ミッド南方・陸士399部隊本部隊舎。
ようやく来た応援部隊に後を引き継ぎ、オレは帰り支度を始めていた。
支度と言っても、大したモノは持ってきてないし、何より荷解きをしていない。
カバンから出したモノといえば、歯磨きやペンやシャツくらいで、与えられた部屋には一つもモノを置かなかった。そんな余裕が無かっただけだけど。
出向期間は二日間。来てからずっと動きっぱなしだった為、とても長く感じたが、僅か二日だ。陸士399部隊やはやてからすれば、短い地獄だっただろう。
陸士399部隊は管理局の基準で言えば、壊滅と判定される被害を受けた。
六分隊、計二十四人の魔導師の内、半分の十二人は重傷で今日にもクラナガンの病院へ移動される。残りの十二人も軽傷以上の怪我と魔力の限界行使、そして極度の疲労により、街の病院へ入院している。
魔導師以外の部隊幹部も怪我を負っており、特に無理をして指揮を取っていた三尉は安静を言い渡され、面会謝絶状態だ。
バックヤードスタッフも疲労が溜まっており、皆、自分の仕事を応援部隊に引き継ぐと、寮や仮眠室へ向かっていた。
とは言え、全部が悪い訳ではなく、この部隊の部隊長や補佐官は意識を取り戻しており、既に会話が出来るレベルまで回復している。
はやて不在時に起きた襲撃で、現場指揮官が足りなくなり、止む終えず、現場で防衛指揮を取っていた所をやられたらしい。ウチの部隊では有り得ない事だ。どのような状況だろうと、陸士110部隊の指揮官は前線には出てこない。前には前の、後ろには後ろの役割があることを理解しているからだ。
まぁ、それはこの部隊の人たちも理解していただろうけど。それでも前線に出て、防衛線を保たなければ、市民に犠牲が出ていた可能性があった。
指揮官が前に出なければならないと言う事は部隊としては敗北だ。敗北してでも、陸士399部隊は街を守りきった。奇跡的に死者もゼロだ。部隊全員が表彰されてもおかしくない。
与えられた部屋から出て、オレは一つの部屋を目指して早足で歩く。この部隊を去る前にやって置かなければならない事がある。
万事うまくいったようで、実はそうでもない。
問題がいくつか残っている。
その一つは。
『リインフォース? 今、大丈夫か?』
『大丈夫だと思うです。今は落ち着いてますから……ただ、今はそっとしておいた方がいい気もするですよ?』
『何も言わずにクラナガンに帰ったら、何を言われるか……。そっとしておきたいけど、後が怖いんだ』
『まぁ、私的にはリアナード陸曹がどうにかしてくれるなら、万々歳ですけど』
それは無理な相談だ。どうにも出来ない事が世の中のはある。
リインフォースに今から、向かうと念話で伝えると、オレは念話を切る。
あまり行きたくないが、行かなきゃ、一体、何を言われるかわからない。
陸士399部隊の大きな隊舎を早足で歩き、たどり着いた士官用の部屋の前にはリインフォースがプカプカと浮かんでいた。
「何をしてるんだ?」
「外に出て欲しいと頼まれたです。それと防音の魔法を掛けているですよ。中で色々とやってしまっているですから」
リインフォースが困ったような笑みを浮かべるが、全然、笑える事じゃない。
防音の魔法が必要な色々ってなんだ。どれだけ荒れてるのやら。
とても部屋に入りたくなくなったが、そうも言ってられない。荒れているなら静めないと、応援部隊の人間がかなり苦労する事になる。応援が遅れたのは上層部の誰かのせいであって、彼らに罪はない。
『はやて? カイトだけど、入って大丈夫?』
念話でとりあえず聞いてみる。念話が通じなければ、寝ているか、念話に応じる気すらないほど荒れている可能性がある為、これは非常に重要だ。今のはやての状況を理解しないと、痛い目を見かねない。
『カイト君? 入ってええよー』
随分と明るいというか陽気というか、そんな調子の声が返って来た。
何となく嫌な予感がしつつ、ドアを開けるとすぐにはやてがそんな調子な理由を察する。
「酒かよ……」
「どこからか持ってきて、いきなり飲み始めちゃったですよ。止める暇もなくて……」
「なるほど……。とりあえず、話が出来る状態か確かめてくる。リインフォースは外で待っててくれるか?」
「はいです」
オレはリインフォースをドアの前に残す。誰かが来た時に対応できる奴を残しておかなければ、はやての醜態を晒しかねない。オレなら晒してもいいのかと言う疑問が残るが、気心は知れてるし、まぁ大丈夫だろう。
部屋はかなり悲惨な状況だった。
部屋中にそれだけ酔いそうなほど濃い酒の匂いが充満しており、まずは換気が必要だった。
とは言え、部屋を換気する為に換気扇を含めた、部屋の機器を一手に操作できるリモコンを探す所から始めなければならない。普通は目に届く所にあるのだが、今は目に届く所にはない。と言うか見渡す限り、物しかない。
