新暦74年6月5日。
クラナガン・中央区。
はやての誕生日に休みを取れなかった事を詫びる為に、誕生日プレゼントを買って、八神邸に向かっている途中。
歩道を歩いている時にオレはある人間とすれ違った。
肩に掛かる程度の茶色の髪に青い瞳を持った二十代の長身の男だ。
「アトス!?」
すれ違った瞬間、オレは臨戦体勢で振り向くが、それはアトスによって遮られる。
「リアナード君。ここでの戦闘は市民を巻き込む。今日は争いに来た訳じゃない」
「犯罪者の言葉を信じろと?」
「夜天の王を狙う過程でなら君と戦うが、わざわざ君を狙う理由は私にはない」
思慮深い目を向けてオレを諭しに来る。
変わらない男だ。外見ではない。その雰囲気がだ。
希薄。何を考えているかも読めない。
周りには市民がいる以上、アトスの言う通り、ここで戦う訳にはいかない。
「何しに来た……?」
「忠告をしに来た」
「忠告? はやてを狙ったお前の忠告なんて必要ない……!」
怒りと声を抑えて、静かにそう告げるが、アトスは首を横に振って否定する。
こいつは一体、何を企んでる。捜査のかく乱か。それともここにオレをクギ付けにする事が狙いか。
「私も色々と縛られている身でね。今日も僅かな時間しか自由ではない。素直に聞いてもらわないと困るのだよ」
「何……? 縛られてる身? 自由じゃない?」
「傭兵である以上、雇い主が存在する。私たちはそれの依頼で八神はやてを狙っている。私たちの感情は抜きにしてね」
はやてを狙った時も乗り気じゃないと言っていたが、それは依頼だからと思っていた。そうじゃないのか。アトスの言葉では無理矢理従わされているような印象を受ける。
「お前たちは一体……?」
「レジアス・ゲイズの周りを探れ。そうすれば私たちの雇い主にも繋がる」
「地上の人間なのか!? いや、何故教える!?」
「私たちは傭兵だ。大切なモノ以外の為には戦わない。その大切なモノを握られたとしたら? 戦わざるおえないだろ? 急ぐことだ。君が間に合わないなら、私たちは全力で八神はやてを攫いに行く」
そう言うと、アトスの体がボヤける。
これは。
「幻術!? ヴァリアント!」
『ダメだ! 追跡できねぇ……』
流石と言うべきか。シグナムさんやなのはを撒いただけはある。全く気配がなかった。
「大切なモノを握られたとしたら……か」
『人質でも取られてるのかもな。それなら、相棒に色々教えたのも理解できる』
「どうにかできなきゃはやてを攫うって言う脅し付きだったけどな」
大きく息を吐く。体から一瞬で力が抜ける。
強くなった自信はあった。アトスともう一度戦う機会があれば善戦できると思っていた。けれど違った。
少しだけ強くなったからわかる。
「Sランククラスか……?」
『どうだろうな。ただ、戦闘技術じゃテスタロッサ執務官や高町一尉とさして変わらんだろうさ』
善戦なんてできる訳が無い。前は全く本気じゃなかっただけだ。
アトスがその気になればオレなど一瞬でやられるだろう。
譲れないのはこちらも一緒だが、力の差がありすぎる。アトスと戦うのは現実的じゃない。アトスだけじゃない。アラミスやポルトスもいる。あの二人だってAAランク以上の力は持っている筈。
どうにかアトスの雇い主を見つけなければ。
「はやての所に急ぐぞ」
『そうした方がいいな』
◆◆◆
クラナガン・八神邸。
誕生日から三日の連休を取っているはやては家にいる筈だが。
家の前まで来て、念話で確認すればよかったと後悔したが、今更遅い。
家のインターホンを押すと、はーいと言う声と共にシャマルさんが出てくる。
とりあえずホッと息を吐く。
「いらっしゃーい。カイト君。あら? 何かあったの?」
「中で話します。みんな居ますか?」
「ええ。はやてちゃんはカイト君が来たら出かけるつもりみたいだけど?」
「まぁ、オレの話の後ですかね」
そう言うと、はやてとヴォルケンリッターの家へと入る。
リビングに入ると、はやてとヴォルケンリッターがおもいおもいにくつろいでいた。久々の一家団欒に邪魔しては悪いが、事態は色々と深刻だ。
「リアナード陸曹。いらっしゃいませです~」
「お邪魔します。そしてもう曹長だし、今は任務じゃないんだけど?」
「あはは。リインはいつもリアナード陸曹やからね。いらっしゃい。お昼ご飯食べた? まだなら一緒にどこかに食べに行かへん?」
「まだだよ。けど、その前にちょっと話をしていいかな?」
オレの言葉の真剣さを読み取って、この場に居た全員が耳を傾けてくれる。
正直、こういう切り替えの早さは助かる。
「さっき、アトスと接触した」
アトスと言う単語にシグナムさんが目に見えて殺気立つ。
「落ち着け、シグナム。あたしらはそいつを知らねーけど、確かはやてを狙った奴だよな?」
落ち着けと言ってる割にヴィータさんの声も随分と怒りを含んだ声だ。
いや、この場の全員が落ち着いてはいない。最愛の主を襲った敵だ。次に会えば自分の手で捕まえると皆が思っているのだろう。
「ええ。そのアトスです。市街地だったので戦闘には発展しませんでしたが、奴からいくつか情報を得ました」
「どんな情報だ?」
狼形態のザフィーラがオレのすぐ傍まで歩いてきて聞く。
皆もそれが知りたいらしく、頷いている。
