新暦74年11月7日。
時空管理局本局・提督執務室。
「アトスのことは聞いたよ。君は本当だと思っているようだけど?」
「はい。ミスリード狙いの可能性もありますけど……。わざわざオレに伝えても、捜査に影響を与える事はできないと思うので」
「確かに、それを考えるとあながち嘘とは言えない。が、君はこうして捜査の指揮に関係している僕に話す事が出来ている。自分の影響力を少し見誤っているよ」
クロノさんにそう言われて、オレはソファーの上で首を傾げる。知り合いではあるが、そうそう会える仲と言う訳じゃない。
提督の階級章が付いた黒い制服を着たクロノさんは苦笑して、テーブルのカップに手を伸ばし、紅茶を一口飲むと、オレの交友関係を口にする。
「時空管理局地上本部の陸曹長。しかし、君はその階級には不釣合いな交友関係を有している。まずもって師匠があのヨーゼフ・カーターさんで、僕の師匠であるグレアム提督とも話をした事がある。それに管理局が誇る三エース、はやて、フェイト、なのはの三人とも個人的に親しい。はやて繋がりでヴォルケンリッターとも知り合いであるし、自分で言うのも何だが、本局じゃ名前が知られている提督である僕ともこうしてお茶を飲んで、話をしている。一介の下士官なら、だれか一人でも知り合いが居ればラッキーと言うレベルだと思うんだが?」
「はぁ、そうですね。はやてと知り合うまでは皆さん雲の上の人だったのは確かですけど……」
どうにも実感が湧かない。
周りが凄いと言うのは分かってる。ただ、オレは知り合いであっても、知り合い以上ではない。
「オレは……周りに影響を与えられるほど凄くはないですから。とても凄い人たちと知り合いであるのは自覚してますけど、その人たちを肩を並べてる訳じゃないので……」
「まぁ、そう言う考え方もあるか。でも、なのはやフェイトがそうであっても、はやては違う。君への恩や引け目は相当感じてるようだし、君が思っている以上に君の影響を受けているよ」
「そうでしょうか? その、恩はともかく、引け目は感じてるんだろうなと思うんですが、影響を受ける程とは思えないんですけど……?」
テーブルの上にあるカップを持って、紅茶を飲む。甘すぎず、かなり飲みやすくて美味しい。味わいながら紅茶を飲んでいると、クロノさんが語りだす。
「はやては、生き急いでいるように見えるんだ」
「……そうですね。色々抱えてるから、しょうがない気もしますけど……。そうやって動いていないと押しつぶされてしまいそうで、怖いんじゃないかなってオレは思いますけど」
「奇遇だね。僕もそう思ってる。ただ、それが不憫でもある。過去が暗かった分、今や未来は明るくあって欲しい。楽しむ権利、幸せになる権利がある筈なのに、はやてはそれを良しとしない。全てを贖罪と捉えてる節がある。今回の部隊設立もその気持ちが大きいだろう」
クロノさんはそう言うと、からになったカップを置く。オレはポットを手にとって、クロノさんのカップへ新たに紅茶を注ぐ。
「ありがとう。だから、立ち止まって、周りをゆっくり見渡して、今を楽しんでほしいと思ってる。それはなのはやフェイトにも言える事なんだが、なのはは仕事が命だし、フェイトは保護した子供たちの面倒を見る事に夢中だし」
「頭が痛い問題ですね。私たちのお兄さんってはやては言ってましたけど、本当ですね」
「組織の中で若い時に高い階級に居ると色々大変なのは知ってるしね。そうじゃなくても三人とも危なっかしくて見てられないんだ。はやては親類と呼べるのはヴォルケンリッターとグレアム提督だけだし、グレアム提督は既に隠居してる。ヴォルケンリッターも過去の事があって、肩身が狭い。なのはは自分の出身世界に親や兄妹が居るとは言え、こちらには親類はいない。フェイトは僕や母が居るけれど、本局の任務上、いつでも会える訳じゃない。だから、せめて年長の僕が気を使わないとって思っているんだが」