部屋にははやての衣服や書類、化粧道具やヒビの入った手鏡など、多種多様な物が散乱しており、まさに混沌としていた。どうすれば短時間でここまで汚くなるのか。唯一の救いは見渡す限りじゃ下着類が散らかってないことだ。この下にあるかもしれないが、とりあえず目につくところに無いのは精神上、非常にありがたい。
さて、この状況、どこから手をつければいいのやら。とにかくリモコンを探さねば。
「はやて。リモコン知らない?」
掛け布団に包まり、ベッドに寝た状態で、ちびちびとコップに入れたお酒を飲んでいるはやてに聞く。
まともな答えを期待していなかったオレに、予想外な答えが返ってくる。
「ここにあるで~」
はやてが右手を包まっていた布団から出して、近くの机を指差す。
オレはその机にどっさりと置かれた書類を退かす。
書類の下に確かにリモコンがあった。何事も聞いてみるものだな。
換気扇のスイッチを押すと、オレはため息を吐いてはやてに聞く。
「もうすぐ十七歳の乙女として、この部屋はどうなの?」
「カイト君、片付けて」
お酒の影響があまり顔に出ないのか、あまり赤くない顔ではやてはそう言う。言動はいつもじゃ有り得ないが。
いつもなら他人の部屋でも掃除するはやてが片付けてとは、なかなかの奇跡だ。
はやてがこんな状態になっている理由は、この事件の結末にある。
凍結魔法で暴走した魔力炉を封印したはやてだったが、暴走する魔力炉が完全に稼働停止するまでに五度の大規模な凍結魔法を使用する事になってしまった。
魔力炉の近くには傀儡兵の共有AIの本体もあったようで、はやてがそれも凍結させた為、傀儡兵はその時点で完全に停止した。
そうして、はやての連絡を受けたオレとアスベルがはやてとリインフォースの下に着いた時にはやては疲労と魔力の消費で、すぐに気絶してしまった。
そして、それがはやてが今、こんな状態になっている理由だ。
はやてが気絶している間に、事件が終わった事に気づいた地上本部は応援部隊を送ってきた。
そして、凍結処理された魔力炉への対応や陸士399部隊からの任務の引き継ぎをしつつ、この事件に関わった人間たちが疲労困憊な事を理由に、応援部隊の隊長が事件の報告書を地上本部に出してしまった。
はやてとしては、この事件の報告書はしかるべき場所にしかるべき方法で出すつもりであり、意見書や抗議書も付け加えてのカウンターを仕掛ける気でもいたらしく、それを自分が気絶してる間に無にされたと知ったはやての表情は今、思い出しても戦慄するほど恐ろしかった。
お陰様で今はこの有様だが、しょうがないと言えばしょうがないと言える。
オレの想像だが、はやては二度とこう言う事が起きないようにするつもりだったのだろう。その根幹にあるのは自分が部隊に居たせいで妨害が起きたと言う自責の念。それこそ、この事件に関わった全ての人間の思いを背負うつもりだった筈だ。
根元をどうにかしなければ、またはやてを妨害する為にこう言う事は起きる。
今回で終わらせる気だった。それが自分が気絶したせいでと思っているのだろう。
「はやて。随分強いお酒を飲んだね」
近くにあるお酒のラベルを見て、オレはそう呟く。
お酒を飲む習慣があるなんて聞いた事はないし、おそらく人生で片手の指で数えられるほどしか飲んだ事のない人間が飲むには強すぎる酒だ。そもそも未成年で、違法だが。
「飲まなやってられへんよ……」
「でも、思ったほどには酔えてない?」
全てを忘れたいほど酔いたいからこそ、強い酒を選んだのだろうが、どれだけ強い酒でもちょっとずつしか飲まなければ、深くは酔えない。
それにはやては元々が理性的だ。理性のタガが外れないようにセーブしてしまってるんだろう。
「一番忘れたい事が忘れられないねん……」
はやてが小さな、本当に小さな声でぽつりと呟いた。
オレはベッドの隅に腰掛ける。はやてはその行動に何も言わない。
「何を忘れたかったの?」
「最後の失敗……」
自分が気絶したことを言っているのだろうが、あれを失敗と言えるのは奇跡だ。
あの程度の事を失敗と言えるほど、この事件は奇跡的に被害が少なかった。死者はゼロだし、街の機能も失わずに済んだ。
結果的に多くの事がうまく行ったからこそ、最後にはやてが気絶した事が失敗となってしまっているが、はやて以外ではこの結果にはたどり着けなかっただろう。本人はそうは思っていないようだが。
「でも、街は守れたし、魔力炉の暴走は阻止できた。とりあえずの事はできたんじゃない?」
「駄目や! 私が居たからこんな事になった! だから私が責任を持って、二度とこんな事が起きないようにせなアカンかった! せやのに……」
「じゃあ、はやてはどうしたいの? お酒で忘れても……思い出しちゃうから、何にも解決にはならないよ?」
その質問にはやてはしばし考える。深く酔っていないとは言え、お酒が回っているのは間違いないからか、いつもより随分と反応が遅い。