その頷きにオレも頷いて返して答える。
「一つ目。レジアス中将を探れば自分の雇い主に繋がると言う情報。二つ目。アトスたちも弱みを握られて従っていると言う事。三つ目。どれだけ気が乗らなくても、命令されればはやてを攫う気であること」
「なるほど。と言う事は、アトスも雇い主を疎ましくは思っているのだな」
シグナムさんの言葉にオレは頷き、シャマルさんを見る。こう言う時の意見のまとめ役はシャマルさんだ。
「じゃあその雇い主を見つけなきゃね。戦わなくて済むならそれに越した事はないし」
「せやね。無理矢理戦わされとるなら助けてあげなあかんしな」
ソファーに座っているはやてに全員が呆れた視線を向ける。
全員を代表してリインフォースがはやてに聞く。
「はやてちゃん。狙われてる自覚あるですか?」
「あ、あるで。めっちゃあるで? ほんまやよ?」
「他者に優しさを向けられるのは主はやての良き所ですが、まずは自分を一番に考えてください」
「自覚はある言うとるのに……。でも、ホンマに嫌な戦いをしとるなら、私は見捨てる訳にはいかへん」
その言葉は重い。
過去のヴォルケンリッターの話と被ったからか。
無理矢理戦わされる。それは意思を無視される事だし、管理局が定めた法はそれを許してはいない。
とは言え、どんな理由があろうと、他者を容認はできない。
「その為にレジアス中将を探るしかないけど、それはオレに任せてもらえない?」
「訓練校の同期の子も気になる?」
「ああ。それに、このメンバーで動けるのはオレしか居ない。はやてたちは部隊設立で忙しいし、地上じゃ風当たりも強い」
「せやね。まぁ詳しい事は後にせん? 私、お腹すいてもうたよ」
はやてがお腹を押さえて空腹を訴える。確かに時間はお昼だし、せっかくみんなで集まっている休日の時にするには随分と場違いな話か。
「確かに。じゃあ、どこに食べに行く?」
「オライオンに行かへん? しばらく行っとらんし、みんなで一緒に行くの初めてやし」
はやての提案に全員が笑顔で了承する。
オライオンか。
セシリアと約束してから半年が経ったのに、結局行っていないな。
訓練校でのセシリアは気さくで、周りに影響を与える人間だった。オレも随分と影響された。
その反面、自分は自分と言う強さを持っていたから、周りに影響されることはなかった。だから、違和感がある。どれだけレジアス中将が素晴らしい人でも、あんな狂信的になる奴じゃなかった。
ヴァリアントが取っていたデータには異常なバイタルが幾つも観測されていた。調べた結果、そのバイタルに一番近い状態は夢遊病の患者の状態だった。
それだけで普通の状態では無い事がわかる。データを理由に強制的に検査させようかとも考えたが、向こうは捜査官だ。拒否され、データを取った事をプライベートの侵害と言われたら、目も当てられない。
はやての部隊のこともある。オレも下手には動けない。直接関わっている訳じゃないが、付け入る隙はない方が良いに決まっている。
「カイト君? どないしたん?」
出かける準備をしたはやてがオレの顔を覗き込みながら聞いてくる。
それに驚いて、オレは反射的に一歩下がる。
「びっくりしたぁー」
「なんやねん。何度名前呼んでも反応せんからやろ?」
少しだけ唇を尖らせて、はやてはそう言う。
オレは、ごめんと言いつつ、先ほどまでの思考を一度仕舞う。
今、考えても仕方ないことだ。あまり張り詰めすぎて、普段の仕事に支障が出ても困る。
休日は休まなければ。
「あっ。そうだ。ごめん。言い忘れてた。誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼント。ごめんね。昨日、休めなくて」
「ホンマに!? 全然ええのに」
そう言いながら手に持っていた袋をはやてに渡すと、はやてはすぐに袋から箱を取り出す。
はやての顔がすぐに明るくなり、ありがとうな。と言いながら箱をまじまじと見る。
「今回はなんやろか?」
「大したモノじゃないよ」
二佐に昇進したはやてに高価な品物は贈り辛い。オレにとって高価でもはやてにとってはそうでもない可能性が高いからだ。
と言う訳で。
「コップ?」
「家族でお揃いだったコップが割れちゃったって言ってたから。八神家六人分のコップ。名前も彫ってあるから分かりやすいでしょ?」
六色のコップが収められた箱を見ながらはやてが押し黙る。
おや。お気に召さなかっただろうか。まさか買ってしまったとか、買いに行く予定だったとかじゃ。
「き、気に入らなかった?」
「あっ! ちゃうんよ。めっちゃ嬉しいんやけど……なんでカイト君のがないんやろうって」
「オレはたまにしか来ないし、何より、それは八神家のお揃いのコップだよ? オレの分を入れるのは拙いでしょ」
「いつもカイト君来ると出すコップに迷うんよ」
そう言われても。
はやてへの贈り物にオレのを入れとくなんてできる訳ないし。
「じゃあ、今度、自分の持ってくるよ」
「うーん、まぁそれで良しとしたる。カイト君。ありがとうな」
笑顔で感謝の言葉を口にしたはやてに笑顔を返す。
この笑顔が消えないようにしなければならない。
もしもアトスたちと戦う事になったとしても。
これからどれだけ巨大な敵が現れたとしても。