クロノさんがため息を吐いて空間モニターを開く。
オレはその行動に首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「こっちに居すぎて、子供と会えないんだ……」
「……なるほど……」
まだまだ幼い双子の写真を見せながら呟いたクロノさんになんて言葉を掛ければ良いのか分からず、とりあえずそう返す。
今が一番可愛い頃だろうに、可哀想な事だ。とは言え、本局の文字通り要である提督の称号を持っている以上、そうそう休みは取れないだろう。今だって、部下からの報告待ちの時間だ。
若くして結婚して、子供が生まれ、そして若くして出世してしまったツケだろうか。順風満帆のようで、こういう所で落とし穴にはまってたんだな。この人も。
「奥様は何と……?」
「妻も時空管理局の局員だから理解はあるんだ。けれど、子供に帰る度にいらっしゃいと言われると……」
完全に他人扱いだな。そりゃあ確かにたまにしか会わない人はこのくらいの子供たちからすれば他人だろうが、惨い事をするもんだ。子供は残酷と言うがその通りだな。
「長距離通信とかでお話はされるんですか?」
「それはしてる。してるんだが、どうにも空いた時間にしても子供が寝てたり、向こうが用事だったりで上手くいかないんだ……」
「それは……それじゃあ誕生日とかは?」
間が悪いのか、運が悪いのか分からないが、特別な日に帰ったり、プレゼントを渡せば、子供心に印象に残るだろう。
「帰るようにはしているんだが、帰れない時はフェイトにプレゼントを渡してくれと頼むんだが」
「だが?」
「毎回毎回、どんなに頑張ってプレゼントを選んでも、フェイトのプレゼントの方が喜ばれるんだ……」
あの天然め。全力で子供が喜ぶプレゼントを選んでるな。
子供の扱いに関しては、クロノさんじゃ勝てないだろう。向こうは何人もの子供の後見人なっている強者だし、クロノさんと比べれば時間がある。子供へのリサーチも完璧だろう。
「今度……それとなく話を振って、釘をさしときます……」
「そうしてくれ。僕から言うのは何と言うか……負けた気分になるんだ」
自分のプレゼントより子供が喜ぶプレゼントを渡さないくれと義妹に言うって言うのは確かに敗北だが、それ以前に子供が喜ぶプレゼントを実力で渡せない時点で負けてる気がする。言わないけど。
「なんとも言えないですねぇ。子供に妹に幼馴染にって、色々ありすぎですよ」
「そうなんだよ。守るものがありすぎでね」
「まるで」
「管理局みたい、かい?」
「よく分かりましたね?」
言おうとした例えを先回りされたのにビックリして、オレはそう聞き返す。
クロノさんは苦笑して答える。
「ちょっと前に母に同じ事を言われたのさ」
「リンディ・ハラオウン統括官がですか?」
意外だった。管理局本局の重鎮がそんな事を言うなんて。
オレの驚いた顔を見て、クロノさんが笑う。
「母は本局の上層に居る人間だが、現実は見えてるよ。数に限りがある魔導師を主力としている時空管理局では、広い次元世界を完璧に守りぬく事は出来ない。そのことには気づいてる」
「上層部にそう言う人が居るのはありがたいですね。地上の戦力不足というか、それから来るもろもろの感情が今は凄いですから……」
「地上の事は本当に済まないと思ってる。出来る事ならすぐに援軍を送りたいんだが……時空管理局は拡大政策を止めたくても止められないんだ……」
初めて聞く話だ。はやてからもそんな話を聞いた事はない。いや、前に拡大政策に聞いた時に言葉を濁していたから、それだろうか。
「どう言う事ですか?」
「言葉にしたら簡単な話なんだ。魔力資質のある人間には限りがある。なら、新しい世界を管理世界に加えれば、その世界の魔力資質の持ち主は管理局に入れやすくなる。その分、守る世界も増えるが、残念な事に、過去にある管理外世界からとんでもない魔導師が二名出ているから、その事例さえ起きれば、上層部はお釣りが来ると思っている」
