど、教導隊に行くのも、師匠の所に行くのも、部隊を空けると言う意味では変わりありませんよ!」
「安心しろ。戦技教導隊内に試作装備を扱える人間が居ない場合、特例でその装備に適正のある人間を教導隊へ出向させる制度がある。代わりに教導隊からその部隊に魔導師が出向するから、部隊の戦力は減らない。と言うか増加だ」
俺が良く使っていた制度だ。と師匠は豪快に笑いながら言う。
確かにオレ用に調整されたワンオフ型のデバイスはオレにしか扱えないだろうが、なんて無茶苦茶な制度だ。
師匠が使っていた制度と言う事は、地上に居る師匠を本局が裏技として使う為に作った制度だ。いまだに残っているなんて。
オレが引き抜かれて、代わりに教導隊の人間が来るならば、地上本部は文句は言わないだろう。そもそも教導隊は空の所属だ。海じゃない。
ああ。ダメだ。否定する材料が無い。
「死にはしない!」
そうやって師匠は笑うが、師匠は知らないのだろう。あそこにとんでもないエースが加わっている事を。
デバイスのテストであるなら、当然、模擬戦もするだろう。もしも彼女が出てきたら、あの桜色の砲撃を食らう事になってしまう。
ビルを破壊した砲撃が頭をよぎる。
分かってる。規格外的な意味じゃ師匠もどっこいどっこいだが、あの砲撃のインパクトは師匠には無い。
何でもするうつもりの覚悟出来たけど、よもや最悪の場所に行かされるなんて。
「オレに悪魔の巣窟に行けと……?」
『諦めろ。相棒。もう決定だ』
ああ。終わった。
心の中で涙を流しながら、オレはそう思った。