しばらくしてから、はやては首をかしげながら呟く。
「わからへん……自分がどうしたいのか」
「受け止められない? この結果が出来うる限りのベストだったって」
「傷ついた人が居る。辛い思いをした人が居る。その人たちに私はこれが精一杯頑張った結果ですって……胸を張って言えへんよ……」
「そっか……なら、オレが胸を張って言うよ。はやては精一杯頑張りましたって。はやてが自分で言えないなら、オレが言う」
我ながら捻りの無い言葉だが、そう思ったのだから仕方ない。それにあれこれと考えている人には言葉を捻るより、真っ直ぐ伝えた方がいい。
そのほうが伝わる。
「カイト君が言うてくれるん……? 私が頑張ったって……」
「ああ。はやては頑張った。倒れそうになるまで頑張って、頑張って、それでようやく手繰り寄せた結果がこれだって、オレが何度だって言うよ」
誰かと言うよりは、はやてに対してそうオレは言う。
はやてが納得しなければ、何にも解決しない。
はやてはキョトンとした顔をした後、柔らかな笑みを浮かべる。
「カイト君がそう言うなら……私は頑張れたんかなぁ」
「なのはでもテスタロッサ執務官でもこの結果はたぐり寄せられなかったよ。はやてが頑張ったからこその結果だ。誇っていい。オレが保証する」
布団から顔だけ出しているはやての顔を見ながら、オレはそう言う。あまり真剣な状況ではないが、精一杯、真剣に言ったつもりだ。伝わったかどうか別だが。
「うん……ありがとうな。気が楽になったわ……」
「どういたしまして。さてと、オレはもう行くよ」
「もう行くん……? 一日休んでからの方がええんちゃう……?」
「そうしたいのは山々だけど、色々と仕事を残してきてるから」
オレの答えが不満だったようで、はやてが頬を膨らませて視線を向けてくる。
オレがその反応に苦笑すると、はやては目を逸らして、シュンとした様子で小さく言ってくる。
「なぁカイト君……行かないでって言ったら、行かないでくれるん……?」
珍しい事もあるものだ。人に迷惑を掛ける事を嫌いなはやてはワガママを口にする事はそれこそ皆無に近い。少なくともオレの行動を妨げる事を言うのは初めてだ。
「……はやてがそうして欲しいなら、一日くらいなら良いよ……」
「じゃあ、居て。話し相手が欲しい……」
「わかった。けど、珍しいね?」
「……私は周りに迷惑を掛けるの嫌いや。せやけど、カイト君には……色々言いやすいねん」
それは性格的な意味なのかキャラクター的な意味なのか。よく色んな人から使いやすい、頼みやすいとは言われるけれど。
まぁはやての周りの人間としては貴重なんだろう。
一番の親友のなのはとテスタロッサ執務官も色々と責任やら期待を背負っている。そんな二人にワガママは言えないだろう。家族であるヴォルケンリッターははやてが頼めば最優先に何とかしようとしてしまうから、迂闊な事は言えない。
結局近場にはやてが弱音やらワガママを言える人間は居ない。
オレを除いて。
「いいよ。話を聞くくらい、ワガママを聞くくらいどうって事ないし、オレは何も背負ってないから、迷惑を掛けてくれるくらいがちょうど良いかなって今、思った」
「何も背負ってない人なんておらへんよ……」
「はやてに比べたら、オレは何も背負ってないものだよ。だから気にせず、何でも言ってくれていいよ。重たくなったら、オレに愚痴でも弱音でも吐けばいい。それでオレが何が出来るわけじゃないけど、それを聞く事はできる」
「……私な。実は色々とカイト君に隠してる事あるんよ……。大事な事は何も言わないけど、都合の良い時に愚痴と弱音を聞かせる事になるで……?」
それでも良いのかとはやてが目で問いかけてくる。それは聞くまでもない事だとおもうんだけどな。
「いいよ。はやてが話したい事だけ話せばいい。どうせ、任務や極秘事項についてでしょ? そんな事まで話してくれなきゃ嫌だなんて言わないよ。信頼してるから、はやてが話して大丈夫と判断した時に話してくれればいいさ」
「カイト君……お人好しって言われへん?」
「言われないかなぁ。周りにもっとお人好しが居るし」
オレがはやてを指差すと、はやては、私?と呟く。
その呟きに首を縦に振って頷くと、はやては苦笑する。
「私はそこまでちゃうよ。なのはちゃんやフェイトちゃんの方がお人好しや」
「似た者同士だから親友なんだなって納得したよ。さてと、とりあえず、もうお酒はいい?」
「もうちょい飲みたい」
「じゃあ飲んでていいけど、ベッドの上に居てね。この部屋、片付けるから」
「……リインと一緒にして。服は恥ずかしい」
少しは酔いが覚めたみたいだな。多少の恥ずかしさが戻ってきてる。
肩を竦めると、オレは部屋の前で待ってるリインフォースを呼ぶ。
いつもは手が掛からないのに、今日は随分と手の掛かる王様だ。