「なのはとはやて……!?」
クロノさんが頷く。
確かになのはとはやてクラスの魔導師が出現するなら、管理世界を広げてもお釣りが来るが。
「二人だけではないけれどね。そうやって僅かな高ランク魔導師を求めて続いた拡大政策は既に止められない。新たに加わるだろう世界の魔力資質のある人間をあてにしてしまってるのが現状だ」
クロノさんが心底落ち込んだ声でそう呟く。
はやてが言葉を濁したのはこの為か。確かに聞いて気持ちの良い話じゃない。
なのはとはやては成功例と言った所か。そうそう上手く行くとは思えないが、管理局の規模で行えば、そこまで分の悪い賭けじゃないのかもしれない。
「立ち止まれないか……」
「いつかは止める。誰も止めないなら僕が止める。けれど、まだ、その力は僕にはない。今は力を付ける時間だと割り切るしかない。どれだけ正しいと思っても、その思いだけじゃ何もできない。力が必要になってくる。正しい事がしたいから、僕は偉くなる道を選んだ。それまでの間は管理局の皺寄せが地上の魔導師に行ってしまうが……」
「はやてが言ってくれました。現場が動きやすいようにするって、低ランクの魔導師を、力の無い市民をすぐに助けられる部隊を作るって」
それがはやての夢の部隊。臨機応変に動ける部隊。機動六課。まさかこんなに早く実現させるとは思わなかったけれど、実験部隊であるこの部隊が結果を残せば、管理局は変わる。
対応の遅さが改善されれば、すぐにオレたちは動ける。そして対応が早くなれば、低ランク魔導師が少数で動く事も少なくなる。
地上の戦力不足が根本的に解決しなければ、現場の危険は変わらないが、はやての部隊の結果次第で、危険の度合いを下げる事はできる。
「ああ。組織の大きさによる対応の遅さは致命的だからね。そして、結局は君たち現場の魔導師が危険に晒される……」
「だから、はやては頑張ってくれてます。だから、オレははやてを信じてます。それはクロノさんも一緒です。はやてが部隊で結果を出して、クロノさんが組織を変えてくれるなら心配はないじゃないですか」
「その為には時間がいる。申し訳ないけれど……すぐには無理だ」
クロノさんがそう言って顔を伏せる。オレはそれに対して首を振る。
「大丈夫です。組織を変えてくれようとしてくれるクロノさんが上に、本局に居るなら、オレは安心して地上に居れます。現場は任せてください。必要ならどんな命令でも受けます。あなたやはやての命令なら、オレはいくらでも聞きますよ」
いつだったか師匠が言っていた。
グレアム提督は現場で師匠が動きやすいように、積極的に動いてくれたと。だから組織の為に、ひいてはグレアム提督の為に自分は動いたと。
あの人のように強くはないし、階級も全然違うけれど、親友だった二人の弟子であるオレとクロノさんがこうして居るのは何かの縁だろう。
「プレッシャーを掛けてくれるな……」
「糧にしてください。お互いの師匠と関係は似てますし、お互い、自分の範囲で頑張りましょう。ちょっと偉そうですみません」
「いや、気にしないでくれ。そうだな。君が下に、地上に居るなら、僕も安心して上に上がれる。いきなりで悪いけれど、組織のしがらみで、はやて達の力にはあまりなれない。任せて良いかい?」
「お任せくださいと言えないのは悲しい所ですけど……全力を尽くします」
オレがソファーから立ち上がり、敬礼すると、クロノさんも立ち上がって敬礼で返してくれる。
「頼んだ。カイト。君も気をつけるんだ」
「わかってます。できるだけ」
そうやって断る。これだけは言っておかなければならない。オレの覚悟の証明だ。
「命はかけません。ただ、命のかけ時と判断した時は迷うつもりもありません」
「カイト……」
「まぁ、あのメンバーが揃って、何かが起きる事もないでしょうけどね」
そう言って笑顔を見せつつ、オレは退出するために、失礼します。と言って、もう一度敬礼した。